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第17話 ワスラルル。
 嫌な夜が、明ける。寝たか寝てないかよく分からないが、結局は眠れたのだろう。時刻は既に午前九時を過ぎていた。それでもよく眠れなかったのか欠伸をしながら、昨夜の草むらで虫に刺された腕を掻きつつ一階へと降りる。
 もう夏も終わりなのに、既に汗ばんでいるほどの暑い朝。
 ――バイト、行きたくねえな……。
 そんな気分ではなかったが、さりとて気分で休んでいいものでもない。それに今日は大型店の棚卸の仕事なので、朝飯だって食っておかないと力が出ない。昨日は屋台のもので食事を済ませたので、寝不足でも腹は減っている。これは気分とは関係ないようだ。
 両親は共働きなので、こんな時間になれば家にはもう誰もいなかった。兄貴の方は就職先が県外なので一緒には住んでないが、向こうで結婚でもされれば、親の面倒などどうするのだろうと、所帯臭いことをふと考えてしまう。……これは親と親戚が、祖父母の介護のことで揉めているのを見たことがあるからなのだが。
 そんなことはさておき、温め直した朝飯を食いながら、将来的に地元に残るのかということを考えていると、
“有川くんは、ほんとにこの街が好きなんだね”
昨日の夏祭りの夜に聞いた、あいつの言葉を思い出してしまった。

 ――水葵のことはもう考えないようにするべきか、もっと昨夜の出来事を悩むべきか、分からない。
 昨日もそんな話をしていた頃までは、まだよかったんだ。中学時代の「友達」らしかった。……その後、五年越しに告白されて、キスするまでは。
 その瞬間は自分でもびっくりするほどガキみたいに緊張したが、正直「やっと」という感慨と、「この続きも」という願望が過ぎっていった。もっと色々な話をしたいと思ったのも、本当だ。
 だけど水葵はもう居ない。話によれば、今日あたり一人暮らしをしている県外のアパートに戻るらしい。
 ――引き止めるべきか?
 ――引き止めて、どうする?
 それが分からないから動けない。
 電話はあれからも何回かしてみたが、やはり出てもらえなかった。水葵はもう、俺のことなんかどうでもいいのかもしれない。彼氏がいると言ったのは、彼女がいる俺に対抗した嘘だったと言うが、それでも言い寄ってくる男はいたらしく、そいつと付き合いたいと言っていた。
 ――そいつのこと、俺よりも好きなのか?
 そんな図々しい質問を出来る権利が、俺にあるわけがない。
 まどろっこしいから奴の家まで行ってやろうかとも思ったが、それこそ何を言っていいか分からないし、相手が迷惑がって電話に出ないのだとしたら、ただのストーカーである。それに水葵の両親が出てきたら、何と言えばいいのか。携帯電話のあるこの時代に家まで尋ねてくる異性の友人なんて、怪しいことこのうえない。
 ためらっているうちに、バイトの時間はやってくるし、きっとあいつも電車に乗ってしまっただろう。
 それだけの関係だったんだ。そう思おうとした。だけど、バイトの時やそこで友人と話している時は忘れられたが、一人になればどこか心が重く、奴のことを考えてしまっていた。
 水葵は五年前の俺の悪行を許してくれたようなんだし、もう忘れてしまえばいいじゃないか。俺には彼女がいて、あいつには男ができて。それぞれの場所で生きていけばいいじゃないか。――なんで。

 再会して久しぶりに見た笑顔。大人っぽくなった雰囲気と仕草。
 「自分」をしっかりと持った話し方、快活さ。
 触れた時の、甘い匂い。
 俺なんかを追いかけてきてくれたこと、ずっと好きでいてくれたこと。
 そして、五年前の笑顔や涙。
 ――なんで、忘れられねえんだよ!!

 ・・・・・・・・・・

 その晩、やけくそのように付き合っている彼女に電話した。
『久しぶり。どうしたの?』
 淡々と冷たい声で尋ねられる。
 ――そりゃ、怒るよな。
 空々しく別れてから、しばらく何も連絡しないでいたんだ。そのくせ黙って違う女と会っていたり、果ては――。その罪悪感をまるで見透かしているように聞こえる、彼女の声。
 ……やっぱり、俺は最低だ。あの晩、水葵を誘おうとしたように、今すぐにでも会いたいと言えなかった。心がこの瞬間にも別のことを考えていると、自覚しているから。
「悪い、中々、バイト休めなくて」
 会おうと思えば、少しでも時間はとれたはずなのに。水葵にはあんなに時間を使ったのに。
 見え透いた嘘をついた。それでも、もしこれが付き合って間もなくの頃だったら、どうだろうか。水葵とは恋人としてはまだ付き合ったことがないから、ただ関係が始まる前のそわそわする感じが楽しくて、会いたかっただけじゃないだろうか。
 そう言い聞かせようとするのに、水葵と五年前に笑い合ったことと、今年の夏、もう一度――あの頃と意味が少し違うけれど――笑って語り合えたことが、すごく居心地よく思えるのだった。
「ごめん……。あさって、会おうぜ」
 それでもやはり、この今付き合ってくれている彼女も大切にしたかったから、そう言った。傷つけるつもりなんてなかった。
 だが水葵自身、何を望んであんな告白をしてきたのか。俺に告白したのは――、俺とそうなりたかったからか? だけど奴は「さよなら」と言って去っていき電話にも出ず、他の男と付き合うと言っていた。それは俺に彼女がいたから、遠慮してなのか。でも俺が好きなら、なんで別の男と……。
 自分の気持ちも水葵の考えていることも、分からない。一体、どの気持ちに従えばいいのか。だがそんな状況だからこそ、明後日は付き合っている彼女と会おうと決めた。

 ……中学時代の同級生だった佐々木から電話が来たのは、この次の日のことだった。
 

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