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聖夜の三日月
作:貴水 玲


「えーっ、冗談でしょ!?」

 両手を顔の前で拝むように合わせ「ごめん!」と切り出した祥子に、わたしは唖然とした。

 眠いだけの退屈な講義から解放されて、大教室はざわついていた。
 いつもより増して騒がしいのは、今日が12月24日だからだろう。

「どういうこと? 今日予定キャンセルって」

 お祭り気分ではしゃいでるいくつかのグループたちの間で、わたしは腕組み仁王立ちというスタイルで149センチという小柄な祥子を見下ろしていた。

「ごめんね! 実は昨日、タケちゃんから電話があって……クリスマス一緒に過ごさない、って……。もうダメだと思って諦めてたのはホント! でもね、向うも誘おうか迷ってたんだって。それで、……ね。ほんとごめん、ミユキ!!」
 
 拝みポーズのまま、祥子が上目遣いにわたしを見た。

「朝まで二人で飲み明かそう、って言い出したの祥子じゃない。……なぐさめ会してくれるって」

 最悪、イブに一人ぼっちなんて。ずるいよ、二週間前から約束してたのに。
 
 そう言いたかったけど、わたしはその言葉を飲み込んだ。
 祥子がバイト仲間の武田くんのことをどれだけ好きかは高校からの親友であるわたしがよく知ってる。大学に入ってから二年、こうして特別な日に誘われるのを待っていたのだ。
 神妙な顔でごめんを繰り返しているけど、祥子はどこかそわそわして舞い上がっている気持ちが隠し切れないのがわかる。それは腹立たしかったけど、仕方なくわたしは言った。

「わかったよ、仕方ないね」

「ありがと〜〜ミユキ! でもほんとごめんね!! 埋め合わせはちゃんとするから!」

「葛西の講義の代返、三回。それから学食の幻のCランチで手を打つ」

「するする! ノートもつける! ついでに売り切れ御免のジャージー牛乳プリンも!」

 まったくでれーっとした顔しちゃって。こんなの見せられたら駄目、なんて言えるわけないじゃない。……素直でかわいいな、祥子は。

 わたしの返事にほっとした祥子は、急いでテキストを抱えてヴィトンのボストンを持った。

「じゃあ、あたし先に行くね! タケちゃんが門に車で迎えに来てくれるんだ」

「はいはい。いいから早く行きなよ、変なことして振られないよーにね」

 わざと膨れっ面をして追い払おうとすれば、満面の笑顔で頷いて祥子は教室の階段を駆け上っていった。
 教室はもうあっという間に人が退けて、わたしたちだけになっていた。このままじゃ余計みじめな気がして、わたしは急いでトートバッグにテキストを入れた。

「あ、ミユキ!」

 バッグを持とうとした時、上から祥子に呼ばれた。

「そろそろ直史なおふみくんと仲直りしなよね! あんたたち、このまま別れたら絶対もったいないよ。まだ間に合うよ!」

 そうお節介な一言をわたしに投げかけ、祥子は教室を飛び出して行った。


 

 アパートに帰ろうと思ったけどそれも寂しくて、わたしは一人で夕暮れの街に出た。
 どこもかしこもクリスマスカラーの溢れる街の中心部は人で溢れていた。道行く若いカップルたちは皆楽しそうに通り過ぎていく。
一人ぼっちなんてわたしくらいだろう。そう思いたくなるくらい賑やかな通りは、わたしをいっそう落ち込ませた。
 別にクリスマスなんて関係ないじゃない。キリスト教徒でもないのに。外国ではねえ、ほんとは家族で過ごす日なんだから。
 そんな皮肉ばっかり浮かんでくる。やっぱりがっかりする気持ちは否定できなかった。
 9階建てのデパートに入ってわたしはエスカレーターに乗った。昇っていく途中横の鏡の壁に映りこんだ自分の姿を私は眺めた。
 今日は祥子とおしゃれなバーにでも行こうなんて話してたから、ばっちりお洒落してきたのに。めったにはかないミニスカートも、この間買ったばかりのファーつきの白のコートも全部無駄になった気がする。髪の毛だって、頑張って巻いたのに。
 後ろも前もカップルばかりだった。限りなく憂鬱な気分で、空いた自分の隣をわたしはそっと見た。
――去年のこの日、隣には直史がいた。いや、ケンカ別れした二カ月前まで。

 直史とわたしは高校二年生の時同じクラスで出会った。
 あの頃はケンカ友達という感じで、顔を合わせれば憎まれ口ばっかりたたいていた。相性が悪いんだと思っていた。
 でもだんだん距離が縮まって、お互いに意識し始めて。それがきっかけで付き合い始めたんだ。学部は違うけど大学も同じになって、お互い一人暮らしを始めて、付き合って四年。いつも一緒、それが当たり前だった。ずっとそうだと思っていた、でも――

……道はやっぱり、ずっと一本ていうわけじゃないんだね。

 
 7階の雑貨売り場でわたしは降りた。
 いつもはかわいい生活雑貨がたくさん売っている場所は、今日はやはりクリスマスのグッズだらけになっていた。
 ツリー用のオーナメントが並ぶ一角に、天井に届きそうなほど大きなツリーがあった。これでもかというほど飾りつけされた派手なツリーをわたしは見上げた。一番上には大きな星が載っていて、七色に光っている。

 毎年クリスマスには、直史のアパートにあるツリーに飾り付けをするのが恒例だった。飾りは毎年少しずつ二人で買った。去年は雪の結晶と、トナカイだったかな――

 ぐるりとツリーを一回りしていた時、私の目に一つのオーナメントが飛び込んできた。

“ 幸せの白いハト ペアでどうぞ ”

 お店の人が作ったらしいポップのついた、白いハトがはばたいている形のオーナメントだった。
 
 あの映画みたい。
 とっさにそう思った。直史とクリスマスにいつも見ていた『ホームアローン2』という映画。
 映画の中で、一人ニューヨークに来てしまった主人公のケビンがおもちゃ屋に行くシーンがある。そこで恵まれない子供たちへの寄付をしたお礼に、ケビンは店の主人から二羽の白いハトのオーナメントをもらうのだ。
『一羽は自分が、一羽は大切な人にあげるんだよ』
 店主はケビンにそう言う。

 反射的にわたしはもう一個ハトがないかと探した。だがツリーにも、売り場にも見当たらない。店員に聞いたが、人気商品で入荷するたびにすぐ売り切れてしまうのだという。

――やっぱりそんなにうまくいかないよね。
 
 もう一つ見つかれば、もしかしたら直史と仲直りができるかもしれないなんて。自分から「別れる」なんて言って離れたくせに。
 今年も一緒にツリーを飾りたいってまだ思ってるんなんてばかみたい。
 そう思いながらも気になって、わたしはその一羽のハトを買った。



『オレさ、アメリカの大学に編入しようと思うんだ』
『なにそれ……いつ?』
『……来年。もう手続きは済んでるんだ』

 

 直史に別れると言ったのは、それがきっかけだった。
 とりつくしまもない話だった。わたしにそう話した時のはすでに、直史は留学を決めていたのだ。しかも卒業するまで帰って来ないという。
 卑怯者。
 そう思った。
 置き去りにされた気がしたのだ。許せなくて、ありったけの言葉を叩きつけて直史のアパートを出た。
 それから一度も口を聞いていない。何度も電話がかかってきたけど出なかった。学食で会っても無視した。
 一ヶ月たって、電話はぷっつりと来なくなった。

 デパートを出るともう外は暗くなっていた。
 街路樹のイルミネーションが灯り、街は幻想的な雰囲気に満ちている。クリスマスモード一色の街を私は歩き出す。 
 並んで歩くカップルを見るたびに直史のことが頭を過ぎる。もうこのままなんだ、とわかっていても。
 ――きっとそれは、後悔しているからなんだろう。
 駅に近い道沿いの店はどこも混んでいた。白ひげにバッハみたいな巻き毛のかつらをつけたサンタクロースが道行く人にポケットティッシュを配っている。その後ろにある洋菓子店は、雑誌やテレビで何度も紹介された人気店だ。いつも混んでいてすぐ売り切れるから、まだ一度も食べたことがない。――今度一緒に行こうね、って直史に言おうと思ってた。
 駅に向かう足を止めて、広場にたつ大きなツリーの下にわたしは座った。
 ここから早く抜け出したい。でも一人は寂しい。よくわからない気持ちだった。

 直史がいつか留学したいと思っているのは知っていた。
 偏差値の高い英語学科に入ってから、熱心に英語の勉強をしていたことも。一度決めたら決心を曲げない性格だということも。
 だからよくケンカした。わたしよりも勉強勉強で、本当はそれは嘘で浮気してるんじゃないかって疑ったこともあった。その度にひどく怒られたけど、でも直史はいつでもちゃんとわたしの不満に耳を傾けてくれた。

 一人、一人ツリーの下に座っていた女の子たちがいなくなっていく。みんなやってきた男の子たちと手をつないで。わたしだけいつまでも取り残されたまま。

――なんで聞いてあげなかったんだろう。

 誰もいない空をわたしは見上げた。今にも雲に隠されて消えそうな細い三日月が浮かんでいた。

 直史が頑張っていることは誰よりもわたしが知っているはずなのに。
 どうして耳をふさごうとしたんだろう。直史はいつも私とまっすぐ向き合ってくれたのに。
 どうして失ってからしか気付けないんだろう。
 卑怯者は、わたしだ。
 
 直史はきっとわたしに、言えなかったんだ。傷つけたくなくて。

 離れていたって、同じ空の下にいる。
 わたしがこうして月を見上げている時は直史は太陽の下にいて、その太陽が昇ればわたしが見ていた月を直史が見てる。
 それだけのことだ。
 でも、そのことに小さな幸せを見出せるようになるまで、わたしは何度も泣いたりするんだろう。
 会いたくて、でも会えない距離に、胸が千切れる思いをするんだろう。
 時間がたてばいつか平気になる。
 けれどそんな先のこと今考えようとしても無理だ。

 会いたい。
 今すぐ会いたい。

 先のことよりも、今会いたい。話したいことが溢れてる。

 わからずやでごめんね、って。
 この二ヶ月、本当は寂しかったって。
 ……頑張って、って。
 それから、

 大好き。

 それだけでもいいからもう一度伝えたい。
 涙が溢れて三日月が滲んだ。
 急に寂しさが込み上げて、イルミネーションの街で声を上げて泣き出しそうになった時だった。

「魔法のティッシュをあげましょう」

 突然目の前に、ポケットティッシュが差し出された。
 驚いてわたしは目線を下ろした。

「……なーに泣いてんだよ」

 立っていたのは、さっきティッシュ配りをしていたサンタクロースだった。
 長く白いひげとかつら、赤い服を着てだるそうにわたしを見下ろしている。

 この声。

 引っ込みかけた涙がぶわっと溢れてきた。きっとすごいマヌケな顔をしてるんだろうわたし。マスカラも滲んじゃってるかもしれない。
 でも止まらなかった。
 人目も気にせずぼろぼろ涙をこぼすわたしの前で、そのサンタは困ったように頭を掻いて付けひげを外した。

「なんかオレが泣かしたみたいだろ。ほら、拭けよ。鼻水も」

 ぶっきらぼうに差し出されたティッシュをわたしは受け取った。
 直史だ。
 直史がいる。困った時にこうやってへの字に口を曲げるのも、こんな時に優しい声一つ出せないのも、わたしがよく知ってる直史だ。

「……あんたのせいだよ」 

 涙を押さえながら私は言った。「なんでこんなとこにいるの」
 すると直史は行列の出来ている人気の洋菓子店を指差した。

「サークルのセンパイがさ。今夜バイト代わってくれたら、前に予約したあそこのケーキ譲ってくれるって」

「なんで……?」

「だって、お前食べたいって言ってたじゃん」

 たんまりとティッシュが入った大きな白い袋を、直史は肩から降ろした。

 鼻の奥がつーんと痛くなって、また目の前が曇った。街路樹を覆っている星屑のようなライトたちが瞬く間にかすんでいく。

「それ持って謝りに行こうと思ってた」

「……なんで? 謝るのはこっちじゃない」

「違うんだ」

 ズボンのポケットに両手を突っ込んで、無愛想なサンタは俯いた。

「ミユキに最初に話すべきだったのに、なかなか言えなかったオレが悪いよ。だけど、このまま別れるなんて嫌だったから。もう一回ちゃんと話したくて」

 落ち着かない様子で体を揺すり動かしながら、直史は右のポケットから何かを取り出した。

「今年も一緒にツリーの飾り、つけよう。来年も、その次も一緒に過ごしたい」

 小さな白いハトが目の前に揺れた。
 これは偶然?かじかんだ手で私はコートのポケットを押さえた。

「これ……」

「……昨日見つけた。もう一羽探したんだけど、売り切れてて。ほら、『ホームアローン』に出てくるのに似てるだろ。今年はこれしかないって思って」

 ポケットの上に置いた手を中に入れ、わたしはもう一羽のハトを取り出した。

「それ」

 驚いたように直史が私の手の中を覗きこんだ。

「……わたしも買ったの。でも一個しかなくて」

 なんだよ、と直史が笑った。わたしも笑ってから、わたしたちは確かに繋がってると気付いた。

「メリークリスマス」

 直史が言った。
 
 ねえ、思いの力は距離に負けないかな。
 ふたりなら頑張れるかな。

「それ、オレにくれよ。ミユキのはこっち」

 わたしの手の平のハトをすくいとって、直史は自分の持っていた方をわたしに渡した。

「帰ってくるよ、クリスマスには必ず。それでも寂しきゃ会いにくればいいんだし、電話だってメールだってある。距離なんてさ、乗り越えようと思えば出来るんだぜ」

 こんなによく喋るやつだっけ? 直史って。
 顔が赤い気がするのは気のせいかな。

「うん」

 照れたように目を泳がせている直史を見て、白いハトを握りしめてわたしは思わず笑った。ついでにまた涙が出たけど、今度は悲しくはなかった。そんなわたしの頭を、直史がそっと撫でるように叩く。
 泣いている場合じゃない。
 言いたいことがたくさんあるんだよ。

 わからずやでごめん。頑張って。待ってるから。週末には電話してね。手紙書くから。もう泣かないよ。強くなるから――それから――


「……メリークリスマス、直史」

 
 雲を払い除けた淡い三日月が、穏やかに私たちを見下ろしていた。


Merry Christmas☆
すてきな一日が、あなたに訪れますように。













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