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第四話・「学校なんてどうでもいい!」
 体育館は、校舎から少し離れたところにある。
 校舎とは渡り廊下で繋がっており、全生徒を一堂に会す集会となると、その渡り廊下を全校生徒がぞろぞろ連なって歩く。
 その様は、江戸時代で言うところの大名行列のようだ。
 ぼんやり渡り廊下を歩いている俺は、体育館の中からマイクを使った話し声が聞こえてこないことに気がついた。普段なら、生徒指導の体育教師の野太い声が聞こえてきたりするものだが。

「扉全部閉まってるし」

 放送機器が詰まった部屋への扉はもちろん、生徒入場用の扉も、普段は通気用に開放してある扉も、硬く施錠されている。頭上に並ぶ体育館の窓を見上げると、どの窓も暗幕で遮られていて、中をうかがうことは出来ない。
 演劇部が全国大会に出場したとき、似たようなロケーションにして演劇を披露していた記憶があるが、今年の演劇部は地方の大会で入賞したにとどまっているので、それが披露されているということはない。もしそうだとしても、内側から声が聞こえてくるはずだし、全ての扉を閉め切る理由にはならない。

「……畜生、ここでもないのか」

 つぶやいた刹那、扉が内側から強くたたかれる音がした。
 ノックするなんて生半可なものではない。加速を付けて体当たりしたような、扉が破砕するのではないか、という強さ。
 俺はとっさに身構えるが、どうやら扉は壊れてはいないようだ。
 俺は施錠されているのを確認して、恐る恐る扉に耳を押し付けてみた。中に人がいると分かったのだ。内部の事情を探ってみるしかないだろう。
 何かをまさぐるような音、爪で引っかくような音が継続して聞こえてくる。たとえるなら猫を閉じ込めたときの音だ。
 目をつぶって想像すると、そんな情景が浮かんでくる。
そして、扉はまたも内側から強く叩かれた。扉に密着させていた耳に強い衝撃が走り、あまりの痛みに耳を手のひらで押さえる。

「こ、鼓膜が……」

 破れはしなかったものの、頬から耳にかけて殴られたような痛みが広がる。
 ここ数年感じたことのない強烈な痛みに、涙が出そうになった。

「鍵がかかってるっていうのに……」

 二度の衝撃に備え付けの南京錠はすでに壊れかかっている。
 こうなれば、誰が壊しても一緒だ。
 俺は、鍵を根元から外そうと手を伸ばす。

「正臣、外しちゃ駄目だよ」

 香奈の声だった。
 いつの間にか背後に立って微笑んでいる。俺は鍵を外そうとしていたのを忘れて、香奈に向き直った。

「お前な……いきなりいなくなるし、職員室にバッグは置きっぱなしだし、いい加減にしろよ。俺が教室に持っていく羽目になったんだぞ」
「ありがと。優しいね、正臣」

 屈託のない笑みだ。普段から見せている笑みだが、不安だった今の俺からすれば、天使の微笑のようにも見えるから不思議だ。

「別にいいけどさ。それはそうと、お前バッグに……」
「今日は学校休みみたいだよ。だから、正臣、帰ろう?」

 俺の質問はあっけなくかき消された。香奈が俺の手を取ってせがんでくる。細指が俺の指に絡みつくと、ほんのりと香奈の体温が伝わってきた。

「正臣の髪形、考えたんだよ。きっと似合うと思うんだ。早く帰って切ろう。ね、切ろう?」

 子供のようにはしゃぐ。友人の髪型ひとつでここまで楽しくなれる香奈が羨ましかった。

「……そうだな。誰もいないようだし、帰るか。たまにはこんな日もあっていいだろ」

 不良の仲間入りをしたようで、内心ドキドキする。
 校則を破るスリルが、快感に変わる訳が分かったような気がした。

「分かったから、手を離してくれ。子供じゃあるまいし」

 俺は名残惜しいと思ってしまう自分に少し腹が立った。
 だから、自分でも乱暴だなと思いつつも、強めに振りほどいてしまった。
 香奈はそれでも悲しそうな顔ひとつ見せず、嬉しそうに俺の出発を促す。飼い主にどこまでも従順な忠犬のように。
 俺は今日でなくなるぼさぼさの髪の感触を、手櫛で味わう。

「短くなりすぎないように頼むぞ?」
「任せて任せて」

 俺は香奈と連れ立って体育館を離れようとするが、その行動は唐突な扉の破砕音により、急停止させられてしまう。
 破られたのは予想に反して、俺が耳を当てていた扉とは反対の、放送機器があるほうの扉だった。
 目を凝らせば、そこには見覚えのある人間が倒れこんでいた。扉を壊した荒業の報いか、倒れた扉の上でうつ伏せになっている。

「正臣! 香奈!」

 倒れたまま顔を向けたのは、和輝だった。

「え? 人間? 人間なの?」

 和輝の後ろから転がるようにして出てきたのは、俺の憧れの睦月雫むつきしずく

「睦月、早く行け! 邪魔だ!」

 その後ろからは生徒会長。
 険しい顔で睦月さんを扉から押し出す。眼鏡がずれているのにも気がつかないほど焦っている。
 冷静沈着な生徒会長というイメージが嘘のようだ。

「早く、ど、どいて!」

 眉間にしわを寄せた生徒会長を押しのけるように、さらに細身の男が飛び出す。
 確か、放送部の人間だ。

「佐藤君、大丈夫です。まだ十分もちますから、あわてないで」

 最後に扉から出てきたのは、同じクラスの水野夏美みずのなつみだった。仕事熱心な図書委員で、書庫の脚立が壊れて怪我をしたという事件は、一時期大きな話題になった。

「あ、正臣君に、香奈さん、無事だったんですね! よかった……」

 右足はまだ完治していないので、松葉杖に包帯の巻かれた足が痛々しい。

「和輝、それよりも何やってるんだ? 俺、今日は学校ないようだから、これから帰ろうとしていたところだぞ」

 和輝は一瞬目を丸くして固まっていたが、すぐに沸騰した。

「学校なんてどうでもいい! 今はとにかく――」

 扉の破壊される音。今度こそ、俺が耳を当てたほうの扉が壊れた。
 和輝同様、壊れた扉と共に倒れこんだ人間は、ゆっくりと起き上がる。

 
 ……不自然な方向に曲がった手と足を器用に使って。


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