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Reineseele
作:れいちぇる



第三話 夏の日の思い出



あれは、そう。十七歳の夏の終わりだった。
僕は今年度末に控える大学受験のために、楽しい思い出など無い勉強三昧の日々を送らされていた。唯一の思い出といえば、父の誘いもあって緑深い森の広がる山地に旅行へ行った事くらいだ。

 父は俗に言う優秀な研究者で、とある企業で生体物質を利用した医薬品の開発チームに所属しているのだが、研究成果を買われ3年前から国のプロジェクトに協力している。研究に没頭してしまうと家に帰ってこなくなるという昔からの悪い癖は全く治っていないようで、プロジェクトに参加するようになってからというもの、それはさらに顕著となってしまった。そんな父が一緒に旅行に行こうという。もともと観光地やキャンプ場のように人があふれている所は好きでなかったし、何と言っても勉強ばかりで単調な日々にそろそろ嫌気がさしていたのだから、この申し出を断る理由などどこにも無かった。


「緑、ね。見渡すかぎりほんとに」
父の運転する車から窓をのぞいていた母は、いつも見ている灰色の迷路とは全く異なる自然そのものに対し、感嘆をもらしていた。実際僕も、言葉にはしなかったが母と同じ気持ちだった。
「お父さん、よくこんなところ知ってたわね」
「うんうん。研究ばっかりで他のことはそっちのけだと思ってたけど、大したもんだよ」
「宗久、言いすぎだぞ。父さんだってなぁ」
他愛も無い、家族の間で普通に交わされるごくごく普通の会話の風景。しかし我が家では意外と珍しい。父と母がこんなに会話しているところを見るなんて、一体どれだけぶりだろう。それだけで僕はとても嬉しかった。来て良かった、と早くも思っていたほどだ。

「ここが今回の宿になる、父さんが協力してる国の研究所の特別施設だ。宿代タダで食事もおいしいと評判だぞ」
「なーんだ、やっぱり自分で調べたとか、来た事があるところじゃないんじゃん」
「宗久」
大きくてきれいな洋館だった。国の研究所がどうしてこんなリゾートっぽい施設を持っているんだ、と疑問も生じたが、気分はすっかり「家族で自然満喫ツアー」に入っていて、そんな疑問などどうでもよくなっていた。税金の無駄遣いだなぁ、と社会派を気取った皮肉は忘れなかった。
 案内された部屋に荷物を置いてくつろいだのは、日が大きく傾きもうそろそろ空が茜色になりはじめそうな時刻。僕は両親に断って、一人森へ散歩に出かけることにした。



 おもな蝉の声が、アブラゼミの喧しいものからヒグラシのカナカナカナという美しいものに変わっていくのを聴いて、とてもすがすがしかった。木々の間から射し込むオレンジの光が、薄暗い森の中をも鮮やかに照らし出している。濃い緑色をしている木々の葉も、その鮮やかさの前に本来の色を失っていた。今まで自分がいた世界がいかにちいさく、単調なものだったかを思い知らされるような気分さえする。それがまた快感だった。

風にゆれる木の葉のサラサラという音…
遠くから聞こえる川のせせらぎ…

 自分の歩行のリズムともに踏みしめる砂利の音も気持ちいい。目を閉じてゆっくり一歩、また一歩。その音楽に酔いしれていた、その時だった。
 僕のリズムの間に入ってくる砂利の音がある。驚いて目を開いたが自分の目の前には何も無い。さっきまでの音もしない。気のせいかと思いまた目を閉じて音楽を指揮し始めた。
…やはり聞こえる。

 ざく、ざく、ざく、ざく、
さくっさくっさくっさくっさくっさくっさくっさくっ

後ろからだ。僕は速度を落とし、目を閉じたまま耳に意識を集中した。その音はとても小さかったので音の主はまだ遠いと思ったが、そのリズムは僕の二倍か三倍くらい速かった。
…ひょっとして子供、か?
足を止めて振り返ると、ほんの5mくらいのところに5、6歳と思われる子供が立っていた。赤っぽい茶色の長い髪をポニーテールにし、スカートをはいている。きっと女の子だろう。
「ダルマさんが転んだ」でもしているつもりだったのだろうか。僕と目が合うとその子は「見つかった!」とでも言わんばかりの顔をして駆け寄り、僕の目の前で止まった。にこにことした、笑顔がとても可愛い子だった。
「こんにちは、お嬢ちゃん」
いつからついて来ていたのかわからないので少し無気味だったが、しゃがんで話しかけてみた。
「お兄ちゃんは、おきゃくさん?」
どうやら洋館の関係者の子供のようだ。そうだよ、と答えるとそろそろ晩ごはんの時間だから帰ろうよ、と僕の手を引く。気がつくと周りのオレンジの景色は薄れ、かわりに紺色の景色が広がり始めていた。深い森の中だから広がり方がかなり速い。両親との約束もあったのでその子とともに洋館に帰る事にした。
「ミミちゃんね、あのおやしきにすんでるんだよ。生まれたときからずーっと」
その子はミミちゃんというらしい。なんかベタな名前だなぁと思いつつもミミちゃんの話を聞きながら帰途についた。



 たしかにここの料理はおいしかった。父の話にあったが、公的機関の施設だからそれほど期待せずにいたのだが、侮っていた。ダイニングは結構な数の家庭が一度に食事しても十分な数の席があるくらいの広さがあった。テーブルも大きめで、すべての皿が十分なスペースを持っておくことが出来た。僕たちのテーブルはちょうど部屋の中央に位置していた。同じ時間帯に食事している人たちは多くなく、歳のいった男女のペア3組と、三十代前半と思われる女性とその女性に連れられたミミちゃんがいるだけだった。
 ミミちゃんが僕に気づき、フォークを持ったまま手を振ってきた。隣の女性はやはり母親なのだろう。ミミちゃんの無作法を注意し、ばつの悪そうな顔をしてこちらに頭を下げた。ミミちゃんもごめんなさい、と母親に頭を下げている。僕も彼女たちに会釈をした後、ミミちゃんに向かって小さく手を振り返した。

「だろ?父さんを信じてみるもんだろ」
「ええホント、お父さんさまさまね。正直ビックリだわ、国営なのにこんな贅沢な思いができるなんて。それもタダで」
 思わず吹き出してしまった。母はときおり間が抜けているのか狙っているのかわからない、子供っぽく素直な意見を言う。父と母は僕が散歩に出かけている間この洋館の見物をしていた。丁寧に手入れされた花壇や庭木、洋館の外観、内装をじっくり見て回り、久しぶりに二人の時間を楽しんだといった感じだった。特にそこまで気を利かせたつもりではなかったのだが、僕が散歩に行ってくる、と出かけたのはなかなかによく出来た息子の行動だったようだ。翌日は朝焼けの森の散策を楽しもうと言うことで、親子団欒だんらんの時間をほどほどに切り上げ、今日は早く休むことに意見がまとまった。


この森があるのは高地だ。夜明け前はまだ夏だというのにことさらに冷える。
霧がかかりとても幻想的な景色を目の前に広げていた。明るくなるにしたがい徐々に薄くなる霧は、まるで森が呼吸をして吸い込んでいくかのようにも見えた。
…晴れていて本当によかった。
夕焼けとはまた異なる赤に染まった森も格別だ。

 一番早く起き、皆をたたき起こしたのは母だった。夢中になった母はとても強い。おかげでこんなすばらしい景色を拝むことが出来たのだから、強引な起こし方にも目を瞑るしかない。

…でも何も起きるまで頬を叩きつづけなくてもいいのに。


 朝食をとり、僕たちの部屋で一息をついた後、近くに小川があるということでそこに行くことにした。8時半ごろに洋館を出たときにはすでに太陽は高く上り、日差しは強く暑さを増していた。木々の葉は鮮やかな緑で、森の中は湿った土や樹皮の香りが満ちていた。森の外と中では日差しが極端に違う。ひんやりとした冷涼な空気が、早起きしたせいで少しぼんやりした今の僕たちの頭を爽快にしてくれる。十五分ほど散策道を行くとせせらぎが聞こえてきた。
 この辺にミミちゃんがいたんだよな。辺りを見渡すが、今は僕たち一家族しかいない。じきに散策道を脇に入り、小川に出た。高く上った太陽の光がきらきらと照り返している。

美しかった。

 昨日からこんなに美しい景色をいくつも見ることができるなんて、とても貴重な経験だった。都会の人工物、それが美しくないとは言わないが、それに囲まれた日常からでは触れることのできない、生命が織り成す美しさが、心に染み渡る。
 大小様々な岩や、荒く角の取れた石にうっすら苔がしていた。ものすごく澄んだ川の水に目を凝らすと見える小魚が、流れに逆らって自分のいる位置を保とうとがんばっていた。なんともいとおしかった。僕は冷たい流れの中に裸足になって入っていき、その温度、流れの感触を直に感じてみた。
…これが本来の姿なんだろう。自然が自分の周りにあり、自分はそれにゆだね、感じるがままにそこにある。それが本当の幸せなんだ。そんなことを考えていた。
父と母はどう思ったのだろう。しかし聞くことはしなかった。きっと同じように感じていると信じた。



 太陽が真上に昇りきったころ、僕たちは森の中の散策を終え洋館に戻ってきた。洋館と森のちょうど間のところでミミちゃんがとことこ歩いているのを発見した。ミミちゃんは僕に気づくと駆け寄ってきた。今日はなぜか入院している患者さんが着ているような、布一枚で出来た服を着ていた。
「こんにちわ」
「こんにちは」
みんなで挨拶してきたミミちゃんに笑顔で返す。それをみてミミちゃんはまた笑顔になった。あら可愛いコね、と母が腰をおろしミミちゃんの頭を撫でた。後ろの方から、昨日ダイニングで見た、ミミちゃんの母親と思われる三十代前半くらいの女性が歩み寄り、こちらに挨拶した。

 お子さんですか?

 ええ、ミミと申します。

 とっても可愛らしいですわね。

 ええ。わたしの大事な大事な子です。

ミミちゃんを呼び寄せ、優しい笑顔で頭を撫でている。しかし母親同士の社交辞令的な会話とはいえ、何か硬い感じのする応答だった。
「きょうはね、けんさの日だったの!」
「これ、ミミ!」
やや強い口調で母親がミミちゃんを制した。ミミちゃんがちょっと気まずそうな顔をした。この子は普段は元気なのですが、生まれつき少し体調が優れなくて、と母親から回答を受けた。母はミミちゃんの身体を案ずるような心配そうな顔で、僕はこんな何も無いところのどこでどんな検査ができるんだろうと首をかしげ、父はどこか納得したような様子で、散歩に出かける二人を見送った。









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