第7話 薔薇祝言
どうしたことだ、こりゃ一体何が起きたんだ。
リビングに降りた私は自分の目を疑わずにはいられなかった。リビングではアルカードさんが膝の上に本を閉じて、頬杖をついたまま寝ている。
寝てる! アルカードさんが、人前で!
思わず興奮してアルカードさんの隣に腰かけた。そのままアルカードさんの寝顔を覗き込む。
滑らかで綺麗な白い肌、長いまつげ、すっと伸びた鼻筋、何度見ても綺麗な顔。規則的に寝息を立てるアルカードさんを見ていたら、どうもこうもなんだか興奮してきた。
アルカードさんが、人前でこんなに無防備な姿をさらすなんて、ドキドキしちゃう! イヤー! 寝顔キレーイ! SUGEEEEE!!
「うるさい」
心の中で絶叫していたせいか、アルカードさんを起こしてしまったらしく、パチリと目を開けたアルカードさんに睨まれてしまった。
それを見て一瞬慌てたけど、すぐに思いついた。
「あ、ごめんなさい、あの、膝枕しましょうか?」
その返事を聞いたアルカードさんは膝の上の本をどけて、すぐに私の膝の上に頭を預けてきた。興奮メーター爆発。
キャァァ! イヤァァァ! なにこれ嬉しっ! ドキドキしちゃう! きゃっほーう!!
「うるさい」
「あ、すいません」
これ以上眠りを妨げると起きた時が怖いので、我慢して静かにすることにした。しばらくすると、アルカードさんは再び規則的に寝息を立て始める。眠ってしまったアルカードさんの髪を撫でてみる。サラサラの長い黒髪、綺麗な髪は指先に心地よい。まるで美の集成が膝の上にいるようだ。
そう考えると、逆に今までこの人にときめかなかった自分が、どっかズレてるような気さえしてくる。アルカードさんは綺麗で、怖いけど優しくて、厳しいけどいつも私達の事を考えてくれる。もしクリシュナと出会わなかったら、私はこの人を好きになってたのかなぁ。
いや、どうだろ。ビミョー。まぁ今はクリシュナがいるからな。もしとか考えても意味ないな。
はぁ。それにしてもアルカードさんが私の膝の上で寝てるなんて本当に興奮が冷めやらない。誰かにこの様子を写真に撮ってほしい。映らないけど。
再び興奮が湧き出てきてハァハァしながらニヤニヤしていると、ジュリオさんとアンジェロがリビングに降りてきた。
「あ、ミナ。今度の仕事・・・」
「シッ! 静かに!」
話しかけてきたジュリオさんに慌てて人差し指を立てて静止をかけると、ジュリオさんは不思議そうに覗き込んできて、すぐに納得した。
「お昼寝中なんです」
「こんな夜中でも昼寝って言うのかな」
「まぁ、私達には昼寝ですよ」
小声でそう言いながら再びアルカードさんの髪を撫でる。それはもうニヤニヤしながら。アルカードさんの髪を夢中で愛でていたらチッと舌打ちが聞こえてきた。
「伯爵もこれ見よがしに・・・陰険ですよね」
「本当だよ。羨ましい事山の如しだよ。俺も膝枕されたい」
「ダメですよ。ここはアルカードさんの特等席です」
「ミナのケチー」
アルカードさんの髪を撫でながら思う。美しい人、私の主。ずっとこうして傍に仕えたい。今この人の傍にいられることが、心から幸せ。
ふと、テーブルの上に飾ってあるアンナさんの花瓶に生けられた青い薔薇に目をやった。
青い薔薇の開花と共に迎えた27歳の誕生日。隊長になってもう2年。アルカードさんと出会って、もう7年半も経った。
先日も誕生祝にとインドから直送便で血が届いて、今回はアルカードさんが直々にインドまで足を運んでくれた。またしても私は置き去りだったんだけど。でも、私の為にそこまでしてくれたことがとても嬉しい。
「今年も青い薔薇が綺麗に咲いてよかったね」
薔薇を見つめる私にジュリオさんがそう言って微笑んだ。この青い薔薇は「ミナ」の象徴。植物学者でバラの研究をしていた“ミナ”と、青が似合うと言われた私の。ジュリオさんはこの青い薔薇をいつも大事にして綺麗だと言ってくれる。
「そうですね。今年こそ種が取れたらいいなと思うんですけどね」
「病弱だし短命だもんね。まぁその内強くなるよ」
「もしくは今後の人間の叡智に期待します」
「あ、そうだね。もっと青くて強いのができるかもね」
アルカードさんを膝枕して薔薇の香りに包まれながら薔薇を愛でて、何とも優美で贅沢な秋の夜長。
よくよく思い返してみると、秋って結構今までいろんなイベントが起きてた。トリンに撃たれたのも確か秋。シャンティと出会ったのも秋。結婚したのも、隊長になったのも秋。
その後、驚くべき宣言が、今秋も出される。
あれから時々アルカードさんは私の前でお昼寝をするようになった。それと比例して昼間に起きてくることはない。最初は何とも思わなかったけど、私達は段々それが気になってきた。アルカードさんの身に何かが起きているような気がして、気になって仕方がなかったけど、なんだか、聞けなかった。
そんなある日、たまたま全員集合したリビングで、クライドさんが口を開いた。
「アルカード、お前最近どうしたんだ、大丈夫か?」
「別に、なんともないが」
「ウソつくなよ。お前昼間も起きられねぇみてぇだし、もしかして力が弱まってんじゃねぇか?」
クライドさんのその言葉にアルカードさんは一瞬眉を顰めるも、すぐに表情を戻す。
「そんなことはない。たまたまだ」
「なぁ、もしかしてお前・・・」
「黙れ」
言葉を遮られたクライドさんは口をつぐんだ。クライドさんはきっと何かに気付いたんだろう。でも、それを言う事を許さないのは目の前にジュリオさんが居るせいかもしれない。クライドさんもそれを悟ったようで、悪い、と呟く。
少しの間沈黙していたクライドさんは再び顔を上げると、隣のボニーさんに振り向いた。
「ボニー、お前の考えてることはわかってる」
「・・・は?」
「でも、こうなった以上今しかないと思う」
「・・・なにが?」
要領を得ないクライドさんの言葉にボニーさんは首を傾げる。クライドさんは決意したようにボニーさんに強い視線を向けた。
「ボニー、結婚しよう」
思わずはっと両手を口に当てた。水を打った様に静まり返るリビング。みんながボニーさんの返事を固唾を飲んで見守る。
ボニーさんは一瞬キョトンとすると、段々とその青い瞳に涙が浮かんできた。
「本当? ウソ?」
「ウソなわけねぇだろ。ボニー、俺は今までずっとお前だけを見てきた。これからもそれは変わらない。これから先何十年も何百年もお前だけを愛し続ける。だから、結婚してくれ」
「ほ、本当に?」
「本当だ」
「でも、あたしバツイチじゃん」
「関係ねぇよ。お前が人間でも吸血鬼でもバツイチでもどうでもいい。お前が何であろうと、お前を愛してるんだから」
その言葉にとうとうボニーさんはポロポロと涙をこぼして、クライドさんに抱き着いた。
「嬉しい、クライド。あたしも愛してる」
「ボニー、俺の妻になってほしい。ボニー・バロウになってくれ」
「うん! なる!」
ボニーさんがプロポーズを受け入れた瞬間、リビングは歓喜に沸きたった。みんなで手を叩きながら二人に祝辞をたくさん送った。
「ボニーさん! よかったですね!」
「うん! ミナ、ありがとう! クライド、ずっと待たせてごめんね」
「別にいいよ。どれだけ待っても俺の気持ちは変わらねぇから」
「でも、なんで急に?」
ボニーさんの質問に、クライドさんはちらっとアルカードさんに視線を送ったものの、すぐにボニーさんに視線を戻した。
「その内話してやるよ。今は内緒」
「ちぇっ。ま、なんでもいいけどね。今はとにかく嬉しい!」
「俺も嬉しい。ありがとう、ボニー」
しばらく歓喜に沸き立っていたリビングが少し落ち着きを取り戻すと、ミラーカさんが口を開いた。
「結婚式はいつにしようかしら?」
「うーん、そうですね、全員が揃う事ってあんまりないですもんね」
これから冬にかけてジュリオさんも死神も忙しくなる。ここ数か月吸血鬼組は機関の活動への参加を断っているから平気だけど。まぁ、断ってる理由はアルカードさんが飽きたってのが9割を占めてるんだけど。とにかく、暇な吸血鬼組と違ってヴァチカン組と隊長の私は忙しい。
みんなでうーん、と頭を悩ませていたらジュリオさんが提案した。
「実はね、この前教皇が俺は今年クリスマス休んでいいって言われたんだよね。で、死神も休ませてやろうと思ったんだけど、クリスマスはどう?」
その言葉で満場一致でクリスマス挙式が決定した。
「キリストの生誕祭に吸血鬼が挙式なんてなんか笑える」
「皮肉にも程があるよな。あ、そうだ。アンジェロ、お前神父役やって」
「え? まぁいいですけど。ていうか神父役って言うかそもそも神父なんですが」
「あ、そういえば。全然神父っぽくねぇから忘れてた」
クライドさんの言葉にみんなで思わず笑い出して、ジュリオさんは苦笑していた。ていうか、よく考えたら列席者の過半数以上は聖職者。ヴァチカンの聖職者に祝福される吸血鬼なんて前代未聞だ。多分最初で最後だろうな。
歓喜に包まれるフィレンツェの城。幸せに包まれたみんなと、この時の私には知る由もなかった。
歓喜に揺れる青い薔薇。憂いの青。悲しみの青。
人工的に人間の都合で作り出された青い薔薇は、本当は青い色素なんか望んでいなくて、紅いまま枯れたかったのだと、この後、私は嫌と言うほど思い知ることになる。