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第三章:諸国鳴動編
第六話「愛縁機縁」
 パトゥーリアにしてみれば、自分に反旗を翻した軍の者たちは国家に対する裏切り者と同義であった。

 自分こそが〈マルドゥク王国〉の正統継承者であり、彼らはそんな自分に反逆したのだから、その生命で罪を贖うのが当然だと。

 そんなパトゥーリアを支持する者が少数ながら連邦にいたことも、彼の強気な姿勢を支えていたと見て間違いない。連邦にしてみれば、このままパトゥーリアの手綱を握っているだけで念願の海を手に入れることができるのだ。その後ろ盾となることに躊躇いはない。その立場がよりパトゥーリア寄りか、中間派かの違いがあるだけだ。

〈マルドゥク〉の首都を制圧した軍と東部戦線を離脱した軍が合流したと聞いても、連邦にそれほど大きな動揺はなかった。戦線を支える戦力が減ったことで帝国の冬期攻勢を誘発するのでないかという懸念も確かに存在したが、本来の主力である皇女グロリエの第三軍集団を欠いたままの帝国に、積極攻勢に出る気配はなかった。

 やはり、帝国は内輪で揉めている――連邦の国防総省はそう結論付け、情報省と共に大統領に報告書を提出した。

 ただその報告書には、例外として一部の部隊が突出して三国同盟側の出方を探るような動きを見せたとあった。しかし、それも大規模攻撃の前兆というには余りにも小規模に過ぎ、挑発と偵察を目的としたものであると判断された。

 連邦も、この時期に帝国が大規模攻勢に出る可能性は高くないと考えていたし、事実として帝国が動くことはなかった。〈マルドゥク〉正統政府と連邦政府は、戦線から後退し、〈マルドゥク〉首都に向かった部隊が思ったよりも少なかったこと、それによって生じた同盟側の混乱が小さかったことが、ただでさえ緩慢だった帝国の動きを掣肘したのではないかと分析している。

 つまり、パトゥーリアの怒りを無視すれば、状況はそう大きく変化してない。

 少なくとも、多くの人々はそう考えていた。


         ◇  ◇  ◇


 事態が急変したのは、前線に動きがあってからわずか一週間後のことだった。


「我が名はレイヴン、レイヴン・ゲート・ガリウエド。この国、〈マルドゥク〉の正しき王位継承者である」


〈マルドゥク〉王都より大陸全土に向けて、一人の青年が自らの〈マルドゥク〉王位継承を宣言したのだ。

 彼はその場で自らを出自を明かし、自分こそがこの国の正統なる後継者であると告げた。

 当然、青年の言葉を疑った者は多かった。

 軍事政権の主だった面々を背後に並べて演説をしていることから、軍の半分を掌握していることは疑いようもない事実だが、王家所縁の者であるという明確な証拠はない。王家に連なる血統に多い黒翼の持ち主ではあったが、それだけで身の証と看做すことはできなかった。

 確かにその顔立ちは若き日の国王によく似ていたし、覇気に溢れた姿は確かに王家の血を感じさせ、軍の半数を味方に付けた実力はパトゥーリアよりも国王に相応しいのかもしれない。

 実際、〈マルドゥク〉の民は大いに戸惑った。

 武力でもって国を奪取した青年は確かに王者の風格を備えてはいた。それに見合う戦力や、後ろ盾もあるのだろう。どこかの国か、国内の有力貴族か、国民はそんなことを考えながら放送に見入った。

 そのうち、誰かが青年の背後に立つひとりの人物に気付いた。

 深い皺の刻まれた掘りの深い顔立ち。灰色の翼と、同色の髪。陸軍の軍装を纏い、年齢を感じさせない隆々とした体躯。

 幾度も大きな戦功を挙げ、その名と姿を人々の記憶に刻み付けてきた。

 その名を誰かが口にする前に、レイヴンの言葉が人々の意識を奪う。


「我は愚弟パトゥーリアに代わり、この国を統べるべくこの地に舞い戻った。愚弟は父王の散った王都を取り戻すことさえせず、あろうことか民たちの苦労から目を背け、他国に飼い慣らされようとしている。我は一度父王によって都を追われた身、こうして王位を望むことは父への、祖国への裏切りであると思い、今まで名乗りを上げることはなかった」


 しかし、とレイヴンは言う。


「父の忠臣であり、我が股肱の臣でもあるグルジ・ハイレンベルグ。この男は我にこう言った。『祖国を想うなら、主君が先頭に立ち、真っ先に血を浴びるべきである』と」


 グルジ・ハイレンベルグの名に、人々は驚愕した。

〈マルドゥク〉空中騎士団の生みの親にして、この国を西域三国の一角にまで押し上げた立役者。文武に秀で、西域の歴史に深く精通した文化人としても名の通った男だ。

 幾度も叙爵の機会がありながら、それを固辞し続けた高潔の士。軍人たちは国王よりも彼を主君と尊び、戦場では彼のために命を捨てたという。

 そして何より、レイヴンの父王が王位に就けたのは、この男が側に侍っていたからだと言われている。

 グルジがいたからこそ、レイヴンは軍部に少なくない味方を作ることができ、それを秘匿し続けることができたのだ。


「グルジは我が母に付き従い、都を落ちた。それは父王の意思によるものだ」


 母とは誰か、そう考えた者は多い。

 王子を名乗るからには王妃のうちの誰かということになるが、庶子ということも考えられる。しかしグルジという大身が一線を退いてまで守った女性となると、人々の記憶に該当する人物はいない。

 いずれの王妃も、軍事政権による政権奪取の際に処刑されている。軍事政権を率いるレイヴンの母が、その中にいるとは考え難い。

 それ故に、人々はレイヴンの言葉に引き込まれた。この王家の面影を色濃く受け継ぐ青年の母が誰なのか、固唾を飲んで答えを待った。

 レイヴンは懐から短剣を取り出すと、それを人々に示す。


「母の名はイズールド。先王ヴェルヴォ三世の末姫だ」


 短剣に刻まれた『双頭鷲と紫百合』。その紋章を与えられていた美姫の姿を思い出し、人々に衝撃が走った。

 イズールドを知る者たちはここに至ってようやく、レイヴンの姿の端々にその面影があることに気付いた。切れ長の瞳、紅の髪、端正な面立ち。

 しかし、イズールドといえば、王の腹違いの妹ではないか。

 年齢こそ四〇近くも離れているが、実の妹であることに変わりはない。

 人々は目の前の王子が、万人に祝福されて生まれてきたのではないのだと知る。


「その通りだ。父王は妹と情を交わし、そして我が生まれた」


 有翼人にとって、近親間で子を成すことは珍しくない。

 元々彼らは十数人規模でひとつの家族を形成し、その家族ごとに縄張りを守ってきた。それは今も変わらず、家族こそが最も強い繋がりを持つ共同体である。

 そのため、兄弟姉妹の中でたった一人の男子が、他の姉妹を総て妻として娶るという事例も過去には存在した。そして、その風習は今も一部の地域で続いている。

 だからといって、王族が近親間の情交で生まれたというのは、間違っても誇れるものではない。血統的には優れていても、他国の中には近親間の婚姻を禁じている国もある。そういった国々の心証を考えれば、レイヴンの存在は〈マルドゥク〉最大の弱点にもなりかねなかった。


「皆の心配は分かる。我の存在が決して祝されぬものであることも、理解している。だがそれでも、我はこの国の王として立とうと思う」


 レイヴンは放送を見守る国民たちに向け、真っ直ぐな眼差しを向け、真っ直ぐに自身の本心を吐露した。

 パトゥーリアは大仰な仕草で声を張り上げる種類の男であったが、レイヴンは一つ一つの言葉を印象付ける。


「それは、それこそが我が母の願いだからだ」


 レイヴンは短剣を懐に仕舞うと、静かな声で語り始めた。


「母は、我を産むと同時にこの世を去った。故に、我は母を知らぬ。我にとって母というのは、このグルジの連れ合いであるカミアンのことだ」


 だが、母を知らぬとはいえ、自らに流れる血の宿命から逃れるという考えはない。

 自らの血には、この国を守り、栄えさせるという役目がある。


「両親が揃って国家の守護者たる王家の嫡流であること。そして今、この国が一つの危機に瀕していること。我はこれを天の采配と思う」


 レイヴンは拳を握り、それを天に掲げる。

 これまで見せたことがない、力強い動き。自然と、人々の目がレイヴンに集まる。


「我は逃げぬ! 愚弟よ、帝国よ、我国と民に血と涙を求めるというなら、我がそれを阻んで見せよう! マルドゥク万歳! 我らが故郷に未来を!」


 レイヴンの咆哮に、彼の背後に立っていた者たちが唱和する。

 轟、と空気が震えるほどの大音声だ。


「マルドゥク万歳! 我らが民に栄光を!」


「マルドゥク万歳! 我らが王に勝利を!」


 いつしか、投影機の前に並ぶ国民たちの間からも、「マルドゥク万歳」の声が上がり始める。

 ここ数世代現れなかった強い王。自分たちを引っ張り、導く者の到来に彼らの中の有翼人の本能が歓喜の声を上げた。

 群れを統率するのは強い個体でなくてはならない。有翼人に限らず、生き物として当たり前の大原則に合致した指導者を得た〈マルドゥク〉の民たちが――たとえ彼らに紛れた煽動者がいたとしても――熱狂するのも不思議ではない。

〈マルドゥク王国〉はこれまで、帝国との戦争によって多くを失い、抑制されてきた。戦いに勝つため、生き残るためとはいえ、国民に自らの欲望を抑えることを強いてきたのだ。

 増大する軍事費。軍に引き抜かれる若者。いつ終わるとも分からない戦争。停滞する経済。

 我慢に我慢を重ねてきた国民にレイヴンの姿はどう映るのか、自らを取り巻く苦境からの解放者ではないだろうか。

 軍事政権の政権奪取以降、他国の庇護下にあり、一度も帰国していないパトゥーリアに較べれば、今こうして王都から声を発しているレイヴンのなんと凛々しいことか。

 しかし、ふと冷静になった者たちは一つの疑問を抱いた。

 レイヴンが軍事政権を影から操っていたというなら、軍事政権が政権奪取直後に行った王族の処刑は彼の意思で行われたことになる。

 彼らが見つめる先、人々の歓声に手を上げて答えるレイヴンは、歓声が落ち着いた頃合を見計らって口を開いた。


「だが、我は諸君らに謝らなくてはならない」


 レイヴンは目を伏せ、沈痛な面持ちで続ける。


「――この義挙の当初、我は自らの臣下の過ちを止めることができなかった。彼らは自らの欲望を叶えるため、我らの義を利用して父を、我が一族を手に掛けたのだ」


 彼はそう言って、三人の貴族の写真を投影して見せた。


「カノピエス侯爵、ブルグムント伯爵、フォ=マガスト伯爵。彼らが父と一族を弑した」


 レイヴンが示した三人は、いずれも軍事政権に深く関わっていた大貴族だ。

 これまでは軍事政権の中枢を担っていた者たちでもある。


「彼らは、我が父や前政権の担い手たちの無能が許せなかった。民たちに苦労を強いていることを理解しなかった父。それを諫めることを忘れ、自らの権力のみを求めた奸臣ども。そして王族という自らの地位の持つ権利のみに甘え、その義務を忘れた一族の者たち。彼らは父や一族、奸臣たちの死をもってしか、この国を救えないと考えたのだ」


 両腕を広げ、レイヴンは吼えた。

 眦に涙を溜め、震える声で。


「彼らはすでに自らの命でもってその罪を贖った! 我らの進む道を、その血で雪いでくれた! ゆえに、我はもう彼らを責めることはしない。ただ、この国を見守っていてほしいと願うだけだ!」


 レイヴンの声が途切れ、沈黙が満ちる。

 そんな中で、少しずつ少しずつ人々の声が、〈マルドゥク〉万歳、レイヴン殿下万歳と形を作り始めた。

 その声はやがて一つの波に乗り、いつしか巨大なうねりとなって人々を包み込む。

 先ほどの歓声よりも大きな、喊声。

 自らの国を、自らの君主を讃える声は、レイヴンが満足げに頷く中で〈マルドゥク〉全土に広がっていった。


        ◇ ◇ ◇


 こつん、という音に、彼は顔を上げた。

 音のした方向を見れば、上司にして主君である摂政レクティファールが磨き上げられた錆壇の机に、直方体の青銅の文鎮を転がしていた。

 レクティファールがお忍びで街に出たときに市場で見付けてきたという文鎮は、極々簡素な意匠でこれといった特徴はない。その分、純粋な文房具としては使い勝手がいいようだ。


「――何かございましたか?」


 彼――摂政秘書官としては中堅どころである首席秘書官補のディリス・サザナミは、魚鱗人系イズモ人――彼の両親はイズモからの移民だった――に多い両目の離れた顔に疑問符を浮かべて、主君に訊ねた。

 ここ数日、ディリスの仕事にこれといった変化はない。そして、これから一週間程度も大きく変化する予定はない。摂政の副官として公的業務の補佐を行う彼らの仕事に変化がないということは、摂政の公務に何か問題が発生したとは考えにくい。もし問題があれば、彼ら秘書官は一週間から二週間は皇城に泊り込むことになっている。

 ディリスはレクティファールが決済した書類をそれぞれの部署に送る紙箱に収め、主君の言葉を待つ。

 秘書官は雑用係としての役割も負っている。秘書官長が市場まで甘味を買いに走ったこともあれば、逆に新人が急遽報道官として記者会見に駆り出されたりすることもあった。それだけに秘書官たちは各分野に精通した熟達者が集められているが、摂政に何か命じられるときは誰もが緊張する。

 ついこの間も、秘書官になったばかりの炎狐族の女性が帝国よりさらに北にある北冠大陸に派遣され、現地の小国との貿易協定の締結を命じられたことがある。外務院の外交官と共に派遣されたのだが、獣人の中でも寒さに弱いとされる炎狐族にとってはこの世の地獄だったらしい。


「いや……存外自分も女々しいな、と」


「は……?」


 レクティファールの自嘲気味な台詞に、ディリスは返す言葉がなかった。肯定するにも否定するにも、情報が足りない。

 ディリスは同僚に思念通信を接続するか悩み、悩んでいるうちにレクティファールは仕事を再開してしまった。


「ディリス秘書官」


「は」


 資料片手に書類の精査を行うレクティファールは、顔を上げないまま言った。

 ディリスは書類箱を乗せた台車の傍らで、直立不動の体勢になる。


「あと一時間もすれば、白龍公と皇国騎士ハルベルンが登城します。それまでにこの資料を揃えておくように」


 レクティファールが差し出した用箋には、数冊の外交資料集と法務資料が名を連ねていた。どれも皇城の大文庫と資料庫に保管されているものだ。

 手の空いている同僚の手を借りれば、ものの半時間で揃えられる。


「複写資料は必要ですか?」


「いえ」


「了解しました。それでは、三〇分ほど頂いてもよろしいでしょうか」


「ええ、良いように」


 レクティファールの返答に一礼して、ディリスは台車を押して隣の秘書官室に戻る。

 そこでは、五名の同僚がそれぞれの机で仕事をしていた。

 ただ、上座にある秘書官長の机は主不在で、皇王府の渉外担当者と打ち合わせがあると言っていたのを思い出す。

 ディリスは同僚たちの中から手空きの者を探し、磁碗片手に文庫本を開いていた同僚に声を掛ける。皇王府からの出向組で、ディリスと同じく中堅どころの秘書官だ。専門は物流を主とした軍政と聞いている。


「カーツウェイル、殿下に資料を頼まれたが時間が押している。手伝ってくれないか?」


「なんだって?」


 カーツウェイルと呼ばれた薄い金髪の男性秘書官は、飲み始めたばかりの黒豆茶とディリスを交互に見詰め、一つ溜息を吐いて立ち上がった。

 ハイエルフ族らしい翅脈の浮かんだ羽が、不機嫌そうに羽撃く。深緑の瞳は、これまた不機嫌そうに細められていた。


「君は僕の休憩時間を何だと思ってるんだ」


「貴重な時間だと思っているよ。そして同時に、君が殿下の忠臣だということも知っている」


 ディリスの答えに、カーツウェイルはぐっと言葉に詰まった。

 カーツウェイルは皇王家の運営する孤児院で育ち、妹を皇王家の奨学金制度で高等専門学校に通わせている。そして、自身も皇王家からの支援で高等専門学校よりも高位の、特別専門学校の経済学部に通っていた。

 皇王家に対する忠誠心という点では、ディリスよりもよほど厚い。当代皇王の下でも最後まで皇王府に残って職務を行なっていたほどだ。


「分かったよ、休憩時間はずらせばいいだけだ」


「助かる」


「よく言うよ」


 磁碗を置き、カーツウェイルは上着を羽織って準備を整える。

 大文庫も資料庫も除湿や温度調節の魔法術式は働いているが、室温は害虫の発生を抑えるために低く保たれている。そのため、夏場は用事もないのに屯する皇城職員がいるらしい。


「で、どんな資料だい?」


「そうだな、一言で言えば――貴族家の養子縁組と他国との縁組、かな」


 ディリスは渡された用箋を眺めながら、呟いた。


         ◇ ◇ ◇


 主人と共に登城したアルフォードは、扉の向こうにいるであろう主君の考えがまるで分からなかった。

「白龍公と共に指定の時刻に登城せよ」と命じられ、約束の一時間前にリンドヴルム公爵家の皇都屋敷を出て皇城差し回しの魔動車に揺られること数分。

 正門を潜って皇城に入ったはいいものの、主人さえその理由を知らされていなかった。

 何か問題が起きたのかと眉間に皺を寄せる主を横目で見ながら、アルフォードはここまで来た。

 扉の両隣に立つ近衛兵に会釈をすると、ここまで二人を先導してきた女性秘書官が扉を叩く。


「殿下。白龍公カール閣下、皇国騎士侯ハルベルン卿がお見えになりました」


「分かった」


 扉横の晶盤からレクティファールの声が聞こえると同時に、扉の鍵が開く。

 秘書官が扉を開けて部屋に入ると、二人はそれに続いた。

 扉を抜け、揃って一礼。

 レクティファールは執務机から立ち上がって二人を出迎えると、応接用の革椅子に二人を招いた。

 その抑揚のない声に、主従は揃って眉を顰めた。


「――飲み物は何がいい? きついものもあるが」


「いえ、まだ仕事がありますので、黒を」


「自分も同じ物を」


 レクティファールに訊かれ、二人は揃って黒豆茶を求める。

 頷き、レクティファールは秘書官に小さく頷いてみせた。


「はい、すぐに」


 秘書官は隣室に消え、摂政執務室は沈黙に支配された。

 暖房が抑えられた部屋は少し肌寒いが、三人とも寒さには強い。それを知っていたから、来客前でもレクティファールも暖房を強めなかったのだろう。

 カールはレクティファールが革椅子に深く腰を落ち着けるのを確認し、低い声で口火を切った。


「何かございましたか、殿下」


「問題、といえば問題でしょうが、そうでもないといえばそうでもない事態が起きました」


 口調を改め、レクティファールは二人の前に資料を置いた。

 資料に記された題名を読み、二人はレクティファールを見詰める。

 過去百年間の国家間政略婚と、それに付随する両国の動向。そして、国家間政略婚の法的解釈を纏めた資料の数々。

 法が異なる国家同士の婚姻は、それ相応の調整が必要になる。共通した宗教を持っている場合を除けば、それぞれの国内法を改正する場合もあった。

 これを持ち出してきたということは、新たに法を調べ、改正する必要のある相手との婚姻か、資料が古過ぎて当てにならない相手との婚姻ということになる。


「何処かの姫でも娶られますか? 当家と付き合いのある国でしょうか」


 カールはそう仮定した。

 レクティファールはカールの娘たちとの婚礼を半年後に控えた今、新たに他国との婚礼話を抱える考えはないようだ。だが、周囲が色々手を回したのかもしれない。

 アルフォードを伴わせたのも、ハルベルン家が主家の名代として様々な国へ顔繋ぎに赴いたという経歴を知ってのことだとカールは考えた。


「いえ、違います」


 しかし、レクティファールは首を振り、カールの推測を否定した。

 では、一体何のために自分たちを呼び出したのか、そう問い質そうと口を開きかけたカールだが、それを遮るようにこんこんと扉が鳴る。

 レクティファールが入室を許可すると、秘書官が三つの磁碗の乗った台車を押して、執務室に戻ってきた。


「どうぞ」


 白磁の器に揺れる黒豆茶。黒茶豆クラーフの芳香が部屋に広がった。

 手馴れた様子で牛乳と砂糖の小瓶を起き、受け皿に小匙を添えて三人の前に並べる。


「それでは、また何かありましたらお呼び下さい」


「うん、ご苦労」


 秘書官はレクティファールの労いに再度一礼して、部屋を退出した。

 扉が閉まったことを確認し、カールが口を開いた。


「では、〈マルドゥク〉関係ですか」


 先ほどの〈マルドゥク〉王子レイヴンの放送は、屋敷にいたカールも目にしている。外務院に奉職している知人にことの真偽を確認した程度だが、西域という皇国の影響力の少ない地域でのできごとということもあって、政府の対応を見守るつもりだった。とはいえ、政府に請われれば協力するし、皇王家に何らかの役目を命じられれば否やはない。

 西域となれば蒼龍公マリアの方が顔が利くが、カールも伝手がないわけではなかった。


「そうですね、あの国に関わりのあることです」


 レクティファールの肯定に、カールは居住まいを正した。

 自分をわざわざ呼び寄せるのだから、それが単なる世間話の延長であるはずがない。

 隣のアルフォードも、おそらく初めて見る義息のもう一つの姿に若干の戸惑いと、緊張を見せていた。


「では、詳しい話を」


「――ん」


 レクティファールは黒豆茶の入った磁碗を手に取り、少し悩むような素振りを見せた。

 それがカールには意外で、また不思議であった。

 この部屋にいるときのレクティファールは、良くも悪くも君主としての役目を全うしている。カールの知る限り、君主としての判断が必要な場面でレクティファールが迷ったことはない。

 若いレクティファールがそれなりに君主としての役割をこなしていられるのも、その決断力があってこそだ。もちろん、私生活に関してはカールの関知するところではない。


「殿下」


 カールはもう一度レクティファールを促した。

 次はもっと強い言葉で諫めるつもりで。


「ええ、分かりましたよ。だからそう怖い顔で睨まないでください」


「――これは地です」


 カールに睨んでいるつもりはなかった。

 ある程度付き合いのある者しか分からない、少し拗ねたような声で、カールはレクティファールに答えた。


「それは失礼」


 レクティファールは磁碗を受け皿に置き、足を組み直した。

 そして何の前置きもなく、切り出す。


「ウィリィア・ハルベルンに、婚礼の話があります」


 カールとアルフォードが同時に、呆けたように口を開いた。

 その表情は、レクティファールが後々に亘って話の種にするほど、間抜けなものだったという。


         ◇ ◇ ◇


 レクティファールの言葉からちょうど一分が経過した頃、先に意識を取り戻したのはカールだった。

 隣のアルフォードは相変わらず呆けたままで、身動きひとつしない。


「――それは、殿下と……でしょうか」


 カールの言葉は彼なりの確証があってのものだった。というよりも、二人を知る者たちならそれなりに抱いている確証だが。

 アルフォードが年頃の娘に結婚話を持って行かないのも、持ち込まれるそういった話を断り続けられるのも、総ては目の前の青年あってのことだ。

 すでに深い仲であるとか、正妃の婚礼の儀のあとに側妃入りする予定であるとか、実はもうレクティファールの子どもを身篭っているとか、そういった噂が出るくらい、傍目には互いを想っているように見える。

 もちろん、カールはそれらが噂の域を出ないことを知っているが、別に否定するほど的外れでもないと考えていた。それよりも積極的に噂を利用し、レクティファールに甲斐性を身に付けさせようと色々考えていたほどである。


「いえ、違います」


 そのため、そうレクティファールに否定されたとき、カールは何とも言い難い喪失感を味わった。

 そしてその喪失感の理由を考えたとき、あの二人の遣り取りが自分にとって当たり前のものになっていたのだと気付いた。

 重責ある君主の立場を全うするには、ああいった気が置けない仲の誰かが必要なのかもしれない。それが友情か恋情かの違いはあるにせよ、カールとアルフォードの立場も似たようなものだ。


「相手は先ほどカールが言った、〈マルドゥク〉の王子レイヴン殿です」


 その名を聞いて、カールはレクティファールが話を切り出すことを躊躇った理由が分かった。

 あの国はあまりにも不安定な地域であり、相手もまだその手札総てを明かしているとは言い難い。


「何故、とお訊きしてもよろしいでしょうか」


 そう口に出したのは、カールの隣でいつの間にか意識を回復し、黙って俯いていたアルフォードだ。

 カールはその態度に剣呑なものを感じ、目を剥いた。不味いと思った。


「アルフォード、御前であるぞ」


 そう強い口調で制しても、アルフォードは少しも堪えた様子はなかった。

 それだけの胆力があるからこそ、カールはアルフォードを重用して来たのだ。


「レイヴン王子側からの申し出、ということもありますが……それが現状でもっとも国益に叶うと判断しました」


 レクティファールは常と変わらぬ静かな口調だった。

 これといって動揺している様子はない。


「レイヴン王子……娘を知っておられたと?」


「詳しいことは知りませんが、以前皇国に密かに訪れた際、会ったことがあると」


「――存じがけぬことです」


 アルフォードは記憶を探るようにこめかみに手を遣り、頭を振った。

 彼が知らないということは、もしかしたらウィリィアも憶えていないことかもしれない。


「しかし殿下、ウィリィアでは家格が……」


「一度リンドヴルム公爵家に養女として入って貰います。その後、メリアの義姉として嫁ぐ予定です」


 なるほどな、とカールは思った。

 四公爵家の養女、それも次期皇妃の義姉となればそれなりに釣り合いは取れる。

 少し調べればメリエラとウィリィアが実の姉妹同然の付き合いをしていることは分かるし、それだけに人質としての価値もある。巷に流れるレクティファールとの噂も、彼に対する人質としての価値をウィリィアに持たせていた。


「もう決まったことなのですか」


 カールは指を組み、レクティファールの瞳をじっと見詰めた。

 その言葉の真意は、「あなたはそれでいいのか」という一言に尽きる。

 ここでレクティファールが「本決まりではない」といえば、おそらく外交の手札としてウィリィアを使っているに過ぎない。

 しかし、


「交渉段階ではありますが、条件が折り合えば」


 レクティファールの回答は、消極的な「是」だった。

 条件の内容はおそらくカールにも明かされないだろう。だが、他にも訊かなくてはならないことがある。


「しかし、今この婚儀を公にすれば、〈マルドゥク〉の亡命政府が黙っておりますまい」


 正統政府側がレイヴンの存在を認めていない以上、この婚儀によって皇国がレイヴンの率いる軍事政権を〈マルドゥク〉の正統な政府と認めれば、当然正統政府とその背後にいる〈アルストロメリア民主連邦〉は黙っていない。間違いなく婚約解消と謝罪を求めてくるだろう。

 正統政府だけならまだしも、連邦とことを構えるのは得策ではないように思えた。


「〈マルドゥク〉の国内法を調べました。ですが、レイヴン殿が何らかの理由で王族籍を剥奪された訳ではないので、父である国王が彼の存在を認知していたという証があれば……」


「王位継承権は発生すると、そういうことですか」


「はい。〈マルドゥク〉の最高法院が王籍復帰を認めれば、年齢的にも血統的にもパトゥーリア殿より上位の継承権が発生します」


 最高法院には王族の籍を管理する部署がある。そこでレイヴンの血統や父王の認知状況などを確認し、結論が出されるはずだ。


「国王陛下はレイヴン殿下の存在をご存知だったのですか」


 カールの疑問には、すぐに答えが与えられた。


「放送でレイヴン殿が見せた短剣。あれのなかごに『まだ見ぬ我が子へ』という言葉が刻んであったそうです。短剣自体が紋章を刻んだ身の証のようなものですし、おそらくは認められるでしょう。最高法院はこの内乱で中立的な立場ですが、それだけに正統政府の思惑に乗る可能性は低いと言わざるを得ません」


「どちらかに付けば、負けたときに権力を奪われますからな。中立であれば、法を司っている以上どちらも手は出し辛い」


「そういうことです」


 皇国としても、連邦が予想よりも強い姿勢で西域への影響力拡大を図っていることに危機感を抱いていた。

 連邦の悲願である海の獲得。既に正統政府との間に幾つかの港を租借する約定を交わしているという情報もある。

 西域はトラン大陸との交易で中継基地としての役割を負っている。皇国系資本の船も多く出入りしているし、今は海軍の遣西艦隊が駐留している。艦隊の艦の入れ替わりはあるものの、西域の海に対する影響力という点では実際に軍を派遣している皇国が一歩先んじていると言っていい。

 陸では増強一個旅団程度の戦力が在留皇国民の安全を確保するという名目で駐屯しているが、連邦がすでに一個師団程度置いている部隊を更に増強する構えを見せており、先の状況は不透明に過ぎる。


「我国としては、連邦にこれ以上西域に深入りしてもらっては困るのです。あの国には一時の熱情に任せて無茶をする性質がありますから」


 その熱情で、皇国は亡国の危機に瀕したのだ。

 熱情が悪とは言わない。それこそが民が国を動かす原動力でもある。

 しかし、帝国という巨大な敵と相対しているときに余計な火種は抱え込みたくない。


「連邦には内密にレイヴン殿への鞍替えを打診しています。結果は何とも言えませんが、今後の戦局次第で変わるでしょう」


 敵として戦うならレイヴンの方が手強いだろうが、今はまだその心配は必要はない。

 あの混乱した西域で〈マルドゥク〉を纏める力量を持っているのは、パトゥーリアではなくレイヴンであるとレクティファールは見ていた。


「――レイヴン殿下は、どのような人物ですか」


 アルフォードが、ほんの少しの沈黙を挟んでレクティファールに問う。

 表情には複雑な心境が表れており、カールはそれを慮って顔を伏せた。


「中々のやり手、としかまだ答えられません」


 レクティファールの言う「中々」の基準が若干高い位置にあることを、二人は知っていた。

 周囲が傑物ばかりのレクティファールの基準は、他よりも高い。


「ただ、自分が国を握ったとき邪魔になる者たちを揃って消してしまう程度には、優秀なようですが」


 三人の大貴族を処刑したことを指しているのだと、二人は気付いた。

 大領を持つ貴族で、軍事政権の重鎮。当然、レイヴンが国王となった暁にはそれなりの地位を約束されていたはずだ。

 そして、国王と王族の処刑について総ての真相を知っている者たちでもある。レイヴンにとっては、利用価値はあっても最後までは抱えていたくない連中だろう。


「レイヴン殿の言葉について真偽はこの際どちらでもよろしい。問題は、〈マルドゥク〉の民がそう信じていることです」


 国王が処刑されて以来、身の安全のためと嘯いて他国から口を出すばかりの第三王子と、かつての英雄を従えて王都から自らの存在を発した廃王子。

 そもそもの原因が廃王子率いる軍事政権側の政権奪取だということは忘れ去られ、今や〈マルドゥク〉はレイヴンを新国王として生まれ変わろうとしている。

 これでレイヴンが単なる煽動者であるなら皇国が横槍を入れる余地もあるのだが、国軍司令官に任命される予定の英雄グルジや王都に残っていた貴族たちを纏めているレイヴンの実力は本物だ。

 グルジがそういった教育を施していたことは間違いないだろうが、その教育以上に彼を輝かせる覇気と才能は、両親ともに王家の嫡流という血統故か。


「少なくとも今は、レイヴン殿に首輪を付けるためにも、向こうの提案に乗るしかありません」


 帝国側に寝返るとは考え難いが、可能性は皆無ではない。

 それに、この話は皇国にも益がある。


「レイヴン殿は自らが国王となった場合、我国との同盟条約締結を望むと言っておられました。これは軍事・経済二つの面での同盟です」


 軍事同盟は分かる。帝国に相対するためだろう。

 ならば経済は、ということになるが、レイヴンは自らの国の立地を生かし、貿易拠点として国を発展させるつもりのようだった。

 アルマダ大陸からトラン大陸、さらに遠方の大陸に向かうとなれば、西域はその中継地として適している。レクティファールが国内に建設を進めている港湾都市も同じような目的で建設されているが、大陸の西と東ということもあって直接競合するようなことはない。むしろ、西方貿易、東方貿易それぞれの拠点として共栄できるかもしれない。

 両国の発展のため、そのための保険として、今回の婚儀が持ち上がったのだ。


「そういうことですので、お二人には色々準備を進めて頂きます」


 カールはこの時点で、レクティファールを翻意させるという考えは捨てていた。

 レクティファールは国主としての判断を下した。ならば、カールはそれに従わなくてはならない。

 たとえそれが、もう一人の娘と言っていいウィリィアを人質として送り出すことだとしても。


「――御意のままに、取り計らいましょう」


 カールはそう頭を下げ、レクティファールの命を受けた。

 しかし、アルフォードは、未だレクティファールを見詰めたままだ。カールは友人の足を軽く叩き、受命を促した。

 アルフォードは、頷かなかった。本人さえ密かに驚いていた。


「本当に……よろしいのですね」


 万感の想いを込めた、たった一つの問いかけだった。

 本当にいいのか、と怒鳴りたい気持ちだった。

 誰が決めたでもなく、ただ『なんとなく』、この青年と娘は今と同じか、それよりも少しだけ近い関係のまま過ごすのだと思っていた。

 アルフォードの目から見れば、ウィリィアがレクティファールを憎からず想っていることは一目瞭然。疑いの余地など一片もない。

 あの主君一筋だった娘が、小言を漏らしながらもハルベルン邸のレクティファールの部屋を掃除し、ルイーズに教えてもらいながら騎士学校に差し入れる弁当を作っていた。それがアルフォードには驚きで、妬ましく、嬉しかった。

 あの主君の母を守れなかった一件以来、ウィリィアは何処か死に急いでいるように見え、アルフォードは何とか娘に人としての幸せを掴んでもらいたいと方々に手を尽くしていた。

 何度も見合いの席も設けたし、好男子がいると聞けば自分の目で確かめることもした。軍ならば或いは、と思い、軍学校にも入れた。

 しかし、ウィリィアは変わらなかった。

 いつまでもメリエラだけを見て、自分を顧みることをしなかった。

 それを変えたのが、レクティファールだ。

 メリエラをウィリィアから取り上げるという形ではあったが、ウィリィアの目を自分に向けることに成功した。

 そしてのらりくらりとその怒りを逸らしながら、少しずつウィリィア自身に近付いた。そして今では、誰よりもウィリィアの近くにいる。おそらく、アルフォードよりも近いところに。


「――ズルイな」


 レクティファールの小さな声は、カールにも聞こえた。

 やはりそうなのかと思い、それでも彼は顔を上げなかった。聞こえない振りをした。


「アルフォード」


 レクティファールは義父の名を、摂政としての声音で呼んだ。

 先ほどの呟きが、彼の本心総てだったかのように。

 アルフォードはもう、それ以上の言葉を求めなかった。レクティファールの一言は、彼には十分過ぎる言葉だ。


「御心のままに、殿下」


 妻をどう宥めようか――頭を下げたアルフォードの脳裏には、そんな独り言が浮かんでいた。


         ◇ ◇ ◇


 レクティファールが後宮に戻ったとき、彼は予想通りの光景に苦笑した。

 誰が漏らしたのかとは考えもしなかった。こうなるような気がしていたのだ。


「――レクト、わたしたちの言いたいことは分かる?」


 回廊に居並ぶ彼の婚約者たちは、何とも剣呑な眼差しで彼を見詰めていた。

 そこにはレクティファールに対する微かな敵意と、多くの悲しみがある。


「分かりますよ」


「そう……」


 メリエラはそう言ったきり、何も言わなかった。

 自らの従者の身に降りかかった出来ごとが、士族以上の子女には珍しくないことであると分かっていた。

 こうして好き合った相手と過ごせる自分は、いくつもの幸運を積み重ねた上にいるのだと、彼女は知っている。

 そんな幸運は、何度も、誰にでもあるものではない。


「まだ本人には伝えていないのでしょうか?」


 リリシアは第一妃として、もしかしたら自らの義姉になったかもしれない女性の行く末を案じていた。

〈マルドゥク〉が未だ情勢不安の只中にあることは次期皇妃の誰もが知っている。


「アルフォードが伝えるそうです」


 あのあと二人きりで話したとき、家長の役目だと言った義父の哀しそうな顔。本来ならもっと喜んでやるべきなのにな、と小さく漏らしたアルフォードに、レクティファールは掛ける言葉がなかった。

 自分が間違っているのではないかと思い、そもそも正解など存在しないのだと思い出した。

 君主の行いに間違いはあっても、正解と呼べるものは見当たらない。君主の決断には、「正解に近い当たり前」と「間違い」の二つしかなかった。

 できればいつか「正解」を見付けたいものだと、レクティファールは密かに考えているが、それも遠のいた。


「何、まだ決まったわけではないのだろう」


「本決まりまでは、箝口令を敷かなくちゃね」


 フェリエルとファリエルはそう独語し、レクティファールの上着を脱がせる。

 珍しい二人の微笑に、レクティファールは困ったように笑った。


「優しくて怖いのですが」


「――ん、たまには余裕、見せておかないと」


 オリガがレクティファールに両手を伸ばし、抱き上げろとせがむ。

 言われるがまま抱き上げれば、頭を撫でられた。


「――本当に、何があったのですか?」


「別に、ウィリィアに勝ち逃げされたとは思ってないよ。ボクたちはレクトの意思を信じるっていうだけ」


 フェリスがそう笑んで見せると、レクティファールは今度こそ困惑したような顔になった。

 責められるような気がしていた。だが、何故かこうして決断を受け入れてもらっている。

 レクティファールの表情を笑い、リリシアとメリエラは顔を見合わせた。


「わたしたちはあなたの妃で――」


「――龍だもの、あなたの決めたことならそれを信じるし、あなたが何かを為したいというならその助けになる」


 女としてならいくらでも言いたいことはある。

 だが、今はまだそのときではない。


「後悔しないように――わたしたちがレクティファール様に望むのはそれだけです」


 リリシアの言葉が、レクティファールには酷く重かった。




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