19「迷宮の真実」
「どうしようエージ。あのときみたく、助けて……」
助けてっていわれても。人間できることとできないことがある。
このゴゴゴはそのうちのどうしようもない事象のほうだ。
英二は抱きついて来た清香をはっしと抱き止めると、眼球を目まぐるしく動かして、襲いかかって来るであろう最悪のケースを、一ダースほど頭に思い描いた。
「ナマズさまのお怒りですのっ?」
絶対違うから。
「あ、あわわ。避難や、訓練どおり避難すんねんなっ」
「落ち着いてみんな。ほら、あそこ」
雅が、すっと細い腕を伸ばすと広間の中央部に小さな台のようなものが浮かび上がっていた。
大きさは高校の教壇程度。
「なんやねんあれ、いきなり出てきて、怖いわぁ」
雪絵のいうとおりである。RPGではこのようにギミックを使用するとエフェクトと妙なBGMとともに、冒険を進める上で需要な「なにか」が現れることもあるのだが、現実問題こんなものは怪し過ぎ以外のなにものでもない。
「罠、じゃないかしら」
雅が眉を潜めて声を落とす。英二が祭壇に隠れつつ、突如現れた物体の様子を窺っていると全員がわらわらと背に隠れるようにして集まって来た。ぴったりくっつかれるとちょっと暑い。
「あれですわ、不用意に近づくと矢がばびゅーんっと飛び出るのですわ」
「むむむ。非常に危険な気がするぜ」
「チャンスよ、清香。ここでポイント上げるためにも。さ」
「こんな話しててそんなポジティプな行動取れるわけないだろっ」
「みーちゃん。あ、危ないやんか。もうちょっと様子見ようやぁ」
「甘露寺さん。待ってばかりいては、事態は変わりませんわよ。さ、ここは清閑寺さんが代表として調べるのが筋ですわ」
「だからなんで私がそんなことを――」
「あら、清香。あなたがバーを不用意に引いたんじゃなくて」
「う、でもでも、それは」
「もういい。俺が行く。おまえらはここで待機しててくれ」
「だいじょぶですの?」
「ふ。へのつっぱりはいらんですよ」
「言葉の意味はよくわかりませんが、とにかく凄い自信ですわっ」
「おまえらな……」
英二は警戒しながら突如として現れた物体に近づいた。みなの不安とは裏腹に予想していた罠は存在しない。
子細に調べると、台座は青白い石でできており、中央部にハンドボールほどの巨大な宝玉が鎮座していた。
特に危険がないとわかると女たちはわらわらと寄って、物珍しそうに宝玉をぺたぺた触り出した。
「冷たくてすべすべしていますわ。とってもすべすべしていますわっ」
「二回いわなくてもわかる。綾小路、ちょっと詰めろ」
「ふあー。おっきくて綺麗な宝石さんやねぇ」
「ちょっと、みんな。不用意に触れるのは危ないと思うのだけれど」
「別に危険な場所はなさそうだが――」
狙ったわけではないが、全員が瞬間的に宝玉へと手を触れたとき、変化が起こった。
謎のオーブは雷光のように強烈な光で輝き出すと、英二たちの視界を奪った。
「なんだよ――これ?」
宝玉から発射される強い光芒が真っ直ぐに祭壇後方の壁を照らし出すと、ぐわんと奇妙な音を立てて空間を歪ませた。
おんおん
と妙なハウリングが発生し、なにもない場所に真っ黒なうずが形成され、それは瞬く間に広がると床から天井を覆いつくすほどになる。
同時に室内の壁際に配置してあった幾つものランプが灯ってゆく。瞬く間に真昼の太陽の下のような明るさになった。
「なんなんですの? これは」
本能的に目の前のうずを危険であると察知したのか、綾乃が背中にぴっとりとくっつき震えている。
英二は震えが伝染したかのようなカタカタ勝手に動く右腕を掴みながら、湧き出て来る生唾を嚥下した。
「コングラッチュレーション! さすが私の生徒たちだ。想定内の人数よりもひとり多くたどり着くとは素晴らしいっ。が、君が残るとは思っていなかったよ。影村英二くん」
聞き及びのある声――。
英二は勢いよく振り向いた。
そこには、英二たちがよく知っている四十過ぎのスーツを着た男性と、黒尽くめにサングラスをかけた十人ほどの男が自動小銃を持ってフォーメーションを取っていた。
「五味川、先生?」
英二の問いに男は答えた。
「ザッツライト。今までナイスファイトでしたよ、影村くん」
英二たちの担任。社会科教師である五味川典膳はゴボウのような色黒の顔を破顔させると、薄い唇を歪ませニッと微笑んだ。
「先生、無事でいらしたのですね……」
「綾小路さん。それに清閑寺さんあたりは確実に生き残ると思っていたのですがねぇ。まさか、地竜との戦いで男子生徒がほぼ全滅するとは想定にありませんでしたよ。甘露寺さんは貴重な回復スキルを持っていることで、かなりの確率で後半戦を生き抜くと思っていたのですが。ああ、西園寺さんも、よくもハンデのある補助スキルでこの最終ステージまでたどり着きましたね。花丸を上げましょう」
「五味川。生徒たちに余計な情報を与えるな。早く拘束しろ」
AK-47。アサルトライフルを構えた黒スーツの男が、静かな口調で五味川を叱責する。
今までダンジョンで行われてきたすべてがまるで虚構であったかのように、男たちの持つ自動小銃をぬらぬらと不気味に照らし出している。
「久方ぶりの生徒との再会ですよ。それに、私もそれほど間抜けではない。この、デッド・アロー計画の最終段階がどんなものかだいたいは予想はつく。そろそろ、武骨なあなた方との道行きもこのあたりで幕引きにしたいのです。私の妃たちに新世界へと旅立つための心構えをお話しなければなりませんし、時間は有効に活用したいのですよ」
「裏切る気か――?」
男たちは、さっと五味川から距離を取るとAK-47の銃口を向けた。脅しではない。彼らからは必殺の気合が五味川に向けてほとばしっている。英二たちは状況がわからぬままも、綾乃が前面に出てすぐにでもシールドが張られるよう体勢を整えた。
「綾小路さん。素晴らしい適応能力です。流れ弾が飛ばないとはいい切れませんので、自分の身は自分で守ってくださいねぇ。そうでなければ、私の妃としての資格を取り下げなければなりませぇん」
五味川は半笑いのまま、綾乃の身体を舐めるように見つめ、べろりと赤い舌で自分の唇を舐めたくる。それは喜色の悪いナメクジが這いまわる嫌悪感を想起させた。
「五味川。きさまには、充分な報酬と計画成功の暁にはそれなりのポストを用意している。考え直せ。ここで、我らに刃向かって――故郷の家族を泣かせてもいいのか?」
「いやいやいや。私も人間です。父母や妻子を人質に捕らえられれば、ノンといえるわけもないでしょう。だから、この瞬間をずっと狙っていたんですよ。あのゲートが出現するこのときをね。実験では、あのゲートは強烈な電磁波を放ってあらゆる電子機器をジャミングする。ここなら嫌らしい眼に悩まされることも、あなたたちの増援もない――!」
「ナンバー2からナンバー10。五味川が裏返った。これより制圧する。なるべく身体を傷つけるな。死体はサンプルとして回収する」
「それが、あなたたちの報酬ですか」
「アタック――!」
男たちは、素早く五味川を半包囲するとそれぞれ同士討ちがないであろうベストなポジションから、一斉にAK-47のトリガーを引いた。
炸裂音と凄まじいマズルフラッシュが英二たちの目を灼いた。
五味川の背は百七十ほどで特に大柄でもなければ、なにか格闘技をやっていたということは聞いたことがない。
火箭がバリバリと五味川の身体を叩くのを見て、英二は肉塊となった元担任の悲惨な光景を幻視し鋭く舌打ちをした。
だが現実は英二の想像をいとも容易く裏切った。
銃火に晒され血達磨になるなるはずだった五味川の身体は、瞬間的に黒く染まると、驟雨のように降りそそぐ弾丸をすべて弾き返していた。
瓦を霰が叩くような軽やかな音とともに跳弾が神殿内の石を次々と抉っていく。
「このっ――!」
綾乃が直径五メートルほどの聖王母の盾を展開して跳弾から全員を守っている。
「馬鹿な、五味川のスキルは金剛だけではなかったのか!」
「生憎と馬鹿正直に人さまへ奥の手をばらすわけがないでしょう。リサーチ不足ですよ」
瞬く間に弾を打ち切った男のひとりが、茫然とした様子で呟いた。
五味川は黒く染まった顔で薄く笑うと、握っていた手のひらを開いて見せる。
そこには雨のように撃ち込まれていた鉛の弾がじゃらじゃらと鳴っていた。
その意味を理解したのか男たちは一斉に弾倉をリロードしていくが、五味川が一手早かった。
「ぬぅん」
ワインドアップで勢いをつけ、五味川が振りかぶって手にした弾丸を投擲した。
びゅびゅっと。
空を引き裂く音が響いて、男たちの顔面やら身体やらから赤黒い飛沫がほとばしった。
瞬く間に四人ほどの男が吹っ飛んで動かなくなった。
残った男たちは必死に銃撃を続けるが効果はまるでない。
五味川は弾雨のなかをまるで散歩するような緩慢な動きで渡り終えると、自動小銃のバレルを引っ掴みハンドガードをウエハースを割るようにして折り取った。
凄まじいまでの膂力である。怯えた男が悲鳴を発し、逃げ腰になると素早く手刀を突き込んだ。
硬質化した五味川の腕はそれだけで鋭利な刃物と同じである。
指先が背中まで貫通した男は口元から血泡を吐き散らかすと絶叫を上げて倒れた。
「そぉれ。ゆきますよ」
五味川はそのまま男の身体を軽々と担ぎ上げると、未だ射撃を行っている男たちのど真ん中へと放り投げた。
加速のついた男の死体は三人ほど巻き込んで壁際に追突すると、骨も肉も原形を止めないほどに変化し、壁に真っ赤な花を咲かせた。
「なんだよ、あれは」
見れば五味川の両腕がまるでシオマネキのハサミのように巨大化していた。
「金剛と鉄身の併用――ダブルスキルかッ」
隊長各らしき男はAK-47を放り捨てると、腰から大ぶりのコンバットナイフを抜き放った。
腰を低くしてジリジリと距離を詰めていく。男の背は二メートル近い。彼から見れば小男の五味川を恐れるように、仕掛けどきを見計らっているようでいて、その実及び腰になっているのが丸わかりだ。
「やれやれ。内調の本田がその体たらくでは、この国の未来も危ういようですねぇ。そのようなへっぴり腰ではとてもとても次代の工作員など養成はでききませんよ」
「だから、きさまは喋り過ぎだっ」
本田は挑発に乗ったように見せかけて狡猾だった。
飛び込んだと同時に自ら身体を伏せて床を転がった。
残っていた男のひとりが射撃を真正面から放って五味川の目くらましを行った。
「ぬ、ぬおっ」
これには鋼鉄の身体を持つ五味川もたまらぬのか、一瞬だけ両腕をクロスし目元を守る。
同時に、背後に回った本田は素早く腕を絡みつかせると五味川の喉にナイフを突き立てた――。
が。それも虚しい攻防だった。
ガッ、と激しい音がして刃が弾かれた。
「だから本田さん。私にはあらゆる武器は通じないといったでしょう、が!」
五味川は素早く肥大化した右腕で本田の喉輪に指を差し入れ、釣り上げた。
「ほーら、高い高いですよ。昔を思い出しますねぇ。よくこうして娘と遊んだものですよ」
巨躯である本田がすっと両脚を床から離した。
みるみるうちに顔中が鬱血してドス黒くなっていく。
本田はごぼごぼとあぶくを口から吐き出すと、最後にはだらりと舌を伸ばし、目と耳から血を垂れ流して絶命した。
「ひっ、ひいいっ」
本田があっさりと縊り殺されたのを見て、最後の黒服は自動小銃を投げ捨てその場に腰砕けになった。床がみるみるうちに濡れていく。立とうとしても立てないらしく、ずりずりと尻を引きずりながら後退してゆくそのさまは惨め極まりなかった。
「さあ、あとは残りひとりですね。影村くん。すぐに授業をはじめますので、しばしお待ちを」
「ま――待てっ。先生は、そいつはもう」
戦意を失っている。許してやってくれと英二がいうよりも早く五味川は男に駆け寄ると、素早く男の頭に手をやりぐるりと回転させた。
「ふふふ。面白いですねぇ。フクロウは首を左右それぞれ二百七十度回転させられるというのに、人間はなんと脆い――ああ、これでは一回転させてしまっている。先生のミスですねぇ。次からは気をつけましょう。ふんっ」
五味川は最後に鼻気荒く気合を込めると男の首を引き抜いた。雪絵が甲高い悲鳴を上げて雅に抱きついた。雅は雅で英二の腕をぎゅうと抱いている。綾乃と清香はゆっくり近づいて来る五味川を強張った表情で睨みつけていた。
「おやおや、少し甘露寺さんを怖がらせてしまいましたかねぇ。そんな臆病者では、先生の妃には不適格ですよぉ」
「先生。これは、いったいどういうことなんですか。教えてください」
「おおぉ。清閑寺さぁん。この光景を見てもその毅然たる態度。さすが私の妃に相応しい女性です。あなたはやはりほかの凡俗とは違いますねぇ」
「お答えくださいまし、五味川先生ッ」
「綾小路さん。あなたも、少しばかり傲慢な部分が鼻につきましたがこのダンジョンでの経験がいい方向にあなたを磨き上げたらしい。これなら、充分に我が妃として清閑寺さんと両翼を張ることができそうで、うれしいですよぉ。そうですねぇ、まず、なにから話したらいいか。ことの起こりは、デッド・アロー計画という、政府主導で行われた能力者養成に関す超法規的措置が原因です」
「デッド・アロー計画なんて、そんなできの悪いB級映画みたいな話。信じられないわ」
「西園寺さんがいうとおり、まともな人間なら一笑に付すレベルの与太ですが……ともかく政府は混迷を極める、これからの世界情勢に対抗するため、能力発芽の可能性のある学生を全国から集めました。そもそも、ここにいる全員が地方出身者なのですからね」
「は――そうなのか?」
「エージ、知らなかったのか? 私は山梨出身だし、雅は愛知、雪絵は京都で綾小路は千葉出身だ」
「千葉はよいところですのよ。ネズミさんの王国もありますし」
「そして影村くん。君は東京の生まれだ。もっとも実家は甲府だそうだが。君はクラスで孤立気味で、特にほかの生徒に興味を示さなかったからねぇ。能力者候補とはそもそもが変わっているので先生も気にはしていたんだが。ともかくも全国で集められた生徒たちは、この修学旅行でふるい落としにかける予定だった。世間的には、君たちはあのバス事故で全員死亡している。どちらにしろ、もはや生きて日本に戻りまともな生活を送ることなど許されない身の上だったのですよ」
「そ、そんな……! 嘘ですのっ。お父さまや、お母さまにもう二度と会えないなんて!」
綾乃が全員の気持ちを代弁するように悲鳴をほとばしらせた。
雪絵はもはや蒼白のまま力を落とし座り込んでしまい、雅も彼女を顧みる余裕がないくらいにショックを受けている。清香も両眼を見開いたまま、ギリギリと奥歯を噛み締め今にも五味川に噛みつきそうな気配だ。