【1】目眩-3
居酒屋から出て大通りの歩道を一人で歩いていた亜希は、路肩に見慣れたビートルが止まっていることに気付く。迷わずゆっくり車に近付き、助手席側の窓をコツッと軽く叩くと、運転席側にまわりドアを開けて乗り込んだ。
「どうした? こんな時間に」
シートを下げて足を伸ばした彼は、助手席側を見ることもせず、ジャケットのポケットから煙草を出して、少し前屈みになるとジッポで火をつけた。
「嫌な予感がしたの。あなたは携帯の電源切ってるし、仕方ないから宏樹に電話したら、一緒に居酒屋にいるっていうじゃない。わたしを除け者にしたわね…」
助手席に座っていた雑賀留美は、亜希の右手の煙草を取り上げると、真っ黒な長い髪を耳にかけ、背もたれに凭れて一吸いする。
「そんなつもりはない」
「恩田悠奈でしょ。わたしに会わせたくないの? そんなに彼女が気になる?」
留美はイライラした声で、その完璧とも言える程整った透き通る白い顔を亜希に向けた。
彼は、そんな彼女の声が聞こえていないかのように、黙ったままエンジンをかけると車を発進させる。
「…亜希は、わたしの心配なんて何も分かってないのよ」
彼女は悲し気な声で言い放つと、足を組んでネオンが流れる窓の外に投げやりに目を向けた。
亜希は、運転しながら再び煙草に火を付け一吸いし、前を向いたまま彼女の肩に優しく手を乗せた。
「誤魔化されないわよ」
軽くあやされているような気分になった留美は、振り向き様に大きな瞳で亜希を睨んだ。
「大丈夫だから。心配しなくていい」
「心配いらない訳ないじゃない。あなたを解るのはわたししかいない」
叫ぶように言った彼女は、身体を揺すって肩に置かれた彼の手を払いのける。
亜希は信号待ちで煙草を消すと、ハンドルに両肘をつき、留美に視線を向けた。
「俺が解るのか? 留美は同士だからな…」
微かな笑みを浮かべて呟く。
留美は、彼の同士という言葉から一線が置かれたことを読み取り、胸が締め付けられるような切なさが込み上げてくることを感じた。
「意地悪っ」
抑え切れない痛みを誤魔化すように、咄嗟に運転席側に身を乗り出し、亜希の首に白い両手を回して、そっと唇に触れる程のキスをする。
「…車、出せないだろ。危ないから大人しく座ってろ」
全く顔色を変えない彼は、涼しい微笑みを浮かべたまま留美を言葉で制すると車を出した。
「俺は、お前の従兄だけど一応男なんだから。今度、さっきのようなことした時は…。何もしない保証はないからな」
淡々と、まるで妹を相手に優しく言い聞かせているような口調を聞いた留美は、自分の気持ちが届かないもどかしさに苦しくなる。
彼女は、亜希が自分のことを異性として見ていないということは十分過ぎる程分かっていた。分かっていながらも、彼への愛しさは募るばかりで止めることが出来ない。
―恩田悠奈…
心の中でその名前を呟くと、今まで感じたことのない、胸が焼け焦げてしまうような嫉妬心を感じる。
彼女は、無言で運転している亜希の横顔を見つめながら、彼を自分の腕の中だけに独占してしまいたい気持ちが身体の隅々まで広がっていることに気付いていた。
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