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第二章:戦後内政編
第六話「懐古=里帰り」



 重々しい鈍色の冬の雲が本格的に皇都を覆い隠そうとする直前の黒の第一〇月初旬。

 アルカディス湖とその水を利用した水路の恩恵で一年を通して過ごしやすい皇都だが、この頃になると山に遮られた雪雲が落とす小さな雪が時折ちらつくようになり、皇都で営業している乗合魔動車や乗合馬車の会社の多くでは車輪を冬用のそれに交換する作業に追われ、商店に並ぶ品にも暖房器具や固体燃料が目立ち始める。街のそこら中にある魔道具店では暖房器具の魔導術式の摩耗部分を刻み直す仕事が最盛期を迎えており、まさに皇都は来るべき白銀の季節に向けて街全体で準備を進めている最中だった。

 そんな街の支配者の座す皇城でも冬に向けての準備は進められており、庭の木々に冬支度をする庭師の姿もちらほらと見られた。寒さに弱い植物はすでに冬支度を済ませてあるが、寒さに強い植物はこの頃冬支度を済ませるらしい。

 皇都中が何処か騒がしい、祝祭前のような独特の気配に包まれる中、一人の男が皇城の最上階近くにある摂政執務室で温かいお茶を飲んで一言――――


「――――そして皇城の中は暖房で眠くなる、と」


 一五時の小休止の締めとして、レクティファールは“皇剣”の演算領域外の、心地良い眠気という最強軍団に蹂躙されつつあるぼんやりとした頭で、ろくに考えもせずぽつりと呟いた。


「窓、開けますか?」


 その台詞が聞こえたらしく眉間に青筋を立てた額から頭頂部が禿げ上がった小太りの中年男性の秘書官が、地獄の底から響いてきそうな声で尋ねた。

 レクティファールは慌てて頭を振る。


「いいや、結構だ」


 誰が好き好んで寒さに震えるか。

 執務室の温度も皇城の他の部屋に較べれば、二度も三度も低い。魔導式の暖房は設定温度が変わっても消費する魔力が変わるだけ、魔力は魔界がある限り枯渇することはないから魔力の無駄遣い削減という訳ではないのだが、レクティファールとしては暖かすぎると判断力が鈍るとしてこの温度に設定していた。

 もっとも、慣れてしまえばやはり眠気を誘う温度に違いはないのだが。


「では殿下、休憩も済んだことですし、次はこちらの案件をお願いします」


 皇城に勤める侍女がレクティファールから茶碗カップを受け取ってそれを片付けると、秘書官は広々とした執務机に紙で出来た塔を建設した。手馴れた動きだった。

 数は八つ。午前中にレクティファールが片付けた塔と同じ数だ。


「――――最近、何故私の所にこんな数の書類が届くのか、真剣に悩んでいるんだが……」


「殿下の推し進めておられる計画に気の利く文官が引き抜かれているからです。経験を積めば殿下に御裁可頂くべき書類と、そうでない書類の見分けもつくのでしょうが……」


「若い文官たちにはなかなかそれが出来ない、と」


「何事も、手の抜き場所というものがありますからな。――――しかし、これでも大分減ったのですが」


 秘書官の言葉に書類の塔を見上げるレクティファール。

 その間も手は勝手に動き、書類を決済していく。“皇剣”の処理能力はこの塔を攻略するに十分過ぎた。


「新しいことを始めた頃は、どんなことでも最初はこんなものです。特に計画の発起人は苦労するものではないですか」


「――――――――うむ、必要な苦労なら私は構わないぞ。何より新しいことは一番上が『我ニ続ケ』の精神でやらなくてはな」


 だが、必要以上の苦労はお断りだ――――レクティファールの目はそう言っていた。秘書官はそれを正確に読み取り、上司に対する礼儀として内心で苦笑を漏らす。


「若い頃の苦労は歳をとってからの楽に繋がるもの。殿下が陛下と呼ばれる頃には、あのひよっこどもも多少は使えるようになっているでしょう」


「使えるようになってもらわなければ困る。文官の給料は安くない」


「先行投資という言葉もあります。――――まあ、私は給料分程度働く所存でありますが」


 レクティファールは秘書官の言葉に頷いた。

 皇王の秘書官は大きく分けて二種類存在する。

 皇王府の職員か、三院などの行政官庁から出向してきている職員か、だ。

 そもそも皇王とは、皇王家の当主であって皇国の国家元首でもある。市井の多くの者たちはこの二つの立場を混同しがちだが、制度上これらは全くの別物だった。

 皇王家は確かに巨大な組織ではあるが、これは国家機関としての行政機関ではない。あくまでも一つの家を運営する為の組織だ。職員も皇王の家臣ではあるが法律上国家職員とは看做されない。対して行政官庁は国家機関であり、その職員は国家の公的職員であった。

 無論、皇王府職員は慣例的に国家職員と同じように扱われているし、行政職員も国家元首が皇王である以上、皇王の家臣と言えなくもない。

 そして、レクティファールの目の前に居る秘書官は、皇王府所属ではなく内務院民政庁から派遣されてきた秘書官だった。彼は摂政レクティファールの進める都市建造計画に於いて、内務院と摂政を結ぶ連絡員としての役割を負っていた。つまり、今彼が作り上げた書類の塔に関する仕事は本業ではないということになる。

 しかし、今の皇城では、それが当たり前なのだ。

 誰もが自分の職分を越えた仕事を任されている。出来るならばやれ、というある種の暴論がここではまかり通っていた。

 内乱鎮圧と帝国撃退という経験を引っ提げた摂政がそれを主導しているのだから、それを止められる者はそう多く無い。そして止められる立場にいる者たちは、それを行う意志がなかった。止める理由を持っていなかったと言ってもいい。

 彼らにしてみれば今の忙しさは限りある時間の中で出来るだけの、考えられるだけの諸々を実行するためには必要な苦行であったからだ。確かに“効率的”という言葉からは程遠いかもしれない、しかし、理想がそのまま現実に沿うことは極々稀。そう考えた結果、皇城の人々は目の前にある、自分に出来る仕事をひたすらに片付けることを選んだ。

 その甲斐もあってか、皇国は他国の大使や公使が瞠目する程の速さで戦後復興の道を歩んでいる。

 国内での連合軍脱走兵の賊徒化や先頃までの不況で発生した盗賊などの治安上の問題も、軍務経験者を組み込んだ皇国衛視庁の特別強襲部隊と戦後新たに編成された郷土守備軍である各州軍の活躍もあり、ここひと月は小康状態を保っている。

 陸、海上流通網の健全化と物資流通量の戦前水準までの回復は皇国経済を再び成長させるために不可欠な要素であり、レクティファールを筆頭とする政府はこの討伐任務の成功を近々国内外に発表する予定だった。この発表で外国資本の皇国復帰が成れば、皇国やそれを取り巻く諸外国の経済状況も多少は改善されるだろう。

 恐ろしいのは経済活動が鈍化することではない。その経済状況の悪化によって治安が悪化し、そしてその治安の悪化でさらに経済に打撃を受けることだ。

 皇城に勤める文官たちは、少なくともその答えに行き着く頭脳の持ち主だった。


「そういえば、マイヤーの大公が息女の輿入れを望んだとの噂がありますが……」


 秘書官は現在の皇国が置かれている状況を頭の中で幾度も計算し直しながら、上司に対して、仮に事実であった場合、その計算内容を変更せざるを得ない不確定情報の真相を確認する。

 問われたレクティファールはその内容が秘書官の職務に関わることだと判断し、すぐに答えた。


「ウィードベッケル辺境伯公子との縁談を纏めた。ついでに関税撤廃と皇国資本の国内市場への参入も認めさせた。ああ、あと皇国軍の駐留もな」


「――――それはまた……」


 秘書官にはマイヤー大公国の大公が打ち拉がれている様子が容易く想像出来た。

 マイヤー大公国は先代の御代に正妃を嫁がせたこともある皇国の同盟国だったのだが、先の戦いでは連合軍に呼応して皇国の国境を脅かした。その責を問われて一度は賠償金を支払ったマイヤー大公国ではあるが、皇国がその力を取り戻した以上その庇護の下に入ることは国家の安全保障上避けられない。

 避けられないのなら、出来るだけ自国の価値を高める必要がある。

 そうして考え出された手段の一つが公女の皇王家への輿入れだった。

 皇国皇王家の縁戚ともなれば、それは皇国以外の国家と交渉するときにも有効な札となる。自分たちの背後に皇国が控えていると誇示するだけで、彼らは自分たちの力以上の成果を手に入れられるだろう。

 もっとも、今の大公国にはそこまで考える余裕はない。ただ、自国と自国の持つ諸々の権利を守るための申し出に過ぎなかった。

 畢竟、その答えは限りなく“否”に近い“是”であったのだが。


「ウィードベッケル辺境伯家といえば先代陛下の姫君、つまりは当代陛下の妹君が嫁がれた家、名門と呼んで差支えはありませんが……」


「私との関わりは少ない。――――まあ、我が国との縁戚と見ればそう悪い縁組ではないだろう。辺境伯に『ウィードベッケルは先代陛下の信任厚い忠臣。今回の戦では中立を保ったが、これも先代陛下への忠義故なのだろう』と言ったら、今回の縁組も良縁だと言って喜んでくれた」


「――――――――それは、確かに良縁でしょうね」


 大公国、辺境伯領ともに摂政の提案を受け入れる以外に生き残る術はない。しかし少し妥協すれば、双方ともにそれなりの利を得られるようになっている。大公国は皇王家と縁の深い名門貴族と縁戚になることで皇国の後ろ盾を得ることが出来るし、辺境伯は属国とはいえその縁戚に連なることで、今後もその家格に相応しい扱いを国内国外を問わず受けることが出来る――――じっとりと重い冷や汗を垂らした秘書官は、マイヤー大公国と国境を接するウィードベッケル辺境伯領も計算に含めることにした。

 丁度二人の会話が途切れたそのとき、レクティファールの机の端に置いてあった送受話装置が呼び出し音を鳴らした。

 レクティファールは書類を決済する手を止めること無く、片手で送受話装置の晶盤に指を這わせる。

 晶盤の上に、小さな表示窓が浮き上がった。

 そこに映し出されたのは若い女性、隣の秘書官室に詰める皇王府から派遣された摂政秘書官の一人だ。


「何だ」


<――――面会予定の方が見えているのですが……>


「分かった、通せ」


 短い遣り取りを終え、送受話装置が沈黙する。

 そして訪れた沈黙に、秘書官はこの部屋から出る機会を得たのだと気付いた。彼は一礼すると秘書官室へと続く扉まで下がる。

 客人に対して姿勢を正した彼の目の前で、数度ノックされた扉が開いた。


「皇王府総裁兼国家特別審議官ルキーティ・フェル・フェアリオス閣下、近衛元帥ベルファイル・ハウサー閣下、皇国軍教育総監海軍少将エル・カリュケイオン閣下、お見えになりました」


「うん」


 レクティファールが頷いたのを見て、扉を開けた若い女性の秘書官は先程名を伝えた三名を摂政執務室へと促した。

 三人はそれぞれ一礼して入室し、レクティファールの居る執務机の前に整列した。

 子どものような妖精族の長老と、何処か官僚じみた風貌の、近衛軍の再編によって元帥位に列せられた近衛軍総司令官。そして街中で駄菓子でも売っていた方が似合いそうな、小柄で恰幅のいい中年の女性軍人。

 皇国の他民族性と実力を第一と考える風潮をよく表した光景と言えるだろう。

 先程までレクティファールと会話していた秘書官は、そんなことを考えながら同僚と共に退室した。


「前置きは良い。まずは近衛軍の再編状況から聞こう」


 レクティファールはまず挨拶から、と口を開きかけたルキーティを制する。

 三名は摂政が上辺だけの社交辞令を必要としていないと判断し、その言葉に従うことにした。


「では、小官から近衛軍の現状についてご報告申し上げます」


「うむ」


 レクティファールは一歩進み出たベルファイルを真正面に見据え、先を促した。


「陸海空のいずれも当初の予定通りに再編が進んでおります。ただ、海軍艦艇に関しては主力艦は元より補助艦艇も新たに建造する必要がありそうです。諸侯軍より編入した補助艦艇にはとても実戦には耐えられないというものも多いので、予定を前倒ししてフォークスの皇立造船工廠と民間造船会社に発注をかけました。これが発注先です」


「発注にかかる予算については、皇王府総裁として殿下よりお預かりした予備費を充てました」


 用箋綴に綴じられた報告書を手渡すベルファイルの発言をルキーティが補足する。

 近衛軍はレクティファールの軍隊であるから、そのレクティファールが認めているならその予算の行使のたびにいちいち皇国軍にお伺いを立てる必要はない。無論、皇国軍の行動を妨げないことが前提ではあるが、ある程度の自由はある。

 今回発注された艦艇の建造も、皇国海軍の艦艇や民間船の建造を行っておらず、空いた船渠で行われることになっている。


「海軍艦艇に関しては、今年の終わりまでに新たに六隻の強襲揚陸艦と二隻の重戦艦、四隻の軽戦艦を起工する予定です。巡洋艦以下の艦艇に関しましてはこちらに詳細を記載してあります」


 ベルファイルが新たに差し出した計画書を受け取り、それに軽く目を通すレクティファール。

 この計画が予定通りに進めば、正規海軍と較べればその規模は小さいが、近衛海軍も一個の海軍として十分な戦力を保有することになる。レクティファールの号令一下、即応してことに当たることが出来る高速海軍として。


「陸軍は旧黒龍公軍と旧近衛軍を中心に四個師団。空軍も旧白龍公軍と紅龍公軍を中心に二個航空軍を編成しました。引き続き再編を進める予定です」


 新たな近衛軍は、レクティファールの命令が下り次第大陸のいずれの場所にも三日以内に纏まった戦力を投入できる能力を求められている。海軍の艦艇に陸軍の兵士を積み込み、海軍の戦龍母艦――戦母とも呼ばれる、文字通り戦う龍の母艦――から飛び立った空軍の航空騎の援護の下で揚陸作戦を行う。または空軍の輸送騎に陸軍兵を積み込んで大陸の奥深くに拠点を構築するなど、その高い即応性で皇国側の優位を早期に確立することが主任務とされている。

 旧近衛軍は皇国最後の砦として皇都に存在したが、新たな近衛軍は摂政や皇王の振り翳す剣として最前線に立つことが求められていた。これは総兵力で帝国に劣る皇国が、その展開速度と高い質で帝国軍の鼻先を押さえるために考え出されたものだ。そして戦争の短期決着は、経済的な負担を軽減することにも繋がる。

 最速の最精鋭。それを実現できるのは今の皇国では皇王家の軍隊である近衛軍以外に有り得なかった。


「今ご報告申し上げた通り、近衛軍の再編は予定通りに進んでいます。また今回皇王家が支出した資金に関しても、おそらく一〇年程度で回収可能でしょう。思い切った資本投下が功を奏したらしく、皇国の経済状況は予定よりも早く持ち直しそうです。ただ、それまでは今まで以上の倹約が必要になりそうですが――――」


 ベルファイルの上司でもあるルキーティがそれを引き継ぐ形で報告する。

 皇王府は皇王家の資産を捨てるような資産運用はしない。長い時間を掛けてでも、投資したもの以上の利益が出ると判断したときのみその財布の紐を解くのだ。それを理解していない民たちは、皇王家が私財を擲って自分たちを救ってくれたと思っている。ただ、その民衆の支持は金を払ってでも買う必要のあるものだった。特に、今の皇国ではそうだ。

 戦争は最も効率の悪い経済活動の一つとされている。そんな戦争で金を儲けることの難しさは、ルキーティがこの皇国で一番良く知っていた。皇国が経験した総ての戦争を知っているのだから、当然だ。

 そんな彼女の考えでは、戦争という行為そのものに利益を期待することは避けるべきことだった。

 戦いに勝って賠償金や領土を得ても、損失がそれを上回っては意味が無い。出来るだけ短期間に最大の勝利を得て、戦争を終わらせることが望ましい。無論、短期決戦を念頭に置いて長期戦を想定しないということはあり得ない。常に最悪の事態を考えることも、組織の頭領の仕事の一つだ。


「――――以上の報告から、『五カ年計画』自体の進捗状況は概ね予定通りと言えるでしょう。あとは他国の動向次第、殿下のお考え次第です」


「分かった。では、その考えを培うための学習に関してだが……」


 たった一人、これまでの会話に入ることが出来なかった皇国軍教育総監――皇国では軍に関わるあらゆる教育機関の元締め――がレクティファールの言葉に答えるように一歩前に出た。

 軍人とは程遠い、娑婆の匂いの強いその姿にレクティファールは微かに目を細めた。

 だが、教育者と軍人は似て非なるものなのかもしれないと思い直す。


「軍教育総監エル・カリュケイオンです。こうして摂政殿下とお会い出来たこと、まことに恐悦至極」


「うむ、今日は急な呼び出しで済まなかった」


「いえ、これも本職の仕事ですので」


 カリュケイオンは笑い皺の刻まれた顔を笑みに歪め、年若い摂政に教育者としての目を向ける。

 軍に奉職し、三度の紛争を経て以降、多くの教育部隊を率いていた彼女には、この若者の持つ将来性と才能いうものがよく分かった。そして、その多くの才能が未だ原石としての面を多く残しているということも見て取れた。

 軍の士官も、その階級や所属兵科に応じて必要な教育に差がある。

 兵士からの叩き上げ士官には、戦場を見る一つ上の視点。

 士官学校のひよっこ候補生には兵士の規範になる教養とそれを実行するだけの身体能力。

 騎士学校の高級士官候補生には軍事に限らない広範な知識と鋭い洞察力。

 そして各専門兵科には、それぞれに必要な専門知識。

 それぞれ必要とされる知識が違うからこそ、皇国には多くの軍学校が存在するのだ。


「打診のありました殿下の騎士学校への編入に関してですが、皇府殿、宰相閣下と検討した結果、白の第一月の一日から十二ヶ月と決まりました。短期間で申し訳ありませんが、この間殿下には騎士学校にて多くを学んでいただきとうございます」


「――――ふむ、皇王府と政府が問題ないというならそれで良い」


「ただ、やはり殿下には殿下としてではなく、軍の高等士官教育の一環として一士官の立場で編入していただくことになると……」


 皇太子が軍学校に通うことは帝王教育の一つだが、既に実権を持っている摂政が軍学校に通うことはこれまでの歴史上類を見ない。その護衛や政務との兼ね合いで皇太子が就学するよりも面倒ごとが多いからだ。

 他方で、このまま摂政が皇国の内実を家臣からの報告のみで知ることに危機感を抱く臣下は少なくない。自分の目で見て、自分で考えて出した結論は、他者が見て、他者が纏めた結論に多分に勝る。先の戦いで才覚の片鱗を見せたレクティファールだからこそ、ここは慎重に自分の治める国を理解するべき――――多くの政府関係者や皇王家臣下がそのような結論に達したことは、レクティファールにとって幸運だった。

 真実ばかりで事実を知らぬ君主が国を滅ぼすことなど、古今枚挙に遑が無い。

 国を知らぬ者が、国を治められる筈は無いだろう。幸いなことに、騎士学校は将来の高級将校を養成するために民政軍政を問わずに多くの知識を候補生たちに与える場、得た知識を元にした洞察力を養うため、学校外での実技学習も多かった。

 皇国のことを短期間で知るには、非常に都合の良い場所だと言える。


「レクト・ハルベルンとして編入する、ということか」


「はい。ハルベルン家のご当主には既にお話を通してあります。陸軍にも」


 優秀な士官を騎士学校に入れることは、軍では日常的に行われていることだ。外部の高等教育機関や士官学校から直接騎士学校に入学する者もいるが、一度軍務を経験してから編入という形を取る学生も多い。

 レクト・ハルベルンという陸軍少尉は実際にあの『龍虎戦役』を生き残った陸軍士官で、勲章も授与されている。騎士学校に編入したとて誰も怪しまない。


「政務はどうする?」


「宰相閣下は、現状のまま事態が推移するようであれば通信や騎士学校で行える範囲の執務で問題ないと。皇府殿は――――」


「こちらも、重要なものは陸軍からの仕事という形にして騎士学校に届けさせます。騎士学校でなら、軍の仕事と学業を両立させている学生も珍しくありません。それに、“皇剣”の機能を使えば、皇城の演算端末内に殿下の並列思考の一つを常駐させること位は可能です」


「――――それはつまり、並列思考を分割してこっちに幾らか残していけ、と」


「御意」


 ルキーティは恭しく、優雅に頭を垂れた。もっとも、話している内容は“皇剣”所有者以外には不可能な芸当だった。

 並列思考は意識上の分身とも端末とも言える、独自の意識を持っている訳ではないが、部屋に篭って執務をこなすというだけなら十分に対応可能だった。無論、この場合はレクティファールの名前で花押を書き入れることは出来ないから、それでも問題のない案件に限られてしまうことになる。

 それ以外の重要な案件は、直接騎士学校にいるレクティファールの元に持ち込むということになるのだろう。


「まあ、問題がないというならそのまま話を進めてくれ」


 レクティファールは額を押さえながら、呻くように言葉を漏らした。

 この仕事から抜け出すことは、どうやら何処にいてもどんな立場でも不可能らしい。

 立場というものは捨てられるが、責任というものは捨て難いものだ――――彼は心の奥深くで独白した。













「――――で、何故摂政殿下はわたしの家に向かっているのでしょうか」


「“レクト・ハルベルン”として色々と……あるんですが……その、ウィリィア義姉上」


「ふ、ふンッ!」


 レクティファールの慣れない「義姉上」という言葉を聞き、不機嫌そうに顔を逸らすウィリィアの頬が実は朱に染まっていたことに気づかぬまま、レクティファールは皇都の一角にある商店の立ち並ぶ通りを肩を落としたまま歩く。人通りの多い場所だったが、“皇剣”のお陰で人にぶつかるようなことはなかった。

 この日、騎士学校への編入が決まり、ハルベルン家の三男として振舞わなくてはならなくなったレクティファールが、以前から何度も招待を受けていたハルベルン家に向かったのは必然だったと言えるかもしれない。

 そしてそのハルベルン家の長女が同じ職場に居るというのなら、それを伴うことに不思議はないだろう。もっとも、ウィリィア本人とメリエラが難色を示したところ、彼女らの上司である近衛軍総司令官にして近衛元帥たるベルファイル・ハウサーから『里帰り命令』が下っただけなのだが、それをレクティファールは知らなかった。


「しかし、ハルベルン卿には無理を言ってしまいましたね」


「――――父も母もそんなこと気にしないわ。きっと今頃鼻歌でも歌いながら準備してるでしょ」


 ハルベルン家の現当主夫妻は、突然の『里帰り』にも快く応じてくれた。

 むしろ彼らが不満に思ったことはレクティファールの訪問がこれ程遅れたことに関してだけであり、突然の『里帰り』そのものには何の文句も無いようだった。


「賑やかなことが好きな人たちだから」


 そう言って笑うウィリィアは不満げでありながらどこか誇らしげで、レクティファールにはその表情がひどく眩しい物のように感じられた。

 家族への信頼と呼ばれるものが根底にあるのだろうと考えるレクティファール。

 元世界に残してきた両親や兄弟のことを少しだけ思い出そうとしたが、彼の中の家族の記憶は“皇剣”の情報に埋もれて容易に掘り返せなかった。

 そして、それでもいいかと思える自分に気づいたとき、彼は何度目かの諦めを経験した。


(――――所詮、戻れぬ世界に価値はない)


 “皇剣”の情報を探ってみれば、異世界間の時間の流れは一定ではないという答えがそこかしこに見られる。この世界と四界と呼ばれる四つの異世界は同じ時間の速さであるらしいが、それ以外の世界との時間の流れはとにかく一定ではない。同じ世界であっても、先程まではこの世界に比べて一〇〇分の一程度の速度であったものが、突然一〇〇倍の速さに変わっているということもある。

 これは相手の世界との相対速度が一定ではないからだという説が“皇剣”開発時期の定説だったらしいが、今ではそんな研究をしている者も少ない。

 ただ、異世界から無機物や生物を含めた有機物を召喚する技術は存在しており、それらの技術を使う技師たちがその説を裏付ける発見を次々と発表しているのだから、一定の信憑性はあるのだろう。

 だが、それはつまり――――


(――――あちらの世界は、あれから一秒も経っていない可能性も、既に消滅している可能性もあるということか)


 宇宙にさえ寿命があるのなら、元の世界が消滅している可能性も否定し切れない。

 同時に、自分が命を落としてから一秒の時間も流れておらず、こちらから観測する分にはまったく時間が止まっているということも考えられる。


「まあ、どちらにせよ、“皇剣”を継承した私にこの世界から逃げる術はないのですが……」


 “皇剣”は四界の力を以て様々な事象を引き起こす。それは“皇剣”自身の機能の維持も含まれており、四界の力が無ければ“皇剣”はその機能を維持出来ない。

 絶対兵器たる“皇剣”は、その根底にどうしようもない欠点を抱えているのだ。


「――――何? どうかしたの?」


 俯いて、小さく独語したレクティファールの声を聞き咎めたのか、先を歩いていたウィリィアが振り返る。

 その目には、ただ純粋に弟を心配する姉の感情があった。

 嘗ての彼女はレクティファールに対して過剰なほどの反応を見せたが、それはレクティファールをメリエラに近付く不逞の輩と見ているからに過ぎない。二人が婚約し、一つ屋根の下で過ごすようになった今では、その態度はレクティファール個人に対する不満などを原因とするものでしかなかった。

 メリエラという妻がありながら、自分のような使用人に手を出そうとする神経が許せない。ウィリィアは自分が抱くレクティファールへの怒りをそう結論付けている。

 さらにもう一つ、ウィリィアの性格上、これまでの態度を変えるということ自体が難しいという理由もあった。一度突き放した人物に、どうやって近付けばいいのか分からない。そんな彼女の不器用さも毎朝の騒動の一因だろう。レクティファールがウィリィアに対して、妙な手出しをしていることは勿論否定出来ないのだが。

 一方、レクティファールを弟として見たとき、ウィリィアは彼の存在を守ろうとする。

 自分より弱いものを守ろうとするのは、ある意味人形種の因子に刻み込まれた宿命だ。人間という最弱の種を守るという宿命因子が、今ではひどく弱体化しながらも自分より脆弱な存在を守ろうという意識を生み出している。

 造物主たる人間種を守るべき対象とは認めないと決めたのは彼女たちの祖先であるが、その宿命からは逃れられないのかもしれない。


「いえ――――初めて来る場所だったので……少し」


「ふぅん、そう……」


 ウィリィアはレクティファールの答えに納得した様子は見せなかったものの、それ以上追求するようなこともしなかった。

 レクティファールを心配しているという態度を見せることが恥ずかしかったのだ。


「じゃあ、買い物だけ済ませましょう。夕食の材料と、お酒ね」


 ウィリィアは先程通信で頼まれたらしい買い物を書き留めた紙を指で弄びながら、レクティファールの三歩ほど前を進んでいく。

 彼女は背後を振り返ることをせず、レクティファールがきちんとついてきているかという確認さえしない。ただ、時折、振り返ろうとしてそれを堪えるような動きを何度も見せていた。

 そんな不器用な姉の姿に、レクティファールは落ち込んでいた気分が浮き上がってくるような錯覚を抱いた。

 何故だかは理解出来ない。

 ただ、この人は優しい人だと――――自分の中の、一番大切な部分がそう認識しているということが何よりも重要だった。

 そして、そう認識しているからこそ、彼はあの不器用な姉を守ろうと思う。

 守ることばかりに気を取られて、守られることを忘れてしまっている彼女を守りたいと思う。

 それで十分だろう。

 レクティファールは足早にウィリィアに近付くと、その肩越しに買い物の内容を確認する。

 ウィリィアの身体から漂う甘い匂いを感じながら目を落とすと、綺麗な字で、野菜や酒の名前が記されていた。


「姉さん、まずは何処から行く?」


「――ッ!? ね、ねねね……姉さんって……」


「姉上の方が好みだっていうなら、そっちにするけど」


「うっ……!」


 レクティファールの、何処か意地の悪い問い掛けに対し、ウィリィアは拳と肩を震わせることで何とか怒りを堪えた。

 明らかに自分を試そうとしているその態度が気に食わない。

 だがしかし、自分に有効な反撃手段は無い。心底憎たらしいことだが、やっぱり無い。


「――――ね、姉さんでいいわ」


「イエスマム、了解しましたよ姉さん」


「くうっ!」


 殴りたい、この得意げに笑う子憎たらしい弟を思いっきり引っ叩きたい。教育的指導、そう折檻してやりたい。

 でも、そんなことをしている暇はない。

 既に夕日が城壁の向こうに隠れるような時間だ、夕食の材料を買うにはそれなりに危うい時間ということになる。


「まずは野菜! サラダ用の葉物が無いらしいの!」


「じゃあ、あそこか」


 そう言ってレクティファールは一つの商店を指差す。

 老境に差し掛かった男性が、買い物に来たらしい主婦と雑談を交わしている。


「じゃあ、さっそく行こう。時間もないし」


 レクティファールはそう告げ、ウィリィアが反応するより先に彼女の腕を取って歩き出した。


「ええっ? ちょ、ちょっとレクト……!」


「値切りってどうやるんだろうか……――――“皇剣”に情報ないもんかな……」


「話を聞きなさい!」


「あ、あった……ってこれ野菜じゃなくて魚じゃないか、応用できるのか?」


「待ちなさい――――って誰!? 誰が魚値切ったの!? 皇王陛下が魚値切ったの!?」


「ま、何とかなるだろう。――――おじさーん、このクシャル菜下さいな」


「おう毎度! おっと、えらい美人なお姉さんじゃねぇの、兄ちゃん兄ちゃん、おっちゃんのこと“お義兄さん”って呼んでみたくないかい?」


「はっはっは、――――後ろの美人な奥方が良いって言ったらね」


「ぬぁにぃっ!?」


 背後を振り返る店主と、こめかみを痙攣させたいい体格の女性。

 二人の視線がぶつかり合った瞬間、苦笑するレクティファールと困惑するウィリィアの頭上を怒号が飛んで行った。











 買い物を済ませた二人は、皇都の中心街から少し離れた農業地区に向かった。

 この路線の乗合魔動車は基本的に農業地区の住人が街に向かうために使うことが多く、日も落ちたこの時間ではそんな彼らも既に家に戻っているらしく客もまばらだった。

 紙袋を抱えた二人は三〇分ほど魔動車に揺られ、目的地に到着する。そこは農業地区の中でも、一際奥まったところにあった。


「何代か前の当主が自分から希望して構えた屋敷らしいわ。土地は広いんだけど、交通の便は悪いわね」


「ほうほう」


 石畳の道路を歩く二人。

 会話は途切れないが、街路灯もない田舎道はお互いの姿さえ容易く隠してしまう。

 二人は隣にある気配に向けて声を発しながら、道の先に見える明かりに向かって歩き続けた。

 やがてその明かりが外壁を蔦で覆われた屋敷の姿に変わると、二人はようやく目的地に着いたのだと実感した。

 小振りではあるがしっかりとその機能を残した鉄格子の門の隣、人一人がやっと通れる小さな通用口を潜り、二人は屋敷の玄関前に立つ。

 玄関前には良く整えられた庭があったが、こう暗くては良く見えなかった。


「――――――――」


「――――? どうしたの姉さん」


 扉横の呼び鈴の鎖を掴んだまま動きを止めたウィリィアを見て、レクティファールは首を傾げる。

 さっさと中に入って買ってきた品物を渡さなくてはならないというのに。

 しかし、ウィリィアは銅像のように固まったまま呼び鈴を鳴らす気配はない。

 怪訝に思ったレクティファールだが、このまま立っていても仕方がないのでウィリィアの手から鎖を抜き取るとそれを引っ張った。

 呼び鈴が涼やかな音を奏でると、びくりと肩を震わせたウィリィアがレクティファールを見た。


「れ、レクト……」


「何姉さん、その余りにも久し振りの里帰りでどんな顔をして両親と会えばいいか分からない、という感じの表情は」


「そのままよっ! 何、わたしってそんな判りやすい!?」


「うん、概ね」


「――っ!?」


 至極あっさりと返されたレクティファールの言葉に、ずん、と肩を落として落ち込むウィリィア。

 レクティファールは、この女性ってこんなにも判りやすかっただろうかと疑問に思いながらも、その姉が持っている紙袋が落ちないよう支える。

 しばらくして屋敷の中から足音が聞こえ始め、その足音は扉の前で止まった。

 鍵の外れる音が聞こえ、ウィリィアが慌てて姿勢を正した。


「おかえりなさい、ウィリィア!」


 扉が開くと同時、そこから飛び出した細い影はウィリィアに抱き着いた。

 ウィリィアを抱き締めて離さないハルベルン夫人――――ルイーズの姿を見たレクティファールは、ウィリィアがもしも人間と同じように老いたらこんな姿になるのだろうな、という感想を抱いた。それ程に、二人の容貌は良く似ていた。

 もう五〇を超えたというルイーズは、人間種らしく白髪混じりの髪を三つ編みにしており、白い前掛けが良く似合っている。

 そんな母に抱き締められたウィリィアは、恥ずかしそうに頬を染めてレクティファールを見た。


「お、お母さん……殿下が見てる……」


「あらそうだったわね! でも、殿下じゃなくてレクトでしょう?」


「――――まあ、そうなんだけど……」


 今回の訪問は摂政レクティファールとしての行啓ではなく、ハルベルン家の養子レクトとしての里帰りだった。

 ルイーズはそれを理解し、レクティファールに対する態度も息子に向けるそれを崩さない。


「おかえりなさいレクト殿。お仕事ばかりで疲れたでしょう、夕食の準備ももうすぐ終わるから居間で主人と待ってて」


「あ、はい」


 レクティファールの返事に満足そうな笑みを返すと、ルイーズはああ、忙しい忙しいと楽しそうにぼやきながら娘を引き摺り、レクティファールの抱えていた紙袋を強奪して台所へと戻っていった。

 ウィリィアも既に諦めていたらしく、抵抗らしい抵抗を見せず、静かに引き摺られていく。

 残されたのは、この家の居間が何処にあるか分からないレクティファールだけだ。


「――――困ったな、うん、困った」


 とりあえず、人のいる部屋を目指そう――――“皇剣”の探測機能を展開してレクティファールは一歩を踏み出した。

 “レクト・ハルベルン”にとっても、“レクティファール・ルイツ=ロルド・エルヴィッヒ”にとっても初めての里帰りは、こうしてゆっくりと幕を開けたのである。












事実上の前後編となりました。

本当なら一話に纏めるべきなのでしょうが、早足で纏めるよりも細かく書きたい場面なので前後編となっております。


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