「おい、マジかよ?」
「何が?」
「うちの一課の大久保が所轄に飛ばされるって」
「ああ、それね。県警の中じゃ知らないやついないよ」
「そう」
S県警捜査一課巡査部長の多嶋と、同じく巡査部長の原田がそう言って、フロアーでコーヒーを飲んでいる。
多嶋はさっき、近くのコンビニで起きた強盗事件の現場に行き、凶悪な強盗犯二人を現行犯逮捕した。
そして無事取調べを終え、調書を書いて、上の人間に提出した。一仕事終えたばかりで疲れが出て、捜査一課フロアー内でコーヒーを飲みながら、ゆっくりと寛いでいる。
原田はその間、課内で立ち上げていたパソコンを使って県警のデータベースに進入し、過去に起きた凶悪犯の特徴などを把握する作業を繰り返していた。
三月中旬で人事の季節だった。警察官にとっては、普通の人間よりも一月早い五月病が訪れる。
多嶋はコーヒーを啜りながら、
「大久保のやつ、ヘマやらかしたんだよ」
と言って、軽く笑った。
「ヘマ?」
「ああ。実はな、お前も知ってるって思うけど、例の阪洋銀行をターゲットにした連続銀行強盗のヤマで、大久保のバカ、ホシ取り逃がしたんだよ」
「あのヤマは県警の威信が懸かってたもんな。確か、銀行に侵入したホシが受付カウンターに指紋残してたよね?」
「そうだよ。それでその指紋を鑑識に回して、ホシが割り出され、事件は無事解決ってところだったんだ。それがあのザマさ。大久保が鑑識さんがせっかく採取した指紋を調査に回さなかったから、事件は迷走する羽目になったんだ」
「そうか……」
原田が言葉尻に含みを残しながら、ゆっくりと頷く。
一転翻った原田が、コーヒーをもう一口啜って、
「確か、銀行強盗の主犯はあの羽野って野郎だったよな?」
と言った。原田はすでに水面下で犯人グループの目星を付けているのだ。
「ああ。羽野悟朗。羽野が主犯で、自分の部下を巧妙に使って事件を引き起こした。手口は全部同じだ。最初、客の格好をして銀行内に進入し、大抵目立つ場所に座っているOLに銃を差し向けて人質に取る。そして銀行全体の電気を消させ、支店長を呼び出し、金庫に入ってる金全てを持ってこさせるんだ。それを盗んだホシがそのまま逃走」
多嶋がそう言い、軽く息をつく。
そして軽く一つ咳払いし、
「羽野のアジトは、すでにバレてる。県警の建物から県道三四五号線を、車で十五分ほど南下した場所にある。失態を犯した大久保を除く捜査員数名が張ってて、すぐに羽野を始めとする数人を逮捕するだろうな」
そう言い、カップに残っていたコーヒーを全部飲み干した。
多嶋も原田も、お互い疲れているからか、ゆっくりと息を吐き出す。
「でも、大久保もバカだよな。何で鑑識の指紋採取係に指紋を採らせたのに、調査に回さなかったんだろう?」
原田がそう言って、首を捻る。
多嶋が、
「実はな、羽野のグループは県内では知らない人間がいないマルBなんだよ」
と言った。
「なるほどね。マル暴ですら怖がるマルBなら、捜査が行き詰まったのも頷けるな」
原田がそう返し、皮肉がかった調子で笑う。
すると突然、予期せぬ無線が鳴り出した。
ピルルルル、ピルルルル……。
捜査一課フロアーに無線の音が木霊する。
多嶋が仕方なさそうに立ち上がり、
「はい、S県警捜査一課多嶋」
と言った。
――あ、マサやんか?
「川崎警部補ですか?」
――ああ。
無線先にいて、多嶋のことを名前の正人に託けてマサやんと仇名で呼んでいるのは、<S県警一の鬼警部補>の異名を取る川崎健次郎だった。
「何か?」
――何かじゃないぞ。今、県道三四五号線全線に亘って緊配掛けた。羽野たち銀行強盗の犯人グループが捕まるのも時間の問題だ。
「そうですか」
――ああ。今から出動してくれないか?こっちには捜四のデカさんたちも来てる。大丈夫だよ。安心しろ。すでに犯行グループがいるビルは二重三重に包囲されてて、中の連中は袋のネズミだ。後は俺たちとマル暴さんたちで合同して突入するだけだ。一応念のため、ハジキ持ってきとけ。
「分かりました」
多嶋がそう返事すると、無線がガチャリと切れた。
子機を親機に掛けた多嶋が、原田と、同じく捜査一課フロアーにいた巡査の小林に、
「行くぞ」
と言った。
ピーポーピーポー……。
すでに外には面パトが数台停まっているらしく、派手なサイレン音が聞こえてきている。
春先だが、外は依然寒かった。
多嶋も原田もコートを羽織り、小林は後ろにS県警の文字が入ったジャンパーを着て、フロアーを出る。
三人はエレベーターに乗り込んで階下へと降り、外に待機中だった面パトへと入る。運転席には小林が入り、助手席に多嶋、後部座席に原田が座った。
三人とも川崎の命令通り、拳銃保管庫から各々の拳銃を取り出して携帯していた。弾は何かあった場合を考えて、フルに装填している。
数台の面パトが一気に現場へと走り出した。
冬の終わりで時折生温かい風も吹く。だが一瞬吹いた暖気はすぐに冷たい風へと変わる。
パトカーが臨場するため、勢いよく走り始めた。
多嶋も原田も想いは一緒だった。
“羽野を必ず捕まえてみせる”
パトカーが走っていく。窓外には田舎の街並みが望めた。S県は県庁所在地であるS市でも田園風景があるほどの田舎なのだ。
小林がパトカーの上に回転灯を点した。四台ほどのパトカーが一斉に緊走し出す。
多嶋たちはポケットの中に仕舞ったままのオートマを握り締めた。鉄材の持つ冷たい感触が手に移っては、掌を冷やす。
やがて警察の車両は現着し、多嶋たちは車を降りると、事実上の羽野の砦である事務所を包囲した。
臨場していた川崎が玄関まで行って、コンコンと扉をノックし、
「S県警捜査一課の者ですが」
と言うと、中からすっかりうらびれた羽野が出てきた。
川崎が取得したばかりの真新しい逮捕状を提示し、羽野の手にガチャリとワッパを掛けて、乗ってきた車両へと誘導する。
こうして連続強盗事件を企てた悪の権化は捕まった。
そして三月の下旬になり、人事が発表になる。
事前の予測通り、捜査に関して大失敗した大久保は、県内の所轄へと飛ばされた。
S県警の建物は人事異動が終わると、再び落ち着き始める。
春はすぐそこまで来ていた。連日温かい風が絶えず吹き、街は活気付く。
寒い季節が終わり、新しい季節が訪れた。それは厳しい季節を乗り越えた人たちに与えられる祝福に似たものだった。
カレンダーが一枚捲られれば四月になって、気温が着実に上がり出し、春爛漫だった。
(了)
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