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企画やつぶやきから生まれたお話

家族で異世界に行くために妻子を説得するミッション。

作者: 遊森謡子

twitterで元ネタをつぶやいたら、何人かの方が反応を下さり、そこからお話ができあがりました。ありがとうございます!

「ふみさん。ちょっと……いいかな」

 食べ終えた食器を流しに置くと、僕は妻に向き直った。

「なーに?」

 妻のふみさんは注意深く、お気に入りの琺瑯(ほうろう)ポットからお湯を急須に注いでいる。手元が狂うといけないので、僕は彼女がポットをコンロに置くのを待ってから、意を決して言った。

「ここを、離れることになりそうなんですが」

「え」

 ふみさんは顔を上げた。癖のある毛先が肩の上で揺れる。ふたつ年上の、可愛い、僕の奥さん。

 驚きが一瞬表情に出たけれど、彼女はすぐに笑顔になって言った。

「うわ、ついに来たねー、初転勤!」


 都内の1LDKの賃貸マンションに、僕が仕事を終えて帰宅するのは、いつもだいたい十時くらいだ。すでに眠っている三歳の息子・伸也の寝顔を見てから、風呂に入る。その間にふみさんが夕食を用意してくれ、僕が食べている間はキッチンの片づけをしながら、一日の出来事を話してくれる。

 食べ終わったら、僕の好きな薄めのお茶を淹れてもらって、二人でリビングのソファに移動。テレビを観ながら一緒に笑ったり、伸也が小学校に上がるタイミングで家を買おうか、なんて話をしたり……まあ夫婦なので他にも色々。むにゃむにゃ。それがいつもの光景だ。

 でも、僕は今夜、彼女に選んでもらわなければならない。

 行くか、残るか。


「それで、どこに行くの?」

 ふみさんの問いに、僕はゴクリと喉を鳴らして答えた。

「シ……シュクレリア」

「ん?」

「シュクレリア、っていう所」

「え、国内じゃないの? 予想外だなぁ、ていうか、海外に支社なんてあったんだ? そこ、どこー?」

 さすがに動揺したのか、ふみさんはいくつか続けて質問する。口調がおっとりとしているだけに、パッと口を挟むのも悪い気がして最後まで待ってしまうのが、いつもの僕たちのテンポだ。

 僕はもごもごと口にする。

「えーと、い、異世界? ここから見ると」

「いせ、かい? じゃあ三重県?」

「『伊勢かい?』って言ったんじゃないから」

 僕はちょっと脱力しつつも、部屋着のニットワンピース姿のふみさんの肩を軽くポンと叩いて、言った。

「ちゃんと説明しますから。とりあえず、座りましょう? お茶も淹れて」

 ふみさんはハッとなって、あわてて急須から湯呑みにお茶を注いだ。


 ソファに並んで座り、少々濃くなったお茶を一口飲んで、僕たちは同時にため息を一つつく。

「ごめんね、慌てちゃって。高雅(こうが)くんと結婚するって決めた時から、転勤のことは考えてたのに、いざとなるとびっくりしちゃって」

 ふみさんは小さく舌を出し、湯呑みをテーブルに置いた。

「驚くのは当たり前です」

 僕も湯呑みを置くと、ふみさんの方を向いてソファの上に正座した。

 ふみさんもつられて、僕の方を向いてソファの上に正座した。

「ふみさんに、隠していたことがあります」

 僕は、告白する。

「僕が大学一年生の時、夏から一年間の語学留学してたの、覚えてますか」

「…………」

「覚えてないんですかっ、同じサークルだったのに!」

「え、だって、あの頃はまだ、付き合ってなかっ……ごめんね?」

 ふみさんは眉を八の字にして、胸の前で両手を合わせた。

 可愛いから許す。それに……。

「いえ、いいんです。あれ、嘘だったので。本当は語学留学じゃなくて、異世界に行ってて休学してたんです。異世界。ことなるせかい、です」

 ふみさんはしばらく僕をじっと見つめてから、言った。

「だから、英語がしゃべれるようにならなかったのね」

 そこか。

 僕はまた、ちょっと脱力する。

「語学留学じゃないなら、何をしに行ったの?」

 ふみさんは聞いてくれたけど、このまま細かく説明してもうまく伝わらないかも知れない。

 でも、ふみさんが納得しないと、シュクレリアへの扉を彼女が通り抜けることはできない。そういう(ことわり)だ。


 ――こうなったら、ビジュアルに訴えよう。

「ちょっと待ってて」

 僕は立ち上がり、寝室に行った。クローゼットを開け、ふみさんの背が届かない一番上の棚から細長い布包みを下ろす。

 それを手にリビングに戻った僕を見て、ふみさんは首をかしげた。

「釣りに行くの?」

 そういえば、釣り竿だと話してあったっけ。長さも重さも太さも全然違うと思うんだけど。

 僕は布包みの端の方をめくった。現れたグリップに巻かれたぼろぼろの布は、年月を経て黄ばんでいる。

 僕は布包みを左手でつかんだまま、右手でグリップを握って横に引いた。

 シャッ、と金属のこすれる音がして、刀身が現れる。抜ききった時、リン……と剣自体が音を響かせた。

 懐かしい音だ……この剣も、まさか自分がLED蛍光灯の光に照らされるなんて、思ってもみなかっただろう。雷属性を帯びた、節電とは全く縁のない剣。

「これで、戦ってきたんです」

 僕は言った。

 ふみさんは目を丸くして剣を見つめ、そして眉をひそめて首を横に振った。

「高雅くん……いけないわ」


 ……やっぱり、行けないか。

 僕は剣を鞘に収め、うつむいた。

 こんなもの見たら、怖くてシュクレリアになんか来てくれないよね。隠し事はしたくなかったから見せたけど……。

 するとふみさんは、苦笑いして言った。

「銃刀法違反よ。そんなの、いけない」

 あ、いけないって、そっち。

「えっと、シュクレリアでは、持ってて良かったんです……」

「なら、いいけど」

 い、いいんだ。


 どうにも反応がズレている妻を見て、僕は途中経過はざっくりはしょり、大事な部分だけを軽い感じで話すことにした。細かく言っても伝わらないだろう。

「ほら、ゲームとかに勇者ってあるでしょう。僕、異世界で勇者になって、魔王を倒してきたんです、ははは」

 僕は剣をローテーブルに立てかけながら言った。

 するとふみさんは、また眉をひそめた。

「それ……すごく、大変だったんじゃない?」

 この人は、理解しているのかしていないのか。

「だって、高雅くんの身体、あっちこっちに傷があるし。昔よく喧嘩したから、なんて言ってたけど、本当は……」

 ……理解、してくれている。

 僕はじーんとしながら、笑顔を作った。

「うん、でも無事だったから。大切な友達もできましたし」

「そう……。それで、日本に戻ってきたのよね。でも、また行くことにしたの?」

「そのことなんですが」

 僕はまたゴクリと喉を鳴らしてから、言った。

「魔王の怨念が、魔王城に残っているらしいんです。その影響で、魔物たちが再び出現し始めているとか。……怨念を封じるためには、魔王を倒した勇者とその血筋の人間が数年に一度、決まった場所で封印の呪文を唱えなくちゃいけないんです。そうすれば、魔王の怨念は、自らが倒された時の恐怖の記憶を蘇らせ、勇者の血筋が繁栄していることに怯え、大人しくなる。根深い怨念なので、完全に消し去るのは難しいようですが……」

 ふみさんはまた、僕の顔をじっと見つめた。

 それから、寝室の方に目をやり、また僕に視線を戻した。

「魔王を倒した勇者の血筋って……もしかして、伸也のこと?」

 僕は、うなずいた。そして、言った。

「伸也も、勇者と呼ばれることになります」

 ふみさんが「うーん……」と唸る。


 緊張の一瞬。


「……呪文って、難しいんでしょ? 伸也、幼稚園の園歌もまだ覚えてないよ?」

「あ、ええと、それはおいおい」

 おいおい。

 自分で自分につっこみを入れる。ふみさんに釣られるな、大事な点がまたずれてるぞ。

「危ないからダメとか、言わないんですか?」

「危ないの?」

「命の危険はないです。現れている魔物は、騎士が倒していますし」

「死ななければいいというものじゃ、ないでしょ? 怖いとかそういう、心の問題があるでしょ? 伸也はまだ小さいんだから」

 ふみさんはいきなり、大事な点を突いてきた。

 僕は「うっ」とひるんだ。でも、ふみさんの表情は柔らかなままだ。

「高雅くんが、伸也のこと愛してるのは知ってるから。高雅くんが、大丈夫だって、判断したってこと?」

 ――僕を、信じてくれている。

 僕は思わず、膝でふみさんににじり寄って……いかんいかん、まだ話は終わっていない。座り直すフリをする。

「はい。そうです。それに、今すぐどうにかしなくちゃいけないわけじゃないから。呪文だって少しずつ修行して唱えられれば」

 説明する僕を見ながら、ふみさんはまた「うーん」と唸り声を上げる。

 ふみさんが唸ると、唸り声さえ可愛い。


「勇者、かぁ」

 しばらくして、ふみさんはつぶやいてから、軽くうなずいた。

「いい経験になるかもしれないね」

「い、いいの?」

 僕は逆に慌て出す。

「一回だけキッズモデルやるのとは違うんだよ? 何年もあっちに行くんだよ?」

「それなんだけど、修行って、どのくらいしなくちゃいけないの? 週二日、一時間くらいずつでもいい?」

「だからね、ふみさん、スイミングとかの習い事とはちょっと違うと思うんだけど」

「でも、修行だけやってるわけにいかないわ。勇者の役目が終わった後の人生があるんだから」

 うっ。ふみさん、またもや鋭い。

「封印をするとき以外は、何をして過ごすの?」

「大げさに暮らしたくないので、普通に働こうと思ってます。元勇者のための再就職紹介所があるので、そこで仕事を紹介してもらおうかと」

「制度がしっかりしてるのね……幼稚園は? ある?」

「ない、です。学校はありますが……」

「まあ、幼稚園は義務じゃないし、いいかな。買い物はしやすい?」

「お店はそれなりにありますけど、あの、気になるのはそこですか?」

 いくつかの質問を経て僕がそう尋ねると、ふみさんは答えた。

「気になるのは、そうね……役目が終わったら、日本に帰るのよね?」


 ……やっぱり、こっちにいたい、ですよね。 

 僕は重苦しい気持ちになった。


 もしも魔王の怨念がいつまでも残るのなら、僕の子孫は脈々と封印の役割を担わなくてはならない。それを、ふみさんは望まないということだ。

 ……それは、当然か。


 ふみさんと伸也がシュクレリアにいる間に何とかなれば、それで良し。でもダメだったら、その時は。

 妻子を日本に帰して、僕が――僕だけがシュクレリアに残って、何とかするしかない。


 僕は、かろうじて、笑顔を作った。

「か、帰れます。僕だって、日本に帰ってきたでしょう?」

 すると、ふみさんは言った。

「うん。それが、不思議で」

「えっ?」

 どういう意味かわからず、僕は口を開ける。

「日本の方がいい、って意味じゃ……?」

「あら、言ったじゃない。高雅くんと結婚するときに、転勤のことはちゃんと考えたって。異世界だって、同じよ。子どもが元気に育って、高雅くんと一緒にいられるなら、どこでもついて行くわ」

 ふみさんはふんわりと笑った。

「ふみさん……」

 僕は感動で泣きそうになって、口を引き結んだ。

 日本に帰って来て、この人と結婚できて、良かった。


 ふみさんは人差し指を顎に当てて、そんな僕を見上げた。

「不思議って言ったのはね。高雅くん、勇者として、魔王を倒したんでしょ? あちらで英雄に、なったのよね? 大切な友達もできたって、言ってた。あ、もしかして、たまに連絡取ってるジョン・スミスくんって」

「はい、すみません。留学中じゃなくてシュクレリア滞在中、一緒に旅をした魔法使いで、本名ジョナルシェルト・スヴァナヘルミーリスくんです」

「長っ。あ、ごめん。英雄になったしそういうお友達もいるのに、あちらに残らずに日本に帰ってきた……ってことは、役目が終わったら帰らなきゃいけないのかな、って思って」

 もはや憂いのなくなった僕は、安心して答えた。

「あ、ええと、確かに僕は英雄になりました。王様からは、金も地位も思いのままだって言われたし、女の人たちにはきゃあきゃあ言われたし。でも、僕が、日本に帰りたいと希望したんです」

「そんな、もったいない。引き留められたでしょ」

「はい。でも……」

 僕は、人差し指で頬をかいた。

「日本に好きな人がいるから、って言って」


 ふみさんが、ぽかん、となった。

 やがて、何か気づいたらしく、ハッとした表情になった。白いふっくらした頬が、みるみる赤くなる。

「こ、高雅くん……語学留学、一年生の夏から一年間って、言ってたよね」

「はい。語学留学は嘘ですけど」

「帰ってきたのは……」

「翌年の夏の終わり。同級生は二年生になってたけど、僕は一年生の続きをやりました。ふみさんは、四年生になってましたね」

「えと、高雅くんに、告白されたのが」

「ふみさんが四年生の九月。僕がシュクレリアから帰ってきて、すぐです」

 僕は手を伸ばして、ふみさんの手を握った。

「ふみさんがいるから、僕は日本に帰ってきたんです」


 僕たちはその夜、出会ってから十年分の愛情を確かめ合って――

 幸せな気持ちで、眠りについた。


 翌朝、起きてきた息子の伸也にシュクレリアに引っ越すことを伝えると、

「テレビ、ないの? ポシェモンみれないの、やだぁあぁ」

と泣かれてしまい、

「ポ、ポシェットモンスターは観れないけど、リアルモンスターがいるよ!」

「ほんと?」

となって、ふみさんに軽く睨まれたりもしたけれど。

 家族そろって無事に、シュクレリアに移住することができた。


 その後シュクレリアで、伸也が「モンスターマスター」と呼ばれるまでになったり、ふみさんがその天然キャラで人気者になって『勇者の妻の、いつものごはん』っていう料理本出したりするのは――


 また、別のお話。


【家族で異世界に行くために妻子を説得するミッション。 完】

お話に出てくる「元勇者のための再就職紹介所」、実は存在するんです。

Mielさんの『元勇者専用再就職紹介所担当職員セシルの日常』(http://ncode.syosetu.com/n4175bu/)へどうぞ♪ Mielさんありがとうございます!

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― 新着の感想 ―
[一言] 良い家族愛ですね。 心があったかくなりました。 彼らならばどこの世界にいってもやっていける気がします。
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