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部屋の無い鍵
作者:02
 
 学校を出て、働いて、結婚し、子供の顔、孫の顔を見ながら最期はゆっくり死んでいく。多くの友達が出来、その中で恋をする。必死に働き幸せな家庭を築き、幸せな人生を送りなさい。これが両親から教わった幸せの概念だ。実際、これが王道の人生であり、いわゆる普通の人生だ。ましてや秀でた才能がない僕にとって、この普通にしがみつき、生きていかなければならぬものだ。と意識し続けていた。
 そして、僕はその言葉通り大学を卒業し、見事志望した企業に入社する事が出来た。勝ち組のレール…。までとはいかないものの、これで普通の人生のスタートラインに立った。と思っていたが、この時に確実にパラダイムシフトは進行する。今までの普通が通用しなくなった。不景気、人々の怠惰、便利さと称されるドラッグが今までの普通を蝕んでいった。人々の求めるものがあまりにも肥大すぎて追い付かない市場、人材のふるい分け、その結果人々の不満のはけ口を失い、増大した欲を利用し、自分だけが生き残ろうと相手を陥れる。ノストラダムスの大予言だろうか、終世紀は確実にやってきている。盤石と言われた雇用でさえも、正規雇用が失われつつあり、使い捨てにされる。そこから不安になった人たちが、家庭を持つ事を放棄する。そして誰もが幸せになる理論は覆され、普通に耐えられない人は淘汰され、修正器のように消されていく。怠惰の母集団から選ばれたリーダーは勿論怠惰であり、自らの修正器を基準に考え、生き残る構図だ。と言う話を聞いた。
 幸いにも僕は正社員と言うポストは確保できたし、ある程度友達もいる。将来の家庭はわからないが、確実に普通を噛みしめていた。しかし、社会は思ったよりも厳しいらしく、会社の業績は落ち続ける一方だった。そのせいか、社内はピリピリしており、特に僕の所属する営業部は特に顕著だった。その中でも僕は劣等生だった。押しの弱い僕は、新規の顧客を取る事が出来ず、会社からみたら不要な存在なのだ。そして、会社は近々早期退職者を募っており、それでも足りない場合はリストラも辞さない構えらしい。ご多聞に漏れず、僕もその対象の一人であり、結局普通にしがみつく事が出来なかった。
 どうすればいいのか?僕は人気の無い喫煙室で考える。買ったばかりのセブンスターソフトのビニールを爪で破り、その中の一本を口に含む。あたり一面に煙が漂い、独特の香りを醸し出している。その中で考える。押しの弱い性格などすぐには治せなし、かといって具体的な対策も思い浮かばない。イライラは募るばかりだった。そのイライラは僕の喫煙欲を更に加速させ、次のタバコに手を出そうとしていた。その時、携帯に電話が入る。課長からだった。すぐに課に戻って俺のとこに来い!そう言い残して、電話は切れた。恒例の説教か。そう思いながら僕はオフィスへ戻った。
 オフィスに戻ると、正面に座る課長のオーラが突き刺さる。数枚の書類に目を通し、眉間に寄せた皺が目立つ。皺の数は怒りのボルテージを表わしているらしく、今回は顔じゅう皺だらけなんじゃないか。と思うほどご立腹だ。恐怖心に駆り立てられながらも、僕は課長のデスクへ向かう。
「課長?お呼びでしょうか?」
「おい、お前、これが何かわかるか?」
「…。今月の営業成績です…。」
「そんなもんみりゃーわかるだろ!アホかお前最近新規の契約とってきたんか?」
「申し訳ございません。」
「申し訳ございません。じゃねーだろ。反省だけなら猿でも出来るわ。お前の頭は猿並みか?三か月連続契約取ってないんだぞ!仕事なめてんの?やる気ある?」
「やる気はあります。」
「あります!じゃねーだろ。やる気ある奴が営業成績ゼロなわけねーだろ。」
「申し訳ございません。来月こそは必ず!」
「よし。わかった。」
 沈黙が流れる。酷く重苦しい空気が喉に詰まる。
「おぃ。」
「は、はい!」
「はい。じゃねーだろ。ボーっと突っ立ってる暇があったら契約の一つでもとってこいや。外回り行ってこい。」
「すいません!行ってきます。」
 まるで軍隊だ。この人の下についてしまったと言う不運さを嘆いた。その後、僕は必死に企業へ向かった。しかし、焦りもあってか、行動は空回りに終わった。また怒られる…。そんな恐怖は足取りを重くさせる。それでも会社に戻った時の課長の反応は意外なものだった。
「おい、今日は帰ってもいいぞ。寧ろ明日から三日間休め。これ以上煮詰まったら、お前が壊れてしまうから、休暇をとれ。だそうだ。俺としては不本意だが、部長からの指示だ。一応有給扱いだからな。ゆっくり休め。あと、ひき継ぎは忘れるなよ。」
 「は、はぁ。わかりました。」
 予想外の反応に戸惑ったが、それに従うしかなかった。ある程度のひき継ぎを終え、僕は家路へと向かった。仕事をしなくてもいいと言う開放感もあったのだが、急に休みを貰っても何をしていいのかがわからなかった。友達に会うにしては、あまりにも急な話だし。旅に出るにしては短すぎる。そして至った結論は実家に帰ると言う選択肢だった。電車で3時間もあれば帰れる場所だったが、仕事の不調、生活の忙しさなどが起因となり、帰る事が出来なかった。流石に実家に帰らなければまずい。と言うのと、たまには親孝行をしないとな。と考え、結局実家へと帰ることにした。そして実家に電話をかける。数回のコールが鳴った後、もしもし。と言う声が聞こえる。電話に出たのは母だった。
「もしもし?」
「もしもし。息子です。」
「あら?久しぶりだね。今日はどうしたの?」
「突然だけど、今日の夜帰るよ。休み貰ったんだ。」
「あら?そうなの?何時くらいになりそう?」
「多分、夜一〇時くらいになると思う。急な話でごめんね。」
「いいわよ。全然。あんたの大好きなカレー作っとくね。ところで仕事頑張ってる?ごはんはしっかり食べてる?」
「…。順調だよ。最近は大手の契約取って来てさ、課長に褒められてさ、いい感じだよ。」
 言葉が詰まる。相手を喜ばす為の嘘だとしても、流石に罪悪感が出てくる。本当は、契約が全く取れないダメ社員でリストラまっしぐら。上司も怖いし、今すぐにでも辞めたいし、逃げたい。孤独だ。助けて!そう叫びたがっている自分を押し殺し、必死に演技する。喜んでくれればいい。そう思い続け、必死に嘘をつく。
「仕事は楽しいよ。ご飯もちゃんと自分で作ってるし。忙しいからさ、休みの日に煮物作って、それ食べてるって感じだけど。」
「そう。よかった。そういえば、隣の内藤さんがね…。」
 母のたわいもない長話が始まった。女性は話し好きらしく、また、年齢に比例して、厚かましさと量が比例するらしい。実家にいた時にいたときはそれが煩わしくて仕方なかったが、心が枯れ切った今となっては、そこに雨が降り、潤いを与え、愛らしく感じてくる。そんな長話が三十分近く続いたが、僕はそれを嫌がることなく聞く。電車が来たのでやむなく切ったが、それでも久しぶりに誰かと話せた事は嬉しかった。
 電車の中で、僕が考えたのは課長のことだった。仕事を忘れるために休んだにもかかわらず、最初からこれかよ。と嘆きながらもやむなく考える事にする。課長は新入社員の時から営業がうまく、営業成績は常にトップだったらしい。その為、営業成績のみが基準のわが社にとって課長はまさに重宝すべき存在だった。そして着実に出世し、主任、係長時代は「戦う集団」と銘打ち、パワハラも辞さないまでの強行的な姿勢で、部下を育てていったらしい。たまたまそれがフィットし、営業成績を伸ばし、ついには三十歳で課長になる。と言った華々しい経歴だ。中には耐えきれず辞めたものもいるらしいが、それに関しては深くは語られていない。一般的に言えば、これは非倫理的であり、暴力的なのだが、それでも成果を出しているのだから上層部は文句も言えず、このスタイルを黙認している。そんな課長のスタイルは、仕事は盗むものだ。上司や同僚のワザを盗み、自分で考えて動け。そうすれば、自分のやり方が確立され、成績が伸びる。との事だ。基礎は教えず、とにかく動け。盗め。と言う考えだ。そんな考えに反対する者もいるらしく、「名プレーヤーが名監督とは限らない。彼のやり方はあまりに非道で無責任だ。」と反対する者もいれば、彼を教祖のように扱い、課長イズムの信者と化している者もおり、意見が割れている。そんな課長への対策は…。と考えてはみたもののあまりに馬鹿らしい上に、結局憂鬱になるので思考を止める。虚しく溜息をつくのも苦しかったので、次は楽しい事を考えるようにした。
 僕の絶頂期は高校生の時だった。決して目立つような生徒ではなかったが、着々と友達を作り、初めて、彼女が出来た。2年生の時に初体験を済ませ、毎日のように一緒に帰っていた。夕景に染まる風景、体温、距離感。二人乗りをしたのがばれて警察に追いかけられた時の、彼女の温かい肌。その後はお互い受験に入り、苛立ち、すれ違いで別れてしまったが、それだけでもいい思い出だった。それ以外に文化祭、体育祭のイベント…。友達との関わり、放課後。自由について考え、自由を求めていた時期だった。本当の自由なんて知らないのに、見えない希望に思いを馳せていた時期だった。何も知らないからこそどこへでも行けるような気がした。そんな希望が、当時の僕を楽しませてくれた。ところが、今となっては、自由よりも成績、疎遠になっていく人間関係、不安がつのる世相。一つでも選択肢を間違えれば、普通から消えてしまう焦り、そんな枷で縛られている自分を当時の僕は想像できたのだろうか?戻れるものならばあの頃に戻りたい。
 戻る…。この三日間だけでいい。高校時代に戻りたい。と僕は思った。この3日間のうち、一日でもいいから高校へ行こう。しかし、普通に行くだけでは、ただのOB訪問に過ぎない。そうだ。制服を着て普通に登校してしまえばいい。先生にとっては僕なんて何百分の1に過ぎないから気付かれる率は低い。それに学校警備なんて案外緩いものだ。立ち入り禁止の屋上も簡単に入れたし、タバコや酒がばれなかった生徒なんてかなりいる。だから普通に入ってもばれないはずだ。そうして、僕の計画は着実に練られていく。
 その間に実家に到着し、母が僕を迎え入れてくれた。夜遅くだったこともあり、ゆっくり休みなさい。とだけ言われ、その言葉に甘えた。高校時代、母は毎日弁当を作ってくれた。卒業してからも、習慣で早起きしていたが、その仕事が無くなった事に寂しさを覚え、朝のパートを行っている。父は朝一で会議と言う事もあり、僕が通学していた時間は、僕一人だけとなる。家族が寝静まった頃、僕は高校時代の制服を探し、見つかったところで眠りに就いた。
 朝になり、決行の時が訪れる。寝癖を直し、必要以上にヘアワックスをつけた。どうせやるならとことんリアリティを追求せねばならない。そう考え、当時のようにワックスをつけた。当時はお洒落を覚え始めたばかりで、ワックスの適量を知らず、納得いくまでつけていた様な気がする。今思えばそれは非常に痛々しい行動だが、今となっては笑い飛ばせる。
 物置に置いてあった自転車は錆ついていたが、油をさす事で解決した。昔の愛車に乗り出発する。坂道に入ると風があたり心地よくなっていく。忘れかけていた感覚を少しずつ思い出していく。自転車を全力でこぎ始める感覚は、僕にとって見知らぬ未来へ進もうとするファーストステップだったんだと思う。ゆっくり漕ぎ出し、時に来る反発。今となっては、それが心地よく懐かしい。流石に上り坂になると、ぜぇぜぇ言い始めた。昔だったらものともせず駆け上がったが、今となってはそれを乗り越える体力も消えうせ、結局自転車を引いて歩くことにした。やはり肉体と言うものは、年齢とともに劣化していくものらしい。やはり完全には戻れないか。とため息をつき坂道を登っていく。
 駅に到着し、近くのコンビニで買い物をする。高校時代は弁当か、たまに購買。と言う手段が殆どだったせいか、コンビニに行く事は殆どなかった。たまに立ち読みをするか、パックのジュースを買う位だったと思う。千円でさえ大金だと思っていたのもあってか、定価で販売しているコンビニは、まずしい高校生達にとってステータスの象徴だった。コンビニで買い物をした瞬間ブルジョワジーと呼ばれた。しかし、今では、コンビニは僕の住処みたいなものになり、彼らで言うブルジョワジーになっている。しかし、お金がないなりに、狭い世界で楽しみを享受した方がよっぽど楽しかったと思う。それでも何とか、昔を思い出そうと、たまに買ってたシーマヨのおにぎり、メロンパン、パックの乳酸菌飲料を買う。いつもの癖で煙草も買おうとしたが、服装が服装だったのでやめた。そこで軽い朝食をとる。乳酸菌飲料の酸味が少しセンチメンタルな気がして嬉しかった。
 そのまま、満員電車に乗り込む。いつもは満員電車の混み具合と、会社に行かなければならないと言う不安から、これが大嫌いだったが、今日は心地いい。いつも同じ電車にいたあの子は元気だろうか?今何をしているのだろうか?結局話しかける事すらできず、ただ気になっていただけだったのだが。しかし、人間と言うものは忘れていくもので、その子の事を必死に思いだそうとするが、顔すら思い出せない。思い出とは壊れゆくもの。僕の中でそれが繰り返される。そんな他愛もない事を考えているうちに最寄りの駅に到着する。
 僕が通っていた高校から駅までは徒歩10分。変わらない光景を楽しみつつ、のんびり歩く。母校の正門を通り抜け、下駄箱へ向かう。僕が使っていたところを確認し、まだ残っている事に安心する。しかし、今となっては自分専用の靴箱は無く、仕方なく鞄の中に靴を入れる。
 校内をのんびり歩き、周りを見る。さらにその奥にいけばもっと懐かしい光景があるかもしれない。そう思い、足を踏み出したが、目の前は僕が見慣れない光景があった。守衛の存在である。僕が高校時代は設備管理の職員はいたものの守衛はいなかった。だからこそOB、OGが自由に入れる空気だった。そんな中に異質の如くそびえたつ守衛。しかし、彼に直接話しかけるのは気が引けたため、受付の人に話を聞く。
「すいません。うちに守衛なんていましたっけ?」
「三年前からです。この近辺の小学校で無差別殺人事件が起きて以来、危機管理のために、警備員を設置いたしました。犯人は無事逮捕されたのですが、外部から簡単にはいられた結果、この様な惨事を招いてしまったのです。本当におぞましい事件でした。ところで、すいませんが、本日のご用件は?」
「ぇ?えーっと、僕この学校のOBなんですが、母校に久しぶりに来たと言う事もありまして、その、担任だった永澤先生に会いに来たのですが。」
「申し訳ございません。永澤は昨年異動致しまして、不在です。もしお名前を教えていただければ、他の先生との面会を設けますが。お名前の方を教えていただけませんか?まず、手続きとしてはあなたが本当にOBであるかどうかを確認し、許可し次第横にある入校許可証をつけていただく形となります。」
「ぁー…。結構です。ありがとうございます。ご迷惑をおかけして申し訳ございません。」
「いえいえ。ところでこれは個人的な質問で申し訳ないのですが、何故御校の制服でいらしたのですか?普通でしたら私服かスーツの方しかいないので。」
「まぁ、色々あるんですが、これはあなたが知る必要がない事だと思いますし、僕にとっても明かさなくてもいい内容だと思います。仮に僕が全てを明かしたところで、あなたの価値観に影響を与えるとは思わないので。なので、秘匿と言った形でよろしいでしょうか?」
「かしこまりました。申し訳ございません。もし今後来る機会がありましたら、必ずアポイントしていただきますよう。お願いいたします。」
「はい。ありがとうございます。では、失礼します。」
 大言壮語を吐いてみたが、実は、この計画がばれるのを恐れていただけだった。この計画がばれたら、ただの奇人変人に思われ、警戒されるか、裏で笑われていたはずだ。それは僕のプライドが傷つく。僕は弱虫で汚い。そんな惨めさだけを残し、思い出の場所を後にした。
 計画は完全に破綻。僕は動く気力も起きず、駅でうなだれていた。重い空気を醸し出し、周りからは悟られないように。外部の騒音をシャットアウトし、絶望に浸る。すると僕の近くを園児がぞろぞろと歩いていた。僕は気にもかけず、呆然としていた。するとその中で保夫と思われる男が僕に話しかけてくる。高校時代の同級生の小島だった。僕は顔を上げ、彼の顔を見た
「あれ?もしかして…?」
「ん?:ヒッチャメン?」
「そのあだ名やめろよ。」
「ぁ、名古屋で一番神に近い男。」
「結局、それかい。」
「ぁぁ、ごめん。名古屋の…何だっけ?」
「忘れたんかい。どっかの大世帯スカバンドネタひっぱりすぎ。小島だよ。KOJIMA。ほら、高校の時一緒のクラスだった。」
「久しぶりだな。オジャパメン。」
「や、わけわかんねーよ。久しぶりだな。今何やってんの?」
「タイムスリップ。」
「相変わらず不思議な奴だな。真面目に答えろよ。」
「結構真面目に答えたつもりだけど。今は大きな会社で営業やってる。ヒッチャ…、小島は保父さんになったんだっけ?」
「ああ。ようやく夢がかなったって感じだ。子供が好きだったからどうしてもなりたかったんだ。女社会に飛び込む不安もあったけどさ、案外うまくやってる。色々大変だけどさ、何とかやってる。」
「最初、子供が大好きって聞いた瞬間。こいつはロリコンかと思ったけど。」
「ロリコンちゃう。俺は子供たちの成長を見届けたいだけなんだ。」
「目が輝いてるね。尊敬します。あなたは素晴らしいです。ああ。何と素晴らしい。この世に希望を見出してる子供たちのヒーローです。世紀末の救世主です。メシアです。神様、仏様、オジャパメン様。ああ、神よ、彼を救い給え。」
「何だよそれ。しかも棒読みだし。つか、何で高校の時の制服着てるんだよ。」
「昔を思い出したくなって。これでも大変なんだよ。」
「相変わらず不思議な行動をするんだな。ま、聞かないでおくよ。ただ、遊びすぎもほどほどにしとけよ。俺らもう子供じゃないんだし。」
「そうだな。そうする。ところでお前、仕事中じゃなかったっけ?」
「あー、今日は遠足で子供たち引率してるとこで。たまたまお前発見したし、電車まで時間合ったから五分くらい時間貰ったんだ。とりあえず他に引率がいたから助かったよ。」
 僕はその引率の先生を見た。正直タイプだった。
「小島様。」
「何だよ。」
「今度合コンよろしく。」
「考えとく。」
そんな中、園児の大きな声が聞こえる。
「おっぱっぴーせんせーい。電車来ちゃうよー。」
「おー、今行く。待ってろー。」
「ヒッチャメンの次はおっぱっぴーか。大変でございますわね。おっぱっぴー様。」
「お前はおっぱっぴーって言うな。合コンの話聞かないぞ。しかし、何で俺はこうもいじられやすいんだ?」
「それも才能でございますわよ。じゃー、いってらっしゃいませ。ご主人さま。」
「おー、行ってくる。じゃーな。」
 小島は手を振り、別れを告げる。園児を引導する様は立派なものだった。彼は目標を持っており、着実にそれを成し遂げた。かたや僕は…。そう考えると、二人とも大人になり、それぞれの道を歩んでる事を悟ってしまう。それを考えるうちにまた憂鬱になり、立てなくなってしまう。
 一時間位たっただろうか。うつろに座っている高校生に話しかける人はいなかった。駅中と言う事もあり、警察から職務質問されるかとも思ったが、運よくそれは免れた。いまだに僕は立ちきれず、ただ座っていた。すると一人の女の子が僕に話しかける。
「あれ?あなたもサボリ?」
女子高生だ。その長い黒髪は一見真面目そうに見えるが、どこか退屈している空気は感じた。あどけなさとぱっちりとした二重瞼が印象的だ。その上、その制服から察するに、間違いなく僕の後輩だった。
「うん。そんな感じかな。」
 仕事を。と言いたいとこだったが余計怪しまれるので、深くは答えない。
「あ、そうなんだ。あたしもそう。じゃあ仲間だね。」
「サボリって誇って言う事じゃないと思うよ。」
「君がそれをいったらおしまいだよ。」
「でも、サボりっていうからにはしっかり遊んどかないと。」
「いいじゃん。サボる理由は自由でしょ?君だって素敵なサボりライフを充実してないと思うけど。」
「確かに。それは一理ある。でも楽しむ理由があったっていい。」
「だって、学校行ったって、面白くないし。」
「つまんないの?学校。」
「うん。だって勉強なんて自分でも出来るし、慣れ合いばかりで面白くないの。しかも、みんなが同じ思想で、同じ格好って気持ち悪いじゃない。だから行かない。じゃあ、同じサボり仲間として質問していい?君はなんで学校行く必要があると思う?」
「うーん…。唐突に難しい質問だね。確かに勉強なんて塾や本さえ読めば何とかなる。何と言うか、学校は理不尽を学ぶとこなんじゃないか。と僕は思う。」
「理不尽を学ぶところ?」
「つまりね。社会そのものが理不尽なんだ。だから自分と違う人種を集めて、その中でお互いがどう動く事を学ぶんだ。そうすると、不満が出てくるところもある。でもそれを受け入れなきゃいけない時もあるんだよ。卒業してから、もっと理不尽な事が沢山ある。それに耐えるために、集団生活を通じて、学ばせるってとこじゃないかな?その中で、学問はこれからを生き抜くための基礎教養を知る事が必要になってくるわけで、だから勉強なんてその土台を作るためのものでしかないと思う。」
「でも、学校は生き抜く方法を教えてくれない。」
「けど、社会も教えてくれない。」
「そうなの?」
「多分、全てを教えてしまったら、自分が淘汰される可能性もあるからね。だから全てを教えずに、自分に忍び寄るものを妨げる。そうやって人々を白痴にさせて、権力あるものが生きやすい社会を構築する。その為に人々は理不尽を学んでください。と言うルールだ。ある意味これも理不尽な事だけど。」
「ひどい話ね。確かに想像力が無い人が増えてると思うけど。」
「うん。でもそれはこの世界で生きるための市民権みたいなもんだからね。それでも行きたいのであれば、それをうけいれるしかない。みんな死ぬような勇気がないから、生きている。君が社会についてどう思うかわからないけど。」
「サボリ君とは思えない深い考えだね。何も考えず学校行って規定のレールにのれば満足するような奴よりいいのは当たり前だけど。」
「何か、褒められすぎて逆に怖いけど、社会は生きづらいものなんだ。」
「社会は生きづらいものなんだ。」
「その通り。」
「何か、面白い人だね。気にいった。もしここで大した理由もないのに、学校へ行くのは当たり前だ。とか、君もさぼってないで学校行きなさいとか、理由もないくせに、そう語る人だったら軽蔑してるけど、自分と違う意見だからと言って、それを否定する愚者だったら、確実に無視してたんだけどなぁ。何も考えてない快楽主義者は論外だけど。」
「僕も似たようなもんだと思うよ。」
「でも、高校生じゃないのは確かだよね?」
「…ばれた?」
「普通の高校生だったらこんな事は言わない。」
「確かに。」
「でも、私が君の事を気に行ってる事は本当だよ。こんな場所で話すのもあれだからどっかご飯でも食べにいかない?勿論君の奢りで。」
「随分、わがままだなぁ。」
「アタシ、お金無いもん。」
「仕方ない。行くとしますか。」
「となると、善は急げ。さっさと行こうよ。」
「その前に。」
「何?」
「君はいい年した社会人が高校の制服着る事に関しては質問しないんだね。」
「似合ってるから別にいいんじゃない?」
「僕も変わってるけど、君も変わってるね。」
「それは褒め言葉として受け取ってもいい?」
「君に任せるよ。後、これは逆ナンって捉えてもいい?」
「君に任せるよ。会社サボり君。」

 そして、そのまま彼女と一緒に喫茶店へ向かった。彼女はあまり外食しない性格だったらしく、飲食店の事はよく知らないらしい。結局僕らは、近くの喫茶店へ向かった。隠れ家と言う名に相応しく、路地の奥にあり、一見怪しい雰囲気だが、中に入るとヴォサノバが流れており、レトロな空気を醸し出していた。酸味がほどよく効いたダッチコーヒーの香りが店内に漂い、コーヒーの香りそのものが楽しめるいい店だった。
 そこで彼女から色々話を聞いた。昔は優秀で、責任感があるタイプだったが、ある日、平凡である事に退屈を覚え、学校に行かなくなったこと。それでも非行に興味はないから、ただブラブラしてるか、図書館で勉強している事。母親が厳しくて面倒だから学校へいくフリをしている事。色々話を聞いた。彼女も僕の事を聞きたがっていたため、仕事のことや学生時代。今回のいきさつの経緯を聞いた。それでも話だけでも二時間は続き、話が止まることはなかった。
 その後は、ゲームセンターへ行ったり、プリクラをとったりするなど、高校生特有のデートを行った。その後、彼女が僕をある場所に連れていきたい。と伝えた。そこは小さな土手で、ランニングするにはうってつけの場所だった。
 大きな川が目の前にありそこから見える景色は平凡なものだった。でも、その景色はずっと変わりゆくことがない安心感があった。
「いい景色だね。不思議と落ち着く。」
「でしょ?ここにいると嫌な事を忘れるんだ。」
「こんな場所があるなんて知らなかった。近くにあるんだ。昔の自分を探すためだったのに、新しい場所を知れてよかったよ。」
「そう言われると嬉しいな。」
「うん。君に会えてよかったと思っている。」
「空見てみる?寝転がってみなよ」
「パンツ見えちゃうよ?いいの?」
「あのね?君。空がこんなに広いんだよ。そんな中でパンツの一つが見えたとか言うスケールの小さい事であーだ、こーだ。言うのってそっちの方が恥ずかしいと思わない?」
「君がそれでいいのなら止めないけどさ。」
 それから二人で寝転がり、無言のまま景色を眺めていた。何か変化が起こるわけでもなかったが、ただ二人で景色を眺めていた。確かに空は広く、自分の気持ちや存在がちっぽけなものに感じる。
「ねぇ?」
「ん?」
「今、どんな気分?」
「…。タバコ吸いたい。」
「あはは。ムードぶち壊しの発言だね。」
「ほっとしてるんだ。ほっとしてる時のタバコは格別だ。」
「じゃあ、吸えばいいじゃない。」
「ちっぽけな事行言っていい?」
「いいよ。」
「今、制服だろ?これって未成年の象徴みたいなものだからね?なのにタバコを吸うってのは、自分からアウトローをアピールしてて。それはカッコ悪くて気持ち悪い事だ。」
「それは全然ちっぽけなんかじゃないよ。」
「ありがとう。」
「もし私服だったら吸ってた?」
「間違いなく吸ってる。こんな空で煙草を吸うのは至福だ。」
「制服ってめんどくさいね。」
「それがいいって人もいるけど。人それぞれさ。」
「じゃあ、煙草と私のおっぱいどっちを吸いたい?」
「…。タバコ。」
「そんなに私魅力ない?」
「いや、魅力はあると思う。十分綺麗だ。ただ、今はこの景色を見ていたいんだ。僕が探してたものが見つかるかもしれない。」
「なら、私とセックスする?って聞いても君は断りそうだね。」
「今日はね。いつもだったら飛びつくよ。きっと。」
「いいよ。君なら悪くないと思う。」
「ただ、一個お願いするとしたら手を握ってくれないかな?」
「…いいよ。」
「ありがとう。」
 僕は彼女の手を握る。今までの疲れと、彼女と居る安心感からか僕は安心して眠りこけてしまう。彼女の手は温かく、僕の不安を包み込んでくれるかのようだった。

 目が覚めてしまった時は夜だった。彼女も眠っていたが、夜になってしまった事にお互いびっくりする。その驚きを隠すかのように彼女が僕に話しかけた。
「おはよう。」
「おはよう。って言ってもそんな時間じゃないね。でも楽しかった。」
「いえいえ。」
「おまけに、僕は探してたものを取り戻せた気がする。」
「どうして?」
「夢を見てたんだ。」
「夢?」
「夢の中で、僕は高校生に戻っていた、一生懸命勉強したり、彼女とデートしたり、どうでもいい事にやる気になったりさ、とにかく楽しかったんだ。あの時が再現された。」
「そうなんだ。よかったね。」
「さっき、喫茶店で、僕が高校に入れなかったって話したよね。後は、君と出会った時になんで、学校へ行くの?って答えた時に、僕の言ったこと覚えてる?」
「うん。学校は理不尽を学ぶ為に行くんだ。って奴でしょ?」
「そう。あれに答えを加えてもいい?」
「喜んで。」
「確かに、学校は理不尽を学ぶとこだし、社会は非情だ。それは間違いじゃない。それでも僕は高校時代に戻りたかった。それ以上に欲が露呈される世界から。逃げたかったんだ。だけど、僕が思い出だと思っていた場所は、僕の入れない場所になっていた。」
「うん。」
「でも、夢の中では僕は学生を満喫していた。勿論あの時のまま、じゃなくて、集団生活の理不尽さも込みでね。だから、何と言うか、思い出は止まったものじゃなくて、自分の中で生き続けるものだと思うんだ。」
「それだけじゃなくて、時代も変わっていく。」
「その通り。懐古主義は止まったものじゃないと思うんだ。ずっとそこも生き続ける。だからあの時の僕に戻れる事はありえないんだ。見れたとしても、それは今の自分を通した世界。その中で思い出も成熟していくんだ。もうダメかと思ったら、そこで今の自分が暮らせばいいと思う。思い出の場所なんて存在しない。自分の中で生き続け、たまに帰れる場所。それが僕にとっての場所が高校で、そういった戻れる場所を提供してくれるのが学校だと思う。」
「まだ、わかんないよ。あなたの方が私よりも長く生きているから、そう思うだけかもしれないけど。」
「いずれわかる時がくるよ。そうしたら君の口うるさい両親でさえ、いとおしく思える時期が来る。」
「何か、はぐらかされた気持ちになったけど、説得力はあるよ。」
「だから、今日は帰ろう。送るよ。」
「ありがとう。」
 それから二人は夜道を歩いた。女子高生を一人で夜道を歩かせるのは危険だと言う理由もあったが、どこか頼りない彼女の手伝いが出来ればいいと思ったし、何よりも彼女の温かい手の感触を残したかった。
 歩いて20分くらいたっただろうか、彼女の家の前に到着する。
「今日は、本当にありがとう。」
「いえいえ。こちらこそ。僕も少し大人になった気がする。」
「ねぇ?」
「何?」
「あたし、明日から学校行ってみる。君の言う通り、それが私の場所となるかもしれないし、わかんないけど、行ってみるのは悪くないでしょ?」
「それは君が決める事だ。好きなようにすればいい。」
「もし、どうしてもダメだったら、君に電話してもいい?」
「歓迎するよ。いつでも電話かけてくれ。」
「また、会えるかな?」
「会えるよ。きっと。」

 お互いが別れの言葉をかけ、再会を祈る。いつもは夜が来ると、次の日の朝が来るのを恐れた。しかし、今日の夜は頼りない二人を明るく迎えてくれたような気分だ。僕はセブンスターを取り出し、煙を吐いた。漂う煙は不安定に動き、ただ、ゆらゆらしているだけだった。
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