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エビフライの尻尾
作者:工場長
この小説は、弥生 祐さんが企画された、【五分企画小説】の参加作品です。
 やってはいけないことだ、と頭の中では分かっている。しかし、そうしたいのだからしょうがない――。

 彼の視界には大きな壁が聳え立っている。それは彼が自ら立てたものだ。周囲の者からの視線を遮る壁である。
 辺り一面英語が書かれているその壁の下には白と茶色、あと少々緑と赤が混じった世界が広がっている。英語で書かれた壁はこの世界を隠すためにある――。

 実は彼は英語の授業中に、本来は昼食になるはずの弁当を食べているのだ。ちなみに今日のメニューはミックスフライ弁当だ。
 弁当を出して五分は経っているが、まだ誰にも気づかれていない。彼は辺りの視線を気にしながらも、白い飯とおかずを口に入れ、咀嚼し、胃の中へと納める。
沢井さわい−」
 不意に自分の名前を呼ばれ彼は怯えながら――しかし表向きは冷静を装い――顔を上げた。
 声の主は教壇に立っている。胸元まで伸びている黒の長いストレートヘア、真っ白い半袖のYシャツと濃い青のジーンズに包まれた少し目が垂れている女教師である。
 弁当のことかと思ったがそうではなかった。彼女はただ彼に教科書に書かれていることについて尋ねただけであった。弁当を食べながらも教科書のページはちゃんとめくっていたので、彼はすらすらと彼女の問いに答えることができた。
「はい、よくできました」
 彼女はにっこりと微笑んだ。女教師の目じりがますます下がる。その顔を見て彼の鼓動が高鳴ったのは、決して暑さのせいではない。彼はこの笑顔を見るのが好きなのだ。
 彼女の笑顔を自分へと向けるために、彼はあまり得意ではなかった英語に熱心に取り組んだ。予習復習はきちんと行い、授業では積極的に手を上げて発言し、授業が終った後も彼女に質問するなど彼女の関心を自分に向けさせようとした。
 その甲斐あって彼の英語の成績は上昇、テストでは毎回八十点以上取るまでになった。テストの返却のたびに女教師から
「沢井はいつも頑張っているね」
 と、褒められるのが彼の喜びであった。

 そんな彼がなぜ英語の授業中に弁当を食べているのだろう。
 ある日彼は寝坊をしたため朝食を抜いて登校した。食物を求める胃をなんとかなだめながら授業に出ていたが、四時間目の英語になってとうとう我慢が出来なくなった。
 彼は女教師に心で詫びながらそっと弁当を机の中から取り出し蓋を開けた。飯を箸でつまんで口に運ぶ。十数時間ぶりの白飯の感触に彼は躍り上がるほどの快感を覚えた。
 女教師に詫びながら弁当を食べているうちに、味が変わってきたことに気づいた。今日出来たばかりなのに早くも腐り始めたか? 彼は弁当を端々まで見つめながら首を傾げた。
 やがて授業の終わりを告げるチャイムがなり、女教師は
「それじゃあ今日の授業はここまで、みんな次もちゃんと勉強するんだぞ」
 と、言って教室を後にした。彼は自分の心の中に彼女への申し訳なさとは別の気持ちが芽生えていることに気づいた。彼は興奮していたのである。

 ――俺は先生に隠れて弁当を食べていた――

 その瞬間、彼はこの興奮のとりこになってしまった。それは彼が弁当を食べるときにうってつけのスパイスとなった。さっき弁当の味が変わったのはそのせいだと気づいて彼の心に歓喜の気持ちが加わった。
 以来彼は英語の授業が四時間目にあるときは必ず授業中に弁当を食べている。女教師への詫びの気持ちが更に彼の食欲を満たし、弁当の味を豊かなものにする――。

 そして今日、彼は隠れてミックスフライ弁当という女教師への背徳の味を堪能している。周囲に隠しながらも食べ続け、弁当箱の中にはおかずが一品残るだけとなった。それは何種類もあるフライの中でも彼が一番好きなエビフライである。
 最後に残った一番好きなおかず、それには女教師への申し訳なさというスパイスがたっぷりとかかっている。これで美味しくないわけが無い。彼の脳は興奮と喜びに満ち溢れていた。
 彼はその気持ちを抑えながらエビフライへと箸を伸ばした。
 尻尾に箸が触れる直前、突然目の前が突然明るくなった。驚いた彼は顔を上げる。そして自分の教科書を持った女教師と目が合った。
 彼女は無言で弁当箱を見つめる。口の端が少し下がっていて眉間には普段見られない皺。怒っているのだろう。
「エビフライねぇ……」
 そう言うと女教師はエビフライを右手でつまみ自分の口へと運んだ。小さなエビフライは尻尾を除いてすっぽりと彼女の口の中へと収まった。
 彼の頭の中には、エビフライが女教師の口の中で砕かれ、喉の奥へと消えていく姿がはっきりと映し出されていた。彼はそのエビフライに自分の姿を投影して興奮した。
 エビフライを全て飲み込むと、女教師は口にくわえていた尻尾を弁当箱の中に置いた。尻尾には女教師の口紅がうっすらとついている。それはエビフライを尻尾まで食べる彼にとってはたまらない事実であった。
 彼は尻尾を食べようと箸を伸ばす。しかし、女教師が勢い良く弁当箱の蓋を閉めたため、阻まれてしまった。
「廊下に立っていなさい!」
 女教師は叫びながら右手を廊下へと指差した。
 その激しい口調に彼は女教師に嫌われてしまった、と落胆した。しかし、弁当箱の中には一つの希望がある。
 どうかエビフライの尻尾が残っていますように――。興奮と悲しみと期待を胸に秘めながら、彼は席を立った。
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