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銀色の道具
作者:阿井植夫
 グラス一杯の水で溺れそうになっていた僕を助けたのは、真っ赤なハーレーに乗った郵便配達人だった。
「お届ものです」
 自分宛に小包が届いた。差出人はいつも使っている通販会社だ。中身はピンセットと虫眼鏡だ。一見して昆虫採集でもするようだが違う。いや、採集というところは合っているかもしれない。これは人を狩る道具だ。使い方は簡単だ。この虫眼鏡には照準を合わせるための目盛であるレティクルが付いている。虫眼鏡を覗いてレティクルが十字に交わっているところで対象物をとらえればよい。この場合の対象物は写真週刊誌に掲載されている写真の人物だ。レティクルの中心でとらえてピンセットでつまむ。そうすると写真からきれいにはがれてくる。それをそのまま生のまま食べる。よく咀嚼して味を確かめる。食感と味を十分に楽しんで嚥下する。後は腹が膨れるまで同じことを繰り返せばよい。最近では週刊誌の顔でもある話題の女優を味わってみる。美味い。正直、人物がこれほど美味しいとは驚きだ。そんなことを数日続けているうちに、家にあった写真のほとんどを食べつくしてしまった。
 困ったことに家にはそれ以上食べられるような写真がなかった。それでもどうしても人物が食べたかった僕はカメラ片手にベランダに立った。ここから道行く人に向かってシャッターを切るのだ。1時間ほど撮りためると写真をパソコンに取り込んだ。そして、徐にプリンターが動き、写真が出来上がっていった。犬の散歩をする人、ジャージでウオーキングする人、初老の男性などを食べた。不思議なことにピントがずれて写った写真はやはりぼんやりとした味がした。一番美味しかったのは、流行りの服を着た二十代の女性だった。そんな風に僕は通行人を撮っては食べた。何日続けただろうか、そうしているとだんだんと通り過ぎる人数が少なくなり、ついにはほとんど人が通らなくなった。また僕は食べることができなくなってしまった。仕方がないのでしばらく新聞の写真で食いつないでいた。やはり腹黒そうな政治家などはそれ相応の味がするものだ。そういうものばかり食べているとたまにはフレッシュなものが食べたくなってくるものである。
 ○月××日。ついに僕は膨大な食糧を見つけた。パソコンで見ていたアイドルサイトで虫眼鏡とピンセットを使ったのだ。そしてみごとに食料を得ることに成功した。検索すれば膨大な数の人物が出てくるのだからこれほど良い食糧源はない。よく味見してみると若い方が美味しいらしい。しかも、少年よりは少女の方が美味しいようだ。コリコリとした食感に独特の風味があって何とも言えない美味しさがある。それから、肌の色は味に関係ないらしいということが分かった。
 とうとう僕はグルメになった。これで、世界中の美味しいものは僕のものだ。今日も世界中のサイトをめぐって美味しいものをつまんでいる。食べ終わった人物の映っていた所がおぼろげな灰色でまるで影のようになっている。僕が食べたサイトはみんな灰色になった。でも、しばらくすると正常な写真に更新される。きっとサイトの管理人の仕業だろう。不思議なことに食べてしまったものと同じ写真が掲載されることは二度となかった。
 人、もっと人が食いたい。ついに僕は食うのに困らない人になった。明日はどんな検索をしてどんな人を食べようか。僕は今日も欲望のままに虫眼鏡とピンセットを動かすのだ。家に一枚だけ残った写真が写真立てに入ってこちらを向いている。それは、僕が笑った写真だった。その前に置かれたグラスに水を注ぐ。たくさん食べたのでのどが渇いた。僕はまた一杯の水で溺れそうになりながらグラスを空にした。
 ニュースで行方不明者が多数出ているという報道が盛んにされている。でも、そんなの僕には関係ない話だ。無限連鎖とも思えるネットの世界で僕は食物連鎖の頂点に立ったのだ。美食家になった僕は世界中の味を知っている。しかし、ただ一つ試していない味がある。それは自分の味だ。自分自身を食べたらどんな味がするだろうか。いつもそんなことを考えながらグラスの水に溺れるのだが、今日はいつもと違ってグラスには酒が入っている。グラスの酒が減るにつれて僕の美食家としての好奇心がむくむくと入道雲のように大きくなっていく。写真立てに手をのばす。カチャリと銀色の道具が静かな音を立てた。そして、僕はついに灰色に、ぼんやりと輪郭のよく分からない灰色になってしまった。
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