始まり
今思えば、私の運命が転がり始めたのは祖父が亡くなったあの日からなのかもしれない。
祖父が病を患い亡くなったのは、私が15になってすぐの事だった。
あまりにも突然のことだったし、唯一の肉親を失くしたこともあり私は大いに取り乱した。
病を治せなかった医者を詰ったり、気遣ってくれたシエルの両親に当たり散らしたり、あの時は本当にひどい精神状態だった。
正直、限界だったのだと思う。
転生、異世界、異なる常識の数々。
いくら悟ったような振りをしたところで、所詮私は心の弱い人間だ。昔から何一つ成長なんて出来ていない臆病者に過ぎない。
祖父の死は、私の虚勢だらけの心に致命傷を与えてしまったのだ。そうなってしまえば、後は転がり墜ちるだけ。
私の心は完全に折れてしまったのだ。
食事も取らず家に引きこもる私を救ってくれたのは、やはりシエルであった。
あの子はどんなに私が拒絶しようとも毎日私の家に訪ねてきて、らしくもない強引さで私に食事を摂らせて帰って行く。
慰めの言葉もなければ、私の不甲斐なさを叱る事もない。ただ何か言いたげな表情をするだけだった。
ただ、何故あの子が私を見捨てないのが心の底から疑問だった。
――こんな無様な人間なんて、放っておけばいいのに。
ポツリと、そう呟いた事がある。
その言葉に、シエルは困ったような――いや、今にも泣きそうな顔で私に笑って見せた。
でも、シエルは私の前では決して泣かなかった。本当は誰よりも泣き虫な子なのに。それだけはしてはいけないとでも言いたげに、あの子は頑なだった。
その後部屋の外から聞こえてきたかすかに嗚咽に、何故だかとても死にたい気分になった。
そんな生活が続き、やっと現実を受け入れる事が出来たのは、祖父が死んで一月も経過した頃だった。
目が覚めた、というのは正しくはない。
悲しみを癒すのは、人の優しさと時間だ。私はそのどちらも十分すぎるくらいに受け取った。
――壊れたままでいるのには、私の頭はまともすぎた。
そしていつものようにあの子が食事をもって家に来た時、ようやく私はあの子に返事をする事が出来た。
――おはよう、と。
その瞬間、あの子は大きな瞳に涙を溜めて、ついには泣き出してしまった。
今まで私の前では決して泣かなかったのに。
堰を切ったかのようにシエルは泣きじゃくった。
私がこのまま死んでしまうのではないかと思って怖かった、恐ろしかったと。帰ってきてくれて、本当によかったと。
そんなあの子の姿に、胸を締め付けられた。尋常じゃないほどの罪悪感が襲ってくる。
……私は大切な人を失う辛さを知っていたというのに、ずっと自分の事しか考えていなかった。
何よりも、あの子にそんな思いを強いていた自分がとても情けなかったし、親友の心も察せずにただ自分の不幸を嘆くだけだったあの時の私を殴りたくなった。
本当に、私は馬鹿だった。
その後二人で泣き腫らした目をして、あの子の両親のもとに謝りに行き、彼らにも泣きながら抱きしめられたのはいい思い出である。
その後は一月のブランクを乗り越え、なんとか猟師として生計を立てられるようになり、それなりに忙しい日々を送っていた。
祖父が死んだ今となっては、この西の森を管理できるのは私ぐらいしかいないからだ。
私の家は村の中でも西の端に位置し、『月を追う者』と呼ばれる大狼、ハティ様の祠につづく森が家のすぐ裏手にある。
ハティ様はこの西の森を守護している守護者だ。今まで見たことはないけれど、存在しているのは確からしい。
そして東の森には『太陽を追う者』、スコル様の祠があるのだがそのあたりは追々語らせてもらうことにしよう。
この村には西と東に大きな森があるのだが、西に住む獣達はなぜか総じて足が速く、勘がとても鋭い。
つまりだ、この森で猟をするにはそれなりの実力が必要というわけだ。
しかもここの森ではある事情から罠をしかけることは一切できない。大狼様達との古の契約らしい。それを破ったものには恐ろしい報復が待っていると聞く。
私はこの西の森しか行き来しないが、祖父は東にもよく行っていたそうだ。でもその際には一切獲物をとってこなかった。曰く、猟師にも縄張りというものがあるらしい。
今では祖父が東の森に行っていた理由はわからないが、おそらくもう私には関係のない話だろう。
大狼様達がこの森に祀られている理由は二つある。
一つはこの森の資源の繁栄の為。
もう一つはこの村の防衛の為だ。
一応森と村の間には柵がかかっているのだが、高さが1メートルもないので正直飾りにしかならない。
そんな有様でもこの村が野生の猛獣に脅かされずに存在できるのは、ハティ様達の眷属、銀狼達の働きが大きい。
何故かというと遠い昔に私たち村の人間と彼ら眷属の間で、必要以上の干渉の制限という制約が交わされているからだ。
まあ言ってしまえば我々が銀狼に手出しをしない代わりに、彼らは他の猛獣達を抑えてくれるというわけだ。
何だか村側が有利に聞こえるが、一応ギブアンドテイクな関係だ。罠を仕掛けられない理由もここにある。
そんな制約を結ばずとも、銀狼が村を滅ぼしてしまえばいいだけの事ではないかと思うのだが、その辺りは共生を選んでくれた彼らに感謝すべきなのだろう。
私も仕事柄森にいることが多いので彼らと出くわすことが多々あるのだが、基本的にこちらが襲い掛からない限り手をだされることはない。なによりそんな真似をしたら恐らく私が負けるだろうし。
出会った際にはその時持っている獲物、兎や鳥などが主なのだが、それらを一匹献上することにしている。
祖父曰く、それがこの森に生きる猟師としての礼儀だそうだ。
放り投げた兎を空中でキャッチして走り去る姿は何とも微笑ましいもの。私にとって彼らとの遭遇はちょっとした楽しみにもなっている。
王都の方では銀狼の毛皮は驚くほどの高値で売れるというが、ここでそんな行為をしたらどんな報復が待っているかわからない。そんな危険を冒す人はこの村にはいないだろう。
私はそんな事を考えながら、帰路を急いでいた。
この調子なら日が落ちる前には家に帰れそうだ。
いつもならば遅くまで獲物を狩ることも多いのだが、今日ばかりは明日の予定のためにも早く帰って休んだ方がいいだろう。
そう、明日はシエルの16の誕生日なのだ。
この世界では16歳を成人とし、その誕生日は身内全員で盛大に祝うのが習わしとなっている。
私は厳密にいえば身内ではないのだが、彼らは当然のように私を勘定にいれてくれている。嬉しいかぎりだ。
きっと二月後にある私の誕生日も彼らが祝ってくれるのだろう。
有難すぎて、逆になんだか申し訳ない気分になる。私は、彼らの優しさに甘えるばかりで何も返せてないというのに。
それはともかく、16歳の誕生日を盛大に祝うのにはもう一つ大事な理由がある。
この世界には古の神々達の何というかその、あれだ。不思議パワーみたいなものが溢れていて16歳を迎えた人間には『称号』というものが(おそらく神様的な存在から)与えられる。
……詳しくは聞かないでほしい。世界の法則なんて一介の村人には説明出来るわけがない。
『称号』には、剣士、神官、魔術師といった高位なものから、農夫、商人、猟師といった平凡なものまで多種多様に存在する。
たとえば剣士の称号持ちなら、力が強くなったり、剣を上手く扱えるようになるという特典がある。
熟練度が上がると『職能』という特殊技能が使えるようになる、ということらしい。
流石、忘れがちであったが異世界なだけはある。一味違う。
中には一定の条件を満たすと『特殊称号』という勇者や神子などの特別な称号が発現するらしい。
それに『特殊称号』の持ち主は、会得時にその称号に連なる神から啓示を受けるそうだ。
中には通常の者でもまれに啓示を受けることもあるそうなのだが、詳しくは知らない。
称号はその人の生活や行動に比例するというし、おそらく私は祖父と同じ『猟師』の称号を授かるのだと思う。
祖父は流石年の功といったところか、当然のようにスキルを会得していた。
真っ暗な夜の森で暗視スコープ無しで飛び回る蝙蝠を視認できるとか、本当に人間業じゃない。スキルって凄い。
ちなみに称号を手に入れると、左手の甲に紋様が現れるそうだ。
なのでその人が何の称号を持っているのか解る人にはすぐわかる。もしも左手に手袋をしている人を見かけたら近寄らない方がいいだろう。
そういう人は大抵薄暗い称号持ちと相場が決まっているからだ。
あの子の両親は服飾を生業としており、二人とも『服飾技師』に類する称号持ちだ。シエルも普段は彼らに習いお針子をしている。
おそらくあの子も彼らと類似した称号を手に入れるのだろうと思う。
あの子には戦闘系の称号なんて似合わないし、なによりあの子らしい。
そういえば、最近あの子に付きまとう厄介な男がいる。
奴は村長の息子なのだが、奴は権力を振りかざし美しい者に片っ端から手を出すという最低な男だ。
しかも顔さえよければ女も男も関係ないというのだから余計に救えない。
この間は私が駆け付け何とか事なきを得たのだが、あの子はどうにも押しに弱い。
しかも奴は仮にも権力者の息子。逆らうに逆らえないのだろう。
私は暗黙の了解ではあるが、一応西の森の管理者という事になっているので、奴も下手に私を処罰することはできない。使える権力は使うべきである。
あの子には私が全て責任を持つと言って、きっぱり拒絶するように言ったのだが上手くいったのだろうか。非常に心配だ。
しかも奴は金遣いが荒く、よく村人から金を巻き上げているという噂だ。
最近では奴の一族が行商相手に散財したともっぱらの噂だが、一体どこから出た金なんだか……。
本当に関わり合いになりたくない人種である。
それに、奴の他の親族もかなり評判が悪いと聞く。唯一まともなのは奴の従姉妹くらいだ。……この村の将来がとても不安だ。
……それにしても、何だか森の様子がおかしい。
上手く言えないが、なんだか何時もより静かすぎるのだ。
まるで兎が大きな獣から身を隠しているような、そんな印象すらうける。
もしかして台風でも来るのだろうか。私は気配を読むのは得意だが、天候までは流石に分からない。一応気を付けておくべきだろう。
だがそれは、私の杞憂だとすぐに知ることになる。
それ以上の事態がこの森、――いや、この村に起こっていたからだ。
家に帰り着いた私を出迎えたのは、信じられない光景だった。
破壊された玄関。泣き崩れるシエルの両親。そして点々と地面についた誰かの血。
――そして、ここになくてはならない者。
――――――シエルは何処にも居なかった。
まだまだ序章。