友達
名は灯。姓は月。月とかいてニクヅキと読む。ニクヅキアカリ。
彼女は現在十二才の小学校六年生である。
本日は夏祭りがあり、ちょうど級友たちにまじって夜道を帰途についているところである。
ぺちゃくちゃとおしゃべりしている口さがない生意気な子らは灯をのぞけば四人。
男が三人に女が一人。いや、灯をいれて二人だろうが、どうも彼女をその勘定にいれるのはためらわれる。
それは、灯はほかの四人とくらべてすこし身にまとう空気が位相を異にしているからである。
いまどきの子供というものは、とかくおしゃれに気をつかう早熟児が多く、四人の着こなしは目をみはる。
灯の服装はといえば上下あわせて地味な黒白ツートンカラーで、てきとうに選択した着衣であろう。
ところが、その灯から、香水などじつは使っていないのに、だれよりも、早熟の危険な香りが出ている。
彼女はまわりから遅れて最後尾にいて、面白くなさそうな、が不機嫌でもなく、最初からこんな顔だったのだ。
無口な灯をときどき、きづかわしげに見やる者もいて、話しかけると、「うん」とだけ答えるだけである。
そして、もとの会話の輪に戻るのだが、心中、子らは不思議だった。
今日のお祭りに行くのを放課後に計画していたとき、割り込んできたのは他ならぬ灯ではないか。
そう、四人と灯はべつに友達ではなく、話をしたことさえ数えるほどしかないのである。
一年生のころからおなじ学校に通っていたのに、月灯という少女について詳細をしる者はほぼいなかった。
なぜって、灯は教室ではほとんどしゃべらなかったし、だれかと親しくなろうともしなかった。
勉強もできなくて、宿題さえ未提出のほうが多いし、さぼりだって常習犯、つまりは不良なのだ。
不良とはできるだけ距離を置けと家庭教育された児童たちは賢明に、灯から遠ざかっていた。
その灯の仲間にしてくれ請願を受領するしかなかった心持ちは、彼女の水際立った美貌をみてしかしれない。
小学生のぶんざいでなにが美貌かと鼻で笑うあなた、灯のために教職を辞したY氏の話があるが時間もない。
ほら、五人がうすぐらくてせまい路地にはいっていったよ、お母さんから止められた場所なのに、近道だからと。
そのいわれを話せば単純で、つい二年前のこと、この道でひとりの小さな女の子が殺されたのだ。
その路地は大きな家の塀がとなりあって生まれたすきまなのだが、その奥に一軒ぽつねん小屋がある。
大きな家の影にかくれた小虫のごとき家屋に父、母、、娘のある世帯が住んでいた。
この親子、なかなか一筋縄にいかない事情があり、娘ご出産のおりに戸籍登録を怠けたのだ。
なぜかといえば、父には定職はなかったし、母はどこの商売女ともしれぬヤクザ者、とうてい子育てなぞできぬ。
へたに出産の事実が役所につたわれば面倒なお節介なぞくわえられかねない、と父がゆるさなかった。
にも関わらず生んだのはこれまた困った話で、母が水子の祟りを信ずる側の人間であったのだ。
祟りなどという与太はてんから信じぬ父は赤子をあやせないでいる母を怒りにまかせて殴りになぐったのだ。
そして、きたるべき時がきたのは娘が四才になったころ、晩酌の用意をしていた母は胸を押さえてそこに倒れた。
うんうん、とうなっていたが、猪口とのキスに忙しい父はもちろん、シャクをしていた娘も気づかなかった。
娘はこのとしまで名前をもたなかったのだが、外の世界を知らない閉鎖した家庭内では不自由なかった。
つまみのくるのが遅いのに腹を立て娘を台所に使いにやった父は、青ざめて帰ってくる娘に怒鳴る。
が、いっこうに要領えぬ娘にさすがの彼も小首をかしげ、台所で心不全のために息たえだえな母を発見した。
さて、父一考、三分たって卓に寄りかかり、椅子に座って魚みたいに口ぱくぱく、目もとを覆ってうーん・・・。
娘がしきりに母に呼びかけて尋常ではない脂汗のだらだらする額を布巾で拭いてやったりしていた。
娘の頭をなでて安心させようとしていた母の腕は、コトン、床に落ち、魂のこぼれる音にしてはあっけなかった。
心労、ストレス、金、通院、日頃からの胸痛・・・・・・父はブツブツ言いながら、パン、と膝をたたいた。
「おい。母さんは死んだな。おまえはどうする?」
娘は状況を理解できていなかったし、死ぬ、という言葉の意味もいままで教えられてこなかった。
「俺たちは悲惨だな。金がなきゃお医者にもいけねえ。母さんは死んだ。もう俺は家を出る」
よくようなく発せられる父の言葉を、やはり娘は六割も理解していなかった。
「おまえもかわいそうだな。名前もなくて、だれもおまえをしらなくて、守っくれていた母親はこうなった」
さぁ、どうしたい? 父はかさねて問いかけたので、娘は率直に、自分の望みをつたえた。
「お母さんをおこして」
「お母さんといっしょにいたいか?」
「いたい」
「じゃ、そうしてやる。父のなさけだ」
父は包丁をとりあげ、娘の髪の毛をひっぱりあげ、刃先をおろした。
失敗だったのは酔っていたことと、髪をひっぱられた娘の痛みに対する抵抗が、予想外に強かったことだ。
刃先は当初、思い描いていた娘の左胸、心臓一突き、母とおそろいの意趣深さ、が、その通りにいかなかった。
酔いもいっぺんにさめる悪寒が腕をかけのぼり背中を犯して、閉じた目をひらけば、えぐれたのは己の手の甲。
命の危険をかんじる本能は無垢なる娘をして窮した小犬にかえ、玄関先へいちもくさんのところである。
気分はもう受刑者に逃げられた処刑人、いざ汚名返上と、にわかに侍魂をおこして包丁ふるい、走りゆく。
外に出られたはいいものの、四才の娘どこへいく、迷うひまなし追う者あり、右へ、いや左、全速力だ。
駆け、駆け、それでも、四才の足が進んだ距離など本人の思うほど大きくなく、ついに魔の手は娘を転ばす。
あとは想像どおりの惨状、生まれて四年の新鮮な血液はあわれアスファルトの化粧品とあいなりましたとさ。
「おわり・・・・・・」
はなし終わったのは列の最後をあるく灯、ほかの子らはシンとおしだまり、夜目にも顔面そうはくだ。
どうしてこの通りにはいると、いきなり悪趣味な事件など、怪談話みたいにはなしはじめたのだろう。
四人は灯をうらむ気持ちと、不気味なせまい通りの暗闇におののく気持ちとが半々だった。
しかし、と四人は疑問に思うことは、なぜ、灯はこうまで事件の内情に詳しいのだろう。
これではまるで、彼女が事件のようすを実際に見るか、その場にいたかしなければならないではないか。
そっと、ささやきあい、みんな同じ結論に達したことを確認しあって、四人はそっと後ろをふりかえった。
そこで、いままでみたことのない笑顔をうかべる灯をみた。そして、きらっとひかった包丁も。
なにかわかったわけではないが、四人は当然のごとく、全速力で逃げ去り、路地を出たが、きづけば男のみ。
少女は背後から髪の毛をひっぱられ、地面に引き倒され、星のちる空を仰ぎ、腹上の重みを感じた。
視界をさえぎったのはゆるゆると風になびく黒髪と、灯の氷も切れる顔立ち、三日月みたいな形の口もと。
なにもかも映画のなかの出来事みたいに一瞬で、巻き戻しできないシーンの切れ目、左胸につきたつ塔がある。
意識を失い、かたや路地にひとりになった灯はたちあがり、みだれた息を整える。
灯は少女の脱力した体をはこぶため、服のえりもとをひっぱりずるずるとひきずった。
たどりついたのは例の一軒家、勝手しったる風に玄関、廊下をぬけ、ある一室に体をはこびあげる。
待っていたのは四歳くらいの女の子で、親しい知り合いのように手をふっている。
「きょうはおみやげもってきたよ」
灯は女の子の名を呼ばない、もとより呼ぶ名などないのだが、これからはそうでなくなる。
女の子は正体をなくした包丁つきの体をみて満面によろこびの表情をみせ、灯にかけより、とびつく。
灯はぎゅっと彼女をだきしめるふりをするが、煙状に実体がないので両腕を輪っかにするだけ。
灯は少女の体にさしこんだ包丁を引き抜くと、刃にへばりつくこれまた実体のない煙がでた。
煙、というかはがれたイカの表皮のようなものは少女の生き写しで、目もとをパチクリさせていた。
刃が完全に抜けると傷口はまるで呼吸するかのようにヒュッと鳴り、すかさず女の子が穴にはいりこんだ。
傷口は閉じ、少女の体は事がおこるまえの健全さをとりもどし、安静な寝息をたてていた。
包丁に付着した半透明のものをいちべつし、灯は床の間の壁に包丁をダンとつきたてた。
包丁にくっついて壁につながれた少女はまだまだキョトンとし、なにがなにやら理解できていない。
灯はとくに説明もせず、ただひとこと問いかけた。
「あんた、名前はなに?」
少女は灯をみつめ、なにごとか言いたそうにするが、にらまれて、さからわぬが良いとさとった。
「カレン」
あっそ、灯はもう少女に見向きもせずに少女の体のほうにいき、耳に小声をかける。
「あんたはいまからカレンよ」
体は目をさまし、灯にだきついてしきりにお礼を言い、「カレン」「カレン」とはじめての名前をかみしめていた。
少女はやっと状況を理解しはじめ、ギャーギャー言いだしたが、灯が口をつまむと唇がとれ、床に捨てられた。
言語をなくした少女は移動しようにも壁にぬいつけられて動けず、自分で包丁をぬける身でもない。
灯はなかみの新しくなったカレンと手をつないで、ふたたび帰途についた。
明日、元気なカレンのすがたをみせれば男子三人もさわがないだろう。
そして、今度こそだれにも変な目でみられることはないであろう。
なにせ、やっとできた、さわることのできる友達なのだから。
終