18「秘密の神殿とお約束温泉」
「壊れてますのっ」
「あー。これは、かなりドカンと一発やられてんなぁ……」
苦労して石橋を渡り、神殿にたどり着いた一同が見たものは、門をくぐり抜けてすぐの場所で盛大に破壊されて横たわる石くれでできた魔人の残骸だった。
モスク建築に似た内部には幾何学模様に似たシンメトリィを重視する装飾が丁寧に施されている。
以前の遠征時は、石のゴーレムに阻まれ神殿内に入ることすらできなかったが、懸念の怪物は巨大な力で押し潰されたように半壊したまま沈黙していた。
「英二さん。やはり私たちはついていますのね。これというのも、私が天に愛されているからですわ。おほほ」
「あーちゃんは、超ポジティブシンキングやなぁ。うちも見習わんと」
「そんなわけないだろう。エージ。たぶん、私たちよりも、先にここにたどり着いてゴーレムを倒した何者かが、いる」
「だろうな」
「そうなんですのっ!」
「雪絵。少し綾乃と遊んでいてちょうだい」
「あー、ほな、あーちゃん。ちょこっとあっちでうちと遊ぼか」
「私をナチュラルに蚊帳の外へ追いやらないで欲しいですわっ」
「清閑寺、西園寺。さっき、この神殿の裏手を見たが、洞窟は行き止まりだった。まだ、なかを全部見回ったわけじゃないが、ここにはなにかあると思う。少し、調べて見たいんだけど、その前にひとつだけ朗報がある。ついてこい」
英二が先に立って清香と雅を先導した。
神殿は、彩色ひとつなく、神意よりも時間の経過における諦念のようなもののほうが強く感じられる佇まいであった。
「一体、この建物は誰がどのような用途で作ったのだろうな」
「ねえ、英二。ここが本当に当たりだと、あなたは考えているの?」
「さっきは、この先は行き止まりだといったが、ひとつだけ違う場所がある。ほら」
英二がよくもまあ見つけたなと感心してしまうくらいわかりにくい場所に、地下へと続く石段を指差すとふたりは顔をしかめた。強い硫黄の臭気が漂っている。
「これは――?」
「まあ、降りて行けばわかるさ」
英二が手にした松明で行く手を照らしながら、どことなく自慢げな声音を出した。
石の階段を降りきると、ついて来たふたりがぱっと顔を明るくするのが分かり、英二はふふんとばかりに、ちょっと胸を反らした。
「やっぱ日本人といえば、これだよな」
眼の前には、岩を埋め込んで作った温泉が濛々と湯気を立てて広がっていた。
「まーべらす、ですわねぇ」
英二を除く女たちは、久方ぶりの温泉に肩まで漬かり愉悦に頬をゆるめていた。
「エージには感謝しかないな。ふう」
清香も、とろけるような笑顔で豊満な乳房を湯に浮かべくつろいでいる。
「うち、うち、もう二度とお風呂入れへんと思っとったわぁ」
「本当に。あとで背中でも流してあげましょうかしら」
一応は、できるだけ湧き水で身体をぬぐっていたとはいえ、熱い湯に浸かるのはかれこれ幾日ぶりだろうか。
やはり、湯船にしっかり入る習慣のある日本人にとって、入浴は切っても切れない仲なのであった。
「ううっ。みるみる汚れが落ちていゆく。このような身体で英二さんと接していたと思うと、私はレディ失格のような気がしますわ……」
一旦、熱い湯に浸かって毛穴が開いたのち、冒険者から回収した少ない石鹸で綾乃たちはこれでもかというほど、身を清めに清めた。
雅もうっとりとした目つきで長い黒髪を梳いている。瞳の輝き方が違った。
――そんな彼女たちの姿を岩陰からジッと覗く、一組の瞳は獣のように血走り忙しなく湯気の合間から、白い肌を追っていた。
(べ、別に、覗きに来たんじゃなんいだからっ。二時間近く経って誰ひとり上がって来ないから、心配して様子を見に来ただけなんだからねっ)
英二は誰にいいわけしているのか、ひとり気配を完全に断って、食い入るように乙女たちの柔肌を脳裏に刻みつけていた。
(ううう。ちらちら見えそで見えにゃい……清閑寺、胸デカっ! ほとんどメロンじゃね?)
「ふぅー。心の洗濯ですわぁ。で、人心地ついたところで、みなに正直なところをお聞きしたいですの」
綾乃が岩に腕を乗せながらくつろいだ調子でいった。
「え、エージのことに関してか? な、ならば私はだな――」
「あ、清閑寺さんは一番どんじりでいいですの。私がお聞きしたいのはそちらのお二方ですの」
「え、うちっ?」
「あら。あたしたちになにを聞きたいのかしら」
雪絵がじゃぼんと湯を跳ねさるのとは対照的に、雅はハンドタオルで額の汗をぬぐいながら取り澄ました声で応じた。
「ずばり、英二さんのことですの。甘露寺さん。あなた、彼のことをどう思っていらっしゃるのですか」
うう、と小さく呻くと雪絵は覚悟を決めたのか、いつもよりずっと落ち着いた声音で語り出した。
「そうやね。ここまで来て隠すのも阿保らしいし、うちもハッキリいうとくわ。うちはえーちゃんが好きやねん。ひとりの男性として。えーちゃんは、やさしゅうて賢くて、勇気があって……ほんま、今まで自分がなにを見てたか、過去に戻れたらしばき倒したくなるほどや」
「ふふ。あたしにも聞くの。そうね、英二はいい男よ。あたしも、彼が好き。もっともそのくらいの覚悟がなければはじめから、たとえかりそめといえど、奴隷になるなど誓ったりしないわ。理由? 人を愛するのに時間も理由も必要ないのよ。知らなかったのかしら」
「待った、待った、待ったあああっ。なにを勝手に告白大会しているのだぁあ。おまえたちはっ。エージは昔から私のものと決まっているっ。私はエージと結婚して、丘の上の教会で式を挙げて、ちっちゃな家に住んで白い仔犬を飼うんだっ」
「最後の酷い妄想癖の方は放っておいて、そういうことであるならば、西園寺さんと甘露寺さん。私たちは、いわゆる好敵手というやつですわね」
「普通に無視するなっ」
「うーっ。うち、負けたりしいひん」
「お手柔らかにね、綾乃。ただ、彼に寵愛されるのはあたしだけだと思うけど」
「普通に裏切られたっ? 友だちだと思ってたのにっ!」
「西園寺さん。悪いですけど、私と英二さんの鉄の絆の前にはなんびとたりとも割り込むことはできなくてよっおーっほっほっほ!」
「ふふ。その笑い、まさしく悪役令嬢ね」
「あ、あわわ。みーちゃん、はっきりいわんときやぁ。あーちゃん気ぃわるぅするで」
「いいえ、甘露寺さん。私、西園寺さんみたく、ハッキリいわれるほうがマシですわ」
「もっとも、あたしの父も民友党の議員で何度も汚職で叩かれている。悪役令嬢という二つ名はあたしのほうがぴったりというものよ」
英二は、立ち上がって握手する綾乃と雅を見つめながら茫然としていた。
――おまえら。この距離で、ばっちり見えてはいけない場所が見えてしまっている。
衝撃を受けているのは全然別のところであったりした。
なに食わぬ顔で神殿の入り口付近に戻ると、入れ替わりで英二も湯を使った。
「あら、もう出ましたの? もっとゆっくりしてらしたらよかったですのに」
綾乃がゴーゴーと火を焚きながら頬にかかった髪を小指で払っている。ああいう場面を見てしまったことで英二は意識せずにはいられず、ついつい挙動が不審になった。
「男は女に比べりゃ短いもんだよ。それでも一時間も入ってたからな。ふー、あつ」
石畳にぺたんと尻をつけて両脚をぐっと伸ばした。シャツの前をくつろげて、迷宮の冷たい空気を取り入れると、気持ちががよい。
それにしても、この神殿はいつくらいからあるのだろうか。広さはおおよそ英二が通っていた鳳鳴学園の体育館の二倍はある。正面に祭壇らしきものがあるので、なんらかの宗教遺物であることはわかったが、それ以上はあまりわからない。
ふと、顔に心地よい風が送られてきて隣を見ると、雪絵がバショウに似た大きな葉で懸命に扇いでいた。
「ああ、悪いな。ありがと」
「どーいたしましてや」
「その葉っぱどこにあったの?」
「そとに、うーんと生えてるやん。気づかんかった?」
「ああ、とにかく気持ちいいよ。うん」
「ど、いたしましてー」
「――」
「にこにこにー」
「ふぅん雪絵やるじゃない。これでワンポイント先取ね」
「んん、ん、にひひ」
「英二。ちょっと」
雅が正座をしながら、ぽんぽんと自分の膝を叩いている。手には、常備していたのか、梵天のついた耳かきを持っていた。
まさか、この状態で膝枕、なのか?
そっと視線を動かすと、鍋を使っていた綾乃や雪絵が感情の読めない能面のような顔になっていた。ちょっとじゃなくて、やたらと怖い。
「おい、どうしたんだおまえら。いきなり大サービスはじめて。気持ち悪いぞ」
「ううっ」
「おい、なんだ。今度はどうしたんだ」
「……気持ち悪いっていわれたわ。あたしのテグスより細い神経が切れてしまった」
「そんなに細かったんか。悪い、係留綱くらいあるかと思ってたんだ。許せよ」
「しくしく」
「おい」
「しくしくしく」
「わかったよ。おまえのいうとおりにするから、無表情のまま泣き真似はやめろ」
「甘えたいのならさっさと素直になってちょうだい」
「微妙にムカつくな」
雪絵と綾乃の冷たい視線を受けながら同級生の女子生徒(奴隷)の膝に頭を乗せる。
あれ、これって……なんか別の感覚が覚醒する前兆じゃね?
英二はちょっとむにむにした雅の腿の感覚に酔いしれながら、相好を崩す。
「どっせい! ですわっ」
「ふんぐるむなんっ」
弛緩した状態でくつろぐ英二の腹に綾乃が両膝をそろえて叩き込んで来た。
「なぜに、テキサス・コンドルキックを……」
「当然の報いですわっ。私というものがありながら、西園寺さんといちゃいちゃなど言語道断でございますっ。そういうのをお望みなら、男らしく私に要求すればいいじゃないですか」
「お、俺はなんも、いってねぇ」
「ねえ、英二」
「な、なんだよ西園寺……」
「そろそろ耳かきはじめてもいいかしら」
「この状態でそれをいうのですか」
とっても散々だった。
英二は喉からちょっと黄ばんだ吐瀉物を吐き出すと、雅に差し出された水で口を存分にすすぎ、食事をとった。
とはいっても、もはや定番となった乾燥肉と乾燥野菜のオンパレードである
とっととこの迷宮から脱出せねば、肉体的な死は近いだろう。
「なにかあらへんやろかぁ、見つけたいねん、おたからぁー」
雪絵が妙な節をつけて歌を歌うのを尻目に、英二たちは神殿の探索にとりかかった。
ぶっちゃけ、石橋が落ちた際に全員腹は括ったのだ。
(ゴーレムを倒したやつも、この神殿になにかあると踏んで、命を賭けたはず)
ゴブリンや知能の低いモンスターが理由もなしに、ここまでやって来て英二たちに代わって難敵を倒したとは考えにくい。
ここに必ず脱出の手がかりがあるはずだ。
「英二さん、英二さん。こんなの見つけましたわ」
「なんだ、綾小路っ」
勢いよく振り返ると綾乃と雅が人間を吸血鬼に変えてしまいそうな仮面をかぶっておどけていた。
英二は、コツコツとふたりの頭を順番に軽く叩くと「真面目にやれ」と叱った。
「酷いDVですわぁ」
「あたしは英二がDV夫でも耐えるわ」
「おまえらが殴らせてんだろーが」
「エージ、来てくれ」
「今度は清閑寺か。悪いが、俺は二度同じネタでは寛容にできな――」
祭壇の裏でガサゴソしていた清香が青い顔で、佇立していた。急いでそばに行くと、祭壇の裏の気づきにくい場所に、怪しげなレバーのようなものがあった。
先端は丸で朱に塗られている。巨大ロボットを動かす「アレ」によく似ていた。
「まあ、あからさまなトラップだよな」
清香はほかの三人と違って軽挙妄動に走らない安定感があり、英二は密かに強い信頼を抱いていた。
「で、気になって触る前に俺を呼んだと」
「触っちゃった」
「ん――?」
「引いちゃった、しかも」
清香の顔。目尻に涙を浮かべ、口元が痙攣していた。
「んんん?」
ごごご、と。巨大な歯車が動くような地響きが広間一杯に木霊してゆく。
「どうしよう、エージ」
信頼は粉々に砕け散った。