第二章:戦後内政編
閑話ノ壱「思惑と呼ばれるものたち」
レクティファールにとって、後宮と離宮で過ごした昨夜はあの北地での戦いに匹敵する苦行であった。
後宮では婚約者とその候補者相手に一人ずつ、睦言には少し色気の足りない言葉を交わし、ときには居心地が悪いほどお互いを意識し、ときに無い頭を捻りに捻った言葉にあっさり駄目を出されたりした。
日付が変わる頃までは後宮にいたレクティファールだが、そこでの役割を終えるとすぐに二つの離宮を梯子する羽目になった。
星天宮の敷地内にあり、後宮に最も近い離宮、摂政の命令で新たに庭園に植えられた花に因んで『マリエの離宮』と呼ばれるようになったそこでは、レクティファールそれこそありとあらゆるものを搾り出すことになった。彼自身、彼女と想いを通じることに抵抗は殆ど無いが、先程まで別の女性と夜の寝室で語り合っていたという事実を忘れることが出来るはずも無く、微妙な罪悪感を終始覚え続けることになった。
しかしそこで燃え尽きることなく、深夜の星天宮をもう一つの離宮に向けて突っ走ったレクティファールは果たして勇者なのか馬鹿なのか、或いは空気の読めない単なる道化なのか。向かった先で側妃候補の女性が彼を歓迎して夜食を振舞ってくれたことに涙を流しそうになったレクティファールだが、彼は飴と鞭という言葉をこのあと身を以て学習することになる。
流石英雄の娘で、皇国随一の戦上手に育てられた女性だ。レクティファールが自分に対して負い目を持っていると感じ取るや否や、一気に攻め込んでこの夜一番の戦果を挙げた。具体的には、一番睦言らしい睦言を思う存分堪能した。
そんな風に怒涛の一夜を過ごすことになったレクティファールだが、翌朝最後まで一緒にいた側妃候補の手作りの朝食を食べ、さらに柔らかい笑顔と「いってらっしゃいませ」の言葉で見送られたお陰で気分は最高潮に近かった。
げに悲しきは男の性質。あれだけ精神的に痛めつけられても決してめげず、新妻に見送って貰えるという小さな幸せで新婚気分に浸り、足取り軽く鼻歌でも歌いそうな摂政を見た皇城の職員たち――特に男たち――は、哀れみの視線を隠しきれ無かった。
ひょっとしたら、この男、近いうちに皇国史上もっともお手軽な皇王として名を残すかもしれない。
皇城でレクティファールを待っていたのは、昼に迫った各国代表を集めた園遊会の準備と、新たに宰相となったハイデルのしかめ面、そして山積する仕事だった。
「――――殿下、早速で申し訳ありませぬが、イズモと帝国、両国との縁組について皇国としての方針を決定していただきたい」
ハイデルには官僚たち三院の頂点、宰相として摂政の意志を確認する必要があった。
他国との縁組となれば当然それは外交に含まれ、その交渉を担当する外務院はハイデルの麾下にある。ハイデル個人としては先の戦いでの罪責を雪ぐ為、そして自分を宰相に任じたレクティファールの名誉を守る為、仕事上の小さな失敗も許すつもりはなかった。
そのせいで、彼の表情は昨日からずっと険しい。
レクティファールとしては、もう少し肩の力を抜いて欲しかった。
「ハイデル、とりあえずもう少し力を抜いたらどうだ。そんな顔では部下も萎縮するのではないか?」
「この程度で萎縮する部下ならとりあえず必要ありませぬ。いずれ時間が出来たら、鍛え直しまする」
「――――――――そうか、まあ、お前の部下だ。潰さない程度にな」
「御意」
やはりというか、頷くハイデルの表情は厳しいままだった。レクティファールはハイデルの言葉をとりあえず信じることに決め、執務用の机に広げられた二つの資料を見下ろした。
共に、今回レクティファールに腰入れする予定の姫君たちの資料だった。外務院情報局、そして皇国情報院が纏めたものだ。
「しかし、方針と言ってもこれは――――」
どちらの資料を見ても、両国の考えが透けて見える。但し、その考えも皇国側の解釈次第で一八〇度見方が変わってくるのだから恐ろしい。
例えば帝国側。
「――――新たに我が国と国境を接することになった帝国内の一王国の姫君……帝位継承順位は末席に近いが……」
「帝位継承権を持っていることに変わりはありませぬ。もしこの姫君の間に子が生まれれば、我が国は帝国の帝位に干渉することが可能になりますな」
「だが、万が一にも我が国の内部で彼女が害されれば――――」
「我らの意図しない時期に、帝国との戦端が開かれることになりましょう。無論、帝国ならばこういった類の理由がなくとも我が国に攻めて来るでしょうが」
だが、開戦の大義名分の有無は大きい。
大義名分を得た帝国側は士気も旺盛で周辺国との連携も取りやすく、対して皇国は準備も足りず周辺国の顔色を覗いながらの戦いになる。これだけで負けるほど皇国は脆弱ではないが、余計な損害を蒙ることにはなるだろう。
その余計な損害が、最終的な勝敗を左右する可能性も低くない。
そう考えれば、ここで余計な火種は抱え込みたくないものだが――――
「我が国の現状を思えば、選択肢などあるまいな」
「は、この縁組で我が国と帝国は縁戚関係になりまする。なれば、大義無きまま我が国を攻めることは帝国にとっても痛手。今は互いに傷を癒すときでございましょう」
「時間稼ぎか、この姫も災難だな」
レクティファールは資料の一枚目に張り付けられた写真を見る。
気弱そうな、それでいてどこかあの『龍殺し』に似た雰囲気がある小娘だった。
「姫にとってこの輿入れが災難になるかどうかは、殿下次第にございます」
「――――あの帝国の姫を、我が国民が歓迎するか?」
「それも含めての、殿下の役目、殿下のお考えでございます」
ハイデルの口調にも、表情にも、帝国の姫君に対する隔意は見えない。その老練さ故に、上手く隠しているのかもしれないが、この老人の性格を思えばその可能性は低い。
もしもこの姫君がレクティファールの妃となれば、彼女が皇国に背く行いをしない限り、彼は命を賭して忠義を尽くすだろう。
レクティファールは嘆息し、頷いた。
「分かった。良いようにせよ」
「は」
ハイデルは頭を垂れ、主君の言葉を受け取った。
レクティファールはそんな忠臣の仕草にほんの少しの感銘も受けた様子はなく、ただ次の資料に目を移した。
ハイデルは主君の歓心を得ることを望んでいないと、レクティファールは本能的に理解していた。
彼にとって、宰相の職務と地位、そして功績は総てが贖罪の一側面に過ぎないのだから。
レクティファールは国家への忠義が人の形を取ったような宰相から視線を外し、机の上のもう一つの資料を見た。
「そしてイズモ。こちらは体の良い厄介払いとも取れるが……」
「確かに、天子陛下の妹君とはいえ、生活に影響が出るほどの障害を持つ者を他国に輿入れさせるなど、通常であれば考えられませぬ。ですが、イズモは最後の神々の国、かの皇女もまた、神々の血を受け継いでおりますれば」
「ただの厄介払いということは考えられない、と」
レクティファールは資料に記された内容を確認し、ハイデルの言葉が事実であることを知る。
皇国情報院が添付してきた資料の中に、それはあった。
(――――ふうむ、イズモ皇族でも珍しい能力の保持者か……)
“浄天眼”――――この世界に対して無限に近い干渉能力を持つ神々が、世界中を見通していた力の欠片。
それは世界の何処でも見通すことが出来、何時如何なる場所に術者が居ても、妨害されない限りは神々の力を借りる神霊魔法が発現可能な理由でもあった。
(何とも恐ろしい種族だ、神とは)
レクティファールは神々の力の片鱗を“皇剣”の情報群から幾つか見つけ出し、嘆息した。
神々とは、嘗てこの世界を支配していた種の一つと言われている。
彼らは大いなる力を持ち、自分に対して向けられる精神的なエネルギーを糧として生きていた。精神という曖昧なものが糧になる理由は、おそらく龍種などの高位知性体と同じ理由なのだろう。つまり、この世界に存在する肉体と、薄布一枚挟んだ異次元に存在すると考えられている精神。その精神側に存在の比重が偏っている為、精神側こそが彼らを構成する主な要素に成り得たということだ。
こういった、精神側に重きを置いた種族というものは、意外と多い。
精霊種や妖精種、吸精種などは肉体的要素が辛うじて精神的要素を上回っている種族だが、それでも人間種や混血種、獣人などと比べてその存在比率に於ける精神的要素が多い。彼らは肉体的な損傷を精神的要素によって修復することが可能であり、その不死性から、嘗て文明が未成熟だった頃はごく一般的に“化け物”“魔物”と呼ばれていた。
もっとも、今では彼らの生態は多くが解き明かされており、その神秘性や不明性は過去のものとなっている。そして、彼らは国家の一員として市民権を得た。
「神々の血と、力を受け継ぐ現“帝”の妹姫。正直に申し上げれば、それがしも最初この話を聞いたときは新手の外交攻撃かと思いました。殿下の下で皇国が団結する前に、この国に対して一定の影響力を確保しようと考えているのでは、と」
「それも考えられなくはないな。建前上皇妃は軍務以外の公職に就けないが、何、皇王の寵愛を利用すれば十分に政に手を出せる」
「――――仮にイズモ側がよからぬことを考えていても、それを殿下が自覚している時点で、イズモ側の策略の何割かは封じたことになりますな」
ハイデルは難しい顔のまま、低い声で言った。
レクティファールは一瞬きょとんとした顔を見せたが、すぐに苦笑する。
「所詮、素人の考えることだ。向こうにも手練はいる、いつの間にか骨抜きにされている可能性も否定出来ない」
「幻術魔法や薬物は“皇剣”によって完全に無効化される筈。個人的な依存であれば、それは殿下のお心一つでは?」
「――――それはあれか、暗に女には気を付けろとそう言っているのか」
「臣として、お家の中のことにまで口を出す気は毛頭ありませぬ。ただ、主君としての職務に影響があるようであれば、それをお諫めするも臣下の務めでございます」
「なるほどな、肝に銘じておくとしよう」
レクティファール個人としてならば、異性と何らかの問題が発生してもそれは他者の介入するようなものではない。民事に行政が不必要に介入しないのは、皇国の常識だった。
「では、イズモの申し出は受けるということでよろしいですな?」
「――――“天照”を祀る神子を嫁がせると言ってきているんだ。断れまい」
イズモの皇族のうち、天子――――“帝”の直系のみが世界最強の異世界戦艦を制御することが出来る。当然、皇国へと輿入れすることになる皇女もまた、その資格を有していた。
他国に自国の国防の要を引き渡すというイズモの申し出に対し、皇国もまたそれなりの返答をしなくてはならない。
幸いなことに、皇国とイズモは争いの種を随分昔に萌芽させ、刈り取ってしまった。
それは天子に近しい一部の者たちがイズモ地方出身者が皇王になったことを利用して、皇国領土の一部であったレムリア海の島嶼を不法占拠したことに起因する諍いであったが、その際、両国は自らの争いが他国に利することはあれど、自分たちに益は齎さないと学んだ。
“皇剣”と“天照”が激突するようなことになれば、それはアルマダ大陸東部に未曾有の災厄を発生させ、ただ両国を傷付けるだけ。そして多大な損害を被って得られる国益も、想定される損害を補うには大分不足している。
星さえ砕ける概念兵器と、星の海の軍船。この二つは、決して敵として相見えてはならない。この二つは、本来我々のような未成熟な子どもが扱うべき代物ではない――――当時、両国の軍勢が睨み合うレムリア海で、イズモ水軍の提督にして“天照”の艦長代理を務めていた春日宮伊周はそう兄である当時の天子に書き送っている。
実際にイズモの誇る最新鋭艦を容易く海の藻屑に変えた“皇剣”の戦闘能力を目の当たりにした春日宮親王は、“皇剣”に対し、“天照”の能力を総て解き放ちようやく五分以上の戦いになると認識したのだ。
弟の送った書翰を読んだ当時の天子は、“皇剣”という旧帝国の遺産を甘く見ていた自分に気付き、そしてそんな自分と同じ認識で以て物事を判断して皇国との戦争を望んだ者たちを更迭、急ぎ皇国との和議に走った。
元々、皇国側は独立時より“皇剣”を含む超兵器の危険性をある程度認識していたから、和議が纏まるのは早かった。
その和議の条件として、両国は当時のお互いの領土をそれぞれ承認し合い、今に至っている。
超兵器保有国同士の戦争がある種の禁忌になったのは、この一件以来だった。
「――――或いは、“天照”では対処できない問題に我々の手を借りようという可能性も否定できませぬが……」
ハイデルは別の資料を机の上に広げた。
それは幾つもの色に塗り分けられた、八つの洲から成るイズモの全国地図だった。
「イズモの首都、『天陽』の周辺は、現イズモ政権――――つまり“帝”の一族による世襲に否定的な瀬川氏が支配しております」
地図の中央辺り、『天陽』と記され、紫色で塗り潰された港湾都市の周辺は赤で塗り潰されている。この赤が瀬川氏の支配地域ということなのだろう。
嘗てはごく一部の有力諸侯が占有していた“執政”の地位。その有力諸侯が衰えた結果、今のイズモは実質的な内乱状態にある。
国家の総ての権限が“帝”に集約されていることもあって国体が揺らぐような事態には陥っていないが、今後の動静次第ではイズモという国家が潰えるかもしれない。
そして『イズモ』という国家が消えるということは、皇国は東方にも多大な圧力を背負うことになる。
今でこそ陸軍は最低限、空海軍が主力の東方だが、現有戦力で東方が守りきれるかどうかは定かではない。何せ、イズモには皇国空海軍の全戦力を投入しても抗しきれない超兵器、天子が艦長を務めるが故に天空御所との異名をとる空中戦艦“天照”があるのだから。
「瀬川氏は現当主の母が先代の“帝”の妹君。つまり天子陛下の従兄弟です。“天照”を完全制御するほどの管理権限は持っていないでしょうが、都に攻め上がり、“天照”を完全制御可能な皇族を手中に納めれば……」
「――――“天照”を手に入れられる」
“天照”を手に入れるということは、イズモ神州連合を手に入れることと同義。
他の諸侯が反発しても、“天照”を用いればそれを圧し潰すことは容易い。
「我々としては、嘗ての戦訓を共有している現政権が存続することこそが国益に適うこと。特に瀬川氏は近年一気に勢力を拡大した新興の家です。当主は武に優れ、知に秀でていると聞きますが、少し性急なところがあるとのこと。特に大陸に対する強硬姿勢はそれがしでも知っている程です」
“天照”とその海軍力を用い、大陸の諸国家に対する圧倒的な優位を確立するべきという意見は、イズモ国内でも根強い。確かにレムリア海、大陸の南に広がる大霊洋を押さえることが出来れば、イズモはアルマダの国家群に対して一定以上の影響力を持つことが出来る。海洋路を確保することは、そのまま大陸の外洋交易路の大半を掌に収めるということだからだ。
「イズモに相対することが出来るほどの海軍力を保有している国は、実のところ存在しませぬ。我が国の海軍とて領海と交易路を保全する程度の任務には耐えられるでしょうが、真正面から世界最強のイズモ海軍と戦える戦力は有しておりません」
ハイデルの言葉は些か皇国海軍を過小評価している。少なくとも、アルマダ大陸の他国家がこの言葉に素直に頷くとは思えない。その程度の戦力は、皇国海軍も保有していた。
しかし、相手がイズモ神州連合という海洋大国であれば、ハイデルの言葉は少々の謙遜はあっても間違いではない。
「空中戦艦“天照”を元に設計された艦船で固められた海軍か、正面から戦うのは御免だな」
「は、それがしも同意見でございます」
ハイデルの答えを聞くと、レクティファールは大きく天を仰ぎ、目を瞑った。
現状の皇国にとって、イズモの政変は歓迎出来ることではない。
ならば、かの国に介入する一つの手段として今回の縁組を進めるべきだろう。
未だ皇国を取り巻く情勢は予断を許さない。迫る危険を少しでも減らすために、出来ることは総てやっておくべきだった。
「――――よろしい、それでは外務院に話を進めさせろ」
「は、御意のままに」
レクティファールは静かに頭を下げるハイデルを横目で見ながら、自分はこれから何度人生の墓場に突撃しなくてはならないのだろうかと考える。
このような職業に就いている以上、結婚は義務の要素が大半を占める。
それは相手も同じで、そんな相手にどう思われるかだけがレクティファールの意思次第――――何とも気疲れのする話だ。
「――――はぁ……園遊会の時間まで仕事でもするか」
自分の置かれた立場を悩むことなど、時間の浪費に過ぎない。
彼はさっさとその思考を諦めると、持ち込まれた書類の決裁を始めた。
そんな青年の姿を、老練な宰相が小さく細めた目で、じっと見守っていた。
星天宮内の庭園の一つ、小さな湖の畔に広がる『エメレットの庭園』で各国の代表とその連れ合いを招いた園遊会が華々しく開催された。
エメレットとはこの庭を設計した建築家の名で、彼は生涯最後の作品としてこの庭を完成させた。そんなエメレットの熱心な愛好者であった先代皇王が、直々にその名を庭園の名称として遺したのだ。
元々この場所に存在した湖に少しも手を加えず、ただその畔の一分をカンバスにして描かれた庭は、さして建築や庭園芸術に興味を持たない者でさえ、ふとした瞬間に感嘆の溜息を漏らしてしまうという。
「いや、実に見事な庭だ。大国アルトデステニアの主が住まうに相応しい」
湖を眺めながら、二人の男が言葉を交わしている。
アルトデステニア国主代行レクティファールと、西方の強国シェルミアの国王だ。
お互いの手には飲み物、顔には愛想笑い。
複製して貼り付けたような、華麗なる外交の場に相応しい光景だった。
「ありがたいお言葉ですが、私のような若輩が主では、この庭の設計者も冥界で嘆いていることでしょう」
「そんなまさか! 今の貴国にレクティファール殿よりもこの庭に相応しい者はいないだろう」
「武人として名高いシェルミアの国王陛下にそう言って頂けるとは、欣快に存じます」
レクティファールが笑みを浮かべて軽く頭を下げると、相手は照れ臭そうに苦笑した。その表情だけは、これまでのような仮面じみたものとは違うように見えた。
朽葉色の髪をざっくりと短く切った第一四代シェルミア国王は、笑うと未だ青年と言って良い容貌をしている。肉体的にも未だ衰えを感じさせず、国王としての経験もそれなりに積み、まさに国主として油の乗り切った時期なのだろう。
機人族として人間種の平均より長い寿命を持っている彼は、今年四五になっている筈だ。一国の主としては、世襲制の国家を除けば若い部類に入る。
当然、レクティファールも同じ部類なのだが。
レクティファールは、機人としては異常なほど表情が豊かなこの男が、いざ戦いとなればそれこそ大陸有数の力を持っていると知っていた。
「正直、俺――――いや、私も此度の一件で自分の未熟さを痛感した。君のような若人が国を守ろうと戦場に赴いたのに、私といえば首都の王宮で貴国を切り分ける算段をしていた家臣の動きにも気付けなかった。本当に、我が国の行動によって命を散らした人々には申し訳ないことをした」
そう言って小さく頭を下げるシェルミア王。
今二人の周囲には他の客はいないが、それでも一国家の国王が容易くしていいことではなかった。
議会が国家の全権を持ち、国王が象徴でしか無いシェルミアとて、君主を戴く君主制国家には違い無い。
「陛下……」
「これは私個人の気持ちだ。シェルミアとしては、また別の言葉を示すことになるだろう」
シェルミア王は硝子杯の中に浮かぶ自分の顔を見て呟いた。
嘗てアルマダ帝国の研究都市があったシェルミアでは、今も当時の施設が遺跡として出土する。
それ以前の第一次文明の遺跡も多く、それの探索を生業とする冒険者や傭兵たちが集う国家として有名だ。国家の成り立ちも、それらの荒くれ者を支援し、管理する各職業の組合がいつしか合議によって政治を担うようになったことがシェルミアという国家の始まりとされる。
元々シェルミアは各遺跡の近郊に、そこに潜る探索者を相手にする人々が住み着いて生まれた小さな都市の集まりで、少なくとも国家としては纏まりに欠けていた。そんな国家が大国と渡り合う為に生み出した象徴が、現在のシェルミア首都でもある第一次文明遺跡『ヘリオス宮』から発掘された古代の装甲機兵を駆る国王。つまり今、レクティファールの目の前にいる男だった。
機人族以外に装甲機兵を操れるものが存在しない以上、基本的に彼らの婚姻は国家によって取り決められている。機人族としての能力を失うような交配は避けなければならないからだ。
そういう意味では、単なる象徴である筈のシェルミア王の方が、余程世間で言われる『国王』としての婚姻を全うしているのかもしれない。
「――――さて、湿っぽい話はここまでにしよう」
シェルミア王が、その顔に笑みを戻してレクティファールに言う。
それに頷くレクティファール。謝罪の言葉は重ねるものではない。
「しかし、返す返すも残念だ。この集まりで君の婚約者を見ることが出来ると期待していたのだが……」
「我が連れ合いの一人が未だ戦傷で臥せったままなのです。彼女を置いては表に立てぬと第一妃が申しまして」
「それは……君としても心配だろう。いや、私も見世物を強請るような物言いは不躾だったな、すまない」
シェルミア王はその後幾らかの言葉を交換すると、「奥方の傷が早く癒えることを願っている」との言葉を残して連れ合いである王妃の元へと戻っていった。
王妃は標準的な機人族らしく感情の起伏に乏しいので、積極的に他国の重要人物と言葉を交わしている様子はなかった。夫が戻ってきたときも、ちらりとレクティファールを一瞥し、軽く会釈するに留まった。
しかし、今日のレクティファールの連れ合いも感情の波が見えないという点ではシェルミア王妃と大差ない。
ただ――――
「おお……! 黒龍公が三四杯目の大皿を片付けたぞ……!」
「あの小さな身体の何処に入るのかしら……」
「今度はイズモの炊き込み飯を櫃ごとだと……ッ!?」
「会場の食べ物を食べ尽くすつもりか! なんと剛毅な!」
招待客から浴びせられる視線と言葉だけは、彼の今回限りのパートナーが圧倒的に多い。
会場の中心近く、円卓に並べられた料理を無言で食らい尽くしている小さな龍公に、レクティファールは歩み寄った。
「――――味はどうか?」
「――――良い」
「ふむ、土産はいるか?」
「――――居る」
「如何程」
「――――全部」
「――――――――承った」
何とも言えない言葉の応酬。
黒龍公アナスターシャはレクティファールを見ようともせず、ただ目の前の料理を摂取しながら答えた。
婚約者が一人も参加出来ないレクティファールだが、流石に招待主が連れ合いを伴わない訳にもいかない。一度は総大主教ミレイディアが参加してはどうかという意見も出たのだが、ミレイディアがそれを辞退。本人はこれ以上政治に関われないと言っていたが、単に妹の機嫌を損ねることを避けたのだろうとレクティファールは思っていた。
「――――話は、済んだ?」
アナスターシャが櫃のお代わりを所望し、給仕の女性がそれを取りに行っている間、二人はお互いの状況を確認する。
とは言っても、アナスターシャはこういった場所に馴染みが薄く、ひたすら食べているだけだが。
「ああ、済んだ。しかし、アナスターシャがこういう場所に出てきてくれるとは思わなかったな」
「娘の代理。本当なら、もっと前に、紹介するつもりだった」
アナスターシャは温かい紅茶を啜り、少しだけ目を細めた。どうやら気に入ったらしい。
「あなたが、北で足止め、されてたから……」
「それは悪いことをした」
「別に、娘も面倒臭がって、呼んでも、来なかったし」
「――――――――」
それはどういうことだろう。
つまり、北で足止めされていなくても結局会えなかったということではないだろうか。
「あの子、夢中になると、ご飯も寝ることも忘れるから」
「――――難儀なことだ」
「わたしも……本を読んでると、何故か、一週間とか経ってる」
「――――そうか」
似たもの親子ということだ。
レクティファールはまだ見ぬ黒龍公女タチアナの姿を想像し、なるほど個性的な女性なのだろうと自分を納得させる。
「わたし、適当に、楽しんでるから……仕事してきていいよ」
「食べてるだけだろう……君の場合」
「こんな場所じゃ、食べる、以外の楽しみ、ないよ」
庭も、招待客との歓談も彼女にとっては食事以下ということらしい。
連れ合いが見付からなくて困っていたレクティファールに彼女を伴ってはどうかと提案してきたのは皇都でレクティファールに任された仕事と格闘していた蒼龍公マリアだったが、彼女は一体どのような意図でアナスターシャを推挙したのか。
独身で、それでも摂政の相手として不足ない大身というだけなのだろうか。
単に自分に大量の仕事を回すレクティファールに対する意趣返しという可能性も否定出来ないが、それは考えないことにした。
「――――腹痛など起こさないように」
「大丈夫、まだ三分目」
「――――――――そうか……」
最強種たる龍種に襲われ、城の厨房が戦場になっていることは間違いないだろう。
レクティファールは厨房の料理人たちにあとで慰労金を渡すことを決め、すごすごとその場を立ち去った。
大きく肩を落とした彼の横を、台車に載せられた大量の料理が通り過ぎて行った。
レクティファールはそのあとも、各国の国主や重要人物との会談を繰り返した。
外交の場に初めて放り込まれ、パートナーは食べることに夢中という四面楚歌の中、彼は各国の思惑が予想以上に皇国を縛り、そして自分の身も束縛していると気付く。
会談中には何度も他国の姫や名家の令嬢との縁談をそれと無く要請されたし、何よりもこの場にそういった若い娘たちが幾人も姿を見せていた。
彼女たちはレクティファールととりとめのない会話を楽しみ、これまでレクティファールが見てきた姫君たちとは違う“箱入り”ぶりを彼に見せ付けてくれた。
彼女たちの大半は勉強に使う本より重いものをもったことがなく、ごくたまに、現在の婚約者たちの職業からレクティファールの趣味がそちら方面なのではないかと推し量った者たちが、軍人や騎士としての籍を持っている娘たちを送り込んでくる程度だ。
レクティファールは彼女やその親の誘いを持ち前の――時折想い人たちを怒らせる――優柔不断さで躱し、あっちにふらふら、こっちにふらふらと園遊会の会場を徘徊した。
しかし、園遊会の本当の目的を知るレクティファールとしては、それでも十分に役割を果たしたことになる。
今頃は華々しい外交の裏側で、血で血を洗う陰惨な外交戦が繰り広げられている筈だった。レクティファールは各国大使館や会員制の酒場など皇都各地に散った外務院や皇王府の渉外担当官の健闘を祈る。
彼らは賞賛されることもなく、それでも国家のため、皇王のために結果を出してくる。
ある担当官は賠償金を、ある担当官は利権を、ある担当官は血筋を。
外交とは舞台の上で、照明の中で行われるだけのものではない。
酒の席、閨の中、表舞台の光が生むあらゆる影の裡で行われているのだ。
レクティファールはそれを知りながら、知らない振りをし続ける。
国主とは、知ってはならないことも多いのだから。
「――――ただまあ、心の中で賞賛するくらいはいいでしょう」
影の裡ですら忠義を示す渉外担当官たちに、彼は密かに感謝する。
彼らのような影働きの者たちを忘れたら、それはきっと国主としての敗北。
自分を生涯の伴侶として笑顔を向けてくれる彼女たちを、自分を国主として認めてくれている臣下たちを裏切る行い。
レクティファールは、それを恐れる。
「笑顔が泣き顔になるって、すごい嫌なことだものな」
とりあえず、レクティファールに泣き顔を見て喜ぶ趣味は無い。
嬉し泣きならともかく、悲しくて、許せなくて涙を浮かべた女性は趣味じゃない。
「――――うん、この世界に来てから女性の評価基準が高騰しっぱなしですね」
嫌な大人になったなぁ、と呟きながら、彼は笑顔で話し掛けてきた何処かの国の大使の元へと意識を向ける。
“皇剣”の情報を意識内に広げ、戦闘準備を整えながら――――
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