【弐】 金稜花
「金……稜花……」
一面、黄色い花が地面を埋め尽くし、そして花びらは後を絶たず空に舞い上がる。
「春だ。この花が咲くと、風が変わる」
穏やかな声で、舞い上がる金陵花を見つめる瑚蝶に劉王は言った。
「こんなに……」
「ああ、毎年ここだけは満開になる」
その美しさを、瑚蝶は食い入るように見つめ続けた。
劉王が馬を降り、そして瑚蝶を馬から降ろす。
「そんなに驚く光景か?」
ほとんど身動きせずに一面の花畑に見惚れている瑚蝶に、劉王が苦笑まじりに問いかける。
「……お外に出して頂くことなんて、滅多にありませんもの」
「フフン、脱走でもすれば止めはしなかったぞ」
劉王が金陵花の中を歩き出す。瑚蝶もそれに続く。
少し小高くなった丘陵地で、劉王は足を止まらせた。
「見えるか、瑚蝶」
瑚蝶が劉王の隣りへ立つと、形の良い指が、ずいぶんと遠くなった白高の都を指した。
「父の都だ」
その言葉に、瑚蝶は首を傾げた。
「今は貴方様のものでしょう、劉王」
「譲られただけだ。自分で陥落させなければ都も国もおもしろくない」
“私の国もですか”
出かかった言葉を、瑚蝶は喉の奥へと押しやった。
国のことを話す時の劉王は、みずみずしい生気が感じられる。思わず破顔したくなるほど、少年のような片鱗を示すときがある。
なぜか言えない。
いつもなら、知らぬ間に口で叩いているものを、なぜ考慮してしまうのか。
「……では、また新しくお創りになればいいことでしょう」
「それで不祝儀を増やすのか?」
劉王は丘を下り始めた。
そして見晴らしのいいところを陣取ると、その場に寝転がる。
「仕方のないことでございましょう。あなた様が世迷いごとを言う必要はないはずです」
「世迷いごと……か」
口元に笑みを浮かべて、頭の後ろで両手を組んだ劉王の隣りへ、瑚蝶は腰を下ろした。
「すべて劉王、貴方のものです。この国も……金陵花も」
劉王の返答はない。
風に瑚蝶の冠の飾りが揺れた。
すると、思い起こしたように、劉王が起きあがった。
そして、瑚蝶に背を向けて座り直した。
「劉王?」
瑚蝶は肩越しに、劉王を覗き込んだ。
「花冠を作ってやる」
「は……」
劉王の手が金陵花を優しく摘み取る。そしてそれを、どこで覚えたか、器用に編み込んでいく。
「こうみえても器用なんだ」
唖然とする瑚蝶を尻目に、劉王の手は止まることなく次々と花を編み込んでいく。金陵花は次第に花冠の形を整えていく。
「どこで覚えたのですか?皇帝ともあろうお方が……」
驚き呆れる瑚蝶に、劉王は小さく笑った。
「お前の知らぬ昔のことさ」
劉王がこちらを振り返る。
そして手の中の花冠をそっと瑚蝶の髪へ載せた。
はらり、と二三枚の花びらが髪を滑り落ちた。
それが劉王の顔をかすめて、髪に結ばれる朱の紐にそって後ろに飛んでいく。
そんな劉王か、花びらの美しさに見とれていた瑚蝶だったが、馬のいななく声にふと視線を移した。
振り返れば、一面の黄花の中に灰色の馬が一頭。その背には、青年らしき人物が乗っている。
それを見て、すぐさま劉王が立ち上がった。
「黎青!」
凛とした劉王の声が、相手の名を呼ぶ。その声に灰色の馬をこちらに近づけ、青年は馬の背から金陵花の中へ、ひらり、と降り立った。
青年の見事な長い銀髪が、風に揺れる。
スラリとした上背に、白い袍。優しく微笑んだ容姿は、女性と見紛うほど艶美で見とれてしまう程であるが、彼はれっきとした殿御である。
そして、統と並ぶ三大帝国の一つ、愾麟の皇太子でもある。
「劉閃、このようなところで会うとは思いませんでしたよ。それに瑚蝶殿まで」
職務怠慢ですか、と劉王を見、続いて瑚蝶の姿に、黎青は少々驚き顔になった。
「黎青様、お久しゅうございます」
慣れ親しんだその麗顔に、瑚蝶は微笑んで一礼した。
「お前こそ。俺の領土まで来て何をしている? 金陵花を見に……などとは言うまいな」
同じ目的は遠慮したい、と劉王は揶揄を飛ばす。
「それもありますが、僕はむしろ、この花の主に会いに来たのですけれどね」
金陵花を見ながら、黎青は肩をすくめて見せた。
「それで? 今日はどんな説教だ?」
すかさず劉王が返す。
「失礼な。そんなに僕は説教じみた話しをしていますか? まあ……あなたの態度が改まれば、僕も少しは黙っていられるのでしょうけど?」
「そう言われても身に覚えがないな。なんのことだ?」
不知装いを決め込む劉王を、恨めしい思いで黎青は睨み上げる。
「照れ隠しでございますよ。劉王様は恥ずかしがりやなのでございます、見かけによらず」
そんな黎青に、横から瑚蝶が一言添える。
「余計なことを言うな、瑚蝶」
「劉閃、女性に対して悪態をつくものではありませんよ。まったく、その口の悪さも相変わらず健在のようだ。これでは僕の小言も多くなります。一国の皇帝としての自覚をもう少し持ってくださらないと困りますよ」
少々厳粛な声音で、黎青が劉王を咎める。
「仕方がなかろう。お前のように紳士ではないからな。――ところで、お父上に変わりはないか」
突然の話題転換に黎青は形のいい眉をひそめる。しかし劉王は、まっすぐ彼方を見つめたままだ。
「……ええ。いつもあなたのような息子が欲しいとぼやいていますよ」
「なんだ? お前のような冷めた息子はだめか」
「僕は母似ですから」
「なるほど、扱いにくいというわけか」
くすり、と劉王の口元から笑みが漏れる。瑚蝶は二人を後ろで見守っていた。
「……皇帝になれ、蠡青」
「何を唐突に」
「そして俺と相対してみろ。さすれば非難も存分に出来よう」
表情を堅くした黎青だったが、すぐに和らげて苦笑交じりに返答する。
「ご冗談を。あなたと婀榑の間に挟まれてこれ以上苦慮するのはまっぴらですよ。それを考えれば、僕にはまだ荷が重いです」
統、麒麟と隣接するもう一国の悪友の皇太子の名に、劉王は微笑した。
「そうか?」
「そうですよ、おっと」銀髪と共に、黎青が瑚蝶を振り返った。
「まだ女性には初春の広野はきついのではありませんか? すみませんね、気の利かない主人で。帰りは僕がお送りしましょう」
そう言って、おもむろに劉王を仰いだ。
「勝手にしろ。――ああ、そういえば……」
劉王も瑚蝶を振り返る。
「ここからだと近いな」
じっと劉王に見つめられて、瑚蝶はその言葉の意味を悟った。
もう少し行くと、ふと金陵花のとぎれる場所がある。
元、廟王国の領土。
「……行くか」
そう呟くように言って、劉王は素早く馬の背にまたがった。大きな手が、瑚蝶に差し出される。
さあ、と劉王の唇が動いたのを見て、瑚蝶はその手を取った。
「あっ……」
その刹那、馬に引き上げられた勢いで、金陵花の花冠が瑚蝶の髪から離れた。
名残惜しそうにそれを目で追う瑚蝶だが、劉王は遮るように馬の腹を蹴った。
「劉閃!」
突然の行動に、黎青が声を上げた。
「城に行っててくれ! 誅易に言い訳を考えていなかったからな!」
柳眉を寄せた蠡青を一瞥したかしないか、劉王の馬は颯爽と走り去っていく。
「まったく困った人だ……」
一人金陵花の丘にたたずみながら、黎青は静かに首を振った。
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