第22話 二度目の再会
――水葵と初めて出会ったのは、十年と少し前。
互いにおかしな感情の存在に気付き、すれ違いが起き、全てを失ったのは、五年前。
彼女は嘘をつき、俺は酷いことをした。だけどあの夜の出来事も、そこで感じた苦しい想いも、それよりも前の楽しかったことも、全部全部忘れられなかった。他のものを利用して埋め忘れようとしたけれど、どうしても忘れられなかった。
もう、あんな想いをしたくない。もう、こんな想いをしていたくない。そう思って人を傷つけてでも我侭な一歩を踏み出したのが、今だった。
さてどうするかと思った時に、今水葵に電話をしても、また出てもらえないのではないかと考えた。正直顔が見たかったというのもあり、いっそ奴が一人暮らしをして通っている大学まで強引に行ってしまうことにした。
そうすればもう、奴も逃げられないだろう。凛と別れてから一晩待ち、次の日の朝家を出ると、車で隣県にある夏休み中のその大学までやってきた。しかしノコノコと姿を現したものの、これからどうすればいいのか。あのメッセージが俺の思い込みで、水葵が俺のことなどどうでもよく新しい男と付き合うんであれば、こんなのストーカーみたいで気持ち悪く思われるだけだ。
しかしそれも覚悟していた。今度こそ泣かせたくない、傷つけたくないと思うので、顔は見に行くもののもし彼女が怖がったり嫌がるようならそのまま奴の目の前から消え失せようと思っていた。そして、二度と会わないでおこう。
本当はそんなのは嫌だけれど、もう俺のエゴで水葵を泣かせたくないから。もう誰にも恥ずかしくないようにしたいから。何よりもう一度、水葵にひまわりみたいに笑ってほしいから――そう思っていた。
だから水葵の住んでいるアパートを調べて待ち伏せ、なんて不気味なことはしない方がいいに決まっている。せめて昼間、人のいる大学でならまだ――とは思うが、それだって俺のことがどうでもいいなら気味が悪い以外の何物でもない。
だけど、そもそもあの水風船の写メを送ってきたのは水葵からだ。俺がこんな強行に出れたのも、その言葉にならない「何か」を含んだメッセージを受け取り、あいつも同じ想いかもしれない、という一縷の期待を持ったからだ。
そう自分に言い聞かせると水葵が今日、大学にいるかは分からないが、ソフトボール同好会のサークルだと聞いていたので、ひとまずそこへ行ってみることにした。――やっぱりストーカーみてえだなと思いながら、残暑の厳しい午後、広い大学構内をかけずり回り、格好悪くも何度か人に尋ね、ようやくサークル棟を発見する。
目的のサークルが、分かりやすいカラフルな看板を掲げてくれていたのは助かった。既に暑さに汗だくで喉もカラカラだったが、早くケリをつけたくて思い切って中に入り、そこにいた数人の女性部員に「中学の同級生だ」と前置きして怪しまれないようしっかり名乗ると話を聞く。中には俺を警戒した女もいたが(そりゃそうだろう)、水葵は彼女たちに何か話したのか、何かを察したような顔をした女が奴が今、大学に来ていることを教えてくれた。
――笑われようが、不審に思われようが、もう構うもんか。些末なプライドでたくさんの人を傷つけた。そんなもの今は捨てないと何も変わらない。
水葵はまだそのあたりにいると聞いたので、礼を言ってサークル棟を飛び出した。流石にそれで見付からなければ、この後は携帯で呼び出すつもりでいた。
しかし、奴は意外とあっさり見付かった。たった四日会わなかっただけなのに、その顔を見ると妙に安心してしまう。そこに「居る」という事実に。
だけど、水葵の隣には知らない男が居た。
ああ、コイツが、と男の立ち位置や視線から何者かを察し、一瞬で苦々しい気分になる。水葵の幸せを思って踵を返すことも出来たはずだが、奴の本当の気持ちを確かめてもいないのに、俺の気持ちも告げてないのに、ここまで来て逃げ帰るような真似は出来なかった。
だから気が付いたら、叫んでいた。
「――水葵っ!!」
五年前の呼び方で。自然に。
すると水葵は驚いた顔で俺を見た。隣の男も驚いたように俺を見ているが、そっちはどうでもいい。しかし呼び止めたものの、ちらほらと他の学生もいるし、その男もいるしで、何から言えばいいのか分からない。それでも、と一歩前に出た瞬間、驚いた表情をしていた水葵は、急に泣きそうになり、
「すみません!!」
いきなり隣の男に向かって頭を下げると、俺に背を向けて駆け出したのであった。
突然のことに、唖然としてしまう。その男もぽかんと口を開けていた。しかしこのままじゃいけないと、すぐに俺も我に返ると、
「悪いっ!」
見知らぬ男だが、もしかしたら水葵と一緒にまた傷つけてしまうかもしれない奴に思わず頭を下げると、後はそいつのことなど振り返りもしないで走り出した。小さくなっていく水葵の背中を追いかけて。
・・・・・・・・・・
――なんで!? なんで、心矢がいるの!?
嬉しくなっちゃうじゃないか。期待、しちゃうじゃないか。それで違っていたら、どうすればいいの!?
本当に、私なんか、追いかけてきてくれたの?
彼女はどうしたの!? その場合、彼女さんがすごく傷ついているっていうのに、私は喜んでしまうの?
だけど、本心ではすごく嬉しい――。だからこそ何もかもが恐くなって、逃げ出した。
でも心矢の前で、あの先輩の傍にはいたくなかった。心矢にも先輩にも、今の私の顔を見られたくなかった。本当の気持ちが、きっと溢れ出してしまう。だけど、
――ああ、先輩とはやっぱり、付き合えないな。
それだけは分かったので、また後でしっかりと謝ってお断りしようと思いながら、今はとにかく走り出した。
・・・・・・・・・・
知らない大学。見失えばそれで終わりだ。俺を見て逃げ出すということは、携帯に電話してもやっぱり出てもらえない可能性は高い。
――そんなに、俺が嫌いなのかよ。
そう思うとずん、と胸が重くなると同時に、やけくそのように奴を捕まえて、全てをぶちまけてやろうと思えてくる。今は、水葵に追いつくことが先決だ。
腐っても元陸上部員、今でも好きで身体を動かしているから、足には自信がある。しかしソフト部だった水葵も足は遅くなく、追いつきにくいような抜け道を走っていく。タイルを敷いた歩道の上を走ったり、階段を駆け上ったり、自転車置き場の前を走り抜けていくうちに、やがて奴に追いついた。
――もうすぐ、手が届く!
逃げる水葵へと、必死に手を伸ばす。
「待てよ!!」
その手が腕にようやく触れた。そう思った瞬間、
「触らないでっ!!」
この前の夜のように、水葵は俺の腕を振り払った。夏も終わりと言っても炎天下の中、家を出てから緊張で何も飲まずにいた俺は寝不足も手伝い、突き飛ばされた反動で一瞬ふらりと立ちくらみを起こし、バランスを崩した。
折悪く、それは中庭へと下りる柵もない坂の上で、非常に情けなくも俺は、中庭のアスファルトへとそのまま――転落した。
「心矢っ!!!」
水葵の悲痛な叫び声が、背中と頭への鈍い衝撃と共に、聞こえた。
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