第6話 解夏戦略
俺のしていることは、正義か、悪か
考えて、頭を横に振ってその考えを打ち消す。こんなこと、考える必要はない。正義かどうかなんて問題じゃない。俺のしていることは、忠誠を代弁しているだけだ。
すべては自分の為に、自分の信念の為に、ミナの為に、伯爵の為に。
アルカードから調査依頼を受けて、少しずつではあるが計画の存在は明らかになってきている。その影で動く勢力、その影で躍動する策略、少しだけの情報をもとに、憶測ではあるが、アルカードの中ではその計画の全容はほとんど見えているようだった。
冬を超え、春を迎え既に季節は夏。
アルカードの指定したタイムリミットまで、あと、4か月。それを目前に控えて、ジョヴァンニは葛藤に悩まされていた。
そんなある日、ジョヴァンニの部屋にミゲルとルカがやってきた。沈痛な面持ちで言いにくそうに口を開いたミゲルに、ジョヴァンニは顔色を変え、そして怒りをむける。
「・・・なんでそんなことしたんだよ」
「ここ数か月くらい、お前の様子がおかしかったから、何かあるのかと思って。ゴメン」
ジョヴァンニは本当に腹が立った。でも、正当化は出来ない。正義でも悪でもないから。自分のパソコンに不正にアクセスして調査資料をのぞき見したと告白する二人を、これ以上糾弾することなどできなかった。
「二人はさ、俺を軽蔑する?」
半ば投げやりに問うた。もし、自分の行動が知れ渡れば、自分は人知れず消されるのだろう。昼間なら自分が気付かないうちに死んでいてもおかしくはない。それだけのことをしているのだから。
その質問に、二人は素直には回答しなかった。
「お前を軽蔑するかどうかは、お前の話を聞いて判断する」
「これはお前の独断じゃないだろ? 伯爵の命令か? その理由は? 計画を阻止する為?」
本来なら真実を語るべきではないことはジョヴァンニだって重々承知していた。でも、彼はまだ若い。自分一人で行っていること、その行動に葛藤して悩んでいたことは事実で、元々繊細な気質だったジョヴァンニには耐えうることではなかった。
ジョヴァンニは話さなかった。アルカードの過去、細かい点には言及しなかった。しかし計画の全容、自分たちの出自、その真意、アルカードの指令、思想、信念、ミナへの思い、そして自分の理想、忠誠、それらすべてを吐露した。
「伯爵は、後悔してる。全て自分の責任だと思ってる。どうしても止めたいと思ってる。俺は、俺のしていることは裏切りだ。でも、それでも俺だって止めたいんだよ。こんなことは、こんな計画は阻止しなきゃいけないんだ。終わらせなきゃいけないんだ」
ジョヴァンニの話を聞いた二人はあらかじめ知っていたであろう、でも、それでも悲しそうに顔を曇らせずにはいられなかった。
「・・・じゃぁ、やっぱり俺達はずっと騙されてたって事だな」
「計画だったのか。今俺達がこうしていることも」
「そうだよ。伯爵はその事すらも後悔してる。俺達の人生を狂わせた原因は自分にあると、もし計画を止められなかった時は、お前たちは逃げろと、伯爵はそう言った。俺達の周りは敵だらけになるから、誰も信じられなくなるから、人生を狂わせた上に巻き込む事は出来ないと」
「そのこと自体は伯爵のせいじゃねぇだろ」
「でも、伯爵は自分を責めてる。自分の蒔いた種だって。自分の責任において全て終わらせるって。例え何を犠牲にしても」
「それって・・・」
「多分、伯爵は、死ぬつもりだ」
それを聞いて二人は顔色を変えた。資料を見た時点で、自分たちの周りで密かに起きている悪魔の所業は理解していた。それを阻止するためにジョヴァンニが駆け回っていたという事も、自分たちの出自も。
正直二人には微塵もジョヴァンニを責めるつもりはなかった。分かっていた。分かっていたのだ。ジョヴァンニがミナに本気で忠誠を尽くしていると。彼女が、命の恩人だから。彼女が、ジョヴァンニの女神だから。彼女と彼女を取り巻く人を守りたいと思うからこそ、彼女への忠誠を何よりも優先しただけだと。
だからこそ、ルカは憤った。
「お前、それでいいのかよ」
「いいも何も、俺一人でどうこうできることじゃねぇんだよ」
「このままじゃ、伯爵は死んじまうかもしれねぇんだぞ。伯爵だけじゃねぇ、ミナちゃんも、みんなも、俺達も!」
「わかってるよ! でも、俺にどうにかできるわけねぇだろ!」
「当たり前だろ! お前一人でできるわけねぇんだよ! ガキのくせに粋がってんな!」
「…! 俺は確かにガキだよ! でも、じゃぁどうしろってんだよ!」
「俺達に最初から話せばよかっただろ! なんで今まで黙ってた!?」
ルカの言葉に、思わずジョヴァンニは黙り込んだ。ルカが責めているのは自分のしていることを責めているわけじゃない、信頼を、仲間を信じなかったことを責められているのだと、気付いた。
「ジョヴァンニ、お前のしていることは裏切りなんかじゃねぇよ。止めたいんだろ? みんなの為に。それのどこが裏切りなんだよ」
「なぁ、言ってくれ、俺達に。助けてくれって、手伝ってくれって。俺達を信じてくれよ」
「・・・でも、こんなスパイみたいなこと、みんなに知られるわけにいかないだろ。逆に俺や伯爵たちが晒し者にされない保証はないんだ」
「保証? あるさ」
「そんなわけ・・・」
「今俺達は誰に着いて行ってると思ってんだよ。誰に命預けてると思ってんだ」
「世界中が俺たちの敵にまわっても、ミナちゃんだけは俺達を裏切らない」
「いつも俺らの事を体を張って、命を懸けて守ろうとする人を、俺らが信頼しないはずがない」
「それほどまでに俺達を大事に思ってくれる人を、俺達が守りたいと思わないはずがない」
「ミナちゃんには、俺達が命を懸ける価値がある。そうだろう?」
ジョヴァンニの女神、ジョバンニのイコン、ミナは直情型のバカでいつも行き当たりばったり。言いたいことを言いたい放題言うし、自分に正直すぎる。人を疑う事を知らない。
だからこそ、身を挺して他人を守る。だからこそ嘘を吐けない。だからこそ、裏切らない。
一度彼女の傍に身を置いてしまえば、彼女を信じずにはいられない。彼女に跪かずにはいられない。それは、ジョヴァンニだけでなく、死神たちにも同様だった。そのことが、ジョヴァンニには死ぬほど嬉しかった。
「そうだよな、ミナってそういう奴だ」
「ジョヴァンニ、俺達にも手伝わせてくれ」
「そうだよ、調査ならミゲルの十八番だしな」
「俺達、ずっとずっと一緒にやって来たじゃねぇか。今更信じられないとかナシだぞ」
ジョヴァンニの心の中で燻っていた葛藤の炎が、静かに鎮静化していく。彼は、ずっと共に戦ってくれる仲間を求めていた。一人で、正義なのか悪なのかもわからない行動をとることが心細かった。彼の心の炎は、消えた。
「今まで隠しててごめん。お願いだ、俺と一緒に、止めてくれ」
その言葉を聞いた二人はようやく笑顔になって、やっと言ってくれた、と喜んで肩を組んだ。その瞬間、ミゲルが言った。
「作戦成功」
その言葉にハッとしてジョヴァンニが顔を上げると、死神たちが部屋に集まってきた。
騙された、裏切られた。自分は大変な失態を犯してしまった。もう、終わりだ。
ジョヴァンニの焦燥が募った瞬間、クリスティアーノがジョヴァンニの前に進み出て、ジョヴァンニに拳骨を落とした。
「いった・・・」
「お前今裏切られたとか思ったろ」
「本当バカ」
「バーカ」
「バーカ」
困惑するジョヴァンニにみんなはバーカと連呼する。傍にしゃがみ込んだクリスティアーノはフゥと溜息を吐いてジョヴァンニに笑いかけた。
「実は俺らも一緒に見ちまった」
「え? そうなの?」
「そ。で、説得に一番向いてそうなミゲルとルカを派遣したわけだ」
「え!? そ、じゃ、じゃあ」
「俺らも協力する。つーか、させろ」
「つーか任せろ!」
グッと親指を立てる面々に、思わず涙が出そうになった。一瞬でも疑った自分を恥じた。みんなは最初から俺の味方だったのに、俺が勝手に独りだと思い込んでた。絶対、信じよう、なにがあっても、みんなを。
「クリス副長、みんな、ありがとう。よろしくお願いします」
そう言って顔を上げたジョヴァンニに笑いかける面々に、違和感を感じた。いるはずの人が、いない。
「アンジェロ副長には・・・」
「言ってねぇ。つか、言えねぇってのが正解」
「そっか、そうだよな」
「気持ちの上ではどうかしらねぇけど、立場上無理だろうからな」
「何よりも、アンジェロにとって立場も事態も隊長の存在も、すべてがデカすぎる。さすがのアンジェロも悩みすぎてうつ病になるぞ」
「そうだね・・・いや、そうかな?」
「そうさ。それほどの事だ。でも、それも時間の問題だろうがな」
その言葉にジョヴァンニは再び俯いた。懸念していること。いずれ自分達にも命令が下るのだろう。その時に、副長はどうするんだろう。
「ま、今考えてもしょうがねぇ。さ、伯爵に挨拶にでも行くか」
「・・・伯爵、信じてくれっかな」
「裏切り者つってジョヴァンニ殺されたりしねぇ?」
「大丈夫だよ!」
クリスティアーノの先導に狼狽する死神たちに思わず声を上げたジョヴァンニは、そのまま言葉をつなげる。
「伯爵は、悪い人じゃない。ミナが忠誠を誓うほどの人だ。ミナが生死をかけるほどの人だ。だから、大丈夫」
その言葉に死神たちも納得せざるを得なかった。
「しょうがねぇなぁ。じゃ、俺らはお前を信じて伯爵にお目通りを願うとするか」
「だな」
「ありがとう」
仲間を得たジョヴァンニは、死神たちを引き連れてアルカードの部屋へ向かった。ノックをして返事の後にドアを開くと、ちょうどミラーカと相談中だったようだ。ジョヴァンニの背後に死神の姿を認めたアルカードはすぐに察したようで、溜息を吐いた。
「はぁ、ジョヴァンニ、お前は全くケツの青い若造だな」
「すみません、でも・・・」
「あぁ、わかっている。私とて、お前に重い荷を背負わせていたことはわかっていた。すまなかったな」
アルカードの言葉に思わずジョヴァンニは熱いものが込み上げてくる。それを見たアルカードは呆れたように笑って見せた。
「さすがにお前はミナの息子だな。すぐ泣くのは遺伝か?」
「な! 泣きませんよ!」
「感受性が豊かなのは良い事だが、バカなところは受け継いでくれるなよ」
「心配ご無用です!」
憤慨するジョヴァンニに笑っていたアルカードはふと、クリスティアーノに視線を向けた。
「陣頭指揮はクリスティアーノだな。小僧には言っていないんだな」
「はい、もちろんです」
「命令が下るその日まで隠し通せるか?」
「隠し通します」
「この事はここに居る者以外に口外してはならない。わかったな」
「わかりました」
「改めて問う。お前たちがここに来た理由は?」
「計画の阻止、それとみんなのためです」
「みんな、か。そうだな。お前たちはそれでいい。いや、そうであってもらわなくては」
「はい。俺達には敵も味方もありません。自分たちの信念こそが、正義です」
返事を聞いたアルカードは頷いて、ミラーカと視線を合わせると二人で頷き、再び死神たちに視線を戻す。
「お前たちに命令が下るその時が、計画を阻止する一番最初のチャンスだ。逆鱗に触れぬよう、遠回しに説得することが必要になる。できるか?」
「なんとかやってみます」
「強行することは絶対に避けろ。最悪の場合その場で殺されるからな」
「わかりました」
「それと、その時期についてだが、恐らく10月か11月だろう」
アルカードの予言ともとれる発言にクリスティアーノもジョヴァンニたちも首を傾げて顔を見合わせた。なぜそんなことが? それに知っている限りは違った筈だ、と。
「資料だとまだ何年か先だったと思いますが・・・」
「当初の計画ではな。だが計画は早まる。実行は早ければ11月。確実さで言えば12月だ」
「なぜそう思われるんですか?」
「そうせざるを得なくなるからだ。その理由については話してやる事は出来ない。いずれ、わかる」
「そうですか、わかりました。では、こちらも準備を進めておきます」
「あぁ、頼んだぞ」
頭を下げて出ていく死神たちを見送って、ジョヴァンニだけがアルカードの部屋に残った。
「ジョヴァンニ、よくやったな」
「いい加減良心の呵責に耐えられないんですが」
「よく言うものだ。お前が仲間を求めていたのは事実だ。あいつらがお前を心配していたこともな」
「まぁ、そうですけど。でも、これで伯爵の言った通り死神を引き込めました」
「あぁ、お前は本当にやる。実に優秀だ。私の言った通りに振る舞い、私の言った通りに情報を探るよう仕向け、私の言った通りに仲間に引き入れた。お前は実に優秀だ」
「ありがとうございます。でも、正直な話なにもしなくてもいずれこうなってたような気もします」
「それはあり得ないな。お前が動かなければ奴らも動くことはなかった。お前のお陰で引き込めて、その為に奴らが私に反抗する理由はなくなった。だからこそ奴らを助けてやることもできる。お前の望みどおりにな」
「はい。ありがとうございます」
数か月前、ジョヴァンニはアルカードに嘆願した。命令を受けたら、自分たちはアルカード達を裏切らなければならない。でも、死神たちを殺さないでほしいと。助けて欲しいと。
アルカードはその願いを聞き入れた。事実死神たちが全員味方に付けば計画の阻止にも多大な貢献になる。ジョヴァンニの言う通り、自分に反抗しなければ殺す理由もない。利害関係が一致して、計画したとおりに事を進めた。
実際にも悩んでいたが、必要以上に落ち込んでいるように振る舞い、別に保管していたデータを敢えてパソコンに残し、ミゲルがハッキングするよう仕向けた。
計画は功を奏して、難なく死神を手中に収めた。
最後に笑うのは、ハンニバルか、スキピオか。その結果が出るのは、もう目前に迫っている。