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5th:捕まる彼、捕まえる君
 たまり場を抜け出し、外を歩きながら、イダテはとても落ち込んでいた。肩を落として、俯いた口からため息を何度も無意識に吐き出す。空気がなくなっても、おかまいなしに。
 ポップが必死にフォローしてくれたのに、ただ怖がる事しか出来ない自分に向かって。それなのに、ポップに八つ当たりするように怒鳴ってしまったことに対して。自分自身が情けなかった。
 ポップのように強くなりたい。せめて、脅かされても普通に口答えして軽く受け流せるように。
 ポップは足が速いじゃないかと、イダテの長所を誉めてくれる。けれど、結局は逃げてるだけが取り柄なんだって思えてしまう。
 欠点だ。
 ポップはイダテが盗むときも、彼よりも年上の人たちに脅されたときも、逃げだせるのに、知らんぷりできるのに、そうしないで彼を守っていた。
 だけど、いつまでもポップに頼っていられない。しかし、イダテがいくらそう思っても。いつも、ポップに頼ってしまっていた。
 どうしよう。ポップ、怒ってるよね。
 イダテはため息をまたついた。適当に歩いていたつもりなのにいつの間にか、公衆便所の入り口に立っていた。彼らのように身寄りのない子供達や、貧しい人しか使わない場所だ。落ち込んだ時にイダテはいつも何があろうと、この場所に自然と足が向いていた。個室を閉めてしまえば、誰にも見られずに泣くことができる。滅多に人が来ない場所だった。
 いつものように、足を踏み入れようとして。
「・・・!!」
 口を塞がれた。視界の下端に黒い皮手袋がのぞく。滑らかな不気味さが唇を撫でながら、首筋に冷たい感触が走る。
 まるで、金属のように温かみがなくて、薄く撫でられるような感覚は、刃物のような。
「動くな。抵抗したら、わかるな?」
 中性的な声。人ではないように平坦で、氷を張ったように静かだ。
 イダテは動けない。暴れようにも身体が強張っていた。何とか抵抗しようと身体を動かそうとする。けれど、型にはめられたように固まったままだった。
 首筋をはっていた冷たい感触が消える。安堵したのも束の間。視界が閉ざされた。なにも見えない。鼻筋が締め付けられてようやく、イダテは目隠しされたことに気付いた。
「動け」
 短いけれど、命令に慣れているかのように、服従者に絶対だと思わせるような言葉。
 イダテは命令されるがまま、ひっぱられるように、歩いていく。きぃぃ。たてつけの悪くなった扉の音が聞こえた。個室に入ったようだ。
 握っていた両手を腰に回されて、身体を反転させられる。両肩を押さえ付けられ、無理矢理座らせられた。紐のようなもので両手を縛られて、動かないもの、多分、排水管に繋がれた。
 豪雨のような、水が溜まる音が遠くから聞こえて、不意に首筋に当てられた感触がまた消える。ちゃぷちゃぷと水が跳ねる音が近づく。鍵が閉められると同時に、頬を叩かれた。
「口を開けろ」
 言われるがままに口を開ける。昆虫とか、その類が口に放り込まれたらどうしようと、不安になったが、実際そうしないと何をされるかわからなかった。
 そんな不安を心配することはなかった。一枚の紙のような布が口の両端に触れる。口腔にねじ込まれるそれがくすぐったい。
「噛め」
 乾いた布に唾液が染みるくらいに力強く噛む。意外と厚く、甘い味がした。
「抵抗するなよ」
 言うとおりに従うと、ボタンが外されてシャツとズボンを脱がされた。下着から冷たい風が素肌に突き刺さる。寒い。
 別の恐ろしい想像がイダテの背筋を撫でた。この人は変態だ。ポップに聞いたことがある。いやらしいことされるって。それを想像して、縮こまる身体をさらに強くこわばらせた。
 でも、何も起こらない。じっと見られているような気配しかしない。鼻から、いい匂いがくすぐった。妙に鼻につく、嗅いだことのない匂い。
「待たせたな」
 どのくらい待ったか分からない。物音が、がさごそと聞こえた。
「歯を食い縛れ」
 忠告されるがままに歯を食い縛る。
「?!」
 歯が抜けてしまうような重さが布にかかった。
「離すな」
 叱咤されて、どうにか持ちこたえる。それでもつらい。歯がごろりと抜けてしまいそうだ。
「いいか、お前がハンカチを離したら、その勢いで上から」
 今までから打って変わったような猫なで声。まるで、楽んでいるかのように。
「ナイフが落ちて来て、頭を貫く」
 冷水をかけられたようにひやりとした。
「死にたくなかったら、助けられるまで待つことだな、もっとも」こほんと咳払い。「誰が僕を助けにきてくれるのかな」
 最後は誰だか見当もつかない男の子の声を発した。
 両端から、少しずつ音が上がっていく。蜘蛛のように動いて、扉を乗り越えるみたいだ。
 けれど。
「あぁ、そうだった」
 靴底が擦れ、地面に音が降りてきた。
「最期の言葉を聞き忘れていた」
 噛み締めていた布の両端に、両手が握られた。
「口を開け。話している間は楽にしてやる」
 半信半疑で聞いていた。もちろん、口を開かない。安易に布を離し、間抜けに死ぬのは避けたかった。
 強情な奴だな。その人はそう漏らすと、両手で布を力強く引っ張った。唇が擦れてしまいそうだ。「これで安心して放せるだろ」
 その人が本気だって分かった。イダテは、安心して口を開く。顎ががくがくと震える。そう思えているなら、まだ生きている証拠だろう。
「ちょっと、重いな。前言撤回としよう。三十秒以内な」
「早過ぎませんか?」
「それでいいんだな」
「ちょっと待って」
 自分で言っておいて、適当に終わらせかけたのは酷い。でも、何を言えばいいだろう? ほら、あと十五秒。と急かしている様子を聞けば、本当に時間が限られているようだ。
「どうして、一気にころさないの?」
「ほえっ?」と合間を突かれた声をあげたからには、予想外の出来事だったのだろう。三十秒って自分で言った割には、もうその時間は過ぎていた。
「殺さないかって……」
 本気で悩んでいるようだった。
「ころすなら、そんな回りくどい方法じゃなくていいじゃないか。それじゃなくても、ぼくは死んでしまいたいのに。足手まといにしかならないのに」
 役立たずで、友達にも迷惑をかけてしまう。自身がいなくなったら、ポップは悲しむかな? 酷い僕の事を悲しんでくれるかな?
 どちらにしても、彼は僕がいなくなって楽になるに違いないはずだ。
「死にたくなったら死ねばいい、ちょうど私がお膳立てを立てたのだから」
「だけど……」
 死ぬのは怖かった。口から放したとき、ナイフが頭に刺さる光景を想像して、身震いした。我ながら、情けない。だけど、
「直接殺さない理由は、私がすごく怒っているからだ。復讐だ。恐怖感を骨の髄まで味わうがいい。それに、わざわざ『死にたい』とかいう奴をすぐに殺す必要なんてないからな。人間、死ぬときは死ぬんだ」
 だけどと、そう言おうとして。もう終わりだと、言われる。
「あなたは、だれ?」
 答えないと思った。
「ただのしがない賞金稼ぎ。またの名をフィル・アクイースという」
 本当ですか、と尋ねる前に布を口元に突き付けられる。「早くしてくれ、もう限界だ」間もなく、口にそれをくわえた。
 フィル・アクイースと名乗る人物はそれっきり、気配を消した。
 イダテは、個室の中、完全に一人ぼっちになる。
 食いしばる歯を緩めば、彼は死ぬことができるのに、そうする決心がつかなかった。
 ポップが決めてくれるのかな、とイダテは漠然とそう思った。


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