10「愛は導きのままに」
「んんん。うち、わからへん。さーちゃんとみーちゃんといっしょになってから誰の姿も見てへんもん。でも、えーちゃんとあーちゃんが無事で、よかったわ……」
「ああ、そんな……嘘、ですわ」
綾乃は顔を覆ってその場に座り込んだ。完全に脱力している。一方、雪絵は顔を青ざめさせながらも、瞳に宿る意思は陰らない。彼女のなかで、仲間のほとんどが死んだということは規定事項であったのだろう。
(そして、その事実が消化されつつあったところで俺たちに会ったから、なおのことよろこびが深かったんだな。それに引き換え、綾小路はどこかでクラスメイトに再会できることを望んでいたんだろう。もっとも、俺たちには悲しんでいる暇もあまりないな)
「気を落としているところ、悪い。綾小路。できれば、生きているふたり――清閑寺と西園寺を探してできるだけ合流したい。西園寺のスキルは知らないが、清閑寺のスキル・勇気の紋章はもの凄く心強い」
剣道部主将にして男子よりもはるかにすぐれた剣技を持つ清香の〈スキル〉は攻撃に特化したパワータイプのものだ。
彼女の勇気の紋章は頭上で剣を回転させるたび攻撃力を倍に向上させる男子のアタッカーとして遜色のない高い攻撃力を誇っていた。
「は、はんっ。英二さぁん? 清閑寺さんのことをやけに頼りにしているようですけどぉ、この私にも、今や聖王母の盾という絶対不可避の攻守両面を極めた究極のスキルがありますことお忘れかしらぁん? 私さえいれば、あの方のような、一度使えばすぐに戦闘不能になる非効率的なスキルは必要なくってよ」
「あー。確かに、さーちゃんのスキルは一度使うと、長い間ねむねむせぇへんと使えんへんもんなぁ」
そうなのだ。
綾乃がいうとおり、清香の使用する勇気の紋章はゴーレムなど男子アタッカーですら苦戦した強敵を一撃で屠る力を有していたが、あの〈スキル〉は一同限界値まで使うと筋肉を過労に酷使し、二十分近く戦えなくなるリスクがあった。
だが、英二の奴隷の首輪で契約してしまえば、二十分を半分の十分、あるいは練度の向上によって、将来的には数分から数十秒に縮めることが充分可能である。
そうなれば、綾乃と清香を併用して使えば、文字通り英二のパーティーは攻守ともに完璧となり、一層命を永らえる確率が高くなるということでもある。
――欲しい。清香の力、なんとしてもこの場で取り込んでおきたい。
「とにかく、普段の好悪の情は棚に置いておいて、ふたりを探そう。なに、同じクラスメイトじゃないかぁ」
「えーちゃん、やさしいなぁ。なんで、うち、もっとえーちゃんと仲ようしせえへんかったかなぁ」
「ぼっちの英二さんがいうと、これっぽっちも真実味がありませんが。ま、私も困ってるか弱きクラスメイトが迷っていると聞けば放ってはおけませんわ。甘露寺さん。とっととあなたのお仲間が震えている場所へ急ぎますわよ」
「う、うん。じゃあ、ふたりともうちについてきてーや。れっらごー! やで」
「で、道は知らないと。わからないんだったら、先に行くなよ」
「うう。かんにんえ。うちもわざとやないんや」
「わざとだったら許しておりませんわよ。もう!」
とりあえずは英二が先行することになった。もちろん、道を知っているわけではない。
それでも、元々この少年は道に関する直感がすぐれていたのであろうか、幾つかの分岐をほとんど迷うことなく指し示し、とうとう念願のキャンプ地へと戻ることができた。
「や、やった。やっと……戻ってこれたぞ」
「うう、英二さん。私たち、本当にやり遂げましたのね」
「ああっ。うちもうちも! ゴブゴブはんに捕まって、ホンマ駄目やと思ったんやからー」
三人は抱き合って手を繋ぐと、誰からということも無しに踊りはじめた。
おそらく生還した喜びで過剰に脳内麻薬が分泌されていたのだろう。
思う存分きゃっほらんらんしていると、テントの吹き流しが動いて人影が動いた。
「おまえたち、一体なにを――あ! 雪絵、おまえどうやって助かった――綾小路! それに影村までっ!」
「さーちゃんっ、みーちゃんっ。うち、生きて帰ってこれたんよっ」
テントのなかから出てきたのは、クラスメイトの清閑寺清香と西園寺雅のふたりだった。
清香はトレードマークの黒髪をポニーテールにしており、雅は切れ長の美しい瞳を潤ませ雪絵と抱擁をかわしていた。
「お帰りなさい、雪絵」
「うんっ。うんっ。みーちゃんも無事でよかったわぁ」
日本人形な面持ちの雅はしっとりと落ち着いた声で染み入るように涙の浮かんだ目元を拭っている。
この場の四人の女性に対する共通点は、かつてクラス内でほとんど親交がなかったくらいだろう。
さすがに風紀委員長である清香は英二のことを覚えていたが、雅はまったく英二に関心がなかったのか、どこか訝しげな瞳でジッと凝視している。どこか居心地が悪かった。
「あんな、あんな。えーちゃんとあーちゃんがゴブリンから助けてくれはったんや。えーちゃんなんか、すっごく強かったんよ。ナイフでずばーの、ばさーの」
そんなふうには戦ってないが、清香と雅に見つめられると、かなり恥ずかしくなりそっぽを向いてしまう。どこをどう切っても女性に対しアグレッシブにいけない英二であった。
「綾小路、とりあえず雪絵を救ってくれたことは感謝する。それと、崩落事故に巻き込まれずここまで戻ってきたことに対しおめでとう、といっておこう。だが、それらとおまえがしたことはまるで別物だがな」
「さーちゃんっ」
「清香……」
綾乃は、今まで英二に見せていたしおらしさをかなぐり捨てて、ほとんど傲慢ともとれる口調で返答する。
「あーら、清閑寺さん。あなた、悪運だけはお強いのね。もっとも、ほかのクラスメイトを残らず見捨てて生き残るなんて、私からしてみればとてもじゃないができない所業ですわ。私からも、あなたにおめでとうを送っておいたほうがよろしかったかしら?」
「綾小路……! おまえ、まだそんなことをッ」
両者はつかつかと歩み寄ると、鼻面を突き合わせるようにしてメンチを切り合っている。
ほとんど前世期のヤンキーを再現したド嵌りっぷりだ。
「清香。今は争っている場合ではないわ」
「けど、雅っ。こいつがやったことを許せると思うのか」
雅も別に綾乃と仲がいいわけではない。いいや。むしろ険悪の仲というのがしっくりくる。
英二も以前、綾乃と雅が廊下で幾度も口論をしていた場面を目撃している。
雅は前髪を切りそろえ、表情は静かであまり感情が読めないが、私情を抑えて話し合いに応じようとしているだけ清香よりも大人であるというべきか。
「私は――綾小路がやったことは、不慮の事故だと、今ではわかっているが……! それでも、男子を残らず地の底に落としておいて、まったく恥じることのない極悪さに怒りを抑えられないのだっ!」
「ふふん。清閑寺さん? あなたいい子ぶってるけど、結局あのとき囮役を最後まで自分で申し出なかったのじゃなくて? 私がみなのために献身的に身を捧げたことに、感謝してもらうことはあったとしても、責められるのは、まったくもってお門違いってものですわ」
「綾小路綾乃――!」
「清香」
「なんだ、止めるならおまえも――ッ」
「ごー。やっちゃいなさい」
雅は綺麗な親指を自分の喉首に立てると横に搔っ切る真似をした。
「ちょ、ちょーっと待った! ストップ!」
これ以上黙って見ていれば血の雨が降りそうだ。そう判断した英二は、両者の間に割って入ると、両手を突き出し争いを止めにかかった。
「……誰?」
「影村英二。アンタのクラスメイトだよ、たぶん」
雅はううんと困ったように眉根を寄せ、首をかくんと横に曲げ困ったように固まった。
正直、美少女といっていい娘にここまでされると傷つく。かなり。
「影村。邪魔をするな。どう懐柔されたかは知らないが、綾小路は悪魔だぞ」
「おーっほっほっほ! それをいうなら、清閑寺さんのほうですわっ。いくら沢村に懸想していたからといって、私に厳しくするのは八つ当たりと違くて?」
「はっ――はあっ? な、なにをいっているんだおまえは! 影村の前でいいかげんなことをいうんじゃないっ。おまえと話していると頭がおかしくなるっ」
「それはこちらのセリフですわ。ないことないこと私にばかり責任を押しつけて、自分はお綺麗な淑女でございますと、そういったやり口が私は嫌いなんですのよ」
「もういい。雅に雪絵、それに影村。私と一緒に来い。おまえたちは私が責任を持って地上に送り届けてやる。そいつとは縁を切れ。それともなにか? まだ、その無知で傲慢な悪役令嬢についたほうが生き残る目があるとでも思っているのか――!」
清香は突如として英二に選択権を突きつけて来た。
常識で考えれば〈スキル〉を有する三人娘とともに行動するほうが、はるかに利があるというものだ。
「英二、さん」
清香の強力な攻撃〈スキル〉はもちろんのこと、確か雪絵の固有〈スキル〉は癒しの青である。医薬品が、鹵獲したもの以外にないこの地下では雪絵の能力は必要不可欠である。彼女の癒しの青は時間はかかるが解毒の効果も持ち合わせている。一日でも多く命脈を保とうと思えば、清香側につくのが妥当というものだ。
「影村くん。今、あたしたちにつけば、サービスするわよ」
「え――」
「ちょっ。西園寺さんっ。あなた自分がなにをいっているのか理解してらして?」
「清香が、この胸で」
「んにゃあっ!」
雅はそういうと清香の背後に回ってたわわな乳房をむにょっと持ち上げた。
なんというか、溜まりに溜まった青年には抗うことのできない半端ではない肉量である。
ごくりと、生唾を飲む。綾乃が絶望と屈辱と怒りの入り混じった瞳で睨んで来た。
――俺は悪くない。
「ふ、ふふふっ。そ、そうだぞ影村! 今、私たちの側に着けば、三人でとーってもすっごいサービスをしてやるっ。ほらっ、ほらっ。そこの性悪令嬢には真似できないことだぞっ。さあ、ふたりともっ。影村を篭絡するんだ! 綾小路に負けてもいいのかっ」
「それはいや。ねえ、影村くん。とってもえっちぃことしてあげるから、来なさいな」
「こ、こんな感じでええかな……? あはぁーん。うっふーん」
やけになったのか清香はジャンプして自分の胸をばるんばるんいわせ、雅はスカートをまくり上げて長い脚と太ももを見せつけ、雪絵はなぜか雌豹のポーズで流し目を送っている。
客観的に見ると凄く間抜けなのだが、綾乃は清香のぷにょぷにょした物体に歯噛みしつつ、自分のささやかな胸を持ち上げていた。なんでだ。
「だ、駄目です……」
「綾小路?」
てっきり清香たちのことをせせら笑うかと思いきや、綾乃は悔しそうに拳を握り締めたまま、その場でぽろぽろと涙を流しはじめた。
煽りに煽っていた清香たちは絶句したまま、間抜けなポーズで固まった。
無理もない。彼女たちはいつも教室で目にする、傲岸不遜であらゆる人間をものともしない「悪役令嬢」である彼女しか知らないが、本当の綾小路綾乃はどこにでもいる、ただの女の子なのである。
「英二さんを……私から取っちゃ……駄目ですの……ッ」
清香が困ったように両胸を持ち上げたまま、英二をすがるように見た。ちょっと興奮したのは秘密である。
「んー。まあ、そういうこって俺は綾小路から鞍替えするつもりはない」
「英二さんっ」
綾乃が泣き笑いの顔で駆け寄る様子を見せるが、手のひらを突き出し待て、と命じた。
「――けど、おまえたちがコイツに反感を抱く気持ちもわからんでもない。けど、よく考えてみてくれ。男子が全員くたばったのはすべてコイツのせいなのかな? 俺たちは、いつも、悪役ひとりに罪を押しつけ過ぎて来たんじゃないかな?
なあ、今すぐ組むか組まないか結論を出す必要はないんじゃないか。今はお互いに疲れているし、腹も減っている。冷静な判断ができる状態とはとてもじゃないがいえないだろう。ここはひとつ、仲を深めるためいっちょ鍋でも囲んで腹を割って話そうじゃないか。俺たちにはそれができる。なぜ、それができるか考えて欲しい。だって、そうだろ。俺たちは、少なくとも生きている。まだ生きているんだ。生きているなら、これから先のことを考える義務があるはずだ。死んでいった者たちにはそれすらできないんだからな」