14:00
朝に幻覚を見た以外は、昼の二時まで問題らしいことは起こらなかった。
魔法使いの仕事を受けるときは、どこの紹介かで格好を変える。同業者の紹介で回ってきた仕事なら私服、それ以外なら普段と同じ。今日は普段通り、白衣に黒の直綴、足袋に絡子という雲水姿にした。
依頼人たちは時間丁度にやってきた。俺より五つ六つ年上に見える、小太りで無精ひげで猫背の男が太田だった。目蓋が重そうで肌の張りもない。髪の毛が脂で汚れていないのと、クリーニングされて糊の利いた服を着ているおかげで、なんとか不審者の手前で留まっている。
依頼人が太田一人だったら、俺の労働意欲はゼロ近くまで下がっていたことろだ。太田と連れ立ってきたもう一人は、大変に関心を引いた。
白人だった。かなり若い。白人といってもスカンジナビア半島にいるようなのではなく、黒髪に茶金色の瞳、小麦色の肌にすっと通った高い鼻梁、アーモンド形の眼というやつだ。唇が赤くふっくらしているし、アイラインを引いているから4秒ぐらい男だと気が付かなかった。さらに見るとアイラインは引いていない、というのに気が付いて二度驚いた。驚異的にまつげが長くアイラインに見えるほど密集しているのだ。
大願寺の本堂は、手前と奥とで二部屋に別れている。手前半分が説法などで人が集まる三十二畳の大部屋で、仕切りふすまの奥は本尊の鎮座する須弥壇が置かれている。三人で打ち合わせするには広すぎたが、俺たちは三十二畳の大部屋にいた。人を招くに相応しいハッタリの利いた部屋となると、だいたいこの部屋になってしまう。
太田は落ち着き無く汗を拭いている。今年のGWは暖かいとはいえ、鼻に汗の玉が浮くほど暑くはない。緊張からか、東西に奉られた修理菩薩と達磨大師をしきりにチラ見している。
対照に白人の少年は、座り姿ひとつとっても堂に入ったものだった。背筋を伸ばして胡座をかいている。正面に座って向かい合うと、眼力が強いのが改めてわかる。
「あ、改めまして、私が、はい、太田です。それでこのかたが、クライアントのリャミサリさんです」
クライアントだ?
俺は冷静に振舞っていたはずだが、多少顔に驚きが出ていたのかもしれない。太田は猫背を伸ばし、ドヤ顔で横の少年を手で示した。
「わ、私はリャミサリさんの日本でのエージェントを、その、やらせていただいております」
言いながらどんどん語尾が弱くなっていく。紹介されたリャミサリは、太田のことなど意に介さず外の景色を見ている。天気がいいから本堂表の戸は明けてある。そこから庭と山門が見渡せた。
「それでですね、魔法使いというのは本当に、その、なんです?」
太田は落ち窪んだ目の奥から俺を見上げて笑っている。所作からして、へらへら笑うのが地顔なのだろう。正直、イラッとするタイプだが、ここでキレるのもつまらないので無視する。
「皆様最初はそう聞かれますね」
広告を出しているため、中には好奇心やいたずらで電話をかけてくる輩もいる。広告の注意書きにはちゃんと『催眠術・占い・手品ではありません』と記載済みだが、それでもたまにショーの問い合わせが来る。
「わたくしは魔法そのもをご提供するのではなく、失せ物探しや、先行する他の調査法では判らなかった現象の調査という形で、結果をサービスとして提供しております。呪文を唱えれば火が起こるようなものではございませんので、本物の魔法ではないと失望される方もまれにいらっしゃいますよ」
「つまり、不思議な能力ではなくて、なにか科学的に根拠のあるもの、なんですか。超能力、のような?」
「超能力・霊能力と同じものだとおっしゃる方もおります。浅学のため、わたくしには超能力が如何様な仕組みか、魔法と同じものなのかどうかはわかりません。わたくしが言うところの魔法を簡単にご説明しますと」
俺は一拍置いて、依頼人たちの顔を見た。依頼人は2種類に分類できる。費用が安く済むかが重要なタイプと、魔法使いにロマンを求めるタイプだ。
太田の表情は依然変わらず、気持ちの悪い笑いを浮かべている。そして白人の少年は、瞬きを忘れたように強く俺を凝視していた。
「魔法とは、七世紀の中国で生まれた、禅宗の修行のひとつです。ですから魔法使いとは、魔法という修行法を修めた者を指します」
魔法使いにロマンを求める依頼人は、この話をするとがっかりする。Magicの日本語訳である『魔法』は明治になって改めて作られた言葉だが、その千年以上前に魔法という言葉が中国で生まれ、鎌倉年代には禅の文化とともに日本へと入っていたことは、まったく知られていない。魔法使いと聞いて現代の日本人が思い浮かべるのは、西洋の魔法使いだ。だから坊主が魔法使いだというと大抵驚く。ところが魔法が仏教用語だと聞くと、なーんだとしらけるのだ。
「はあ」
太田の顔には、しらけていると言うより単純に何もわかっていませんと書いてあった。気の抜けた様子で、ただ汗をかいている。リャミサリは目を細めている。しかし口元は笑っていない。
外国人の知り合いが少ない俺には、その表情の意味まで読めなかった。
「禅僧の修行法が、怪現象の調査にどう役立つのかと問われる方も多いですが、具体的な技法は企業秘密となっておりますので説明はご容赦ください。ほかに質問がございましたら随時どうぞ。わたくしからもご依頼内容について詳しく聞かせていただきます」
太田は脂汗を流して笑うだけで、なかなか本題に入ろうとしない。説明の遅さに俺が苛立つより早く、リャミサリが太田の腕を叩いて促すと、太田は顔色を変えやにわに早口で喋り始めた。
「ええ、それでこちらの、リャミサリさんが探しているのが、ええ、ヴィシヴィジラ・ヌダさんなんです。とにかく早く探してほしくて、ええ。りょ、料金はお急ぎ料金でぜんぜん、かまいませんので。五月六日までに探してください」
あぁ?
「ちょ、一寸よろしいですか? ヴィシュヴァジュラ・クダというのは人名で、五日後までにその方を探すということですか?」
「ヴィシヴィジラ・ヌダさんです。ええ、金に糸目はつけませんので、ええ。魔法使いさんにぜひお願いしたいと、リャミサリさんが」
流石に驚いて一瞬噛んだ。リアルで金に糸目はつけないなんて台詞を言う奴がいた衝撃も大きいが、一週間以内にヴィシなんとかなる人物を探せと言われて、俺は大いに困った。
「もちろん最大限の努力は致します。ですが、人探しで短期間となりますと、必ずご要望にお応え出来ると保障致しかねます。ご本人様のお顔のわかるものか、縁の深いものはございますか? あれば探しやすくなります」
今日含め六日間で人を探せというのは無茶苦茶だが、魔法での物探しは絵空事ではなく現実的な方法だ。現に俺は物探しを得意としている。
情報を求めると、リャミサリが俺の目を見て薄く笑った。
「ヴィシヴィジラ・ヌダはグルヌカのジラスーヴァ」
そのとき初めて聞いたリャミサリの声は、十台半ばに見える外見に反し、枯れた低い声だった。そしてギリギリ聞き取ることが出来たのは最初の一言だけだった。その後も数言続いたのだが、音を聞き取ることができない。リャミサリは日本語がまったくわからない訳ではないようだが、何を言っているのかはまったくわからなかった。
「ええと、ですから、リャミサリさんはですね、ヴィシヴィジラ・ヌダさんは、グルヌカの、ええ、大変な方、大変優秀な方だと、それですぐに帰国してほしいと、そう言ってます」
太田が一応の日本語訳をしているが、肝心な情報が何もない。俺は喉まで出掛かったため息を肺まで押し戻した。
「お名前以外で、何か手がかりになることはございませんか? 写真でも手紙でもなんでも結構です。ヴィシヴィジラ・ヌダさんからのお土産などでも」
スピーキンングが不自由でもリスニングはできるのだろう。リャミサリは長い髪をかき上げ首を横に振った。若さに似合わない疲れた顔だ。
汗をかきかき太田が補足説明する。
「そうでですね、写真、とかそういったですね、ちょっとないんですよ。リャミサリさんもですね、直接会ったことはないそうで」
「それは難しいですね。非常に難しいとあらかじめお伝えしておきます。先ほど申し上げたように、まず一つ、短期間では確実に探し出せるとお約束できません。次に、魔法使いは無から有を作り出すわけではありません。わたくしの仕事でも素材になるものが必要です。確かに、名前だけで人を探すことも不可能ではありません」
誇大広告ではない。魔法使いが本気を出せば、名前からでも人は探せる。相手が地球の反対側にいても可能だろう。これは魔法使いが誇れる能力だ。
「不可能ではないと申しましても、数ヶ月から数年かかります。急ぎであればなおさら、取っ掛かりが必要です」
「それでもですね、ないんですよ」
名前だけで探すとなるとかなり面倒くさいが、俺の心はこの仕事を受けるほうに傾いていた。特急料金ということで日数×五万+必要経費という条件を出したのだが、向こうがあっさり了承したのだ。俺は大願寺に給料をもらう従業員だが、時間給に直すと九二〇円前後にしかならない。うまい具合に五日以上働けば一ヶ月の平均給与を上回ることになる。達成できなければ違約金を払えという条件でもない。実は一日五万という価格は、人探しに長けた同業者へ下請けに出しても利益が出る。
それに本当に名前しかわからないという事もないだろう。そもそも何でヴィシヴィジラ・ヌダを探したいんだ? 失踪者を探す家族には見えない。
「ヴィシヴィジラ・ヌダさんは何をされている方なのでしょうか。性格や好きなもの、立ち寄りそうな場所、そういったご本人の特徴は? ご家族の方がいらっしゃれば……」
「ない」
俺が言い終わる前にリャミサリが言葉をさえぎった。
「ヴィシヴィジラ・ヌダにはない。グルヌカの家族ハタル」
声色は平坦だが、奥に暗い感情が感じられた。同時に今の発言には嘘があったことに気がついた。人が嘘をつけばだいたいわかる。
リャミサリの目を見ると、視線をすっと逸らされた。こっちを見ようともせず、ケープに縫い付けられた一円玉サイズのスパンコールを指先で弄っている。俺は深く追求しなかった。引き出せる情報がないのがなんとなくわかったからだ。
「ヴィシヴィジラ・ヌダさんの行方がわからない理由は何なのでしょうか。それも手がかりになります」
「あの、いわゆるですね、亡命ですね。その後、グルヌカとは連絡を絶っているんですね、はい。ヴィシヴィジラ・ヌダさんには家族と呼べる人はいないと、リャミサリさんは言ってます」
「すいません、グルヌカというのは国の名前であっていますか? どこかで聞いたことはあるのですが思い出せなくて」
「あっ、はい、説明しませんでしたっけ? グルヌカは、はい、国名ですね」
太田やリャミサリが『グルヌカ』と言う度、気になっていた。文脈から国名か地名だとわかるが、この名前をどこかで聞いた気がする。頭の中のメモに二重線を引いた。
「大使館にはもう確認されましたか?」
「ない」
リャミサリはこちらへの興味を失った様子でスパンコールを玩んでいる。こうはっきりつまらなそうにされると、この仕事を降りてやろうかと思うが、ぐっと堪えた。金が惜しいのではなく、名前からでも人を探せると大見えを切ってしまった以上俺にも意地がある。
最終的に聞き出せたのは、グルヌカから日本に亡命したのが十五年前であること、当時二十歳そこそこで現在三十台半ばだろうということ、男性でリャミサリと同じグルヌカ人の容姿だろうということだった。黒髪に明るい黄色掛かった瞳、三十五歳前後の白人男性ということか。
詳しく聞いてみると、ヴィシヴィジラ・ヌダを探し始めてから大使館に連絡していない以前に、まず大使館に聞くという発想がなかったらしい。リャミサリは親類縁者もなく一人で日本に来たと言うが、今の若い世代はネットにつながるツールさえあれば他のサポートはいらないのかもしれない。
結局俺は依頼を受けていた。正式に依頼が成立するのは今日の相談料四二〇〇円が入金されてからだが、個人情報に関する誓約書にサインし、双方で一部ずつ保管する所までは話が進んでいる。
「マホウツカイハタル」
それまで黙っていたリャミサリが唐突に声を上げた。魔法使いはたる?
「マホウツカイハタルはまがい物ではないジラを持っていると聞いた。マホウツカイハタルのジラは生まれつきか?」
日本語訳されていない単語を混ぜられるとお手上げだった。フォローを求めて太田を見ると、へらへら笑っている。幸い、俺が改めて太田はもうだめだと思うより先に、リャミサリが太田を小突いた。
「和尚さんの、その、魔法の力は生まれつきの、それかどうか、というのをリャミサリさんが聞いてます」
予想しなかった方向の質問だった。目の前で魔法を実演しろという依頼人はいたが、いままでこんな風に聞いてきた依頼人はいない。リャミサリは睫の長い大きな目でじっと見つめてくる。魔法への好奇心から俺に接触してきた依頼人とは何か違う。この目には興味本位のそれにはない熱量があった。
「魔法は修行、より正しいニュアンスで言えば生活の心がけです。特別な才能が求められる事ではありません。あらゆる人、いえ、あらゆる生命に魔法使いとなる素質があります。あえて生まれ持った才能というのであれば、誰もが魔法の才能を持っています。わたくしからも伺って宜しいでしょうか。ご存知かもしれませんが、うちは小さな『何でも屋』で、ほとんど広告も打っておりません。リャミサリさんは何故わたくしに依頼すると決められたのですか? 今後の参考にさせていただきます」
俺は真っ向からリャミサリの目を見返した。実際に視線が合った時間は一秒もない。すぐにリャミサリは俺から視線を外すと「もう帰る」と立ち上がった。太田が慌てて汗を拭くのをやめ、席を立とうともがいている。
外からは気持ちのいい五月の風が吹いていた。リャミサリは立ち上がって庭を眺めている。
「ニホンコオクのジラハタルを、オオタに調べさせた。数人会った。まがい物だった」
こちらに背を向けたままリャミサリがつぶやいた。
「ヴィシヴィジラ・ヌダはジラハタルだ。ジラハタルを見つけることが出来るのはジラハタルだけ。だから依頼する。マホウツカイハタル」
訳がなくても何を言いたいかはわかった。
俺は表まで依頼人二人を見送った。リャミサリのケープについたスパンコールが金色に光っていた。
時間がない、まずはグルヌカについて調べよう。聞いたことのない国名だから、恐らく日本への入国者も少ない。過去十五年の入国者を辿ることで絞り込めそうだ。聞いたこともない国からの亡命者というレアケースに、ちょっと驚いた。亡命、つまり日本国政府が滞在を認めたということだ。グルヌカ大使館に聞けば、案外すぐに見つけられるかもしれない。