着衣の女王様
北の果てに雪と氷に閉ざされた小さな国があった。その国を治めるのは美しく気高く、それでいて聡明な女王である。
女王は自分の頭の良さに自信を持っていたし、事実彼女のおかげでこの国の民は雪降る厳しい大地の上にいながら飢えることなく暮らしていくことができていた。
そんな女王の元に、ある日魔法使いを名乗る男が現れた。
彼は挨拶もそこそこに、早速商品を女王の前に並べる。その中でも一際美しい布を手に取り、玉座に座る女王に向けて掲げた。
「女王様、こちら馬鹿には見えない魔法の布でございます。この布でドレスを作り、次の祭りのパレードで着用されてはいかがでしょう」
ニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべる魔法使い。
だが女王は玉座から一歩も動こうとせず、氷のような表情を浮かべて魔法使いを見下ろす。
「私の国から去りなさい。そんなふざけた話をしている暇はありません」
「えっ、そんな! 私は至って真面目に話をしているのですが……」
魔法使いは慌てたように首を振るが、女王の視線は相変わらず背筋が凍るように冷たい。
「馬鹿には見えない布。確かにすごい魔法ですが、だからなんだと言うのです。私の国の民はみな聡明ですから、その布がしっかりと見えることでしょう。ならばわざわざ魔法の布でなくても構いません。万一愚かな馬鹿者がいたとしたら、私は裸でパレードを行うことになる。どちらにせよ私に得がありません。高名な魔法使いと言うからわざわざ時間を作ったのに、期待外れでした」
「さすがは女王様、噂に違わぬ賢王だ。合理的な考えをお持ちです。でもね女王様、合理的な仕事をすれば必ずしも人は幸せになれる、と言う訳じゃないんですよ。人間というのは元々不合理な生き物なのですから」
「なにが言いたいのですか」
「まぁ、そう怒らないで。ではこうしましょう、この布を使用したドレスを女王様にプレゼント……というわけにはいきませんが、お貸しさせていただきます。もちろんとびきり豪華なものをご用意いたしますし、布が見えずとも大丈夫なよう綺麗な水着も仕込んでおきます。もし着てみてお気に召さなければ料金はいただきません。でも、女王様も国民もきっと気に入るはずです! どうか私を信じてください」
魔法使いの必死な申し出に、女王はしばらくの沈黙のあと静かに頷いた。
「分かりました。高名な魔法使いがそう言うのです、きっと何か考えがあるのでしょうね。そのドレス試してみましょう」
********
それから数日後、祭りの日当日。
パレードの先頭を走る馬車に乗るのはきらびやかな純白のドレスを纏った女王。そしてその後ろには濃いクマを目の下に浮かべた魔法使いが控えている。
「いやぁ、間に合ってよかった。思いの外時間がなくて、夜なべして作ったんですよ」
魔法使いはそうボヤきながら眠気眼をこする。
だが女王はニコリともせず低い声で魔法使いに言い放った。
「確かに美しいドレスですが、こんなものわざわざ魔法でつくる必要ありませんね」
「まぁまぁ、魔法の素晴らしさが分かるのはこれからですよ……」
魔法使いはそう言うとクックと悪戯っぽく笑った。
なんとも含みのある魔法使いの言葉に違和感を持った女王はその言葉の真意を確かめるべく口を開きかける。
だが次の瞬間、女王の口は開いたまま塞がらなくなってしまった。
パンツ一丁の男が女王の乗る馬車の前に立ち塞がったのだ。涙も凍る極寒の世界において、コートどころかシャツもズボンも着用していないなんて、自殺行為に他ならない。
「女王の裸! 女王の裸!」
そして彼はそう叫びながら、呆然とする女王の目の前でパンツ一丁のまま踊り始めた。
「と……捕らえろ!」
呆然としていた兵士たちもようやく動き出し、恥ずかしげもなく裸踊りをする男を取り押さえる。
「女王の裸! 女王の裸!」
大勢の兵士たちに押さえつけられ、吹きすさぶ風に体温を奪われながらも男は叫び続けた。
しかしいくら叫ぼうと屈強な兵士たちに一般市民が敵うはずもない。男はパンツ一丁のまま無様に連行されるかに思えた。
だが騒動はこれでは終わらなかったのである。
「女王の裸! 女王の裸!」
また一人、別の男が服を脱ぎ捨てながら馬車の前へと躍り出た。兵士たちはすぐさま取り押さえようと男のもとへ走るが、一人、また一人と裸の男たちが馬車の前へと飛び出してくる。
「女王の裸! 女王の裸!」
「女王の裸! 女王の裸!」
「女王の裸! 女王の裸!」
気が付くと女王の周りは裸の男だらけ。
ここが氷に閉ざされた国であることを忘れさせるような陽気な裸踊りと裸コールが大通りに響き渡る。その数の多さに兵士たちも狼狽えるばかり。
様々な困難を乗り越えてきた女王ですら、今までに体験したことのない事態にたじろいでしまっている。
「なんなのですこれは。みな気が狂ってしまったのですか」
「いやぁ、ははは。まさかこんな状態になるとは……」
「あ、あなたの仕業ですか! 私の民にいったい何をしたのです!」
頭を掻きながら苦笑いを浮かべる魔法使いに、女王は怒りの形相を浮かべて詰め寄る。
だが魔法使いは慌てたように首を振った。
「い、いえいえ。別に魔法をかけて皆をおかしくしたわけではありませんよ。私はただ、『女王様はパレードで馬鹿には見えない服を着てくる』と噂を流しただけにすぎません。まぁ噂というか、事実ですし」
「それで一体どうしてこんな状態に――」
そこまで言って、女王は何かに気づいたようにハッとした表情を見せる。
その様子に魔法使いはニヤリと笑った。
「そうです女王様、男たちがこんな馬鹿な真似をしているのは、馬鹿になるためにほかなりません。賢いこの国の民は、そのままでは女王の裸を見ることができないからです。私もまさか、こんな方法で馬鹿になるとは思っていませんでしたが」
女王は怒りと羞恥心で顔を真っ赤に染めながら自らを抱きしめるようにして体を覆い隠す。
「な、なんのためにこんな事……!」
「まぁまぁ女王様、ちゃんとドレスの下に水着は仕込んでいますからそう恥ずかしがらずとも大丈夫ですよ。私の以前いた、南の国の王族が身に着けていた水着です」
男は懐かしむようなまなざしをここではないどこかに向け、目の前に広がる乱痴気騒ぎを意にも介さないのんびりした口調で話し始めた。
「南の国は年中暖かく……というか暑いくらいの気候でして。国中の民が燃え上がる祭りの日などは市民も王族もみんな水着を着用し、一晩中踊り狂うんです。裸になると、人は心も開放的になるものですよね」
「そんなことはどうでも――」
「いやいや、これが案外どうでもよくない。食うにも困るような状況では、人は一生懸命に働かざるを得ない。しかしこの国はこんな厳しい環境にも関わらず女王の尽力のおかげで一応は食い扶持を確保できるような状況になった。人というのはお腹がいっぱいになると次は心をいっぱいにしたくなるものです。この国はなんというか、少しお堅すぎる。もっとみんな開放的になるべきなんです。じゃないと心が飢えてしまう」
「で、ですが――」
言いかけた言葉を、女王は不意に飲み込んだ。
馬車を囲み、裸で踊っているのは何も若い男だけではないということに気が付いたのだ。
普段杖をついているであろう老人も下着だけで元気に踊り狂い、顔の青い病人もパジャマのまま笑顔で踊り狂い、貧乏人も、金持ちも、子供も、大人も、この国に住む多様な種類の男たちが一丸となって踊っているのである。気が付けば普段厳めしい顔で剣を構える兵士たちもみな鎧を脱ぎ捨てて踊っていた。
そこには身分の差も年の差もない。ただただ平等な世界が広がっている。
「あなたの言いたいことは分かりました。しかしこれではみな風邪を引いてしまいます。労働力が低下すればまた食べるのにも困る生活が待っている」
女王はそこまで言うと氷のように冷たく固かった表情をフッとほころばせ、いつになく暖かいまなざしを国民たちに向けた。
「……だから、この魔法の布を買い取りましょう」
女王の言葉に歓声が沸き起こり、『女王の裸』コールは一段と激しさを増したのだった。
北の果てに雪と氷に閉ざされた小さな国がある。
そこの国の国民たちはみな聡明で働き者であるが、1年に1度の祭りの日だけは違った一面を見せる。純白の衣をまとい、一晩中踊り狂うのだ。
彼ら曰く、理性を脱ぎ捨てて身も心も裸になる行為なのだという。
服を纏っているのに裸とは、一体どういうことなのか。旅人が訪ねても、北の民たちはニヤリと笑うだけで何も答えてはくれないのだとか――