第九話 死闘
七ツ半(午前五時頃)に、伏見の方で砲声が聞こえた。
こりゃあ、土方の読み通りか、と源三郎は思う。
まだ日も出ていない。こんな時間に大砲を撃っても、大した戦果は期待できまい。にも関わらず撃つ。これは陽動目的と見て間違いあるまい。そして伏見が陽動ということは、伏見以外の軍が動く、ということである。
夜のうちに持ち場を離れた源三郎とその部下数人は、嵯峨からの御所に至る街道脇に身を隠していた。新撰組の隊服、浅葱色の羽織ではなく、全身黒ずくめの格好である。良くも悪くも、あの隊服は目立ちすぎる。隠密行動には向かない。
街道の向こうにいくつかの人影が現われたのは明け六ツ(午前六時頃)。まだ伏見方からは砲声が間断なく聞こえている。そちらに人を回したのか、このあたりの警備は手薄だ。異常に気づいているのは、源三郎たちぐらいである。思ったより敵の数が少ない。洛中に入るまでは、無用な戦闘を避けるため、分散して行動しているのだろう。
源三郎は目を凝らした。先頭を馬で駆けてくる虎髭の男。兜と甲冑を着込み、長い朱槍を脇に抱えている。来島だ。源三郎は直感した。
「来島は俺に任せろ。お前たちは、他の奴らの相手を頼む」
部下にそう命令して、源三郎は街道の中央に躍り出た。
「そこに来やるは、長州軍の来島又兵衛とお見受けする。いざ勝負!」
「去ねや、雑兵!」
来島は全く馬の速度を落とさない。源三郎とすれ違いざま、凄まじい勢いで槍を突きかけてきた。源三郎は、何とか刀で受けたが、勢いを殺しきれず、身体ごと吹き飛んだ。
これほどか……!
刀が折れなかったのが不思議なくらいだ。馬上から、あれほど精密かつ強靭な一撃を繰り出すとは。
来島は、倒れた源三郎など一顧だにせず、そのまま御所の方向へ駆けていった。
部下たちは長州兵と乱戦に入っている。源三郎が集団の中に飛び込んだ。またたく間に数人の長州兵が足の腱を割られ、地面に転がる。部下たちも奮戦し、戦闘が始まってからさほど待つこともなく、長州兵は算を乱して逃げ散った。
「捕らえた者は連行しろ。会津にでも渡しておけ」
そう言って、源三郎は来島を追い、御所へと走る――。
源三郎が健脚を活かして御所周辺まで辿り着くと、すでに長州兵は蛤御門に攻撃を加えていた。ここに布陣していた会津藩兵は、長州兵の勢いに押され、壊滅寸前であった。
源三郎は来島を探す。劣勢を覆すため、敵の指揮官を探して討ち取る。兵法にかなってはいるが、来島と戦いたいという源三郎の個人的な願望があることは否定できまい。ともあれ、源三郎は進路上の敵を斬り捨てながら、剣戟と飛び交う銃弾の中を来島を探して、走り回った。
いた。
馬上で大声を張り上げ、指揮をしている。この乱戦のためか、護衛も二、三人しかいないようである。源三郎は、すっすっと足を進め、やおら護衛の者に向かって斬りつけた。不意を突かれ、抵抗することもなく、護衛は倒れた。
「来島又兵衛、勝負!」
「雑兵め、驕りおって!」
馬上から来島の突き。それをかわして、源三郎は馬の前足を斬りつけた。どう、と馬が倒れる。
「……お主、何者だ」
地に降りた来島が問う。二度までも渾身の突きをかわされたことで、相手がただ者ではないと気づいたらしい。
「新撰組、井上源三郎」
「新撰組、だと!」
池田屋事件によって、新撰組は長州の者に深い恨みを買っていた。今回、長州が仕掛けてきた戦も、池田屋事件が呼び水になった、と言って過言ではない。来島も例外ではなかった。いや、むしろ他の者より、その恨みは深い。池田屋で死んだ吉田稔麿、彼と来島は年の離れた友人であった。
「新撰組、と聞いた以上は、見逃すわけにはいかんな」
「もとより、逃げるつもりはない」
いきなり、来島が槍を突き出した。ほぼ同時に、源三郎が後方に跳び退っている。槍の間合いの外に出て、何とか逃れた。間断ない来島の槍撃。源三郎は防戦一方である。来島の攻撃には予備動作がない。軌道が読めず、加えて速度も凄まじかった。並みの使い手なら、一撃目で勝負がついているだろう。
何とか隙を――。
わずかに、来島の槍の速度が落ちた。ここぞ、と源三郎が間合いを詰める。来島の槍が唸りをあげて、源三郎の喉笛に伸びてきた。それを左回りに回転してかわす。
「ぬっ」
回転した勢いそのまま、源三郎は来島の喉もと目掛けて、刀を払った。
金属質な高い音。
源三郎の刀は、来島の兜に当たって止まっていた。
――化け物め。
胸中でつぶやく。
源三郎の刀が首を薙ぐ寸前、来島は源三郎に向って一歩踏み込んできたのだ。当然、目算は狂い、源三郎の刀は来島の兜に当たってしまった。解説すると単純なことだが、振るわれる白刃に向かって踏み出すなど、およそまともな人間の発想ではない。
来島は一足跳びで、源三郎から離れると、槍を横に薙いだ。源三郎も動くが、一瞬遅い。来島の槍の柄が、源三郎の刀を弾き飛ばした。
詰み、だ。
来島が穂先を源三郎に向ける。その様子が、源三郎にはひどくゆっくりと見えた。
――ここまでか。
覚悟を決めた次の瞬間。
来島の胸から血が噴き出した。来島は驚いたというより、不思議そうな表情で後ろを振り返る。無数の銃口。一斉に火を噴く。またたく間に来島は血まみれになった。不思議そうな表情はそのまま。ただ、目だけが白く濁っていく。
呆然としていたのは、源三郎も同じだった。今、俺が死ぬところだったのではないのか。なぜ、来島の方が血まみれでいる?
来島が膝から崩れ落ちた。細かく痙攣しているが、もう息はあるまい。来島を狙っていた銃兵が、長州藩の残党、残党と言うに相応しいまでに数を減らした集団に向けて発砲した。
後から聞き知ったことだが、これは薩摩の兵であった。北の乾門から駆け付けた薩摩兵が側面から長州軍を攻撃したのである。
命を救われた源三郎だったが、そこに喜びはなかった。むしろ、邪魔をされたという思いが拭いきれずにある。同時に、来島ほどの剛の者を、いとも簡単に殺してのけた鉄砲というものに、言い知れぬ嫌悪感と恐怖を抱いた。時代は変わり始めている。そのことを痛感した。
来島が討ち死にしたことで、長州兵は総崩れとなる。久坂玄瑞は追い詰められ、自刃。伏見の軍も山崎まで撤退した。
歴史上は蛤御門の変と呼ばれるこの戦いで、新撰組は目立った戦功を立てていない。原隊復帰した源三郎も、首尾を尋ねる土方に、無言で首を振っただけである。
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