1st:白昼堂々の悪夢
西都の街並みは、徐々に冬の支度を済ましていく。そんな、ある昼下がりのこと。吐息が白く濁り始め、空気が最も透き通る晩秋の一場面。街の大動脈となる大通りにて。
「痛ったぁー。なんなの? もう!」
尻餅をつき、じんじんと痺れる身体から、ローテはほぼ条件反射で叫び声を響かせた。
そうなったのは、真正面から誰かとぶつかったから。浮かれて、前をきちんと見ていなかったローテにも勿論、非はあった。
けれど。
「きちんと前向いて歩きなさいよ。ってあれ?」
不機嫌な調子の口が止まる。首が振り切れてしまいそうなほど辺りを見回して、異変に気付いた。左右に二往復してから発した絶叫。首を振ってばらばらになった赤褐色の髪が一拍遅れて、元の位置に治まる。
「鞄がない!!」
こういうときに限って、うなじに張り付く髪が妙に気になってしまう。
ちょっと待ってと、足元ものぞいてみる。
通りを形作る石畳が、例外なく平らに均されて整然と並ぶ。それ以外、なにもない。
彼女は、その美貌が台無しになるくらいに顔を悔しそうに歪めた。
それも、そのはず。お金を貯めに貯めに貯めて、その上弟と妹の貯金をこっそりとくすねてようやく手に入れた鞄だったのだ。
それも今日。ついさっき買ったばっかりで。
ぶつかる前までは、左腕に大事に掛けていた。
ショックでピントがままならない視界の端で、駆け出していく背中が目に入った。疾風のごとく駆け、小さくなっていくその姿。子供だ。
何の迷いもなく、一直線に遠ざかる後ろ姿から、さよならをするように紐がのぞき、揺れた。
さっき買った鞄だ!
「ちょっと、待ちなさいよ! 泥棒!」
そういわれて、待つ人がいるのだろうか? いや、いない。もしそうならば、ただのマヌケかお人よし。残念ながら、彼はそれらには当て嵌まらないようだ。彼女の声に耳を貸さず、後ろ姿が雑踏にあっという間に溶け込んでいく。
「最悪!」
現場には、明らかに怒りを示す彼女。
中洲の周りを流れる川のように彼女を避けて流れる雑踏。
間抜けな被害者を物珍しそうに眺める見物人が多少残されていた。
彼らの好奇な視線にローテは、はっと気付いた。
強張った表情を緩めて、照れるかのように恥じらい、肩をすぼめた。縮こまった笑みを、見物人一同に見せながら。
立ち上がって、ジーンズを二三度叩く。俯いたときに、服の隙間から、素肌を覗かせ、冬仕様の上着でも隠しきれない膨らみを持った、張りのよい胸の谷間を下着ごしに垣間見せた。
彼らの視線がそこに集まる。が、すぐに目をそらした。あらぬ方向に視点を定めあわせて一様に、気まずい空気を作り出す。赤く染まった頬は隠せない。
けれど、冷めたような敵意ある視線を送る者も、同じ数くらい存在していた。
彼女は、気付いていた。
汚いものを見るかのような蔑む視線。
赤毛だからという単純な理由で。
たとえそうであろうとも、私は私なんだけどね。
ローテは敵意も好奇も混じる、幾重もの目に萎縮せずに、むしろ堂々と振る舞った。
「ごめんなさい、恥ずかしいところをお見せして」
さっきまでの彼女とは、思えない丁寧な口調。おしとやかに歩き始めると、そんな一言を言うとは思ってもいなかった見物人の一角が驚いたように、二つに分かれた。
「ありがとう」
ローテはその外見に似合う、初々しく、可愛らしい、純真な少女を演じた。
けれど、彼女はその仕草と間逆に焦っていた。
(どうする? 本末転倒じゃない。盗まれるって)前歯で唇を噛みしめる。(絶対、許さないわ)そう決意した。とにかく、後を追うことに決める。
そのためには。
「あっ」
偶然を装ったように見えて、本当にたまたまだった。けれど、彼が見物人の中に混じっていたことは一目見て分かる。どんなに、うまく隠れていても、見つかるものは見つかるのだ。その長身は、見物人の中でも一際目立つ。
フィル・アクイース。ローテの男友達。弱冠二十歳にして、この街の治安の元締めである警備隊員。彼女よりも、二歳年上だ。
声をかけられた彼は、あからさまに笑っていた。快活にではなく、むしろぶざまに盗まれた彼女を、からかっていた。
しかし、一歩後ずさる。
何十回分も溜まっていような不機嫌さを察知して、逃げ出そうとした彼を、にこやかに彼女は腕を素早く絡ませた。
フィルは振り払おうと、努力をしたけれど、外れない。蛇のように柔らかで、狡猾だ。フィルの顔から血の気が失せる。
彼の視点がぎこちなく下を向く。
「こんな所で会うなんて奇遇よね」
断る事を許さないような純粋な笑顔。純度百パーセント。薬よりも毒だ。まさしくそうだ。張り切った風船に針を突き立てる事を強制されたような気分になっていくフィル。実際につい最近、行われた職場の飲み会でそれに近い事をやらされたりする。
どうして、俺は貧乏くじばかりと嘆きたくなる。が、その原因の多数が彼女絡みだと、そこまで彼の頭はまわらなかった。
腕を絡ませられたフィルに、敵意ある視線が幾十にも突き刺さる。見物人達がうらやましそうに彼を睨んでいた。傍目から、正面から、どこから見ても、美少女であるローテと手を組んでいるからだろう。
実際、そんな嬉しいわけじゃないと、途方にくれるフィルの頭にふと格言が浮かんだ。
東国の古いそれは、職場の日めくりの暦にでかでかと載っていたから、まだ覚えている。上司の東洋趣味の影響が、こんなところにまで知らず知らずのうちに浸透していた。
『綺麗な薔薇には刺がある』
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