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記憶
作者:桜井 広海
今回は恋愛小説です。オチはありませんので、あしからず・・・(笑)
絶対に泣かないと決めていた。彼を困らせない様に、泣くのは反則だと自分に言い聞かせて空港へ向かった。

      本当に泣くつもりなどなかった。

 
 直人は私の頭をクシャクシャ撫でるとニッコリと笑いすぐに真顔になった。

「亜矢、愛してる…だから、俺の事忘れんなよ!!」


鼻の奥がツーンとして目頭が熱くなった。
この言葉を聴いた瞬間、意識とは別の所から涙が溢れ、止らなくなった。

自分でも止める事の出来ない涙は、あの時の言葉と重なって聞こえた。

 「…イヤ…だ。行かないで。ずっと傍にいてよ…離れたくないよ…」

直人の腕を両手で掴み必死に揺さぶりながら泣きじゃくっていた。直人は少し驚いた様な顔で私を見つめていた。
 私も自分の発言や行動に驚いていた。一瞬パニックになっていた。

「ごめんね…私…」

言いかけた時、直人は優しく私を抱き寄せて、ポンポンと軽く背中を叩いた。

「大丈夫。一年後には必ず迎えにくるから…亜矢の誕生日に迎えにいく。今の時代、海外だって携帯は繋がるしパソコンだってあるし、手紙も書く。一年なんてあっと言う間だよ。」

抱きしめられながら、夢の中の言葉の様に何処かぼんやりと耳の中を通り抜ける感じがした。

「…うん。……」

他に言葉が出て来なかった。”じゃあ行くよ”と言って、ゆっくり体を離す彼を何も言わずに見つめていた。

歩き出す彼の後ろ姿を涙でマスカラが落ち、酷い顔になっている事も気にせずに見つめ続けた。



               もう会えない気がした。




 飛行機が飛び立つのを無表情でぼんやり眺めていた時、私はママの言った言葉を思い出し再び涙が流れていた。



 8歳の時だった。
夜中、私は急に苦しくなった。 
目が覚めた私はその時、ママに抱き締められているのに気がついた。
 ママは泣きながら私を強く抱きしめると震えた声で囁く様に言った。



「愛してるわ亜矢…大好きよ…だからママの事…忘れないでね…」



私は目を閉じたまま、子供ながら起きてる事を悟られまいと、必死に寝たふりをしていた。
ママの涙が私の頬に何度も零れ落ちていたからかもしれない。見てはいけないのだと思った。


 この言葉を聞いた約一年後、ママは亡くなった。



何度か手術をしたがその都度、苦しそうな辛そうな表情を見せたものの私の前では常に明るく振舞い涙を見せる事は一度もなかった。

「ママは強いから大丈夫!!」

そう言って笑う顔は、何処か疲れていて必死に涙を堪えているのが誰の目から見ても一目瞭然なのだ。


 だから余計に辛かった。

何も出来ず目の前で着々と弱っていくママを何も知らない振りをしながら過ごす事がどれ程辛いか…私はママが笑うたび胸が苦しくて泣きたくなった。

 そうしてトイレで声を殺して泣いた。


 ママが死ぬ三ヶ月前くらい前に病院から自宅に帰る事が許されたママは、私のベットにやって来た。それから、”素敵な絵本がある”と言って読み聞かせてくれた事がある。

”星の彼方へ”と言う絵本。

”貧乏な青年のアレックはお姫様のロシエと暮らす為に一生懸命働くが中々お金は溜まらず会えない日々が続く。アレックは夜になると、真っ暗な夜空にとても寂しくなりロシエに手紙を書いた。

       愛しのロシエ

 君に会いたい。
 君に触れたい。
 暗い夜空は一層寂しさを増し、僕を絶望に突き落とす。
 いったいどれだけ時が経てば君に触れる事が出来るのだろう。
 いったいどれだけ時が経てば君と一緒に暮らせるのだろう…
 暗い夜空は教えてくれない。寂しさを一層強めるだけ…



 この手紙を読んだロシエは魔法使いにお願いをして自分の城にある宝石や金貨を夜空に散りばめて欲しいと願う。
 そして、夜空には無数の星が輝く様になった。
 アレックは星を眺めるたびロシエを想い会えない辛さを紛らわし、ロシエは一文無しになりながらも、歩いて数十キロにも渡る道のりをアレックを探し歩き続ける。
そして出合った二人は永遠に幸せに暮らすのでした。”

 と言うお話。

私は当時8歳だったから、よく意味が判らなかったけれど素敵なお話だと思っていた。
そんな遠い昔の記憶を思い出し、ママと直人の言葉が重なって聞こえたのだろうと漠然と思った。

あの絵本の様に星を眺めながら直人を待ち続け様と思った。

 シンデレラになれると純粋に思う子供の様に…

 ”永遠に幸せに暮らしました。”と言う結末が普通に存在すると信じて疑わない子供の様に…私は直人を信じて待とうと…飛び立つ飛行機に誓う。

 けれど、飛行機を背に歩き出そうとした瞬間、不安と孤独が私に襲い掛かる。
私はその場で泣きたくなったが必死に唇を噛み締めた。



    「愛してるわ…大好きよ…だからママの事忘れないでね…」




 その言葉が頭から離れない。

一年後、いなくなってしまったママの様に直人もまた、いなくなってしまうのではないか…彼の言葉を聞いた瞬間ママの言葉とリンクして、一瞬8歳の子供に戻った。 

 ママが亡くなってから私はパパをいつも困らせていた。

”ママの所へ行きたい。ママに会いたい”と駄々をこねては泣き叫んだ。
私は自分が一番辛いのだと思い込んでいた。

 しかし実際、1番辛いのはパパだ。愛する人を失って、やり場のない想いに苦しんでいたのは1番近くにいたパパなのだ。
そんな事も知らずに駄々をこねては困らせていた。
 

 今ならわかる…パパのあの時の表情が…
 
 ママが私の目の前から消えてしまってから2週間くらいたったある日、私は毎日の予定にでも組み込まれている様にママに会いたいと泣き続けていた。そんな私を一度も怒る事なく、パパは私を膝の上へ寝かすと、優しく髪を撫でながら言うのだ。

「あや…ママの所には、まだ行けないんだよ…ママの所へ行くのはずーっと先なんだよ…」

 私は一瞬で涙を拭い、パパを大きく見開いたキラキラした目で見つめ、責める様にパパに訪ねた。

「まだっていつ?明日?ずーっと先っていつ?一年?もっと?」

困った顔で私を見つめたパパは無理に作り笑顔をしていた。

「ママは、お空から亜矢の事見てるからね…見守ってくれてるからね…亜矢を幸せに導いてくれるよ…」

      そして、私はいつの間にか、その場で寝てしまうのだ。

      これがいつものパターンになっていた。

 だが、一度だけ夜中に目が覚めて起きた事があった。
気が付くと、そこにパパの姿はなく、私の体のはプーさんの毛布が掛けられていた。

私は眠い目を擦り、何の迷いもなくパパの部屋に向かった。暗い廊下の先に漏れる一筋の光に吸い込まれる様に…光の前に立った。

 パパの部屋のドアは少しだけ開いていて、そこから私は部屋の中を覗き込んだ。



         部屋から聞こえる笑い声はまさしくママの声だった。




「光一。私の顔なんていいから景色撮ってよ〜せっかくのハワイだよ!海キレイだし…」

「撮ってるよ。大丈夫。気にせずに歩いて。」

   新婚旅行で二人が行ったハワイのビデオ。私が生まれる前のパパとママ。私の知らない二人が笑っている。

 パパはママの顔ばかり映している。”俺は好きな物を撮りたいから…”小さくパパはつぶやくと風になびかれ、はしゃいだママは、”え?何?聞こえない!!”とパパに向かって叫んでいる。

 パパは、嬉しそうで楽しそうで…幸せそうなママの笑顔の映ったビデオを、子供の頃の写真でも見るかの様に少し、はにかんで、じっと見つめていた。

 パパは私の視線に気づいた様でゆっくりこちらを振り返った。

「亜矢…」

そう言って潤んだ瞳で私を見つめた。

 ”おいで。”

その声に私はパパに駆け寄り抱きついた。大きくてゴツゴツした体は、やっぱりママとは違うけど、暖かいぬくもりはママと同じだった。

「お空から呼び戻せないの?」私が泣きながらそう言ったがパパは無言で首を振った。

 パパも泣きたいのだと、この時初めてわかった。私の前では涙を決して見せない。潤んだ瞳は必死に涙を止めようと、しているように見えた。


私を強く抱き寄せたパパはそれ以上、何も言わなかった。


 それ以来、パパの口数が減り、年頃になった私は避ける様にパパと顔を合わせなくなった。
嫌いになった訳じゃない。ただ、どう接していいのかわからなくなった。大人になっていくうちにパパの辛さがわかるたび声を掛けられなくなっていった。

 再婚もせず、私と二人の生活…仕事から帰ってくると一人でテレビを見ながら食事をするパパの後姿は、何とも言えない寂しさがあった。ママの写真がパパの寝室のベットの脇に飾られている以上、ママを今でも愛しているのだろう…。


この世にはいない相手を深く、深く、愛している。


 15歳の夏、進路について相談した時、パパは私の顔を真剣な眼差しで見つめ一言だけ言った。

「お前を信じてる。お前も自分を信じて好きな事をしなさい。」


 どうでもよくて好きにしなさいと言っているのではないとわかっていた私は”うん。ありがとう”と言ってリビングを出た。

いつも私を信じて見守ってくれる。


だから、高校に入ってすぐ、バイトを始めた。学費や交通費、お昼代までパパに全て出してもらっている事が何処か後ろめたいと言うか、パパを早く楽にしてあげたかった。私が一人前になればパパも安心して恋愛ができるのではないかと、心の中で考えていた。

 ママから最後にもらった絵本が宝物になっていた私は絵本が好きで図書館でバイトをしたいと思っていた。

自給は安いが図書館の穏やかな空間が好きだった。”高校生は学校があるしテストなどで頻繁に休まれては困る”と言う図書館の責任者らしき人に、どうしても働きたい!!。と言い続け渋々採用してもらった。

 私は学校が終わると部活もせず一目散に図書館へ向かった。

最初の何日かは、慣れない労働に戸惑いと緊張を隠せず、ぎこちなく笑っていた。
 三週間くらい経過して大分仕事にも慣れてきた。最初は回りが全く見えていなかったが慣れてくると、いつも通っている人や毎週来る人など判る様になった。

 そこで松田直人と出逢ったのだ。

初めてのバイトに毎日慌てふためいていた私が彼の存在に気が付いたのは”ジェニファーと魔法使い”と言う絵本を貸し出し口へ持ってきた時だった。

”男の人が絵本だなんて珍しいな…”私はチラリと彼の顔を盗み見た。女性の様な綺麗な肌と男らしさを漂わせた顔にドキッとしたが、冷静を装い本につけてあるバーコードを探す。



ピッ


バーコードを読み取って返却期限を告げる。

「8月2日までにご返却お願いします。」

声が少し震えてしまった。露骨に判りやすい態度になっていたのかもしれないけれど何事もないように絵本を渡した。

「毎週来てるから来週返却しますね。」

彼は笑顔で答えた。

それ以来、彼が毎週、この図書館に来ていることを誰よりも把握していたのは私かもしれない。

 彼は決まって土曜の午後3時くらいにやって来た。

グレーのタンクトップに白のシャツ、ボロボロのジーパンと言う格好が多かった。

だから、彼がたまにいつもと違う格好でやってくると妙にソワソワしていた。
”今日は誰かと会うのかな…”そんな風に思っても聞く事など出来ないし、私は彼が近くを通るたび目で追うだけだった。

 バイトを始めてから三ヶ月がたった土曜の午後、私は絵本コーナーで本の整理をしていた。
この前彼が借りて行った”ジェニファーと魔法使い”を手に取り、中をみた。

色鉛筆で書いた様なふんわりとした色合いの絵本だった。
私の好きな絵本の魔法使いとは全く逆のふくよかで優しい色の服を着たお婆さんが描かれている。

 ”作者はきっと幸せに生きて来た人なんだろうな…”そんな風に絵本に見とれていた時、私の耳元から声がした。

「その絵本見てると幸せになれそうな気がしませんか?」

驚いて、”あっ”と声を出してしまった。そこにいたのは、紛れもなく直人だった。

パタンっと絵本を閉じて黙ってしまった。微妙な沈黙が気まずい…頭の中で言葉を捜していたが中々でて来ない。
オロオロしている私の手からスーッと絵本を抜き取るとペラペラとページをめくり始めた。
私は無言で眺めているだけで何も出来ないでいた。

「ここ。この絵の色合いとタッチが好きなんだ」

彼はそう言って、ウンウンと満足そうにうなずいた。
 その横顔をマジマジと見ていると彼が”ん?”と言う表情をしたので目をそらした。


 そんな出会いから、彼が美大を出たばかりでイラストレーターを目指しているのだと言う事、私とは5つも年が上な事、コンクールに応募しながらバイトをしているのだと言う事を知った。

 毎週会う度に普通に話す様になり、いつしか図書館以外でも会う様になったのは彼が”イタリアンは男同士じゃ行かないし一人で行くこともないから、食べたい時は困る”と言う話をした時だった。

普段なら決してそんな事言えないくせに、スルッと言葉が私の口から飛び出した。


「じゃあ、一緒に行きませんか?」


正直、自分でも驚いた。

直人は爽やかに笑って、予約するから都合のいい日教えてな。と言った。

 その日だった。

直人はいつもの様にやってくると、予約してるから並ばんで大丈夫!と子供が褒められた時の様に得意げに笑った。
席に案内されると、ロボットの様に固まっている直人を見て爆笑してしまった。

 しかし、食事を終える最後のデザートのティラミスを半分くらい食べ終えた頃、直人の顔から笑顔が消え私の顔を一切見なくなった。

「…付き合って…俺と…付き合ってくれないかな…」

大真面目な顔をして、言われたので、こちらが身構えてしまう。一瞬、二人は沈黙になると、おかしくて思わず噴出してしまった。

「プロポーズみたい!!」

力が抜けた様に肩を落としてグラスの水を一気に飲み干した。

「ある意味、プロポーズだよ。」

目の奥にある強い意志を私は感じた。

私は茶化してはいけないとスプーンを皿に置き、真面目に答えた。

「はい。よろしくお願いします」

その日、直人から告白されて付き合う事になった。

 それからの日々はいつもの日常とは、確実に変わって行った。なんと言うか…平凡な毎日に何処か鮮やかな色が加わる感じ。

甘く濃厚なピンク、切なく悲しいブルー、穏やかに優しいグリーン、直人と出会うまでは、どこか濁った様な毎日に華やかな色彩が加わった気がした。 

一人では味わえない時間を直人と過ごしてきたと思う。

映画に行った時…確かあれは、コメディー映画。同じ所で笑っている直人と目が合って再び二人で笑い合ったり、二種類のアイスを二人で分け合って食べた。

 美術館では大好きな絵の前で、直人が急にフランダースの犬の名シーンの真似をしたので私が爆笑していたら警備員の人に怪訝な顔をされたので急いで逃げたり、買えもしない9万円のワンピースを試着だけして、二人で本気で悩んでいる振りをしてみたりした。


人生バラ色とまで言わないが穏やかで平穏な日々が二人の間には流れていた。宇多田ヒカルの歌詞の様に、ありふれた日常が急に輝き出した…そんな感じだと思えた。


あっと言う間と言う言葉は振り返ってみて思った。

直人とは、もうすぐ3年になる。高校も卒業し、近くの書店に就職が決まって働き出していた。

 私の19歳の誕生日まじかに、直人にとってチャンスが訪れた。

バイトがメインの生活の中で、直人はちょくちょく、コンクールに応募していたのだ。その中のヨーロッパで行われた、”ワールド・ポップアートコンテスト”の特別新人作品奨励賞を受賞したと言うのだ。

インターネットからの応募で4作品のうちの1つが、ある絵本作家の目に止まった。絶賛とまではいかないが彼に是非チャンスを…と、言うことで本来ならば落選したであろう作品が奨励賞として認められたのだ。

 ジュネーブへ来て修行してみないか?と言う話があるらしい。
直人が手紙を両手に瞳をキラキラさせながら私の所にやって来た。

「亜矢!!亜矢!!」


興奮した様子で両手を震わせて何度も私の名前を叫んでいたので、どうしたの?の言うタイミングを逃してしまい、無言で直人をみつめた。

「あっ!ごめん!これ、これ!」

握り締めていた手紙を私の目の前に差し出すが英語が全く読めない。
難しい顔で手紙を見つめる私の表情に読めない事を察した様だった。

「コンクール。新人賞の奨励賞。受賞したみたいなんだ。ヨーロッパに来ないかって…」

私はその瞬間、直人の腕を掴んで ”やったー!! ”と叫んだ。
二人で飛び上がり、子供の様に喜びあった。

そのときは心から喜んでいた。

直人にとって、彼が目指していた夢に一歩近づいた事が何よりも嬉しくて自分の事なんて考えてなかった。
 直人が冷静さを取り戻した時、真剣な顔で ”ヨーロッパ行ってもいい? ”と言った言葉に一瞬で喜びは消えた。
 
 ”あぁ…そっかぁ…離れ離れになっちゃうのか… ”


 両腕をだらりと下げて呆然としていた。

「一年間、向こうの画家と一緒に作品を仕上げて俺の才能を見極めたいって言うんだ」

直人はもうすでに遠くのヨーロッパを想い、喜びに目をキラキラ輝かせていた。そんな彼に、行かないでなんて言えるわけがない。

 それに直人の絵が認められた事、夢に近づいた事に関しては自分も直人と同じくらい嬉しい。

「ヨーロッパで頑張って来て…」

 ”私、待ってるから…”と言う言葉が喉の所まで出かかったが言わなかったのは、直人が ”一緒に来ないか? ”と言ってくれるのではないか?と何処かで期待していたのかもしれない。

けれども、直人が言ったのは ”ありがとう ”と言う言葉だけだった。

 動揺を隠して必死に笑顔を作った。泣きだしたかった。

 それから、直人のヨーロッパ行きが決まってからは、準備や何やらで忙しくなった。
それでも直人は二人でいる時間は大切だからと時間を作ってくれた。

「今のうちに会っておかないと一年間会えないかもしれないもんな。」

そんな言葉を聞くたびに私の心は苦しくなった。


   離れてしまえば恋は終わってしまう様な気がしていた。



出発前日、私から直人を求めた。一人にされるのが怖くてもう会えない気がしていたから…一人にされると泣きたくなるから…直人のぬくもりを直前まで感じていたかった。


「愛してる…愛してるよ亜矢…」

耳元で何度も繰り返すその言葉を私は心や体にゆっくりと刻み込む。

「私もだよ…直人…」

嬉しいのに何処か切なくて、幸せなのに満たされなかった。


 空港へは、二人で手をつないで行った。ギュッと手を強く握ったのは言葉では言えない、”離れたくないよ ”の合図。 
けれど、直人はそんな事には気がついていないだろう。

空港へ向かうタクシーの中で、直人の横顔にそんな事を考えていた。
               ・
               ・ 
               ・  
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 直人が旅立ってから毎日は、再び濁った灰色の様な日々だった。

会いたくて会いたくて…でもどうしようもなくて狂った様に泣いていたり、電話が鳴るたび、ポストの手紙を見つけるたび、もしかしたら…とドキドキしたがら受話器を上げ、手紙を開いたりしていた。



 しかし実際、直人からの手紙も電話も来なかった。


それでも、私が国際電話をした時は真夜中だったにも関わらず明るい声で ”こっちに来てまだまだ判らない事だらけだけど色んな事に刺激されて楽しい ”と語っていた。

「それでさ、ルームメイトのドロンが…」

本当に楽しそうに話す声が受話器を通して耳に伝わって来るたび、切なくて寂しくなった。直人の声は興味のない音楽の様に聞こえた。

「聞いてる?」

黙っていた私に直人は不思議そうに言った。

「聞いてるよ。楽しそうだね…」

会いたいとか、寂しいとか…言ってもどうにも出来ない事を口にするより応援してると伝えたかった。

「頑張って認めてもらえるといいね…」

「おう!ありがとな。」

「じゃあ、また掛けるね…」

そう言って受話器を置いた。



  何故かな…


大好きな人の声を聞きたかったはずなのに…あんなにワクワクしながら、はやる気持ちを抑えきれず電話をしたのに…彼が楽しそうに話すたび、切なくなった。なんだか聞いているのが辛くなった。

私のいない世界でも直人は楽しそうに生活している…。その事実が…悲しかった。


好きな相手がそばにいない毎日がこんなにも長く感じられるとは思ってもみなかった。

「一年間なんであっと言う間だよ!!」

直人の言葉を自分に言い聞かせるようにしていたが、現実はつまらない先生の授業の様に長く感じられた。

何度か私から電話を掛けた。直人からは一度も来ない。

何度か手紙も書いた。直人からの返事は一通も来ない。

もうダメかと思った。


それでも時は誰にでも平等に過ぎていく。

春が来て、夏が来て、秋になり、冬が来る…




 直人が旅立ってから一年が過ぎ様としている。


今日は私の誕生日。ちょうど二十歳になる。 直人が空港で言った私の誕生日に迎えに行くと言った言葉を信じた。

私は朝早くから起きて直人から連絡が来るのを待っていた。

ソワソワしていたその時、私の携帯は鳴った。


ピロピロピロ… 


私は素早い動きで携帯電話を手に取った。


      ”公衆電話 ”



携帯のディスプレイには公衆電話と記されている。

私はドキドキしながら通話ボタンを押した。



「亜矢ちゃん?静江おばちゃんだけど…」

明るく大きな声が私の耳に飛び込んで来た。静江さんはママのお姉さんだ。少しガッカリしたが明るく努めた。

毎年、静江さんは私の誕生日には花を届けてくれる。

「今から行って大丈夫?」

そう言っているが受話器からは私の住んでいる駅名を叫ぶ駅員の声が聞こえる。

もう来てるじゃんっと思いながらも「大丈夫です」笑いながら言った。

「じゃあ、待っとってね!」そう言うとすぐに電話は切れた。
 
 10分くらいしてピンポーンっとインターフォンの音がしたので私はドアを開けた。
白い花束を抱えた静江おばちゃんがニッコリ笑っていた。

「亜矢ちゃん誕生日おめでとう」

そう言って私に花束を渡すと靴を脱ぎ、さっさとリビングへ入って行った。私も急いでリビングへ行った。

「おばちゃん喉カラカラ…」

ソファーに座っている静江おばちゃんに冷蔵庫からウーロン茶とグラスを持って行った。

「ありがとう。気つかわんで」

ニッコリ笑いながらウーロン茶を飲んでいた。私はもらった花束を花瓶にさしていた。

「毎年、ありがとうございます。綺麗なお花大好きです。」

静江さんは少し困った様な顔をしていた。

「種明かしせなあかんね…この花…おばちゃんからじゃないんよ…」

私は ”え? ”っとつぶやくと表情を全く変えず話を続けた。

「薫からなんよ…」


          薫はママの名前。



 頭の中が真っ白になっていた。驚いて何も出来ないでいる。動けなかった。静江さんは手招きをして私を呼び寄せた。

「薫が亡くなるちょっと前・・・私ん所に来てな・・・言うたんよ・・・亜矢が二十歳になるまでの間、毎年白いカーネーションを渡して欲しいって・・・10万円差し出して、残りは姉ちゃん好きに使っていいから・・・ってな・・・言いよって・・・」

静江さんは目にハンカチをあてている。


「自分で渡せ。言うたんやけど・・・私には無理やって笑うんよ・・・せやから、お願い。って・・・光一さんに頼みなさい言うたんやけど・・・光ちゃんは照れ屋だから娘に花束なんて渡せないって言いよって・・・引き受けたんや・・・」


 何も言葉が出ない。ただ、涙だけが、それこそ滝の様に流れていた。

「それから・・・これを・・・」

ハンドバックから出されたものは一通の白い封筒だった。綺麗な字で ” 亜矢へ ”と書かれている。

私は震えた手で、ゆっくりと手紙を開いた。





   亜矢へ



 二十歳の誕生日おめでとう。

どんな女の子になっているのかな?

ママはそんな貴方を見守る事が出来ない事が悔しくてたまりません。

どんな夢を持っているのかな?

どんな事で悩んでるのかな?

どんな恋をしているのかな?

たくさん話したい。たくさん教えてあげたい。

ママは19歳の時パパと出会って20歳で結婚して21歳で貴方を産んだの。

貴方が生まれて来てくれた時に、この腕に抱いて天使の様な可愛い笑顔を見た時、一生かけて愛情を注ぎ続けると誓ったの。

何があっても貴方の味方でいようと・・・。

世界中で私とパパだけは貴方の味方であり続けようと・・・たとえどんな事があっても私とパパだけは信じ続けているよ。

だから亜矢、忘れないで。

         私とパパは貴方の幸せこそが幸せなの。


亜矢がきちんと考えて決めた結果なら、結果はどうあれ、正しい。


パパは照れ屋だから大人になった亜矢とは、あまり話さないかもしれないけどね・・・

亜矢の事、とっても愛しているのよ。

 生まれたばかりの亜矢が一番最初に話した言葉が ”ママ ”だったのを聞いた時、パパは本気で落ち込んで大変だったのよ。

” 何でパパってよばないんだよぉ・・・ ”って・・・喋った瞬間も私とパパは両手を上げて飛び上がって喜んだのよ。

 パパの事、嫌いにならないでね。無口だけど亜矢を大好きだから・・・

亜矢、何も力になってあげられなくてごめんね・・・傍にいてあげられなくて、ごめんね・・・貴方に想いを伝えたくて毎年、白いカーネーションを贈ります。






 大好きな亜矢へ







手紙を読み終えた瞬間、涙を拭いながら走って自分の部屋へ行き、本棚でずっと眠り続けていた花図鑑を開いた。パパが9歳の時買ってくれた物だった。

「亜矢ちゃん・・・?」

静江おばさんの声を聞かなかった事にして、白いカーネーションの花言葉を探した。




見つけた。

白いカーネーションの花言葉・・・・・・











 





                 ” 私の愛は生きている ”





       



 気づいていなかった。・・・ずっと何も知らずにいた。

声を上げて泣いている私に、ゆっくり近づいてきた静江おばちゃんは私の頭を優しく撫でた。

「薫に亜矢が気づくまで教えないでくれって言われとったんよ・・・だから今まで何も言わずに花束渡しとったんや・・・」

言葉が出ない・・・

私は間違っていたのかもしれない・・・人は死んだら愛も終わると思っていた。離れて暮らしているだけで愛は薄れて行くものなら、当然、死者の愛は消えてしまうと・・・




私はママに愛され続けていた。





 間違っていた。

「亜矢ちゃん・・・もう一つ・・・」

おばちゃんはバックから指輪の箱を取り出した。

「薫の結婚指輪・・・亜矢が20歳になったら渡して欲しいって・・・」

私は指輪を受け取った。

「ありが・・・とう」

必死に声を振り絞った。

「おばちゃん任務完了!!」

元気に笑って敬礼のポーズをした。

「いままでありがとうございました。」

勢いよく頭を下げてお礼を言った。

「ほなね。おばちゃん東京見物にでも行ってくるわ。」

そう言って静江おばちゃんは帰って行った。

歩きだした静江おばちゃんに心の中で、何度も何度もお礼を言った。






ピンポーン


5分くらい経って再びインターフォンが鳴った。静江さんが忘れ物でもしたのかと思った。

念入りにしていたメイクも先程の涙でぐちゃぐちゃになっている。

まっいいか。と玄関へ向かう。


ガチャ


ドアを開いた。


目の前に立っていたのは…直人だった。


直人は ”やぁ!!”と言った後に私の顔をじっと眺めた。

「ここは一年前の空港か?」


涙で化粧が落ちた顔を見てわざとらしく笑っている。

会いたくて会いたくて・・・この一年どんな想いで直人を待ち続けていたか・・・

「おかえり・・・直人・・・」

笑顔で抱きついた。

「向こうの生活費と日本に帰って来る金貯めるのに必死だったんだ。連絡出来なくてごめんな・・・」

私は無言で首を振った。

「バイトが忙しくてさ…手紙も書けなかったな…電話も俺からは出来なかったな…悪いと思ってる」

 全然連絡をして来ないで私がどんなに辛かったか…どれだけ寂しかったか…何度自分から別れを切り出そうと思ったか…怒りのも似た想いが喉まで出かかったが、私は言葉を飲み込んだ。

「いいの…こうして直人が迎えに来てくれたんだから…」

今、直人の温もりに触れているのだから、それでいい。ずっと寂しかったけど辛かったけど、目の前の直人を見ていたら一気に淋しさは吹き飛んだ。

私は強く体を押し付けた。

「戻って来たのは亜矢に言わなきゃならない事があるんだ…」

直人の体にしがみついたまま顔だけを上げた。

「え?…」

嫌な予感がした。

直人の表情は言葉を探しているように見えた。

「…向こうのアトリエで一緒に個展開かないか?って言ってくれて…、後三年間こっちで勉強しながらやってみないかって言われて…向こうでやってみる事にした。」

直人の言葉に一点の曇りもない。

ジュネーブ行きが決定する前の ”行っていい? ”の様に私の顔色を伺う様子は全くなかった…。
私は俯いたまま、直人から体を離した。

「……………」

言葉が出ない。私は叱られた子供の様に俯いたまま両手の拳をグッと握りしめていた。


力が抜けてクラクラした。

     ” 三年間も待てないよぅ・・・。 ”言いたくて、どうしようか迷っていた。

フラフラと二、三歩後ずさりして泣き出しそうな自分を必死で押さえつけた。

パッと直人が私の手を掴んだ。

「大丈夫?・・・」

不思議そうな顔をして私の顔を覗き込もうとする直人の顔を避けた。流れ出した涙を見られたくなかった。

グイッと腕を引き寄せられて再び直人の胸に戻った。

「三年間・・・向こうで頑張る為に今日戻って来たんだ。亜矢をこれ以上待たせるわけにはいかないからね・・・だから・・・」

あぁ・・・別れたいって言うんだな・・・頭を過ぎった。





           「大切な忘れ物取に来た。」






一瞬何の事だか判らなかった。 

見上げた直人がニッコリ笑って大きく頷いた。握りしめられた手に強く力が入った。

「大事な大事な忘れ物・・・向こうに連れて行きたいんだけど・・・どうかな?」

私は嬉しくて嬉しくてボロボロの顔で笑った。

「うん。連れて行って!!」

直人の体を、ギュッと強く抱きしめた。

幼い頃、パパが言ってくれた言葉を温かいぬくもりの中で聞いていた自分を思い出した。


 ”亜矢・・・ママはお空から亜矢の事見てるからね・・・見守ってくれるからね・・・亜矢を幸せに導いてくれるよ・・・ ”

その通りになった。

ママの絵本がきっかけで図書館で働き、直人と出会って、パパから貰った花図鑑で、ママの愛を知った。






            私は、ママ、パパ、直人から、愛されていた。


最高の誕生日になった。このとき、多分私は世界一幸せだったと言ってもいいかもしれない。

ポケットにしまって置いたママの指輪を直人に向けた。

「これ・・・どうしたの?」

びっくりした様子で指輪を見つめていた。

「ママの指輪・・・」

そう答えると直人は指輪を手に取り一度、咳払いをして言った。

「苦労かけるかもしれないけど一緒に幸せになりたいから・・・結婚してください!!」

私は目の前の指輪を手にはめてみた。不思議とピッタリだった。

私は、黙って目を閉じて深呼吸をした。



              「はい。よろしくお願いします。」






























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