いらっしゃいませ。
どうぞこちらへ。
本日はいかがなさいますか?
甘い香りのバイオレットフィズ?
それとも、危険な香りのテキーラサンライズ?
はたまた、大人の香りのマティーニ?
わかりました。本日のスペシャルですね。
少々お待ちください。
本日のカクテルの名前は目玉画伯でございます。
ごゆっくりどうぞ。
私は画廊を経営しています。
どれもこれも高級な作品ばかり。
特に、以前惜しまれつつ亡くなられた画伯の絵画は、海外からも沢山の方々がお見えになり、今とても価値があるものになっております。
画伯の作品は、前半を空想から湧き出るユニークな描写の抽象画が多く、その類稀な才能を高く評価されて、とても注目を集めました。
この頃は、創作意欲も大勢で、次々に作品を世に送り出しました。
しかしある時を境に、作風はガラリと変わり、何かを内側から訴えてくるような、目玉をメインとしたモチーフの作品が増え、今までの作品とのギャップがウケて、画伯は時の人となりました。
この頃の画伯の作品を見る度に、その絵画から何を訴えているのかを、ご本人から度々伺ってはみたのですが、その真実は語られる事はなく、それが残念でなりません。
死後に評論家の方々からは、身を削るくらいの痛々しい作品のタッチから、生命を見つめ直し、その強さや儚さや弱さを表現したものではないか?
又は、世界にある色々な矛盾に対する怒りや痛みを、その心のまなこで見据えて、訴えに変える術を描いたに違いないという考えなどが発せられ、多くの議論を呼ぶ事にもなるのは、未だに続けられる、果てなき作品への想いの表れであります。
しかし、この頃の画伯は、ご家族の方から伺った話しでは、何かに取り憑かれたように絵を描き、最期の作品を手掛けている時は、もう正気ではなかったと聞いています。
天才と狂人は紙一重といいますが、芸術の世界の巨匠の中では、それほど珍しい事ではありません。
逆に、そこまで辿り着いた者だけが見る事ができる世界がこの世界にはあるのかも知れません。
きっとその世界を覗いた時の風景を見る窓、それが芸術性の高い作品と呼べるものと呼べるのではないでしょうか?
僕は絵を描くのが好きだ。
小さい頃から何につけても、絵を書くことを愛し、それをしている間は夢中で、あまり手の掛らない子供だったと、よく両親からは言われたものだった。
そんな僕は成績の面でも美術の方は高く、それを褒められたのをよく憶えている。
そして僕は当たり前のように美術大学に進み、好きな絵画を専攻して絵を学ぶ事に没頭した。
その頃は、一日が二十四時間では足りなかったくらい勉強に明け暮れ、友と語り合い、何度も熱い話しで夜を明かした。
僕のまさに青春の一時だった。
そしてその頃に僕は彼女と出会い、恋をする喜びを知った。
彼女の専攻も絵画で、よく海外に二人で渡り、本物の芸術に触れ、感動を共にしたのを憶えている。
あれは、後にも先にもない貴重な体験だった。
青春を桜花するという意味でも。
二人は大学という、親に頼り生きていく最後のわがままを精一杯甘え尽くし、そしていよいよ卒業という、揺り篭からの追い出しをもって社会への現実に放り出されたのだった。
二人は就職を決めて、まもなく親の同意の元、結婚した。
僕は大手の画材店に勤め、美術館の事務をする妻と休みの度に出掛けては絵を描き、幸せな日々を送った。
しかし僕はそのうち、会社の辞令に伴い、営業へと回されて、今までにない日々を向かえた。
その頃、二人には子供ができ、後に女の子を授かる事になった。
その事もあり、僕は一層仕事に身を寄せて、徐々に生活の時間の割合がそっちの方へと反れ始めたのだった。
そんな姿を妻は最初、応援してくれてはいたが、慣れない子育てに不安を感じてか、僕に当たってくるようになり、かなりのストレスでしばらくノイローゼ気味になったほどだった。
その頃の僕は絵などは全く描かずに、まるで違う自分と格闘していたのだった。
そんな日々から抜け出せずに時は過ぎて、いつの間にか子供は小学生になって、ある時子供が作文で父親をテーマに、お父さんは仕事仕事と忙しく、きっと趣味も仕事だと書かれた事を知った。
僕はショックだったが、否定できなかった。
そしてその時に気付いた。今まで間違っていたのではないかと。
そして僕の趣味は絵を描くことなんだと、子供に教えたくなったのだった。
僕は営業課長の役職を捨てて、会社を辞めることを決めた。
そしてコツコツ貯めたお金で、小さなアトリエを開いた。
稼ぎはあまり期待できないが、それでもいいと思ったのだった。
妻も久々に笑顔を見せて賛成してくれた。
これで何もかもが上手くいくと思った。
だが、世間はそれほど甘くなかった。
僕が描いた絵画は全くといっていいほど売れずに、妻の少ない収入が頼りとなる生活にまでなり、三度の食事も危うい事態となった。
それでも妻は明るく、僕に好きな事している方がいいと、愚痴一つ言わずに頑張ってくれた。
僕はそう言われる度に、焦り、また描けなくなるのだった。
そして僕はアトリエに籠るようになった。
僕はしばらく食事を摂っていないせいで、意識が朦朧となり、幻覚のようなものを見るほどになっていた。しかし、そんなある時、壁に何かが見えた気がしたのだった。
それは羽目板で作った壁の木目にある模様。それが、見れば見るほどに、何かの絵に見えてきたのだった。
僕はその事に目を醒まされ、凄い勢いで筆を走らせた。
そして気が付くと、幾枚もの変わった描写のデッサンが出来上がっていた。
僕は自分の描いたそのデッサンに驚き、我に返った。
確かに素晴らしく独特で、奇抜なスケッチの数々に手が震えるほどだったが、考えてみればこれは自分の作品と言えるのだろうか?
僕は戸惑ったが、その時の意識に現実は容赦なく、簡単な誘惑に落ちるように要求するのだった。
僕は当然背に腹は変えられずに誘惑に負ける意外の術を選べなかった。
僕は絵を仕上げてアトリエを出ると、早速妻に作品を見せた。
妻はその絵を見ると、涙して、泣き崩れた。
そして素晴らしい作品だと誉めてくれたのだった。
その絵は妻の薦めで、勤め先の美術館が主催するコンクールに出品することとなり、そして見事、最優秀賞を獲得した。
そしてある画廊を紹介され、そこで売買されることになった。
その評判は思った以上で、かなりの反響を呼び、画廊からは次の作品を期待された。
僕は次こそは自分の生み出す作品をと、張り切って描いてみたが、それは全然相手にもされなかった。
僕は仕方なく、例の壁の木目から浮き出てくるイメージに倣い、筆を動かした。
そして画廊に出すと、見事にウケ、評価も高かった。
僕は嬉しい半面、虚しい気持ちがあった。
それからは、その手を使い、短期間で作品を増やし、僕は次第に有名になった。
家庭も潤い、子供からは尊敬の眼差しで見られ、妻もいつも機嫌がよく、生活は順調になった。
しかし、そこにはやはり、限界があったのだった。
僕の想像した羽目板から浮き出る絵図は、全て出きってしまったのである。
他にあちこちにある木目を目にして、何かが描かれているように見えるか、色々なところで探してはみたが、焦る気持ちのせいか、何も見つけ出すことはできなかった。
画廊はそんな思いも知らずに、まるで出版社の編集員のようにしつこく作品を迫り、やがて僕はまた、アトリエに籠り始めたのだった。
そして僕は、静かなアトリエで冷静さを取り戻し、もう一度初心に返って描いてみることにした。
構想は、懐かしの青春時代に妻と二人で行った海外での思い出を、風景画にしたもので描くことを決めた。
自然と余分な力が抜けて、絵を描く楽しみを感じ、かなりの出来に、自分自身、目頭が熱くなる思いがした。
そして出来上がった作品は、夜を明かした朝日に輝き、清々しく今の気持ちを洗うかのようだった。
僕は妻に言った。
これは本当の僕の心の中の芸術だと。
すると妻は、僕に僕らしくないと言った。
何かが崩れた音が聞こえたかと思うと、僕は辛く、孤独の闇に放り出されて、さまよう盲目のさすらい人となっていた。
何が正しく、何が嘘で何を求めて、何が自分を納得させるのか。全く解らなくなった。
そしてそんな中でも画廊の非情なまでの次回作品の要求は続き、僕は狂い始めた。
アトリエで木目を見ているうちに、その節全てが目玉に見えて、自分を監視し、次は何を描くんだ?何を悩むんだ?苦しむんだと責めたてているように思えてきたのだった。
気が付くと僕は何百枚と言う目玉の絵を描いて、その中で倒れていたのだった。
暗黒にも似たその絵は、僕にとっての地獄絵だった。
しかし、画廊の主人はその絵を見るなり驚きの声を挙げて、絵と僕の顔を何回も何回も見較べて、最高の作品だと絶賛した。
そして、これは高く売れるに違いないと、小声で言うと、どんな心情が絵には隠されているのかと聞いてきたが、金の亡者と化した画廊の主人に、僕は腹を立てて、アトリエのドアを強く叩きつけるように閉めた。
しかし、入ったアトリエの壁には、幾つもの目玉が張り付けてあり、僕は頭が割れる思いで、こめかみをギュッと押さえてしゃがみ込んだ。
ふと、目に入った油絵のヘラを手に持った。
その鋭利な美しく光る先端を、僕は見とれながら高く掲げて、次の瞬間には、僕はそれを強く握り振り降ろしていたのだった。
おしまい。
いかがでしたか?
今日のオススメのカクテルの味は。
またのご来店、心よりお待ち申し上げております。では。
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