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第一話 ヒロインとライバルの関係




 『フランヴェルグ学園』は、貴族の子息や令嬢の多くが通う、由緒正しき学び舎である。歴史や伝統があり、敷地面積は広く、白亜で作られた校舎は常に輝いていた。この学園は有数の進学校であり、スポーツにも力を入れていることで有名である。この学園の卒業生には、名のある著名人も多かった。


 そのため、格式がある家はこぞって子どもにこの学園を進め、家柄の低い者は将来へのパイプ作りや、関係づくりのために入学を志す。家柄が高い者は、上に立つ者としての立場を習い、部下として優秀な者を見つけるために。優れた能力を持つ者は、己の能力を存分に生かし、さらなる飛躍を目指すために。家柄が低い者や能力が足りない者は、その立場に甘んずることなく、努力を積み重ねていけるように。


 フランヴェルグ学園は、そんな者たちを受け入れ、将来への支えとなることに力を入れている。そんなこの学園こそが、とある乙女ゲームの舞台となる場所であった。


 ゲームの世界で――ヒロインと呼ばれる、16歳の少女。彼女がこの学園に入学した時、物語は始まる。多くの人物と出会い、己を研磨し、そして恋に落ちる。しかしその過程には、様々な困難が存在した。それらには、身分、容姿、知能、運動神経、社交性、好感度など数多く存在する。さらに、ヒロインの目の前に立ちはだかるライバルと呼ばれる存在。


 ヒロインはそれらを乗り越え、ハッピーエンドを目指す。恋に落ちた相手を射止め、ライバルに勝利をする。それこそが、乙女ゲームで決められたシナリオであった。



 ――しかし、それに納得できない者が現れた。その人物は定められた運命を偶然知ってしまい、その未来に愕然とした。だが、彼女は決して諦めなかった。一人の少女のプライドが、負けず嫌い根性が、もともとちょっと頭のネジが緩んでいた彼女と見事に溶け合った。


 ヒロインのライバルとして立ちはだかるべき悪役令嬢、ベルフレイア・アルンスト。彼女は、文字通りの転落人生に、逆に己の魂を燃え上がらせた。恐るべき強敵に、武者震いを起こした。彼女の持つ不屈の精神が導き出した答え、それこそが『打倒ヒロイン』であった。


 9歳で生涯を競い合うライバルを見出したベルフレイアは、7年間という時を、まさに自分磨きのための修行に費やした。ヒロイン力を上げまくったライバルの誕生である。ヒロインと呼ばれる絶対的な存在のライバルとして、相応しい人物になるために、そして己こそが勝者となるために。婚約者である一つ年上の少年、シュレイン・エトワードを盛大に巻き込みながら、一直線に爆走した。


 そして、ついにベルフレイア・アルンストは決戦の舞台となる学園へと入学する。長年思い続けてきたヒロインとの邂逅に、高鳴る心臓を抑える。深い吐息は熱を帯び、興奮で頬が赤らむ。奥に宿る不安と情熱が混ざった瞳が、どこか切情的な雰囲気を感じさせた。


 そんな彼女は、半眼の婚約者に頬を若干引っ張られながら――実に一週間もその状態で過ごした。一週間もの間、ベルフレイアがお預けを食らってしまった理由はただひとつ。 



「ヒロインが、どこにもいないぃぃーー……」


 昨日まで打倒ヒロインを胸に、一年生の全てのクラスを虱潰しに探し続けていた彼女であったが、さすがに一週間経過しても見つからない存在に……真っ白になっていた。頭から机に倒れ込み、煤けた背中を晒すベルフレイアに、シュレインもさすがに頬が引きつった。


「……おい、ベル。えーと、あ、あれだ。元気を出せ、なっ?」

「完全に燃え尽きちゃっているねー。……なぁなぁ、シュレイン。ちょっとベルちゃん、突っついてみても――」

「アァ?」

「会長様、ここ教室だよ。二度見されているよ」

「……お前が変なことを言ったんだろうが。たくっ」


 ガシガシと明るい茶色の髪を手で掻くと、シュレインは隣にいる生徒会副会長である、フィオル・カーティスに眉を顰める。面白そうだから、とわざわざ昼食時間中の一年生の教室まで付いてきた友人は、どこか人を煽るところがあった。王子のような見た目とは裏腹に、人で遊ぶ悪癖がある人物である。


 そんな彼とシュレインが友人になれたのは、ただの腐れ縁であった。家同士の関係も含め幼馴染であった二人は、学園では同じ生徒会に所属していることもあり、一緒に行動することが多い。当然、ベルフレイアとも彼は面識を持っていた。


 最初にベルフレイアの悪役令嬢っぷりの情報をシュレインに流していたのは彼であり、実際に目にした彼女を見て、目を点にしたのは言うまでもない。その様子に噴きだして、指をさして笑ったシュレイン。類は友を呼んだ。


 情報通であったフィオルは、その時に笑われた仕返しにか、よくベルフレイアのネタをもとにシュレインをからかった。そしてしめられた。そんな三人組であった。


「レイ様ぁぁーー。ヒロインが、ヒロインがどこにも、どこにもいなくて……。――ハッ! ま、まさか、ヒロイン要素が最上値になると発生すると言われる、伝説のお約束イベント。誘拐フラグが、すでに始動されてしまっているのではっ……!」

「あのヒロインを誘拐するって、相手はかなりの猛者だな」

「ベルちゃんがよく言っていたヒロインちゃん? 彼女のスペックなら、早々に捕まらないはずだよね。だから、……これはきっと罠だね。捕まったという情報を鵜呑みにさせて、実は裏から操作をしているんだっ!」

「――ッ! フィオル様、つまりこれはヒロインに何か策があると」

「お前、決め顔で適当なことを言っているだけだろ」


 ベルフレイアのクラスメイトたちは、もっと根本的なところに誰かツッコめよ、と囁き合った。



 波打つ金の髪と、橙色の瞳。マリーゴールドのような鮮やかさと、鮮烈さを持つ綺麗という表現がよく似合う。そんな太陽のような少女は、難しい顔で腕を組んだ。一週間ずっと無我夢中でヒロイン探しをしていたが、今思うとあまりヒロインについて詳しくなかったのかもしれない、と気づいたのだ。


 ベルフレイアにしてみれば、学園に入学すれば必ずヒロインに会えると信じて疑わなかった。それが叶わず、いざ探そうにも情報が足りなさすぎる。この乙女ゲームでは、ヒロインの名前や家名さえも好きに変更ができる仕様だったのだ。初期設定の家名は、一応フィオルにそれとなく聞いたことはあるのだが、残念ながら存在しなかった。


 あと彼女が知っている情報は、柔らかい桃色の髪を持っていることと、自分よりも家柄が低かったこと、そして女として最強の人物であること。桃色の髪を持つ者は何人かいたが、ヒロインにしては気迫が足りなかった。実力を隠している可能性も考えたが、それでも底知れぬプレッシャーが滲み出るはずだ。ヒロインなのだから。


 7年間ずっと懸想してきたライバルだからこそ、彼女は学園で見てきた人物にヒロインはいないと断定できてしまった。まさか男装している! と、男子生徒も入学4日目ぐらいから観察してみたが、ヒロインらしき気配はなかった。男子の中に突っ込もうとした婚約者を、必死に止めた苦労人と爆笑する友人。彼らにも協力してもらったが、結果は出なかった。


「ヒロインは、本当にいないのかしら…」

「ベル…」


 本来なら己の未来を脅かすであろうヒロインがいないことに、喜ぶべきなのかもしれない。だが、ベルフレイアの心はぽっかりと穴が開いたように、言い知れぬ虚無感が起きる。彼女にとって、ヒロインとは、ライバルとは、それほどに大きな目標であり、高き壁であった。憧れであったのだ。


「……確かにベルは、打倒ヒロインのためにずっと頑張ってきた。だからその目標がなくなって、迷子になってしまうその気持ちは……協力してきた俺にも少しわかる」

「レイ様」

「だけどな、それでも今までベルが積み重ねてきた日々や努力は、決してなくならない。……ずっと一緒にいた俺だからこそ、ちゃんと断言できる」


 ベルフレイアは伏せていた顔を上げ、不安げな瞳をシュレインに向ける。その眼差しに、彼は口元に柔らかい笑みを浮かべながら、そっと手を差し伸べた。しっかり受け止める、という意思を乗せて差し出された手に、彼女は恥ずかしそうに頬を染めあげる。彼の優しさに胸を打たれた。


 そして、おずおずとその手を掴もうとした時――



「そういえば、ベルちゃん知ってる? なんでも一年生のクラスに入学してから、ずっと事情があって休学していた女の子が、今日から登校するんだってさー」

「本当ですかっ!?」


 突如耳に入ったフィオルの発言に、ベルフレイアの顔も身体も意識もグルンッ、と物理的にも心情的にもひっくり返った。胸の前で手を合わせ、そこから溢れる熱が再び彼女の魂を燃え上がらせる。一度決めたことに対するベルフレイアの行動は、やはり早かった。


「ふふふっ、そういうことですか。ヒロインは、さむらいでもあったのですね。決闘とは、時に非情で熾烈な戦いになると知識で知っていましたが、まさか兵法にも通じていたとは。『一週間遅れの新入生』と言う注目を集めるネームバリューを早々に手に入れ、さらにこの私の意思を、このような方法で揺さぶってくるなんて…。さすがは、最強のライバルです」


 強敵の恐ろしさに、改めてベルフレイアは戦慄した。これほどの戦略を駆使してくるとは、まだまだ認識が甘かったことを認める。ヒロインはすでに、入学前から手を打ってきているのだ。一週間で削られた体力と精神力は、お肌に影響を与えているかもしれない。だが、彼女の闘志は変わらない。足りないものは、この魂の輝きと、根性でいくらでも挽回できる。


「さぁ行きますよ、ヒロイン。このベルフレイア・アルンストの存在を、刻み付けてあげましょう!」


 7年前から推敲を繰り返し、最後まで編集して一ヶ月前に完成させた、常に懐に入れている『果たし状』を、力強く握りしめる。そして生き生きとした笑顔を浮かべながら、ベルフレイアは教室を飛び出していった。


「いやー、ベルちゃん元気になってよかったねー」

「…………そうだな」

「あの、シュレイン。えーと、生徒会長様。学園の代表が、いたいけな生徒の胸倉を掴むのは、どうかと思いま――」

「てめぇ、態とだろう。あのタイミングは、ぜってぇ態とだろぉ……」

「ちょッ、本気で首ッ! 首ィィ!!」


 こうして、本編は始まったのであった。




******




「ここが、最後の教室…」


 勢いで教室を飛び出してしまったが、すぐにヒロインとは、どんな時でも淑女であろうとする人物だと思い出し、歩いて教室を見て回ったベルフレイア。息切れは起こしていないが、脈打つ心臓に、深く深呼吸をしながら教室の中を覗き見た。


 昼食中だからか、多くの生徒がお弁当を広げながら談笑している姿が目に入る。全員チェックをした者ばかりで、もしかして食堂に行ってしまったのだろうか、という考えが彼女の頭に浮かんだ。


「アンスリウムさんのお弁当、すっごく可愛らしいですね」

「その、ありがとうございます。……嬉しいです」


 だが、すぐに聞き取った声が彼女の足を止めた。鈴を転がしたような優しさを感じさせる声音。褒められたことを恥ずかしそうにしながら、それでも心から嬉しいと感謝を告げているのだとわかる。言葉を受け取った女生徒も、ほぅとした夢心地で顔を赤くしていた。声だけでこの破壊力。こんな存在感を持つ者は、昨日までこの教室にはいなかった。


 ベルフレイアは改めて目を光らせると、教室の一角に壁ができていることに気づいた。遠巻きに男子生徒たちがちらちらと目を向けている、女子の壁で作られた場所。今日は教室で食べる人数が多いな、と思っていたが、どうやら彼らのお目当てはそこにあったらしい。


 そして教室にいる者たちが、入り口にいたベルフレイアに今度は気づき、目を向ける。集まっていた人垣も教室の空気を感じ取り、入口へと視線が動く。それらの動作により、隠されていた壁がついに解放された。


 人垣の中に囲まれながら、お弁当を広げていた少女と、ベルフレイアの視線が交じり合った。


「あなたが……」

「あなたは……」


 セミロングの淡い桃色の髪が、開いた窓から流れた風に揺れる。オレンジがかかりピンクと混ざり合ったような、まるでインカローズと呼ばれる宝石のような瞳。髪の色も合わさり、コスモスのような庇護欲と可愛らしさを感じさせた。だがそこに弱さはない。線の細さの中にしっかりと地に足を付け、根をつける強かさがある。


 ベルフレイアは、直感した。魂が震えた。今まで漠然としていたライバルの顔が、存在感が、声が、姿が、目の前の彼女へと置き換わっていく。果たし状を握り締める手に、汗が滲んでいった。泡立つ心が、歓喜と興奮と、そして畏怖を彼女に感じさせたのだ。



「あなたが、……ヒロインなのね」

「……ベルフレイア・アルンストさんね。初めまして」

「――ッ!? は、初めまして。他クラスの私を知ってくれているなんて、光栄です」

「あっ、もし気を悪くさせてしまったのなら、ごめんなさい。一週間休学をしていたから、スタートが不安だったの。だから、暇な時間にいただいた資料と名簿から、一年生や役職に就いている上級生や先生方は、覚えるように頑張って…」


 ベルフレイアの驚きから、目の前の少女は眉を下げて、謝罪を口にする。そして椅子から立ち上がり、ゆっくりとした足取りで入口へと歩みを進めた。全身が映ったことで、身長は同じぐらいであることにお互いが気づく。ヒロインの少女が発した言葉を理解していくにつれ、ベルフレイアの背に冷や汗が流れた。さらりと告げられたスペックに、身体が強張ってしまう。


 だが、それでこそ超えるべきライバルなのだ。ベルフレイアは呑まれている自分自身を叱咤し、小さく息を吐いた。そして真っ直ぐに目の前の少女を見据え、腰を折って優雅にお辞儀をする。洗練されたその動きに、それを見ていた教室の生徒たちが感嘆を溢した。


「改めてご挨拶を。私はベルフレイア・アルンストと言います。よろしくお願いします」

「こちらこそ、まだ名前を名乗っていませんでした。私はシャーナ・アンスリウムと言います。よろしくお願いしますね」

「はい、こちらこそ」


 力強く返事をするベルフレイアと、嬉しそうに微笑むシャーナ。どこか対象的でありながら、近しい雰囲気がある彼女たちに、周りは息を呑む。ようやくベルフレイアに追いついたシュレインたちも、その光景に驚きながらも見守る体勢になった。本当にヒロイン(超人)なんていたのか、という感じで別の意味で驚く婚約者がいた。


 それは例えるのならば、天に輝く太陽と月。それぞれが天を魅了する美しさでありながら、互いがそこにいることに不自然さが湧かない。共存しながら、しかし決して混じり合うことがない存在。共に高め合い、時に競い合う、まるでライバルのような関係。


 時間が止まったかのように、互いの視線を絡ませる彼女たちに、周りもシリアスに状況を見届けようと呼吸の音さえ最小限に抑えた。大勢の観衆の中、ついに邂逅したヒロインとライバル。


 そして、彼女たちは――



『くっ……!』


 いきなり、同時に膝を折った。


「そんな…、毎日バストアップのために腕・脇腹・胸・背中を欠かさずストレッチしていたのに。服の上からでもわかる豊満さ。トップの位置。弾力を感じさせる、それでいてかたちを崩れさせないような程よい筋肉の付き具合。一体、今までどんなストレッチ方法をっ……!」

「まさか…、毎日ヒップアップのために上半身・下半身・骨盤・背中を万遍なくストレッチしてきたのに。服の上からでもわかるキュッとした丸み。均整のとれた大きさ。ヒップラインの美しさが、見事な曲線美を描いている。一体、今までどれほどの修行をっ……!」


 胸を抑えて悔しがるベルフレイアと、お尻を抑えながら苦悶するシャーナ。言葉を失う観衆を完全放置で、賛辞と悔しさと、ストレッチ情報の交換をし合う彼女たち。真っ先に回復した女子たちが、その内容をメモ帳に必死に書き写す。あまりの高速執筆に、手がぶれていた。


 衝撃がお互いを襲った、完全に五分の闘い。彼女たちは折ってしまっていた膝に力を入れ、勢い良く立ち上がる。その目に宿るのは、まさしくメラメラと燃え上がる闘志。ふふふっ、と不敵な笑みを浮かべるベルフレイアと、くすりっ、と柔らかく微笑むシャーナ。


 ――全員の頭の中に、カーン、とゴングが鳴り響いたような気がした。


「会いたかったわ、ヒロインッ!!」

「負けないわ、私のライバルよッ!!」


 それは、頂上決戦の幕が開けた瞬間でもあった。



「わぁ……、あの子絶対にベルちゃんの同類だねー。超燃えているー」

「なぁ、この世界なんかおかしくないか。こうなんか、根本的なところが破綻しているというか……」

「会長ぉー。現実逃避中悪いけど、そろそろ昼食時間が終わりそうなんだよねー。……俺ら、結局何にも食べていない気が」

「…………」


 無情に鳴り響く予鈴のチャイムに、この教室にいた者たち全員が、半分も食べ終わっていない弁当や購買の品を見つめる。それから静かに涙を流した。そんな多くの被害者を出した初戦の睨み合いは、原因二名へと振り落とされた保護者の鉄拳で、収められたのであった。



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