挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ブックマークする場合はログインしてください。

墓碑と狼

作者:ランプ
 昔々のお話です。
 ある小さな国の大きな森に、狼の群れがおりました。
 群れは一匹の大きな狼を長とし、極力人間と接する事なく暮らしておりました。
 そんなある日の事です。一匹の若い狼が、群れから一時姿を消しました。
 仲間達はたいそう心配し、もしや人間達に捕まったのではと胆を冷やしました。
 しかし、若い狼はケロリとした顔で群れに帰ってきました。
 どこに行っていたのか。何をしていたのか聞いても、若い狼は決して話そうとはいたしませんでした。
 それからしばらく経ち、狼達が忘れた頃、また若い狼は群れから姿を消しました。そして、少ししてから戻ってきました。
 狼達はまた尋ねました。どこへ行き、何をしてきたのか。
 若い狼は答えません。どこにも行っていない、何もしていない。
 それが嘘だと、誰でもわかります。それは、若い狼にもわかっていました。
 それでも、若い狼は決して本当の事を言いませんでした。
 そんな事が2度、3度も続き、ついに長がその重い腰を上げました。

「若き狼よ、お前はいったいどこへ、何をしにいっているのだ」

「群れの長様、私はどこへも行っておりません。ただ少し群れから離れ、姿が見えなくなっていただけなのです」

「それが偽りである事など、乳飲み子でもわかろう。何故本当の事を言おうとせぬ」

 若い狼は決して真実を言おうとしません。同じ嘘を繰り返すばかりで、決して本当の事を言いません。
 群れの長もこれには困ってしまいました。ほんの少し問い質せば若い狼はすぐにでも口をわると思っていたのです。
 それからしばらくして、また若い狼は群れから離れました。しかし今度は、長に命じられた他の狼が若い狼の後つけました。
 すると若い狼は、森の入り口の近くにある、小さな小屋に入っていきました。
 これには後をつけていた狼も驚きました。なんと若い狼は、姿を消す度に人間に会いに来ていたのです。
 その小屋の住人は年老いた老婆でした。老婆は、若い狼の姿に怯える事もなく、彼を歓迎しました。そしてその若い狼を連れ、老婆は小屋の裏へと歩いていきました。
 そこには小さな墓碑が穏やかな陽光の中佇み、所々に咲く花々が風に揺られ美しくなびいておりました。
 老婆はその墓碑の周囲の雑草を見苦しくない程度に整えると、狼を呼び寄せ、共にその墓碑に黙祷を捧げました。
 その後優しく若い狼を撫でると、老婆は小屋の中へと姿を消しました。若い狼は上機嫌にその姿を見送ると、そのまま帰りの途へと進んでいきます。
 その時、そこに潜んでいた狼に初めて気づき、若い狼は大いに狼狽しました。

「若い狼よ。お前は何をしているのだ」

「同胞よ。どうか見逃してはくれないでしょうか。私は群れに害を成そうとしているわけではありません。ただあの老婆と共に墓碑に参りたいだけなのです」

「人間共が行うあの行為の何がそんなに良いのか。生き物を死すれば土に返り、世界と一体になる。世界に目を向ければ亡くした者達とすぐ触れ合えるのだぞ」

「わかっております同胞よ。しかし私は思うのです。確かに、亡くした愛しい者達は私達のすぐそばにいる事でしょう。しかし、私達生ける者にはそれが見えないのです。知る事ができないのです。寄る辺の無い私達は、もしかしたら人間よりも死者を蔑ろにしているのではないでしょうか。人間は、あの石で作った墓碑を死者と見える場所として……死者が存在する居場所として考えているのです」

「それは人間の勝手な考えだ。我々狼には必要のない代物だ」

「ですが同胞よ、私は怖いのです。私の母は死に、世界と一つになりました。今この時、母の存在を証明できるのは私だけです。私が母は世界と共にあると知っているからこそ証明できるのです。しかし、もし私がいなくなればどうなりましょう。母を証明する物は何一つとして存在しないのです。そして、私自身を証明する物も、おそらく存在しないでしょう」

「何が言いたいのだ若い狼よ」

「私はただ、証明が欲しいのです。死してもなお、彼等は、そして私達は存在するのだという明確なる証拠が。墓石一つでそれが完全に証明できるわけではないでしょう。しかし、墓石は私達が死んでも残り続けます。長い長い時を残り続けます。それは指先に刺さった小さな棘のように、誰かに亡くした者の存在を知らせ続けるでしょう」

 後をつけていた狼には、若い狼が考えている事がわかりませんでした。死した者の証明など、今まで気にした狼がいたでしょうか。
 少なくとも、後をつけていた狼は見た事も聞いた事もありません。

「お前はきっと人間に毒されているのだ。あの年老いた人間のせいか」

「いいえ、いいえ、そうではありません。あの老婆はただ、墓碑の傍にいた私を撫でてくれただけなのです。共に亡くした者の存在を感じる事を許してくれただけなのです」

「いいや、お前は毒されておるのだ。あの老婆を殺し、墓碑を倒し、砕けばその毒されきった考えも正されるだろう」

 そう言うと、後をつけていた狼は老婆のいる小屋へと駆け出しました。それに焦った若い狼は、すぐさま彼の後を追いかけました。
 若い狼が小屋の中に飛び込むと、そこにはまさに狼に食いつかれようとしている老婆の姿がありました。
 若い狼は走りました。だけど若い狼には同胞に牙を向ける事など出来様はずもありません。狼の牙は、老婆の首を的確に狙い、食らいつく寸前です。
 若い狼は意を決し、狼と老婆の間にその身を割り込ませました。愚かな若い狼の身体に、同胞の牙が深々と突き刺さります。
 それに驚いた狼は、焦ったように身を翻し、そのまま小屋の外へと飛び出していきました。
 後に残されたのは食い殺されようとしていた老婆と、老婆を救おうと噛み殺された若い狼の死体だけでした。
 老婆は自らを救った若い狼の体を抱き起こすと、いつものように優しく撫でてあげました。
 いつものような嬉しげな声をあげない若い狼を、老婆はずっとずっと撫でていました。

 それからしばらくして、老婆は亡くなりました。
 老婆が住んでいた小屋には、彼女の孫娘が住む事になりました。
 孫娘の朝の日課は、小屋の裏にある3つの墓碑を見に行く事でした。
 祖父の墓碑と祖母の墓碑、そして小さな狼の墓碑です。
 孫娘のその子供も、またその子供も、この墓碑を見守り続けました。
 長い長い時、狼は忘れられる事はありませんでした。
お墓は死者が眠る場所であると同時に、忘れないための存在でもあると思います。

評価や感想は作者の原動力となります。
読了後の評価にご協力をお願いします。 ⇒評価システムについて

文法・文章評価


物語(ストーリー)評価
※評価するにはログインしてください。
感想を書く場合はログインしてください。
お薦めレビューを書く場合はログインしてください。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ