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11th:決断
 ポップは寂れ、廃れたような道をまるで、間に合わなければ自分の代わりに処刑されてしまう、友達のためだけに走る若者のように駆けていた。
 呼吸をすることが無意識から意識的になっていく。それほどにまで急いで。
 イダテのように早くは走れない。けれど、精一杯走った。
 頭の中は、イダテの無事を祈ることでいっぱいだったが。
 だけど、一方で紅毛の女の人の条件も気になりはじめていた。
 もし、あの人と一緒に暮らすことができたなら。
 好きな事なんて、飽きてしまうほど出来るだろう。毎日の寝床にも困らないし、ご飯だって心配しなくていい。
 あんな高価な鞄を買えるのだから。
 甘い幻想が彼を誘惑する。そのためなら、今まで苦楽を共にしてきた仲間を殺すことなんて………。
 悲しいかな、今のポップにはそれを完全に否定することはできなかった。
 むしろ、彼女の条件を受け入れてしまおうとするまでに心が動いていた。
 もう、孤児の生活なんて嫌だから。

 …………………………

 地面を蹴り続けた足を止めても、まだ両足とも駆けようとしていた。急に止まったから、走っているときには気にしなかった呼吸が、ひどく荒く感じた。寒風が直撃し続けた耳の裏が痛い。ごうごうと血が耳元を掠める音が聞こえる気がした。
 息を吸うと、喉の奥が張り付いたようで、うまく唾が飲み込めない。痛んだ鼻には、つんとくるような空気に混じるアンモニア臭が突き刺さる。
 ポップはイダテが捕まえられている、公衆便所の目の前に立っていた。

 …………………………

 久しぶりに誰かが入る気配がして、イダテは目を覚ました。
 なんだ僕、まだ生きてるや。
 それが嬉しい事か、嘆かわしい事なのか彼には、判断がつかない。
 口にくわえていた布は、噛み合わせたままで固まってしまった。
 だから、死のうと決意しても、口が動かない。気が遠くなるほど重い布をずっと噛み締めたまま、じっと耐えるしかなかった。
 まるで石のように。
「イダテ! どこだ!」
 ふと聞こえた声。多分、苦楽を分かち合ってきた親友だ。叫んだ声が張っていて、あまりよくわからないけれど。
 ここにいるよ、と動かない体を無理矢理動かして、音をたてた。
 彼に、最期の願いを求める事を決意して。

 …………………………

 イダテ! そう叫び、ポップは音がした扉を蹴破った。錆び付いて、動きが悪くなったそれが、それでも勢いよく跳ね返り、戻ってくる。肘打ちをして、扉が戻らないように押さえ付けると、ようやく彼の姿を見つけた。
 下着だけを纏い、ぐったりとうなだれているイダテの姿を目の当たりにして、ポップは言葉を失う。
 彼の名を呼ぶ。それだけの声も驚きにかすれた。
 聞こえるかどうか、微妙な声。けれど、イダテはわずかに顔を上げた。
 まだ、生きてる。ポップは、急いでイダテの口元を塞ぐ布を抜き取ろうとした。
 左手に布からくる重みが伝わる。こんなに重いものを口に加えていたのか。今更ながら、驚いた。
 なんだ、これ? と普段のポップなら疑問に思ったはず。
 けれど。
 かわりに、ナイフを持った右手をまた、力強く握った。
 覚悟を決めるために。
 幸せが一人しか与えられないなら、鬼と言われようが、悪魔と言われようがつかみ取ってみせよう。そう決意した。
 目かくしを外さない。イダテを失望させない。
 信じていた友達が裏切る。まさにその瞬間を目の当たりにしないから。
 一瞬の内に終わらせる。ポップは息を止めて、振り子のてっぺんに向かうようにナイフを振り上げる。
 無音。
 その時分が、かすかな、本当に小さい声を耳に届かせた。
「ごめんね」
 そんな言葉が、ポップの決心を鈍らせた。
 振り上げたナイフを振り下ろす事ができない。右手を反らせたまま、不自然な体勢のまま、固まる。
「ポップでしょ? ここにいるの。いや、絶対そうだ。僕みたいな奴を助けに来てくれるのは、いつもポップだけだもん」
 そのポップが今、イダテを殺そうとしてるのに。ポップは、戸惑った。
「それなのに、僕はこんなふうになって。何にも役に立ってないね」
 ずっと、ぼそぼそと言っていたけれど。
 ぐさり。ポップの中に一言一言、突き刺さっていった。
「ポップってすごいよね。いつも、僕ができない事平気でやってのけるから。だから……」
 言おうか、言うまいか。そう悩んでいるようだった。
「僕を殺してくれないかなあ?」
 イダテは、不自然な程自然に、言葉を続けた。
「今持ってる布を離すだけでいいんだ。そうすれば、上からナイフが落ちて来て、僕は死ぬことができる。僕、そうしようと思ったけど、出来なかったんだ。臆病だね。僕………だからさ」
 イダテは、目かくしされたまま、何も見えないはずなのに、ポップを真正面に見据えた。
「お願い」
 今までで1番重たい願い事だった。
 ポップにとっては、好都合なはず。願われてまで、殺される事を望むのだから。そして、彼もそうしようとしていたのだから。
 だけど。
「ふざけんな」
 ナイフが床に落ちた。ポップの空いた右手は握りこぶしを作る。
「俺が出来る訳無いだろ? そんな事」
「ずっと、僕はポップの足手まといのままだよ? もう、面倒を見なくてすむよ?」
「馬鹿いうな!!」
 すがるように言い募るポップを振り払うかのような、怒鳴り声。
「何時から、お前は俺の足手まといなんかになったんだ! 俺は、そんなの言ってねえ!」
「だけど、いっつも迷惑かけてるよ? 邪魔になってるよ?」
「邪魔になんかなってねえよ」
 けれど確かに、邪魔だって思ったことはあった。
 だけど、それは一瞬。イダテがいたから、今まで生き延びてこれた。それが大部分。
 どうして、イダテを殺そうなんて考えたのだろう? 殺してくれなんて、頼むよりは生きたいともがいてくれたほうが、そして殺された後に怨まれていたほうがよっぽど良かった。
 そうしたら、悔いなく。けど、背中に重いものを背負え、後の幸せを無駄にしないと誓ったのに。
 殺してくれなんて頼まれたら、よっぽど殺せなくなる。ますます、イダテがかけがえのない友達だって実感するじゃないか。
 イダテを見殺しになんか出来ない。
「いつ、俺が邪魔にしたよ?」
「いつだって、足手まといだって思ってる癖に? 僕みたいなひ弱な奴だなんてさあ!」
 投げやりに吐き出した。その声は辛い程に悲壮に響く。
「俺、そんな風に思われてたのか」
 例え、自暴自棄になって、気がつかなくても。傷つけるような言葉を手当たり次第に投げられたら、誰だって傷つく。
「そうだよ。ポップなんて、大っ嫌いだ。いつもいつも自分が強いからって鼻にかけて、僕なんか御情けにしか思ってない癖に。思‥っ…て…ない‥‥‥く…せに…」段々と涙ぐむ。鼻水が垂れると同時に目かくしの色がくすみ始め、隙間から、一筋、二筋と水が零れ落ちて「僕…は、こん‥‥、なに悪、…い奴‥‥‥な、んだよ? だ、から、お願い…。お願い…だ、よぉ」
ひっくひっくとしゃくりながら、顔がくしゃくしゃに歪んでいきながら、最後まで言い切った。
「お前だって、人の物盗んだり、人の顔色ばっかりみてんじゃねーか。俺もイダテなんて、大っ嫌いだ。けど」ポップはイダテの両肩をつかむ。「だけど、俺はお前と親友でいたいんだよ!!! 何でなにもないとか足手まといなんか言ってんだ!!! お前にはそれ以上にいいところたくさんあるのに!!! そんなにないない言ってるなら、俺が見つけだしてやる!!! お前は悪い奴なんかじゃねえ!!!」
「そ、そ……んなこ…といった、…って」
「いいか! 俺はお前を殺したりしないからな! お前がどんなに足手まといでも役に立たなくても、俺は絶対に見捨てないからな!」
「でも…」
「でも、もへったくれもねえ。信じてくれよ! 俺はお前を絶対に、裏切らねえからな!」
半ば怒鳴るように張り上げていた声を止めると、ポップは二三度息をつく。荒げた気持ちを鎮める。目かくしされたイダテを睨んだ。イダテの意志を翻そうとするかのように。
ポップの真っ直ぐな視線を受け止めるかのように、イダテは目かくしをポップに向けた。
 鼻水を一回だけ大きな音をたててすすった。
「本……当……?」
 ポップは、うなづく替わりにイダテの肩をぎゅっと握りかえした。
 涙は、ポップの声に掻き消されたように止まっていた。
「そんなに、簡単には変えられないよ。でも、そうならないように頑張ってみる。ポップの事、信じるよ。そしたら、僕の事許してね。もう死にたいなんて、二度と言わないよ」
 イダテはそう宣言すると、ごめんね、ありがとう。と微かに聞こえるような声で言った。
 ポップは、両肩を掴んでいた両手を首に回して抱き着きたかったが、そこまでしては恥ずかしいと感じてやめた。
「けど、ポップ」
「なんだよ」
「両肩に手があるっていうことはさ、ハンカチは何処にいったの?」
「ハンカチ?」
「すごく重かったの」
 イダテがそう言った瞬間。本当に沈黙がおりた。血の気がさぁっと下に向かっていく。心臓が驚いたように弾んでいき。
 ポップは左手を見た。その手は、ハンカチを握っていたはず。
 幸運なことにハンカチはポップの指先に絡まっていた。
 のだが。
 確認した拍子に、ハンカチがするすると指の間から逃げていった。
 呆然とそのなりゆきを眺めていて。
 手品師が、ハンカチの中に隠していたものを見せるかのように、ハンカチがとられて行く様子を半ば見た所で。眺めた所で。
 ポップは真上を見た。
 爆弾の導火線のように、繋がっていたハンカチの先に括り付けられたもの。
 彼は、目を疑う。
 それは、どう叫んだ所で避けられるものではなく、ただ見守るしかなかった。落ちていくそれが、彼らをめがけていて。
 妙に生温い液体が彼らに降りかかる。


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