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ネコの恩返し
作:-聖-


 ジョーは塀の上を歩いていた。
 ぶつからないように尻尾をくいっと上にあげ、四本の手足をゆっくりと動かしている。
 人間たちはそんな彼らの事を『ネコ』と総称するが、彼らにとってはいい迷惑だ。ジョーはジョーであって、『ネコ』という名前ではない。
 その日の天気は晴れだったので、彼の自慢の黒い毛並みが太陽の光を浴びて美しく光っていた。
 向かう先は特にないが、こうして気ままに歩いているは実に気分がいい。道路に出れば車や自転車も走っているが、人間の家を隔てる塀の上ではその心配もなかった。
 捨てられてからはや3年。だいぶ人間界でのサバイバル生活にも慣れてきた頃だ。
 ふと、近くの家の縁側に鳥かごがぶら下がっているのに気づいた。そちらに目をやると、中に入っている九官鳥と目が合う。
「ニャーン……」(美味そうだな……)
 一瞬近づこうかとも思ったが、確かこの家には大きなレトリバーがいる。チワワぐらいなら相手になるかもしれないが、敵がそれ以上の大きさの犬であるからには近づくのは無謀というものだ。
(仕方ない。公園にでも行くか)
 ジョーは九官鳥から目を離すと、近くの公園に向かってゆっくりと歩き始めた。
 公園にはイヌもいないから安心できる……。
 そう思いながら公園に入った矢先、、
「あ、ネコちゃんだ!」
 甲高い天敵の声がジョーの耳に届いた。
 霊長類。ヒト科。体長140センチぐらいの子ども族。しかも今の声はメスに違いない。
 ジョーは声の主をまじまじとじと観察した。
 見覚えのある顔だ。マリとか呼ばれている、公園の近所に住む女のコだった。
「ニャーン」(こら、気安く近寄るな)
「わあ、クロちゃんだったのね。おいで」
 彼女はジョーのことを『クロ』という名で呼んでいた。過去にも何回か遭遇したことがあるが、取りあえずは人畜無害、いや、猫畜無害な人間だ。
 マリはゆっくりとジョーに近づいてくると、ジョーの頭を撫でた。
「ニャ〜、ニャ〜」(あー、そのへん痒かったんだ。もうチョイ上)
 実のところ、ジョーはこのマリという人間が嫌いではなかった。なぜならば、彼女はよくジョーに食べ物をくれるからだ。
 そしてそんなジョーの期待通り、彼女はポケットの中からマシュマロを取り出し、ジョーの目の前に置いた。
 少し匂いをかいでから、ジョーがマシュマロを口にくわえる。
「ニャニャ?」(なんだこりゃ? 柔らかくて食べづらいな)
「おいしい?」
「ニャ〜〜」(あんまり美味くないな)
「わあ、喜んでるみたい」
「ニャー、ニャー!」(こらっ、尻尾を引っ張るな!)
「そんなに喜んでくれて嬉しいな」
「ニャ〜〜ン」(やめろって、おまえ何か勘違いしてないか?)
 マリが自分の体にぺたぺたとさわり始めたので、ジョーは居心地が悪くなり、迫り来るマリの腕のをするりと抜けて距離をとった。
「ニャー」(まったく、自慢の毛並みが乱れるだろうが)
 マリが追ってこないのを確認すると、毛並みをせっせと整える。
(さ、行くか)
 ジョーは遠くの方からこちらを眺めているマリのほうにちらりと視線を向けてから、腰を上げて歩き始めた。
 考えてみれば、最近は毎日マリとあっている気がした。
 その行動が喜を与えてくれるのは、が数年前に人間と過ごした日々が、まだ頭の隅に残っているからだろうか……。
 今の生活も悪くないが、帰る家がある生活も決して悪いものではなかった。
(けっ、アホらしい)
 一瞬でもそんな事を考えた自分自身に、ジョーは嫌悪した。
 所詮ネコはネコ。人間とは相容れない存在なのだ。
 お気に入りの赤い屋根の上で少し昼寝をしてから、ジョーはむっくり起き上がった。
 物置の上を通って塀の上に降りると、道路の向こうからマリが走ってくるのが見えた。
(またあいつかよ……)
 そう思いながらも、いやな感じはしない。
 その時、ジョーの耳がピクリと動く。
 耳障りな音が聞こえてきた。
 車だ。それもかなり大型で、物凄いスピードで走っているようだ。
(あ〜、こりゃぶつかるな)
 このまま行けば、曲がり角のところでマリと車がぶつかることは間違いなかった。
 その様子を、ジョーはそわそわしながら眺めている。
 そして気づいたときには、体が自然に動いていた。
 塀の上を全力で疾走する。はたして間に合うかどうか、かなり微妙な距離だった。
 ジョーは塀の上からマリに向かって飛び掛った。
「きゃあ!」
 突然のジョーの出現に驚いたマリの足が止まる。
 マリのぎりぎり前を通過していくトラック。
 そして響き渡る鈍い音。
(間に合った……)
 ジョーがそう思う間もなく、全身に今まで味わったことのないような苦痛が駆け抜けた。
 体が宙に浮いているのが分かるが、視界は完全に真っ黒。なにが起こったのかを考える余裕すらない。
 そして次の瞬間には、ジョーの体は地面に叩きつけられていた。
「クロスケ!」
 マリが悲鳴に近い声をあげて近寄ってくるのが分かった。
 クロスケ。
 聞いたことのある響きだ
(ああ、そういうことか) 
 数年前に居候していた家に、マリコという女の子がいたのを思い出した。そして、彼女が『クロスケ』という名を自分に与えたことも。
 いわばマリは自分の飼い主であったと同時に、自分を最も愛してくれた親でもあったのだ。
(ま、こいつだったらいいや)
 ジョーは自嘲気味に鼻を鳴らすと、脳裏に小さい頃のマリコの姿を思い浮かべながら静かに瞳を閉じた。














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