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 空港を出て、キャリーケースを引きながら、ロリータは後ろを歩く羽野を振り返ることもせず、不機嫌そうに言った。

「ハノーの臆病さにはつくづく嫌気がさしたわ」

 羽野は申し訳なさそうに眉を八の時にして、上目づかいでロリータの背中を見る。

「だって、空を飛んでいるんですよ。落ちるかもしれないんですよ。ぼく、想像しただけでも恐ろしくなっちゃって」

 ロリータはタン、と踵を鳴らして立ち止まり、素早く羽野を振り返ると、彼は驚いてぴんと立ち止まった。

「だからって、ハノー。機内でわたしの肩を掴んだまま泣き言を言い続けなくたっていいじゃない」

「でも、怖いんですよ。それくらいいいじゃないですか、ロリータ」

「よくないわ」

 ぷいっと前を向いて、ロリータはつかつかと歩き出す。

 長時間のフライトの間中、ずっと隣で臆病な声を聞かされ、睡眠時間さえ削られてしまったロリータの胸中を思えば、彼女の腹立ちももっともである。

 ロリータの不機嫌そうな態度に、羽野はしばしおろおろしている。

「もうハノーの泣き言は聞きたくないわ。これから日本にいる間は泣き言禁止よ。破ったら、わたし一人でドイツに帰って、金輪際、ハノーと口なんて利いてあげないんだから」

 羽野は立ち止まったまま、言い訳に口をもごもごさせながら、恨めしそうにロリータの背中を見ている。

 ついてくる気配がなかったからか、ロリータはふと後ろを振り返って、立ち止まっている羽野を認めると、周囲に人がたくさんいるのも憚らず、感情的な声をあげた。

「ずっとそのままそうしているといいのよ、この臆病ハノー!」

 そしてさっきよりもいっそう早い足取りでずんずん進んでいく。

 びくっとした羽野は、泣き出しそうな顔になって、慌てて、情けない足取りで歩き出す。

「あ、あ、待ってくださいよお、ロリータあ……」


      *


 白いような陽光の燦々と降り注ぐ初夏、ドイツの高校に留学してからおおよそ一年が経った羽野とロリータは、初めての夏休みを迎えていた。ドイツの高校はたいてい九月に始まるので、春に始まる日本の高校とは違って、初めての夏休みになるわけである。そして、日本の高校生がテストを控えた七月上旬に、二人は日本へやって来たわけである。

 休暇はおよそ四十日ほどで、八月の中旬まである。そこで二人は、常と変らずロリータの提案によって、日本、アメリカと、順に故郷を訪れ、休暇を楽しむことにした。羽野の喜びようは大変なもので、ロリータがクラスメイトの視線を気にするほどであったが、嫌な表情をしているロリータも、内心では嬉しくて、彼との旅行・帰省を心待ちにしていたのであった。

 ところがこの有様である。羽野は大の飛行機嫌いで、自分が搭乗する飛行機は墜落すると頑なに信じていた。ロリータは現代の飛行機の安全性などを説明したが、羽野は聞く耳をもたず、ロリータにしがみついては弱音を吐き、弱音を吐いては泣きつき、ロリータの心休まる時間は少しもなく、却ってストレスが溜まるばかりで、挙句羽野が自分から睡眠を取り上げた癖に、気持ちよさそうに眠っているのを見ては、苛立たしさは一層募るばかりであった。

 そんなこんなで、ロリータの初めての日本上陸は、最悪のものとなってしまった。彼女はいらだちに任せて土地勘もなく歩き出したのだが、行き先が分かるはずもなく、やがて迷子のようになって、大通りの交差点の赤信号に立ち止まると、うっすらクマのできた目を、不機嫌そうに後ろへ向けた。

 大急ぎで駆けてきた羽野は、女の子のようにふとももに両手をあてて、「はあ」と大きく息を吐いた。

「それで、ハノー。お迎えの車はどこに来ているのかしら」

「ええと――わあ、ロリータ、クマができてますね。よく眠れなかったんですか?」

 今更気付いた羽野は、間抜けのようにそれを指摘したが、ロリータは握りこぶしに肩を震わせて、こめかみに青筋さえ浮かべながら、しかし静かに、

「あなたのせいよ、ハノー」

「ええ、僕ですか? いやですよロリータ、いくら不機嫌だからって、僕のせいにされちゃ――」

「もういいわ、ハノー。よく分かったわ。とにかくお迎えの車は?」

「ああ、それならあっちです」

 と、羽野が金融会社の看板のかかるビルのほうを指さして、案内のために先立って歩き出すと、ロリータはその後に続きながら、自分の過失に気づかぬ羽野に、いつか仕返しをしてやろうと固く決意していたのであった。

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