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さくら

作者:深月咲楽
 ようやく捕まえた。

 この田舎町を震撼させた一家皆殺し事件の犯人。それは、ちょうど1年前、俺が刑事としてこの町に来てすぐに起こった事件だった。

「あんな小娘を自供させるのに、どれだけ時間がかかってるんだ」

 ベテラン刑事に鼻で笑われ、焦りがつのる。

 高田希代子。20歳。自分と5つしか違わないこの女に、こんなにも手こずらされるとは思ってもみなかった。

 彼女が潜伏していたのは、新宿にあるパチンコ店の従業員寮だった。

 家具は小さなちゃぶ台のみ。衣類はスポーツバッグひとつに収まるほどしかない。財布の中には、千円札が1枚と小銭少々、そして広告を利用した手作りの封筒が1枚。

「こんなもん、何で後生大事に持ってるのかなあ」

 封筒の中身は、数十枚の桜の花びらだった。鑑識から、何とかいう珍しい枝垂れ桜の花びらだと教えられた。その変色具合から見て、1年ほど経っているとのことだった。

 殺害されたのは、彼女の伯父夫婦とその次女。紐状のもので首を絞められていた。死亡推定時刻は夜中の12時から1時の間。寝入ったところを襲われたらしく、発見時、遺体は各々のベッド上にあった。荒らされた様子もない。当初から、生活習慣や間取りなど、家の内情をよく知る者の犯行と見られていた。

 隣町に住む長女の証言により、容疑者は程なく特定された。

「昨日の朝、退院した希代子を、病院からタクシーであの家に送り届けたのは私です。でも、金銭問題ですぐに喧嘩になってしまって」

 希代子はその1ヶ月ほど前から、体を壊して入院していた。他に身寄りのない彼女は、住み込みで働いていたスーパーもクビになり、その後の生活に大きな不安を抱えていたものと思われる。

 長女は泣きながら続けた。

「『あんた達になんか、二度と頼むもんか!』って叫んで、出て行ってしまったんです」

 たしかに、午前11時少し前、叫び声と共にこの家を飛び出す希代子を、近所の人も目撃している。

「それからすぐ、私も自宅に帰りました。まさか、あれが元気な両親を見た最後になってしまうなんて……」

 事件当日は朝から風が強く、午前11時を過ぎた頃から雨も降り始めた。その雨が上がったのは午後9時。

 玄関前から門に向かう土の上に、一筋の足跡が残されていた。22.5cmの女モノの運動靴。希代子のサイズに合致する。玄関に汚れた形跡はなかった。

 これらのことから、希代子は一旦家を飛び出したものの、雨が降り始める前に再び家に上がり込んで身を潜め、家の者が寝静まるのを待って殺害。逃走時に足跡を残したと推測されている。

「鍵は開けたままでしたし、一度出て行った希代子が戻って来ていたとしても、テレビの音で聞こえなかったと思います」

 長女は身を震わせた。

 動機も状況証拠も揃っている。希代子はすぐに自白すると思ったのに。

「伯父一家が殺害されたことすら知りませんでした」

 彼女はそう主張し続けた。

 この町を出てからは生活するのに必死で、ニュースを見る暇もなかった、というのだ。

「町を出たのは、何もかも嫌になってしまったから。逃げたわけではありません」

 8歳で両親を亡くし、引き取られた伯父の家では厄介者扱い。そんな彼女の生い立ちを思えば、同情する余地はたしかにあった。しかし、犯罪は犯罪だ。決して許されるものではない。

 カレンダーを見ると、明後日で事件から丸1年になる。

「現場百回、か」

 足繁く通い詰めた現場を、久しぶりに訪ねた。家は既に売り払われ、更地となっている。

 希代子は車の免許を持っていない。自転車にも乗れないらしい。当日、彼女を乗せたタクシーも見つからなかった。この辺りは、バスの路線からも外れている。

 となると、この町から出る方法はただひとつ。電車だ。

「駅までは徒歩で行ったんだろうな」

 終電は11時。伯父一家を殺害した時間を考えると、間に合わない。翌日の始発で逃げたというのが、我々の見解だった。

「――おお、見事なもんだ」

 現場から30分ほど早歩きで歩いて、ようやく駅に到着した。駅舎の前には、大きな枝垂れ桜が植えられている。もう花は終わりがけで、所々から緑の葉がのぞいていた。

 呼吸を整えて駅舎に入る。振り返った時、風が吹いて花びらが舞った。見回すと、売店の店員と立ち話をしている駅員の姿が目に入る。

「桜、綺麗ですね」

 俺が話しかけると、駅員はにっこり微笑んだ。

「でしょう? 去年の2月頃、駅の美化を目的に植えたんです。全国でも珍しい種類の桜なんですよ」

「去年の2月?」

 俺は驚いて聞き返した。

「じゃあ、高田さんの事件があった少し前ですね?」

「あら、あの事件を知ってらっしゃるんですか」

 今度は売店の店員が、驚いた顔をした。

「あれは、すごい事件でしたから……。そうそう、あの時は、花びらの片づけで大変な思いをしたんでしたよねえ」

 店員が駅員の顔を見る。

「花びらの片づけって?」

 俺の質問に、駅員はこちらを向き直して答えた。

「死体が発見されたって聞いた前の日のことです。昼前からえらい大雨になりましてねえ。最後まで残っていた花びらが、全部落ちてしまって」

 一息ついて続ける。

「濡れた花びらで足を滑らす人がたくさんいましてね。これは危ないっちゅうことで、雨が上がるとすぐ、花びらを掃いて捨てたんですよ」

「私も手伝わされて。ほんとに大変でした」

 店員は、駅員の方をちらっと見ると、微笑んだ。心臓の辺りがざわざわと騒ぐ。

「桜の花びらは、本当に全部散り落ちたんですね?」

 食らい付くような俺に気押されたように、駅員が頷く。

「ええ。残念だなあって、みんなで話してましたから」

 店員も、はい、と答えた。

「――何てこった」


+++++++++++++++


 取調室に入る。

「これ、どこで手に入れたんだ?」

 封筒に入っていた花びらを見せながら尋ねると、希代子は疲れた表情で顔を上げた。

「駅です。傘を畳もうとしたら、いっぱい貼り付いていて……」

 彼女は少し頬を緩めた。

「振っても振っても、全然取れないんです。結局、電車の中で1枚1枚、はがしていったんですけど」

「やっぱり」

 俺は唇を噛んだ。

「あの日の午前中、君は伯父さんの家を訪れ、口論になった。そして、その直後、町を後にしたんだね」

「おい、お前、何を……」

 先輩刑事に止められたが、俺はその言葉を遮って続けた。

「君が伯父さん達を殺していないって言うのは、本当だったんだ」

 訳がわからないという様子で、希代子は俺を見つめている。

「事件当日の朝まで入院していた君が、この桜の花びらを手に入れることができたのは、伯父さんの家を飛び出した後だけ。でも、犯行時刻には花びらは散ってしまい、掃き捨てられていた。もし君が夜中まで伯父さんの家に潜んでいた犯人だとしたら、これだけの数の花びらを手にすることはできないんだ」

「一度駅に行って、戻って来たってことは……」

 先輩刑事が尋ねる。俺は答えた。

「雨が降り出したのは、彼女があの家を飛び出した直後。駅に来ていたとしたら、土がぬかるむ前に戻ることは不可能なんですよ」

 俺は彼女の顔を見た。

「――桜の花だけが……」

 短い沈黙の後、彼女は小さな声で話し始めた。

「私を励ましてくれたように思えたんです。1人で、しかも病み上がりの体で町を出るのは不安だったけど、桜の花だけが私と一緒に付いて来てくれたように……。それで、どうしても捨てることができなくて……」

 彼女の目に、見る見る涙が溜まっていく。

「じゃあ、本ボシは誰なんだ?」

 先輩刑事が俺の顔を見る。

「雨が降り出す前からあの家にいて、家の内情をよく知っている女なんて、あと1人しかいないじゃないですか」

「――長女か!」

 先輩刑事は悔しそうな顔をして取調室を出て行った。

 泣き伏す希代子に向かい、そっと頭を下げる。

 ――彼女の手には、桜の花びらが大切そうに握られていた。


<了>


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