第一章:皇国動乱編
第一章ダイジェスト:第十話~第十八話 後編
〈皇都奪還戦〉
皇国戦史に燦然と輝くこの戦いは、のちの時代の陸戦に大きな影響を与えた。
大規模な航空戦力を打撃部隊として用い、その援護の下で陸戦部隊を進撃させる。それだけであればこれ以前の戦いでも見られた戦術だが、そこに投入された戦力を見れば、航空射爆こそが本命であり、陸上戦力の投入は最後の一手であったことが分かる。
この戦いでは〈偉大なる凡将〉として名の残るベルファイル・ハウサー元帥が、初めて摂政レクティファールの下で働いた。前線指揮官としては凡庸そのものの彼だが、その実力は決して他の三元帥に劣るものではなかった。
新生近衛軍の父としても知られる彼は、レクティファールの臣下として近衛軍を一線級の軍隊に育て上げ、その功績をもって始原貴族の一角に叙せられることになる。
彼の孫であるエルウィン・ハウサーが近衛軍元帥として元帥剣を受け取った際、彼は「必ず祖父を超えてみせる」と全軍の前で演説したというのは有名な逸話だが、それほどまでに、近衛軍でのベルファイル・ハウサーの評価は高い。
◇ ◇ ◇
〈アルストロメリア民主連邦〉首都〈アニュア〉。
都市中心部での人口六〇万を誇るこの大都市は、旧帝国崩壊後のアルマダ大陸でもっとも早く高層建築物が建設された都市として世界に知られていた。
民主主義を掲げ、当時この地を支配していた大国、〈神聖メルキトル王国〉に対して独立戦争を仕掛けたアニュア・ハイスト。彼は二〇年にも亘る独立戦争を王国政府打倒と王国の崩壊という最高の結果で終わらせ、皇国歴でいう一八〇八年に〈アルストロメリア共和国〉の樹立をこの地で宣言した。
彼の死後、共和国は急速にその版図を拡大した。武力行使をも辞さない強硬姿勢で同じく〈神聖メルキトル王国〉から分裂した周辺国を『民主化』し、その国家群を取り込み〈アルストロメリア民主連邦〉へと国号を変えた。彼らが今のように内政に全力を投じるようになり、外征を控えるようになったのはここ五〇年のことであり、それも〈アルトデステニア皇国〉や〈新生アルマダ帝国〉という大国と国境を接することになったからということと、度重なる侵略戦争で国民に厭戦気分が漂い始めたからという理由だった。
ただ、アニュア・ハイストの掲げた民主主義は周辺国にも飛び火し、アルストロメリア民主連邦の周辺には同じく民主主義を掲げる国家群がひしめき合うこととなった。
それらアルマダ大陸民主主義国家群が隣国の独裁者を討つという名目で軍を発してから八ヶ月余り、皇国歴二〇〇九年黒の第二月二六日午前三時〇五分の連邦国務省に一人の老人が現れた。
中肉中背、灰色の髪をきっちりと撫付けたその老人の肩書きと名は、〈アルトデステニア皇国〉外務院所属、〈アルストロメリア民主連邦〉駐箚大使ウィルコット・ハース。
彼は迎えに現れた国務省職員に案内され、国務省の最奥へと進んでいく。
そんな彼の持つ鞄の中には、この〈アルストロメリア民主連邦〉の運命を左右するであろう封書が大切に収められていた。
「――皇国の大使殿は、確かアンバー・フォイツ殿ではありませんでしたかな」
長官公室に通されたウィルコットに対して高級そうな革椅子を勧め、世辞と挨拶もそこそこにそう切り出したのは〈アルストロメリア民主連邦〉国務長官ガートンだった。彼は不機嫌さを隠さず、このような時刻に自分を呼び出した無礼な来客に対して冷ややかな目を向けている。
だが、ウィルコットの表情は穏やかなものだ。ガートンの言葉などどうとも思っていない、そんな態度だった。
ウィルコットはその態度を崩さないまま、ガートンの疑問に答えた。
「彼は昨日本国へと戻りました」
「ほう……それはまた急な話ですな」
ガートンは不機嫌なままだ。
「申し訳ありませんな。本来ならご挨拶の一つもしなくてはならないというのに……」
「いえ、貴国の状況であれば仕方がありますまい」
ガートンの目に微かな嘲りが浮かぶ。
国を割って内乱中をしている皇国に対する嘲弄だった。お前たちのせいで余計な苦労を背負い込んだのだとその目が言っている。だが、それは逆恨みもいいところだ。ガートンは元軍人であり、そのせいかは分からないが、連邦内の皇国侵攻推進派の先鋒だった。軍人時代に築いた繋がりで軍部にも大きな影響力を持っている。今回の連合軍編成に関しても、彼が中心になって旗を振っていたらしいとウィルコットは聞いていた。
ただ、ウィルコットはガートンの言葉にも態度にも一切の揺らぎを見せなかった。変わらず、穏やかな笑みをその顔に浮かべている。
ガートンはその笑みに底知れないものを感じ、密かに警戒を強めた・
「まこと、申し訳ない。実は私も本日付でこの職に任じられましたもので、この訪問はそのご挨拶も兼ねているのですよ」
好々爺然とした態度は、むしろガートンの神経を逆撫でするだけだった。
ミラ平原での戦闘など夢幻であるかのように扱うその態度に、ガートンは必死で怒りを堪える。相手は国力で自国を凌駕する大国の大使、無碍に扱うことはできなかった。
彼はなけなしの自制心を総動員し、引き攣りながらも作り笑いを浮かべた。
「これはこれは、ご丁寧にどうも。それで、ご用件はこれで終わりですかな? もしそうなら私はここで――」
これで話は終わりだ。暗にそう告げて腰を浮かせようとしたガートンだが、ウィルコットが公室の外に拡がる〈アニュア〉の市街地に目を向けて呟いた。
「閣下、ここ最近、連合軍に部隊を送り込んでいる国々で囁かれる噂をご存知ですかな?」
「――!」
ガートンの動きが止まった。
彼は慌ててウィルコットを見るが、彼は窓の外を見たままだ。
ガートンは大きく鼻を鳴らすと、どっかりと革椅子に座り直した。ガートンの大きな身体が、深く沈み込む。
明らかに先ほどよりも不機嫌だ。
「貴国で皇太子殿下が立太子されたとかいう、あの噂ですかな」
「おお、ご存知でしたか」
ウィルコットはようやくガートンに向き直った。
やはり、穏やかな笑顔のままだ。
ガートンの怒りが勢いを増した。
「ですが、先の大使殿はそれは根も葉もない噂だと私に断言しましたよ。私と国務省はそれを貴国の公式見解として受け取っているのだが……」
「なるほど、では彼の罪が一つ増えますな。本国政府の命令無く、一外交官の勝手な私見を国家の公式見解として他国にお伝えしたのですから」
「――――」
ガートンは舌打ちした。
ウィルコットはガートンの言った『公式見解』を一外交官の『私見』であると断じた。なるほど、当時の皇国は外交権を持つ国家元首不在である、本国の命令を無視した行動と言われれば連邦側も納得するしかない。連邦も建前としてその外交官の罪は追求するだろうが、あとは皇国外務院からの謝罪ぐらいしか成果は得られまい。再発防止を徹底するというありきたりな回答文書が目に浮かぶようだった。
心底腹立たしいが、ガートンはその話題を引っ込めた。
「では、噂ではないと仰るか」
「実は今日お伺いしたのは、その件のことなのです」
「ほう」
ウィルコットはガートンに問うた。
「閣下の知る噂とは、どのようなものでしょうか」
「――先ほど言った通り、皇太子殿下が立太子されたということだけですが……」
ガートンはできるだけ当たり障りのない言葉でその場を切り抜けようとした。迂闊なことを言って場の主導権を渡したくはなかった。しかし、それは結局果たせなかった。
「おや、その皇太子殿下が連合各国に謝意を抱き、その友情に報いるために今回の派遣で死傷した兵士に対する補償を皇家が行うという噂はお聞きになりませんでしたか? 正規軍に治安維持を命じたことも?」
「――――」
聞いている。
ここ数日、連邦以外の連合各国に流れている噂だ。いや、すでに噂の範疇に収まらなくなってきている。
すでに政府と報道協定を結んでいない二流以下の新聞各紙は皇国の政変と次期皇王の英明を伝えており、一部の大衆新聞も報道協定を破棄してその話題を取り上げ始めていた。
それによると、皇国で皇太子が新たに立ち、その皇太子が今次の派遣軍による治安維持活動を受けて、連合各国に感謝の意を伝えているという。今回の派遣で負傷した兵士には見舞金を、死亡した兵士の遺族には見舞金と補償金を支払うと約束しており、さらには国内の治安維持のために国軍を掌握、動員したということで、連合各国の市民の大多数はその噂と報道を喜びと共に受け止めていた。
これらの報道が外的要因によるものだということは政府もわかっている。新聞社や放送局に皇国系の商会から多くの金が流れ込んだことも掴んでいた。ただ、法に触れるようなことをしている訳ではないため、手を出すことができなかったのだ。
しかし、そんな国家間の綱引きを知らない民衆は、これらの情報に純粋な喜びを見せている。自分たちの行いが友好国の元首に認められたのだ。手厚い補償も皇太子の名で約束され、その上皇国の治安維持のために軍を駐留させる必要もなくなるというのだから、喜び以外の反応など表しようがない。各国政府はともかく、彼ら市民は皇国の友人を救うための軍の行動を支持した。その役割が終わったのだから、当然軍は帰還すると思っているはずだ。これで戦場に赴いた家族や恋人、友人が帰ってくる、そう考えるだろう。
そして、連合は民主主義、国民主権。市民の意思は国家の意思と同義である。少なくとも建前上は。
「し、しかし、所詮は噂ですからな。そのような不確かな情報で軍を動かす訳には……」
「おお、おお、そうですな! その通りです。だからこそ、私が参りました」
「何ですと……?」
冷や汗を浮かべ始めたガートンの言葉に、ウィルコットがずいと身を乗り出した。彼は驚くガートンを余所目に、鞄から一枚の封書を取り出すと立ち上がり、それを両手に捧げ持つ。
そしてその封書に一礼して脇に抱えると、ソファに座ったままのガートンに笑いかけた。
「閣下、我が国の皇都とこのアニュアの時差は何時間でしたかな」
「――あ、え、た、確か二時間だったと……」
「ありがとうございます」
ウィルコットは自分の懐から懐中時計を取り出すと、その時刻を確認した。
午前三時十五分だった。
「うむうむ」
ウィルコットはそれを確認して何度も頷くと、懐中時計を仕舞ってガートンを見詰めた。
「――っ」
ガートンはその視線に怯んだ。
先ほどとまでは違い、その表情は穏やかさなど微塵もない。
引き結ばれた口、鋭く相手を見据える瞳、どれもが先ほどとは違っている。
ウィルコットはガートンを見下ろし、言った。酷く冷たい声だった。
「閣下、我が皇国の国事国政全権代行、摂政レクティファール殿下よりの書状をお渡ししたい」
「な……」
「そのような姿のまま、殿下よりの書状を受け取るお積もりか」
「あ、いや……」
ガートンは慌てて立ち上がるとぎこちなく姿勢を正し、やはりぎくしゃくと深く一礼した。
外交儀礼上、一閣僚と一国の元首ではその地位に雲泥の差があった。その元首の代理として書状を渡す場合、その大使はやはりガートンより立場が上になる。
ウィルコットは冷や汗を浮かべ、青ざめた顔のガートンに欠片の同情もしなかった。ただ、粛々と自分の責務を全うした。
「――摂政殿下よりの書状である」
「は……」
ガートンは震える手でそれを受け取る。
金で縁取られた滑らかで手触りの良い封筒に、皇国国章『四頭の龍と十字星』の封蝋。そのどれもが彼の神経を削り取った。
ガートンはできるなら、このままこの封書を破り捨てたかった。だが、それが許されるはずもない。
「この書状には、殿下からの軍撤退要請が記されております。この要請が早急に受け入れられない場合、貴国にとっても我が国にとっても好ましからざる事態となりましょう。それは私も、我が主君も望まぬこと。国務長官閣下に於かれては、貴国政府と議会を説得し、早急なる軍の撤退を決定していただきたい。我々はそのために必要な協力を惜しみません。摂政殿下にもそう命じられております」
「――承知いたしました。大統領にお伝えいたします」
いつの間にか、ガートンはウィルコットの顔を見ることができなくなっていた。
手に持った書状はかたかたと震えており、その瞳は茫洋として焦点を結んでいない。
たった一封の、自らの手の内にあるこの封書が引き起こす事態を考え、彼は暗澹たる想いを抑えきれない。
「それでは、私はこれで失礼いたします。両国のため、早期の撤兵を重ねてお願いいたします」
「はい、承りました……」
ウィルコットが公室を出ると、ガートンは革椅子に崩れ落ちた。
そして、自らの手に中にある封書を見詰め、その扱いを考える。
首都の至近にまで他国の軍隊が進出している皇国は何としてもその軍勢を撤退させたい。当然、この封書はそのための手段だろう。
皇太子が現れた――その事実だけを考えれば、連合各国の思惑は外れたと考えるのが妥当だ。大陸有数の大国である皇国はすんでの所で身を持ち直し、皇太子の下結託して連合と帝国に対するはず。当然、連合としては進駐の大義名分が失われた以上軍を退くしかない。
ただ、帝国がどう動くかは分からない。かの国はこれまでも皇国の国土を脅かし続けてきた。皇太子が現れたくらいで兵を退くことはないと考えた方が自然だろう。
となれば、皇国としては早々に連合軍を引き上げさせ、腰を据えて帝国との戦に集中したい。
「なるほど……」
そこまでの思考で、ガートンは先ほどまでの絶望的な気持ちが和らいだのを感じた。
何だ、皇国の奴らに連合軍と帝国軍双方を相手にする力など無いではないか。
よくよく考えてみれば、我が連合は大規模な増援部隊を皇国首都に向けて動かしている。それとミラ平原の派遣軍が合流すること叶えば、再び皇国の喉元に剣を突き付けることができるはずだ。
皇国側に連合と戦争する気がないというのなら、積極的に正規軍は動かせまい。となると軍の主力は民兵を中心とした貴族軍、やりようはある。さらに言えば、正規軍が皇太子の命で動き出すまではまだ時間があるはずだ。それまでに増援と派遣軍を合流させ、その撤退を条件に皇国に大幅な譲歩を強いる。
何、我らは人道的見地から軍を派遣しただけに過ぎない。皇国は我らの“善意”に感謝の気持ちを表すだけで、決して武力による圧力に屈してしまった訳ではないのだ。
「いや、私としたことが相手の口車に乗せられるところだった……」
皇太子が立太子したとしても、軍を纏めて反撃に出るまでに何日も掛かる。おそらくその間に、増援部隊と合流できるはずだ。
北から帝国に攻められ、首都には我が軍。皇太子は我々に多くを捧げ、そして撤兵を請うしかない。何、どうということもない、つい最近まで姿形もなかった皇太子が国内の貴族を纏められるはずもないではないか。
最後まで皇家を見捨てられなかったリンドヴルム公爵家はともかく、他の三家は国を守るために仕方が無く皇太子に協力しているだけだろう。交渉の場で上手くこちらの策に乗せれば、三家は再び皇家に対して反抗する。そうなればしめたもの、三家からの突き上げを受けながら交渉する皇太子に、様々な条件を飲ませることができるだろう。
「ははは……」
まだ何も終わっていない。
こんな書簡に怯える必要などないではないか。
すぐにでも今回の大使との会談を大統領に報告し、今後の皇国の扱いに関して打ち合わせなければ――ガートンは自身の未来の明るいことを確信し、大統領に連絡を取るべく秘書官を呼ぼうとした。
だが、彼の頭に浮かんだそれは、結局のところ空想に過ぎなかった。
「閣下っ!」
けたたましく飛び込んできた秘書官が、目を丸くするガートンにこう告げた。
――ミラ平原にて当連合軍と皇国摂政軍衝突せり。我が軍、圧倒的劣勢。
そして、その報告から五〇分後。
緊急に連邦大統領府に集められた閣僚が今後の対皇国戦略について話し合いを始めようとしたその矢先、再びの凶報が彼らの下に届けられた。
――皇国派遣軍総司令部より、降伏の許可を求める報あり。
――我が連合軍は、皇国摂政軍の包囲下に置かれた模様。
――増派部隊侵攻経路上に皇国西方諸侯軍展開せり。
――派遣軍、増派部隊との合流、絶望的。
◇ ◇ ◇
近年公開された皇都奪還戦を題材にした映画――『ミラ平原』では、いっそ清々しいほどに摂政軍を悪役として描いている。
主人公が義侠心溢れる連邦陸軍の若者であり、映画そのものは連合軍側から見た〈ミラ平原事変〉と〈皇都奪還戦〉を描いたものだが、事前警告もなしに突如降り注ぐ光の雨。空を埋め尽くす飛龍たち。散発的に撃ち上げられる対空砲火は弱々しく、射爆から逃げ惑う兵士たちの必死の形相と悲鳴が観客に恐怖と臨場感を与えている傑作だ。
仲間を潰れた幕舎から引っ張り出そうとしている主人公と、その頭上を埋め尽くす飛龍。
兵士たちの泣き叫ぶ声と、飛龍たちの鳴き声。
必死の思いで離陸しようとする連合の飛竜と、それを離陸前に叩き潰す皇国の飛竜。
余りにも一方的な展開に否定意見も多い映画だが、最後の瞬間、降伏を受け入れた皇国の白い飛龍が主人公のすぐ頭上を通過し、彼の流した涙を吹き飛ばす光景は人々の心に善悪とは別の価値観を与えてくれる。
実際、『ミラ平原』は連合側を描いた前編と皇国側を描いた後編に別れており、いずれ公開される後編では連合軍を悪虐非道な軍に据えた構成が採られている。
映画のように少数の登場人物に焦点を当てた作品では、善悪が固定されやすい。
しかし善悪を明確に定め、その上であえて観客に善悪を問う。
正義が存在するのかどうか、人々が自ら思考することこそこの映画の持つ存在意義なのだと、監督であるリビル・フォスは語っている。
◇ ◇ ◇
朝日に照らされるミラ平原に、爆光と轟音が連続する。
連合軍陣地に対して行われた皇国摂政軍の爆撃は連合軍の戦闘能力を奪い去るという点に重点が置かれており、人的被害を極力抑えるという摂政の意向を実行したものだった。
対空陣地、野戦砲陣地は兵士たちが迎撃準備を整える前に砲を破壊し、この時点での連合軍側の被害は重傷者と軽傷者に留まっている。例外的に幾つかの陣地が攻撃に晒されたが、これは事前に取り決められた連合軍内部で多くの違法行為を行っている部隊への攻撃だった。
さらには通常の戦場では有り得ないほどの龍や飛竜の鳴き声が連合軍陣地に轟いており、それらは連合軍将兵の士気を粉微塵に打ち砕いた。元々、亜人や人間という種族は龍種や竜種に対しての絶対的な恐怖を遺伝子に刻み込まれている。迎撃のために弓を構えても、銃を構えても、杖を構えても、その恐ろしい雄叫びを聞けば手足が震え、精神が揺らいで弓矢も魔法も使えない。
連合軍側にも対空戦力として、鷲の上半身と獅子の下半身を持つ幻想種『グリフォン』や鷲の上半身と馬の下半身を持つ幻想種『ヒポグリフ』、さらに皇国側に比べて少ない数ではあるが、飛竜を擁した空軍部隊が随行していた。だが、初撃で防空指揮所が破壊されたせいでまともな迎撃行動が取れず、地上に貼り付けられたまま制空権を完全に掌握されてしまい。迂闊にグリフォンやヒポグリフ、飛竜などの空戦部隊を離陸させることができなくなった。
そんな中で一人の勇敢な竜騎兵が空に上がろうとするも、それを察知して急降下してきた戦闘騎に飛竜の鼻っ柱を強打されて竜から落下、腰の骨を折るという重傷を負ってしまう。そんな姿を見せ付けられて、彼に続こうと思える者が現れる訳がない。誰もが戦々恐々と空を見上げ、皇国の同業者たちの勇姿を見詰めることしかできなかった。
さらに連合軍航空部隊の不幸は重なった。飛竜以外のグリフォンやヒポグリフは敵の龍種に怯えてしまって騎兵の命令を聞かず、とても戦力にはならなかったのである。空に上がった状態ならともかく、完全に頭を抑えられた状態では本能的な恐怖が主人の命令に勝るということだろう。
この時点で、攻撃開始より三六分。連合軍で最大の戦力を保持していた本陣は完全に戦闘能力を喪失したと言って良かった。
だが、依然として皇都と始原貴族軍に対している陣地は戦意を残しており、反撃の準備を進めていた。
皇都上空から移動してきたレクティファールは戦場を俯瞰する高空を旋回しながら、その動きを見詰めていた。
「貴族軍側の陣地への攻撃が一足早そうですね」
〈そうね、良い指揮官がいるみたい〉
「これで降伏してくれれば一番楽だったんだけれども……」
〈本国からの命令もなく、さらに戦いもせず降伏はできないでしょうね。しかも、あの陣地の将兵は今までずっと始原貴族軍に対して優勢だった。勝てるという幻想から抜け出せないのよ〉
「重装歩兵と陸上騎兵が出る……始原貴族軍を突破して平原から撤退するつもりか……」
重装型の魔動式重甲冑に身を包んだ歩兵と、馬や亜竜種の一つである陸竜に跨った騎兵が列を整えて動き始める。騎兵で陣地を切り裂き、その傷を歩兵でこじ開けるつもりなのだろう。全軍をこの場から撤退させるには、今以外にその機会はない。これ以上の時間の経過を許せば、彼らの持つ機動力と突破力は兵や馬、陸竜の心身の疲労によって殺がれてしまうだろう。
さらに言えば、彼らの向かう先と思われる始原貴族軍の陣地はこれまでの攻撃で散々に耕されており、陣地の攻略を目的とした攻撃ならともかく、一点突破を目指した突撃を防ぎきることは難しいと言わざるを得ない。しかし、始原貴族軍はすでに陣地の修復を開始しており、時間が経てば経つほどその防御力は回復してしまう。
それらの理由から、連合軍は死に物狂いで突破を図るだろうと思われた。
しかし、その突破を許すわけにはいかない。
彼らが首尾良く陣地を突破したとして、そのまま本国に撤退するならまだ良い。
だが、撤退の最中に脱走兵が出るのはほぼ確実なことで、それらが皇国の治安に大きな影を落とすことは目に見えている。さらに非対称戦を仕掛けられるような小部隊が皇国内に潜伏するようなことになれば、その排除に多大な時間と予算、そして鉄血が費やされることになるだろう。
内乱そして諸外国からの侵略と皇国の負った傷は決して浅くない。そこに更なる負担の増加など、絶対に認められないことだった。これから皇国は傷を癒し、新たな戦乱に備えなくてはならない。
平穏の影で、牙を研ぐ日々が始まるのだ。
「――『平和とは、戦争と戦争の間に流れる間奏曲に過ぎない』」
レクティファールはそんな言葉を思い出した。
偉大なる先達の言葉だが、自分がその言葉と同じ状況に立たされるとは思っていなかった。
だが、もう逃げ道は自分で塞いでしまったのだ。あとは前に這い進むしかない。この身が無辜の民の返り血で塗れても、だ。
そう考えると――
「皇とは、なんとも損な仕事ですね」
〈今更何を言ってるの。皇以上にそんな仕事なんて、そうそうあるものじゃないわ〉
「至極ごもっとも。まあ、私も大して皇の仕事を知りはしませんが」
〈今、あなたが立っている場所。そこに立ち続けることが皇の仕事の一つよ〉
レクティファールの今立っている場所。
それは、多くの骸と妄念が渦巻く戦場だ。
「なるほど、一つ賢くなりました」
レクティファールは嗤った。
そう、自分はこの惨禍の中心に立つ者。今更、損も何もない。
ただ、彼女は違うはずだ。レクティファールは自らの騎龍に問うた。
「メリエラ、それでも付いてくるつもりですか、私に」
この問いは、これが最初で最後。
どんな答えを得ても、二度はしないと決めた。
果たして、彼の伴侶の言葉は明快だった。
〈付いていくだけじゃないわ。あなたが立ち止まろうとしたら、わたしが引っ張ってあげる〉
そう、後に付いていくだけじゃない。
ときに先に立ち、総ての汚泥を被ることさえ構わないと彼女は言ったのだ。
〈あなたの行いが正しいとわたしが思ったなら、百の老人だって潰してあげる。千の女だって喰らってあげる。万の子供だって焼き尽くしてあげる。わたしがあなたに誓ったことは、そういうことよ〉
「後悔は……しないんでしょうね……」
レクティファールは心底呆れていた。
そしてこんなにも強い女性が、何故自分のような男の隣にいるのかと本気で疑問に思った。
だが、その疑問さえ彼女に対する侮辱なのだろうとも思った。
〈心配ないわ、あなたが間違ったらちゃんと元の道に戻してあげる。どうしても戻れないなら、ちゃんと滅ぼしてあげる。そして冥界でも寂しくないように、あとから付いていってあげるわ〉
「――――」
ああ、なんとも恐ろしい。
だが、なんとも――
「――綺麗だ」
〈――!!〉
途端、メリエラの体勢がぐらりと傾いた。
レクティファールは滑り落ちそうになる身体を慌てて支える。そしてメリエラに訊いた。
「と、突風とかですか……?」
〈ええ、そうよ! 似たようなものよ! ――全く、情緒の欠片もない……戦場で言う言葉じゃないでしょう……〉
レクティファールの呟きにメリエラの怒声が返ってきた。
そのあと何かぶつぶつ言っているようだったが、小さな声で聞き取れなかった。
「何か言いました?」
〈――そ、そうならないようにあなたが……守ってくれるんでしょうって言ったの!〉
メリエラは途中もごもごと言葉を濁したが、そう言い切った。
そう言われてしまえば、レクティファールも言うべき言葉は決まっている。
「もちろん、この身の及ぶ限り全力で守りますとも」
ウィリィアさんとの約束ですし――後半の言葉は心の中に留めたレクティファール。正解である。
〈じゃあ問題はないわね。でも、今はわたしのことを気にせず仕事をなさい〉
「ええ、判りました」
レクティファールは微笑して頷き、すぐにその笑みを消し去って眼下の連合軍部隊を睨むように見詰めた。
連合軍の歩兵と騎兵は、完全に陣地から身を乗り出している。頃合いだった。
「――無駄な労力、所詮はあとになって分かること、か」
〈――?〉
レクティファールは呟き、念話を一人の女性に繋いだ。
彼らが合流しようとしている増派部隊に対する手は打ってある、あとは眼下の部隊の動きを封じてしまえばいいだけだった。
ミッドガルド侯アルブレヒトは、陣地の中央に位置する小高い丘の頂で、半ば呆然とした面持ちで連合軍の陣地を遠望していた。
隣にはエイメルシア侯ハイデル、アストリア侯タチアナの両諸侯。二人もまた、連合軍陣地にそれぞれの想いを込めた眼差しを向けている。
「まさか、四公すべてを纏め上げるとは……」
連合軍陣地の上空を埋め尽くす航空部隊を見て、ミッドガルド侯が呻くように漏らす。
彼が立太子の情報を得たのが三日前、アストリア侯が持ってきた情報だった。
半ば当然のように、皇太子が国軍や残った諸侯軍を率いてミラ平原に現れることは予想していた。だが、それは早くとも半月程度先のことだと考えていた。そして、白龍公軍はともかく、四公爵軍すべてを纏めることは不可能だとも思っていた。
皇国空軍に匹敵する航空戦力を有している四公爵軍はそれだけでも強力な戦闘集団だが、四公の内三公は皇王家からの独立を宣言している。皇太子の指揮下に入るには、当然一悶着あるだろうと考えるのが自然だ。
ただ、結果から言えば皇太子は四公の軍勢を纏め上げ、立太子からたったの数日でミラ平原に現れた。
皇太子が現れるまで何としても連合軍を引き付ける。そのためには命を捨てる覚悟までしていた三諸侯だが、目の前の光景はそんな覚悟を嘲笑うかのようだった。摂政軍は始原貴族軍を顧みることさえせず、一方的に連合軍陣地に圧力を加え続けている。そこに彼ら始原貴族軍の介在する余地は無いように見えた。
しかし、少し考えを働かせれば皇太子が自分たちを歯牙にも掛けていないことには納得できた。
皇太子は自分たち貴族軍をこの戦いの勝利者にするつもりはないのだ。いいや、この内乱の勝利者は摂政でなくてはならない。今後の国家運営に際して皇太子が、ひいては皇王が貴族に遠慮するようではいけない。皇国は皇王が統べるべきものであり、貴族は皇王に従属して皇国を守り盛り立てる存在であるべきだった。
そして摂政軍が正規軍を擁していないのにも彼らは気付いていた。この戦闘を皇国と連合の全面戦争と見なす訳にはいかないのだ。
正規軍を駆り出した段階でこの戦闘は皇国軍と連合軍の争いとなる。それは皇国と連合の、国権の発動に伴う全面戦争を意味する。摂政が軍を率いた段階でそれは国軍と見なされかねない。たとえ天領の治安維持を名目として掲げてもその可能性は拭い切れない。連合側には侵略してきたという負い目がある分、幾らでも言い訳はできるだろうが、それでも危険要素は可能な限り排するに越したことはなかった。
そんな目的もあって、摂政はこの戦いで連合軍の将兵に死者が出ることをできる限り避けようとしている。そして、政治的にはこの戦いを連合軍の領土侵犯に対する警告に止め、それを受けて連合軍が撤退するという物語を作り上げる。
多少の調整は必要かもしれないが、最終的には連合側はその筋書きに従うだろう。
連合軍兵士が皇国で行った蛮行を個人或いは非主流派国家の暴走とし、連合軍としては治安維持に努めたと強調。さらに始原貴族軍との戦闘を第三国の工作部隊と思われる武装集団によって引き起こされた不幸な事故として処理し、皇国と連合の間に事故以外の一切の戦闘行為は無かったと喧伝する。
皇国と連合の間にある友情には少しの翳りもない――皇国は連合との戦争を避けて国内の情勢を安定させるため、連合は主権者足る国民の支持を失わないため、その『真実』を『事実』として落とし込まなくてはならないのだった。
「むう、何とも難儀な戦いよ。初陣がこれとは、殿下の心労も大きかろうな……」
「ならば、貴殿が直接指導して差し上げるか? 飛竜の一騎くらいなら用立てることもできるが……」
「冗談はよせアストリア侯。この戦、殿下の掌にあってこそのものよ。殿下はよく軍を統率していらっしゃる、ワシがしゃしゃり出たところで、大して役に立つまい」
ミッドガルド侯は心底ほっとしていた。次代の皇王がどれほどの人物であるか、当代皇王を知る彼はそれだけが気になっていたのだ。だが、次代皇王は四公爵軍を纏め上げ、一時の感情よりも独自の中長期的な国家戦略に基づいて戦闘行為を行っている。満点を出すことはできないが、及第点よりは遙かに高い点数を付けられるだろう。
それが皇太子独自の考えではなかったとしても、それを容れて実行しているのだから、皇としての資質はあると見ていい。
「殿下があと少し早く現れていたら、皇国はここまで乱れなかっただろうに……」
「いや、こうなったからこそ得たものもある。違うか、エイメルシア侯」
ミッドガルド侯の言葉をアストリア侯が引き継ぎ、エイメルシア侯に問い掛けた。
「然様。この戦で殿下が勝利なされれば、摂政としても次期皇王としてもその地位は確固たるものとなりましょう。対して我ら貴族はこの国を存亡の危機に立たせたという決定的な負い目があり、何よりも戦の趨勢を決する一因にすらなり得なかったという事実も残る。殿下はこの皇国の君主としての基盤を得、我ら貴族は殿下の下に跪くことになりましょうな」
ひょっとしたら、この戦は新たな皇王に対する供物だったのかもしれないとエイメルシア侯は思う。
これまでの皇国の歴史を自分の都合の良いように曲解し、座るべきでない場所に座ろうとした道化者。そんな者が現れたという事実こそがもっとも恐るべきことであり、この国を滅ぼす原因になるのではないか。エイメルシア侯はそんな考えが頭から離れなかった。
「当代皇王陛下がその地位を本来の主より簒奪したという変えようのない事実、それがしはその事実が恐ろしくてならなかった。二〇〇〇年の歴史がたった一人の莫迦に汚されたようで、我慢ならなかった……」
「――――」
ミッドガルド侯も、アストリア侯も、その言葉を不敬であるとは言わなかった。
彼の言葉は、始原貴族全員が多かれ少なかれ持っている考えだったからだ。
ひょっとしたら、皇国の歴史はここで終わるのではないかと心密かに怯えていた者もいるだろう。
〈皇剣〉という皇権を象徴するものを継承しない皇王というのは、国民総てにとって受け容れ難い存在だったのかもしれない。これまで皇国が繁栄を続けてこられたのは、偏に皇王という恐ろしくも頼もしい君主が国を纏めてきたからだと誰もが思っていたのだ。そこに血筋だけの皇が現れたとなっては、これまでの皇国の歴史とは何だったのかと思う人々もいるだろう。
エイメルシア侯は、そんな者たちの代表だったと言える。
彼らは間違いなくこの国とそこに生きる民たちを愛しており、そこに一切の虚偽も欺瞞も無い。
だからこそ彼らは今上皇王に対して敵意を抱き、しかしその愛情の結果、国と民を苦しめることとなってしまった。
「殿下があと少し早く現れていればと思うことは事実。されど、それはそれがしの勝手な言い分に過ぎない。殿下はつい先頃まで何も知らぬ一人の民であったのでしょう。そんな殿下から日常を奪い、ああして多くの命を弄ぶことを強いたのは我ら。結局我らは、主君も民も苦しめるしかできなかった」
エイメルシア侯は呻いた。
「そんなそれがしとあの愚皇と、どれ程の違いがあるというのか。こうして命を捨てる覚悟までしていても、戦う殿下を見上げるしかできぬそれがしに、如何ほどの価値があろうか……!」
愛するが故、彼は他国の軍を招き入れることさえした。
そのときはそれしか方法がなかったなど、それによってもたらされた結果からすれば単なる言い訳でしかない。
彼が他国の軍勢を招き入れ、その軍勢が彼の愛する民を傷付けたことは紛れもない事実だった。
「殿下はそれがしを見てなんと仰るであろうか、売国奴か、皇国貴族の名を騙った詐欺師か、それともただの愚か者か」
どれであっても構わない。それだけのことをしたのは事実だ。
しかし、彼の言葉に応えたのはレクティファールでも同輩の二人でもなかった。
「ご注進!」
三人に駆け寄った一人の伝令兵が、告げた。
「我が軍前方、連合軍陣地より魔動式重甲冑装備の重装歩兵、及び騎兵の集団が分離前進! 目的は我が軍陣地の突破と思われます!」
その報告に、三人の皇国貴族は連合軍陣地をじっと見据えた。
土煙を巻き上げながらこちらに飛び込んで来る騎兵の集団。
蹄の奏でる轟音が地面を揺らし、三人の足下まで震わせた。
「摂政殿下のお考えを思うなら、下手に迎撃することは避けるべきなのだろうが……」
「しかし、黙って蹂躙されるようなことになれば無駄な犠牲も出る。最低限の構えは取るべきだな。何より、突破させる訳にもいかない」
ミッドガルド侯が顎に手を当てて考え込み、アストリア侯がそれを補足する。彼女の言う通り、万が一にも陣地を突破されるようなことがあってはならない。
「うむ、全軍に下令。全軍迎撃準備、防御序列は対騎兵後対歩兵」
「はっ、全軍迎撃準備、防御序列は対騎兵後対歩兵」
ミッドガルド侯の命令を復唱し、伝令兵が走り去る。
三人はそれを見送り、各々の顔を見合わせた。
「殿下も白龍公も、まさか何も対応策を考えていないとは思わないが……」
アストリア侯が呟きながら自軍に戻るべく丘を下り始める。ミッドガルド侯とエイメルシア侯が後に続いた。
「だが、航空部隊は本陣に掛かりきりだ。こちらに回す戦力など残っていないのではないか」
「機動力の問題でありましょうな。陸戦部隊を同道させてはこうも早くこの地に現れることはできませぬ」
ミッドガルド侯もエイメルシア侯も、それぞれ自分の軍を率いて戦ってきた戦歴がある。あれだけの打撃力を持った航空部隊を敢えて鈍足の陸上部隊と協同させるかどうか、正直悩まざるを得ない。
「ううむ、あそこまで見事な攻撃を成した殿下に手落ちがあるとは思えないのだが」
「では――ん?」
二人が丘を下りると、陣地内の兵士たちが彼らの下りてきた丘とは別の方向、陣地の北を見て騒いでいた。一足早くその場に着いていたアストリア侯も同じ方向を見てぽかんと口を開けている。いつも冷静な態度を崩さない彼女にしては、非常に珍しい表情だった。
何が起きたのか、二人が同時にそちらに目を向ける。
そこに居たのは、確かに居て当たり前の人物だった。
「こ……」
「黒龍公……?」
驚く彼らの視線の先では、体長三〇〇メイテルを超える巨大な黒龍が四肢で大地を踏みしめ、その巨体を揺らして連合軍陣地に向けて進んでいたのだ。その巨体は、見上げるほどの、という表現が一番適しているだろうか。歩くたびに地面は揺れ、空気まで震える。喉を鳴らせば衝撃波となり、揺れる尻尾の先では気圧の変化で水蒸気が発生している。
余りにも巨大過ぎ、近くでは全身を見ることも叶わない。
今まで何処にいたのかと思った二人だが、その巨体の周囲にさらに多数の龍が侍っているのを見て絶句する。
総数四〇〇程度。太い四肢を持ち地を征く地龍と、同じく飛行能力を持たない陸竜の集団だった。
「街道を進んできたのか? だが、我が軍の警戒網をどうやって……」
地響きと共に進む龍と竜。
その視線の先にある連合軍の陣地でどのような阿鼻叫喚の地獄が繰り広げられているのか、彼らは想像することすらできない。あんな大きさの龍と、あんな数の竜と相対して平静を保っていられるのは、おそらく残りの三公と皇王ぐらいなものだろうと思った。
しかし分からない。あの数の龍族を見張りが見逃すとは思えないのだ。
「か、閣下……!」
「ん、ああ、お前か……」
揺れる地面と格闘しながらミッドガルド侯の元に駆け寄ってきたのは、彼が普段従えている従兵の一人だった。
彼はぜいぜいと息を切らしていたが、ある程度息が整うとすぐに主君に報告した。
「現在我が陣の側面を通過中の部隊より、通信がありました。彼らは黒龍公アナスターシャ様とその指揮下の陸戦強襲部隊、殿下のご命令を受け、我が軍陣地の北の森より進撃したとのこと。尚、自軍の進撃を妨げること厳に禁ずると」
「なるほど、人の姿を取らせての伏兵か……!」
ミッドガルド侯は驚きながらも、あの摂政殿下はなんてことをするのだと思った。
あれ程の戦力を丸ごとすべて伏せていたなどと、戦力の大いなる無駄遣いとしか思えない。航空打撃で決着が付くならそれに越したことはないということなのだろうか。しかし――
「通常の野戦なら決戦戦力になるほどの部隊だぞ……」
ずんずんと地面を揺らして進撃する黒龍公アナスターシャ。
人の姿では四龍公中もっとも小さい彼女だが、龍の姿ではもっとも巨大だ。
未だ存命である彼女の祖母、初代黒龍公はさらに輪を掛けて巨大だということだがその大きさを想像することさえ今のミッドガルド侯にはできない。
それに進撃を妨げるなと言われても、そもそもあの部隊の進軍をどうやって止めろと言うのだろうか。それこそ悪い冗談だ。
「――しかし、殿下はどんな教育を受けてこられたのだ……」
あの戦力を伏せたこともそうだが、戦力投入の時期が相手の士気を打ち砕くことに最適なときを見事に突いている。
偶然でないとしたら、まこと恐るべき軍才ではないか。あれが公爵軍の将軍たちの策だとしても、それを使いこなした手腕は驚嘆に値する。〈皇剣〉継承のための教育を受けていないということが、たちの悪い嘘ではないかと思えてきた。
「殿下は一体、何者だ」
ミッドガルド侯が呟くとときを同じくして、巨大な黒龍がその口から黒の光条を放つ。
それは光をねじ曲げながら奔り、こちらに進撃してきた騎兵の鼻先に着弾。周辺に衝撃波を走らせた。
「大地が、爆発した」
と誰かが漏らした通り、連合軍の陣地が見えなくなるほど巨大な土煙を巻き上げる。
ミッドガルド侯はそれを見て、思った。
――これが、これこそが、皇国を二〇〇〇年の間守り続けた守り龍たちの力なのだと。
◇ ◇ ◇
この騒乱終結の後、皇国と連邦は二度と直接干戈を交えることはなかった。
それは両者の間にある国力の差が埋めようもないほど隔絶したことと、連邦内部で親皇国派が主流となったことが理由として挙げられる。
皇国は連合国に対していっそ不思議なほどに寛容であった。
しかしその裏で、皇国に対して否定的な人物が重要な地位に就けないよう連合各国の政府に働きかけていたことは、長い時間を経て公開された両国の外交文書で明らかになっている。
皇国は、軍事力の行使による紛争の解決を最終手段と位置付け、それ以外の手段を用いることが多くなった。そしてその手段に関して、寛容と呼べる意思は一切存在しなかった。
「皇国は軍事力の直接行使以外のあらゆる手段を用いて連合国に侵攻した」という識者もいるほど、その手法は苛烈で、慈悲の欠片も存在しなかった。
連邦国内で皇国系資本が幅をきかせるようになり、その国政選挙を裏から操るようになるまでたった二百年。連邦は先の言葉通り、緩やかに皇国に侵略されることになる。
◇ ◇ ◇
連合軍が降伏した。
その情報を真っ先に得た人物が誰であったのか、後世に至るまでも明確な答えは出なかった。
連合軍司令部が降伏を申し入れたとき、彼らは降伏の軍使をアナスターシャ率いる陸戦部隊にも、マリア率いる水龍部隊にも送っており、さらにレクティファールが直率する航空部隊にも通信という形で降伏の旨を申し送っていた。
さらには自軍内にも降伏の事実を周知させるため、各国の国旗と陸軍旗を掲げていた旗手に対して『降伏を示す青十字旗を掲げよ』と命じており、旗手たちは自らの腰嚢の底に大切に畳まれていた白旗を取り出し、涙を流しながら国旗と陸軍旗を降ろしてそれを掲げた。
その中の一人、〈シェルミア共和国〉陸軍に所属していた一人の旗手は戦後こう語っている。
「自分は炎に嬲られて黒こげになった連隊旗を降ろし、青い十字の描かれた白旗を掲げた。それを、あのミラ平原の空を悠々と飛んでいた一騎の白い龍に向けて、大声で泣きながら力一杯振った。自分の人生の中で、あれほど惨めだった瞬間はない。だが、あれほど生を実感した瞬間もない」
彼のそのときの姿は、連合軍に従軍していた記者が写真という形で残していた。
その写真は後々まで連合国の市民たちに秘されていたが、戦後三〇〇年の年に公開され、写真賞としてはもっとも高名なアイレルメイカー賞を受賞している。
実は彼にはもう一つ逸話があった。旗を振った相手については彼自身、そのときは全く気付いていなかったのだが、戦後しばらく経ってその正体が発覚した。
彼らの軍を降伏へと追い詰めた張本人、皇国摂政レクティファール・ルイツ=ロルド・エルヴィッヒとその騎龍メリエラだ。
旗手自身は単に自分の目に付いた中で一番目立っていた飛龍に旗を振って見せただけだが、実は彼こそがレクティファールに戦いの終わりを教えた人物だったのである。
レクティファールは眼下の旗について咄嗟に情報を取り出すことができなかったから、それをメリエラに訊いた。
メリエラはレクティファールの無知を知っていたから文句を言うこともなく、あれは降伏の申し出だと教えた。そのとき彼女は、この実にくだらない――その意義に関して、であり、戦争の当事者たちの名誉に関してではない――戦争が一応の終わりに向けて動き始めたことを喜んでいた。
しかし、メリエラはそのことを伝えたときのレクティファールの表情に驚いた。そして、記憶に留め続けることになる。
彼女の唯一無二の男は、そのことを教えられると途端に黙り込み、一切の感情を封じた顔で平原を見渡したのだという。
その表情には争いが終わったことに対する安堵も喜びもなく、或いは死んでいった両軍の将兵に対する悼みさえなかった。もしかしたら心の奥底で密かに発露されていたのかもしれないが、少なくとも彼女はその感情を知ることはできなかった。
敢えて言うまでもないが、彼女は後々までレクティファールという男に寄り添うことになる。
そんな彼女でさえ、このときのレクティファールの本心については知らずにその長い生涯を終えた。
ともかく、連合軍が降伏を申し入れてきた以上、摂政軍が戦闘行為を継続する理由はなかった。
レクティファールは全軍に攻撃の中止を命じ、白龍公カールを全権大使として連合軍との停戦交渉に当たらせた。このときすでに、皇国の西域にいた連合側の増派部隊は本国からの指示によって撤退行動を開始しており、皇国西方諸侯軍はその背後を送り狼よろしく追跡した。この世界で送り狼といえば半精霊の幻想種であり、言い伝えでは自分の縄張りの山を通過する旅人を守る存在であった。だが、万が一その旅人が山に対して何らかの不利益をもたらすと判断するとこれを噛み殺すと言われていた。そういう意味では、彼ら西方諸侯軍は正しく送り狼だった。
この増派部隊が万が一にも本国の命令に背いて皇国に何らかの不利益を強要しようとするなら、彼らはその持てる力の総てを以てこれを噛み殺すだろう。実際には増派部隊の方が数、質ともに圧倒的に有力な軍であったが、西方諸侯軍の背後には摂政とその軍勢が控えている。この事実を踏まえれば、諸侯軍の方が優勢であった。
そんな事情の上に始まった連合国皇国派遣軍との停戦交渉は、連合本国との連絡を要するということもあってそれなりの時間が掛かった。本来なら両国の外務機関が行うべき交渉であったが、この戦いは政治的な理由で『戦争』という形を取ることができない。
彼ら連合軍は義勇軍に近く、摂政軍もその名の通り正規軍ではなく摂政自身の私軍という扱いになっていた。自然、交渉も遙か昔の戦いに於ける停戦交渉のように各軍の責任者が直接交渉するという形を取り、その責任者の背後に両国が立っているという構図になった。
数日間に亘るこの交渉で連合側は武装解除と皇国側の臨検に応じることを受け容れ、ミラ平原での睨み合いの最中皇国国民を拉致監禁していた将兵に関してはそれも引き渡すということで決着した。彼らは皇国の法で裁かれることになる。
連合側はこの交渉に先立ち、彼ら――事実上の戦争犯罪人の逮捕を自らの手で行っていた。
中には自らが連れ去ってきた女子供を『始末』しようとしていた所を逮捕された者もおり、連合軍司令部の素早い対応が無ければ両国の間にまた新たな火種が生まれていたかもしれない。
ただし、この交渉よりも以前に連れ去られ、殺されてしまった皇国の民も無視できないほど存在していた。
彼らを害した者たちは連合軍によって逮捕され皇国側に引き渡されたが、これらの事件に関してだけは戦後皇国側と連合側の共同捜査が行われ、この時点で引き渡された者たち以外にも多数の逮捕者が出た。
政治に振り回されてこのような戦場に送り込まれた彼らに対する同情の声が無かったわけではないが、彼らの犯した民間人に対する拉致監禁、暴行、殺害という罪は戦場であっても、いや、戦場であるからこそ決して許されぬ罪であるとしてほとんどが極刑となった。
戦場での略奪暴行は得てして罪が重くなりがちだが、このときの連合と皇国の処断には政治的な要素が多分に含まれていたことは否めない。実際、このとき戦犯らを軽い罪で裁いていたら、皇国と連合各国との関係に無用の軋轢を生じさせていただろう。
連合軍将兵が友邦たる皇国のため、と言ってこの軍に参加していたことは皇国首脳部の誰もが知っていた。
だが、彼らに無用な情けを掛けようという者はひとりも現れなかった。
「連合軍の将兵に感謝をしていても、あの平原中に散らばっていた骸を前にそれを口に出すことは憚られた。その骸の中には明らかに兵士ではない女性や子供の遺骸も含まれており、連合軍の一部将兵が皇国の民に与えた痛みは決して幻ではないのだと我々に教えてくれた」
この言葉は停戦交渉の場に立ち会った近衛軍の武官のものである。
摂政の護衛として派遣された彼は、ミラ平原での戦後処理にも参加した。
そのときの経験をこうして言葉として残しているのだが、この言葉が皇国の将兵たちの気持ちを代表していると言っていい。彼らにとって連合軍は憎みきれない敵手であり、それでも憎まなくてはならなかった敵手だった。
結論から言えば、このときの戦乱の傷跡は人々が思っているより浅く済んだが、実際にここに骸を晒すこととなった人々の身内にしてみれば両国は怨みの対象だ。
政治とは大多数の人々の幸せのために行われているものだったが、それがこのときほど如実に表れたことはない。
少数の涙に暮れる人々を置き去りに、連合と皇国は新たな関係を形作り始めた。
◇ ◇ ◇
連邦との戦いを終えた皇国は、その傷を癒す間もなく次の戦いに身を投じた。
宿敵とも言える北方の人間種国家〈新生アルマダ帝国〉との幾度目かの戦いである。
その戦いについての詳しい内容は後述に譲るが、この連戦によってレクティファールの国内での評価は定まったと言っていい。
単に連合に勝利しただけであれば、この後の彼の治世はもう少し波乱を含んだものになっただろう。
彼はこの二つの騒乱を乗り越えたからこそ国内で絶大な支持を集め、誰にも掣肘されることなく政治を全うすることができた。
ときに戦争狂と呼ばれることもあったが、皇国の国民が皇王に求める「あらゆる種族の守護者」として、彼は十分な才能を持っていたようだ。
それを一番良く知っていたのは、図らずも彼の敵となった者たちだったのかもしれない。
◇ ◇ ◇
停戦交渉が終わりを迎えた頃、新たな衝撃は北からやってきた。
「現帝王の第十三姫、帝国の戦狂姫が南進」
〈パラティオン要塞〉を主戦場とする北方戦線に、帝国が一石を投じたのである。
帝国現帝王の十三番目の娘、帝族であると同時に不世出の戦将としても知られている第十三皇女グロリエ・デル・アルマダが自らの軍を率いて征南軍に合流したというその情報は、連合との争いに一応の決着がついたことで弛緩し始めていた皇国の思考を一気に引き締めた。
このとき帝国が帝王の一門に連なる者を皇国征伐に差し向けたのは、帝国の地理的な問題が第一の原因、皇国の内政問題が第二の原因とされた。
第一の原因、つまり帝国の地理的な問題というのは、大陸の北の過半を占める帝国の冬の厳しさが挙げられる。
これまで帝国に攻め寄せた軍勢は数あれど、そのほとんどは帝国軍とその寒さに撃退されたと言っていい。帝国軍は寒さに対する備えが万全であるが、南から攻め寄せた軍が冬期攻勢を予定していてもその寒さは予想を遙かに超えるものだった。予定されている場所に陣地を築いたとしても、寒さは幕舎の布さえ凍らせる勢いであり、とても歩哨などできたものではない。地面はその下数メイテルまで凍り付き、穴を掘ることさえ満足にできない。そんな中でも帝国軍は攻撃を仕掛けてくるのだから堪ったものではない。
しかし、帝国が攻撃側に回っていると事情は変わる。
皇国の北も帝国本土ほどではないにせよ極寒の地である。当然〈パラティオン要塞〉は帝国本土にあっても十二分に機能を果たせるほどの寒さに対する備えがあるし、そこに詰めている要塞軍の将兵も寒さに強い。
無論、その要塞に攻め寄せている帝国軍が寒さに負けるなど有り得ないが、その補給線の維持という点で帝国軍は問題を抱えていた。
帝国軍の補給路となっている鉄道と街道は帝国南方の山間部を縫うようにして形成されている。
その道は冬季ともなると揃って雪に埋まり、雪崩や吹雪などの自然の猛威の前に幾度も停滞を余儀なくされる。さらには遭難滑落などの事故も少なくないため、輜重兵以外の人足や馬匹の集まりも悪かった。
一応その山間部を通らない大回りの補給路というのもあるのだが、それでは時間ばかりが掛かり過ぎる上に、街道としては南方山間部のそれよりも整備不足で道が悪い。さらには山賊盗賊の類も多く潜んでおり、軍とはいえ無傷でそこを抜けられるとはとても思えないのだった。
そんな理由から、これまでの帝国による皇国征伐は冬期を跨ぐようなことは滅多になく。この戦いもあとふた月程度で降り始める雪によって自然休戦になると皇国側は考えていた。
しかし、皇女自らが軍を率いて来たとなると状況は深刻の一言に尽きる。
第二の原因、帝国は今回の皇国動乱を千載一遇の好機と捉え、本格的な皇国本土侵攻を決意したということだ。今回の皇女出征からもその本気ぶりを窺うことができる。
皇女グロリエの擁する軍はその数二〇万とも三〇万とも言われており、後方部隊を含めてしまえば中規模国家の全軍を上回る数になるだろう。
対する〈パラティオン要塞軍〉は二個師団二三〇〇〇。
現在要塞に攻め寄せている軍がすでに十二万居るため、それらと合わせて四〇万に届く軍勢と相対しなくてはならない。四〇万対二三〇〇〇。十七対一という途方もない戦力比だった。
魔法技能者が少ないという帝国軍の事情を加味したとしてもその戦力比が小さくなることはほとんど無く、このまま自然休戦の到来を待つということになれば要塞の陥落は酷く現実味を帯びてくる。
それに伴い要塞軍司令官ガラハ中将は、皇国陸軍総司令部に対して有力なる援軍を要請、可能であれば皇女出征という帝国の士気を大いに高める政治的手段に対し、摂政自らが軍を率いて援軍に駆け付けるという政治的攻撃手段を以て対抗されたし、とまで言ってきていた。摂政の持つ〈皇剣〉を相手への牽制に使おうという意図もあるはずだ。
当たり前のように、ミラ平原に置かれた臨時大本営での会議は紛糾した。
皇都と皇城の補修が終わるまで摂政の星天宮入城を延期していた彼らは、ミラ平原の皇都側、半島の根本付近に大規模な宿営地を作り上げていた。そこを摂政の座する臨時の大本営としており、政府の主立った者たちが摂政との会見を求めてそちらに出向いてきている。
そんな宿営地の中央付近に作られた石造りの建物、臨時摂政府と呼ばれているその建物で、北に対する方針が話し合われていた。
「ラグダナの次男坊は殿下を馬や砲などの兵器と同列に思っているのではないか」
そう口火を切ったのは皇国陸軍総司令官〈大将軍〉ゲルマクス・ツー・ヴィートリッヒ元帥。
今上皇王に職を追われていた彼だが、今回の皇都奪還に先立って出された摂政令によってその職に復帰していた。
元々は先代皇王に信頼された智将で、陸軍の元老とも言える人物だ。灰色になった髪を長く伸ばし、蓄えた髭と相俟って何処かの賢人かといった風貌をしている。
「だが、殿下は自ら軍を率いて北進すると仰っている。ここで帝国に弱みを見せれば、来春以降帝国の攻勢はその勢いを増すだろうと」
白龍公カールはこの会議に摂政の名代として参加していた。
レクティファールの意思を十分に汲み、政治的感覚が未だ未成熟な主君に代わってその意思を代行している。
「殿下は戦狂いという評判も出始めている。あまり戦ばかりにかまけていては、民草がどう思うか」
そう慎重論を述べたのは皇国空軍総司令官〈大総統〉アレックス・ハルぺー元帥。
堂々とした体躯と空色の短い髪を持つ美丈夫だ。
彼もゲルマクスと同様今上皇王に排斥されていた人物だったが、やはりレクティファールの手によってその職を取り戻していた。
「ですが、殿下の意見も至極ごもっとも。ここは殿下の御意志を尊重するのも手の一つでは?」
この場で唯一の女性が二人の同輩を宥めるように穏やかに言う。
皇国海軍総司令官〈大提督〉イザベル・ヴィヴィ・エールステン元帥。
穏やかに微笑む群青色の髪の老女は、実は蒼龍公マリアの異腹の妹であった。
両親とも龍族の姉と違い彼女の母は混血種――各種族の血が混ざり合った混血種族、皇国の多数を占める。寿命以外は人間種とさほど変わりがない――だった。龍族と他種族の子供はほとんど龍族になるという常識からすれば非常に珍しいことではあるが、彼女は龍族の血とその特徴を受け継ぐことができず、姉より一〇〇〇歳も年下でありながらその姿は姉よりも老いて見えるのだ。
ただし、姉妹仲は良好で、彼女の子供たちの名前は半分以上姉のマリアが名付けた。龍族の女は生涯で二人から三人の子供しか産めないから、十人以上居る妹の子供たちというのはマリアにとって決して手の届かない夢のような存在だった。
「殿下も未だお若い。若い頃に戦場を経験しておけば、歳を経てから無茶をするようなことも減りましょう」
「む、むう……」
「イザベル様……」
二人の元帥はイザベルの言葉に反論できなかった。
元々三人の中での力関係ではイザベルが圧倒的に上位である。
軍歴とか貴族としての格とかの問題ではない。
あの穏やかな笑顔に対して強硬な手段に出られるほど、二人の元帥は捻くれていないというだけだ。
「皇太子時代に多くの戦場を経験することはこれまでの皇国の伝統。先代陛下も皇太子の頃に北との戦争に参加しておられたではありませんか」
しかし、今の皇太子レクティファールは摂政という立場である。
イザベルの言葉は確かに事実であるが、それが現状に沿っているかと問われれば首を傾げざるを得ない。
摂政とは事実上の皇王である。
その摂政が戦場に出るということは、それは親征ではないかと二人は思った。
親征そのものが悪い訳ではない。だが、この乱れに乱れた国内を放置して帝国との争いを重視する理由を得られないと彼らは思っていた。
そんな二人の内心を察したカールが、主君の意向を踏まえた意見を述べる。
「殿下としては、今回の戦いを正規軍と近衛軍のみで行い。今回の戦いで低下した正規軍の発言力を元の水準まで戻したいと仰せだ。正規軍が貴族軍に圧倒されているなどという状況は国防上好ましくないと」
「ぬ、そう言われれば我らに反論することはできんぞ」
ゲルマクスが腕を組んで唸り始める。
正規軍は役立たずという風評は国民の中に根強い。
それを払拭するためにもここで帝国軍を撃退し、皇国の剣とは正規軍であると内外に示したいというのが彼らの偽らざる本音だ。それに幾らパラティオン要塞が堅牢無比の大要塞だとしてもいつか限界は来る。
戦力比十七対一という馬鹿げた戦いをして勝てるなどと、この場の誰も思っていなかった。
「近衛から軍を引き抜き、殿下の直率とする。陸軍は主力部隊の編成を、空軍も輸送部隊を含めた支援部隊の編成を頼みたい。海軍は――」
「精々が帝国領海すれすれの海域で大規模演習を行うくらいしかできませんね。我々の持つ陸戦師団だけでは揚陸戦を行って占領地を得たとしても春まで保持できませんし、帝国内であれば向こうが圧倒的に有利です」
「――その通りだ。各軍参謀本部には摂政殿下より正式に命令が下ろう。諸兄らには参謀本部の作戦案に従って対帝国戦の指揮を執って貰いたい」
カールの言葉に頷く三人。
戦略は彼らの職分ではなく、各軍の参謀本部が考えることだ。その参謀本部が出した作戦案に従って実際の作戦を行うのが彼らの役割だった。
とはいえ、各軍の元帥として元帥府――皇王の軍事諮問機関――を構成しているのはこの三名と近衛軍総司令官を合わせた四人だ。彼らが各軍の長であることに変わりはない。
「殿下の出立は陸軍の編成を待ってからということになる。素早い行動こそ帝国に勝つ第一条件と言えるだろう。各々には己の職分で全力を尽くして貰いたい」
その言葉を最後に、皇国軍首脳部の対帝国作戦会議は終了した。
元々儀式的な意味合いの大きかった会議だが、正規軍の長たちが摂政レクティファールの真意。つまり、今後は貴族軍重視ではなく正規軍重視の政策を行うと知ったことが最大の収穫だったかもしれない。
正規軍は今回の争乱で何の役にも立てなかったという汚名を雪ぐためにこの戦に全力を投ずるだろう。
摂政とその周囲の者たちの目的とは、そこにあったのかもしれない。
◇ ◇ ◇
皇国軍。
それは皇王を最高指揮官として戴く〈アルトデステニア皇国〉の国軍と定義されている。
陸海空の三軍から成り、近衛軍を含めて皇国四軍と称されることもあった。しかし近衛軍は皇国の国法上半正規軍であり、厳密な意味で皇国軍といえば、陸海空の三軍を指す。
無名皇の崩御から始まったこの混乱において、皇国軍は一つの軍事行動も行なっていなかった。もちろん、部隊単位での活動はいくつか見られたが、参謀本部が立てた命令を総司令部が実行するという形での作戦行動は、一切存在しない。
そのせいで無能集団と揶揄されることもあったようだが、皇国軍はその後汚名を雪ぐように活躍を重ね、大陸有数の軍として知られるようになる。
しかし、もっとも多い時期でも兵力は陸軍五十五万、海軍十七万五千、空軍十七万と、近衛軍の陸海空十万を合わせても一〇〇万に届かない。隣国〈新生アルマダ帝国〉の一二〇〇万、〈アルストロメリア民主連邦〉の三一〇万、〈シェルミア共和国〉の一二〇万と較べても、一際少ないことがわかる。無論、兵員の数だけがその軍の能力を計る目安ではないが、当時の大国の中では一際少ない人員であったことは間違いない。
その分兵士一人一人は精強で、帝国では皇国兵を無力化するために十倍以上の損害を覚悟したという。
戦闘系種族の比率が最も高い軍としても知られており、陸軍では獣人部隊や巨人部隊が有名だが、特に陸龍部隊は「陸上戦艦」と呼ばれ、畏怖の対象だった。さらに、この時代最大の水中戦力だった水龍艦隊は世界中の海軍に恐れられ、空軍の飛龍部隊はイズモ神州連合の空中戦艦「天照」と並んで空の覇者と呼ばれた。
◇ ◇ ◇
「白龍公」
会談を終えて廊下を歩いていたカールに背後から声が掛かる。
カールが振り返ると、そこにいたのはつい先ほどまで顔を合わせていた空軍総司令官アレックスだった。
「ハルぺーか」
「いきなり渋面でお出迎えですか、白龍公。一応自分、あなたの元部下なのですが……」
苦笑するアレックス。
彼はカールが空軍の退役大将として士官学校の教官を務めていた頃、その部下として働いていた時期があった。
「元部下であろうと、今では何の関わりもない。素早く確実にことを運べと言い付けたのにこんなところで油を売っている貴様に掛ける情けはないぞ」
「はは、相も変わらず厳しい人だ。今日は公のことではなく、娘さんのことです」
「――メリエラか」
カールは渋面を深くした。
『騎従の契約』を結んでいたとはいえ連合軍陣地に攻撃を仕掛けたことに変わりはない。その文句ならば、それは受けるべきだろうと思い直す。
「済まなかったな。娘が勝手をした」
「いえいえ、あの勝ち気なお嬢様が自ら『騎従の契約』を申し出たと聞いて、摂政殿下とはそれほどの人物かと驚いたくらいです。何よりあの小さかったメリエラ様がご自身で伴侶をお選びになるなど、まさに快事としか……」
そこまで言って、アレックスは目の前の男の米神に青筋が浮かんでいることに気付いた。
あれ、儀式認めたんじゃないの――アレックスは大いに慌てた。
「あ、あー、うん、やっぱり寂しいですよね」
「気を遣うな馬鹿者」
「失礼しましたッ!」
敬礼。
元帥まで位階を進めたアレックスだが、やはりというか元上官には勝てないらしい。
「殿下であるからこそこの程度で済んでいるのだ。もしも他の者であれば――そうだな、もし仮に貴様が娘の伴侶であると仮定するなら……」
カールは最上の笑顔を浮かべて言った。
「貴様は今頃儂の腹の中だ」
そうですよねぇ、それが当たり前ですよねぇ。
アレックスは乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
「それで、何の用だ。まさか娘の契約祝いとでも……?」
カールの目が龍眼になりかけていることに気付き、アレックスは慌てて両手を振った。
「いえいえいえいえッ! メリエラ様の契約に関することではありますが、そのような用件ではありません」
「では何だ」
アレックスは若干逃げ腰になりながらも、空軍総司令官としての役割を全うするべく口を開いた。
「メリエラ・リリ・リンドヴルム中尉を明日付で近衛軍へと転属させます。此度の北征、正直なところ近衛軍は多くの兵を割けますまい。となると殿下の護衛としてもっとも適しているのはメリエラ様です。空軍士官として同道させることも考えましたが、近衛軍の侍従武官として殿下付きとなった方が面倒が少ないでしょう」
アレックスの言ったことは効率云々の問題と言うよりも政治的な要素が多分に含まれたものだった。
メリエラを空軍士官として送り込むにしても、指揮系統に組み込まれていない士官が軍にいるというのは軍令上余り歓迎できることではない。その点近衛士官となれば、個人で摂政直属の侍従武官という役職に就くことができる。侍従武官は近衛軍の正式な命令系統に組み込まれない名誉職的なものであったから、軍令上の混乱は起きない。
ただし、これには別の目的もある。
「メリエラは、これで軍務から離れることになるか」
将来の皇妃殿下を軍に置いておくことは避けたい。
アレックスたち空軍にはそういった思惑もあった。
皇妃が軍務に就くことは可能だが、皇王への配慮もあって危険な任務に就くことはできない。何より、観戦武官として軍に帯同するならまだしも、実際に命の危険のある前線に立たれては軍総司令部の気が保たないのだ。
そのため、空軍はメリエラという空軍士官を今日を以て退役させることにしたのだろう。
「メリエラ様は戦闘騎として類い希な才能を持っておられました。望むなら航空騎兵学校の教官職に席を用意させます。ですが、前線には……」
「よい、あれもすでに気付いているだろう。それを承知で殿下の騎龍となった。親がどうこう言うことは、あれの名誉を傷付けるだけだ」
カールとしても、娘が軍で何処まで行けるか見てみたかったという気持ちもある。
だが、レクティファールの隣に立つメリエラは確かに幸せそうに笑っており、それはカールが何をしたところで与えられなかった表情だ。
それに、あの娘は前線で皇国の盾となることよりも、あの若者を支えることを選ぶだろう。
「何、メリエラが空軍を退いたとて息子もいる。そういえば、あれは最近どうなのだ? 長期休暇になっても基地から戻ってこんのだ」
「息子――エーリケ少佐ですか……航空教導団で雛共を扱いていると聞いていますが……。ああ、そう言えば教え子の娘に懸想しているという噂が……」
「何だと!? 儂は聞いてないぞ!」
げ、またやったか自分――アレックスはこの親馬鹿公爵の逆鱗を見事に狙い撃つ自分の運に絶望した。
「ど、どこの娘だ! まさかもう手を出したと言うのではないだろうな!?」
「さ、さあ、本職には判りかねます。公が直接、基地に行った方が早いかと……」
必要なら慰問という形で準備を整えても良い。
これ以上この鼻息荒い親馬鹿に付き合わされるくらいなら、いっそ慰問の準備をした方が余程ましだ。
「分かった。この戦が終わり次第時間を空ける、慰問の準備を整えておけ!」
「は、了解しました」
アレックスは喧しい足音で去っていく元上官の後ろ姿を見て大きく嘆息した。
あれは絶対孫馬鹿になる男だ。殿下も色々ご苦労なさるだろうな。
◇ ◇ ◇
人々の記憶に刻まれた連合との争いは、その後の対帝国戦争を含めて一つの騒乱と考えることもできる。
レクティファールが摂政として臨んだこの二つの戦いが時代の節目になったことは、以降の歴史を紐解けば一目瞭然で、レクティファールに留まらず、彼の周囲にもこの二つの戦いを契機に頭角を現した者は多い。
皇立企業連合体もこの戦いの復興需要を足掛かりに規模を拡大し、軍もこの戦いの経験を糧に一層の近代化を成し遂げた。皇国そのものが生まれ変わるきっかけと言ってもいいほど、この戦いが各方面に与えた影響は大きかったのだ。
とはいえ、当時の人々は目先の問題を片付けることで精一杯という状況で、自分たちの行動が後世にまで深い影響を与えることになるとは思っていなかっただろう。
そんな皇国の中興を担った彼らが、何十年もあとになって、「あれほどがむしゃらに働いていたことが、まるで他人ごとのように思える」と口を揃えたことが、当時の騒々しくも華やかな時代を感じさせた。
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