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第7話 竹中 半兵衛 重治(2)
「まぁまぁ、話は後じゃ。まずは半兵衛殿に旅塵を落として頂かねばならんし、冷えた身体も温めてもらわねばならんでな」

 本丸の屋敷を指して藤吉朗は陽気に歩き出した。
 半兵衛が、静かにそれに続く。

「半兵衛殿、風呂を召され候え」

 藤吉朗があふれる好意を丸出しにした顔で言った。

「戦陣の事とてろくなお持て成しもできませぬが、風呂だけはなかなかのモノを拵えてござる。もっとも、女に垢を擦らせるわけにはゆきませぬがの」

 墨俣の砦は実用一点張りで、本丸館といえどもごく殺風景な作りになっているのだが、風呂好きの藤吉朗は浴室だけは入念に作らせている。前線である墨俣砦に女っ気がまったくないのは致し方ないことであるにしても、この時代、風呂を振舞うというのは客人に対する最高の馳走の一つだから、藤吉朗がいかに半兵衛を大切に思っているかということを、そういう形で表して見せたのであろう。

「皆とはその後にお引き合わせいたそうほどに、まずまずゆるりとお入り下されよ」

 早う早うと騒がしく半兵衛を風呂場に送り込むと、藤吉朗は戦場のようにテキパキと指示を出し始めた。

「広間に火鉢を6つ据え、それに炭を山とくべ、抜かりなく部屋を暖めよ。半兵衛殿が別室で落ち着かれ、装束を調えられたら、まずは茶をお出しせよ。茶菓子は尾張のかき餅を進ぜよ。主立つ者に広間に集まるよう伝えよ。半兵衛殿と皆が対面した後はそのまま酒宴にするで、酒と肴の用意を怠るな・・・・」

 と、実にうるさい。

 なぜ半兵衛がこの墨俣に現れるのか――?
 そもそもどうやって連れてきたのか――?
 これから半兵衛をどうするつもりなのか――?

 小一郎にすれば聞きたいことは山ほどあるのだが、これらの雑用を宰領するのが小一郎の仕事になるから、ろくに事情の説明を聞くゆとりがない。
 小一郎の表情からそれを察した藤吉朗は、

「半兵衛殿には、我が師になっていただくのよ」

 と、それだけを小一郎に告げた。

「はぁ? 師っちゅうのは、師匠っちゅうことか?」

「そうじゃ」

「・・・ははぁ。またそりゃ・・・」

 相変わらず突飛なことを考え付く、と小一郎は呆れる思いであった。

 竹中 半兵衛 重治と言えば、とてもではないが兄程度の人間が子飼いにできる相手ではない。今は浪人しているとはいえ「西美濃三人衆」とも縁の深い美濃の大物であり、あの信長が欲しがっているほどの男なのである。稲葉山城を支配していたときは美濃半国30万石もの値が付いたし、浪人してからも信長は千石を越える禄を提示して招聘していたらしい。
 しかし、それらすべてを半兵衛は蹴った。

(欲のない男ほど扱いにくい者はないと言うが・・・)

 それほどの半兵衛をこの墨俣に連れて来たのだがら、それだけでも大したものと言わなければならないだろう。

(口八丁というか、こりゃ兄者ならではのお手柄じゃなぁ・・・)

 苦笑しながら小一郎は思った。
 自分よりも8つも年下の若造に「師になってくだされ」などと辞を低くして頼むというのは、下手を通り越して地に這い蹲るような態度であろう。恥も外聞も捨て、徹底してそんな態度が取れるのは、織田家の武将の中でも飛びぬけて出自が卑しい藤吉朗しかいないに違いない。

(まぁ、どっちにしても、半兵衛殿が織田家に随身してくれりゃぁ、信長さまもお喜びになられるで・・・)

 藤吉朗の狙いを、小一郎は勝手にそう解釈し、納得した。
 しかし――これは後に解ったことだが――半兵衛を連れて来た藤吉朗の本当の狙いというのは、実はそれどころではない。


 本丸館の広間に、墨俣砦の主立つ人間が集った。
 藤吉朗の妻 寧々の叔父である木下七郎左衛門しちろうざえもん、同じく寧々の兄である木下孫兵衛まごべえらの一門衆、蜂須賀小六や小六の義兄弟である前野将右衛門まえの しょうえもん稲田大炊いなだ おおい加治田隼人かじた はやと日比野六太夫ひびの ろくだゆう松原内匠まつばら たくみといった「川並衆」の棟梁たち、藤吉朗が信長に請うて付けてもらった神子田正治みこだ まさはる生駒親正いこま ちかまさらをはじめとする寄騎衆、さらに木下組の足軽を束ねる組頭たち、といった面々である。
 藤吉朗は、半兵衛を連れてきた経緯を簡単に説明し、

「ともかく、半兵衛殿は織田家の大切な客人(まろうど)であり、わしの師になって頂くご仁である。粗相があってはならぬゆえ、皆もそのことはよくよく心しておいてくれやい」

 と言い渡した。

 やがて、こざっぱりとした小袖に着替えた半兵衛が、小姓に案内されて現れた。
 細面で色が病的なまでに白い。身体は胸板薄く、手足は細く、華奢といえるほどの痩身である。切れの長い目をわずかに伏せ、眉間の辺りに軽く皺の入った秀麗なその顔は、武将というよりは弥陀の真理を究明する学僧といった趣がある。
 藤吉朗の話では歳は小一郎の5つ下だというから、まだ23歳のはずだ。

(これがあの、竹中半兵衛か・・・)

 この場にいるすべての人間が、同じ感想をもったに違いない。
 半兵衛は、わずかの家臣と共に稲葉山城に乗り込み、夜陰に紛れて蜂起するや自ら太刀を振るって阿修羅のように暴れ廻り、主君を放逐して城を乗っ取るという驚天動地の荒業をやってのけたほどの男なのである。その半兵衛が、女のように肌が白い華奢な優男というのはどういうことであろう。
 豪放磊落な荒武者――武芸の修練を積んだ屈強な体躯の髭面の大男――というイメージを勝手に膨らませていた小一郎は、半兵衛を改めてゆっくりと眺め、そのあまりの落差に呆然とする思いであった。

 藤吉朗は自ら座を立ち、手を取るようにして半兵衛を広間に招き入れ、

「ささ、ずっと奥に。いやいや、どうぞ上座に参られよ」

 と、部屋の最奥へと導いた。
 軍議などが行われる公式の場であるこの広間での上座とは、城主なり城代なりといった最高の地位の者が占めるべき位置である。浪人者の半兵衛がそこに座るというのは、待遇として破格であり過ぎるであろう。
 並居る人々は、さすがにムッとした。
 この場にいる人間というのは、皆この墨俣の築城に命懸けで尽力し、その後も身体を張って砦を守ってきた者たちである。それがいかに織田家にとって大事な人間であるとは言っても、いきなりやって来た海のものとも山のものとも知れない浪人ふぜいに自分たちの上座を占められて面白かろうはずがない。
 広間は静まり返り、温度が一瞬にして数度下がったようであった。

 半兵衛も、さすがに遠慮したのであろう。

「とんでもないこと。いや、上座などには座れませぬ」

 と、細い声で断わった。

「遠慮なさることがござろうかい。半兵衛殿は、我が師でござる。弟子の上座に座るが当然、当然」

 対照的に大声の藤吉朗は、おどけたような所作であくまで上座を勧める。
 諸人は、息を詰めて二人のやりとりを見守った。
 さぁさぁ、いやいや、と押し問答が続く。
 半兵衛は、難解な公案を突きつけられた学僧のように当惑し切った表情でしばらく考え、やがて静かに微笑すると、

「木下殿、私のごとき若輩者を困らせるようなことを言うものではありませぬ」

 と言った。
 その顔、声音が、いかにも涼しげで、

(竹中半兵衛がいったいどれほどのもんじゃ!)

 と反感をもって見ていた人々の緊張がふと緩んだ。

「ほぉ、智者は困らぬものと聞いておりましたが、三国一の智者であられる半兵衛殿でも、困ることがおありですか」

「私はそのような者ではありませんよ。まだまだ修行が足りぬからこそ、このように困っております。今日のところは木下殿の勝ち、ということで、もうご勘弁くだされ」

 藤吉朗はさも嬉しそうに笑い、

「こりゃぁ、皆のおかげで、どうやら師から一本取ることができたわい」

 と言って踊るような足取りと飄げた所作で半兵衛を上座に導き、

「しからば、恐れ多きことながら、この場は師と対等に」

 まず自分が腰を下ろし、隣に半兵衛を座らせた。

 それはあたかも、一幕の舞台を見ているようであった。
 半兵衛が上席に着くことに反感をもっていたはずの諸人は、このやり取りで半兵衛と藤吉朗が対等の位置に座った結果に満足している自分たちの心に気付いていたかどうか。
 結果だけを見れば、半兵衛は確かに上座にいるのである。にも関わらず、この場にいる誰の顔にも好意的な笑みが浮かんでいる。上座に座るというのは、墨俣砦における序列を無言のうちに満座に示したということになるのだが、半兵衛の涼やかな拒絶を見たからであろう、新参の半兵衛が藤吉朗の隣に座ることについて、誰からも非難の声が上がっていない。

(兄者は上手いもんじゃ・・・)

 と思うと同時に、

(半兵衛ちゅう人も、年若いが相当な人物じゃな・・・)

 と、小一郎は舌を巻く思いであった。
 半兵衛は織田家の人間ではなく、まして木下家の人間でもないから、藤吉朗の目下の者たちに遠慮をする必要はそもそもない。しかし、遠慮も会釈もなく上座に腰を据えていれば、

(なんの若造ふぜいが・・・)

 と、この場にいる全員から反感を買い、その反感は藤吉朗に対する不満に変っていたかもしれず、いずれにしても彼らの心に拭い難い不快感を与えていたであろう。
 その危険を承知で藤吉朗が半兵衛に上座を与えようとしたのは、半兵衛が上座を遠慮し、上手に立ち回ることを確信していたからこそであったに違いない。そして、そう見越していたからこそ藤吉朗は、自分の上座という破格な待遇を与えようとすることで半兵衛に対しては最大限の好意を示し、同時にこの場にいる人々に対しては、

「竹中半兵衛とは、本来、わしの上座に座るほどの人物である」

 ということを実像を通して理解させようとしたのであろう。
 半兵衛は、おそらく、あの考え込んだ瞬間に藤吉朗の意図をすべて見抜いた。だからこそ藤吉朗に降参して見せ、見せることによってこの場にいる人々の不満を上手に散らしてしまったのではあるまいか――

(まるで、あらかじめ打ち合わせでもしてあったようではないか)

 この二人の呼吸の合い方というのは、そうとでも思うしかしょうがない。

「いずれ折りを見て、半兵衛殿を信長さまの元にお連れ申し上げるつもりでおるが、しばらくはこの墨俣砦でご滞在いただくことになると思うで、皆もそのつもりでおってくれやい」

 藤吉朗は宣言するように言い、横にいる半兵衛に目で促した。

「竹中 半兵衛 重治と申します。ご厄介になります」

 半兵衛は短く挨拶し、折り目正しく辞儀をした。陽気さや人懐っこさといったものは感じられないが、凛とした空気を纏っている割りには尊大ぶったところが少しもなく、その挙措や面つきはいかにも涼しげで、見ていてむしろ気持ちが良い。
 小一郎はこの印象だけで、半兵衛という人間に好意を持っていた。

 対面が終わると、小一郎が手配した通り小姓が膳と酒を運んで来、酒宴になった。

「今日は心祝いじゃ。みな存分に飲んでくれ。さぁさぁさぁ、誰ぞ唄えや。唄えば舞わずば済むまいぞ」

 藤吉朗は、座持ちの名人である。天性陽気なこの男は騒ぐことが大好きで、たいして飲めもせぬくせに気軽に座を回り、人に酒を注いでは陽気に笑い散らしている。
 やがて酒が回り始めると、広間の雰囲気が藤吉朗に引きずられるように陽気になってゆく。

 小一郎は酒を干しながら、溢れるほどの興味を持って半兵衛を観察していた。
 半兵衛は端座し、行儀良く盃を重ねている。遠くを眺めるような眼差しで騒がしい広間の様子を静かに見ているのだが、白けるでもなく不機嫌そうでもないのは、その白い顔に浮く微笑で見て取れる。

「半兵衛殿、一献・・・」

 小一郎は半兵衛の前まで歩み寄り、その盃に酒を注いだ。

「これは痛み入る」

 半兵衛は目礼し、酒を受けると盃を一息に干した。

「木下殿の御舎弟の、小一郎殿でありまするな」

「はい。半兵衛殿のご高名は、兄者からよう聞かされておりました。どうぞご昵懇に願いまする」

 返杯と一通りの挨拶を済ますと、

「木下殿は、いつもあのようですか?」

 と、半兵衛は小一郎に尋ねた。
 半兵衛の視線の先にいる藤吉朗は、すでに顔どころか首筋までを真っ赤にしながら、男たちの唄と手拍子に合わせて泥臭く手足を舞わし、大笑いしながら滑稽な踊りを披露している。周りにいる男たちの顔は、藤吉朗に釣り込まれるようにしてどれも無邪気な笑顔になっていた。

「いつもあのようでござりまするよ」

 小一郎は苦笑して言った。
 藤吉朗は生まれ付いてのお祭り好きで、しかも楽しむ以上は自分の周囲にいる人間をも一緒に楽しませねば気が済まないようなところがある。伊木城の城代になった頃からそれなりの貫禄と威厳のめいたモノを身に付け始めてはいるのだが、いざ酒宴となれば相変わらず誰よりも陽気にはしゃぐし、何よりそういうことが好きでもあるらしい。
 それはそれで良いことだと、小一郎は思っている。が、半兵衛のように物静かで礼儀に篤く、教養もありげな落ち着いた人物の前でそれをやられると、多少恥ずかしくないでもない。

「・・・面白いですね。いや、実に面白い」

 目元を少しばかり赤く染めた半兵衛が言った。

「あの仁が、侍であるというのがいかにも味わい深い。世に武士というものが現れて以来、木下殿のような侍が、果たしておったものかどうか・・・・」

「そりゃぁ、おりゃしませぬでしょう」

 小一郎は生真面目に答えた。

「ご存知かどうか、恥ずかしながらわしも兄者も、尾張中村の百姓の子でござります。百姓の子が、足軽ならばともかく、一手の大将になったという話は、古来聞いたこともござりませぬで」

「いやいや、私が言っているのは、出自のことではないのです」

「・・・とは?」

「いや、もちろん、出自やこれまで辿ってきた生き方というのも、あの木下殿の人物を創り上げる上では大いに関わりがあったとは思うのですが・・・」

 半兵衛は考え込むような素振りをした。首を軽く傾け、一語一語慎重に言葉を選ぶように口だけをもぞもぞと動かしていたが、やがて諦めたのか、

「・・・どうも、短くは言い表せませんね」

 と言って苦笑した。

「いずれにせよ私は、小一郎殿のあの兄上殿のやること為すことが、面白くて堪らないのですよ。あのご仁を見ていたくて、こんなところまで付いて来てしまったようなものだ」

 陰のない笑顔を浮かべる半兵衛の瞳に、好奇の光が輝いていた。

 快い酩酊の中にある小一郎は、あるいは半兵衛が自分と非常に似たタイプの人間であるかもしれないと、心の片隅で思ったりした。


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