第二章:戦後内政編
第十四話「妓楼+女傑=ある意味、レクティファールの試練」
巨大な影が砂塵を巻き上げ、地響きと共に疾駆する。
砂色に塗装されたそれは、陸軍機甲科学校に練習機として配備されている二体の〇七式近接型高等練習自動人形。
つい二年前に制式化され、ここ一年で配備が開始された細身の甲冑の如き姿の巨人はそれぞれ肩に〇一、〇二と記されており、共に機甲科学校の学生に操られていた。
二体は接近しては樹脂製の近接演習剣で互いを斬りつけ、決定打を与えられなければ再び距離を取って相手の隙を窺うという動きを幾度も繰り返している。
元々自動人形は拠点攻略と拠点防衛の為に、古代の遺物である装甲機兵を解析して作られたものだ。その性能は未だ装甲機兵には遠く及ばず、少し力のある種族の個人なら十二分に撃破出来る程度のものでしか無い。
だが、皇国が仮想敵国としている国々の多くは自動人形を配備している。それは単純に、皇国兵が世界でも有数の個体能力を持っており、それに対抗する為の手段として選択されたから。自動人形はそれ相応の資金と設備があれば製造することが出来る。つまり、金さえあれば誰にでも手に入れることが出来るということだ。
但し、自動人形を上手く扱える管制士――自動人形の操作を担当する者――は少ない。
自動人形の性能が上がるほどその傾向はより顕著で、どの国でも自動人形管制士と魔導師だけは個人の持って生まれた才能が重視されていた。
「つまり、俺は夢だった自動人形の管制士にはなれなかったってことだ」
「なるほど」
演習場を双眼鏡で眺め、二人の男が言葉を交わす。
彼らは演習場脇の丘に魔動車を止め、繰り広げられる人形舞踏を眺めていた。
「だが、俺は管制士になる才能は無かったが、砲兵士官としては才能があった。人生は分からん」
「そんなものでしょうに」
才能があるだけまし、とは言わない。
彼はこの世界に才能のない者など居ないと考えていた。この世界に居るのは才能に気付けた者と気付けなかった者、それだけだと。
「お前はどうなんだ」
「――――さあ、どうでしょう。帝国の陽虎姫の姿を間近で見て、それで生き残っているのだから、無能とは思っていませんが」
さりとて、有能とも思っていない。
レクティファールが大過無く摂政職を全う出来ているのは、ただその身に宿した<皇剣>が高い性能を持ち、彼の配下たちがその職分に相応しい能力を持っているからと言って大凡間違いないだろう。
無論、その配下たちから見れば別の意見もあるのだろうが。
「――――美人だったか」
「美人でしたよ」
ち、という舌打ち。
「俺も見たかった」
心の底から吐き出されたと思われるその台詞に、レクティファールは苦笑した。
「映像だってあるでしょう」
「生がいいんだ生が、女は生が一番だ」
「――――幾つか意味があるように聞こえますね」
「助平め」
「お互い様です」
共に微笑を浮かべた二人の男はそのまま演習が終わるまで双眼鏡を掲げ続け、演習を終えた自動人形が蔽いに隠されるまでそこに留まっていた。
その間交わされる会話は特別重要なものではなかったが、無意味なものでもなかった。
そもそも何故二人が連れ立って学校の外に足を運んだかというと、始まりはその日の正午過ぎだった。
レクティファールはその日、午前中だけの講義を終えて自室で本業の書類を決裁していた。毎日欠かさず届けられる書類は城にいた頃よりも枚数こそ減っているものの、扱いに悩むものが殆どであった。
むしろ、余人では到底判断し切れないものだからこそレクティファールの元に届けられるのだろうが、彼は騎士学校の講義が終わったあと、夕食と自己鍛錬の時間を除いて明け方まで書類の処理をしなくてはならなかった。
この生活が始まった直後、明け方まで部屋の灯りが点いていることに気付いたフェリスが角を生やして部屋まで訪れたことがあったが、彼女の班長としての叱責もなんのその、適当な返答と曖昧な態度でそれをはぐらかし、レクティファールはその後も明け方まで内職を続けていた。
注意しても事態が改善されないことに苛立ったフェリスが騎士学校を通して陸軍に抗議したということだが、軍の担当者はただ「職務上必要なことである」と答えるに留まった。彼にはそれ以上の回答が用意出来なかったのだ。
陸軍には確かにレクト・ハルベルンという中尉が存在しているが、その正体が摂政レクティファールであると知っている者は少ない。せいぜい、陸軍元帥と参謀総長とその他の担当者数名程度だろう。陸軍は実質、元帥府や皇王府からの指示で<レクト・ハルベルン>という士官が存在していると見せ掛けているだけで、レクティファールに何らかの命令を与えることはしないし、出来ない。逆にレクティファール側からこういった命令を出すように指示され、言われるままにそれに従っているだけだ。
故に、フェリスからの抗議は事前に用意された台本に則って処理され、結局一つの変化も齎さなかった。
これではいけないとフェリスがレクティファールの仕事を手伝おうとしたこともあったが、それも機密保持の観点から見れば無理なこと。本来の立場で二人が顔を合わせれば不可能ではないのかもしれないが、今の二人は単なる同窓に過ぎない。
「まあ、フェリスも悪い女じゃない。上官にするには疲れそうだが、それも悪くはない」
と、ルフェイルはレクティファールに語り、
「フェリスちゃんは真面目だからぁ……かわいいでしょ? あ、レクト君も無理しちゃ駄目よ?」
パトリシアはそう言って微笑んだ。
ちなみにオリガと言えば、
「――――? 何か問題あるの?」
研究に没頭すれば昼夜なんて関係無いという生活を送る彼女にとって、レクティファールの行動は何の問題も感じないようであった。
フェリス以外の班員には黙認されることになったレクティファールの内職であるが、フェリスはやはり認められないらしく、一日に一度は顔を出し、早く寝るように一言注意するか、眠気を誘うような飲み物を差し入れるようになった。
レクティファールとしても邪険に扱うことは出来ず、されるがままになっているのだが、フェリスの思惑が上手くいく気配はない。眠気さえ制御できる<皇剣>の前に温めた牛乳など無意味だった。
ただ、余りフェリスに心配を掛けるのもどうかと考えたレクティファールは内職の時間をずらすことにした。夜が明ける前まで仕事をしたあと、一度眠り、早起きをして仕事をする。
フェリスはレクティファールの睡眠時間が増えたと喜んだが、実際には――――ということだ。
そしてこの日の午後一時、内職をしているレクティファールの下に、同じく午後に講義の予定が無いルフェイルが訪ねて来た。
彼は日頃余り変わらない表情を珍しく暗いものに変えており、付き合いの浅いレクティファールは心底驚いた。
「――――レクト、すまない」
「え、あ、うん、なんでしょう」
何故謝る、そう思ったレクティファールは次の瞬間猛烈な寒気に襲われた。
<皇剣>使いが風邪をひくなど冗談にもならない、ならば何故か、それは精神から身体に警告が発せられたと考えるべきだろう。なにせ、謝罪の言葉を口にしたルフェイルはいつの間にかその手に一抱えほどの紙箱を持っており、それをレクティファールに押し付けてきたのだ。
「預かってくれ……! 頼む」
「何ですか、これ」
「見てみろ」
「はあ……」
紙箱の蓋を開けると、そこには肌色。
肌色、肌色、肌色だった。
「――――……」
沈黙するレクティファール。
ある種見慣れた、でもこんな昼間から目にするのはどうかと思う品々。
「ルフェイル」
「分かってくれとは言わん。趣味を押し付ける真似はしない。だが……!」
呆れたように溜息を吐くレクティファールの肩を引っ掴み、ルフェイルは血走った目で訴える。
「パティが俺の部屋を掃除すると言って聞かん、うちの阿呆母に頼まれたと言ってな。あいつは馬鹿だが、勘が鋭い。部屋に隠しておいては間違いなく見付かってしまう」
「見付かって困るようなものですか」
艶本など、年頃の男なら持っていて何の問題もあるまい。
レクティファールは周囲が許してくれないので持っていないが。
「見付かることは別に構わん。高等学校時代、いつの間にか綺麗になっていた部屋の机の上に重ねて置いてあったことも今では良い思い出だ。だが、だがな……」
ルフェイルは震えていた。
泣いているのかもしれない。
「パティがことあるごとに俺の大事なお宝の内容を持ち出し、こういうものが好きなのかと訊いてくることには耐えられん! 分かるか! 幼馴染に趣味嗜好の総てを握られていることの苦しみが……! こういうの好きだよね、と書店で指差されることの痛みが……! くそっ、パティもいい歳だぞ、見掛けも悪くないんだぞ、なのに何であいつは全く恥ずかしがらないんだっ!」
「――――へぇ」
どうでも良かった。
心底どうでも良かった。
それでも一応、レクティファールも男である。決して突き放すことは出来ない。
「虚しい、虚しいぞレクト。俺の兄貴は幼馴染とくっついて結婚まで行ったのに、俺の初恋の人だったのに、畜生、何で俺ばかり貧乏くじを引かなくてはいけないんだ……」
「あ――――と、うん、大変だった。大変だったね」
「分かってくれるか」
がばり、と顔を上げるルフェイル。
その鉄面皮に喜色が交じっていた。
レクティファールは微笑み、告げる。
「いや、全く」
「勝ち組め!」
「何故罵倒されねばならないんでしょう。僻みですか」
「――――うむ」
素直に頷くルフェイル。その程度には追い詰められているらしい。
レクティファールは仕方が無いとでも言うように嘆息し、押し付けられた紙箱を備え付けの衣装棚に押し込んだ。
「あとで別の場所に移しますが、とりあえずここで」
「感謝する……! 今日から俺を親友と、いや、魂の義兄弟と呼んでくれ」
「緩い親友やお手軽な義兄弟ですね」
「須らく切っ掛けとは些細なものだ」
「まあ、確かに」
頷くレクティファール。言われてみればその通りだと思った。
今の自分の立場とて、あの湖の出会いから始まったのだ。人生とは何があるか分からない。
「それで、用事は済みましたかね。私はまだ仕事が残っているので――――」
「まぁ待て」
そう言って扉を閉めようとするレクティファールだが、ルフェイルは身体を扉の間に挟んでそれを妨害する。
困惑と怒りが混じり合った微妙な表情でルフェイルを見詰めるレクティファールだが、当の本人はいつもの無表情だ。
「仕事、あるんですが」
「そんなもの、夜でも出来るだろう」
「それはそうですが」
「丁度良いから今日は俺が色々島を案内してやる」
「はあ」
そういえば、島の地理は事前に覚えたものしか知らない。
班の仲間と食事に出たこともなく、街はこの騎士学校に来る前に通過しだけだ。
今後この島で暮らすなら、知っておいて損はないかもしれない。
「それはありがたいですが、何故突然」
「前に言ったろう。女には相談出来ないこともある、と」
「言いましたね、そういえば」
「うむ、ついでに島の郭にも連れていってやろう。軍の荒くれ者を相手にするだけあって、中々良い女がいるぞ」
「は? 何ですと?」
「心配するな、騎士様のご子息が行っても問題ない合法の店に連れていってやる」
言うやいなや、レクティファールの腕を取って歩き始めるルフェイル。
レクティファールは慌てて部屋の扉を閉め、自動的に鍵が掛かったことを確認した。この部屋にだけ取り付けられている自動施錠装置だ。油断すると部屋から締め出される。現に一度、フェリスが締め出された。
レクティファールは懐に部屋の鍵が入っていることを確かめると、自分を引き摺るルフェイルに向かって、力無く訴える。
「あの、引っ張らないで欲しいなぁなんて……」
「恥ずかしがる必要はない。向こうは専門家だ」
「いや、そうではなく」
「街娼なら非合法な女も多いが、何、俺に任せれば側妃アリア様にも負けない女の居る店だって楽しめる」
「だから、人の話を聞いてくださいって言うのに」
ルフェイルはずんずんと宿舎の廊下を進んでいく。
「実は知り合いから車を借りた。機甲科学校の演習場で新型の自動人形が演習中らしいから、まずはそこから行こうと思う」
「自動人形、好きなんですか」
「男の浪漫だ」
ふん、と鼻息荒く答え、ルフェイルは力強く歩を進める。レクティファールといえば、もう半ば諦めたように脱力していた。抵抗する理由を見付けようとしたが、見付けられなかったのだ。
最後の抵抗とばかりに、レクティファールはルフェイルに問うた。
「門限までには帰れますかね」
「門限破りも男の浪漫だ」
「――――」
ああ、やっぱり――――レクティファールは嘆息し、そして完全に諦めた。
アルストロメリア民主連邦首都アニュアの中央に鎮座する歴史的建築物。
その建築物――――大統領官邸はその外壁の色と形状から、<瑠璃宮殿>と呼ばれていた。<瑠璃宮殿>は元々この地を治めていた国王の居城を改修したものであり、宮殿という呼び名は決して間違いではない。ただ、その政治形態から宮殿という呼び名は相応しくないのでは、という意見があり、公的には大統領官邸とのみ呼称されている。
その連邦大統領官邸の一室で、初老の女性が大きく溜息を吐いた。
彼女の手には国務長官の花押入りの報告書がある。
「――――国務長官は、わたしに何を求めているのかしらね」
「皇国に対して、余計なことをするな、と言って欲しいのではないですか」
彼女の愚痴に近い呟きに答えたのは、彼女が最も信頼する補佐官だった。
竜胆色の髪を撫で付け、銀縁の眼鏡を掛けた青年と呼んでも差し支えのない風貌だが、その鋭い視線と理知的な雰囲気はその年齢を一回りも上に見せている。
勿論、彼女――――アルストロメリア民主連邦大統領たるキアラ・バルバロスにとっては、見慣れた補佐官のいつもの姿でしかないのだが。
「マルドゥクに関わるな、と、私が? 皇国に?」
「はい」
補佐官は感情の一切を感じさせない声音で肯定した。
しかし、信頼する補佐官の言葉にキアラは頭を振り、報告書を手渡すことで説明の手間を省く。
疲れたように眉間を揉みほぐし、彼女は口を開いた。
「無理よ。私たちは皇国に大きな借りがある。でもそれは、国民が思うような感情的なものではないわ」
国家は感情を持たない。
感情を持つのは所詮その国の国民であり、国民の感情はときとして国家の感情のように錯覚されるが、それはどれほど強くなろうとも錯覚の域を出ることは出来ない。
アルストロメリア民主連邦がアルトデステニア皇国に抱いているそれは確かに人が持つ罪悪感に似たものであったが、それは国家間の交渉で何らかの役目を果たせるようなものではない。ただ変えようのない現実として、アルトデステニアはアルストロメリアの現政権を今の立場から追い落とすだけの情報――先の戦いでの連合軍将兵の犯罪行為――を手札として握り、それを未だ切っていないのだった。
そんな両国の関係を人同士のそれに置き換えたとき、アルストロメリアはアルトデステニアに引け目を感じているとも、アルトデステニアがアルストロメリアの弱みを握っているとも言える。アルトデステニアに好意的な見方をするなら前者であり、アルストロメリアに同情的な見方をするなら後者だ。
「摂政殿下はあの戦いで我が軍を叩いたけれど、人的な損害は殆ど無し。そのせいでわたしたちは皇国の言う『自衛権の行使』を認めるしかなかった」
皇国摂政軍が連合軍を攻撃したという事実は、連合軍に兵士を送っている各国の市民にすぐに知られることとなった。当事者である皇国がそれを宣伝したからだ。当然、市民は憤慨した。自分たちは皇国の国民を守る為に軍を送ったのに、何故攻撃されなければならないのか、と。
しかし皇国はこの攻撃を『各国政府の統制を外れつつあった連合軍への牽制と、国民の生命を守る為の正当防衛である』とした。
各国政府からの訓示で皇国国民への犯罪行為は厳に戒められていた筈なのに、一部の扇動者はそれを意図的に破り、不必要に両者の緊張を高めた。その結果両者は互いに望まぬ戦闘状態に突入し、いつしか互いを憎しみ合うこととなった。
摂政軍が介入した時点で、連合軍は一方的に始原貴族軍を攻撃していた。摂政軍の攻撃はそれを停止させる為の正当防衛であり、連合軍の殲滅を目的としたものではない。皇国側の説明はこれに尽きる。
そして連合各国は、結果としてこれに追従することとなった。
連合軍が始原貴族軍に対する攻撃を行う直接的な原因となった所属不明部隊が、皇国の部隊ではないと証明されたからだった。
その決定的証拠となったのは、連合軍に従軍していた写真家の撮った写真だった。彼は自分たちに向かってくる部隊を写真に残しており、戦闘後、それを公表した。
調査の結果、彼らの装備は確かに皇国軍で採用されているものであったが、それは貴族軍のものではなく、“正規軍”のものだと判明した。それも既に廃棄されつつある旧式装備である。
「参戦していない正規軍が、何故連合軍を攻撃出来るのか。自分たちは正規軍の無実を証明する明確な根拠を有している」
皇国側はそう主張し、軍事機密であるにも関わらずその装備を持つ全部隊の行動記録を連合軍に提出してその精査を求めた。結果は、皇国側の主張を全面的に支持するものだった。
その結果を受け、連合各国は一斉に所属不明部隊が皇国の部隊ではないと発表。
更にあのミラ平原での戦いは連合と皇国に対して悪意を抱く何者かの策謀であり、連合と皇国の間には既に敵意は存在しないとも付け加えた。
両者とも、もう終わりにしたかったのだ。
皇国は帝国との戦いが控えていたし、連合はもう戦う理由を失っていた。双方とも戦って得るものは無く、それ故に戦う意味を持たなかった。
だから、互いに一番傷の浅い決着で手打ちにした。
「皇国は市場としての我が国を捨てられず、我が国は多くの資源を皇国に依存している。我々はもう、互いを滅ぼすには難しい間柄なのよ」
滅ぼすには、それこそ相手国の総てを手に入れるだけの力が必要になる。相手に確実に勝つだけの力を手に入れ、戦火で荒廃した国を復興させるだけの力を蓄えなければ戦うことは出来ない。そして、今のアルマダ大陸にそんな悠長なことを考えられる国は存在していない。
その国内総生産額で大陸の三大国と呼ばれる新生アルマダ、アルトデステニア、アルストロメリア。それ以外にも東方には海軍大国にして貿易大国のイズモ。南洋諸島の小国とて多くの海洋航路をその手に握り、決して劣弱国と侮ることは出来ない。
世界には既に大陸を制した超大国も存在しているというのに、未だこのアルマダ大陸は戦乱の潰える気配を見せていない。その戦乱が大陸の活力となっていることは確かだが、それもいつまで続くか分かったものではない。イズモに挑発行為を続ける南北のウォーリム教国を始めとして、この世界にはまだまだ外の世界へと拡大しようと企む国家が多く居る。アルストロメリアのように大陸の中で三番手、四番手に甘んじているような国が果たして一〇〇年後、一〇〇〇年後の世界で生き残っていられるのか、想像するだけで気分が悪くなった。
「あの摂政が時代の先を見ているならその考えに乗るのもひとつの手段、とお考えですか」
アルトデステニアは明らかに帝国との戦いを念頭に国力の増強に努めている。軍の頭脳集団が彼女に提出した報告書によると、次に発生する帝国との戦いは長きに渡る両国の戦乱の歴史に終止符を打つ程の規模になるのではないかとのことだ。
二度も三度も総力戦は出来ない。
ならば、たった一度の戦いで総てを決することが最良。
間違いなく、アルトデステニアはそれを目指している。
「ええ、あの若い摂政が皇王になっても今のままの考えであるなら、それがこの国を生き永らえさせる唯一の手段だと思う。アニュア・ハイストが夢見た国民の為の国民の国家、その形が一つだけなどと、誰が決めたの?」
「――――仰る通りです」
頭を下げた補佐官は、しかし自らの大統領の考えに完全に同意した訳ではない。
妥協は怠惰に繋がる。自国の運命を他国の君主に委ねるなど、この国を作り上げた先人たちに対する裏切りではないか。
確かに現状、この国を亡国としない為には大統領の言う策が一番適しているだろう。
しかし将来、現大統領が政権から退いたときはまた別の考えがこの国を導く。皇国のように何百年も同じ元首が国を導くということはこの国ではありえない。それがこの国の長所であり、短所でもある。
誰しもが頂点に立てる国。
だがその足元には――――
「大統領、上院院内総務との会食の時間です」
「分かったわ」
もしかしたら、あの若き支配者の統べる国よりも多くの骸が弔われることなく野晒しになっているのかもしれない。
ここは、敗者が顧みられない国だから。
喧騒。ひたすらに喧騒。
黄昏も既に過ぎ去り、陽の光は山の向こうに残るのみ。街灯が点り、島の色街は稼ぎ時を迎えていた。
艶やかに着飾った公妓たちが店先に立ち、その艶姿で男たちを絡め取る。郭に入ってから幾度も街娼に声を掛けられたレクティファールだが、なるほど、彼女たちはそこらの娼妓とはひと味違うと思えた。
国家公認の遊女ともなれば彼女たち自身の努力なしに地位を保つことは不可能で、それらの努力こそが彼女たちの身から溢れ出る色香になっているのだろう。男たちはいつの時代も、ただ艶やかで自分の思うがままに狂わせられる女よりも、自らの総てを賭して狂わせたいと願う女に惹かれる。彼女たちは、まさに男が願う女の姿であった。
「どうだ。中々のものだろう」
無表情に街娼の誘いを躱したルフェイルが、隣を歩くレクティファールに囁く。
レクティファールは素直に頷き、苦笑した。
「気後れしますね」
「俺も最初はそうだった。――――いや、今でもそうか」
彼は迷いのない足取りで通りを進み、一件の妓楼の前で立ち止まった。
その間にも幾度か客寄せに声を掛けられたが、目的地の決まっている二人はそれをのらりくらりと潜り抜けてきた。目的地と言ってもそれを知っているのはルフェイルだけであったが、レクティファールとしてはこれからそれなりの付き合いになる彼を信用しない理由は無い。常に表情が変わらず、捉え所のないルフェイルであるが、友人として見るなら少なくともレクティファールには付き合い易い男だ。
「ここだ。この島に来てからもう六年だが、ずっと世話になっている」
「ずっと、って何歳から出入りしているんですか」
「十八だな」
「――――こういう女遊びを覚えるには早くありませんか?」
「いや、同期の兄の友人という人がすごくてだな、俺を寮から拐った挙句、妓楼を五軒も梯子するような人だったんだ。決して俺の意思じゃない」
ルフェイルが饒舌になるのは、こうした言い訳のときだ。出会ってから間のないレクティファールが気付いているのだから、他の班員が気付いていないとは考え難い。パトリシアならひょっとして、と考えてしまうが、幼馴染という話だったのでそれもないだろう。
「信じてないな」
「ええ、全く」
「――――」
ルフェイルは何か言いたげに何度も口を開いたり閉じたりしていたが、やがて諦めたように溜息を吐いた。
「そうだ。俺とて初めて色街に来て浮かれていた。最初の女がいい女でな、しばらくは毎週のように通った」
「それがここですか」
「うむ」
レクティファールは妓楼を見上げ、小さく笑った。
不慣れな同輩を早く今の生活に馴染ませてやろうというルフェイルの不器用な気遣いは、もう笑うしか無い。本人に言っても否定されることは分かり切っている。
「では、よろしくお願いします」
「任せておけ」
レクティファールの言葉に顔を背け、ルフェイルはのしのしと妓楼の表口へと向かう。両開きの店の扉に嵌めこまれているのは曇硝子で、中の様子を見ることは出来ない。
ルフェイルは手慣れた様子で把手に手を掛け、
「――――ん?」
そこで動きを止めた。
レクティファールはルフェイルの様子に気付き、訝しげに眉を顰める。
何があったのか、そう問い掛ける前に答えは分かった。
扉の向こうが、騒がしかった。
男女が大声で怒鳴り合っているらしい。
「――――喧嘩、いや、客と揉めているのか」
「ふむ」
ルフェイルは声の主のどちらかに心当たりがあるらしく、眉間に深い皺を作って「今度の相手は誰だ」と呟いている。
レクティファールといえば、また厄介ごとかと諦めの色を瞳に滲ませて体内の<皇剣>を暴徒鎮圧用の非殺傷戦闘状態へと移行させた。
視界に赤外線探査画像を重ね、扉の向こうの状態を確認する。
「あ」
丁度、人の形をした何かが、扉の向こうから飛来してくるのが見えた。
レクティファールは間抜けな声を漏らし、ルフェイルはそれを一瞥する。何があった、とその目は訊ねていたが、彼は友人の首根っこを掴んで引き倒すことで答える。
「レクト、何を……」
突然引き倒されて驚きの声を上げるルフェイル。
だがレクティファールが答える前にルフェイルのそのすぐ背後、妓楼の正面玄関が内側からの衝撃で吹き飛んだ。
木材が折り飛ぶ音と硝子の砕ける音が通りに響き、さらに扉を突き破った物体が地面に落ちて呻き声を上げる。
「――ぎゃ……っ」
蛙の潰れたような声とは、こんな声をいうのだろうな。レクティファールは自分の通う騎士学校の制服を着たその物体に冷めた視線を向けた。
「な、おい、大丈夫か……!」
ルフェイルが慌ててその物体に駆け寄ろうとするが、レクティファールはその肩を掴んで動きを制した。
今度こそ困惑したような視線をレクティファールに向けるルフェイルだが、吹き飛んだ扉の向こうから聞こえてきた声に動きを硬直させる。
ほっそりとした靭やかな身体を薄手の衣装に包んだ女が、レクティファールたちの前に現れた。
「うちの娘たちはあんたの国の娼婦とは違うんだよ。冗談半分の値切りなら笑って済ませてやる。強引な求めににだって答えてやらないこともない。だがね、面白半分に刃物を持ち出すような馬鹿はお断りだよ」
深緋の髪は結い上げられ、気の強そうな吊り目は真紅。その衣装も濃紅で、レクティファールにはその女が炎を纏っているように見えた。
「どこぞの国の貴族様とて、店に入ればただの男。敬って欲しければ敬うに足る男になり、侍らせたければ侍るに足る男になり、組み敷きたければ組み敷かれるに足る男になりな」
女はそう言って自分がふっ飛ばした物体に歩み寄り、その襟首を掴んで持ち上げる。
そこで初めて、レクティファールは吹き飛んできた物体が自分と同じ学校に通う候補生であると確信した。
確か、皇国の隣にある小国の貴族。騎士学校には留学生として所属していた筈だ。
「これは返すよ。衛視にも通報しない、だが、その性根を直さない限りアタイの店は出入り禁止だ」
その眼前に短剣を突き付け、女は貴族の男の顔を恐怖一色に染め上げる。
貴族の男はもごもごと言い訳をしていたが、ずいと鋒を押し込まれて黙り込んだ。
「失せな」
男を解放し、その革帯に短剣を押し込んだ女は店に戻ろうと踵を返す。
しかし、それでは終わらなかった。
「――――っ」
レクティファールは、立ち上がった男が革帯から短剣を引き抜いたことを認めて一歩を踏み出した。ルフェイルも同じことに気付いたらしく、その巨躯に似合わぬ俊敏な動きで走り始める。
怒りに染まった男の顔は、その短剣を何の為に抜いたのか彼らに教えてくれた。
「この……っ」
二歩目。レクティファールの踏み込んだ石畳が陥没し、ルフェイルの足元で擦過音が生まれる。
三歩目。石畳を耕し一気に加速するレクティファール。ルフェイルは身体を低く保ち、速度を上げた。
四歩目。二人は丁度横一列に並び、視線で会話する。
五歩目。機を合わせた二人は同時に地面を蹴り、虚空に躍り出る。
「クソアマっ」
罵声と共に、男が短剣を女に向けて突き出した。
その直後、
「――――ぐぎゃっ!?」
男は、二人の男の飛び蹴りを受けて再び石畳を熱い抱擁を交わすこととなった。
錐揉みしながら吹き飛んだ男は何度も石畳の上で跳ね、近くの酒場の壁にぶつかって動きを止めた。
「――――」
白目を向いた男を、騒ぎを遠巻きに見ていた野次馬たちが囲む。
彼らは男が気絶しているのを確認すると、振り返ってレクティファールとルフェイル、そしていつの間にか彼らのすぐ背後に立っていた女に向けて笑顔を見せた。
「おーい、リーサちゃん。奴さん飲み過ぎだな。よく寝てらぁ」
「この馬鹿のことはこっちで適当に済ませとくさぁ、リーサちゃんはそこな色男どもの相手してやんな」
「ルフェイル、お前イイトコ見せたなぁ……」
「てか、ルフェイルの隣にいんの誰よ」
やいのやいのと騒ぐ野次馬たち。彼らは貴族の男を何処からか持ってきた縄でふん縛ると、神輿のように担いで通りの外れにある衛視詰所に運んでいく。手慣れた様子に、レクティファールは少々面食らった。
どうやら、ここではよくあることらしい。治安は大丈夫かと少し心配になった。
「――――世の中とは、中々刺激的のようで」
その呟きは、誰にも聞こえなかったようだ。
リーサと呼ばれた女はやれやれと頭を振ると、二人に話し掛けてくる。
「ま、アタイ一人でもどうにかなったんだけどね。一応礼は言っておくよ」
「強がり――――ではないか」
ルフェイルはリーサの手に花の装飾の施された鉄扇があるのを見て、納得したように頷く。
そういえば、この女はこの程度の暴漢にどうこう出来るほどか弱くはなかった。
「そういうこと、うちに来たんだろう? 色々おまけしてやるから楽しんでっておくれ」
「うむ、そうさせてもらう」
「で、こちらさんは?」
リーサはレクティファールを見上げ、じっとその顔を観察する。
その手に鉄扇が握られたままなので、レクティファールは少しだけ引き下がってしまった。
「俺の同輩だ。島に来たばかりでな」
「ふぅん、人を案内できるくらい偉くなったってことかい。出世したねぇ、初めてのときは何も知らないでアタイにいちいち――――」
「余計なことを言うな」
異常なまでの威圧感を纏い、ルフェイルはリーサに詰め寄る。
リーサははいはい、と笑ってルフェイルから逃れ、店の中へと二人を導く。
「アタイはリーサ。この街じゃ、それだけで十分さね」
そう言って満面の笑みを見せるリーサ。
ルフェイルは疲れたような顔で彼女のあとに続き、レクティファールは困惑したままルフェイルのあとを追う。
ふと見上げた妓楼の店先に、『ハルモニクス』という店の名が掲げられていた。
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