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第一章:皇国動乱編
第一章ダイジェスト:第十八話~第二一話 後編
 良将ガラハ。
 彼ほど多くの逸話を残した職業軍人は十人に満たないだろう。
 圧倒的多数の敵を前にして要塞を護り抜き、また摂政の幕僚として龍虎戦役を戦った。
 彼を題材にした物語は、幼少期から親友ガリアンとの別れまでを一区切りとし、摂政レクティファールとの出会いからその結婚までの期間を一区切りに、さらに軍を退役してからの期間を一区切りにすることが多い。
 それは、その三つがガラハという男の変化を一番良く表現できるからだと言われている。
 生まれ、成長し、挫折を味わった。そして挫折から蘇り、生涯の主君を得て戦いの日々を送り、最後には平凡な人生へと帰っていく。
 それは軍人としても、男としても、ある意味では物語的な人生であった。
 もっとも、本人はそんなことを欠片も気にしていなかったようだ。
 最期の言葉は、一族に対し主家への一層の忠勤を命じるものであったし、遺言状に関しても平凡そのものだった。
 ただ唯一人々の興味を誘ったのは、彼が自らの死期を悟ってから描いた一枚の絵画である。
 ガラハは決して画才に恵まれていなかった。
 そんな彼が残した絵は、これまた何の変哲もない雪原の絵である。
 人々はそれを〈パラティオン要塞〉から見える雪原だと思っていたが、実際にはそんな風景は〈パラティオン要塞〉周辺に存在しない。
 描かれている山の形から導き出された答えは、〈パラティオン要塞〉より更に北、彼の親友ガリアンの眠る場所から南にある皇国本土を見た風景。
 彼の挫折、親友を敵中に置いて遁走した際に見た光景であった。
 多くの人々は、ガラハは親友を見捨てたことに最後まで後悔の念を抱いていたのだろうと言った。
 だが極少数のガラハを知る者たちは、その絵画を親友への土産だと考えた。
 共に守った国は、今もこうして平和である――ガラハはそう親友に伝えたかったのかもしれない。
 多くの血を吸って戦乱の時代を駆け抜けた男の、不器用な優しさだった。

         ◇ ◇ ◇

 レクティファールがその一報を受け取ったのは、執務室でガラハからこれまでの帝国軍の戦術や指揮官の癖を聞いている最中だった。
 あの会談以降、帝国軍の動きは緩慢になり、こうしてガラハが直接レクティファールに戦術の何たるかを講釈する時間も取れるほどになった。
 それが油断を誘うための作戦であるとも、単に作戦の準備をしているだけだとも推測されていたが、帝国側の動きは偵察部隊によって逐一伝えられていた。
 根本的に、こちらは守り手、相手は攻め手だ。守り手は拠点や兵力を守ることがもっとも重要な使命であり、攻め手を攻撃したり、その戦力を削ぐことは手段であって目的ではない。特に今回の戦いは、本格的な冬になって帝国の補給路が細く窄まれば、自然と収まる類のものだ。帝国軍全軍を戦闘状態に維持するだけの物資を送り続けることは、帝国にはできない。
「要塞正面、第一次防衛線第〇七〇地点に敵勢が大挙して押し寄せています! 敵主力は連隊旗から第一〇一機兵連隊と推測されます!」
 レクティファールとガラハは通信機ががなりたてるその報告を聞くと、同時に立ち上がり、執務室を飛び出した。
 指揮官が走ると兵士に余計な不安を与える。そういった理由から走ることはせず、しかし可能な限り足早に中央司令室に向かう二人だが、その間もガラハが懐から取り出した通信機が現在の戦況を次々と吐き出す。
「〇七〇防衛陣地指揮官のセディア准将より支援を要請する報あり。現在予備兵力から部隊を選定、救援部隊の編成を進めています。〇七〇陣地への援護砲撃が可能な位置にいる魔導及び砲兵部隊はなし。もっとも近くにいる第三三五四自動砲兵中隊が支援命令を受けて陣地転換のため移動中。移動完了は十五分後の予定……」
 本来なら付近の砲撃陣地からの支援砲撃が可能だったはずなのだが、第一次防衛線はこれまでの戦闘で何箇所も防衛線が破られている。その都度なんとか手当をして防衛線の維持に努めていたのだが、その間隙を相手に見抜かれてしまったということだ。
「どう思う」
 道行く二人の前を、敬礼することもなく駆けて行く兵士たち。各部署に対する命令を携えた伝令兵だ。通信技術が発達した今でも、詳しい内容を記した命令書や戦闘詳報を携えて走る伝令兵が廃れる様子はない。彼ら伝令兵は、命令を受けているときに限って上官への敬礼を免除され、たとえ将官専用の昇降機であろうと最優先で使用する権利を持っている。
「探るような攻撃があったのは知っておりましたが、これほど短い期間でこちらの穴を見つけ出すとは……小官の手落ちです」
「責めるつもりはない。グロリエ皇女が凡庸な敵手ではないことは、とうの昔に分かっていたことだ」
 レクティファールはグロリエが必勝の確信を持って今回の攻撃に踏み切ったとは思っていない。
 おそらく、威力偵察やこれまでの攻撃の結果から、無意識のうちにこちらの隙を察知。そしてそこに虎の子の自動人形部隊を叩き付けてきただけだ。
 何という思い切りの良さだと、レクティファールは素直に感心してしまった。
 自軍の損害がそのまま己の責任に直結する指揮官では、こういった戦術は取れない。帝族にして元帥位にあるグロリエだからこそできる決断だと言える。
「殿下ッ」
 横合いの通路から飛び出してきたのは、メリエラとウィリィアだ。
 彼女たちは近衛軍部隊として要塞の守備部隊との合同訓練を行なっていた。万が一のとき、両者の間に認識の齟齬があっては取り返しの付かないことになると、近衛軍部隊の指揮官がレクティファールに合同訓練を願い出たのだ。それが受け入れられ、要塞守備軍の各部隊との合同訓練が何度か実施されている。
「中隊長より報告。我が隊は殿下の命令があれば即時出撃が可能、以上です」
 ウィリィアが近衛軍中隊中隊長の言葉をレクティファールに伝える。メリエラは近衛軍部隊にあって摂政付きの侍従武官という立場のため、部隊とは別の命令系統に属していた。
「近衛軍は待機。命令あるまで守備軍の要請に従うように」
「了解しました」
 ウィリィアはそのまま取って返し、命令を部隊に伝えるべく走り出した。途中人にぶつかりそうになり、壁を蹴って天井を走り始めたが、天井を走ってはいけないという規則はない。伝令兵以外の飛行は禁ずるという規則があるだけだ。
「中央司令室へ行く」
「お伴します」
 メリエラの強い意志を秘めた言葉に、レクティファールは無言で頷いた。侍従武官は主君に侍り、輔弼する者だ。それに、メリエラは次期皇妃。要塞内のいずれの部署に応援に向かわせても邪魔になるだろう。なまじ無能ではないだけに、余計に始末に終えない。
 実は、ガラハがもっとも扱いに苦慮した人物は、レクティファールではなくメリエラだった。
 ただ、憂慮していたメリエラによる要塞の命令系統への干渉は起こらず、彼女は訓練時以外、レクティファールの傍で専任幕僚のようにその補佐をしている。
 ガラハは、メリエラはリーデに対抗心でも抱いているのかと思ったが、それならそれで好都合だと考えを改めた。リーデも無任所の参謀であり、決まった役目があるわけではない。仕事がないということではないが、無理に仕事を与える必要も、理由も今のところはない。
 摂政の補佐役としてメリエラと共にいるというなら、将来参謀として何処かの司令官の補佐をするときの予行演習にもなる。
 ガラハが前方を歩くレクティファールの背を見ながらそんなことを考えていると、件の人物が背後から追い掛けてきた。
「レクティファール様。こちらを」
 レクティファールの隣に並んだリーデは逆隣のメリエラに一瞬目を向け、レクティファールに用箋綴を手渡す。短い時間ではあったが、彼女なりに今回の攻撃に関する資料を纏めたのだ。こういった仕事に関して言えば、メリエラはリーデの足元にも及ばない。
 微かに眉を寄せたメリエラに気付かぬまま、レクティファール用箋綴を開き、そこに記載されている敵の情報を読み取ると、その用箋綴をガラハに差し出した。
 敵主力は一個自動人形連隊。総数六十四。陣地を占領するための支援部隊として歩兵大隊が四。前進支援の砲兵中隊が二個付随している。
「どう考える」
 用箋綴を受け取り、内容を一瞥するとガラハは答えた。
「はい殿下。小官は陣地の保持は不可能と考えます。元々〇七〇陣地は他の陣地と比較して敵陣に近く、これまでも何度か大規模な攻撃に晒されております。そのため、現在は〇七〇陣地を除いた形での防衛線構築を進めておりました」
 第〇七〇陣地は、緒戦の帝国軍の大攻勢によって他の陣地が突破された際に、敵の陣地近くに孤立してしまった拠点だ。第一次防衛線が縮小された現在では、もっとも突出していた陣地でもある。
 そのため、ガラハたち要塞守備軍では第〇七〇防衛陣地の放棄を決定。より後方に代替の野戦陣地を設営し、新たな防衛線の構築を進めていた。
「撤退予定は明後日深夜の予定でした」
 夜暗に乗じて人員と移動可能な設備及び兵装を移動させる予定だった。そのための支援部隊の編成も済んでおり、あとは実行の日を待つばかりだったのだ。
「知っていたと考えるべきか?」
「勘付いたと考えるべきかと」
 ガラハの返答に、レクティファールは小さく舌打ちした。そのあまりにも彼らしくない仕草にメリエラが目を瞠ったことに気付かないまま、レクティファールはガラハに告げる。
「第〇七〇の撤退を全力で支援するという方針に問題はあるか」
「ありません。現状ではそれが最善と愚考します」
「やはり、崩れるか」
「崩れましょう」
 予期していない大規模な打撃戦力による攻撃。防衛線の構築が終わっていない今、第〇七〇防衛陣地を失う訳にはいかなかった。
 万が一にも第〇七〇防衛陣地が突破されれば、そこには穴の開いた防衛線が横たわっているに過ぎない。陣地を突破した場合、帝国は自動人形部隊の一撃で攻勢を止めることはないだろう。更に戦果を拡大するべく、皇国軍の陣地深くに食い込んでくる。
「撤退後、〇七〇陣地の兵力を新たな陣地に吸収。そこを新たな防衛陣地として防衛線を再形成します。他の陣地への兵力の配置は完了済みですので、敵の勢いさえ殺せれば……」
「恐ろしいものだな、戦場の勢いとは」
 レクティファールの言葉は、彼の本心だった。しかしガラハは、その言葉に別の感情を抱いているように、呟く。
「――魔物です、小官も喰われかけました」
 レクティファールは常に自信に満ちた態度を崩さないガラハの珍しい口調に、少しだけ驚いた。
 それだけ、戦場が恐ろしい場所なのだと、改めて実感する。
「では、喰われぬ方法は中将に訊けばいいのだな」
「――――」
 ガラハはレクティファールの物言いに、一瞬虚を突かれたように黙り込んだ。
 そしてその一瞬の後、小さく笑い、答えた。
「そうですな、小官が知っている方法ならば、いくらでも」

◇ ◇ ◇

 この龍虎戦役の中の一幕に関しては、後に多くの批判があった。
 その大半が皇王レクティファールがその責任を忘れ、一前線指揮官として戦いに赴いたことを責める内容だ。
 ただ、少しでも概念兵器に通じている者は、その程度で〈皇剣〉たる皇王が傷付くことはありえないと分かっていた。
 この当時の通常兵器や魔法で〈皇剣〉は破壊できない。
 最低限でも龍族などの力持つ種族を十体以上、万全を期すならば大陸破壊級――無論、使えば世界そのものが終わる――の超大規模魔法が必要であった。
 それを帝国側が用意できない以上、レクティファールが前線に出たとしても問題はない。レクティファールとガラハはそれを理解した上で決断を下したと考えるのが妥当である――そんな意見が大勢を占めるようになり、レクティファールに対する批判はやがて収束した。
 むしろ、この戦いで彼が見せた戦いぶりに人々は熱狂し、その支持がレクティファールの治世を支える基盤の一つとなったと考えるべきかもしれない。
 そう考えるならば、皇王レクティファールは見事に帝国軍を利用したということになるだろう。

         ◇ ◇ ◇

「殿下」
 喧しい自動人形と工具の駆動音の中でも、不思議とよく通る声。その声に二人が振り向いてみれば、そこにいたのはリーデと機兵参謀だった。
「どうした?」
 レクティファールは二人に向き直ると、そう訊ねる。作戦前ということで、レクティファールの命令によって敬礼などは一切省略されていた。
「――先ほどの非礼をお詫びに参りました」
「非礼、か。それを言うならば、私の方がよほど君に無礼を働いた」
 レクティファールは機兵参謀に向き直ると、小さく頷いた。
「それで相殺ということにはできないか」
 本来であるなら、頭を下げて謝りたいと思っていた。しかし、今の立場ではそれも難しい。相殺という言葉でさえ、レクティファールにとっては無礼な言葉であると思えた。
 謝罪という当たり前のことさえ自由にできない自分を、レクティファールは初めて倦んだ。
「殿下が納得されるならば」
「そうか、感謝する」
 レクティファールは機兵参謀の返答に礼を述べ、再び眼下の自動人形たちに目を向ける。
 機兵参謀が、静かにその隣に立った。
「あれが我軍の主力高機動型自動人形である九九式改。奥にあるのが強襲型の九九式。今輸送車に載ったのが〇一式軽装甲型です」
 機兵参謀の淀みない説明に、レクティファールは一つ一つ頷く。
 視察の際にはこれほど活発に動き回る自動人形は見れなかった。それだけ、まだ余裕があったということだろう。
 しかし今となっては、この第三長城の戦力まで引っ張り出す必要がある。
「君の立場からすると、今回の作戦はどうだ」
「それは、今回の作戦における殿下のお役目に関しての質問でしょうか」
 機兵参謀はレクティファールを横目で見遣り、そう確認してきた。
 レクティファールはその眼差しの無機質さに微かな感情を見付け、首肯した。
「それも含めての質問と受け取って欲しい」
「ならば、作戦の通り我が同胞の乗る車両を最優先で狙って下さい。それだけ、こちらの兵士が死なずに済みます」
 恨みなど欠片も感じさせない機兵参謀の声音。その中に、押し殺した感情があるのではないかとレクティファールは疑っている。
 機人族だから感情がない、そんな先入観を持っているから、その感情を読み取れないだけではないか。
「それは分かった。しかし、君の同胞を殺す以外の方法はないのか?」
「――――」
 ここで初めて、機兵参謀の返答が滞った。
 その表情にはやはり感情が見えないが、どこか懊悩している風に見える。
「あるのか、ないのか」
 レクティファールは再度、先ほどよりも強い口調で訊いた。
 メリエラとリーデが少し驚いたような表情を浮かべているのが見えた。
「――あります。可能性は低いですが」
 機兵参謀はレクティファールに顔を向けると、そう答える。
「それは?」
「『最上位命令(インペリウム)』です、殿下」
 機兵参謀が言うには、機人族にはその因子の中に最上位命令に対する絶対的な服従が刻み込まれているという。
 元々機人族はそういった類の反抗防止機構がいくつも備わっている。
 人に対して従順で、絶対に命令に逆らわない兵士。旧帝国の軍人たちが求めたのはそういった者たちだった。
「私たち一族が完成する前、すでに一部の人形種による反乱が発生していたそうです。そのため、私たちには服従因子が付与されました」
 そのため、機人族は同胞がどれだけ虐げられても帝国軍に協力せざるを得ない。人質を取られているからという理由もあるが、何よりも服従因子が人間種への反抗を抑え込んでいるのだ。
「もちろん、この因子は世代を重ねるごとに弱くなっています。今の機人族は単に思考の自由を奪われ、服従以外の選択肢を知らないのでしょう。ですが、因子そのものは残っています」
 そして、もっともその因子に強く作用するのが、『最上位命令』という本来の命令権者からの命令だ。
「それは、今でも有効だと?」
「はい。ここ千年は実行した者はおりませんが」
 機兵参謀の物言いに、レクティファールは眉を顰めた。
 機人族をもっとも効率的に操れる『最上位命令』を、帝国が実行しない理由がわからない。
「何故、誰もそれを実行しない」
「しないのではなく、できないのです」
 彼女は言う、『最上位命令』は二〇〇〇年前に因子情報の中に設定された存在以外に実行することはできないのだと。
「帝国には、その存在がおりません。ですから、命令は行えないのです」
「だが、我々の側にはその存在がいると」
「可能性がある、としか言えませんが……」
 機兵参謀はレクティファールを見上げ、その中性的な声で告げた。
「私が知る中で、自動人形に対する『最上位命令権(インペリム・ロア)』を持つ存在は一つ――旧帝国の最終兵器、〈皇剣〉です」

◇ ◇ ◇

 英雄の生まれる瞬間とは、どこにあるのか。
 そんな問い掛けを人々に投げ掛けたなら、答えはどんなものだろうか。
 大半は戦争と答えるだろうが、その戦争の中にある一瞬こそが英雄を産み落とすのかもしれない。
 事実、レクティファールが大きくその名を知られるようになったのは、皇都奪還戦よりもこの龍虎戦役の影響が大きい。
 何故、そうなったのか。
 その答えの一つとして、レクティファール自身が前線で見せた姿を挙げることができる。
 古来より、英雄を題材にした絵画は戦場を背景にしているものが多い。
 ただ、その背景は多分に捏造された要素が多く、単に英雄を偶像化させるために描かれたものという面が大きい。
 それに対し、この一戦でレクティファールが見せた姿は、捏造するまでもなくその役割を果たせるものであった。
 戦場の真ん中で、もっとも敵に近い場所に立ち、そして人々にその存在を誇示した。
 なるほど、確かにそれは英雄の姿であった。
 本人が決してそれを望まなかったにしても。

         ◇ ◇ ◇

 ガラハの発した合図が到達するとほぼ同時。
 レクティファールとウィリィアを乗せたメリエラが要塞屋上の発着場から飛び立ち、帝国の対空砲火の一切が届かない高空に到着するまで要した時間はたった一分。レクティファールとウィリィアを顧みることのない、加速魔法を用いた急速上昇だった。
 無論、レクティファールもウィリィアもその程度の加速でどうにかなる身体ではない。双方とも人の形を持ちながら、極限状況下での戦闘行為を可能とするだけの機能を有している。
 加速の瞬間、ウィリィアはレクティファールの身体にしっかりと掴まり、レクティファールは拙いながらも慣性を含む指向力量制御を行なって自分とウィリィアを保護した。
 自分の身と生命をレクティファールに預けることには、ウィリィアも多少思うところもあったが、レクティファールとメリエラは契約で結ばれている。そのレクティファールを背に乗せている以上、メリエラの背ではウィリィアは付属的立場を免れない。
 主人に対する礼儀である、と自分を納得させたウィリィアは、レクティファールの身体に自分のそれを密着させ、後背方向の警戒を始めた。鳶色の瞳が、空を一巡する。
「後背方向に敵影なし」
「了解」
 ウィリィアに答えるレクティファールの声は、ウィリィアが意外であると感じる程度に冷静だった。
 これから一二〇〇以上の敵兵と真正面から相対するというのに――ウィリィアはそう考え、たかだか一二〇〇かと思い直した。〈皇剣〉の前では千も万も、一も十も大差はないのだ。
 そして到達した帝国軍の上空。光学迷彩機能を付与した能動隠蔽魔法を周囲に展開したメリエラは、帝国軍にその存在を察知されることなく彼らの頭上に差し掛かった。
「見えた」
 レクティファールの独白。
 それを聞いたウィリィアが目を凝らしても、眼下に見えるのは戦闘の光だけだ。
「防衛陣地の堡塁の半数以上が突破されています。――あれは対装甲榴弾砲搭載の砲兵型自動人形……足は遅いが要塞攻めには最適か」
〈我がマイネ・ヘルツァー、感心している場合ではないわ〉
 メリエラの声に、レクティファールは思考を中断する。彼女の言う通り、今はそんなことを考えている場合ではない。
 事態は一刻を争う。今この瞬間にも、あの閃光の中で彼の守るべき者たちが生命を落としているのだ。
 レクティファールは一つ呼吸をして戦場に意識を定めると、一切の感情を削ぎ落した声で二人に言った。
「では、降ります。メリエラは上空からの援護を。――ウィリィアさん、高度が下がるまで落ちないようにして下さい」
「……言われずとも、分かっています」
 レクティファールの一言に、ウィリィアが不満気に顔を背ける。彼女も白龍公の臣下として騎兵の訓練は受けたが、決して優秀だった訳ではない。レクティファールはそれを知っており、決して無理はするなという意味合いで一言を付け加えたに過ぎない。もちろん、ウィリィアにしてみれば、自分よりも経験の浅い素人に心添えをされたところで素直に頷けるはずもなかった。
「きちんと役目は果たします」
 ウィリィアの硬い声。
 レクティファールが着陸地点の安全を確保したあと、ウィリィアは地上に降りて彼の背を守ることになっていた。
 レクティファールは頷き、更に言葉を重ねた。
「万が一落ちるときは一声お願いしますね、受け止めますから」
「だから分かりました! もうお時間です!」
 ウィリィアが叫ぶと、レクティファールは小さく微笑んでその頬に触れた。
 ごくごく自然な動きで、ウィリィアは抵抗もできないまま、レクティファールの手を受け入れてしまう。
「――こんなところまでついて来てくださって、感謝しています」
 ウィリィアははっとしてレクティファールの顔を見詰め、その顔にある安堵に気付いた。
 気付き、自らも安堵した。自然と、笑みが浮かんだ。
「感謝なんていらない。でも……」
 ウィリィアの言葉は、最後まで発せられることはなかった。立ち上がったレクティファールが、あとを継ぐ。
「ええ、ちょっと勝ってきます」
 ほんの少し散歩にでも行くように、気負わず、自然体で。
 ウィリィアがそこにいたからこそ、彼はそうして戦場に赴ける。
「いってらっしゃい」
 ウィリィアの言葉が尽きる前に、レクティファールの姿は眼下に消える。そのせいで、彼はウィリィアの微笑む顔を見ることができなかった。

 帝国軍でもっとも早くそれに気付いたのは、グロリエの陣にいた見張りの兵であった。前線の様子から皇国側防衛線の崩壊が間近であると判断され、全軍に前進準備の号令が掛かり、慌ただしく将兵が動き回っている最中のことだ。横撃を狙っている皇国軍を、さらに横合いから強襲する機を伺っている。
 グロリエ直率の兵ということもあり、精鋭であるという自負と自信に満ちたその顔は精悍。兵士であることに誇りを抱いているであろうことが容易に察せられる。
 徴兵され、兵士に仕立て上げられただけの他軍の兵とは違い、第三軍集団の兵士たちは揃って同じ表情を浮かべている。その事実が、グロリエの将帥としての稀有な才能を示していた。
 兵士を命令によって戦わせるだけなら平凡な将帥でもできる。だが、兵士に自発的に戦おうと思わせる将帥は優秀で、少ない。
「ん?」
 馬上で周囲を確認していた彼は、空の上で何かが光ったように感じ、腰に下げていた望遠鏡を空に向けた。
 一度、二度、首から上を回す。
 そして、一点で止まった。
 彼が落下するレクティファールを見付けられたのは、偶然であっただろう。どれだけ優れた眼を持とうとも、高空彼方から落ちてくる人間大の物体を識別できるはずがない。
 彼は偶然、それを見付けた。
「――人?」
 白い軍装、分厚い鎧さえ身に付けぬ白い髪の男。
 見張り員はそれを認め、大きく目を見開いた。
「白い髪……」
 呟き、拡大された視界の中でその人物が足元に魔法陣を展開、体勢を安定させたことに彼は気付く。
 何をしているのか、そんな疑問がふと湧いた。
「白い軍服……」
 白い髪の人物が虚空に手を翳すと、その手の先に光の粒が舞う。一つ、二つ、三つと増え、十、百、千、万、億。
 そして億千万の光は一つに集束し、一瞬だけ光の塊となって姿を変えた。
 鋼色の長大な得物。無骨でありながら、ただ一つの目的のために造られた美しさを持っている。
「なんだ? 野砲か?」
 それは、確かに彼の知る野砲のような形状をしていた。長大な砲身、角張った機構部、背後に大きく張り出した薬室と尾栓。
 だがそれは形状こそ野砲であったが、大きさは人が抱えられる程度。現に彼の目の前にいる男は、それを一人で保持していた。
 機関部横の握把を左手で、砲とも銃とも呼べぬその姿に似合わないほど小さな銃把を右手で。脇に抱えるように『それ』を構える男を、見張り兵は半ば呆然と見上げていた。
 そんな彼の視線の先で、砲の終端部後背に魔法陣が五枚重なって展開される。それらが交互に逆方向へと回転し、空気中から魔力を集め始めた。回転速度が上がるほど、魔力の集束も大きく、早くなっていくようだ。
「ああ……」
 轟々、という魔力と空気の摩擦が奏でる音が聞こえてくるようで、彼は呻き声を漏らした。
 見張り兵の様子に気付いたグロリエが訝しげに眉を寄せ、従兵に手を差し出して望遠鏡を受け取る。
 皇国の飛龍が援護に出てきたのかと考えた彼女は、光の渦巻く光景に息を呑む。
 今度は、すぐに見つかった。当たり前だ。
 光は、もう誰の目にも分かるほど強く輝いているのだから。
「何だ、あれは」
 グロリエの従兵の一人が空の一点に輝く星を見上げ、指差した。
 それは赤、黄、青、緑と様々な光の集合体。否、集合体というよりも、群体。集い、一個の意思で動かされる様は、生物のようにも見える。
 それらの光は渦を巻き、走り、飛び、消え、輝き、空の一点に向けて踊る。
「レクティファール……」
 グロリエは、その光の中心で自らの敵手の姿を認めた。
 レクティファールは巨大な銃砲を構え、地上を見据えている。その視線の先にあるのが皇国の防衛陣地に攻撃を仕掛ける自動人形部隊であると、グロリエは気付いた。
 同時に、血液が体内を動く音を彼女は聞いた。
「――まさか!」
 それは、彼女にとって青天の霹靂であった。
 レクティファールが出てくることは予想できた。しかしそれは、上空からの砲爆撃を伴うものではない。
 グロリエはレクティファールの採る戦術を、皇国側が温存している機動戦力を率いての一撃離脱であると予想していた。それは、この時代の戦術的常識に当て嵌めれば、至極妥当な、言い方を変えれば全く面白みのない判断であった。
 グロリエは、そういった面でひどく堅実な将だ。そしてそれ故に、大きな戦果を挙げ続けた。彼女の敵は、戦術上の常識に忠実であったからだ。
「第九八機動歩兵連隊と、本陣の対空砲部隊に伝えろ」
 だが、グロリエは自分の判断を超える敵の行動にも、動揺することはなかった。
 彼女は冷静にレクティファールの意図を察し、それに対する行動をすぐに実行した。
「上空に――」
 敵がいる。上空からの攻撃に備え、迎撃しろ。
 惜しむらくは、彼女の命令が届くよりも早くレクティファールが行動したこと。
「な……」
 グロリエが見詰める中、彼女の視界を焼くほどの閃光が迸り、天空より幾条もの光軸が降り注いだ。

 帝国軍自動人形部隊――第九八機動歩兵連隊は、突如上空より飛来した光の雨によって、一気に六機の自動人形を喪失した。
 それはあまりにも突然で、あまりにも無慈悲な攻撃であった。
 総ての自動人形は頭部直上より攻撃を受け、頭頂部から股間までを光軸によって貫通。機関部の誘爆によってその場で弾け飛んだ。
 弾薬や燃料に引火し、高熱の炎を周囲に撒き散らす。随伴歩兵はその炎から逃れるため、その場に伏せた。ただ、火の付いた燃料や可燃性の潤滑油に巻かれ、火達磨になった兵士もいる。それらの兵士は絶叫して地面を転げ回り、同僚たちはその火を消そうと必死の形相を浮かべている。
「敵襲! 敵襲だ! 上空警戒を厳に!」
 装甲車両に乗った自動人形小隊指揮官のその叫び声は、あまりにも空しいものだった。
 味方に迎撃態勢を取らせるための彼の声は、再度着弾した攻撃の爆音に遮られ、誰の耳にも届かなかったのである。
 それに、たとえ砲が着弾しなくても、兵士の悲鳴や怒声の中では大した意味もなかっただろう。
「三番機! 上空の敵を狙え!」
 指揮官は舌打ちし、通信機に向かって怒鳴る。対空探測儀を搭載した自動人形に砲撃の主を攻撃させるつもりだった。
 しかし、彼の思惑は自動人形の操縦士の悲鳴によって否定される。
〈見えません! 我方の探測儀には何も映っていません!〉
「何だと!?」
 帝国軍がレクティファールの姿を捉えられなかったのには理由がある。
 このとき帝国軍が探していたのは、飛龍などの大型飛行物体。レクティファールのような人間大の目標を探し出すには、帝国の対空探測儀は貧弱に過ぎた。或いは、最初から人間大の目標を設定してあれば、高出力の魔力反応を探すよう設定してあれば、その探測儀でも発見できたかもしれない。
 しかし、彼らは人と同じ大きさの物体が、膨大な魔力を魔導砲に直接集束させて撃ち放つという常識を有していなかった。
 そんなことができる魔導師など、本来は存在しないのだ。
 例外である高位の神族や天族、魔族ならば、攻撃前に魔力反応を察知できる。それに、力あるそれら種族が皇国軍に属していないことは、帝国以外の国家でも広く知られていることだった。
 それらの種族は、基本的に俗世に干渉しない。干渉する意味がない。
 富にも権力にも意味を見出さず、ただ世界を見ているだけ。
 ときおり好奇心の強い者が現れることはあるが、彼らはヒトの世界に深く関わり合おうとはしない。初代四龍公以前の龍族も、同じような性質を持っている。
 それらの龍族は今も世界を巡り、一所に留まることはない。
 それ故に、各国の軍では強大な力を持つ高位種族による攻撃を察知することはしても、それに対抗する手段は限られている。
「ならば発射点を探れ! それならば見付けられるだろう!」
 第一撃以来、第二撃、第三撃と上空からの攻撃は続いている。
 右手に接続した大口径機関砲を天に向け、連射する自動人形。腹に響く重低音が広がり、それは複数の自動人形による重奏となった。
 排出された薬莢と連続する発射音に、周囲にいた兵士は揃って身を屈め、耳を押さえる。迂闊に動けば、味方の薬莢に当って死ぬことになると彼らは知っていた。
〈目標を確認した。これより迎撃行動に入る〉
 指揮官が待ち望んでいた一報。
 後方に位置していた砲兵型自動人形が前進し、腰背部に取り付けられた衝撃吸収用補助脚を地面に突き刺す。そして頭部を目標に向け、火器管制装置に諸元を入力。続いて、背部の自動装填機構によって込められた対空榴散弾を発射する。
 両肩に砲口を覗かせた砲兵型自動人形は全部で十六機。一斉に放たれた砲弾は倍の三十二発。
 それらの砲弾は光の尾を牽いて天に駆け上り、上空に大輪の花を咲かせた。
「やったか!」
 四機の自動人形の内、半数を失った小隊長が、撃破され、転倒した自動人形に押し潰された装甲車両の陰から天を仰ぐ。彼の顔には煤が付着し、元来精悍な顔付きは盗賊のそれと大差ない。
 一縷の希望を抱いて空を見上げた彼だが、現実は彼に絶望を用意していた。
「――ちくしょう」
 壁のように光り輝く魔法陣は、おそらく防御魔法。
 彼はその魔法陣の向こうに、集束する光を見た。

 レクティファールは〈皇剣〉の亜空間保管庫に収納されていた〇式特型高集束魔導砲を抱え、それに魔力を叩き込んでは撃つという行為を幾度も繰り返していた。
 照準――視界に重なった照準円を用い、こちらに背負った重砲を向ける自動人形の上半身を狙い。
 集束――背後に背負った五層型魔法陣を使って周囲の魔力を集め、魔導砲の圧縮制御機構に注ぎ込む。
 制御――圧縮制御機構に満ちる魔力を、安全装置を解除し、砲身に向けて移動。
 発射――砲身内に張り巡らされた魔導力格子力場によって誘導された魔力弾を、引き金を絞って放つ。
 それを、瞬間的に四度。一回の圧縮で放てる魔力弾は最大六つ。魔力弾の威力を引き上げれば、その分発射可能な弾数は減っていく。
 今は、四発だ。敵もこちらに気付いて対魔法術式を搭載した防御盾を構えている。一撃でその防御盾を抜くには、魔力弾をより集束圧縮する必要があった。
 その甲斐あってか、彼の視界で爆発が四つ連続する。
「――撃破、四」
 一体は上半身と下半身を分かたれ、誘爆せずに地面に崩れ落ちる。
 二体は背部の装薬庫に収められた砲弾に直撃を受け、その場で大爆発を起こした。
 残り一体は運良く回避行動が間に合い、右腕部を肩から引き千切られるに留まったが、僚機の爆発に巻き込まれて転倒。圧し潰した装甲車両に満載されていた弾薬によって、装甲車両の乗員ごとその場で四散した。
 少しでも爆発から離れようと逃げ惑う兵士たちを見下ろし、レクティファールは再度魔力の集束を始める。それと同時に、この戦いから勝利を奪い取るための目標を探そうと視線を巡らせた。
「どこにいる」
 独語し、自動人形たちの情報管制を行う管制車両を探す。情報を統轄する管制車両を見付けるためには、その通信の中心を探せばいい。双方向通信の中心。通信波を視覚化する解析層を視界に重ねながら、レクティファールはひたすらそれを探した。
「――ッ」
 一発の砲弾が、レクティファールのすぐ近くで炸裂する。
 防御障壁の恩恵で損害はないが、体勢が崩れた。
「仕方がない、か」
 レクティファールは滞空は可能でも、飛行はできない。それに、既にグロリエの重装近衛騎兵団がこちらに向けて動き始めている。もう時間がない。
「――流石に、グロリエ皇女を相手にしては退くに退けないでしょうし」
 グロリエならば、今のレクティファールを相手に時間を稼ぐことなど容易い。
 こちらを引き付けている間に、防衛陣地を攻略するだろう。当初の予定通りに。
「初撃は向こうの思惑を挫いたことで目的を達成。次は、こちらの思惑を果たすとしますか」
 レクティファールは呟くと、足元の魔法陣を消し去る。同時に、彼の身体は重力に引かれるまま落下を開始した。
 髪と服が暴れ、顔と身体を打つ。
 ぐんぐんと近付いてくる地面から空へと視線を移動させ、レクティファールはメリエラとの精神接続線を繋いだ。
〈メリエラ〉

〈何かしら? 今忙しいのだけど!〉
 レクティファールの位置から上空を見れば、帝国軍の飛竜と格闘戦を繰り広げるメリエラの姿がある。
 一騎の飛竜を〈龍の吐息〉で撃ち抜いたメリエラだが、すぐにその背後に別の飛竜が回り込む。〈龍の吐息〉は発射の際、一瞬だけ動きを止め、さらに照準のために視界が固定されやすい。通常であればそれを補うための装具を纏っているのだが、今は、魔動式甲冑を纏った侍女が自動装具以上の防御力を発揮している。
〈ウィリィア!〉
「はい!」
 メリエラの声に答えたウィリィアが太腿の剣帯に触れると、直後空中に四本の投擲短剣が出現する。ウィリィアはそれを掴むと、短剣を投げ放つ体勢を取り、不可視化した仮想銃身にそれを押し込んだ。
 加速は僅かに音速には届かず、しかし、背後からの追撃故に相対速度が加算され、短剣は音速を越えて敵飛竜の鼻先に衝突した。
「――!」
 それは悲鳴であったのだろうか。
 飛竜は一瞬で頭部を砕かれ、その背に乗っていた騎兵は上半身を獣に喰われたかのように欠損させた。簡易対物防御のある騎兵鎧の防御で身体が砕け散ることはなかったが、生命を失ったことに変わりはない。
 力を失い、木の葉のように地上へと落ちて行く飛竜とその騎兵。
 しかし二人はそれを見届けることもせず、すぐに正面に向き直った。
〈次から次へと!〉
 畳み掛けるように前方に迫った二頭の飛竜。〈龍の吐息〉を警戒して位置を的確に変えながら迫るその二体に、メリエラは真正面から飛び込む。
 二頭の飛竜はそれぞれ左右に逃れようとしたが、メリエラはそれを許さない。ウィリィアが身体を伏せたのを確認し、背後に魔法陣を浮かべて加速した。
〈格闘戦最強と呼ばれる皇国戦闘騎の栄光神話! 〈白き雷槌ヴァイツ・ドナーシュラーガ〉の娘たるわたしが潰えさせると思って!?〉
 自身を奮起させるために叫んだ二つ名は、父のもの。数世代も前の名であるが、未だにその名は皇国戦闘騎たちに語り継がれている。
〈《重潰ヘヴィ・コンプレッシャ》〉
 意識内に術式を展開。即時開放。
 そして、交錯。
「うわぁ……っ!」
 騎兵の悲鳴。それはすぐに遠ざかり、眼下へと落ちていく。
 一瞬の交差の間に、二頭の飛竜は共に頭蓋を潰されていた。
 皇国戦闘騎のお家芸、重力力場を用いた近接打撃魔法による攻撃だった。重力力場の消えたメリエラの両手には、相手飛竜の返り血がべったりと付着していた。しかしそれは風圧ですぐに吹き飛んでいく。
 メリエラはそれを確認すると、両手を畳んで大きく身を翻した。翼が風を捉え、鋭い曲線が描き出される。
 戦闘で昂った精神を落ち着けた彼女の脳裏に、主人の声が響いた。
〈そちらから管制車両を探せますか?〉
 一言労いの言葉があってもいいものだが、メリエラはそれを求めるようなことは言わない。戦闘はまだ途中で、楽しいことはあとに取っておくのも一つの方法だ。
〈そうね……〉
 メリエラは帝国の飛竜による攻撃が止んだことを確認すると、再度翼を翻して地上へと向かう。
 その視界にレクティファールと同じように通信波を視覚化する解析層を重ね、帝国軍の通信状況を調べる。偵察騎ではないメリエラの解析層はレクティファールのそれよりも精度は低かったが、高空にいる分広範囲を見渡すことができた。
〈あった〉
 メリエラが目を凝らすと、自動人形部隊の中心に通信波が高密度になっている地点があった。
 続いて解析層を閉じ、その周囲の布陣を肉眼で確認する。そして、確信した。
〈帝国の自動人形部隊の中心北付近にそれらしい車両があるわ。周囲に護衛らしい自動人形が……六体。随伴歩兵も一個小隊はいるわ〉
 いくら備品でも、帝国にとっては貴重なもの。管制車両には実戦慣れした数名の機人族が乗っているということもあり、それなりの護衛は張り付けているようだ。
 メリエラはその護衛の数を見て、レクティファールに問う。
〈どうする? わたしが一撃加えて護衛を減らしましょうか?〉
 撃破できずとも、混乱を起こすことはできる。その混乱の分だけ、レクティファールの突入はやり易くなるだろう。
〈それもいいですが、グロリエ皇女の動きが予想より早い。私が直接行きます〉
 その言葉通り、メリエラの視界に入っているグロリエ直率部隊の動きは恐ろしく早い。土煙を巻き上げて疾走する騎兵部隊は、赤一色に染め上げられている。
 確かに、あれを真正面から見たらさぞ恐ろしいだろう。練度や装備、そして纏う武威。帝国最強と言われるだけのことはある。
 皇国軍機動部隊の突入まであと五分もない。帝国軍が迎撃態勢を整え、グロリエが戦場に到着する前に、帝国軍の機人族を確保する必要があった。
〈了解したわ。あなたが降りて場を確保したのを確認して、ウィリィアに降りてもらうから〉
〈そうして下さい。随伴歩兵の相手は、さすがに一人では面倒だ〉
 機人族を確保できれば、レクティファールは余計な荷物を抱えることになる。
 突入してくる皇国自動人形部隊の輸送車両に乗せる予定ではあるが、その間レクティファールは彼らを守って戦わなくてはならない。
 こういったとき必要なのは、一個の大きな戦力ではなく、安定した複数の戦力だ。
〈了解、我が主。それじゃあ……もう一仕事するとしましょうか〉
 メリエラが鼻先を上空に向け、上昇に転じる。
 ぽつぽつと現れた黒点は、〈ウィルマグス〉の帝国軍飛行場から離陸した帝国の飛竜だった。

 愛馬を急かせ、荒地を突き進むグロリエ。
 背後に自らが育てた最強の騎兵団を従えているというのに、グロリエの気分は晴れなかった。
「間に合わぬ、そう思った方がいいか」
 彼女自身、敵の動きを読み違えたことで憤りはある。
 敵将ガラハの戦術思想や、その癖については帝国も多くの時間と予算を費やして研究を重ねた。それだけに、これまでの要塞攻めはほぼグロリエの描いた通りにことが運んでいる。
 防衛拠点を一つ一つ潰し、敵の防衛線を喰らい潰す。そして決戦兵力である自らの第三軍集団を正面から叩き付け、要塞を破るつもりだった。
 単純な力押し、しかし、力押しに勝る戦術はそう多くない。
 素人であれば戦記物語で読むような華々しく手の込んだ戦術を好むかもしれないが、そんな戦い方は今はもう廃れている。
 どの国家でも国家による軍が幅を利かせ、一人の軍師が全軍を指揮するということも少なくなった。軍の規模で劣る小国であれば軍師と指揮官だけで部隊を纏めることもあるが、帝国や皇国などの現代国家では正式な教育を受けた幕僚団が司令官の補佐を行うのが主流だ。
 それらの国でも極稀に戦争を娯楽と勘違いした貴族司令官が個人的に軍師を雇うことはあるが、そういった軍師には軍が情報を渡したがらない。いつ敵になるとも分からない軍師に自軍の機密を晒すなど、安全保障上許されることではないのだ。
 個人として軍師を招く場合、その軍師は軍の所属となり、機密に触れれば二度とその軍を離れることはできない。小国同士の小競り合いでは珍しくない流れの軍師がこういった国家同士の戦争に参加しないのは、そういった無用の束縛を嫌っているからでもあった。
 そんな現実を知らない市井の者たちは、戦争とは知略を尽くした華やかな戦いであると想像するが、実際の戦術はどうやって上手く力押しをするか、という一点に絞られている。
 グロリエは敵の防衛陣地を潰し、要塞を包む鎧を一つずつ確実に剥がすことで自分たちの力押しを相手に届かせようとした。
 それは間違いではなく、今でも正しいだろう。
 レクティファールの行動はこの極々限られた一局面ではグロリエの思惑を上回ったが、要塞攻略戦そのものには大きな影響を与えていない。
「――まだだ」
 その通りだった。
 グロリエは負けていない。彼女には、より広範な戦場でレクティファールを破り、勝利を決定づけるという手段が残されている。
 たとえこの防衛陣地強襲が失敗に終わろうとも――そこまで考えて、グロリエはその思考を振り払った。
 皇国側防衛陣地に攻撃を仕掛けている部隊は、彼女の向かう先でまだ戦っている。
 グロリエの救援を信じ、龍と概念兵器というこの世界でもっとも危険な相手と戦い続けている。
 ならば、彼女のすべきことはただひとつ。
「これ以上、貴様の思惑通りにはさせないぞ」
 ここで自分が戦場に乱入し、皇国の予備兵力である機動部隊を蹴散らす。
 皇国が大事に温存していた予備兵力を叩けるというなら、この戦いも無駄ではなかったというものだ。
「――――」
 グロリエは大きく息を吸い込み、全身を使って叫んだ。
「敵は我らの正面! 帝国最強の名にかけて、蹴散らせっ!」
 それに答えるは、千を超える地鳴りのような雄叫び。
 グロリエはその雄叫びを纏い、戦場へと向かう。

 最終減速、それと同時に防御障壁展開。
「ちぃっ!」
 地面を大きく抉ってレクティファールが地面に降着すると同時に、彼に向けて帝国軍から猛烈な放火が浴びせられた。
 命中弾など期待していない、レクティファールをその場に釘付けにするための攻撃。
 炸裂、炸裂、炸裂。
 地面がめくり上がり、弾痕が穿たれ、破片が飛び散る。
「素人を舐めるな!」
 着地前に溜め込まれた勢いを利用し、跳躍。光が降り注ぐ中で剣と槍を構えた前衛の帝国兵を飛び越え、勢いを殺して着地。直後、移動補助魔法を起動させて地面を滑走。円運動を描きながら、周囲の帝国兵を両手の先から放つ速射魔法で薙ぎ倒す。
「撃て撃て撃て!」
 帝国の指揮官が、銃を構えた兵たちに発射を命じる。
 更には自動人形からの射撃が始まり、レクティファールは再度の跳躍を余儀なくされた。
 防御障壁に自動人形の放つ巨大な砲弾がぶつかり、弾かれる。
「相手は一人! それも極上の得物だ! ここでヤツを討てば俺たちは英雄だぞ!」
「貴族にだってなれる! 金も酒も女も、好きなだけ手に入る! だから殺せ!」
「死ね! 死ね! 死ね!」
 意味のある言葉を叫ぶ者がいれば、特に意味を持たない叫び声だけの者もいる。
 レクティファールは跳躍を繰り返してそれらの帝国兵を撃ち減らすと、大きく跳んで後方へと下がった。
 着地の一瞬。停滞が生まれるはずのそこを狙い、砲兵型自動人形が一発の砲弾を放った。
「行け……!」
 それは恐ろしいほどの幸運を持った一発であった。
 本来なら人を狙って撃つようなものではなく、また命中する可能性も低い。現に砲兵型自動人形の操縦者は砲弾を直接レクティファールに命中させようという意図は持っておらず、至近距離に着弾させて相手を吹き飛ばそうという考えだった。
 しかし砲弾は、操縦者の意図に反してレクティファールへの直撃弾道を疾駆した。
 それこそ、数千、数万分の一の可能性を、その砲弾は勝ち取ったことになる。
 もし仮にそれが直撃していれば、レクティファールは負傷していたかもしれない。彼は砲弾に背を向けており、防御障壁はこれほどの巨弾を想定していない。
 この戦場最大の幸運を得たその砲弾は、戦場の空気を切り裂いてレクティファールの背中の真ん中へと突き進む。
 距離は八〇メイテル。発射から命中まで半秒にも満たない。
 もしも砲弾に意思があったなら、自分は最高の結果を残せると確信しただろう。
 ぐんと近付く白い軍装の背。
 そして命中するというその瞬間、レクティファールに目を向けていた者たち総てがそれを見た。
「――――」
 白い残像。
 髪が踊り、裾が翻る。
 人の目に捉えられないほどの勢いで右旋回したレクティファールは、そのまま裏拳を振り抜く。
 轟音。
 高速飛翔体と高速移動体の接触に空気が悲鳴を上げ、レクティファールを中心に衝撃波が走る。
「――あ」
 その気の抜けた声は誰のものであったか。
 帝国兵は、レクティファールに“殴られた”砲弾が荒地に着弾するのを見、呆然と動きを止めた。
 レクティファールの黒い革手袋が破れているのが見える。それは、レクティファールが防御障壁も使わず砲弾を殴り飛ばしたことを示している。
「なんで、無傷なんだ」
 手袋は破けても、その手の甲には傷一つない。革手袋さえ、すぐに修復されてしまった。
「帝国兵に告ぐ」
 レクティファールの声は帝国兵たちの肩をびくりと震わせた。
 怯え、それだけが帝国兵の目に宿る。先ほどの光景を知らない者たちがレクティファールに向かって銃を構え、剣を構え、槍を構える。
「ここは我国固有の領土である。即刻退去されたし」
 帝国兵が武器を構えると、レクティファールもそれに応えるように両手を広げ、周囲から七色の粒子を集め始める。
 それはレクティファールの周囲で十二個に集まり、やがて帝国兵の記憶にもある兵器の形へと変化した。
 多砲身機関砲。
 七つの砲身を一つに束ね、それによって常識はずれの連射能力を持つ重火器だ。
「――その要求が受け入れられない場合、こちらはそれを強制的に排除する用意がある」
 レクティファールの言葉は、再三に渡って皇国政府が帝国政府に伝えたものだった。
 そしてそれに対する答えもまた、
「断るっ!」
 帝国政府が、幾度も皇国政府に伝えた言葉だった。
 レクティファールは一人の指揮官が青ざめた顔で叫んだ言葉を聞き、目を細める。
「では、これより強制排除を行う」
 三次元力場による空間固定。
 レクティファールの周囲に浮かんでいた十二門の九九式特型多砲身魔導機関砲がその顎門を帝国兵に向け、動きを止める。その後背には三層の魔法陣が輝き、緩やかに回転を始める。
 最初は人の目でも捉えられるほど緩やかな回転。だが、それはわずか数秒で風に悲鳴を上げさせるほどの速度となり、魔法陣に向けて周囲から魔力粒子が集う。
「制圧射撃、開始」
 レクティファールの声が、戦闘再開を宣言した。

 グロリエは遥か前方で瞬く発射光に顔を顰め、部下たちに増速を命じた。

 メリエラは一体の飛竜の背に上方から〈龍の吐息〉を撃ち込んだあと、戦果も確認せずその光の発生源を見詰め、戦闘が佳境に入ったことを悟った。

 ウィリィアはメリエラの背で眼下を見下ろし、たった一人で数百倍の敵と戦う教え子の姿を見据えた。どこか無理はしていないか、そう考える自分に気付かなかった。

 ガラハは中央司令室で縦横無尽に動きまわる空中砲台を駆使し、周囲の帝国兵を制圧する主君の姿を見ていた。圧倒的な暴力、しかし、それも〈皇剣〉の性能の万分の一でしかないのだと気付いた。

 リーデは中央司令室の中で一人、レクティファールの戦い振りに強い憤りを感じていた。レクティファールの戦い方が、自己満足そのものに見えた。

 レクティファールはひたすらに魔力弾を撃ち続けた。止まれば反撃される。反撃は余計な時間を消費させる。だから、反撃を許さなかった。
 自分に向けて飛来する銃砲弾は、防ぎ、弾き、斬り捨てた。回避の時間さえ貴重に思えたのだ。
「――――」
 一体の自動人形が自分に向けて突っ込んでくる。両手を交差させ、魔力弾を防いでいた。レクティファールは一門の多砲身機関砲を移動させ、その頭上から砲弾を見舞った。自動人形は頭部を撃ち抜かれ、痙攣したように増えると地面に倒れ伏した。
 続いて、帝国兵の一団が砲弾の合間を潜るようにしてレクティファールに向かってきた。今度はその一団の後背に多砲身機関砲を移動させ、背後から撃った。
 誰もが砲撃に気付かず、そのまま撃ち抜かれた。
 一人の兵士が胸を貫かれ、倒れる。その口が「かあさん」と揺れたのを、レクティファールは確かに見た。
 仲間の死を見せ付けられた別の兵士が、指揮官の命令も聞かずに塹壕代わりの窪みから飛び出した。
「ああああああっ!」
 槍を構え、地面を蹴り、肩を魔力弾で砕かれても、その兵士は向かってきた。
 だから、レクティファールはその兵士を潰した。重力偏向魔法が兵士の足元に展開され、瞬間で百倍の重力を発生させる。兵士はすぐに潰れた肉塊になった。
 レクティファールは次々と自分に向かってくる兵士を殺していく。そこに日頃の温和な青年の姿はなく、ただ帝国の民が恐れるような悪魔がいるだけだった。
 現に、彼を悪魔、魔物と呼んで憎悪の眼差しを向けてくる兵士もいた。そんな兵士は呪詛を吐き捨てて、撃ち抜かれ、斬り捨てられ、潰された。
 力の暴風。
 古の時代、力ある種族が災害と同列に扱われていた頃に見られた光景だった。
 人間種などの力なき種族が、力ある種族の気紛れで滅んでいった時代。それが、この日再現された。
「悪いとは思いますが、こちらも退けないのです」
 殺さなくては殺される。
 連合との戦いで敗北は国家と文化の崩壊を意味したが、帝国との戦いで敗北は生物としての破滅を意味する。
 生きるために、殺されないために殺す。
 そこに覚悟など一つもありはしない。
 殺すのは、当たり前なのだ。
「できるなら、次に生まれ変わるときは戦いのない場所で生まれてください」
 そして叶うなら、自分の前に現れてくれるな。自分にとって敵は、滅ぼすことが当然なのだから。
「――――」
 だがなぜ、自分は殺しているのだろう。
 そんな疑問がふと意識に生まれる。
 その疑問は少しずつ大きくなり、やがて彼は微かに動きを緩めた。
「レクティファール!」
 それを叱咤するのは、頭上からの声だ。
 光の砲弾が降り注ぐ中で、一騎の銀龍が一直線に下りてくる。
 その背にい女性と視線が絡んだ瞬間。彼は疑問が総て消去されるのを感じた。
「ウィリィアさん」
 呼べば、彼女は銀龍の背を離れ、こちらに飛び降りてくる。勢いは強い、しかし、佩楯に描かれた紋章が光を帯びると、その速度は一気に減衰した。
 剣帯に触れ、二本の片刃剣を両手に握ると、ウィリィアはレクティファールの背後に立つ。
 とん、と触れた背が、生物としての熱を持っていた。
〈レクト、ウィリィア、あとは任せたわよ〉
「――分かりました」
「はい、姫さま」
 レクティファールとメリエラの返答を聞いたのか、すぐさま上昇に転じた。
 その背を自動人形の対空砲火が追うが、レクティファールが多砲身機関砲でその自動人形の頭部を撃ち砕いた。
「レクト」
 制圧完了。
 ウィリィアは自分たちの周囲から当面の脅威が排除されていることを確認すると、レクティファールに頷いて見せた。
 レクティファールはそれに応え、〈皇剣〉の演算速度を引き上げる。
 〈皇剣〉の演算機能は彼の思考をヒトの理解できない速度にまで加速させ、一つの答えを導いた。
「――よろしい」
 レクティファールは広域探測を行い、自軍の自動人形部隊が間近に迫っていることを確認し、その突入と同時に管制車両を押さえることを決めた。
 目標である管制車両の位置は、おおよそ掴んでいる。
 あとは帝国軍の意識が自分と突入部隊に分割されている間に、機人族を確保するのみ。
「そのためには……帝国軍の意識をこちらに向ける必要がある」
 レクティファールは意識内に一つの魔法術式を組み上げた。
 攻撃でも防御でもない。しかし、彼の知る中で人々のもっとも強い想いの込められた魔法。
 彼はただ真っ直ぐに立ち、弾雨の中で詠う。
「――我が声を聞け」
 それが撃発呪文であるかのように、レクティファールは大空に向けて手を翳す。ウィリィアはレクティファールの背に触れたまま、強い眼差しで周囲を睨み付けた。
 兵士たちが集まってきている。片刃剣の柄を握り直し、彼女は腰を落とした。
「――我が願いを悟れ」
 天に差し向けられた手に集まる光は、たった一色。
 メリエラは自分たちの頭上を抑えようと集まってきた飛竜たちの集団に飛び込み、乱戦に陥っていた。銀色の鱗が傷付き、血が舞う。それでも、恐怖はなかった。
「――我が志を知れ」
 その光はレクティファールの声と共に天へと走り、空の一点で花開く。
 皇国軍第〇七〇防衛陣地の指揮所では、表示枠に映る光景に誰もが目を向けていた。自分たちを救うために戦っている主君から、目を逸らすことができなかった。
「――そして」
 光は線となり、混じり、曲がり、繋がり、交錯し、一つの光の紋章旗を空に掲げた。
「――〈我ニ続ケ〉」
 皇国国旗。『星龍旗』が戦場の最前線で翻った。

         ◇ ◇ ◇

〈ヴァーミッテ〉の郊外に建設された皇国空軍〈ヴァーミッテ〉基地。帝国との最前線という立地上、都市の規模に似合わない大規模な空軍基地となっている。
 大型輸送騎の離陸できる滑走路が二本備えられ、配備されている各種飛竜は総数二〇〇。この地域の空の傘を支える主柱だった。
「おーい」
 そこには飛竜を収容する幾つもの竜舎がある。その中の一つから、今一頭の飛竜が引き出されてきた。
 のたのたと歩くその姿は、空を飛んでいるとは違って愛嬌がある。間抜けだという航空騎兵もいるが、ほとんどの航空騎兵はその姿に微笑みを浮かべる。
「〈パラティオン〉への定時連絡だって? いいなぁ、楽しそうな仕事で……」
 飛竜を離陸場まで引っ張ってきた飛竜飼育員が、そこで待っていた飛竜の騎兵に声を掛ける。
 航空騎兵は、飛行服の装具を点検しながらその言葉に笑った。
「楽しそうでも何でも、俺みたいな新米ができる仕事なんてそれくらいなもんだ。俺たちは偵察騎として訓練してるけど、実際には偵察ぐらいしかできないってことなんだよなぁ」
 騎兵は飛行眼鏡を額に掛けると、自分の相方である騎竜の鼻頭を撫でた。
 まだ若いこの飛竜は、〈竜の吐息〉と呼ばれる〈龍の吐息〉に似た亜竜種が得意とする攻撃ができない。つまり、翼下や胴体に懸吊した兵装で戦うしかないのだが、身体の大きさ故に大した量を持ち運べない。
 つまり、いまの彼らにできる任務は偵察と連絡ぐらいだった。
「こいつもアシだけは速いんだ。もうちょっとでかくなれば、花形の戦闘騎にだってなれるさ」
 飛竜飼育員が騎兵を慰めるように言う。
 彼もこの飛竜付きの飼育員で、この若く小さな飛竜を自分の弟のように可愛がっていた。
「だといいんだけどな、俺も皇都奪還戦みたいな大規模戦闘に参加してみてぇよ」
「〈パラティオン〉にはその皇都奪還戦をお膳立てした摂政殿下がいるんだ。もしかするともしかするかもしれないぜ」
「おいおい、今の俺たちじゃ上がった途端に落とされて終わりだよ。もっと先じゃないとな」
「違いない!」
 二人の笑い声が離陸場に響き渡る。
 やがて騎兵の持つ通信機から、管制官の声が聞こえてきた。
〈――ケール〇九、離陸準備〉
「おっと、時間だ。じゃあちょっと行ってくるよ」
「おう、山の方はちょっと吹雪くみたいだから気を付けろよ」
「はいよ」
 騎兵は自らの飛竜に跨ると、離陸場の中心へと飛竜を進ませる。小さな飛竜は、滑走路がなくても離陸できるのだ。
 そこで彼は、装具の最終点検をした。
〈――ケール〇九、離陸を許可する。風は北東、風力二十五〉
「ケール〇九了解。これより離陸する」
 飛行眼鏡を下ろし、身体を飛竜に密着させる。
 軽く腹を蹴ると、飛竜は羽ばたき始めた。
 その羽撃きはどんどん強く大きくなっていき、やがてその身体は大地を離れた。
〈――離陸を確認、高度一二〇まで上昇後、北に向かえ。幸運を〉
「高度一二〇、進路北、了解。――じゃあ、行ってくる」
 彼とその飛竜は、空へと昇っていく。
 飛竜飼育員は帽子を振ってそれを見送った。

 騎兵の名はバルクノイン・ガンツ。
 飛竜の名はカルテン。
 彼らはこのとき知る由もない、自分たちが祖国に齎す衝撃を。
 そして、その衝撃によって発生する大規模な戦闘という歴史も。



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