グードルデン第一軍団が白狼山脈を越えた。
双眼鏡を構えたガラハの眼下に広がる雪原に鎮座する城塞都市は『ウィルマグス』、そしてその傍らに巨大攻城砲“ムジョルニア”。
“ムジョルニア”の砲身は巨大で、ガラハに同行していた参謀の何名かはその姿に呻いている。
熱を持っているのか、或いは冷却水が蒸散しているのか、濛々とした水蒸気を纏った“ムジョルニア”の威容はまさに圧巻。
砂粒のような作業員の姿と比べれば、その大きさが嫌でも分かる。
「計算出ました。砲身長一二〇メイテル超、本物のバケモノです」
携帯測距儀を覗いていた砲術参謀がガラハに報告する。
恐らく現在の帝国が建造出来る兵器としては最大級だろう。これ以上の大きさでは構造物の強度が足りず砲身がへし折れる。実際“ムジョルニア”も鉄骨で組まれた架台に砲身を横たえており、これでは可動式にするのは不可能だ。
これだけの兵器を持ち出させたパラティオンを褒めるべきか、それともたった一つの要塞を突破するためにこんなものを建造した帝国を賞賛するべきか、正直ガラハは判断に迷った。
「侵攻路はどうする」
ガラハは双眼鏡を覗き込んだまま幕僚に問うた。
問われた作戦参謀と戦務参謀が幾つか言葉を交わし、作戦参謀がガラハに策を上げる。
「この位置からでは『ウィルマグス』が邪魔です。当初の予定通り、都市内の協力者と合流して『ウィルマグス』の占拠から始めるべきかと。“ムジョルニア”攻略中に背後から攻撃されては全滅の危険性もあります」
ガラハは作戦参謀の策に頷いた。
彼の思い描いていた絵図と一致したからだ。
『ウィルマグス』の住人には亜人種も多い。そんな亜人種の中には城塞都市『ウィルマグス』の建設当初から帝国への抵抗運動を続けている者たちもおり、ガラハを始めとしたパラティオン要塞司令官は代々彼らと繋がりを保ち続けてきた。
件の城塞都市は対皇国の最前線基地というだけあって、皇国方面へ向かう人や物資は必ずと言っていい程この街を通る。皇国側がこの街に間諜を配置するのは当然の成り行きだった。
しかし、今回の“ムジョルニア”に関しては殆ど情報が入ってこない。“ムジョルニア”周辺の警備が厳重で、協力者や間諜が情報を集められなかったのだ。
皇国の“ムジョルニア”に対する破壊工作を警戒しているのだろう。常に警備兵が周辺を巡回しており、ただ迷い込んだだけの街の住人さえ問答無用で射殺されるほどの警備らしい。
予定では今夜、都市に住む協力者と合流する。その協力者の手引きで数個分隊を潜入させ、主要施設の動力源を絶ち、城門を内部から開く手筈になっていた。
「装備の点検を急がせろ、早ければ今夜、奇襲を仕掛ける」
「は」
時間がない。
ガラハは正しくそう認識していた。
そう、認識していたのだ。
だが、彼の思惑はその数時間後にあっさりを覆される。
彼の下に駆け込んできた伝令が、“ムジョルニア”周辺に動きありと報告したのだった。
「状況は!?」
報告を受け、すぐに“ムジョルニア”を見下ろせる崖の上に現れたガラハは既にその場にいた砲術参謀に問い掛けた。その表情は焦燥に染められており、冷静沈着を地で行くガラハにしては珍しい表情だった。
砲術参謀も密かにそんな感想を抱き、それでも自身の職務を全うした。
「見張りの兵からの報告ですと、五分ほど前に警報が鳴り、作業員が一斉に退避したとのことです。私がこの場に来たときにはすでに作業員の姿はなく、観測機器が“ムジョルニア”を中心として半径五〇〇メイテルの魔力の収束を確認。現在も魔力の収束は続いています」
「発射の前兆ということか」
ガラハは苦虫を噛み潰したかのような表情で呻いた。
皇国の魔力変換技術であればこんな広範囲の魔力を収束させる必要はない。だが、帝国の技術ではひたすらに広範囲の魔力を集め、皇国に較べて非効率的な変換をしなくては十分な出力を得られないのだ。しかも帝国の軍事技術で魔動機関は補助に過ぎない。
ガラハは双眼鏡を覗いて“ムジョルニア”を見下ろした。
巨体が小さく蠢いているのは、恐らく照準の微調整をしているのだろう。完全固定砲台といっても架台に油圧の変位制御装置でも取り付けてあれば微調整位は出来る。
このとき身動ぎする“ムジョルニア”を見たガラハの心には、一種の諦念が浮かんだ。
(間に合わない)
幕僚たちが急いで攻撃の準備を整えていることは知っている。
しかし、分解して運んできた装備や軍用車の整備にはまだまだ時間が掛かる筈だ。
歩兵と騎兵のみの突撃で落とせるほど、『ウィルマグス』は柔ではあるまい。
「閣下! 攻撃を!」
息急き切って走ってきた作戦参謀がガラハに訴える。
ここで攻撃を仕掛ければ砲撃を中断させられるかもしれない。
だが、それは所詮可能性。
全滅の危機を孕んだまま攻撃を仕掛けるにしては、危うい賭けだ。
「――――――――…………」
幕僚たちの懇願するような視線を受け止めたガラハは、それでも頭を振った。
まさに断腸の思いだった。
「――――――――攻撃はしない、予定通り今夜の攻撃に備えろ」
「閣下ッ!」
作戦参謀が尚も言い募る。
「パラティオンと殿下に何かあれば、ここで我らが勝利したとて無意味! ここは我らが悉く討死しようと攻撃を仕掛け、“ムジョルニア”を破壊せしむるが上策かと!」
「上策、確かに今この瞬間ならそうかもしれん。だが、パラティオンはあの程度の木偶に容易く破壊されるほど脆くはない」
ガラハはその場の幕僚や兵士たちを睥睨した。
分かる。
帝国と相対している総戦力の三分の一、二〇〇〇〇もの兵力を持っていながら味方が砲撃されるのを隠れて見ているだけという苦痛は。
それでも、ガラハは確実に勝たなくてはならない。
ここで全滅すれば、次はないのだから。
「パラティオンを、我らが戦友を、摂政殿下を信じろ。そして、我らは我らの戦場で勝つのだ」
そう告げるガラハの背後で警報が鳴り響く。
物悲しい、悲鳴のような警報だった。
皆が一斉に“ムジョルニア”に目を向けた。
「――――あぁ……」
誰かが悲嘆の声を上げた。
そして――――
「――――――――頼む」
持ち堪えてくれと誰もが願うその先で、“ムジョルニア”は大地が揺れるほどの轟音と巨大な砲炎を吐き出した。
南に向かって天空を駆け登る光弾。そして、“ムジョルニア”を中心に拡がっていく衝撃波。
ガラハたちの下に衝撃波が届く頃には、光の砲弾は空に消え去っていた。
「くッ」
誰かが膝を付いて蹲っていた。
己の無力に身を震わせ、拳を地面に叩きつけている。
「――――パラティオンに状況を確認しますか?」
通信参謀がガラハに尋ねる。
現在は通信封止が厳命されており、ガラハの許可無くしてパラティオンに通信を送ることは出来ない。
先程発射前に警告を発せなかったのも同じ理由だ。
通信が傍受されてこちらの存在が暴露されることは避けなくてはならない。防御体制を取った城塞都市をたった二〇〇〇〇で落とせるなどと思い上がるガラハではない。
「良い、攻撃の準備を進めろ」
ガラハはそう言ってその場を後にした。
背後では“ムジョルニア”の周辺に作業員が集まり、再度の発射に備えて点検と整備を行っている。次弾発射までの時間は分からないが、数分ということはあるまい。
恐らく数十分、長ければ一時間程度掛かるはずだ。
「――――…………」
あの青年に持ち堪えられるのか、ガラハは自問した。
「愚問か」
そう、愚問だ。
答えなど決まっている。
「ここで負けるような男なら、それまで」
どちらにせよ国は滅びる。
ガラハは寒空の下、攻撃開始のときを待ち続ける。
パラティオン要塞側が正体不明の飛翔体に気付いたのは着弾の数秒前だった。
長距離対空探測儀に警戒速度以上の速さで飛び込んできた飛翔体に対し、要塞の対空機構を統括する演算器が自動で警告を発した。耳障りな警報が要塞中に木霊する。
中央司令室でリーデを傍らに置いて戦況図を眺めていたレクティファールがその警報に気付き、司令室の天井近くに投影された探測儀の映像を見上げる。そこには高速で要塞に接近する光点。
「――――正体不明の飛翔体接近! 耐衝撃体勢ッ!!」
一階の制御卓の前にいた対空管制官が手元の受音器に向かって怒鳴る。
要塞中に響くその声にレクティファールが反応するよりも、光弾が映像の中央――――パラティオン要塞に接触する方が早かった。
「――――くッ」
接触の瞬間、身体が浮き上がるような衝撃と轟音が同時に襲ってきた。照明灯が非常灯に切り替わり、機器から火花が散って、投影された映像が大きく乱れる。
一階を見下ろす二階の端にいたレクティファールは、その衝撃を落下防止の手摺を掴むことで耐えた。
薄目で周囲を見渡してみれば、何処にも掴まっていなかった管制官や分析官が転倒するのが見えた。それだけではない。
「あっ」
レクティファールの隣にいたリーデが、バランスを崩して小さな悲鳴を上げていた。
彼女は手摺を掴もうとするが、何処かで爆発でも起きたのか再び大きな揺れが司令室を襲う。
「――え?」
その揺れのせいで彼女の身体は大きく揺れる。手摺に向けて手を伸ばしていたのが災いしてか、身体が前方に弾かれた。
伸ばした手は空を切り、彼女の身体は腰を支点にして手摺を乗り越える。
ぐるりと回転する視界に、リーデは混乱した。落下していることにも気付かなかった。
「……っ」
視界の下の方で――――つまりは上のほうで誰かが舌打ちをしたような気がした。
一体誰だろうと思う間もなく、彼女の身体を何者かが掻き抱く。再びぐるんと回った視界が、全身に感じる温かさが、見上げた先の月色の瞳がそれを彼女に教えてくれた。
彼女がその人物に思い至った瞬間、ふわりと軽い重力が弱々しくその身体を地面に押し付けようとする。
細く軽い彼女の身体を抱えて一階の床に着地したその人物は、リーデの顔を確認して一言訊いた。
「大丈夫か」
下半身を彼の膝に乗せ、上半身を抱えられた彼女は嫌でもその瞳を見詰めることになる。
怖いくらいの無表情の中に、少しだけ揺らぎが見えた。
その揺らぎが何であるか、彼女は理解出来ないまま答える。
「ご迷惑をお掛けしました。大丈夫です、頭も打っていません」
「そうか。だが、念のため後で医務室に出頭するように」
「はい」
月色の瞳の男はリーデが立ち上がるのを見届けると、その場で叫んだ。
「損害報告ッ!!」
それを切っ掛けにして司令室内が動き始める。
椅子から投げ出されていた管制官と分析官が痛む身体を引き摺って自分の仕事場に戻り、次々と報告を上げ始める。
どの報告もパラティオン建造以来の大損害を伝えていた。
「第一長城の第二三区画に貫通孔確認。第二長城地下構造にも損害があります」
「緊急閉鎖機構が作動し、一次から三次までの動力供給線が各所で寸断されています。復旧予定まであと二分」
「飛翔体は第一長城を貫通後、第二長城地下構造まで到達した模様。第二長城地下連絡路にて融解した砲弾を確認しました。周辺を閉鎖後、爆発物処理部隊を急行させます」
「応急修理班を回せ! 手空きなら誰を連れていっても構わん! 暇そうなら上官でもいいから連れて行け!」
要塞保守を担当する保全参謀が声を張り上げて命令を下している。
彼もガラハに同行しなかった主任参謀の一人だ。彼の仕事場はパラティオン要塞以外になかった。
「殿下! ここは危険です、地下の緊急司令室に移るべきです」
地下には分厚い装甲板と混凝土に囲まれたもう一つの司令室がある、リーデは自分の職務としてそう進言した。
司令部が一箇所に集中していては万が一の時に指揮を執る者がいなくなる。
レクティファールはその言葉に考える素振りを見せたが、ややあって頷いた。
「――――分かった、移動する者の人選を」
まさかパラティオンが血の匂い漂う最前線になるときが来ようとは――――リーデは唇を噛みながら上階へと戻る階段へ駆けた。
身体が勝手に動いていた。
いや違う、確かに手摺を乗り越える段階までは自分の意思だった。
だが、すぐに身体は全く別の意思に制御されるように慣性制御、運動制御などの魔法を使用してリーデを確保、そして緩やかに着地した。
本来なら無意識の本能とでもいうべきものが、恐ろしいまでに精緻な計算と演算によって成り立っている“何か”にすり替わっていた。そんな印象だ。
本来ならば――――これまでのレクティファールの身体能力であればこんな無茶は出来なかった筈だ。たとえ身体がそれを可能とするだけの能力を持っていたとしても、それを制御する意識が追い付いていないのだから。
しかし、今のレクティファールには一つだけこの動きを可能にする要素が加わっていた。
(これが“皇剣”か……)
使用者の意思さえも超越して無意識の願望を実現してしまう合一体の存在に、レクティファールは驚きと恐怖を感じた。
リーデを救いたいと願ったのはレクティファールだ。だからその願望を“皇剣”が助けただけなのかもしれない。
しかし、“皇剣”がレクティファールの意思を無視した可能性は否定しきれなかった。
“皇剣”はただ落下した使用者の身体を保全しようとしただけで、リーデを助けられたのは運が良かっただけなのかもしれない。
どちらにせよ、使用方法を知らない使用者にとって“皇剣”とは諸刃の剣以外の何ものでもないということだ。
“皇剣”は使用者以外の保全を目的としていない。ならば、使用者を守るためなら他の総てを切り捨ててでもその目的を達成する筈。
(――――冗談ではない……!)
レクティファールは自らの身など重要視していなかった。
彼が守るべきは他者であり、自分とはその為の手段でしかない。
対して、“皇剣”はレクティファール自身こそが守るべき対象であり、目的だ。
この致命的なまでの齟齬が表面化するようなことがあれば、レクティファールは自身の手で守るべき対象を害するかもしれない。まさに冗談では済まされない。
ならば――――
「――――――――手懐けろと、この力を……」
大都市を一瞬にして“消滅”させるだけの力を、この世界に対して絶対的な干渉能力を持つ神族さえも殺しうる力を、条件さえ揃えれば一〇〇万の軍勢さえも手玉に取るこの力を。
その事実に、レクティファールは意識がずしりと重くなったような気がした。
それでもやらなくてはならない。
やらなくては、諦めた意味がない。
無意味な諦めは、ただの放棄に堕するのだから。
「――――いいでしょう、面白い」
諦めの良さに関しては自分でも異常なほどだと思っている。ならば、最初から諦めたつもりでいれば怖いものなどあるだろうか。
諦めればこれ以上落ちる心配はない。後は適当に登っていくだけだ。
ひゅう、という風切り音が聞こえて来てすぐ防護障壁が輝き、パラティオンの城壁に大輪の花が咲いた。
期せずして巻き起こる兵士たちの大歓声。
グロリエは望遠鏡でパラティオンの姿を見ていたが、黒煙に包まれた着弾部分を確認することは出来なかった。
「――――どうだ」
砲兵幕僚に問うグロリエ。
自分の隣で同じようにパラティオンを遠望していた砲兵幕僚は無骨な印象を受けるその表情を変えることなく、自分の意見を述べた。
「防護障壁は抜きました。ですが、その為に砲弾はひたすら貫通力を求めた護法徹甲弾。爆発による二次被害はあちらの応急保全技能次第でしょうな」
「だが、難攻不落のパラティオンに傷を付けたのは事実だ!」
「傷だけです」
相手に与えた大損害に興奮し、既にパラティオンを落とした気になっている同僚の幕僚に答える砲兵幕僚の声は冷たい。
まだ傷だけ、グロリエも同じ感想だった。
「傷を広げることは可能か」
「無理です。同じ場所に砲弾をぶつけるには空前絶後の運が必要でしょう。というよりも試写に近かった第一射が命中したことが奇蹟の範疇です」
「次弾発射までどれくらいだ」
「点検整備、ずれた照準の修正、次弾装填を含めて一時間と言ったところでしょう」
砲兵幕僚の声に別の幕僚たちが気色ばんだ。
ここで一気に畳み掛けるべきだというのに、次の発射まで一時間も掛かるのが許せないらしい。
「もっと急がせろ! 一時間も相手に時間を与えては……」
「奴らは獣だ、手傷を負わされれば暴走しかねん」
先程までの興奮は何処へ行ったのか、幕僚たちの顔には逆襲を恐れる子供のような表情が見え隠れしている。
彼らは気付いたのだ、これで帝国は皇国を本気にさせたのだと。
最早先の皇王のように温和な外交政策は期待出来ない、殺すか殺されるしかない殲滅戦争に突入したのだ。
少なくとも彼らはそう思った。
「怯えるな。我らは勝利する、必ずだ」
グロリエも幕僚たちの考えが理解できない訳ではない。
だが、彼女にとっては今更のことだ。
皇国が温和に帝国に接していたのは先代皇王の意向。だが、次代の皇王はそうではないだろう。
あの男の本質はもっと危うい筈だ。柔和で滅多に“敵”と分類する相手を作らない反面、一度“敵”と認めた者に対しての慈悲など、欠片も持ち合わせていないはずだ。
一度顔を合わせただけだが、グロリエにはそれが理解出来た。
自分も同じだからだ。
「全く、敵手としてはこの上ないな」
グロリエは小さく呟く。
その声は誰にも聞こえないまま、空に融ける。
「砲兵幕僚、時間は気にするな、“雷霆”に予備がない以上、慎重にな」
「は、了解しました」
そう、帝国も後が無い。
“雷霆”の完成品はあれ一基。二号、三号と建造計画があったのだが、必要となる莫大な予算が確保出来ずに頓挫したと聞いている。
万が一にも“雷霆”が失われれば帝国の優位は一気に崩壊しかねない。
「さあ、我慢比べだ」
どちらかが先に倒れるか、グロリエは獣じみた笑みを浮かべた。
パラティオン要塞の損害は予想以上のものだった。
着弾の衝撃で要塞各所に魔力、電力、動力を含めた各種動力源を伝達する供給線が寸断され、帝国軍を有効射程内に収めている第一長城要塞砲の三割が発射不能となってしまったのだ。鉄壁を誇った防護障壁も動力源が満足に供給されていなければその能力は著しく低下する。
地下の司令室に移ったレクティファールは要塞保全に全力を尽くすよう命令を下すと同時に、第二射、第三射の着弾に備えるよう要塞総てに通達した。
要塞兵はいつ自分の頭の上に砲弾が降り注ぐかという恐怖の中、必死の補修作業に走り回る。その甲斐あって要塞の機能が少しずつ修復され始めた頃、“ムジョルニア”の第二射が要塞上空を通過、要塞後方の平原に巨大な着弾痕を刻みつけた。
この砲撃によって要塞側は“ムジョルニア”の発射間隔をおよそ一時間と推定し、それに基づいて対処行動を取ることにした。具体的には発射推定時刻に近付いたら誘爆の危険性のある弾薬庫や重要区画を隔壁で閉鎖するなど、要塞に砲撃が命中した際に被害を最小限に食い止めるための行動だ。
ただ、この対処行動によって要塞側の動きは制限された。
保全参謀の下複数編成された応急修理班は隔壁で閉鎖され迷路のようになった要塞内を右往左往する羽目になり、医務官や看護兵は救護要請を受けても現場に辿り着けない。弾薬庫から弾薬を輸送するにも倍の時間を要するようになり、この事実はたった一発の砲弾が要塞に与えた衝撃とは、単純に破壊を伴うそれだけではないのだとレクティファールに示した。
続いて第三射が要塞に向けて放たれた。
巨大な破壊力を秘めた一発は防護障壁との衝突角度が深すぎたらしく、障壁を突破出来ずに要塞の手前に落ち、幾つかの堡塁に損害を与えたが要塞本体に損害を与えるものではなかった。この事実に皇国は大きく安堵の吐息を漏らし、帝国側は帝国史上空前の巨大兵器の命中率の低さに地団駄を踏む。
“ムジョルニア”は確かにパラティオンに対して決定的な破壊力を有している。
だが、直線距離で三五キロメイテル以上離れたパラティオン要塞に命中する砲弾は二割。完全固定砲台、完全固定目標という攻撃側絶対有利の状況下での命中率としては低いと思われるが、実際には妥当な数字だ。
どれだけ第一射と同じ条件を揃えても、気候条件など人の手の及ばない要素は幾らでもある。ほんの少し気圧が変化して風が吹いただけで、砲弾は目標を逸れてしまうのだ。極端な話、少し回転の速さが変わっただけでも砲弾は動きを変えてしまう。
それでも帝国側絶対有利ということに変化はない。
このまま攻撃を続ければパラティオンが陥落することは確実で、帝国軍は要塞側の抵抗が減衰した瞬間を狙ってグロリエ麾下の第三軍集団主力を叩き付ければいい。
そうすれば鉄壁堅牢を誇ったパラティオン要塞は薄紙のような儚い抵抗の後、帝国の陽虎姫の牙によって貫かれてしまうだろう。それを防ぐためにも、皇国側は何としても要塞の防衛機能が生きている段階で“ムジョルニア”を無力化しなくてはならない。
レクティファールは事前にガラハと打ち合わせていた一つの策を実行するべく、決断を下した。
「打って出る」
レクティファールは臨時に招集された作戦会議の席でそう告げた。
事前に相談を受けていた数名の参謀以外、誰もが瞠目して口を半開きにしていた。呆れるというより、レクティファールの言葉を理解できないという表情だった。
九倍の兵力を誇る相手に対し、打って出る。
いや、要塞の維持を考えれば一二〇〇〇は残さなくてはならないから、さらに戦力差は開くことになるだろう。
非常識極まりない。
「殿下、それは本気で仰っているのですか。或いは本気だとして、既に決定事項なのですか」
ハルエリオ・ハルアリオ大佐が蒼白な顔そのままにレクティファールに詰め寄る。
レクティファールの相談を受けたと思われる数名の参謀――リーデを含む――を横目で睨むのも忘れない。
そんな要塞次席参謀の剣幕に、レクティファールは静かに反論した。
「おそらくガラハ中将は今夜『ウィルマグス』に夜襲を敢行するだろう。予定通りならな」
「ならば何故、今更打って出る必要があるのですか」
既に時刻は正午を過ぎる。
このまま持ち堪えていれば皇国は勝てるのだ。
ハルエリオ・ハルアリオに同調する参謀が頷く。
しかし、反論する参謀もいた。
事前に相談を受けていた参謀ではない、銀色の参謀飾緒を着けた砲術科の参謀だった。
「殿下は『ウィルマグス』襲撃の報を受け取った帝国軍が救援に向かうことを恐れているのではないですか。グロリエ皇女の持つ最強の手札、重装近衛騎兵団は快速の上、重武装、そして練度も高い。この部隊がグロリエ皇女指揮の下『ウィルマグス』の救援に向かえば――――」
「帝国軍陣地から『ウィルマグス』までの道中に障害はない。さらに物資輸送のため道路も整備されている。騎兵の機動力は十全に発揮されるだろう。そこに歩兵部隊を追従させれば救援後に『ウィルマグス』の防御を固めることも出来る。そうなればもう陥ちない。我らの敗北だ」
砲術参謀の言葉を継いだレクティファールの言葉に場が静まり返る。
レクティファールは元々こんな会議で発言出来るほどの知識は持ち合わせていなかったのだが、参謀たちと打ち合わせを重ねるごとに“皇剣”の情報が引き出せるようになった。その情報によって現状に危機感を覚えた彼は、この策を事前にガラハと検討していたのだ。
グロリエの率いる近衛重装騎兵団の過去に一つの輝ける戦歴がある。
それは西方戦線で帝国側戦線が崩壊の危機に瀕したとき、近衛重装騎兵団が長駆救援に駆けつけたときのものだ。
近衛重装騎兵団は一二〇キロメイテルもの長距離を僅か二時間半で移動し、勝利間近と油断していた敵方に大打撃を与えた。この損害により敵方は撤退を余儀なくされ、この戦いは帝国側の勝利で終結することになる。
近衛重装騎兵団の騎馬は総じて幻想種で、通常の馬では考えられない耐久力と持久力を持っている。これを専用の魔法馬具で増強しており、魔動式甲冑を纏った騎兵と合わせて帝国最強の称号に相応しい実力を誇っていた。
この最強戦力を『ウィルマグス』攻撃中のグードルデン第一軍団に向けさせる訳にはいかない。
グロリエと近衛重装騎兵団の相手は、要塞の援護を受けられるレクティファール側が請け負うべき仕事だ。
「これは皇国軍最高司令官としての決定事項だ。素人の策だと批判するも結構、だが、己の職務は全うして貰う」
素人の策。
確かにそうだ。だが、事前に参謀たちの意見を聞いた上で作成された作戦案に独特の素人臭さはない。
生来の性格か、レクティファールは自分の能力に関して適当に信用はしていても過剰な信頼はしていない。専門家と呼べる人がいるならその人物をまず信頼するし、その意見を受け入れる。
しかし、その前提とするのは自分の意見でなくてはならない。依存と信頼は違うからだ。
特にこのような状況下では、最高責任者が全責任を負わなくては部下が動揺する。失敗を恐れるような消極的な動きが出てきては、全てを崩壊させかねない。
レクティファールが最高司令官として命令を下した以上、この戦いで発生する諸々は総てレクティファールの責任となる。部下の失策も敗戦も、総て。
「――――――――」
レクティファールの策を認めたということだろうか、自分たちの職務を果たすために地図を広げ始めた参謀たちを前に、レクティファールは背後に信頼する二人の女性がいないことを寂しく思った。
彼女たちは近衛軍の士官と下士官であるため、この場に出席する権利を有していない。同じ理由で司令室にも入室出来なかった。
彼女たちは近衛軍部隊と共に待機しているだろうか。
レクティファールはそんなことを考えた。
この策を実行に移すとなれば当然、グロリエにとっても帝国軍にとっても最高の餌であるレクティファールが出陣する。近衛軍は設立後初めて、手伝い戦ではなく最前線に立つ正統皇位継承者の護衛という最高の舞台で戦うことになる。
たった一個中隊の近衛軍部隊をこの場に集まった参謀たちが重視しているということはなく、部隊の布陣を検討しているときもあっさりレクティファールの本陣へと配置が決まった。一応最強種の一つとして名高い龍種とそれを殺し得る龍人族がいるのだが、一個人としての技量など万の軍勢がぶつかり合う戦場では邪魔者扱いらしい。常識で考えるなら、確かにそうだ。
それでも、本人たちが聞いたら顔を顰めるだろうな、とレクティファールは思う。
彼女たちはその性格はもとより、軍人だけあって自分の分というものを弁えている。しかしこうもきっぱりと“要らない”と断言されてしまえば気分を害することは間違いない。ただ、それを表に出さないだけだ。
(まあ、納得はしてくれるんだろうけど……)
メリエラはレクティファールの護衛という役目さえ果たせれば自分の評価は余り気にしないだろうし、ウィリィアも仕事に私情を挟んだりはしない。何よりこの戦場にはグロリエという、現在その存在が確認されている龍人族の中で最強の個体がいる。龍種であるメリエラも、龍人族であるウィリィアも戦況に影響を与えるだけの働きは出来ないだろう。
強いて言うならグロリエにぶつけるという戦術が考えられるが、正直二人には荷が勝つ。
メリエラは龍種としては若すぎて未だ天敵に対抗しうる力を持っていないし、ウィリィアも個体としての能力が違い過ぎるという。これは本人たちが言っていたことだから間違いないだろう。
彼女たちの存在で近衛軍一個中隊をその実数以上に考えられるのは有難いことだが、過剰な期待は出来ない。参謀たちがレクティファールの護衛以上のことをさせようと考えなかったのも妥当な判断だった。
彼は参謀たちが次々と自分の立てた計画に肉付けをしていくのを見ながら、この瞬間に死んでいく兵士たちのことを考えた。
彼の策が実行されれば、要塞に篭るよりも多くの兵士が命を落とすことになるだろう。それが最終的に皇国軍全体の損害を抑えることに繋がるとはいえ、死なない運命の人物が死ぬことになるのは間違いない。
それも、作戦が上手く行った場合の話であり、作戦が失敗すれば今度は皇国総ての国民がその対象となる。
国家全てを賭けて賭博を行う。
君主たるものに許された、許されてしまった至高の賭け事だった。
それに気付いても尚その賭けを止めようとしないレクティファールは、このとき既に狂っていたのかもしれない。
要塞側の動きはすぐに帝国側にも知れた。
否、知れたというのは正確ではない。
要塞正面の門から続々と部隊が吐き出され、要塞前の平原に凹の字型の陣を敷いたのだから気付かない方がおかしい。
グロリエがその姿を遠望するまでもなく、要塞正面の本陣に摂政の紋章旗が翻る。
『摂政レクティファール此処ニ在リ』――――その旗は皇国帝国を問わずそれを示した。
それに気付いたグロリエは、馬の上で身体を折り曲げる。
「――――は、はは……はははははっ!」
これ以上ないという程の歓喜が彼女の身体を充たした。幕僚たちが訝しげな視線を向けるも、彼女はそれを一顧だにしなかった。
狂おしいほどの情念に火照る身体を掻き抱き、彼女は白の紋章旗を見詰めた。恋焦がれる乙女の潤んだ瞳の先に、彼女の求めて止まない男がいる。
彼女自身、自分がこんなにもあの男を求めているとは思っていなかった。
戦って勝ちたいという武人らしい欲求の筈だった。
それがどうだろう。少し離れていただけでこうも苦しくなる。再び相見えることが出来ただけで歓喜に溺れる。まるで幾とせも離れていた想い人に再会したかのようではないか。
「敵、ああ、お前は余の敵だ! だが何故、お前はそんなところにいる!」
余はここに居る、もっと近くに来い。
そんな遠くでは手が届かないではないか。
そんな遠くでは声が聞こえないではないか。
そんな遠くでは――――
「余の剣が届かないではないかぁ――――っ!!」
犬歯を剥き出しにし、彼女は吼えた。
そして背後に携えた『神殺しの神剣』を抜き放ち、遥か彼方の紋章旗に差し向ける。
熱に浮かされたその姿は絵画に描かれた戦女神のようで、周囲の兵士たちはグロリエを見詰めたまま視線を外せなくなった。幕僚たちもそれは同じで、彼らはグロリエの発する雌の匂いに興奮さえ覚えた。
グロリエがただの女であれば、彼らは果たしてその興奮と欲望を抑えきれただろうか。それ程の匂いだった。
男の本能を刺激して止まないグロリエはしかし、たった一人の男にその熱を向ける。
星の龍皇。
皇国次期皇王レクティファール・ルイツ=ロルド・エルヴィッヒ。
「待っていろレクティファール! お前が来ないなら余が行ってやる! お前の血肉を喰らいにな!」
グロリエの咆哮に突き動かされるように、これまで温存されていた帝国軍主力がレクティファール目指して進軍を開始した。
このとき皇国歴二〇〇九年、黒の第三月一二日。
雪に染め上げられたファルベル平原にて、二九〇〇〇対三七〇〇〇〇の戦いが始まる。
龍虎戦役を構成する一つの戦い、第六次ファルベル平原会戦の幕開けだった。
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