09「ゴブリンぬっ殺してたらいいもん拾った」
ゴブリンがいる。それも一匹や二匹や三匹どころの話ではない。うじゃうじゃと。それこそ、夏場の腐乱した食物にたかる蛆のように、青黒い肌で蠢きながら、凄まじい獣臭を放って、ひとつところに寄り集まっている。
英二が思うに、ここはゴブリンたちの根拠地なのだろう。仔細に見れば、あちこちに生活に用いる、なんとも貧弱な資材がゴロゴロと転がっている。
彼らは酒盛りでもしているのか、酔った様子で管を巻いていた。手には洞窟に自生する木の実で作った酒を入れた革袋を持ち、陽気に妙な拍子で歌のような叫び声を上げていた。
ゴブリンのある個体は首元にまるでそぐわない赤いリボンタイを巻きつけている。
英二たちがこの迷宮に落ちてすぐ襲撃した際に攫った女子生徒から奪った戦利品だろう。
背後の綾乃が凄まじい怒りを無理やり押し殺しているのが、発散された体臭でわかった。
怒りの臭気だ。たまたまこのルートを辿ったことで、やつらと遭遇したのは天の導きか。
「落ち着け、綾小路。仕掛けは充分だ。俺が合図をしたら、一気にカタをつけろ」
さいわいにもゴブリンの巣の入り口は、隧道の奥まった見つけにくい場所にあった。
なだらかな坂を下りた場所にある巣穴の前へと、人力では到底動かせない大岩を、綾乃の〈スキル〉である聖王母の盾を使用して移動させると、ときを待った。
冒険者たちから剥ぎ取った道具のなかには、少量であるが火薬もあった。英二は紙筒とそれらを使って小型の爆弾――殺傷能力は極めて乏しい――を作り上げると、紙のこよりの導火線に火をつけ宴の最中であるゴブリンたちのなかへと放り込む。
それが合図だった。
どおん、と。
腹の底に響く火薬の音に狂乱した小鬼たちは、闇雲に巣穴の出口へ殺到する。
「来ましたわね。ええいっ」
ちょうどお誂え向きに坂になっていたのは天の配剤か。
綾乃は腕を伸ばして大岩に光の盾をぶつけ、ごりごりと前へ押し出した。
大岩は、ゆるい坂であっても徐々に加速度を増し、ごろんごろんと転がっていく。
数十トンを超える巨大な弾丸は逃げようと集まったゴブリンたちをまとめて轢殺した。
絶叫と断末魔で狭い巣穴が満たされる。憩いの場は一瞬で地獄絵図へと塗り替えられた。
殺したのは、たかだか二十匹ほど。運よく大岩をさけた個体や隠れていたものたちが、瞳を怒りで燃え上がらせ、綾乃に向かって飛びかかってくる。
彼らは、綾乃がさしたる武器も身に着けず棒立ちになっていることから、かつて襲った獲物と同じく、容易く掴まえて嬲れると踏んだのだろう。
あきらかに表情へと侮りの色が浮かんでいた。蔑むように綾乃の口元が釣り上がった。
「それでなくては――仇討ちの意味がありませんっ。あななたちを頭から捻じ伏せてこその、綾小路綾乃ですわ!」
喉にきらめく青の首輪が輝きを一層強めた。英二の〈スキル〉である奴隷の首輪によって強化された綾乃の聖王母の盾はゴブリンの集団をものともせず、力任せに押し返した。
このスキルの前には物理的な法則も力も一切が無視される。敵の攻撃を弾くことが本領なれど、使い方によってはいかように効果を上げることができるのが、それぞれの創意というものだ。
フルスロットルで狂奔する蒸気機関車にぶち当たった小石のように、ゴブリンたちの命運は決まっていた。
彼らの使う矮小な武具は、綾乃に傷ひとつ負わせることなく、グズグズに崩れた。
ゴブリンたちはミキサーにかけられたかのよう、なにもわからないまま同胞と一緒くたに押し潰され、腐れたミンチができ上がった。
盾は、数度の戦闘のなかで、回を追うごとに洗練され凄みを帯びていた。
――安定して三メートルを保持できるようになったな。
考えてみれば、男子たちに守られて常に後方の位置にいたときと比べ、綾乃は英二の思うがままに「使用」されていた。
出会ったときは六十センチほどだった光のシールドは、今や余裕で三メートルから五メートルを形どることができるようになった。
英二にしてみれば、まずまずといったところか。
おまけに技も長時間使えるようになりつつある。飛躍的進化を遂げたといえた。
盾はデカければデカいほど素晴らしい。
現在の綾乃力では、瞬間最大的に二十メートルほど広げることができる。
これは、ほぼ無敵に等しいといって過言ではない。
「綾小路。だいぶ上達したな。凄いぞ」
「ふ、ふん。このくらい私にかかれば造作のないことですわっ」
軽く褒めると綾乃はぷいと横を向き「えっへん」と胸を張ってみせる。
(ま、だいぶしおらしくなってきた、ような気がするんでいいかな)
「ま、凄いは凄いけど、ぶっちゃけ盾の使い方ではないよなぁ」
「酷使しておいて、存在意義を否定されましたわっ」
ちょっとショックを受けている綾乃を放っておき、英二は残敵掃討に繰り出した。
巣穴のあちこちには、盾の反射攻撃を喰らってなお、まだ息がある者もいる。
短剣を引き抜いて虫の息である個体にトドメを刺す。武士の情けといったところか。
「えい……えい、と。成仏しろよな」
さすがにお嬢さまである綾乃は直接手を下すことに抵抗があるのか、目をつむってしゃがんでいる。
淡々と英二崩れ落ちた住居でゴブリン狩りをしていると、樽の物陰からごそりとなにかが動く音がした。
やや弛緩しかけていた緊張が一気に張り詰めた。戦士が戦場で命を落とすのは、戦いが終わったあとでも充分起こり得ることだ。
(やり損ねたやつがいるのか?)
「うらっ!」
勢いよく樽を蹴り飛ばして手にした短剣を振り下ろしかけ、止めた。
「むうっ、むうううっ」
そこにはふわりとした髪とくりんとした毛先が特徴である、クラスメイトの甘露寺雪絵が猿ぐつわと手枷足枷を嵌められたまま、恐怖に引き攣った表情で呻いていた。
「おまえ確か、甘露寺だよな……?」
「あなたは、甘露寺さんっ。無事だったのですか」
「むぅ、むうっ」
英二は彼女の取り乱しようが、久々に会ったクラスメイトとの感動ではなく、警戒のそれを含んでいると、ほとんど直感的に感じ取っていた。
首筋に、ぞわりとした殺気を受けて背筋が凍った。
同時に振り返らないまま、手にした短剣を背後に繰り出していた。
蹴飛ばした樽のなかに潜んでいたゴブリンが隙を突いて襲いかかろうとしていたのだ。
だが、一瞬の差で英二の短剣はゴブリンの脇腹に埋没すると動きを完全に封じていた。
手首を捻って刃を走らせる。ゴブリンの脇腹から胸まで朱線が走った。
ゴブリンは口からどっと血の塊を吐き出すと、前のめりに倒れ絶命した。
「甘露寺さん、私です。綾小路綾乃ですわよっ。しっかりなさってくださいまし!」
綾乃が雪絵の頬をペチペチと軽くはたく。
雪絵は綾乃の姿を今度こそしっかり視界に捉えると瞳からぶわっと涙をあふれさせた。
「英二さん。早く彼女を解放してあげてくださいましっ」
「ああ、わかったよ。くそ、固いなこれっ」
四苦八苦して、両手足の縄を短剣で切り裂くと、自由になった雪絵は唸りながら抱きついて来た。
「なあっ!」
「甘露寺さんっ?」
(うっわ……! ちょっと待てよ、こいつ、胸デカっ?)
「か、甘露寺。まだ、口の部分ほどいてないから……! ちょ、離れろって」
とはいいつつも英二の顔は雪絵の豊満な胸を押しつけられ、どうにも息ができない。
そして同じくらい、この状態を「ラッキー」であると感じているもうひとりの自分がいた。
「甘露寺さん? 落ち着いてくださいまし。今、猿ぐつわをほどきますから。んしょ……」
動きを封じられた英二の代わりに綾乃が雪絵の口に押し込められた布きれを取り去る。
「ふえええっ。怖かった! うち、ホンマに怖かったんやー!」
だが喋れるようになった雪絵は叫びながら、より一層英二をぎゅうぎゅうと抱きしめるだけだった。
「ちょ、ちょっと待った。甘露寺、息が、息ができな――」
「あの、甘露寺さん? 英二さんがもの凄く苦しがっておりますわ。そろそろお離れに――こらっ。はーなーれーろ!」
英二にとってはご褒美でしかないすったもんだは、その後十分ほど続き、平静を取り戻した一行はゴブリンの巣穴から出た、すぐの場所で向かい合って座っていた。
「ううう。堪忍な、ふたりとも。うち、もうてっきり助からんと思てたんやけど、その分揺り返しで、うれしゅうて」
雪絵の話を総合すると、地下道の崩落事故のあと、クラスの女子はなんとか英二たちを救出しようと苦心していたらしかったのだが、そこをゴブリンの大軍に襲われ、パーティーは四分五裂し、それぞれバラバラになって小人数で行動していたらしいとのことだった。
「びーびー泣くなよ。ほら、拭けって」
「うう、えーちゃんやさしいな。うちら、逃げ回るだけで精一杯やったのに……こんなにやさしゅうされたの久々で、惚れてまうわ、こんなん」
「えーちゃんて誰だよ」
「ん? 影村くんのことやん。英二ってちょっと他人行儀でうち好かんもん。そやさかい、親しみを込めてえーちゃんて呼び方にしたんやけど、気に入らんかったかな?」
「いや、まあ、呼び方なんてどうだっていいんだけど。甘露寺、おまえ近いぞ」
「あの、甘露寺さん」
「いやん。えーちゃんは照れ屋さんやなぁ。うち、そういう照れ屋さん、えろー好きやねんて」
「甘露寺さん? あなた、私の言葉聞こえてらっしゃらないの?」
「おい、甘露寺。綾小路がさっきから話しかけてるぞ」
「もう、えーちゃんも、うちのことそんな呼び方せんといて。雪絵でええよ」
「甘露寺さん。あなた、もしかして私のことわざと無視していらっしゃるのかしら?」
「いや、ファーストネーム呼びはちょっとハードルが……それよりも綾小路がだな」
「いけずやなぁ。うち、えーちゃんがゴブリンととっとやっつけるの見て惚れ惚れしたんや」
「というか、あなた! いつまで英二さんにくっついていらっしゃるの! とっとと離れてくださいましっ!」
「うわっ」
「んきゃっ」
とうとう綾乃の雷が爆発した。雪絵は怖がりな仔犬のように英二の胸に顔を埋めると、頬をすりすりすりつけている。
無論、女性にまるで免疫のない英二は恐怖と混乱と綾乃から受ける強烈なプレッシャーで機能を停止していた。
「違う、そうじゃない。俺たちが今やるべきことなのは、こんなラヴでコメってる阿呆な戯言じゃない。甘露寺、いいか。ゴブリンたちに拉致されるまでおまえはどこでなにをしていたそれとそろそろ離れろいい加減綾小路がブチ切れる」
「ええ? もうえーちゃんいけずやわぁ。離れるけど、雪絵って呼んでくれへんと、うち返事せえへんもん」
「甘露寺さんっ! あまり英二さんを困らせないでいただけるかしらっ」
「わかった綾小路。俺が譲歩する。ゆ、ゆゆ、雪絵。頼む」
「英二さんっ?」
「んーん。えーちゃんの頼みやったらええよ。うちな。さーちゃんとみーちゃんといっしょに行動してたんよ。でもでも、ぼうっとしてたら頭から、こう、がぼぼって袋かぶせられてな。えらい目におうたんよ。で、で。あのゴブリンたちな。うちにえっちなことしよかー、ってときにえいーちゃんたちがガラガラポンでどっーかんて!」
「途中で頭が痛くなってきたんだが。綾小路。こいつの話解読できるか」
「えー、えーちゃん酷いやん。うち、正直にゆうとるよ」
「……ちょっと待ってください、甘露寺さん。もしかして、そのさーちゃんとミーちゃんという方は、清閑寺さんと西園寺さんでございますの?」
「うんうん。あーちゃん、ぴんぽーんや」
「てか、よくそれでわかったな。で、綾小路はあーちゃんなのか」
清閑寺清香と西園寺雅の名が出たところで綾小路の顔がみるみるうちに引き攣ってゆく。
さもありなん。ぼっちの英二でも嫌というほど知っているのが、綾乃とふたりの関係性だ。
綾乃とクラスで勢力を二分していた清香と、これまた別口で犬猿の仲であった雅の名を聞けば平静ではいられない。
「しかし、甘露寺。よく俺のこと知ってたな」
「ぶーっ。ゆ・き・え。そう呼ばんと。次やったら、うちもホンマ怒るよ」
「わ、わーったよ。雪絵」
「うん。よろしいわ。しっかし、えーちゃんもおかしなこと聞きはるわ。うちら、席替えする前隣やったやん。えーちゃん、意外と薄情なんやなぁ」
「英二さんのぼっち論はどーでもいいですわ。それよりも、あなたたち意外に残っているメンバーはどうなっておりますの? 江下たちは、どうしていますのっ」
(なんだ、綾小路のやつ。裏切った腰巾着のこともちゃんと心配してるじゃんか)
名を聞いた途端、雪絵はうつむき暗い顔になった。綾乃の顔が強張った。