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春夢槿花
作:貴水 玲



【四】 食 客


「劉王―っ!」

 城門をくぐると、一人の男が城の中から走り出てきた。
 かなり体躯のいい大男だ。無精髭に強面の顔、誰が見ても後ずさりしてしまうような厳然さがある。
「ごっ、ご無事でしたかっ! 一体何処に行かれたのかと、私はひやひやして……」
「そうわめくな、誅易(ちゅうい)。俺は子供じゃないんだ」
 武官に馬を繋いでおくように言い、劉王は誅易の巨体を退けて城内に向かっていく。
 しかしそれでも誅易がめげずに後を追ってくる。
「しかしですね、近頃祖()が力をつけている様子。万一の用心に越したことはないですぞ!」
 中身は割と気の小さいところもある誅易である。
 黎青の待っている客間までついて来そうな様子に、劉王はぴた、と足を止めた。

「誅易」

「はっはいっっ」

「俺の私用まで付き合うつもりか?」
 鋭い瞳に睨まれて、誅易がぐっと息を呑み込む。
「も……申し訳ございません」
 そう頭を垂れ、誅易が一歩下がる。
「劉王、将軍の仰ることはもっともですわ」
 瑚蝶がそう誅易に賛同するが、劉王はいつものごとく鼻であしらった。
「誅易、たまには俺のことは忘れて療養でもしてきたらどうだ?暇なら幾らでもやる。真舟湖ましゅうこあたりは美女が多いと聞くぞ」
 劉王がそれを遮るように言下に言う。だがここで引き下がる誅易ではなかった。
「何をおっしゃいます、自分のことよりまずは陛下の王妃探しでございますよ!」
 こういうときの誅易の表情は意気揚々としている。先王の時代より王朝に仕え今では劉王の傍仕えも兼任するこの男にとって、幼少の時分より見守ってきた天子は最早息男のような存在なのであろう。
「陛下ももう二十四。そろそろ身を固めてもいい時期ですぞ。そしてお早く継嗣をもうけて頂かないと! そのためによりすぐりの――」
「お前の目は節穴か」
「は?」
「隣に候補がいるだろう。これが殿御に見えるか?」
 劉王が言う先に、瑚蝶。二、三回目をしばたかせて瑚蝶は悪戯っぽく笑う劉王を見上げた。
「いざとなったらこやつが何とかするだろう」

「劉王!」

 誅易と瑚蝶が叫んだのは同時であった。

「はははははは……」
 軽快な笑い声が王城の中に響き渡る。劉王は再び歩みを進め始めた。
「こ、瑚蝶殿! まさか本当にそのようなことはっ!」
「瑚蝶! 早く来い!」
 動揺の渦中の誅易に一礼し、瑚蝶は劉王を追った。


「よろしいのですか?」
 そっと振り返って見ると、よほど衝撃を受けたのか、誅易はぽかんと回廊に立ち尽くしたままだ。
「ああ、あれで少しは矛先はお前に向く」
 劉王が勝ち誇ったように喉の奥で笑う。
「……私はごめんです。それでしたら私も誅易将軍に賛成ですわ。劉王と添い遂げるのにふさわしい方をお見初めいたしましょう?」
 瑚蝶も負けずとそう言い返す。
「−−厄介だな」
「将軍がおっしゃりたいのは、お戯れも程々にして、本来の務めを第一にお考えになって頂きたいということですわ。貴方はこの国の主なのですから」
「……やれやれ。皇帝とは肩身の狭い身の上だな。どこにいても休まる気がせん」
 劉王がそう呟いたその時、足音に気付いたのか玉座の間の扉が開き、黎青が顔を出した。
「とくに庇い立てはしませんでしたよ、職務怠慢の皇帝閣下」
 異国生まれの母親譲りの美貌で、黎青はにっこりと劉王に笑いかけた。
「そのようだな……まったく。友達甲斐のないやつめ」
 黎青を一瞥し、玉座の間には入らず劉王はそのまま回廊を進んだ。その背中に瑚蝶は問いかける。
「どこへ?」
「俺はその部屋が嫌いでな、どうも辛気くさくて。まだ地下の方がましだ」
 そう投げやりな返事を返して、劉王は中庭への階段を下りていく。瑚蝶と黎青もそれに続いた。

邦昌(ほうしょう)、いるか」


 どこを見てでもなく、劉王がそう呼ぶと、がさっと木の枝が揺れた。
 その影から現れた一人の青年が、劉王の前で膝を折りくっと顔を持ち上げた。
「居眠りしていたわけでもなさそうだな」
そんな劉王の言葉に、青年はにや、と笑った。
 黒曜石のような双眸が、甘さのある優男風の顔立ちに、鋭く野性的な印象を与えている。瞳と同じ黒髪は、無造作に後ろで劉王と同じ朱の紐でくくられていた。
年は、二十歳そこそこといったところだ。瞬きをする度に、時々あどけなさが顔色に出る。
「北の都からの風に呼ばれまして。……陛下にとって損にはならぬかと」
 そう言葉を紡いだ口元に、曰くありげな笑み。
「盛大な歓迎だったか?」
おそらく二人にしか理解し得ぬ会話。それほどでも、と邦昌は苦笑混じりに袍の袖をまくり名残を示す。
腕に一筋の血の滲む傷跡。十分に手当を施していないせいで、まだ生々しい痕跡を残している。

「血……?」

 二人のやりとりを眺めていた瑚蝶だが、邦昌のその腕に目を留めた。そして駆け寄る。
「どうしたというのですか、これは!」
「ああ、大丈夫さ、こんなの舐めときゃ」
「治りません!」
 隠すように袖を下ろしかけた邦昌の腕を、瑚蝶は素早く掴んで声を張り上げた。その剣幕に
押されて、邦昌が面食らった表情になる。
「……誰ぞやの余計事が出たな」
 ククク、と劉王が低く喉の奥で嗤う劉王を瑚蝶はきっと睨んだ。
「劉王! 邦昌に今度は何をさせてきたのです!」
「……あのな、瑚蝶?」
 苦笑しながら直輝が口を挟もうとするが、瑚蝶は聞く耳を持つ様子はない。ばつの悪い顔をした邦昌だが、当の牙をむけられている劉王は平然としている。
「お戯れにも程があると、言ったはずです。従者は切り捨てるための道具ではありませぬ! 些細な怪我一つでも命取りになることだってあるのです!」
 瑚蝶の辛辣な叱責にも劉王は否定も肯定もせず、静観しながらゆるりと口角を上げた。
「……なるほど、お前の矛先は常に俺に向くわけか。――よい、手当をしてやれ」
「言われなくてもそういたします」
 ぷいと顔を背けると、倉皇する邦昌の手を引っ張って瑚蝶は城内へ戻って行った。
 その後ろ姿を見送りながら、劉王は声を押し殺しながら笑う。
「ク……ククク。意外に猛禽の類だったようだな、あいつは」
 その隣りで黎青が、深いため息をついた。そして剣呑を含めた声音で問う。

「――劉閃。どういうことです? “ 北の都 ”とは」

 先程の邦昌の言葉が黎青は気になっていた。”北の都 ”が指し示すのは、おそらく穏やかな話題ではない。
「うん? 亜奴にちょっとした使いを頼んだのだ。たいしたことではない」
「ほう……それであの怪我ですか。無断で国境越えでもすれば、ああなるのですかね」
「……そう問い詰めるな」
「――そうしなければ、黙殺しかねませんからね、貴方は」
「……ふふ、気の置けない奴め」
 瑚蝶の去って行った方角を見つめたまま、劉王が喉奥で嗤う。
 褒めているのかけなしているのか。
 ふう、と溜め息をついて黎青は青玉のような青い瞳を細めた。

「……嫌味に聞こえますよ、劉閃。――さて、そろそろお茶の時間にしませんか? ご自慢の白花茶を頂きながら、ゆっくり歓談でもしましょうか」

 有無を言わさぬ迫を秘めた流麗な微笑で、黎青がそう促した。

 












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