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8th:逆襲
 少年の指先が彼女の胸を触る、まさにその直前。
 少年は宙を舞う。
 頭を中心に天に半円を描き、背中から地面とぶつかった。
 かは、っと肺に溜まった空気を一度に吐き出し、大袈裟に呼吸をくりかえす。背中から広がった痺れに少年は動けない。
「残念でしたね、お坊ちゃん」
 慇懃無礼な態度の彼女。さっきまでの屈辱に耐えた表情をがらりと変えていた。「全然、実力不足」砂埃をはらうように、両手をはたいた。
 少年の手首を掴み、彼女を支点に投げ飛ばしたのだった。その間に、上着の裾がだらしなく外にはみ出てはいるものの、神業ともいえる早さで服を着直してもいた。
「…な…な…んで‥?」
 少年が息も絶え絶えに、疑問に思うのも当然で。
 彼女は平然と立っていた。拳銃で足を撃たれ、血が地面に水溜まりを作るほど、出血が激しかったのに。泣き顔を見せて、ぶざまに許しを願っていたのに。
 ああ、これ? 彼女は打たれた箇所を触る。痛がるそぶりを見せなかった。
「私が撃たれる訳無いし。それに、あんな、ど下手な撃ち方でどうやって当てるのかしら?」
 しゃがみ込み、指ですくった血を、少年の瞼に線を引くように塗りつける。
 少年の反応は明らかだ。すぐさま奇声をあげて、顔をしかめ、身をよじって苦しんだ。蜘蛛の糸を引き寄せるかのように、宙空を引っかいた。
「赤トウガラシ水に決まってるじゃない」
 彼女の声はあくまでも、冷ややかに。
「全部、演技よ。知ってる? 絶望ってさ、幸福が長く続いた時を知ってれば、知ってるほど深く苦しくなるって?」
 辛さが目に染みて、苦しむ彼は答えない。苦しみを両手に移すかのようにやけくそに叩いていた。
 仰向けに転がる彼を跨がり、彼女は見下ろした。
 赤トウガラシよりも紅潮した、少年の顔に自分の顔を近づける。
「あんたに、私の何が分かるっていうんだ。偉そうに講釈するんじゃねぇ。てめえみたいな、中途半端に気取って悪さする奴らが大っ嫌いなんだ。私は」
 その声は、囁くように、低く抑えられていたから、ポップ達取り巻きには全く聞こえなかった。
 だから、「もっと派手に悪さしてみれば? 私みたいに」なんて口走った事は、もっと小さかったから、彼女以外に聞こえない。
 彼女は言いたいだけの事を言い終えて、鞄の下へと歩を進める。一、二歩目で、わざと少年の股間を強く踏ん付けた。まだ、固い感触を残していたそれを。
 少年の悲鳴がまた際立ったのを気にせずに、彼女は鞄を難無く奪還することに成功した。すぐに、傷がついていないか確認する。特に目立った傷はついていない。久しぶりに手元に戻ったそれにほお擦りしたくなったが、自重した。床に再度置いておく。
 そのかわりに、まだ倒れている少年の元に戻って、彼が持っていた拳銃を奪い、喉元に突き付けた。
「ここまでやって、誰も助けに来ないって事は、彼によっぽど人望がないって証拠になるんだけど。でも怪我したくなかったら、動くな。あんたらでも、人が間近で死ぬのは見たくないでしょう?」
 取り巻き達は答えない。彼女のあまりの様変わり様に、言葉を失っていた。
 それに、このような状況で行動できる、肝っ玉のある人間はいなかった。
 ローテは言い終えると、少年の腹の上に椅子に腰掛けるように、ためらいなく座った。彼の口から空気が残り少なくなった中身をさらに搾り出すかのように吐き出される。
 案外、彼女は重いのかもしれない。
「まぁいいや。私は、君とサシで話がしたいんだ」
 ローテが今までの仕業がなかったように柔らかに言う。指さした先にはポップがいた。
 彼は彼で、ローテを睨みつけていたけれど。
「イダテをどこにやったんだ。おばさん」
 ポップが先に口を開く。最初にこれが聞きたかった。今までの行いに怖じけづく前に、お構いなしに。イダテが盗んだ鞄を奪い返しにきたいう事は、まず本人を捕まえてどこかに隠したからに違いないと、推理した。
「……イダテ?」
 ローテは首をひねる。
「あんたの鞄を盗んだ奴」
 ローテはそれを聞いて、ぽんと膝を叩いた。
「あぁー、あの子ね」
「どこにいった?」
「そんなの決まっているじゃない」ローテは、口端を嫌らしく吊り上げた。「あの子は、私の鞄を盗んだ張本人よ。ただじゃ済まないわ。今の見て、そう思わない?」そう言って、拳銃をもたない手で首を掻き切る真似をしようとした。「それに私はおばさんじゃない、まだ十……って!?」
 紙一重の差でそれをかわした。
 ポップはローテがまだ言い終わらない内に近づいて、殴り掛かった。一撃では終わらない連続攻撃を繰り出す。
 イダテがどうなったかを聞き出すには、実力行使しかないと思った。彼女は、女だからって手加減しなければならないほど弱くはない。
 ローテは何も言わずに、ひとつひとつ、左右に丁寧に動きながら、攻撃を見切っていった。
「最後まで話を聞くのが礼儀じゃない?」
 連続攻撃でも、段々とその速度が弱まっていった。まだ子供である、ポップの体力が続かないからだ。やがて、一息つくかのように止まった。
 荒れる呼吸を隠しながら。
「別に、あんたの歳聞いたって、変わらないだろ。聞いたことにちゃんと答えろよ。大人だろあんた」
「私はまだ、大人じゃないもんね。まだ花盛りの十八よ。おばさんっていう年齢じゃないし。言ったじゃない。盗んだ張本人なのだから、ただじゃ済まないって。……おっと、もうその手にはのるつもりはないんだな。残念でした」
 そう言って、ローテは軽々とポップの腕をつかみ、握った。
 今度の、ポップの攻撃は失敗した。
「離せよ」
「離さないよ。離したらまた、殴るでしょ?」
 ポップは、もう片方の手を動かした。
 ローテは、少年の喉元に突き付けた拳銃をポップへと向けた。
 飲んだ息は、冬の朝のように冷たい。
「イダテはどこだ?」
 拳銃を突き付けられ、怯える態度をひた隠しにして、ただそれだけを聞こうとした。
「そんなに知りたい?」
「友達を助けちゃいけないのか?」
「犯罪者なのに?」
 ローテは、顔をしかめた。「人の物を盗むのは、犯罪だって解るかな? 捕まったら、それ相応の処罰は当たり前でしょうに」
「あんたに、何がわかるんだ」
 成金がかますありきたりな正論だ。それを突き通して、それでうまくいくかよ。「あんたみたいに好きな物を買えるような、余裕は俺達にはないのに。俺達は、盗まなきゃ生きていけない。あんたみたいな金持ちは、大っ嫌いだ。好きなだけ踏ん反り返って、貧乏だからって俺達みたいな孤児を馬鹿にして」
「君……孤児なの?」
 なんだよ、驚いた顔して。そうと知ったら同情するのか? 表面だけで。
「そうだよ。だからなんなんだよ?」
「そっかぁ。そんな年でギャングに入るっていったらそうだよね」
 ポップを無視して、上の空で呟く。ふざけるな、と怒鳴りたかった。
「ちょっと、強く握りすぎてるわ。離してもらえない?」
 ポップは、彼女がもう腕を握っていない事に気付いた。
 手を離し、拳銃を元に戻すと、もう一方の手で鞄から何かを取り出した。
 何も言わずに柄をポップに差し出す。
 握ると、ずしりと重みが伝わった。
 銀に鈍く光るナイフ。
 刃の根元が微かに赤い。薄く、傾けただけで切れそうな、研ぎ澄まされた刃元が妖しく光る。
「なんだよ……これ」
「見ての通り、種も仕掛けもありません。ただのナイフでございます」
 わざとらしく、ぎょうぎょうしく、抑揚の付いた言い方だった。「しかーし。私に攻撃したら……」ためを作る合間にハンカチを鞄から取り出した。それでその片手を包んだ所で「撃ってしまうでしょう」
 手が膨らむように、ハンカチが盛り上がっていき、風に吹かないのにひとりでに滑り落ちると、拳銃がもう一丁出現した。
「私は、こいつみたいにドヘタではないから、お気をつけて♪ まぁね、至近距離で当たらないほうがおかしいけどね。銃器は、刃物より強いんだ」
 試しに、動いてみるとカチャリと拳銃が音を立てた。銃口は、間違いなくポップに向いている。
 構えを解いて、刃先を下に向けた。
「なんだよ。これ?」
「私からのプレゼント」
「プレゼント?」
 訝しげに思う。プレゼントなんてもらう道理なんてなかった。
「今から、二つの選択肢を与えよう」
 ローテは、人差し指と中指を立てた。
「一つ」中指を折った。「ギャングを止めて、私と暮らすこと」
「なに言ってんだよ」
 どうして、選択肢の一つが、この人とくらすことなんだ? 確かに、美人で一緒に住むとなるといい毎日が送れるかもしれない。だけど納得がいかない。むしろ、変だ。
「変な事かしら? 私は本気なんだけど。絶対楽しいと思うけどね。大勢だと楽しいよ?」
 大勢って言っても、どのくらいだかわからない。それに、ギャングの一員として活動しても面白くなかった。ただ生きるために、入っていただけだ。
「だから?」
「私はあんたを気に入ったんだ。少なくとも、この中では一番男らしい」
「それとイダテに関係があるのか?」
 おおあり。とローテは答える。
「そう。条件がある。このナイフでイダテ君を殺せるかしら?」


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