18th:Is This Happy End??
屋上には、まだ二人が残っている。
これが、物語だとしたら、最初に現れた登場人物二人。
「あいつに言うような答えじゃないだろうよ」
一歩一歩、ローテに近付きながらフィルは諭す。
「お前らしくない。あんな姿、セレンにもソルにも見せた事ないだろ?」
ローテは、手摺りに寄り掛かったまま動かない。まるで、腹話術の人形のように俯いていた。赤髪が垂れて、顔を隠している。
「ローテ?」
フィルが立ち止まる。何か、雑音のような細やかな音が聞こえた。全ての感覚を集中させて、耳をそばだてる。
嘘つき。と言う言葉が辛うじて、理解できた。
もう一度、彼女の名を呼ぶ。彼女の呟きの意味が理解しがたかったから。
彼女は何も反応しない。ぶつぶつと、聞き取りづらい言葉の羅列を口にするだけだ。
そんな彼女の反応にフィルは困惑するしかない。唖然としたまま、数刻が過ぎたような、長い時間を感じた。実際は、数分も経たなかったが。
突然、ローテが座り込んだ。背中が手摺りに沿ってずり下がり、足は手で抱え込むようにくの字に折り畳んで……。
両手で耳を塞いでいた。耳に被る髪をかきあげることなく、それも気にせずに押し付けていた。
確かに、肌寒い季節だ。しかし、そうする必要がないくらいに、がくがくと震えていた。
俯いたままの顔からはっきりとした表情は見えない。が、異変がおこっているのは明白だった。
当然、彼は彼女の元に近付く。駆け足で。震える髪の一筋一筋が見える距離になって、しゃがみ込む。目と鼻の距離と言う程近くはない。ただ、手を延ばせば触れることができる。
手摺りがたわみ、鈍い音を発した。彼女が後ろへと僅かに動く。まるで、フィルに触れられたくないかのように。その証拠に、俯いていた顔をさらに、下に向けていた。
身体をますます酷く震わせて。
「どうした?」
フィルは戸惑いながら、優しく声をかけた。耳を塞ぐ手を外そうと、右手をそっと伸ばす。
その手を、弾かれる。
「触らないで」
微かに顔を上げた。額から垂れ下がり、目元を隠す髪の毛から覗く目はとても鋭かった。全てを拒絶するかのように。
フィルは黙り込んだ。
けれど、そのまま引き下がる彼ではなかった。
弾かれた手で、弾いた手を握りしめた。
手首を握られた彼女は、力ずくで抵抗する。だが、腕力の差は埋められない。まして、相手は警備隊員なのだから。
黙る。
フィルは引き続き、空いた左手で、垂れ下がる髪をかきあげようとする。勿論、ローテもそれを阻止しようと残りの手を動かすが、叶わなかった。
「ぅく……」
ローテが呻く。
フィルは、左肘をローテの肩に押し当てた。彼女の手は届かない。
「これで、どうだっ」
腕を前によせた分だけ、フィルとローテの距離が近くなる。
自由に動かせる肘先を上へと持ち上げて、髪を額へとかきあげた。
あらわになる表情。
口をへの字に曲げ、唇を震わせ、噛み締める。三白眼になりながら、強がる態度を見せた。だが、肌が青ざめ、目元に涙が浮かんでいた。
「何、そんな顔してるんだよ。美人が台なしだぞ」
軽い調子で言う。こっちまで、暗い調子になる必要はない。
「あんたに何が分かるっていうの?」
何が、彼女を不機嫌にさせるのか? フィルには分からない。
ただ。
初めて会った時は、フィルがこんな顔をしていたのだろう。
にぃ。フィルは笑う。
「何が、そんなにお……きゃっ」
ローテは、狭い空間の中でも微かに身をよじる。
「隙あり」
かきあげていたはずの左手をローテの胸元をかざしていた。防寒重視の服装をしていても、充分にその存在を主張している膨らみの上に。
けれど、直接触れるような真似はしない。
彼が彼女に抱いているのは決して、恋愛感情ではなかった。親愛だった。この行為だって、妹に悪戯するような感じだ。本気ではなかった。
彼女が元のような快活な態度を取り戻して欲しかったから。彼はそうした。
だけど。
「なんだぁ」
ローテが表情を和らげる。
一時の間。
なんとか、表情をほぐすことができた。フィルは、安心して力を抜いた。
それがいけなかった。
「そうしてほしかったんだ」
妖艶な笑みを浮かべた。封じられていた両手を解き放ち、間髪いれず、フィルの首筋にまわした。
今度、声を漏らしたのは彼のほう。
ローテの唇が、フィルの声を封じた。顔と顔が近づき、緩やかに二人の身体が倒れた。上に乗るローテは、彼女自身の体重を利用して更に濃密に重ねた。
数秒の時が流れる。
「意気地無し」離した唇から唾液が糸を引いた。「舌、入れさせてよ?」
「誰が入れさせるか」
フィルは、歯を噛み締めて、彼女を防いでいた。
「照れてる?」
「そんなんじゃない」
「言ってたよね?『一晩、供にしたい』って。いいよ。今、相手してあげる。それに…」彼女は、顔をくしゃくしゃにして笑う。まるで、何かを搾り出すように。「私を慰めてよ」
フィルは、答えられない。息を切り詰め、鼓動が身体中を駆け巡っていた。理性が綱渡りをしている。踏み外せば、一線を躊躇いなく越えてしまう。
「もしかして」彼女は、上着をたくしあげようと、手をかける。「この姿じゃ、そそらないわけ?」
彼女は上着をたくし上げ始めた。
「あーっ! 分かった! 楽にしてやるから! とりあえず、上着を脱ぐのはやめてくれよ」ぎこちない笑みを浮かべた。「俺は脱がす主義なんだ」
「そうなの?」
くびれた腰と、臍を見せて、彼女は上着を下ろした。
「あぁ。それに、主導権は俺に委ねてくれ」内心、焦りながらもフィルは言葉を積み重ねる。「知らないのか? 俺は、床上手で有名なんだぜ? 俺に任せたら、お前なんて、よがり狂っちまうよ!」
「本当?」
あまりの調子良さに、訝しむローテ。
「ああ」
自信を持って、頷くフィル。本当は、虚言。ほらをふく。
「なら」ローテは手を離した。「好きにしてよ」
目をつむった彼女は、安心したかのように、穏やかな表情だった。
そんな彼女にフィルは、心の中で詫びを入れた。
下腹部に彼女は乗っている。だから、腹筋を使って上半身を起こした。
その勢いで。
脇に刺さるナイフを抜きだし。
脇腹に突き立てた。
「あぐっ」
フィルから見て、左手の方向へと吹き飛び。滑った。苦しそうに呼吸を繰り返す彼女を見て、やり過ぎた。と彼は、さらに申し訳なく思う。
立ち上がる。
血が数滴、地面に落ちた。
横向きに寝込むローテに近付く。その跡を血が印した。
くの字に折れ曲がり、横たわる彼女。「う‥そ…つ、き……」「楽にしてやるからな」
頭をまたぎ、座り込む。正座をする格好のまま、ローテの頭を腿に乗せた。
肩を浮かせ、首を斜めにむけ固定した。腕を首周りに巻き付け、締めた。
「あっ……がっ…」
苦しむ声を少しあげ、ローテの身体は強張り、すぐに脱力した。
「馬鹿」
フィルは、巻き付けた腕を解き、首に手を添えた。さっきまで、乱れていた態度とは逆に脈は穏やかに波打っていた。
仰向けに、身体を動かし、ひざ枕をする。彼女が起きていたら、絶対にただじゃ済まされない。
苦難から解き放たれた後のような、安らかな顔。まだあどけない、少女の表情。
絶対に、起き上がったら気まずいよな。フィルは、そう予想する。
頭を撫でる。
もし、一線を越えていたら? そう考えるだけで、身震いする。未遂に終わっただけでそうなるのだから。二度と親密な関係には戻れないはず。
それに、そんな目で彼女を見たくなかった。
「っ痛ぅ」
フィルは顔をしかめ、恐る恐る首を右下に向け、握ったままの右手を開く。
指の付け根に沿って一直線に切り傷が残る。閉じ切ったと思ったが、まだ傷口からは血がにじむ。
ローテの脇腹へは、柄でついた。鞘が上手く外れなかったから、刃を握りしめた。痛みがなかったから大丈夫だとたかをくくっていたが、地味に痛い。
「やっぱり、病院に行かなきゃいけないか」
そう独り言。
ローテを診てもらうなら、多分リーが一番いいのだろう。例え、口説きが失敗しても、そこは目をつむらなければならなかった。
痛む右手を我慢しながら、首とひざ裏に片手ずつ通した。
気合いを入れて、立ち上がる。ローテを抱え込んで。ちょうど、お姫様を抱いているような状態に、似ていた。
こんな状態を警備隊の誰かに見られないことをフィルは祈った。そうでなくても、今日無断欠勤してしまった身だ。まさか、昨日が休みだとは思わなかった。確かに、仕事量が少ない事に疑問は感じていたが。
穏やかに眠る彼女が突然呻く。
微かでも物思っていたフィルは、小さく叫び声を上げた。
「大丈夫……だから」
そのようなうわごとを何回も繰り返す。誰に対してそう言っているのか、フィルには分からない。
何が大丈夫、だ。フィルは、ため息をつくよりも、どうしようもないものを感じた。
あの子は、あたしよりも暗い所を持っている。と言ったのはリーだったか。
この年で魔術師をやっているのは、確かに辛いはずだ。皆からの期待を背負い、いつ賞金稼ぎに襲われるか分からない。
それなのに、弱音を吐いている所を見たことがなかった。
気を失っている今だって、誰かの事を気遣っている。
どれだけ意地っ張りなんだ、こいつは。
弱音を吐いてくれたっていいのに。
だけど。
畜生、と毒づく。無性にいらいらして、地面をおもいっきり踏み付けた。
そういいながら、誰も救えてないじゃないか。
殊に、彼女の赤い髪を見ていたら、痛切に思い出す。
ローテを抱えるフィルは空を見上げて、舌打ち。
過去の過ちを悔やむ自分が今も何も変わっていないから。
何も出来ないから。相手の苦しみをただ、黙って眺めるしかできないから。
茜色から、蒼色に衣を変える空は澄んでいた。
雲ひとつ存在しない、冬の天気。
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