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第一章:皇国動乱編
閑話ノ弐「男たちの黄昏」



 パラティオン要塞軍司令官ガラハ・ド・ラグダナより、『ウィルマグス』のレクティファールの下へ一通の封書が届けられた。

 内容は――――今次戦役の戦死者総ての皇都への移送準備が完了したというもの。

 本人の希望による臓器提供のための解剖や、探査魔法によって死亡を確認していても、崩れた施設内に埋没し、遺体を収容することが出来なかった死者たちの遺体収容作業が終わったということだ。

 レクティファールはその事実を告げる書面に向かい、目を閉じて小さく黙礼した。

 一分ほど経っただろうか、レクティファールは目を開け、祐筆役の文官を呼んだ。

 そして、パラティオン要塞で執り行われる軍の葬送式に参加する旨を伝える。

 文官はその言葉を聞くと黙って一礼し、退出した。

 式典の予定は八日後。

 此度の紛争の休戦から、五〇日目だった。










 軍務院によって特別予算が組まれ、急ピッチで修理が行われているパラティオン要塞。

 遮光膜に遮られなかった溶接の光が輝き、不整地用に改造された多脚重機が唸りを上げるその光景に、一つの異分子が加わった。

 無骨な軍用車両と騎兵に守られるようにして北の平原から現れたのは、皇国国旗をはためかせ、車体の各所に対魔対物護法発生装置を搭載した一輌の軍用魔動車。

 要塞の修理を行っていた何人もの工員がそれを認め、驚いたように目を見開いた。

 このパラティオン要塞より北にあって、あの仕様の軍用魔動車に乗り込む立場にある者など、たった一人しかいない。


「――――…………」


 工員たちの注目の中、軍用魔動車から降りたレクティファールを出迎えたのは、ガラハとリーデの二人だけだった。

 式典の内容が内容だけに、華美な歓迎は慎むべきと判断したのだろう。

 戦死者の上司であるガラハと、この戦いでレクティファール付きの参謀であったリーデ。最低限の出迎えだった。


「――――遠路遥々御足労頂き、誠に恐悦至極。この雪原に散った我が戦友たちも報われましょう」


「いや――――彼らは我が戦友でもある。戦友を見送るためにならば、私はいかな苦労とて厭うつもりはない」


「は……」


 ガラハとレクティファールの遣り取りは、それだけであった。

 居合わせたリーデにしてみれば素っ気ないその言葉の交換。だが、レクティファールとガラハは数秒間視線を交錯させただけで、万言に優る意思の疎通を成し遂げていた。

 戦場を知った男という、ある種愚かな生き物だけが至れる境地がある。

 多くの想いが飽和し、散っていく戦場を越えた者が見える世界がある。

 特別なことではない。ただ、己という存在が無垢な赤子ではなく、罪深き咎人であると知っただけのことだ。


「部屋を用意してあります。式典は明後日夜明けと共に」


「分かった」


 皇国軍の葬送式は払暁に行われることが通例となっていた。

 理由はただ一つ、死者の門出は、その死者たちによって齎された夜明けこそ相応しいと考えられたからだ。

 生者は死者に別れを告げ、夜明けの先にある明日へと歩む。過去の存在となる死者と、現在いまより先の存在となる生者の道は、夜明けに分かたれることになる。

 レクティファールはガラハに先導され、再びパラティオンに入った。

 車両や重機、建設資材や廃材などが積み上げられた城門付近の、先の戦役時とは違う騒がしさ。

 行き交う兵たちの顔にあの頃に見られた緊張感は見られないが、それでも明日の式典と要塞の修理に追い立てられていることに変わりはない。それでも彼らの動作に何処か清々しさを感じるのは、おそらくその背に負った重さを感じなくなったからなのだろう。

 彼らが背負っている『国防』という責任は変わらない。だが、目の前に敵がいて、号令一下敵に立ち向かい、明日には生きているか死んでいるか分からないという緊張からは脱することが出来た筈だ。

 明日の式典で送られる英霊たちによって生かされた彼らには、その生を甘受し、また全うする義務と権利がある。レクティファールはそれを思い、少しだけ引き結んだ唇を緩めた。

 彼は自分のすぐ後ろを歩くリーデがその表情に気付いたとは考えもせず、ただガラハの後に続く。

 だが、レクティファールの表情に驚いたような表情を見せたリーデは、だがすぐにその背を睨み付け、そして俯いた。

 先程のレクティファールと同じ表情を、彼女は記憶している。

 実家に置いてあった一枚の写真。

 あの二五年前の戦いのさなかに従軍記者が撮影し、後に父の部下が母に手渡した、彼女の父を写した最後の写真。

 まるで、兵たちの喧騒を別世界の物語のように眺める観客のようなその笑顔。

 笑顔に見せかけた――――諦めきった最低の表情。


「――――っ」


 あの写真を見て、父は自分と母を捨てたのだと確信した。

 軍人として、同僚を救って散った“英雄”。

 そう、父は“英雄”になるために自分たち家族を捨てたのだ。

 国家の“英雄”になり、父は自分たちの家族ではなくなってしまった。

 何処へ行っても、誰もが父のことを知っている。

 “英雄ガリアン”としての、軍人の鑑としての父を誰もが。

 その代償に、リーデは自分の知っている父を捨てなくてはならなかった。

 母に聞かされた自分の知っている、自分と母だけの父は、人々が噂する、人々が知る父に塗り替えられてしまった。

 父はリーデの父親ではなく、英雄を父に持つ、英雄の子リーデの父親になり、同時にリーデは単なるリーデ・アーデンではなく、英雄の子リーデ・アーデンになった。

 この瞬間、リーデが夢見た家族の肖像は粉微塵に砕け散ったのかもしれない。











 レクティファールを居室に送り届けたとき、ガラハはリーデの様子に気付いた。

 成長するにつれ大きく禍々しくなり、それでも普段は巧妙に隠されているその鬼気が、ほんの少し顔を見せている。

 所作に乱れはない、表情も至極真面目な参謀としてのそれだ。

 だが、その瞳に常人にあってはならない歪みがある。

 時折戦場に現れる、血と鬼気に踊らされた狂人と同じ歪み。

 何故、と思わない。

 やはり、と思うだけだ。

 親友の娘に狂気を植え付けたのは自分自身。

 親友は、娘を狂気に委ねるために散ったのではないというのに、今の彼にはそれを引き戻すことさえ出来ない。

 ガラハは既に狂気の側にいる存在。どう足掻いても親友の娘をあの濁りきった泥濘の中から引き摺り出すことなど、出来はしないのだ。

 分かっていた。こうなることは。

 親友が散り、“英雄”となってしまったあの日に。

 国家のため、ひいてはこの皇国に住まう総ての国民のためにと、軍人であるガラハは親友が“英雄”に祭り上げられることを許容した。それが間違いであったとは今でも思わない。

 当時の皇国はこれまでの歴史に類を見ない北からの大攻勢に動揺していた。援軍の集結は遅れに遅れ、最悪の愚策である戦力の逐次投入でもって辛うじて戦線を維持した。

 一〇万を超える大軍勢とそれを率いる有能な将。

 即時投入可能な切り札として送り込まれた、複数の力ある龍族でさえ帝国の『龍殺し』に総て滅ぼされた。

 今の時代のグロリエ皇女と較べれば確かに見劣りする能力であったが、その『龍殺し』は一個の兵器として、軍の一部としてはまさに完成された『龍殺し』だった。

 通常の兵器でも龍族は滅ぼせると帝国が学習したのも、おそらくこの紛争だったのだろう。

 最強種と名高い龍族を滅ぼされ、皇国軍はパラティオンまで押し込まれた。

 親友が死んだのは、このパラティオン要塞への撤退戦の最中だった。

 『龍殺し』擁する強大な敵主力打撃群を前に、質で贖えないほど数で圧倒的に劣る皇国軍現地司令部は要塞での籠城戦を決断。しかし帝国軍の動きは予想を遥かに超えて早く、撤退の遅れた一部の皇国軍部隊が帝国軍に捕捉される事態となった。

 その部隊が、当時中佐であったガラハの率いる臨時混成支隊であった。

 敗残兵を結集し、一応頭数だけは揃えられた混成支隊はしかし、戦力としては甚だ不安の残る部隊だった。

 しかし、支隊と呼ばれるだけあって数だけはいる。そして、敗残兵とは緒戦の負け戦を生き残った古強者を多く含んでいた。

 ガラハは全滅を避けるため、一部部隊を殿軍として総退却を決意。

 その殿軍の指揮官として立候補したのが、支隊の先任参謀であった参謀大尉ガリアン・アーデンであった。

 ガラハはガリアンとその妻との結婚式で友人としての言葉を述べていたし、新しく産まれた家族をよく知っていた。

 だから、何度も翻意を促した。

 家族のいない自分が残ると言った。

 だが――――


「お前はこれから先、もっと必要とされる」


 ガリアンはそう言い、自分が残るという自分の考えを決して曲げなかった。

 先の戦役を思えば、ガリアンの言葉はガラハによって正しかったと証明された。ガラハは圧倒的不利な状況でも帝国軍の攻撃に耐え、ついに反撃の機会を掴んのだのだから。

 ガリアン・アーデンは間違いなく優れた参謀であり、死して尚二五年後の皇国をも守り抜いたことになる。

 しかし、親友と志願者で編成された殿軍を置いて撤退を始めたとき、ガラハは未来のことなど欠片も考えられず、ただ親友を贄とする自分の所業を嫌悪し、親友の家族を想って罪悪感に襲われた。

 殿軍が玉砕したという報告を命からがら逃げ込んだパラティオン要塞で聞き、彼の心は後悔で埋め尽くされた。

 後に良将として歴史に名を残すガラハ・ド・ラグダナは、このときに生まれたのだろう。

 この戦いを契機にガラハは将としての頭角を顕し、親友の眠る非武装地帯を望む巨大要塞の司令官となった。

 ここから後ろは親友の守った国土。親友の守りたかった総てが存在する場所。

 その想いを胸に、彼は先の紛争を上回る敵軍に対してさえ皇国本土を守り抜いた。

 されど、払った代償は親友の守りたかった筈の家族。

 これまで危うい均衡の上で保たれていたリーデの心は、あの戦いの狂気によって暗い泥に沈み始めている。

 親友とよく似た青年が、親友と同じように強力な敵の前に身を晒し、そして“英雄”と呼ばれるようになってしまったから。

 リーデは“英雄”を憎んでいる。

 母から夫を奪い、自分から父を奪った“英雄”を。

 人々を守るのは“英雄”などではないと軍人になっておきながら、やはり“英雄”によって救われた。

 その結果、リーデの心は憎しみという業火によって総てを浄化せんとする煉獄となっている筈だ。

 憎んで已まない“英雄”が、目の前にいる。

 しかし、その“英雄”の姿を知ってしまった。

 “英雄”が只人のように間違い、苦悩することを知ってしまった。


「――――殿下、一つお願いの儀がございます」


 今をおいて、大切な親友の忘れ形見を救う機会はない。

 ガラハは六つの月が夜天の支配権を賭けて争う頃、人目を忍んでレクティファールの居室を訪れた。

 そして傅き、心の底から願った。

 あのとき自分を救ってくれた親友に報いるためにも、親友の“本当に”守りたかったものを守るためにも。

 “英雄”を憎んでいるのなら、“英雄”にしかその憎しみは解かせない。

 毒は、毒によってしか解かせないように。











 この一ヶ月でさらに降り積もった雪の上を、一輌の雪上車が走る。

 パラティオン要塞と『ウィルマグス』間の連絡路は軍事的にも重要な輸送路でもあるため常に整備されているが、今雪上車が走る雪原は主要輸送路からも外れており、装軌式の雪上車でもなければとても走行出来ない。

 偵察目的で開発され、皇国軍では中型車に分類される雪上車に乗っているのは二人。

 運転席でステアリングを握るレクティファールと、助手席で押し黙ったままのリーデだ。

 二人の真ん中前方に設置された透明な球体には、これから雪上車が進むべき方向が光で示されており、レクティファールはそれに従って雪上車を操っていた。この球体は基地からの誘導波を受けて車両を誘導する装置の端末で、軍用車両の装備としてはごくありふれたものだ。

 特に目印の少ない雪上を走る雪上車には欠かせない。

 甲高い独特の発振音をたて、進行方向を示す誘導装置。

 車内の音といえばそれだけで、二人の間に会話はなかった。

 五人乗りの車両で後部座席には大した荷物もなく、車内は酷くがらんとしていた。

 運転手であるレクティファールは当たり前だが、リーデも暖房で眠気を催すという性格でもなく、ただ無言であった。


(――――ふむ、ガラハの言うことも分かるような気がしますがね……)


 ちらりと見たリーデの表情はただの無表情というより、明らかに何かを抑え付けて無表情になってしまっているような印象を受ける。

 親友の忘れ形見を心配しているのだということは、昨晩ガラハ本人に聞いた。

 要塞に来たことで大した仕事もないことは確かだが、それでも紛うこと無く摂政であるレクティファールに、こうして“墓参り”への同行を頼むほどに事態が逼迫しているということも理解出来なくは無い。

 リーデには先の戦役時大いに世話になったから、恩を返すと思えば納得も出来る。

 だがそれでも、この沈黙は胃に悪い。

 “皇剣”によって守られているからこそ、自分の胃は無事なのだろうと思うほどに。


「――――大尉」


 話し掛けたのは、これで三度目。


「――――はい」


 諸々の感情を押し殺した返事が返ってきたのも、三度目だ。


「道は合っているか?」


「――――は、誘導が間違っていない限りは、正しいかと」


 元世界では乗用車両の運転免許を持ち、さらには建設重機や運搬車両の免許も持っていたレクティファールである。雪上車の運転も慣れればどうということはない。というよりも、“皇剣”が運転を知っていた。

 されど、リーデの不機嫌さを塗り固めたかのような声を聞くたび、運転を誤りそうになる。

 ごうごうと雪を押し固めて進む無限軌道の音が憎く感じることさえある。

 車輪式車両よりも圧倒的に劣る移動速度が憎い。


「そうか」


「は」


 早く着いてくれと心から思う。

 レクティファールも一応無表情を保ってはいるが、密かにこめかみから冷や汗が一つ。

 リーデ自身が苦手ということはない。

 ただ、明らかに今のリーデの雰囲気は以前とはかけ離れている。

 ガラハはその理由について明かさず、ただ「共にあの娘の父の眠る地を訪れ、殿下が何を想って帝国と戦ったか、あの娘に説いて頂きたい」と言うだけだった。

 何を想って戦ったか、それを話すことに問題は感じない。

 しかし、理由が分からない。

 戦場での経験であればガラハの方が遥かに豊富で、リーデの父親のことであっても彼の方が詳しいことは疑いようも無い。リーデと仕事以外での付き合いがなく、その父親に至っては名前しか知らないレクティファールが彼女の“墓参り”に付き合うことに何の意味があるのか。

 考えても考えても答えは出ない。

 それが当然なのだが、レクティファールはガラハの考えに何か意味があるのではないかとさらに深く考え込み、自分で這上れないほどの深みに嵌り込んでいた。

 下手の考え休むに似たりとは言うが、結婚もせず子供もおらず、さらには二三という年齢のレクティファールが考えてところで理解出来ないことはこの世に多く存在する。

 無論、レクティファールの個人的な性格も、この疑問に答えが出ない一因ではあるのだろう。

 彼がもう少し遺される者の立場と気持ちを考えることが出来たのなら、或いは一欠片の答えを見つけられたのかもしれない。しかし彼は遺される者ではなく、遺す者であり、それは生涯変わらないのだろう。

 そういった性格という観点から見れば、おそらくレクティファールとリーデは余り良い相性とは言えない。

 双方共に仕事と私事を分ける種類の人間であり、仕事上の関係であればこそ上手くいっていたに過ぎない。

 やがて考えることを諦めたレクティファールはひたすらに雪上車を進ませることだけに腐心することに決め、無言のままステアリングを握り直した。











 先の紛争後、非戦闘区域には両国間の休戦協定によって両国からの慰霊団が派遣された。

 味方を逃がすために決死隊となった皇国軍五八五名が眠るこの小高い丘にも、当然慰霊団は訪れている。

 しかし、慰霊団の派遣に合わせる形で、北方に領地を持つ黒龍公の寄贈品として雪花黒曜石の慰霊碑を設置するための工兵隊がこの場に訪れたとき、この丘には皇国兵の遺体は一つもなかった。

 彼らは当然、同胞たちの遺体は野晒しになっていると考えおり、軍も遺体と遺品の回収部隊を同行させていた。

 彼らは監視役として同行していた帝国軍の係官に問う、この場にあった筈の同胞の骸は何処にあるのかと。

 帝国軍係官の答えは冷たく、惨いものだった。

 
「我が軍がこの場から撤退する以前より、この場に皇国兵の遺体と遺品は存在しなかった。おそらく、この丘を攻撃した部隊の兵士が戦利品として持ち帰ったものと考えられる」


 当時の帝国軍には、「皇国兵の死体は高く売れる」という噂が蔓延していた。

 その噂は、おそらくこの丘での戦い以前に発生した、皇国軍の龍族と帝国の『龍殺し』の戦いによって戦死した龍族の遺体のことを指していたのだろう。

 だが、噂はいつしか誇張され、皇国兵総ての死体が価値のあるものだというものへと変わっていった。

 結果、この丘で戦死した皇国兵の遺体は帝国兵によって奪い去られ、遺族の元に帰ることはなかったのである。

 皇国は帝国に遺体と遺品の返還を要求したが、当然帝国側はそれを拒否。

 当時この丘に攻め寄せた帝国軍は二〇〇〇〇に達しており、遺体窃盗の犯人特定は不可能であるというのが帝国側の言い分であった。

 皇国も実際問題として遺体と遺品の返還は難しいと考え、引き下がることしか出来なかった。当時の両国は休戦状態にあるだけであって平和条約が締結されたということでもなく、依然として緊張は続いていた。

 ここで余計な火種を抱え込むことは避けるべきだと、当時の皇王は判断。この件は闇に葬られた。


「父の遺体は、何処にもありません。遺品といえば軍から返却された品物と、中将が持ち帰った数点の品のみ。――――あとは、先代陛下より戴いた勲章ぐらいでしょうか」


 そう告げるリーデは、うっすらと皮肉げな笑みを浮かべていた。

 英雄になった父の証ともいえる勲章。どれだけ美しく、価値のある勲章であっても、彼女には道端の石ころの方が余程ましであった。

 リーデの独白を聞きながら、レクティファールは雪上車から持ってきた花束を慰霊碑に捧げ、ほんの数秒瞑目する。悼みはしないし、そもそも立場上することが出来ない。だから、今の皇国は今を生きる人々が守っていると報告した。


「――――花は手向けないのか?」


「ええ、手向ける相手がいません。ここに眠っているのは英雄ガリアン・アーデン。わたしの父ではありません。わたしの父はあの戦の前、母とわたしを置いて戦場に赴いたあの日に死んでいるのです」


「――――――――」


 ここに父はいないと言い切ったリーデの瞳は、冷たい刃のようであった。

 憎しみが憎しみによって固められた刃。

 近しいものだからこそ憎いという、家族というものに対する感情が希薄なレクティファールには到底理解出来ない、深い憎悪だった。


「父上が憎いのか」


「いいえ、父は憎くありません。それは確かなことです」


 レクティファールに向き直り、リーデは銀の瞳を真っ直ぐに射抜いた。

 眼鏡の奥の瞳に偽りはなく、彼女の中に迷いは一欠片もないと示していた。


「ならば、“英雄”が憎いのか」


「憎いです。“英雄”などという不確かなものに頼る今の皇国も」


 摂政を前にしての言葉ではない。

 しかし、リーデの言葉が、良識ある皇国軍人が常に危惧している問題点であることは確かだ。


「国家は国家の盾である軍によって守られるべきです。その為に軍は存在し、民の血税を用い、兵を鍛えているのですから。いざとなれば誰かが自分たちを率いて勝利を齎してくれるなどと考える輩に、民たちが自分の命を預けると思っておいでなのですか?」


 リーデが言うほど、皇国軍人が“英雄”という偶像に頼っているとは思えない。

 だが、大なり小なり彼女がそう考えるようになっただけの現実が、皇国軍にはあった。


「初代皇王陛下が“英雄”として、力あるが故に独立を志向していた諸氏族を纏めたのは事実です。初代陛下がそうしなければ皇国は皇国として纏まることもなく、大陸東部の諸氏族は終わりの見えない争いを続けていたことでしょう。四龍公とて、初代陛下に従わなければああして並び立つことはありえませんでした。ですが、だからこそ“英雄”は軽々しく現れてはならないのです」


 “英雄”が量産されるようなことがあってはならない。

 リーデはいつしかそう考えるようになった。

 “英雄”などという便利な言葉で死を飾ってはならない。

 本当の“英雄”は、死して生まれるものではない、と。


「殿下ならばお分かりでしょう。国が個人に頼るようになれば、それは亡国の証。滅びて当たり前の国です。皇国がそのようになることは、それこそこれまでこの国のために散った英霊たちに合わせる顔がありません。ですからわたしは――――」


「――――もう良い」


「――っ!」


 滔々と紡がれるリーデの言葉を遮ったのは、小さな声だった。

 だが、良く響く声だった。

 リーデの喉はその言葉を聞いた瞬間に凍り付き、音を発せなくなった。

 これまで黙ってリーデの言葉を聞いていたレクティファールが、静謐な眼差しを以て彼女の瞳を貫く。


「君はそうやって自分の本心を鎧ったのだな。自分と母を置いて散った父に対する憎しみを、父に死を強いた国に対する恨みを、聞こえのいい言葉で隠したのだな」


「殿下……! わたしは――――」


「良い。君の意見は尤もだ。正しいかどうかは別にして、それも事実の一面なのだろう。それは認めよう」


 だが、と前置きをして、レクティファールは先程花を手向けた慰霊碑を見た。


「ここで散った者たちが、そんな小難しい理屈で死んだとは思えない。“英雄”は所詮偶像であると君は言った、ならば、これ以上無いほどの現実である戦場で、果たして“英雄”は生まれることが出来るのか?」


 レクティファールは思う。

 “英雄”は戦場で散ることはあっても、戦場で生まれ出るものではないと。

 だが――――


「偶像の“英雄”は戦後、人々の心が支えを欲して生まれる。だから戦場では生まれない」


「ならば、父はやはり“英雄”として散ったのではないと?」


「いいや、君の父上は“英雄”だった」


 リーデは困惑した。

 レクティファールの言葉に迷いはない。

 だからこそ、彼女はその言葉遊びのような理屈に困惑した。


「何を……――――」


 言っているのか――――リーデの言葉はレクティファールの声に遮られた。


「君の父上は偶像としての“英雄”ではなく、戦場の、現実の“英雄”として散ったのだ」


「そんな馬鹿なこと……! “英雄”は戦場で生まれないと殿下は先程仰ったではありませんか」


「偶像としての“英雄”は生まれないと言っただけだ。現実としての……本人の意思の果てに生まれる“英雄”は存在すると私は考える」


「詭弁です! 父は“英雄”として散り、そして母やわたしの知る父ではなくなった!」


 リーデは啼いた。

 痛みを堪えるように、涙さえ浮かべて。

 レクティファールは彼女の姿に――――短い期間ではあったが、自分の副官だった女性の姿に後悔の念を抱いた。

 彼は、彼女と同じ考えには至らなかった。

 それは戦場で近しい者を失ったことが無いからなのか、或いはそもそも考えの根底にあるものが違うからなのか。

 ガラハが護衛の存在を徹底的に隠し、たった二人でこの場に赴かせた理由がようやく分かった。

 彼女を知る者に、この姿は見せてはならない。

 きっと彼女は、この悲しい姿を自らと関わりのある者に見られることを望まないだろう。

 レクティファールはリーデを部下としてしか見ない。

 それ以外の存在として見ることを許されていない。

 だから、この場にいられる。

 リーデとの関係は遠く、同時に近く、“英雄”と呼ばれ、本人は気付いていないが、リーデの父ガリアンに良く似ているからこそ、彼女を追い込み、その手を無理やり掴む役目を負った。


(――――どう考えても、役者不足ですが……!)


 レクティファールは自分に難題を押し付けたガラハに呪詛を送った。

 確かに目の前の女性のためと言われれば、これまでの義理もあるから悪役ぐらい請け負おう。

 しかし、目の前で泣かれて何とも思わないほど良い性格はしていない。


「断言は出来ない。私は君の父上ではないし、君のことも知らない。だが、もしも私が君の父上と同じ立場に置かれたのなら――――」


「煩いッ! 黙れぇッ!!」


 リーデは駄々っ子のように頭を振り、耳を塞ぐ。

 レクティファールはその姿を見て気付く。リーデ自身は既に、答えを知っている、と。


「母は、母は最期に父を呼んで死にました! 会う人会う人に父の死を讃えられ、影で泣いていた母は、最後の最後にようやく父の本当の姿を思い出せたんです! でもわたしは、母のように泣くことは出来なかった!」


 ガリアンが死んだとき、リーデは僅か一歳。

 父との最後の別れのとき、彼女はさらに幼かった。

 そんな赤子が、父を憶えているはずが無い。

 彼女の中の父とは、母の語る姿でしかなかった。


「母の語る父は、優しくて、わたしが産まれたときも涙を流して喜んでくれるような人だった。でも人々が私に誇らしげに語る父は、雄々しく、軍人としての鑑のような人。わたしや母なんてどうでもいいというように、ただ国家のために総てを捧げるような人だった!」


 彼女の母は夫の武勇伝を聞くたび、人々が“英雄”と讃えるたび、一人で泣いた。

 国家によって作られた“英雄”という偶像が、彼女の愛した男を穢しているように感じたから。


「皇国は、父を“英雄”にすることで国民を勇気付け、多くの死者たちを象徴とすることで国を保った」


 だから、彼女は“英雄”とそれを作り上げた皇国を否定した。

 “英雄”である父は、母を泣かせた。

 “英雄”を生んだ皇国は、母と自分から本当の父を奪った。


「静かに、ただ静かに父との思い出を聞かせてくれるだけでよかった! どれだけ勇敢だったか、どれだけ勇猛だったかなんて、母やわたしにはどうでもいい! ただ在りし日の父の思い出を語り、静かに暮らしていたかった!」


 何故、そっとしておいてくれないのか。

 何故、母の涙に誰も気付かないのか。

 何故――――


「何故――――わたしは独りになってしまったの!?」


 失意の内に歴代皇王の下に召された母。

 そして、リーデは独り残された。


「親戚たちは英雄の娘であるわたししか見なかった! 父のことを聞けば、軍人としての父の姿しか教えてくれなかった!」


 彼らに悪意があったということはない。

 ただ、両親を喪った幼子に、生きるに足る光を与えたかった。

 その為の手段として、“英雄”という偶像は手堅く、そして確実なように思えたのだ。


「わたしは父を知らない! 父が分からない! わたしは誰の娘なの!?」


 慟哭。

 これまで積み重ねられた想いが、彼女の理性を容易く粉砕した。

 涙を流し、鼻水を垂らし、嗚咽を漏らす。

 凛とした参謀としてのリーデ・アーデンの姿はそこにはなく、ただ、父を求める幼子だけがそこにいた。


「――――――――」


 そこに至り、レクティファールは自分の失敗を悟った。

 リーデの過去に、義理などと言って軽々しく触れるべきではなかったと。

 摂政などと持て囃され、驕った果てに一人の女性の想いを踏み躙るような真似をしてしまった。

 彼女が求めていた相手は自分ではない。

 ただ、彼女の父を知り、語ってくれる相手だったのだ。


「――――大尉……」


「殿下は“英雄”です! 父と同じ! いつかきっと、遺された人に悲しみを背負わせる!」


「――――…………」


 遺される人。

 レクティファールの胸にその言葉が突き刺さる。

 そうだ、いつか自分も大切な、守りたい人を遺していく。

 遺された人たちは、今のリーデのように晴らすことの出来ない悲しみを抱えるのか。

 ぐるぐると思考を埋め尽くす自問。

 レクティファールはその考えに没頭する余り、リーデが涙を拭き、自分を睨みつけていることに気付かなかった。


「殿下」


「――ッ」


 慌てて顔を上げるレクティファール。

 その視線の先にいたのは、泣き喚く幼子ではなく、冷静な参謀でもなく、ただ独り、彼の背負う“英雄”と国家を憎む女だった。


「わたしはこの皇国を“英雄”以外の存在として守るために軍人になりました。だから、一つお答え下さい」


「何だ」


 動揺を必死に隠すレクティファールに、リーデは一つ呼吸を挟み、言った。


「もしもわたしとこの国を選ぶとしたら――――いいえ、わたしとこの国、どちらを守りますか?」


「な……」


 瞠目するレクティファール。

 それだけ衝撃的な問いだった。

 予想外と言ってもいい。


「わたしとて、国家のためとあれば死ぬ覚悟は出来ています。雑兵に陵辱されることも、捕虜という名の玩具にされることも」


 真っ直ぐな目だった。

 それ故に、レクティファールは言葉に詰まる。


「“英雄”ならば国家を取りましょう。摂政でも同じこと。いいえ、そうでなくてはなりません」


 その表情は、諦念。

 いや、侮蔑だ。

 お前には所詮、一人の女さえ救えない。

 多くを守ろうとすれば、個は零れ落ちてしまうのだとその眼が語っている。


「大尉、私は――――」


「このような問い、殿下にする方がおかしいのだと分かっています。ですが、殿下は答えるべきです」


 国家を率いる者として、人々の象徴として。

 人々に、死を強いる存在として。


「葬送式のあと、殿下は要塞に一泊されると聞いております」


「――――ああ、その通りだ」


 レクティファールの答えに、リーデは酷く疲れたような笑顔で言う。


「――――ならば、答えは明日聞かせて下さい。わたしとて二〇年以上掛けて答えを出したのです。即答しろとは言いません」


「――――――――」


 答えを出せないレクティファールは、ただ黙って頷くしかなかった。











 復路は、往路よりも静かだった。

 どちらも声を発さず、ただ窓の外を見詰めるだけ。

 それでもリーデの表情が少しだけ和らいでいるように思えたのは、レクティファールの錯覚であったのか。それとも、彼女の心境に何らかの変化があったのか。それとも、諦めてしまったのか。

 どちらにせよ、二人は互いを空気のように扱いながら帰路を進んだ。

 要塞に着いてからも、二人の間にあったのは仕事の会話のみ。

 元々会話の多い関係では無かったが、他の参謀やガラハが二人の態度を訝しんだことは間違いない。ただその変化が酷く淡白であったため、その理由を問うことは出来なかった。

 そしてその夜、レクティファールは寝台に寝転がってようやく気付いた。

 昼間の問いは、リーデの優しさが多分に含まれていたのだと。

 これからも多くの人々を死に追いやる彼が、いつかぶつかるであろう壁。自分がその壁の一つになり、レクティファールが少しでも早く覚悟を決められるようにという優しさ。

 三歳年下の、軍人としても後輩のレクティファールに対する、彼女の不器用な優しさ。

 心底恨んでいる“英雄”であっても、リーデはそれをレクティファール個人に当て嵌めたりはしない。

 父の死によって大いに苦しんだ彼女だからこそ、偶像としてのレクティファールと、思い悩む本当のレクティファールをしっかりと区別出来たのだろう。

 レクティファールはそれに気付き、自己嫌悪に陥った。

 どんな関係であっても、どんな状況であっても、リーデは参謀としてレクティファールを補佐し、支えてくれる。

 そんな彼女にどんな答えを返すべきなのか、彼女の望む答えが何であるのか、彼は空が白むまで考え続けた。

 脳裏に、子供のように涙を流す彼女の姿を思い浮かべながら――――











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