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12th:そして…
 くしゅん。濁音が入り交じった音が二つ。高らかに茜空に響き渡った。
 二人同時のくしゃみ。
 調子を合わせるかのように同時に鼻をすする。
 あまりにも同じだったから、怪訝な顔をしてお互いに顔を見合わせた。
「まったくさ、こんなにも簡単にひっかかるなんて。お姉さん感動しちゃう」
 悪意とからかいが混ざり合うように。けれど、そう快活に言ったとしても、引っ掛かった当事者達は腹わたが煮え繰り返ったままだった。
 寒さに震え、歯をかちかちと鳴らす二人は彼女を睨みつけた。
 ポップが誤ってハンカチを放した後。
 空から落ちてきた物はナイフではなかった。
 真上で、バケツがからからと鳴っていた。
 重さの元凶だったそれを宙空にぶちまけて。
 降ってきた大量の水。

 ポップ達は、かわす暇なんてもちろんない。唖然としたまま、成す術もなく、全てを被ってしまった。

 …………………………

「酷い………」
 普段は滅多に怒らないイダテが、不穏な雰囲気を身に纏う。それもそのはず、寒気の下で下着のままで過ごす羽目になっただけでなく水も被ってしまった。
 その、原因が目の前にいるローテのせいだった。フィル・アクイース、と偽名まで名乗って、声色まで変えた彼女がイダテを監禁したのだから。
 どこから持ってきたか分からないような毛布を、てるてる坊主のように体に巻き付けていても、その迫力は弱くならない。
 幸いな事に、ローテが服を剥ぎ取ったおかげで、それは濡れなかったけれど、寒かった。
「まだ、子供の癖に私から物を盗むからよ。『死にたい』なんてじじくさいこといってたし」
 そう言いながら、ローテはポケットからティッシュを取り出して、二人と目線が合うように屈んだ。
「鼻垂らしながら言っても迫力ないよ。ほら」ローテは紙を取り出すと、イダテの鼻に当てた。「おもいっきり鼻かんで」
「こんなの、恥ずかしいよ。自分で出来るから」
 怒っていた態度が嘘のように、恥ずかしがりながら逃げるように身をよじる。イダテはたじろいだ。
「こんな美人に鼻をかんでもらうなんて、滅多にないよ。ほら、早く」
 照れも恥じらいも、まして汚らしい孤児であることを気にしない笑顔は、悔しい程にまぶしい。
 イダテは観念したかのように、鼻を鳴らした。遠慮がちな音だった。
「うん。上出来。どっかの警備隊員なんて、遠慮なしにやってさ、その後タコ殴りにしちゃった」
「はぁ」
「次はキミだ」
 俺? ポップは自身の鼻先を指差した。
「俺もやるわけ?」
「当たり前じゃない、むしろ君のほうがイダテ君よりもでてるし」
「嫌だ」
 ポップは一歩だけ後ずさる。
 ローテは二歩詰めた。
「なんで二歩も詰めるんだよ! 反則じゃねえか」
 そう駄々をこねている間に、ポップの両手は捻り上げられた。
 ローテの片手だけで。
「ちょ…待って!」
「ふふふ。つーかまーえちゃったぁ♪」
 語尾にハートがつくくらいな口調とともにローテはほくそ笑んだ。
 すぐにポップの悲鳴が響く。そうなったのは言うまでもない。

 …………………………

「本当に捕まったんだ」
 しみじみと言うイダテが指しているのは別にポップの事ではなかった。
 眼下に写る人の群れ。
 ギャングの構成員が警備隊に捕まえられていた。
 アリのように働く警備隊員に連れられてお縄につく彼らが列を崩さずに歩いていた。
 そんな大捕物を見物しようと、多くの野次馬がうごめいている。
「悪は滅びるものよ」
 鉄柵に腕を寄り掛からせて、勿体振るように彼女は言う。
 言い忘れていたが、彼らはギャングがいた工場跡の屋上にいた。
 ギャングの少年達がここにいつもいたから、彼ら二人は初めて足を踏み入れたことになる。
 建物自体が低くて、眺めがいいとはいえないけど、普段見ている景色を上から眺めるのは不思議だと、イダテは思った。
「かっこつけて何言ってんだか」
 斜めに構えた態度をとるポップ。
「一遍言ってみたかったのよ」
 照れも見せずに、寧ろ堂々と言い放った。
「こんな機会、滅多にないんだから。そうだ」
 鉄柵に背中を預けて振り向いた。二人が視界の中に入る。
「二人とも、これからどうするの?」
「どうするの? って言われても……」
 イダテはポップに顔を向けた。
「俺はもう決めてる」
 彼女が示した選択をしたから。
「私の厄介になるんでしょ。二人で」
『へっ?』
 素っ頓狂に同時に声を出す。二人はもう一度、顔を見つめてローテに顔を向けた。
「何ですかそれ?」
「やくそ………」
「いいでしょ? 家族ってたくさんいたほうがたのしいもん。絶対に」
 ローテは指を口に当てた。眼差しでポップに喋らないようにと釘を刺した。
「そんなに驚かない。ほら二人ともこっち来て」
 二人は、抵抗もなく、ローテにふらっと近寄る。
 ローテの目の前で立ち止まると。
 彼女は二人を両腕で、まとめて抱きしめた。
 恥ずかしい、と彼らが逃れようともがいても容易には外れないように。彼女の決意を示すかのように。
「もう大丈夫だからね。君達は、ひとりじゃない」
 それは、さっきまでの彼女の軽い態度と違って、とても優しかった。
 互いしか信じて来なかった二人に対して、その行為はとても無防備に見えた。無償で愛されることなんてなかった、安らかに抱きしめられることなんて今まで一度もなかったから。だけど、彼らは安心してもがく事なく抱きしめられた。
「あんたも、そうしてもらいたい?」
 不意に言うローテ。
「そうしてもらいたい」
 二人の背中に響く、少年のような声。
「このど変態」
 微笑みながら、罵倒する絵が二人に浮かぶ。
「なんか酷いな。何が違う?」
「下心まる見えな鼻の下伸びきった顔」
「具体的にいうなよ!」
「本当に伸びてる?」
 酷い事言われている人とは違った、鈴のなるような甲高い声音。
「計ってみようよ。もし本当に伸びてたら。フィルさんは」
 さっきの声とは声音が似ていた。けれど、少し低く聞こえる。
『ど変態♪』
 二つの声が綺麗に重なり、調和を聞かせた。
「お前らも調子にのるなぁ!」
『ごめんなさい』
「だって、フィルさんが楽しそうだったから」
「フィルさんが機嫌よかったから」
 涙声が混じる声色。
「いや、俺が悪かった。大人げないよな。こんなんで………」
 明らかにたじろいでいる様子。
『フィルさんが鼻伸ばすところを想像すると笑えたから』
「って。おーい!」
 やりとりを見ていたローテが笑う。
 抱きしめた二人を解放して、声のした方向に振り向かせた。
 階段の両脇に容姿の似ている銀髪の二人組が立っていて、彼らとちょうど二等辺三角形の頂点を作る位置に、長身の男が背中を見せて立っていた。
 二人は、男の羽織るコートに見覚えがあった。
 黒色に統一された色調。背中の中心に幾何学模様に装飾された絵柄が大円に囲まれているそれは。
 警備隊員の基本装備だった。
 警備隊だ! と二人は逃げ出そうとして気づく。
 もう俺達はギャングの一員じゃない。
「紹介するわ。階段の脇に立ってる右側。短い銀髪の子がソル。左側の髪が長い、銀髪の子がセレン。双子で私の妹弟。で、あのコート着てる変態野郎がフィル」
「かなり、俺の扱いが酷くないか?」
 フィルは振り向いて、苦々しく顔を歪めた。
「大丈夫だよ。フィルさん。こういうときはね」
「『嫌いよ嫌いも好きの内』って解釈すればいいんだ」
 それは、違うと思う。
「で、この子達は……あれ? 名前聞いてなかったわ」
「姉さん」
「お姉ちゃん」
 双子があきれたように、肩を落とした。
『まあ、らしいって言えばらしいよね』
「まあいいや、君達自己紹介しちゃってよ。この双子ちゃんとフィルにさ」
 ほらほら、と手を差し出すように三人のいる方向にむけた。
「俺は、ポップだ」
「僕はイダテです」
「私は、ローテよ」
 間髪入れずに、流れるような自己紹介が終わった。一人、余計な気がする。
「魔術師のな」
 フィルが付け加えるように言った。
『は?』
 訳が分からないとでも言いたげな二人。
「そこのお姉さんがそうなんだ」
 フィルが指指した先にいるローテ。
「本当に?」
「マジ?」
 この街を騒がしている泥棒が、こんなに若い。それに紅族の女の人だとは。
 驚いた二人に見つめられたローテは、はぁ、とため息をつく。
「フィル。空気くらい読んだら?」
「俺をこけにした仕返しだ」
「私は、からかってただけなんだけどな。
 そうだよ。いかにも、私が世界に五人といない特A級犯罪者。西の魔術師とはこの私、ローテ・ヒルトよ。
 でもさ、ここで言うことはないんじゃない? 私だってさ順序よくさ、この子達に伝えようとしたかったのに」
 自分が魔術師だと明かしてから、ローテは段々と不機嫌になっていた。まるで季節外れの夕立のように悪くなっていく。
「魔術師だってのは、いつか絶対に知られる。それなら、今ここでばらした方がいいと思わないのか? いつか話すとか言いながら、結局お前は言えないだろ。俺に言えなかったみたいに」
「違う。私は……」
「何が違うんだ?」
 少しくらい、俺達を信じてみたらどうだ? とフィルは続けた。
「信じてる」
 ローテは、そう言い切った。番犬が見知らぬ来訪者を威嚇するように。
「姉さん……」
「フィルさん、大人げないよ。そんなの後でいえばいいじゃない」
「セレン。言うべき時がこういうのにはある。今言っとかなきゃ、絶対にこいつは話さない」
 フィルの言った事は正論なのか悪論なのか、どちらかは分からない。けれど、この場の空気を悪くしたのは間違いなかった。
 子供二人も、双子も話すきっかけがつくれない。
 ただ、警備隊員と魔術師の間で険悪な雰囲気が生まれただけ。後味の悪い空気が残った。


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