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辺境の街にて  作者: 山本ヤマネ
二番目のお話
25/29

02 とある大地人の村にて

17.09.06 再始動のため書き直したり構成しなおしたり

「くしゅんっ」


 唐突に鼻先をかすめた乾いた風のせいか、路面の水たまりに反射した強い日差しが視界の真ん中を射抜いたせいか、私は思わずひとつ小さなくしゃみをする。


「ヤエ様、風邪ですか?」

「うんにゃ。どうせ誰かがなんか噂してるんでしょ。まあクシじゃないかな~」


 私と一緒に馬車の荷台の後ろに足を放り出して座っていたリーネちゃんが、心配そうな顔をして私の顔を覗き込んでくる。

 太陽の位置からすると、もう正午からも数時間が過ぎた頃だろう。クシやリーゼたちもそろそろテンプルサイドの街に到着するころだ。

 今ごろ私に対して文句の一つや二つや三つほど言ってるに違いない。


 リーネちゃんに向けていた視線を戻せば、そこにはゆっくりと流れて行くのどかな街道の景色が広がっている。

 左右に広がる畑に一定の間隔で植えられた低い灌木は、多分オリーブかなにかだろう。イタリアあたりを旅するテレビ番組で同じような景色を見た事があるような気がする。

 こっちの世界の気候は現実の日本とは似ているようでちょっと違う。それは、この付近の村から集まってくる農作物の種類からも伺うことができる。

 まあこのオリーブも加工しないと食べる事ができなくて、街の倉庫には不良在庫として積み上げられちゃっているんだけれど。


「……やっぱりクシ様になにも言わずに急に休暇なんて頂いてしまうのは、良くなかったのではないでしょうか?」

「いーのいーの。実際リーネちゃんたちは働き過ぎだし。もっと力抜いて適当に生きないと損だよ~」


 不安そうに表情を曇らせるリーネちゃんの背中をとんと叩いて、私は笑いかける。

 彼女は、というか屋敷の〈大地人〉たちは勤勉すぎると思う。まあ、そういう人をマジメ筆頭の執事さんが選んで雇っているってことなのだとは思うんだけれど、リーネちゃん、ユーリちゃんのメイドコンビをはじめ、日を追うごとに増えていく雑務をこなすために後から雇った数人の〈大地人〉たちも、びっくりするほど仕事熱心だ。

 こっちの世界には労働基準法なんてものはないし、雇用主がそれで罰せられるとかいうこともないのだけれど、そう真面目に働かれてしまうと気分的に私がサボりずらい。意識の改善が必要だ。

 というわけで、まずは手始めに「いつも頑張っているユーリちゃんのご両親にお礼もかねて挨拶に行くツアー!」というイベントを強行するに至ったのだ。

 今回の参加メンバーは急な企画だったこともあって、私とユーリちゃんを含めて五人だけという小規模になってしまったけれど、次のプランはもうひとりのメイド、リーネちゃんの要望も聞いてもっと規模を大きくしたい。


「ヤエのお姉さんはテキトーすぎと思うです」

「さぼりんぼなのです」


 そうやっって心のなかでぎゅっとこぶしを握りつつ決意を新たにしていると、御者台に座るヒギーちゃんとミダリーちゃんがこちらに振り返り、いたずらそうな表情を顔に浮かべて話に割り込んでくる。

 この双子は、〈太陽の軌跡(サン・ロード)〉の末っ子的な存在だ。実際の年齢もギルドの中で一番下だし、現実世界でも兄か姉がいたらしく年上の人間と接するのにとても慣れているように見える。何が言いたいかというと、とても甘え上手なのだ。


「えー、そんなことないじゃん。ていうかミギヒダの狩りには随分付き合ってると思うんだけど。なんだか感謝がたりないんじゃない?」

「ヤエのお姉さんはすごい美人さんです!」

「おまけにとっても頭のいいサイジョさんなのです!」


 私がちょっと口をとがらせると、二人ははびしっと背筋をのばし、声を合わせてそんなことを言う。私が言うのもなんだけれど、そういう所はとってもあざといと思う。

 しかし、この双子もリーネちゃんたちとはちょっと違う意味ではあるけれど勤勉ではある。〈太陽の軌跡〉のメンバーの中でここ一ヶ月の間でいちばんレベルを上げているのはこの二人なのだ。

 毎日誰かを引っ張り出しては熱心に狩りに出かけていて、一番低かったはずのレベルは今ではもう四〇ちょっとまで上がり、ギルドの中では中堅レベルにまでなっている。

 私とユウタ君もそれには何度か付き合わされている。今この荷馬車を引いている二匹の巨大なアリのモンスターも、そんな冒険の際にドロップした〈双紅蟻の縦笛クリムゾン・リコーダー〉を使って呼び出したものなのだ。

 私にはよくわからないセンスなのだけど、どうやら彼女たちは〈エルダー・テイル〉の召喚系のモンスターの中でも蟲系のものがだいぶ気に入ったらしく、随分と喜んでいた。

 あの表情がすこしも浮かばない複眼の顔や、まるでエイリアンのような外骨格は、どう考えても可愛くなんかはないと思うんだけれど。


「まあ、ヤエがそこまでサボっているとは思いませんが、ちょっとクシさんに甘え過ぎかもしれませんね」


 そう言って微笑むのはこのツアー五人のうちの最後の一人、〈戦馬の角笛〉で呼び出した軍馬に(またが)り、荷馬車の少し後ろを守るように歩を進めるユウタ君だ。


「クシは暇にさせておくと妙なこと考えて変なこと起こすから、ちょっと忙しくさせとく位が丁度いいんだよ。まあ私も少し書類仕事とかは飽きてきたかな~とか思ったりもしたけどさ~」

「まあ、そういうことにしておきましょうか」


 ユウタ君は小さく肩をすくめると馬の両腹を軽く足で蹴り、私たちの乗る荷馬車を追い越していく。

 一緒に荷馬車に乗っていてもいいのにわざわざ自分用の軍馬を呼び出して乗っていたり、さっきから私たちからはあまり離れない範囲ではあるものの、前へ後ろへと小走りで動き回ったりしているあたり、ずいぶんと乗馬が気に入ったらしい。

 物腰も柔らかく優等生と見られぎみなユウタ君だけれど、実は相当マイペースで子供っぽいところもある。まあ私としてはそういう所も嫌じゃないというか、好きな部分のひとつだったりするんだけれど。


 左右の畑からは一段高くなっているこの街道は、はるか昔にはもっとしっかりと舗装されていたのだろう。その大半は土に埋もれてはいるけれど、ところどころには隙間なく並べられた石が顔を出している。その小さな段差に荷馬車の車輪ががたりごとりと不規則に揺れる。

 特に装飾もされておらず、見た目は地味なこの荷馬車だけれど、実はわざわざマイハマまで行って購入した高級品だ。テンプルサイドの街で使っている他の馬車とは違って、原始的ではあるもののサスペンションのような機構も備えている。

 その少し柔らかな揺れを身体で感じつつ、私は身体を後ろへ倒し、ごろんと寝転がる。


 荷馬車のきしむ音に混ざって、私の耳に入ってくるのは、フルートのような澄んだ高い調べ。東京に出てきてからはあまり耳にすることはなくなってしまったけれど、あれはヒバリの鳴き声だろうか。

 そんな風にまどろんでいると、不意に馬車の歩みが止まる。

 手綱を引かれた〈双紅蟻〉がきしきしと機械的な音を立てるのに混ざって聞こえるのは、御者台に座る双子の声だ。


「あ、またあったのです。ユウタのお兄さん、このお地蔵さんみたいなのはなんだと思うですか?」

「うーん、僕もわからないですね。随分と古そうですけど、距離標みたいな物でしょうか」


 前方から聞こえる声に身を起し、荷馬車の外に顔を出して外を覗けば、そこにあったのは街道の横に寄り添うように建てられた小さく簡素な木組みの(ほこら)のようなもの。その中にある像は仏教のそれとは造形はちがうけれど、確かにお地蔵様のように見えなくもない。


「あれは〈道祖童子〉(ガーディアンノーム)っていうんですよ」


 その声に振り向くと、私の横で同じく荷馬車の外に身体を乗り出していたリーネちゃんが軽やかに馬車の荷台から飛び降り、その祠の前へと進んでいくのが見える。

 彼女はその祠の前で身を屈めると、両手を組んで祈るかのように両の目を閉じる。


「〈道祖童子〉は街道を往くものをモンスターから守ってくれる道の守り手です。こうやって祈りを捧げるものに護りの祝福を与えてくれると〈大地人(私たち)〉には言い伝えられているんです」


 片膝をつき頭を下げたその姿勢のまま、リーネちゃんは誰に言うでもなく、そんな事を呟く。その姿は普段宗教などを意識することとは縁の遠い日本人としてはあまり目にすることのない不思議な光景で、私は思わず息をの飲む。


「でも本当は、これはずっと昔に造られた魔除けの結界を発生させる装置なんだそうです」


 そんな厳かな雰囲気すら漂わせる祈りのあと、ふと立ちあがったリーネちゃんは、普段の表情に戻ったあとにそう言って笑う。


「この装置を〈街道の守り手〉(ホドフィラクス)という方たちが定期的に見てまわって、この街道をモンスターから守ってくださっているんです」


 リーネちゃんはどこか自慢げにそう言うと、何事もなかったかのように馬車の荷台に駆け戻る。


「あい。では先を急ぐです」

「日が落ちるまでにはリトリバーの村まで辿りつかなくてはならないのです」


 私と同じく、そんなリーネちゃんの姿に呆けていた御者台の双子が、ふと我に返ったかのように〈双紅蟻〉の手綱を引く。

 再び動き始めた荷馬車。再びゆっくりと後ろに流れて行く街道の風景。


 そんな中、私の耳はとても小さくリーネちゃんが息をのむような音をとらえる。

 振りむいた先には、驚いたような表情のリーネちゃんの顔。その視線は、さっきまで彼女が祈りをささげていたあの祠へと向かってている。


 つられてその祠の方へと振り向いた私の眼は、一瞬、ほんの一瞬だけリーネちゃんと同じくらいの背丈の人の影が、祠の影から私たちを覗き見ていたのをとらえたような、そんな気がしたのだ。



 ◆



リーネちゃんの故郷、リトリバーの村に私たちが辿り着いたのは、地面に落ちる影も随分と長くなった夕暮れ時だった。

 位置は現実世界でいえば、東京都の立川市あたりになるだろう。この一帯に点在する他の集落と同じように、木造の簡素な建物があまり間隔を空けずに身を寄せ合うかのように並んでいる。

 その外側に広がるのは地形の高低差や水路に沿うようにして不揃いな模様を描く田畑だ。すぐ近くに川の流れるこの村は稲作に適しているらしく、そのうちの半分ほどには稲の苗の緑が波打っている。


 このような〈大地人〉の集落というのは〈エルダー・テイル〉というゲームの事情で言うならば、実際の都市とその人口の分布から、ある程度自動で作成されていた。ゲームだった頃には、自分の住んでいる場所がどのようにゲームに反映されているかなんていうのもよく上がる話題のひとつだった。「うちの街はダンジョンだぜ」とか「アップデートで街が豪華になった俺の実家勝ち組」とか「俺んち一帯、毒の沼なんだが……」とかそういうやつだ。

 そうういう意味では、この立川という場所は他の村よりも少し規模は大きいものの、特別な施設やダンジョンなどもない負け組ということになる。まあ、実際にここに暮らす〈大地人〉からすれば、そんな物騒なダンジョンなんかが近くにあるなんていうのは迷惑以外の何者でもないだろうけれど。


「さてアントニーさん、ここで一旦おしごと終了です」

「アントワネットさんも次に呼ぶまでしばしのお別れなのです」


 双子が〈双紅蟻の縦笛クリムゾン・リコーダー〉の能力を解除すると、今まで馬車を引いてくれていた二匹の巨大な蟻が、こちらを振り向くこともなくそそくさと街道外れの茂みへと消えていく。どうやら双子の注いた愛情は、あの巨大な昆虫たちにはあまり伝わってはいないらしい。あと、アントニーとアントワネットっていうのは蟻たちにつけた名前だと思うのだけど、働き蟻はどう考えても全部メスだと思う。


 というわけで、村人に怖がられてしまいそうな〈双紅蟻〉には退散していただいたあと、私たちは村の中心にあるという名主(なぬし)さんの家を目指して歩を進める。

 街道から村の中心へと続くこの道には、一日の仕事を終えた〈大地人〉たちが行き交っている。私たちの姿に一瞬は驚いた表情をみせる彼らだけれど、こちらを警戒しているような様子はなさそうだ。

 私やユウタ君は初めて足を踏み入れたこの村ではあるけれど、〈太陽の軌跡〉(うちのギルド)の他のメンバーはこの村にも何度か食材の買い付けに来ているはずだ。だからもう〈冒険者〉の姿というのも見慣れたものになっているのだろう。

 ヒギーちゃんとミダリーちゃんなどは、そんな村の中をあっちへこっちへと走り回りながら井戸の中を覗きこんだり、そこらの村人に話しかけたりしているのだが、それへの対応もとても自然なもののように見える。


「おい、あれってフレッドのところのリーネじゃないのか?」

「ああ、街へ出て行った子だな……」

「なんで〈冒険者〉と一緒にいるんだ?」


 ただ、そんな村人の中からちらほらとリーネちゃんを指差しながら囁く声が聞こえてくる。その声にメイド姿で私たちと一緒に歩くリーネちゃんは、びくりと肩をふるわせると身を隠すように私とユウタ君の間に入って顔を伏せる。


「リーネちゃん、大丈夫ですか?」

「は、はい。ちょっとなんだか恥ずかしくて……」


 彼女の様子を心配して話しかけるユウタ君の言葉に、うつむいたまま応えるリーネちゃんの表情はさえない。

 こんな村では全員が知り合いのようなものなのだろう。そんな場所に私たちみたいなのと一緒に戻ってきたのだから、その反応も仕方ないのかもしれないけれど、大切な私の仲間にそういう目を向けられるのはちょっと面白くない。


「まあしょうがないかあ。メイド服のリーネちゃんは超カワイイからね~」

「うう、ヤエ様はいじわるです……」


 だから私は口をとがらせるリーネちゃんの手を取って笑い掛ける。

 せっかく故郷の村に帰ってきたのだ。そんな時に彼女の顔が曇ったままなんていうのは絶対だめだ。


「よしっ。恥ずかしいなら、とっとと抜けちゃおう!」

「うわ、わわっ!」


 そして私はそのままリーネちゃんを引っ張り、正面に見えはじめた村の中でもひとまわり大きな建物に向けて、駆け出したのだ。





 他の村人が知らせたのだろう。ちょっとした広場のようになっている村の中心にある他よりひとまわり大きな家の前には、一人の老人が待ち受けていた。老人とは言うものの背はまっすぐと伸び、体つきもがっしりとしている。その日に焼けた顔を見ただけでも、いまだ毎日身体を動かして働いている人だということがわかる。


「ようこそリトリバーへ。本日はどのようなご用件でございましょうか」


 その彼は小さく会釈をすると、どこか戸惑ったような表情を顔に浮かべる。

 もちろん彼にはそんなつもりはないのだろうけど、その台詞はどこかRPGの村人が言うもののようで、ちょっと奇妙に思えてしまう。


「村長のおじいさん、おひさしぶりです!」

「今日は観光に来たのです!」

「これはこれは、いつぞやの。相変わらず元気でございますなあ」


 私の後ろから飛び出したヒギーちゃんとミダリーちゃんが元気な挨拶をすると、彼の深い皺が刻まれた顔に笑顔が浮かぶ。どうやらこの双子はこの村にも買い出しに来たことがあったらしい。


「ふむ。カンコーというのは私にはよくわかりませんが、この村にはもう秋までお売りできるようなものもございませんし、今は〈冒険者〉の方々の手をわずらわせるような事も起きてはおりませんよ?」

「観光というのは娯楽のための旅行というか。今回は特に何かをお願いしに来たというわけではないのです」

「……〈冒険者〉のしきたりなのですかなあ。あい判りました」


 どこか首をかしげるようにしていた名主さんは、ユウタ君の言葉にとりあえずといった感じで頷く。

 それが何であるか理解したというわけではなく、自分たちの中にはない慣習のようなものが〈冒険者〉にはあると解釈したという感じだ。


「まあそれは良いとして、そんなことより大事な用事があるんだよ。ほら、リーネちゃん?」


 私はきまりが悪そうにユウタ君にの後ろに隠れていたリーネちゃんを引っ張りだす。

 リーネちゃんは少し躊躇(ためら)う仕草を見せたあと、意を決したようにひとつ唾をのみこむ。そして名主さんの前に出ると大きく頭を下げる。


「な、名主さま、お久しぶりでございますっ!」

「おお、リーネではないか。大きくなったのう。それに随分と立派な格好をしておるから判らんかったわい」


 ずいぶんと緊張をした顔で挨拶をしたリーネちゃんの姿に、名主さんは目を大きく見開き、驚いた表情を見せる。しかしそれも一瞬のことで、彼は慈しむかのようにその目を細めると、ごつごつとした手を彼女の頭に乗せた。


「どうだね、あれからは健康にしているかね」

「はい。屋敷の方々にも良くして頂いて、街の人たちもとても親切です。あと、読み書きもできるようになりました」

「ほう、それは良かった。随分と頑張っているようだ」

「いえ、私なんてまだまだですけれど……」


 たぶん〈大地人〉の村の長というのは私が思っているよりも、とても力の強い存在なのだろう。

 名主さんに面と向かって話をするリーネちゃんは、あの一番最初の日に私たちと初めて出会った時か、それ以上に緊張しているように見える。


「リーネ!」

「あ、お父さん! お母さんっ!」


 そんなどこかぎこちない会話が続く中、広場を囲むかのように周りで私たちを眺めていた村人の中から、リーネちゃんの名前を呼ぶ大きな声が聞こえる。

 その声の方を振り返れば、そこには壮年の男女の姿が見える。きっとあれがリーネちゃんの両親なのだろう。

 一瞬そのまま走り寄ろうとしたリーネちゃんは、慌ててその足を止めると名主さんを振りかえる。そして名主さんがリーネちゃんに無言で頷くのを確かめると、手を広げて待つ両親へと走っていく。


「私たちが暮らしてる屋敷で、リーネちゃんにはとってもお世話になってるんです。だから今日はそのお礼の挨拶をしようと思って」

「なるほど、そういう事でございましたか。私たちは村から遠く離れることはほどんどありませんからなぁ。あの子のように街に出した子にまた会うことができるとは思いませんでしたわい」


 そのリーネちゃんの後ろ姿を眺めながら、私は名主さんに話しかける。

 私と横に並んでリーネちゃんを見送るような形になった名主さんは、視線はそのままに、少し今までよりもかしこまった口調で言葉を発する。


「あの子は街で元気でやってますでしょうか」

「はい。いつも笑顔で一生懸命で。とても大切な仲間です」

「それは本当に良かった。仕方がないことではあったのですが、私たちはあの子を村から追い出してしまったようなものなのですよ……」


 そんな事を言う名主さんの横顔に浮かぶ表情は、私には少し嬉しそうにも、少しさびしそうにも見えるものだった。





 ひと夜の宿にと私たちにあてがわれたのは、村の外れにある簡素なつくりの小屋だった。名主さんの家を空けるから使ってくれとも言われたのだけれど、さすがにそれは遠慮させて頂いた。

 この時期は昼と夜との温度差も大きく、まだ夜はそれなりに冷えるけれど、寝袋は人数分は用意してあるし、なによりこの〈冒険者〉の身体はちょっとのことでは風邪も引かない特注品だ。

 特に健康の心配がないのなら、あまり村の人たちに気をつかわせるのは良くないだろうと思ったのだ。


 時期によっては監視小屋として使われると言うこの建物の軒先からは、村の外に広がる田畑を広く見渡すことができる。

 月は細く暗いけれど、そのかわりに夜空には驚くほど多くの星がまたたいている。西に低く見えるでこぼことした黒い帯は、きっと奥多摩あたりの山々が描く影だろう。

 まだそれほどには遅い時間ではないのだけれど、村にはもう灯もまばらで、人が動き回るような気配も感じられない。こんな農村での生活はそれこそ「日の出とともに起き、日の入りとともに眠る」といったものなのだ。

 とはいえまだ現代人の習性が抜けない私たちにとっては寝るにはまだ早すぎる時間だ。

 小屋の中から聞こえてくるのは〈召喚術師〉(サモナー)のミダリーちゃんが召喚した〈紅玉獣〉(カーバンクル)と双子がじゃれあって遊んでいる声。そして、私とユウタ君は小屋の外に転がっていた丸太に並んで腰かけ、テンプルサイドの街ともまたちょっと違う夜の景色を眺めている。


「しかし、この世界の農村の生活というのは、また街のものとも随分と違うもののようですね」

「そうだね~。リーネちゃんの様子も屋敷とはだいぶ違ったし。何か事情もあるみたいだし」


 夜空を見上げながら呟くユウタ君の言葉に、私も同じく顔を空に向けたまま答える。

 まだお互い口にはしていないけれど、考えているのは同じようなことなのだろうと思う。

 ゲームだった頃のNPC。この世界では〈大地人〉と自称する彼らは、その由来がどうであれ、私たちと同じ個々の人格をもつ人間だ。それは間違いはないと思う。

 しかし、お互いのもつ常識や認識の違いというものには、思った以上に大きな食い違いがあるのだ。

 それを理解せずに一方的にこちらが良かれと思ってやったことが、もしかしたら迷惑であったり、許しがたい侮辱だったりしてしまうかもしれない。

 今日、この村でリーネちゃんが戸惑う姿を見るまで、私はそんな当たり前で大事なことに気づいていなかったのだ。


 今まで凪いでいた夜風が、ふと小屋の横をすり抜けていく。

 私は立てた両膝を腕で抱えて、その風に震える自分の身体を小さく丸める。


「……ヤエ?」

「うん、大丈夫」


 心配そうな顔をするユウタ君に私は笑顔で答える。たぶんちゃんと笑顔で答えられたと思う。

 双子は遊び疲れて寝てしまったのだろうか。いつの間にかに小屋の中から聞こえていた騒ぎ声は聞こえなくなっている。

 残るのは、時おり小さく吹く風に揺れる草木の音。それから不規則でどこか寂しいげな虫の声。


 どれだけそうやっていただろうか。無言で夜空を眺めていた私の耳は、村の方からこちらに向かってくる小さな足音を拾い上げる。村の方向に広がる暗闇の中に見えるのは、ゆっくりと揺れながら近づいてくる小さな灯り。そして暗さに慣れ始めた私の目がとらえたのは、エプロンドレスを着た女の子のようなシルエットだった。

 足元があまりちゃんとは見えていないのだろう。その人影は恐る恐るといった足取りで、こちらへと近づいてくる。


「光の精霊よ、我が魔力に集いて泡沫(うたかた)の姿を表せ」


 私は呪文を唱え、魔法の灯り、〈マジックトーチ〉を呼び出す。両の手のひらの間に出現した球状の灯りは、私の意志に従ってふわりと移動し、こちらへと向かってくるその人影を淡いオレンジ色の光で照らす。


「ああ、良かった。ヤエ様はまだ起きていらっしゃったんですね」


 聞き慣れた声。そして魔法の灯りの中に浮かび上がったのも、見慣れた姿だ。

 それはランタンをかざしながらこちらへと向かってくる、メイド服のリーネちゃんの姿だった。





「やっぱり少し埃っぽいですね。ささっと掃いちゃいたいですけれど、ヤエ様、箒とかなんて持ってきてはないですよね?」

「あー、ないかなあ……」

「じゃあお水を汲んできて、皆様がお休みになられる場所だけでも拭き掃除して」

「ええと、リーネちゃん?」

「それから、転がってる農具は小屋の外に出しちゃったほうが良さそうですね。もう少し部屋の中を広く使える様になりますし……」

「リーネちゃん、ハウス!」

「は、はいっ!」


 小屋の中に入るなりせわしなく働きはじめようとするリーネちゃんを、ちょっと強めの声で押し止める。

 表面上はいつものとおり元気で働き者のメイドさんではあるけれど、今のこれはどう考えても挙動不審だ。


「とりあえず落ち着こう。んでもってシットダウン」

「……はい」


 私の言葉がスイッチであったかのように、リーネちゃんはそれまでの勢いをなくすと、すとんとその場に座り込む。

 再び静かになった小屋の床に、私とユウタくんも静かに腰を下ろす。寝袋に抱きつくようにしてうとうとしていた双子も、寝ぼけ(なまこ)をこすりながらではあるけれど、こちらの様子を伺っているようだ。


「えっと、リーネちゃん今日はお父さんとお母さんのところに泊まるってことじゃなかったっけ?」

「そ、それは……」


 あまり暗い雰囲気にならないよういつもどおり話しかけたつもりだったのだけれど、言葉をつまらせたリーネちゃんからすぐに返事は返ってはこなかった。


「……跡継ぎの兄のところに赤ちゃんが生まれてて、家がだいぶ手狭だったんです。それにお母さんも〈冒険者〉様たちのお世話をしてきなさい、それがあなたのお仕事ですよって言ってくれたので……」


 すこしの沈黙の時間のあと、躊躇うようにしながらもリーネちゃんが答える。

 彼女の顔からはついさっきまでの笑顔は消え、そのかわりに浮かび上がるのは戸惑いの表情だ。


「理由はそれだけなのですか?」


 静かな口調で尋ねたユウタくんの言葉に、リーネちゃんの肩が小さく震える。

 そして、顔を俯かせると弱々しく首を横に振る。


「それから、ええと。なんだかあそこにはもう私の居る場所はないかなって、そう思ってしまって……」


 俯いたままの彼女の表情は前髪に隠れて見えないけれど、口から溢れるその小さな声は掠れてぎこちない。


「え? でもさっきお会いしたご両親は、とても喜んでいたように見えたけど?」

「はい。お父さんもお母さんもとても喜んでくれました。でもそれとはちょっと別というか……」


 再び顔を上げたリーネちゃんはどこか困っているような力のない微笑みを顔に浮かべながら、もう一度首を横に振る。そして、どこか淡々とした口調で言葉を紡ぎ始める。


「この村には、私と同じくらいの歳の子供がいませんでした。私が生まれたころ村の周辺で流行り病が起きて、私以外の小さい子供はみんな亡くなってしまったのだそうです」


 その内容はいつも明るい表情を浮かべている彼女からは想像することのできない重苦しいものだった。

 MMORPG〈エルダー・テイル〉の世界は中世ヨーロッパファンタジーを基本として構築されていた。もちろん特殊な魔法などが存在するこの世界は中世の生活そのままというわけではないけれど、この村のように街から離れた場所では、十分な治療などを受けることも出来なかったのだろう。


「小さな頃の想い出はひもじかったり寂しかったり、そんなものばっかりです。今考えればその流行り病で大人の方も何人か亡くなられてたのだと思います。バルトさんに教わったのですが、働き手が減ってしまった村というのは、とても生活が苦しくなるのだそうですから」


 モンスターが出現することから自由には広げることが出来ない農地。限られた人手。

 あまり歴史が得意ではなかった私には、中世の農村部の生活というものがどういうものだったのかという詳しい知識はないけれど、それが楽なものではなかっただろうことくらいは想像することができる。


「相変わらず生活は大変でしたけど、私が十歳とちょっとになる頃には、村にも少し余裕が出てくるようになりました。でも……」


 そこまで話したリーネちゃんの言葉が止まる。


「でも、この村にも周りの他の村にも同じくらいの歳の子供がいない私には、嫁ぎ先がなかったんです」


 そして、彼女は大きくひとつ息をすると、何かを決心するような、何かを諦めるかのような、そんな言葉を口にする。

 きっとこういった集落というのは、全体が力をあわせて日々の生活を必死に紡いでいるのだ。だから一度働き手のバランスが崩れた集落が立ち直るのには大きな苦労が必要になるのだろう。そして、その崩れたバランスのせいで、村から(こぼ)れ落ちてしまったのがリーネちゃんという存在だったのだろう。


「そんな時、運良く村を訪れた商人さんから街でのお仕事の話を聞いて、本当に運良くお屋敷でのお仕事を頂けたんです。だから、私はこの村に戻ってきて、ちょっと困ってしまったんです。どういう顔をすれば良いのかちょっとわからなくなってしまったんです」


 そう言ってどこか悲しげな笑顔を浮かべるリーネちゃんの姿が涙でゆがむ。

 悲しい気持ち、やるせない気持ち、それから自分に対する腹立たしい気持ち。

 そんな色々がごちゃまぜに渦巻いたキモチに耐えられず、私は思わずリーネちゃんに抱きついてしまう。


「う~、ごめん。私、リーネちゃんがなんで街に働きに出てるのかとか、この村のこととか何にも考えてなかった。何にも考えずにリーネちゃんにいやな思いだけさせちゃったね……」


 それだけじゃない。この一ヶ月、近隣の集落から食料を買い集めたのだって、今考えればすごく乱暴なことだったと思う。売る方も買う方も、どっちも得をする良いことだと私は勝手に思っていたけれど、今までの〈大地人〉の生活のバランスを崩してしまうような危ないことになってしまっているのかもしれない。


「そんなことないです。もう一度、両親の顔やこの村の景色を見たかったっていうのは本当なんです。もう見ることもないと思ってましたから。だから嫌なことではないんです。だからヤエ様にはとっても感謝しているんです」


 でも、抱きついた腕の中から聞こえてきたのはリーネちゃんのそんな優しい声だった。


「村の人たちも米を売ったお金で鉄の農具がたくさん買えたって、とっても喜んでました。〈冒険者〉の方たちのお陰だって。鉄の道具はとても貴重だから村の鍛冶屋さんが何度も直しながらみんなで使うんですよ」


 涙で目を腫らした私の両手をとって、リーネちゃんは優しく笑いかける。


「だからちょっとだけ、ちょっとだけ私が困ってるだけなんです」

「……本当に?」

「本当ですよ?」


 涙声の私を諭すかのようにゆっくりと、リーネちゃんが言葉を重ねる。

 なんだか私があやされてるみたいだ。これではどっちが歳上なのかわからないじゃないか。


「そうですね。良かったこと、悪かったこと。もっとよく考えて進めていきましょう。僕たちはもう始めてしまいましたからね。ちゃんと見て、聞いて、進めていきましょう」


 いままで黙って私たちの話を聞いていたユウタ君が、話をまとめるかのようにぽんとひとつ手をたたく。

 いつかクシが「ユウタさんは最後に良い所をもっていくズルイ優等生だ」なんて言っていたのを思い出して、思わず私は笑ってしまう。


「そうなのです、あんまり得意じゃないけどヒギーも考えるです」

「なんだかよくわからないけれど、ミダリーもがんばるのです!」


 寝っ転がりながらもこちらの話を聞いていたらしい双子が、どこかずれた声をあげる。

 それを見たリーネちゃんの顔にも笑顔が浮かんでいる。

 そうだ。まだ結果がきまってしまったわけではない。始めたばっかりだ。

 こうやって笑いあえるのだから、きっと大丈夫。きっと私たちは上手くできる。


「よっし。じゃあ今日はそろそろオヤスミしようか。だいぶ遅くなっちゃったしね!」

「はいっ!」


 私は目に残る涙を拭いて、ひとつ大きく身体を伸ばす。

 たくさん考え事もしたし、涙も流した。

 こういう時は一旦リセットして、明日からちゃんと頑張るのがいい。

 そう思って〈魔法の鞄〉から寝袋を取り出そうとしたとき、不意に双子が口を開いた。


「そういえばリーネはどうして今日、ずっとキョロキョロしてたです?」

「街道でも村に入ってからも、ずっと何を探していたのです?」

「ふぇっ!?」


 随分と驚いたのだろう。小屋の中に転がる農具をまとめ、眠るスペースを確保しようとしていたリーネちゃんがびくりと身体をふるわせて不思議な声をあげる。


「き、気のせいだと思います! 何も探してたりとかしてないですっ!」

「本当なのです?」

「ものすごく怪しいのです」

「……ううっ」


 一度はわたわたと手を振りながら否定していたリーネちゃんだったけれど、ジト目でにらむ双子に追い詰められて言葉を濁らせる。

 またも俯いた顔には困惑の表情が浮かんではいるけれど、それはさっきまでの悲しげなものではなくて、ただ恥ずかしがっているだけのように見える。


「……ええと、確かに村には同じくらいの歳の子はいなかったんですけれど、一人だけ、ときどき会うことのできる友だちがいたんです」


 双子の視線に耐えられず観念したのだろう。リーネちゃんは顔を赤らめ、手をもじもじさせながら話し始める。


「その子は、この村からちょっと離れたところにある〈街道の守り手(ホドフィラクス)〉の集落の子です。守り手の方々は定期的にまわりの村を巡回なさっていて、それについてきていたモユク君とはそれで知り合ったんです」

「モユク君!」

「男の子っぽいのです!」

「いえ! ただの友達ですよっ!」


 身体を乗り出して目をキラキラさせた双子に、リーネちゃんは慌てて反論する。

 でもそれは逆効果だと思うし、なによりもう耳まで赤くなってるあたり説得力がないと思う。


「こほん。……それからは、ときどき彼が村まで来てくれるようになりました。でも、村の人たちはモユク君と会っているとあんまり良い顔をしなかったから、内緒で隠れて森まで遊びに行ったり、川で魚とりをしたり。私には他に友達はいなかったから、そんなのがとっても楽しかったんです」


 自分でも少し無理があると思ったのだろう。リーネちゃんはちょっと不自然な咳払いをした後、いかにも冷静を装ったといった風な口調で話を続ける。


「そんな彼に何も言えないまま、私はこの村を出て行くことになってしまいました。だからそれがすごく心残りだったんです。それで、そんな都合のいいことはないとはわかっていても、もしかしたらどこかに彼がいないかなって……」


 しかしそれも長くは続かず、リーネちゃんの声はだんたんと小さなものになり、最後にはしぼんで消えるようになってしまう。

 きっと、彼に対する気持ちがただの友人としてのものなのか、それともそれ以上のものなのかは、彼女自身もわかってはいないのだと思う。でも村に同年代の子供がいなかったリーネちゃんにとって、そのモユク君というのは本当に特別な存在だったのだろう。


「ん~、じゃあ明日は、そのなんとかの守り手さんのところに寄っていく?」


 リーネちゃんのいいわけが一段落ついたところで、私はそう問いかける。

 どうせまっすぐテンプルサイドの街に帰ったって怖い顔をしたクシが待っているだけなのだ。だったら寂しい思いをさせてしまったリーネちゃんのためにちょっと寄り道をしていくのも悪くない。


「えっ、えええっ!?」

「ほら、別に明日のうちに帰らなくっちゃいけないわけでもないし。せっかくここまで来たんだからもったいないじゃない?」

「でも、でも〈街道の守り手〉の集落はモンスターの出る森の中だってモユク君も言ってました。危ないからリーネは来れないねって言われてたんですよ!?」

「そんなこと言っても、私たち〈冒険者〉だし。ここらへんに出るモンスターだったら全然余裕だしさ~」

「ですっ! 余裕のへっちゃらです!」

「リーネのボーイフレンドさんに会いにいくのです!」

「だから、そんなのじゃないんですよう!」


 急変する展開をどうにか押しとどめようと、ひとり奮闘するリーネちゃんだけれど、便乗して飛び込んできた双子の勢いまでは止められない。いつの間にかにその双子の片方に抱きつかれ、目を白黒させている。


「ってな感じ。無理とか迷惑だとかはとりあえず放り出しちゃってさ。そうしたら、リーネちゃんはそのモユク君に会いに行きたい?」

「あっ、ええと……」


 とはいえこれだって私が勝手に決めちゃったらいけないことだ。

 私はリーネちゃんの前に座り、彼女の目をまっすぐ見ながら改めて問いかける。

 その私の質問を受けたリーネちゃんは、自分の心の内側を確かめるかのように少しのあいだ目を閉じる。


「……はい。もう一度、彼に会ってお話をしたいです」


 そしてその目が開くのと同時に私に返ってきたのは、まだ少し躊躇(ためら)いを感じさせる小さなリーネちゃんの声と、はにかむような彼女の笑顔だったのだ。


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