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『milk tea』
作:-聖-


 いつの間にか肌寒い季節になっていた。道行く人はコートに身を包み、吹き抜ける冷たい風を、顔をうつむかせてやりすごしながら足早に過ぎてゆく。喫茶店のテーブルに肘を付きながら、俺はそんな冬の吐息が掛かる街の様子を、かれこれ1時間ばかりガラス越しに眺めていた。
 最初に注文した紅茶は、すっかり冷めていた。カップにわずかに残った紅茶の底に、黒い塵のような茶葉が沈殿している。俺はスプーンでそいつをかき混ぜてやりながら、小さくため息をつくのだった。
 こんなことならば、彼女とデートをしていた方がマシだったかもしれない。先月知り合ったばかりの、俺にとっては二人目の彼女。この時期だからというわけではないが、付き合い始めたばかりというのはやたらに人肌が恋しくなるものだ。
 ふと、時計に目をやる。ちょうど6時40分を過ぎたところだ。携帯を開くが、メールも電話も届いている様子はない。
「……帰るか」
 俺はテーブルの隅に置かれている伝票をつかむと、イスから重い腰を浮かせた。
 その時、店のドアが荒々しく開き、来客を知らせる鈴がけたたましく店内に鳴り響く。入ってきたのは、白いコートを着た、髪の長い女だ。彼女は息を切らしながら店内を一瞥すると、まっすぐに俺の座る席に向かってきた。
「よう、遅いじゃん」
「ゴメン、ちょっと電車が止まっちゃってさ。向かいの席、いい?」
 乱れ気味の黒髪をかき上げながら、俺が答えるより早くイスをずずっと引き出す。
「ダメって言ったら大人しく帰るのか?」
「相変わらず意地悪なのね」
 口元をゆがめながら、彼女はコートを脱ぎ始めた。
 彼女、リサコは、去年まで俺が付き合っていた元カノだ。地元の同じ中学に通い、高校の時に付き合い初めた。しかし、俺が東京の大学に通うことになったため、関係は遠距離恋愛へ。それから半年も経たないうちに、俺が遠距離の辛さに耐えられなくなり別れを告げたのである。
 その時は悩んだ末の苦しい選択だったが、後々考えると俺にとっても彼女にとってもよかったと思っている。現に別れてから3ヶ月も経たないうちに、俺もリサコも新しい恋人を作っているのだから。
「それで、新しい彼氏とはどうよ?」
「ああ、彼氏? 3日前に別れた」
 さらりと言ってのけるリサコ。別に悲しんでいる様子も未練に思っている様子も窺えない。恐らく自分からフったのだろう。
「そうか。それはそれは、お疲れ様」
 別に驚く様子もなく、俺は言った。リサコは黙ったままだ。なんとなく、気まずい空気が流れる。
「ご注文はいかがなさいますか?」
 その沈黙を破ったのは、店のウエイトレスだった。トレーを後ろ手に、作ったような営業スマイルを浮かべている。
 俺はメニューを見ることもなく、即座に答えた。
「じゃあ、紅茶をもう1杯」
「あたしも」
 俺に続き、リサコも注文を告げる。
「かしこまりました。ミルクと砂糖はどうなさいますか?」
「ミルク1つと、砂糖3つお願いします」
「はい、かしこまりました」
 ペコリと頭を下げてから、空いた紅茶のカップを持って席を離れるウエイトレス。その後ろ姿をしばし見送ってから、リサコが口を開いた。
「あたしが砂糖2つ入れるの、覚えててくれたのね」
「まあね。俺はミルクと砂糖、お前はストレートに砂糖2つ。常識だろ?」
「そうね」
 お互いに顔を見合わせながら、どこか乾いた笑いをする。付き合っているころは彼女の笑顔が天使のように思えていたが、今となってはただの女の作り笑いにしか見えない自分が嫌だった。人の感情とは、こうも早く変化するものだろうか。
「あなたはどうなの? 新しい彼女と」
「まあ、楽しくやってるよ。ほとんど毎日会えるしね」
「そう……」
 リサコの声が消え入りそうなほど小さくなる。言ってから俺は『しまった』と思った。俺も、遠距離なんかにならず、リサコと『ほとんど毎日』会っていたら……。別れた時、そんなことを考えたのは俺だけじゃなかったようだ。毎日のように会っていた時期は、本当に楽しかった。
 再び沈黙が訪れた。重い、永遠と続いてしまいそうな静寂の時間が。
 外はすっかり暗くなり、家路に着くサラリーマンやOLが慌しく往来していた。美しいはずの月も、今日は暗い雲に隠れてしまって見えない。吹き抜ける風に揺らされる木々のざわめきだけが、微かに耳に届いていた。
「お待たせしました」
 ウエイトレスが紅茶を運んできた。静かにカップをテーブルにおくと、ミルクと砂糖を沿えて離れていく。
 そのタイミングを待っていたかのように、リサコが口を開いた。
「ねえ……」
「うん?」
 紅茶にミルクと砂糖を入れながら、俺は顔を上げた。
「やり直せないかな……」
 注ぎ込まれたミルクが、ゆっくりとうずを巻きながら紅茶に呑み込まれていく。甘い砂糖の粒と、黒い茶葉の塵が白く濁った紅茶の中で暴れていた。そんな様子をしばらく眺めていたが、俺はゆっくりとスプーンで掻き回し始める。
「……バカ言え。俺だって彼女がいるんだし、今更無理だろ」
 歯切れ悪く紡いだ俺の言葉に、彼女は視線を落とした。
「だって、楽しかったもの。あなたが紅茶だとすれば、あたしはミルク。お互いによく交じり合って、いつもいつも満たされてた」
 痛々しい彼女の視線を浴びながら、俺は紅茶を口に運んだ。その俺の前で、彼女が砂糖を入れて紅茶をかき混ぜ始める。何かしていないと落ち着かないのだろう。
 紅茶に溶けていく砂糖を見ながら、俺はゆっくりとカップを置いた。
「でも、結局離れ離れになってしまった。俺が紅茶なら、お前は砂糖。見た目は恋人同士っぽくないのに、気持ちばかり俺に届く。甘すぎるのさ、お前の心は。辛いよ」
 リサコの大きな瞳の端に、涙が輝くのが分かった。こんなことを言うと女性に怒られるかもしれないが、俺が女なら、この場で泣いていたかもしれない。とにかく、心の中は雨が降りそうなぐらいに淀みきっていた。
「せっかく東京まで来たんだから、今日は夜通しで飲もうぜ。新宿でも行くか? 渋谷か? どっか行きたいところぐらいあるだろ」
「……そうね。連れ回すから、覚悟して」
「おう、望むところだ」
 目の端の涙を拭い、リサコは笑顔を浮かべた。そこにはまだ悲しみの色が残っていたが、久しぶりに綺麗な笑顔が見れた気がした。
 そして俺たちは同時に紅茶を飲み干すと、会計を済まし、店の外へと出た。二人並んで向かう先には、冷え切った空気に包まれた、都市独特の無機質なビルの巨像が立ち並んでいた。














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