結末を濁す系物語の結末
「……先生、本当にこの原稿で出版して良いんですか?」
若い女編集者がジトッとした眼でこちらを見ている。
俺はその視線から逃げるように煙草を取り出し、火をつけた。
「だから良いと言っているだろう。それとも何か、不満でもあるの?」
「不満と言うか、納得はしていません。読者も同じだと思いますが」
「なんだ、なにが悪いのか言ってみなさい」
「結末ですよ」
この女、なかなかズバッと物を言う。
若い女だと舐めていたのが不味かったか。俺は背筋をただし、彼女に向き直った。
「あのねぇ、僕はもう十何年もこの仕事をやっているんだ。編集になってたかだか数年の君にそんな事を言われる筋合いはないよ」
「いいえ、私は先生の担当編集です。悪い事には悪いと言わなくてはなりません。それが仕事です」
「じゃあ聞くが、具体的にどう悪いというんだい?」
「この結末、最後がどうなったのか全く明かされていないじゃないですか。まるで投げっぱなし、まるで人気低迷による打ち切りエンドのよう」
「なっ……い、言うじゃないか」
編集者の一言一言が心をえぐる。途中息が止まりそうになった。
「し、しかしだね。この作品を熟読してくれているファンの方には結末も自ずとわかると思うんだ。書くまでもないって事さ」
「伏線が張られていると? 最終巻が出るにあたって今までのものを読み直してみましたが、それらしい物はありませんでした」
「……本当に全部読んだのかい?」
「はい?」
「行間を読みたまえ行間を!!」
*************
結局結末は修正されず、そのまま本にされて書店に並んだ。
意外にも売り上げは上々。賛否両論や結末に対する考察が渦巻き、俺の作った物語は多くの人の目に触れることとなりさらなる読者を産んだのだ。
「へへ、ほら見ろ。蓋を開けてみれば大成功じゃないか。なんのヒネリもない平々凡々な結末じゃあこうは行かなかったぞ」
俺はそう言って笑ったが、編集者は相変わらずの仏頂面。本が売れるのは出版社にとっても嬉しいはずなのにどうしてコイツはニコリともしないのか。
せっかくのお祝いムードに水をさされた気がして、俺は思わず口を尖らせる。
「なんだよ、予想に反してあの結末が好評だから拗ねてるのか?」
「いえ、本が好評なのは大変喜ばしいのですけどやはり賛否両論で。会社の方にも読者の皆さんからの手紙がドンドン届いています。中には脅迫文に近いものもありまして……」
「うっ」
脅迫文。予想はしていたがまさか本当にそんなモノを送る輩がいるとは。
俺は思わず生唾を飲み込む。
「な、なんだよ。君は俺を脅かしたいのか? それに人気作家には熱狂的なファンが付きものだ。脅迫文なんて君たちにとっちゃ日常茶飯事だろ」
「それもそうですけど……それともう一つ懸念がありまして」
「まだあるのか、今度はなんだ」
「今ネット上であの結末に対する考察が盛んにされていることはご存知ですか?」
「ああ、話には聞いてるよ。俺自身はネットは見ないけどね」
「ネットでは恐らく先生が意図していないであろう解釈もされています。中にはあまりよろしくないものも……」
「はっはっは、なーにがよろしくないものだ! よろしくない考察などあるものか。読者一人一人の中にそれぞれの結末がある。素晴らしいじゃないか」
「しかし私としては結末に対するフォローをしたほうが良いと」
「ダメだダメだ! 自分の書いた物語の説明をすることほど寒いものはない! それに読者が考えた解釈を壊すようなことはしたくないんだよ」
「ですが……」
「それ以上話がないなら帰ってくれるか。次の作品の構想を練らねばならんのでな」
そう言って手で追い払う仕草をすると、編集者は不服そうな顔をしながらもペコリと一礼して帰って行った。
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あくる日の朝。
ソファで寝ていた俺はチャイムの音で目を覚ました。テーブルには食べかけのスナック菓子の袋や食べかすが散らばっている。昨晩サスペンスドラマのDVDを見ながら寝てしまったのだ。
俺はボサボサの頭を撫でつけながらドアを開ける。玄関では中年の男二人が俺を待ち構えていた。スーツ姿でないという事はセールスではあるまい。まさか宗教の勧誘か。
「あの、どちら様で?」
「私たち週刊鳴楼の記者でございます。先日発売された先生の本の件でお話を伺いたいのですが」
「き、記者の方ですか!」
凄いぞ、俺に取材が来るなんて。俺も晴れて人気作家の仲間入りと言う事か。
にやけたくなるのを抑え、取材の内容を尋ねる。
尻尾を振って自宅に招きいれるなんて小物じみた真似はしたくない。ここは舐められないように大物オーラを出さねば。
「ええと、どういった取材でしょうか?」
「実はですね、ネットなどで噂になっているあの結末についてなのですが」
「ああ、なんか話題になってるらしいですね。僕はネット見ないんで良く分かんないけど」
「なるほど。ではネットで論争を呼んでいる解釈はご存知ですか?」
「知りませんねぇ。でもそうやって皆さんに議論していただけるのは嬉しい事ですね」
「なるほど。結構過激な解釈もなされているようですけど、先生はどうお考えですか?」
「大いに結構です。真実は皆さんの心の中にこそあるのですから」
「ではいかなる解釈も先生の口から否定はなさらないんですね?」
「もちろんです。というか、僕は読者の考えてくれた解釈はどれも正解だと思っていますよ」
「なるほど、なるほど……」
記者はその後短い質問を2、3したあとすぐに帰ってしまった。
よく取材のページに大きく作家の写真などが載せられているのを見るが、ああいうのは撮らなくて大丈夫なのだろうか。少し不安になってしまった。
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取材から数日後、すっかり昼夜逆転生活になってしまった俺を携帯電話の着信音が叩き起こした。寝ぼけ眼で電話を手に取る。編集からだ。
「もしもし……」
「先生、なにを考えているんですか!」
いつも冷静沈着な女編集者が酷く取り乱した声を上げている。それだけで何かとんでもないことが起きているであろうことが予想できた。
「な、なんだよ。どうしたんだ」
「ニュースや新聞はご覧になってないんですか?」
「ああ、最近はDVDばかり見ていたから……」
「じゃあ今すぐテレビ付けてください!」
「う、うん……」
眠りを邪魔されて文句を言いたい気もあったが、とてもそんな事を言える状況ではなさそうだ。大人しくチャンネルを手に取り、テレビの電源を付ける。画面に映ったのはワイドショーだ。画面右上に『学生運動再来?』などという文字が見える。
そして画面中央の女性がフリップで事件を解説している。良く見る光景だ。
『――ではなぜ今更このような運動が起こっているのかと言いますと、先日発売されたこちらの本が原因だと言われているんですね』
そう言って女性アナウンサーが取り出したのは、見覚えのある表紙の本。
思わず顎が外れそうになった。
「こっ、こここここれ俺の本じゃないか!!」
『この本の結末、一見すると非常に不可解なものなのですが、実は反社会的なメッセージが含まれているというんです。このことについて著者は「どのような考察も否定するつもりは無い」と週刊鳴楼のインタビューで答えています。これについては解説の山田さん、どうお考えですか?』
『これだけ話題になっているのですからこの過激な解釈が出ていることは作者も知っていたでしょう。否定しないという事はつまりその通りということではないでしょうか。直接的な表現をするとさすがに不味いので回りくどい書き方をしたんでしょうが、これは作者の責任も重大ですね。首謀者と言っても良い』
「なんだと!? 俺はそんなメッセージを作品に込めたつもりは無いぞ!?」
「だから言ったじゃないですか。ちゃんと結末に対するフォローをすべきだって!」
「なっ……だ、だいたい君たち編集がちゃんと教えてくれないのが悪いんじゃないか! 俺はこんな解釈が出てるなんて知らなかったんだから!」
「知らないのはこちらです。出版社はこの件についてはいっさい関与していませんので、そこんところよろしくお願いいたします。それでは」
「あっ、ちょっと待って……」
俺は慌てて編集を呼び止めるが、電話は無慈悲にも切られてしまった。
「あわわわ、どうしようどうしよう」
慌てふためいて家中をウロウロしていると、不意にテレビから速報の音声が流れた。
それを見て、俺の身体からさらに血の気が引いていく。
『ただ今速報が入りました。全国各地の大学で立てこもり発生。警察が出動し、鎮圧に向けて動いている模様です。番組の途中ですが構成を変更して――』
もはやアナウンサーの声など耳に入らなかった。
テレビでは火炎瓶を投げる学生と応戦する警官の戦いが繰り広げられている。40年近くタイムスリップした気分だ。
「ああ、ど、どうしよう。おれ、おれそんなつもりじゃ……」
膝から崩れ落ちそうになったその瞬間、再びチャイムの音が鳴った。
俺は頭が真っ白になったまま、脊髄反射的に玄関を開ける。
「は……はい……どなた……?」
玄関に立っていたのは背広を着た体格の良さそうな男数名。
彼らは鋭い視線を俺に送りながら冷たい声でこう言った。
「私たち公安の者です。この本の結末についてお話を伺いたいのですが」
「こっ……こうあ……ん……?」
俺はとうとう、膝から崩れ落ちた。
ああ、次に物語を作るときはもっと分かりやすい話にしよう。そう心に誓ったのだった。