木曜日の宅急便
コンコンコン!
ノックの音がやけに大きく響いて、オレは鍵を回す手を止めた。
横を見ると隣の部屋のドアを再びノックする宅配業者の姿。頻繁にTVCMでも見かける大手宅配企業の制服を着た、眼鏡をかけた30代半ばほどの中肉中背の男だ。
ジッと見つめる不躾な視線に気がついたらしく、宅配業者はクルリとこちらを向いた。
「すみません。お隣の方ですか?」
「はぁ、まあ・・」
玄関のドアの前に立って鍵穴に鍵を差し込んでいるのだから、普通に考えたならオレは隣人だろう。
「あの・・207号室の方、いつ頃お帰りになられるかご存知ですか?」
質問しておきながら男は手にしていた伝票に目を向ける。参ったなぁ~などと呟きつつ、会社のロゴの入ったキャップを持ち上げボリボリと頭を掻いた。
気持ちはわからないでもない。現在時刻は夜の8時50分過ぎ。前に宅配依頼をしたときに知ったんだけど、配達指定の最終時間が20時~21時だったから、多分お隣さんが彼の本日最後の配達先なのだろう。
チラリと彼の足元を見遣る。配送伝票の張られた35×50×30センチくらいのやや草臥れたダンボール箱。アパート前の街灯と通路を微かに照らす常夜灯の明かりだけでは、伝票に書かれている文字までは見えない。
そもそもオレ自身がこの部屋に引っ越してきたばかりだから、まだ両隣の住人の名前も顔もわからない。
「さあ?その部屋の人とは会ったことないんで」
悪いケドと続けようとした時、階段のほうから慌しく駆け上がるような靴音が聞こえて来た。そのまま小走りでこっちに向かって走ってくる。
オレと業者は無言で通路の向こうから近づいてくるシルエットを見ていた。
「ああ、良かった。間に合ったか・・・」
そばまで来てやっとその人物の姿が見える。ごく普通のサラリーマンだ。自分を見ているのが業者だけじゃないとわかると、些か訝しげな表情を浮かべ、軽く会釈をよこしてオレの後ろを通り過ぎた。
眼鏡をかけた、痩躯にあまりサイズの合っていないダークグレーのスーツをまとった20代後半ぐらいの男性。
「えっと、『刈谷さん』ですか?」
「はい、スミマセン」
業者のホッとした顔を見て、もういいだろうとオレは差し込んだままだった鍵を回して解錠すると、やっと室内に入る事ができた。
クタクタだ。今日は午後の授業が休講になったため、昼飯後からずっとバイト先のコンビニで働き詰めだった。
かろうじて照明はつけたものの着替えさえも億劫で、疲れて重く感じる体をローソファーに投げ出し、ゴロンとうつ伏せになる。そのままの姿勢でジーンズの尻ポケットから携帯を取り出すと、履歴をチェックし、同じゼミ仲間からのメールにだけ返信をしておく。
あとは睡魔にいざなわれるまま、あっという間に眠りに落ちた。
学生もしくは単身者向けの狭い1DKは管理費込みで月の家賃が4万2千円。オレはこの春からこのアパートの206号室に住んでいる。
関西にある自宅からではどうやっても通えない距離の、東京の大学に進学したのは2年前。入学とともに学生寮に入ったのだが、原則2年間と決まっていたので規定どおりに過ごしたのち退寮、3年生となった今年から本格的に一人暮らしとなった。
掃除洗濯は寮時代も当然自分でやっていたが、食事はこれまで賄いのオバチャン任せだったから、最近は出来合いの弁当ばかりでどこか味気ない。まあ、そのうち・・おいおい覚えていこうとは思っているが。
とにかく今は、自分の世話と学業とアルバイトで忙しい。そのうえ今年からは就職活動もプラスされるワケだ。そう思うと気が重たくて、とてもアパートの隣室の人物なんか気に留めてなんていられない。
・・・はずだった。
コンコンコン!
「宅急便でーすッ。刈谷さーん」
コンコンコン!
早めにバイトをあがるコトができ、それなら提出期限の迫ってるレポートを仕上げてしまおうと、気が置けない仲間たちからの執拗なお誘いにも(なんとか)屈せずに帰宅した今日、またしても隣のドアをノックし、呼びかける宅配業者の声が聞こえてきた。
時計を見れば1週間前とほぼ同じ時刻。午後8時55分だ。
外の通路に面しているキッチンの窓を少しだけ開け、隣の玄関前を窺う。角度の問題で『刈谷』は見えないけれど、先日とは違う宅配会社の制服を着た業者の横顔は見えた。
「あ、コチラ刈谷様のお宅で間違いないんですよね?・・・お荷物です。お手数ですがここに判かサインを・・・・・・ハイ。ありがとうございます。それでは確かに」
今日は部屋にいたらしい。カチャッと解錠の音がして、業者の話し声がしだした。
刈谷の声はボソボソとしか聞こえないが、業者の話の内容から、滞りなく刈谷に荷物が渡ったようだ。
オレの部屋の前を通り過ぎ、階段を下りてゆく宅配業者の足音が遠ざかって行くのを聞き、聞き耳を立てていたことを知られないように、そーっと静かに窓を閉めた。
宅急便が届くなんてごく日常的だ。オレのところにも時々オフクロから食料品や消耗品がダンボール箱いっぱいに送られてくる。
だからこの時は別に何も気には留めなかった。この翌週、また違う宅配業者がほぼ同時刻に荷物を持ってきた時も。その次の週も。そして更にその次も。
1週間に一度、木曜日の夜8時50分前後に必ず荷物が届く。ただ、それだけだ。
ひとつだけ、ちょっと不思議に思ったのは、いつも違う宅配会社の業者が配達に来ること。大概は誰でも贔屓・・と言ったら大袈裟だが、決まった宅配会社を使うんじゃないだろうか。最近ではメンバーズカードなるものがあって、送っても受け取ってもポイントが付いたりするし、ポイントを貯めて貰える景品も悪くない。
勿体無い。刈谷から送り主に言ってやればいいのに。・・・そんなふうに考えただけだった。
土曜日。昼まで惰眠を貪ろうと画策していたオレの携帯に、アルバイト先であるコンビニの店長から泣きの一報が入ったのは、朝の7時ちょい過ぎ。
『小笠原ク~ン。頼むよぉ』
今にも泣きそうな情けない声で頼まれ、断る事ができなかった。
聞けば午前8時からのオバちゃんアルバイト・川井さんが、朝っぱらから孫に飛びつかれギックリ腰で動けなくなったとか。50代に足を突っ込んだ彼女に、愛はかなり重かったのだろう。
そんなわけで急遽出勤になったのだけれど、おかげで意外な人物と対面した。
「・・宅急便、お願いします」
カウンターにダンボール箱を置いてそう言ったのは、顔を見るのは2度目。眼鏡をかけた痩せた男。前に見たときと同じ、少々体よりも大きめのスーツ姿。
刈谷だ。
「いらっしゃいませ。ではコチラにお届け先とご依頼主様の住所と電話番号をお願いします」
どうやらオレのことは覚えていないらしい。
伝票に必要事項の書き込みを頼みながら、横目でチラリとダンボールを見る。これは多分、一昨日の夜隣に届いた荷物だろう。開封した形跡がないことから、届いたものをそのまま持ち込んだんだと思う。
先の伝票が貼ってあったはずの場所は表面がボロボロにはげている。
「コチラ割れ物や生ものは入っていませんか?」
「・・ああ」
上の空な返事が返ってくる。
彼がペンを動かしているうちに箱の寸法を測る。続けて重量。箱の大きさに比べて重く、13キロだ。
「120サイズですので1370円ですね。ご希望の時間帯はございますか?」
刈谷が書き終わった伝票にチェックと特必事項を記入しながら訊ねる。
「・・日時の指定を。来週の木曜日、午後の8時から9時で」
木曜日?しかも午後8時から9時って・・・
届け先の欄を見れば、そこには見覚えのある住所。当然のごとく依頼主の欄も。
なんだこりゃ?
アパートからそんなに離れていない場所にあるコンビニから、自分で自分宛にわざわざ宅急便?
意味がわからなくてうっかりボーっとしてしまい、後ろから店長に脇腹をつつかれハッと我に返った。
素知らぬ顔で会計を済ませ、店を出てゆく刈谷の後姿を見送り、再び手元の配送伝票に目を落とした。
「どうした?小笠原クン」
ボンヤリと物思いにくれていたオレを不思議に思ったのか、店長がちょっと心配げに覗き込んでくる。
「いえ・・いま宅急便の依頼をして行った人、ウチのお隣さんなんですよ」
「へー。・・で?」
「で、一昨日の夜あの人の部屋に届いた宅配の荷物を、また配達依頼してったみたいなんです」
「は?」
ワケがわからんと眉間にしわを寄せる店長にダメ押し。
「しかも一昨日届いた荷物も多分、自分で配達依頼したんじゃないかと・・・」
「へ?」
オレが知る限り、過去1ヶ月ちょっとの間、毎週木曜日の午後9時少し前になると宅急便が届き、そして箱を開けないままに伝票だけをはがして、翌日再び宅配に出しているようだと教える。
「なんでそんなことする必要があるんだ?」
腕を組んで渋面を作る店長に、さあ?と首を傾げてみせる。
本当になにを考えているのかわからなかった。
「それって、もしかして怪しげなクスリ?」
「いやいや。結構重かったんだろう?きっと大金だよ。札束」
不思議な行動をとる刈谷の話をすると、それを聞いたゼミ仲間の茂田さんと大野が興味津々で箱の中身を予想し始めた。
平均的身長にロングヘアーのスレンダーボディー・茂田さんは、A〇Bのカシワギ似の可愛いコだ。大野は、これと言って特筆すべきことのない、ごくフツーの日本人の顔。身長はオレと同じくらいだから170センチそこそこ。だけど体重は65キロのオレよりも20キロは上だろう。
午前の授業が終わった後、次まで空きができてしまったオレたちは少し早い昼食をとりに食堂に来ていた。
オムライスを頼んだ茂田さんと、今日は定食を選んだオレ。カレーライスが大好物だと周知の事実の大野は大盛りのカツカレーを幸せそうに食べている。ガツガツと頬張りながら、実家から大量のレトルトカレーが送られて来たんだと話しはじめ、それを聞いてオレが思い出したのは刈谷だった。
「案外エロDVDだったりしてな~」
嫁さんに見つけられたくなくて隠してるとか?と続けられ、オレはそれを否定した。
「ウチのアパート、学生とか社会人でも一人暮らし専門なんだよ。それに普段日中は部屋に誰かいるような気配はないし」
「んー?じゃあ・・・なんだろう。捨てようにも捨てられない。人目から隠したくて、でも手元に置いときたくない?」
スプーンを銜えたまま腕組みをして真剣に考え込み始めた大野と、首を傾げる茂田さん。
「なんで『捨てられない』なの?」
ちまちまとグリンピースを皿の端っこに除けながらの茂田さんの質問に、オレたちは顔を見合わせ、そりゃあ・・と続ける。
「う~ん・・・例えば、茂田さんがカレシとのイケナイ情事のことを綴った、メッッッチャ恥ずかしい赤裸々ポエム日記を書いたとする」
「えっ!なに、その設定?!」
「ま、いいから、いいから。んで、そのカレシと別れたとして、日記をどうしようか考えるわけだ。もの凄く険悪に別れたから手元に置いときたくないんだけど、家族や誰かに見られるのも恥ずかしいから、むやみやたらに捨てることもできない」
「・・そこまで恥ずかしい内容なの?」
大野が語ってるのはただの仮説なのに、茂田さんはうっすらと頬が赤くなっている。もしかしたら仮説ではなく、それに近い物があるのかもしれない。
「あくまで『例え』だよ。しょっぱい思い出だから傍にあるのはイヤだ。今のカレシに見られるのも困るし。だから・・・」
「それが宅急便?」
「方法の一つではあるよな。ほかには・・」
「コインロッカーとか?」
「貸しコンテナとか。金を払って手元以外の安全なところ、な」
食事の手が止まった茂田さんとは正反対に、大野は再び食べ始めた。掻き込みながら話すといった器用なマネで食事を続け、彼の皿はもう殆ど空になっている。
「大野の言い分だと、なんで刈谷はコインロッカーを使わずに宅急便にしたんだろう?」
オレの問いに大野は簡単だよと笑う。
「荷物が大きくてロッカーに入らなかったんだろう。なら二つに分ければいいと思うかもしれないが、二つに分けられないモノなのかもしれないし、分けられたとして、ロッカー二つ分にかかる金額を思えば宅急便のほうが安く済むからなのかもしれない」
「『かもしれない』ばっかりね」
「仕方ないよ。中身を知らないんだから」
茂田さんのツッコミに大野は苦笑する。
仕方がない。せめて何が入ってるのかがわかれば・・・
「んじゃあ、見ればいいんじゃないか?」
突然頭上から降ってきた言葉に、オレたちは一斉に振り仰いだ。
どこから話を聞いていたのか、やはり同じゼミの塚原がトレイを片手にニヤニヤと笑って、オレの脇に立っている。突如として現れた背の高いイケメン眼鏡クンに、茂田さんの目がうっとりとしていて面白くない。
いいか?とも訊かずに隣の席に座ると、塚原は大野と違ってカツなしの普通のカレーをスプーンですくい、食べ始めた。
「おい。見ればいいって・・・」
他人の荷物だぞ?そんなことできるのかと、疑わしげに顔をしかめた大野の問いに、塚原はアッサリと大丈夫だと笑った。
「そいつ、箱を開けないんだろう?それなら、見た目同じものを用意して、すり替えたってわからないさ」
「すり替える?」
「ああ。小笠原は箱の大きさも重さも知ってるんだろう?だからさ、次に依頼に来たときに、伝票を用意した偽物のほうに張るわけだ。その間に・・」
「中を確認する?でも、そうすると元の箱に戻す時はどうするんだよ?」
無理だと言おうとして、寸でで塚原に遮られる。
「宅配会社を毎回変えているんだろう?でもそれも限度がある。ぐるりと一巡すりゃあまた同じ業者に依頼するわけだ」
「またオレんとこに来るまで預かってろってコトかよ・・」
うんざりと却下しようとしたところを、今度は大野に割り込まれた。
「おおおっ!それいいな!それで行こう!」
ノリノリで興奮気味の大野にがっかりしてチラリと茂田さんを窺うと、彼女もそれなりに興味があるらしく、口には出さないもののその双眸は賛成しているように煌いていた。
そもそもはオレが午前シフトの川井さんの代わりに出勤したから刈谷と会ったのであって、いつも通りならオレのバイトは午後から深夜に渡るのだから、4人(殆どは大野と塚原の二人だけど)で立てた計画は、最初から破綻していた。・・・が、
「大野!今からすぐオレのバイト先に例の箱!持って来いっ」
チャンスは早々に訪れた。それはたった2週間後。
偶然にも深夜シフトと交代していたオレは、翌日の金曜日まで待たず日付変更ギリギリの時刻に荷物を持ち込んできた刈谷に遭遇し、慌ててダミーのダンボール箱を預かっている大野に電話した。
「い、いらっしゃいませっ」
「・・宅急便をお願いします」
「はい。ではコチラにお届け先と依頼主様の欄にご記入をお願いします」
伝票を差し出しながら、オレは時計ばかりが気になった。刈谷はもちろん、店長にもバレないようにしなきゃならないから、大野が来て箱をすり替えたなら、即刻持って帰ってもらわなきゃならない。
ある意味時間との勝負だ。
「120サイズですね。送料は1370円になります。ご希望する時間帯はありますか?」
前回同様、刈谷は翌週木曜日の午後8時から9時を希望した。
マニュアル通りに手順を進めてゆく中、ジーンズのポケットに突っ込んであった携帯が震える。きっと大野が店の裏に到着した合図だろう。
何食わぬ顔で荷物を預かり、会計を済ませた刈谷が店を出てゆくのを見送ると、すかさずオレは箱を持って裏に回る。
街路灯さえ殆んど射さない暗い裏口では、大野となぜか塚原までもがしたり顔で待っていた。
「なんで塚原まで・・!とにかくサッサとすり替えたら早く帰ってくれっ」
「おうっ!小笠原もバイトが終わったらおれんトコ来いよな」
先に開けてるからと笑って、二人は塚原が運転する車で立ち去った。拍子抜けするほどあっという間だ。
テールランプを見送る暇もなく店内に戻り、オレは伝票を張ろうと箱を見て、思わず躊躇した。
段ボール箱は本物と良く似せてあり、伝票を何度も張ったりはがしたりしている箇所も上手く再現されている。だが、一つだけこれは絶対に本物と違うだろう所が・・・
「あンの、馬鹿っ!」
思わず舌打ちする。もう一度大野の携帯にコールし、のんきな声で出たヤツを頭ごなしに怒鳴りつけた。
「なんだよ!お前ダンボールの上でなに書いたんだよ!」
『あ~?なにって・・・・・・ああっ!アレな!!いやぁ昨日でかける直前に、レポートに名前書いてないことに気がついてさぁ。サラサラッと。・・えっと、やっぱマズイか?』
運転中の塚原に確かめるように問いかけ、大笑いされている。
マズイかマズくないかと訊かれたなら、当然マズイと答える。せっかく同じ寸法、同じ重さで用意したというのに、ダンボールのフタ部分には全てを台無しにしてしまいそうな、へたくそな文字で・・・
"情報システム学部 3年 大野 健人"
直接書いたものじゃないし光に翳して見ないとわからないくらいだが、うっすらと溝になっていて、でもハッキリとわかるくらいに残る大野の名前。
『大丈夫だって!その部分を隠すように伝票を張ってくれればバレないから』
全然深刻さが足りない大野に腹が立つが、もうすでに本物の荷物はここには無い。本音を言えばひき返して来いと言いたいけれど、今からまた本物と交換なんてしていたら店長にバレてしまう。
仕方なしに結局、大野に言われたとおりに伝票を張り、他の荷物に紛れ込ませた。
結論から言えば、オレは刈谷の荷物をすり替えた翌日にダンボールの中を見ることはできなかった。
木曜の夜10時から入ったバイトをあがったのは、金曜日の朝6時。疲れすぎていてそのまま大野のアパートに行く気にはなれず、メール1本入れただけで帰宅。アパートの自分の部屋に帰るなりベッドに倒れ込むと、午前の授業がないのをいいことにそのまま熟睡した。
3時間ほど眠ったあと、目が覚めて一番に携帯を覗き込む。習慣のまま履歴をチェックすれば、そこには実家からの度重なるメールと留守電。
慌てて連絡をしてみれば、オフクロが入院したとのコトだった。
そして3時間半もかけて帰省し、今、オレは実家近くの病院の4人部屋、窓際のベッドに横たわる人物をベッドの脇に立って見下ろしている。
「スッゲェ急いで帰ってきてみれば・・・。どういうことや?コレ」
振り乱して駆けつけたオレを、当のオフクロは女性週刊誌片手にケロリと見上げている。
「あれぇ、孝次やないの。どしたん?」
「・・・・・・・・・なんや元気そうなんですけど?」
そう呟いた途端、後ろから後頭部をぺシリと叩かれた。
「なに言ぃてんの、アンタは。お母ちゃん大変やったんよ!」
叩かれた頭をさすりながら振り向けば、真後ろには花を挿した花瓶を持つ姉貴が立っていた。
プンスカと怒る姉貴はまるっきりのスッピンで、無造作に後ろで結んだだけの髪を見て、ほんとに大変だったんだなと思った。
「大変て、どしたん?」
「尿道結石やて。もう痛くて痛くて、お母ちゃん転げ回ってたんよ。顔が真ーッ青になって、脂汗は止まらへんし」
「もうアカンかと思たわ~」と、当の本人はカラカラと笑ってる。
現在は痛み止めのおかげでそんなに辛くないらしいが、せっかく入院したんだから、ついでにあちこち検査して貰おうという事になったらしい。
「ほらーお母ちゃんの実家の兄さん、去年胃ガンで手術したやろ?そやしガンの血統かどうかはわからへんけど、一遍検査しといて間違いあらへんやん?」
まぁ、とにかく命にかかわるものじゃない事がわかって、オレはホッと胸を撫で下ろした。
せっかく帰省したのだしどうせだからと実家に泊まることにして、姉貴と一緒に久々の実家に帰る。姉貴の運転技術にビクビクしながら助手席で懐かしい景色を・・・眺められない!うわッ、ウィンカーはもっと早めに出してくれ!
と、とにかく、久しぶりの我が家が見えてきた時にはホッとしたのと同時に、東京へ戻る際は、駅へは絶対に歩いていこうと心に決めた。
「ただいま・・」
「ただいまぁ。お父ちゃん、孝次が来たよー」
玄関に入るなり框にドサッと洗濯物が入った紙袋を置いて、姉貴は留守番しているはずの親父に大声で話しかけた。
「孝次やって?・・あれ、ホントや。どうしたん?」
姉貴の2歳になる娘を抱いた親父がひょっこりと顔を覗かせる。前に会った時よりも、なんだかずいぶんと年をとったように見えるのは気のせいだろうか。
親父の腕の中でピンクのワンピースを着た姪っ子が、「このヒト誰?」的な表情でオレを見ている。
このあと乗り物酔いでグッタリしたオレが居間で寝転んだのを見て、ジャマや!と踏みつけてキッチンへ向かった姉貴が簡単に食事の準備に取り掛かった。まもなく少し早めの夕飯、今夜の献立はそうめんだ。彩りとか言って缶詰のみかんとチェリーが乗っているけど、オレとしてはフルーツよりも、せめててんぷらくらい欲しかった。
「あたしらも帰らなアカンからな」
旦那をほったらかしで出て来たからと笑っている。あっけらかんとした笑顔はオフクロに良く似ていて、やっぱり親子だなぁと、今更なことを思った。
「どうや、最近は?学校はおもろいか?」
食事が進んでだいぶ腹が満たされてきた頃、親父が思い出したようにオレの向こうでの様子を訊いてきた。
「まあまあやな・・・今ンとこは。今年は3年生やし、就職活動が始まれば今までみたいにのんびりと構えてもおられんしな」
「あ~・・もうそんな時期なんやな~」
互いの近況を報告しあう中、浮かんだのは気の置けないゼミ仲間。そして刈谷の荷物のことも思い出した。
あれからどうしただろう。ダンボール箱は開けただろうか?
つい物思いにふけっていると、急に黙り込んだオレを不思議に思ったらしく、どしたん?と心配そうに覗き込んできた。
「いや、ちょっと。アパートのお隣さんが変なんや・・」
さすがに刈谷の荷物をすり替えたことまでは話せないが、彼がとる奇妙な行動のことと、それについて友人たちと予想しあったことを話してみた。
「そうか、孝次の友達はそう考えたんか・・」
「なんや、親父は違うんか?」
「せやなぁ、俺やったらその逆やろな」
姉貴が淹れてくれたお茶を啜りながら親父はチラリと背後を見遣る。開け放した隣部屋でうたた寝する孫の寝顔を微笑ましげに見つめ、そしてしみじみと語りだした。
「"捨てようにも捨てられないモン"やのうて、"失くしたくない大切なモン"やと思うわ」
「え?なんで。大事なモンやったら宅急便なんかに出さんと、大切に仕舞い込んどくモン違うんか?」
顔をしかめて訊き返すと、親父はう~んと腕を組んでうなった。
「ならな、孝次は誰にも見せたない大事なモンができたら、どうするんや」
「そら・・自分しかわからん場所に隠して、時々眺めては楽しむ・・・?」
あれ?ちょっと何かが引っ掛かった。
親父はオレの答えに満足したらしく、「そうやろ~」と首を縦に振っている。
「大体大事なモンやなかったらたッかい金払って宅急便なんぞには出さん。1回依頼すると2000円くらいするやろ?」
「1370円やな」
「1ヶ月なら・・・5480円。1年間なら・・・チョイ待ち・・・・・・71240円、か?7万超えやな。俺やったらいらんモンにそんな大金かけんわ」
とっとと捨てると言われ、オレもやと頷いた。
そこへ食器の片付けが終わったらしい姉貴が、ぬれた手を拭いながら居間へ戻ってきた。
「何の話?」
「いやな、孝次のお隣さんがオカシイってな。同じ荷物をぐる~リぐる~リ宅急便に出しとんのやて。里佳子やったらどうや?」
簡単に説明を聞いた姉貴は一刀両断、「捨てる」と言い切った。
「よっぽど大事なモンなんやなぁ。きっと部屋に泥棒が入ったらどうしよとか、留守中に火事になったらアカンとか思とるんやろ。ずいぶんと神経質な人やな~」
大野が言った予測とは180度違う感想に心臓がどきんと大きく脈打った。
そんな大事なものを知らないうちにすり替えられていたなんて刈谷が知ったら・・・。それを隣室に住むオレがやったと知られたなら、あの男はどんな行動に出るだろう?
体型よりも大き目の、よれよれのスーツを着た暗い表情の男を思い浮かべ、背中に冷たい汗が伝うのを感じた。
実家に二泊して、日曜の夜遅くにオレは東京へと戻ってきた。
微々たる充電が切れる前、一昨日の夜のうちに二人から何か書かれていないかとメールを確認すると、大野からたった一言。
【ヤバイかも・・・】
寝起きで充電もできずに出かけたせいで帰省している間は携帯が使えず、アパートに到着して一番、真っ先に携帯を充電器につないだ。
ずっと繰り返し大野にメールを送ってみたが返事はない。次第に不安が募ってきて、気分転換に窓から外を眺めていても、結局考えているのは、大野とすり替えた刈谷の荷物。
深夜の1時過ぎ。時間的にマナー違反は重々承知の上で電話してみたが、呼び出しはするもののやはり電話口に大野が出る気配はなかった。
それならと塚原にメールを送ってみると、コチラはすんなりと返信が来た。
【大野がケガした。詳しくは小笠原がこっちに戻ってきたら・・・明日、学校で直接話す】
ケガ? 大野が?
一瞬クラリと眩暈に襲われる。一昨日・・いや、もう三日前の夜遅くにコンビニで会った時は普通に元気だったのに、そのあと一体なにがあったというのだろう。
あの箱は関係があるのだろうか?中には何が入っていたのだろう。
不安は一気に高まった。
翌日の月曜日。寝不足の頭を抱えて大学へ行くと、学校中の話題は生徒の一人が通り魔に襲われた事件一色だった。
「通り魔?」
「ああ。通り魔ってのは警察の見解だがな」
独り言のつもりでこぼした言葉に応えがあった。振り返るとやや顔色の悪い塚原が、微苦笑を浮かべてすぐ後ろにいた。
「大野のケガは?!」
「大丈夫だ。命に別状はない。だけど今病院には行かないほうがいい。大野の両親が来てるし、警察やら報道陣やらでごった返してるから」
塚原も遠目で見ただけで引き返してきたと言う。
「アパートの真ン前で切りつけられたらしい。犯人は、騒ぎに気付いた一階の住人が大声を出したんで逃げて行ったって言うんだけど。・・・大野はあけすけだからなぁ。裏表がない分ヒトに恨まれてるなんて誰も思わない。金銭・交友関係を含めてこれといったトラブルもないし、そうなると通り魔的犯行じゃないかってことになるわけだ」
「・・・箱は?なにが入っていた?」
コソッと訊ねると、塚原は何も言わずちょっと肩をすくめて見せただけ。
「とりあえず帰りにでもウチに寄ってってくれ。自分の目で見たほうが早い」
「え?じゃあ、今アレを預かってるのは塚原なのか?」
塚原は頷く。コイツは自宅通学だ。もしかしたら刈谷の荷物が大野の事件と関係してるかもと思ったオレは、焦りから危ないじゃないか!と怒鳴ってしまい、塚原に「しーッ」と諌められた。
「関係はあるかもしれないし、無いかもしれない。でも俺ンちのほうが多分安全だ。なんてったってセ〇ムに入ってるからな」
冗談めかした言い方に、オレの肩からほんの少し強張りが弛む。全くこんな時にと呆れを含ませた苦笑を浮かべると、塚原ほどのイケメンだからいいものの、並の男だったら大惨事になりそうなウィンクを返してきた。
本心では今すぐにでも箱の中身を見たいのだが、塚原のうちに在るのなら彼に従うのがいいのだろう。
とりあえず今は学生の本分として、授業に出るべく教室に向かった。
本日最後の授業を終え、帰りがけに大野の様子を見てから塚原のウチに向かおうと話し合いながら学校を出ると、聞き覚えのある女の子の声が「待ってぇ!」と引き止めてくる。
振り返れば、茂田さんがハァハァと息を切らせてオレたちを追いかけて来た。
「大野クンの病院に行くんでしょ?あたしも一緒に行くわ」
ふんわりとしたチュニックワンピースに足もとは華奢なミュール。この格好でよく走って追いかけてこられたなぁと思っていると、黙って見ていたのがいけなかったのか、ムスッと不機嫌そうに顔をゆがめて「ダメなの?」と訊ねてきた。
「いや、全然。ただ、走ってくるほどに大野の見舞いに行きたいのかと思ってね」
塚原のセリフにうッと茂田さんは言葉に詰まる。次にはみるみるうちに頬が真っ赤に染まり、プイッと横を向いた。
「そっ、そうよ!ど・う・し・て・も・大野クンのお見舞いに行きたいの!」
悪い?!と噛み付くように問われて、塚原はとうとう声を上げて笑い出した。
意味がわからないオレは一人取り残されたように二人を見ていたが、機嫌を損ねた茂田さんが先にスタスタと歩き出したのを見て、塚原とその後姿を追いかけた。
「なんだ?って顔してるな」
頭上にクェスチョンマークを浮かべているオレに、ひそひそと塚原が話しかけてくる。
「? うん」
「ぷくくっ・・茂田さん、実は大野のコトが好きなんだよ。可愛いねぇ」
「ええっ?!・・でも彼女、お前を見てポーッとしてたよな。てっきり塚原が好きなのかと・・」
「まぁ、外見は嫌いじゃないのかもな。でも恋愛の意味で好きなわけじゃないらしい」
他人事のように自分を指差しながら、軽い口調で観賞用ってヤツだと言う。
ちょっとだけ自虐的な響きを感じ、胸の奥がチリッと疼いた。
そうこう話しているうちにバス停に着き、少し待っただけでちょうど来たバスに乗車する。オレや大野はアパートで一人暮らしのため、彼が運ばれた病院も学校からあまり離れておらず、バス停2つ先。
車内で三人、手土産に何を買っていこうかと話し合っている間に到着した。
「えっ、えっ、お見舞いはなんにするっ?」
慌てる茂田さんに、塚原はのんびりとカレーライスと答え、再び機嫌を損ねる。
懲りないなあと塚原を眺めているうちに、もしかしたら彼は茂田さんのコトが好きなんじゃないかと思えてきた。
まあ、恋バナは今は横に置いといて。まだ建物の外で数人の報道陣が取材しているのを横目に、素知らぬ顔で中に入ると、病院内の売店で無難に雑誌とチョコレート菓子、飲み物をペットボトルで数本買い込み、エレベーターに乗る。
先頭を歩く塚原について3階で下りる。廊下を進むとスーツ姿の中年の男二人とすれ違った。
通り過ぎる際、コチラをチラリと見ていた。
「ね、ね、今の人たち、警察かしら?」
隣に並んだ茂田さんが耳打ちしてくる。二人で振り返ると、向こうもオレたちを振り返って見ていた。
「おうっ。塚原!・・と、小笠原に・・・茂田さんまで?!」
場違いなほどの明るい大野の声。先に入室した塚原の後ろから病室内を見れば、ベッドに横たわった大野がコチラを見て目を丸くしていた。
「大野、大丈夫か?」
「大野クンっ」
上体を起こした彼の右腕は包帯で巻かれ、首から吊っている状態だ。薄い水色の病院の寝巻きのせいで、ぽっちゃりとした大野でも一応病人(? ケガ人?)に見えなくもない。
「怪我ひどいの?!どうしてこんなコトになったの?!」
駆け寄って心配げに大野を見つめる茂田さんの問いに、男3人は互いに目を見交わし、ハァ・・と嘆息した。
「小笠原、塚原から聞いた?」
「なにを?」
茂田さんの質問には答えず、なぜかオレに訊いてきた。
「なにって・・おれのコトとか、箱のコトとか?」
「やっぱり関係がありそうなのか?もしかして・・襲ってきたのって刈谷なんじゃ・・・」
土産として買ってきたもろもろの入ったビニール袋を布団の上に置いてやると、左手でゴソゴソと物色し始める。好物のチョコレート菓子を見つけると、当然のようにオレに差し出してきた。開封しろということらしい。
ズバリ名前を出したオレに、大野はチョコを頬張りながらも今更に、さぁ?と首を傾げた。
「おれ、刈谷の顔知らないからなぁ。犯人は眼鏡をかけたオッサンだったってコトしかわかんないし。ただあの荷物、もしかしたらナンカシラの事件に関係してるのかもしれねーなー・・てね」
「なんでそう思う?」
「だって・・なぁ?」
それまで黙っていた塚原が、大野に振られてやっと口を開いた。
「直接見たほうがいいかなと思って、何も言わなかったんだけど?まぁ、このあと俺んちに行くわけだし、いいか。・・・あの箱の中身、写真や絵本だったんだ」
「は?」
大野のメールに【ヤバイかも】と書かれていたから、もっと世間一般的にヤバイものを想像していた。例えば白い粉とか、黒い鉄の塊とか、中を確認したなら組織に抹殺されちゃうかもしれなさそうなディスクやメモリーカードの類とか。
だから写真や絵本と教えられても、ピンとこなくて目が点になった。
隣を見れば、更にわかってない様子の茂田さんがオレと同じくキョトンとしている。
「え・・と、絵本のなにがヤバイんだ?」
「ヤバイはひとまず置いといてくれ。写真、絵本、経済関係の専門書、あとは女児用のワンピースが2着。花柄のハンカチに女物の手帳。ネクタイが数本、履き古した男物の革靴が片方、眼鏡ケース・・・」
携帯にメモしてあったらしく、塚原は次々と読み上げていく。しかしそれのどれもがどうしても【ヤバイ】に繋がらない。
「・・最後は手紙。これは封が開いていたので、刈谷氏には悪いが読ませてもらった。内容は両親から子どもたちへ。大人の身勝手ですまない。この先何があっても、子どもたちには困らないだけのものを残しておくつもりだ。と」
なんだか、まるで・・・
「遺書みたいな手紙ね・・」
オレと同じ感想を抱いたらしい茂田さんが、思わずと言った感じで呟いた。
「読めたのはここまで。これ以上はどう頑張っても無理だった」
「無理?」
携帯をジーンズのポケットに仕舞うと塚原は大野と目を交わし、深くため息をついた。
チョコレートを食べ終わった大野が袋からペットボトルを取り出し、やはりオレに手渡して来た。ベキベキとキャップを開けて返してやると、余程のどが乾いたのか、一気に3分の2程も流し込んだ。
「無理だった。さっき言った箱の中身、状態のいいものは少なかったんだ。程度の違いこそ在れど、どれもこれも結構ボロボロで、中には焼け焦げのあるものや、血の染み、鉤裂きと、まともじゃなかった」
「なんでそんなことに・・」
「わからない。ちょっとしたイタズラ心ですり替えちまったが、これは見なかったことにして、ちゃんと刈谷に謝って返したほうがいいのか、もし大野の事件と関係がありそうなら、箱ごと警察に持ち込むか」
そうすると他人の荷物をすり替えたのだから、おれたちも窃盗罪に問われる可能性が出てくるけど。
「え!でも事件に関係があって、その刈谷って人がもし大野クンを襲った犯人だったら・・っ」
「それでもおれたちの罪が消えるわけじゃない。まあ、箱ごと捨てちゃうって選択肢もないことはないけど・・。それはおれがイヤなんだ」
微苦笑を浮かべる大野になぜと訊けば、
「箱の中、キレイに整ってたんだよ。みんなボロボロなんだけど、それら全部が丁寧に詰めてあったんだ」
そのセリフを聞いた途端、思い出したのは親父と姉貴の言葉だ。
『"捨てようにも捨てられないモン"やのうて、"失くしたくない大切なモン"やと思うわ』
『よっぽど大事なモンなんやなぁ。きっと部屋に泥棒が入ったらどうしよとか、留守中に火事になったらアカンとか思とるんやろ』
大事なものだったんだ。どうにかして・・例え誰かを傷つけても取り返さなければならないほどに。
今頃になって自分たちがしでかしたことの意味を思い知った気がする。
「でも待って。宅配便て、いつも木曜日の夜に配達されるのよね?本人がそう依頼している」
「ああ。たしかに刈谷は木曜日の午後8時以降を指定していた・・・あ、そうか。今日は月曜日、そして大野が襲われたのは土曜日だ。荷物が届くまでにはまだ数日かかるはずなのに、どうして荷物をすり替えられたのがわかったんだ?」
一つの疑問に気がついた茂田さんの言葉に、オレも・・オレたちも考え始める。なんですり替えられたのがわかったのか。すり替えたのがオレたちで、大野が関係しているん・・・
「大野は一度でも箱を自分のアパートに持って帰ったか?」
「いや。おれの部屋は狭いから、はじめっから塚原のウチに運んだ」
ものは言いようだ。茂田さんの前で、散らかりすぎて箱一つ置くスペースも無いとはさすがに言い難いらしい。
大野の言い訳はともかく、本当に犯人は刈谷なのか?刈谷の仕業なら、どうして大野のアパートがわかったのか?切りかかる必要があったのか?
犯人が別の可能性も当然ながら残っているけれど、わからない事だらけだという事実は変えようが無かった。
「ふわぁ~ぁ・・」
店内に客が一人もいないのをいいことに、盛大なあくびをかみ殺す努力すらせずにいると、背後から「コラッ」と店長の叱責が聞こえてきた。
「お客様がいなくても、少しは押さえなさい」
「は~い」
水曜日、急遽休んだヤツの代わりにと再び声がかかり、深夜バイトに勤しんでいるが、平日の夜、しかも翌日が土日や祝日ならばともかく、明日も普通に出勤・登校となると、客足はやはり少ないものだ。
しかし店側としては客がいないうちじゃないとなかなか済ませられない仕事もあって、掃除、品出し、陳列整理と細々とした雑務に追われていた。
ちなみに今は雑誌の入れ替えだ。週刊誌なんかは新しいものを出すのと同時に、先週号は撤去となる。紙の束は想像よりも遥かに重いし、気をつけないと端で指を切ってしまう。
「小笠原ク~ン、そこが終わったら次、ドリンクの補充、頼むねぇ」
深夜枠はいつもならアルバイトだけなのだが、今日に限って二人とも休んでしまったため、オレと店長との二人になってしまった。
サボれなくて大変だ。
売り場から下ろした雑誌を台車に乗せていると、来客を報せるチャイムが鳴る。たいして気に止めもせずに、作業を続けながら「いらっしゃいませー」と声をかけた。
ゴツゴツと靴音がコチラに近づいてくる。雑誌を見に来たのだと思い、少しだけ本のコーナーから離れてそのまま作業し続けていた。
「おい」
下を向いたままだったオレの頭上に男の声が降る。商品に対しての質問かと顔を上げて相手を見れば、そこには鬼のような形相の・・・
「! か・・刈谷っ」
「お前、知っているんだな?」
シャツの胸倉を掴まれて引き寄せられる。手にしていた雑誌が足の上に落ちて痛かったが、それどころじゃない。衝撃と息苦しさに相手の腕にしがみつくのが精一杯だった。
「箱はどこにある?」
「は・・箱?」
訊き返した途端に鳩尾を殴られ、ぐぇっと声が洩れる。腹を抱えて蹲りたかったが、再び締め上げてきた腕に阻まれ、激痛を訴える腹部を押さえる事しかできなかった。
「とぼけるな。大野ってヤツと眼鏡をかけたヤツ、それとお前だろう。箱を寄越せ!」
以前に見た、あのブカブカのスーツを来た痩躯の男とは思えないくらいの腕力で、グイグイと締め上げられ意識が遠退いてくる。が、この後に続けた男の言葉に、はっと意識が戻った。
「お前たちが刈谷から盗んだ荷物だよ。今ドコにあるんだ。俺にそれを渡せ」
刈谷から盗んだ。今、ハッキリとそう言った。
目の前の、怒りに染まる顔を見る。もともと刈谷をそんなにしっかりと知ってるわけじゃないが、こうして見てみると、確かに刈谷ではなさそうだ。目鼻立ちや輪郭、背も同じくらいだし声も良く似てはいるが、刈谷にしては逞しすぎる。
「だ、誰・・だっ」
「ああ?お前に関係ないだろう。いいからさっさと箱のある場所を言えよ」
言わないとアイツと同じ目に遭うことになるぞ?と耳元で静かに囁かれる。大野のケガに関与しているらしきセリフに、ギクリと体が強張る。
力の差を確信しているらしく、男はニヤニヤと余裕の笑みを浮かべ、締め上げる手に更に力を入れてきた。
グウッとノドが変な音をたてる。隠し場所を言えといっておきながら、声さえ出せないほどに締め上げてくるのはおかしい。
再び目の前が薄暗くなってきたところに、店長の叫び声が響いた。
「なんだキミは!か、彼を離しなさい!!」
奥でパソコンに向かっていたはずの店長が気付いてくれたらしい。
ホウキを振り上げてぶるぶると震える店長の姿にオレはホッとしたが、男はチッと舌打ちをし、乱暴にオレを床に放り出すと、また来ると言い残してゆっくりとした足取りで店を出て行った。
「だッ、大丈夫かい?!小笠原クン!」
駆け寄って抱き起こしてくれた店長に、大丈夫だと言おうとして咳き込む。呼吸が落ち着くまで背中をさすっていてくれたが、咳が止まったのを見て「さっきの奴は誰だ?」と訊いてきた。
「わかりません。でも、オレの知ってる人を、あの男も知ってるみたいなんで・・・」
巻き添えなのか、けしからん!と怒る店長に苦笑いを返し、痛む腹を抱えて少々ヨタつきつつも立ち上がる。落ちた雑誌を拾い上げ、男が去った闇夜の広がる外に目を向けた。
大野を襲ったのが刈谷ではないとわかったが、刈谷に似た男の登場に、謎が増えたと嘆息した。
翌日、学校帰りに塚原と一緒に大野の病院に寄ると、タイミングよくというか悪くというか、ちょうど警察らしき人物が来ていた。
先日廊下ですれ違った二人だ。
「あ、えと、こんにちは?」
疚しいところがあるから、なんとなく怯んでしまう。
しかし彼らは敬遠されたり慄かれたりは日常茶飯事なのだろう、あまり意に介した風もなく丁寧に会釈を返してきた。
「お見舞いですか。・・・じゃあ、私たちはこれで」
「ハイ。ご苦労様です」
愛想良く笑顔で、ベッドの上からヒラヒラと手を振って男たちを見送った大野は、塚原にドアを閉めるように頼むとオレを手招きした。
「小笠原、襲われたって?」
たった今までしていた人好きのする笑みは引っ込み、深刻な表情でまっすぐにオレを見据える。
「ああ。だけど刈谷じゃなかった。結構顔が似ていて、背丈も同じくらいなんだけど、別人だ。刈谷の荷物を盗んだだろうって言ってきた」
本人なら『俺の荷物』と言うだろうから。
「それじゃあ、その男が大野を襲ったのか?」
「ハッキリと言った訳じゃないが、「アイツと同じ目に遭うことになるぞ?」って脅されたから。多分そういうことだと思う」
首を横に傾けて、昨夜締め上げられた時についたアザを見せると、二人の表情に緊張が走る。
風呂に入る際見てみたら、鳩尾には青アザができていたし、バイトで着用している制服の胸元は、握りしめられて引っ張られたためにシワくちゃになリ、あのあと着替える羽目になった。
「どうする?警察に相談するか?」
「その場合、俺たちがしたこともバレるけど?」
大野の提案に、塚原は意地悪そうに腕を組み、まるで他人事のように淡々と荷物のすり替えも露見するがと忠告してくる。
互いを見交わし、それも仕方がないと言おうとしたオレたちの声をさえぎるように、塚原は更に言葉を重ねてきた。
「わかってるか?今年、就活が始まるんだぞ。窃盗なんてマイナスポイント引っさげて、ドンだけ不利になるか考えているのか?」
「わかってるさ。だが、就活も命あってのものだろう?もしそいつが強硬手段に出てこんなモンじゃすまない大怪我を負わされたら・・・罷り間違って死ぬようなことにでもなれば、結局のところそれどころじゃなくなるだろう?」
ちょっとした好奇心と出来心のせいで、こんなにも悩むことになるとは思いもしなかった。
オレは少し考え、まだあーだこーだと言い合う二人に待ったをかける。ここは警察に相談するよりも、昨日の男を知ってそうな人物に話を訊いてみるのがいいかもしれない。
「刈谷に話さないか?」
彼はきっとまだ何も知らないだろう。刈谷が宅配を依頼した指定日は今日の午後8時から9時だから、今現在荷物が偽物にすり替わってることも、その箱をめぐって見知らぬ大学生と、たぶん刈谷と知り合いの男が事件を起こしてるなんて思いもしないはずだ。
もしかしたら警察に通報される可能性もあるけれど、案外相手の男のことをよく知っていて、一緒に打開策を考えてくれるかもしれない。
「それは楽観的過ぎるけど・・・そうだな。全ては刈谷が・・刈谷の荷物が発端だもんな。謝罪は当然として、彼に話してみよう」
塚原を見れば彼も頷いている。
そうと決まればアパートに帰って早速、今日中にも隣室を訪ねてみると言い残し、オレは塚原よりも一足先に病室を出た。
病院からオレのアパートまでは近い。わざわざバスを待つこともなく足早に歩き出す。頭の中ではこのあと刈谷を訪ね、どう説明するかをぐるぐると巡らせる。
荷物は未だ塚原の家にある。それを知ったあの男が彼の家に・・彼の家族に危害を加えないうちに、何とか事が収束できたらと、都合のいいことばかりを考えていた。
単刀直入に事実を述べるなら、刈谷と話はできなかった。
オレはアパートに帰るなり刈谷の部屋を訪ねたが、まだ帰宅していないらしく留守だった。
気は逸るがいないものは仕方がない。彼が帰るまで自室で待つことにし、幸いにも今日はバイトが休みだから、それまで提出期限の近いレポートを書いたり、身の回りを片付けたりして時間を潰していた。
オカシイと思い始めたのは夜の10時を回った頃だ。
普段のオレはアルバイトで部屋にいないから絶対とは言えないが、この時間まで隣の部屋に灯りが点かないのは珍しい。いや、珍しいを通り越して初めてではないだろうか。
何かがあった?
不安が胸に押し寄せてくる。
何度も隣の窓に明かりが点くかを窺いながら1時間ほども待ってみたが、刈谷は帰ってくる様子はなく、階段を上がる靴音が聞こえてきても、この階を通り過ぎて行ってしまった。
オレが痺れを切らしたのは11時半を過ぎた頃。財布をジーンズのポケットにねじ込むと、携帯を引っ掴んで部屋を飛び出した。
玄関の鍵をかけながらもう一度隣を見る、ドアの横の小さな窓は暗くシン・・と静まり返っている。
薄ボンヤリとした常夜灯に浮かび上がる廊下を進み、コンクリートの階段を駆け下りる。夜中に外をうろついていて、もし職務質問を受けたらどうしよう。そのときはコンビニに行く途中だと答えよう・・などと。一人頭の中でシュミレーションをしながら駅へと続く道を歩き出した。
駅前はまだ明るかった。0時まで開いているスーパーやらカラオケ屋、DVDのレンタルショップ、その他etc。メインの大通りから裏手に入り、マンションや個人邸宅が立ち並ぶ住宅街まで来ると、建物の明かりは極端に減って人影もなくなった。
閑散とした公道を早足で歩き回リ、公園通りに出る。中に球戯場を設えてあるくらいの広めの園内は、昼光色のオレンジ色の街灯に照らされていて明るい。
まさかと思いつつも公園内に踏み入り、遊歩道に沿って池の周囲を回りこむ。背の低い生垣と芝の続く広場を過ぎ、滑り台やブランコなどの遊具が立ち並ぶ場所まで来て、物音に気がついた。
キィ・・ キィ・・ キィ・・
項垂れた姿勢でブランコに座るダークグレーの人物に、オレはゆっくりと近付いた。
「刈谷・・さん?」
傍らに立って名前を呼ぶと、肩がピクリと震えた。
そろそろと顔を上げて見上げてくる男の目は焦点が合ってなかったが、もう一度呼びかけると今度はハッキリオレを見た。
「・・・・・・キミは?」
オレが誰なのかわからないらしく、視線で訊ねてくる。ほんのつかの間逡巡したが、アパートの隣の住人だと言おうとして、刈谷に先を越された。
「ああ、確か・・コンビニの店員さんだよな?」
「アルバイトです」
訂正すると、彼はそうかと言って微苦笑を浮かべた。
「こんな所でこんな時間になにしてるんですか?」
「うん?・・ちょっと」
隣のブランコに座り、ジッと彼の横顔を見つめる。
言葉の続きを辛抱強く待っていると、小さく嘆息してから「探し物」と言った。
「大事なものを失くしちゃってね。探し回ってたんだ」
「大事なもの・・ですか?」
一瞬ギクッとする。箱をすり替えたコトからあの男に脅されたコトまで全部話すと決めたのに、突然話題に出ると後ろめたさからどうしても冷や汗が滲み出す。
疚しい気持ちをなんとか隠して、それが何なのか訊いてみる。
「宝物」
「宝物、ですか?」
「ああ。僕にはね。お金では買えない、この世で一番大事なものなんだよ。ある場所に預けてあったはずなのに・・・・・・いつの間にかキャンセルになっていて、宝物の入った箱はそのまま消えてしまった」
ふふふと悲しそうに小さく笑って、刈谷はブランコを漕ぎ出した。
ギィ・・ ギィ・・ ギィ・・ と、鎖の軋む音を聞きながら、彼の声に耳を傾けた。
「ちょっと顔を知ってるだけのキミにこんなお願いもなんだけど、少しだけ話を聞いてもらってもいいかな?」
躊躇いつつも頷くと、彼は少し嬉しそうにありがとうと言った。
「僕の家族のことなんだけどね。・・4人家族だったんだ。両親と妹と僕。どこにでもある、ごく普通の家庭。父親が単身赴任で滅多に帰ってこられなくても、家内は円満でとても仲が良かった」
遠い昔を懐かしむように、幸せそうな笑みを浮かべながら、刈谷は自分の過去を語ってゆく。その一語一語さえも大切に、愛おしそうに紡いでいった。
「とにかくあの頃は幸せだった。今はそう思う。当時はそれが当たり前すぎて気付かなかったけどね。・・でも、そんな日々もある日突然終わってしまった」
事故で。
「事故?」
「ああ。自動車事故。僕が中学生の頃だ」
それまでの柔らかさからは一転して、刈谷の表情は冷たく凍りついた。
瞳からも懐かしむ色は消え、真夜中の暗い空を睨むように見つめている。
「久々の父の帰省だから外食しようと車で出掛けた。・・覚えてるよ。車内で寿司にしようか焼肉にしようかと話してたんだ。男二人は焼肉がよくて、女性陣は寿司がいいと言っていた。結局は一番の決定権がある妹の意見が通って寿司屋に決まったんだけど・・・」
楽しい時間は一台のトラックによって止められてしまった。
刈谷が怖いくらいに顔を顰めて話すには、対向車側からトラックがはみ出し、正面衝突したらしい。その事故で彼を除く3人が亡くなり、刈谷自身も重症を負った。
病室で一人助かったのだと告げられたときはショックだったが、衝撃的な事実はそれにとどまらなかった。
「化粧の濃い40代後半くらいの女性と、僕より2~3歳上っぽい少年が憤怒の形相で病室に乗り込んできたんだ。僕と目が合うなり怒鳴りだして、ハンドバッグで殴りかかってきた。慌てた看護師に取り押さえられても叫び続けていて、本当に怖かったよ。・・少年のほうは女性のように怒鳴ったりしなかったけれど、静かに傍まで来たと思ったら、急にズボンのポケットからシャープペンシルを取り出して、僕の肩めがけて振り下ろしてきたし」
ブスリときて痛かったな。と、刈谷は自虐的に嗤った。
「二人はね、父の本当の奥さんと息子だった。・・僕の母さんはいわゆる"愛人"ってヤツで、もちろん両親は籍になんて入ってないし、当然『刈谷』の姓も母親のものだった。・・・大変だったよ。父はちゃんと僕を実子として認知してくれていたから、遺産相続にまつわる権利やら義務やら、子どもの僕にはサッパリわからなくて。殆ど自棄にもなっていたから、父の残しておいてくれたものは全部放棄したんだ」
「ぜ、全部・・ですか?」
「そう。全部。母の預金と自分の通帳。それと事故を起こしたトラックの運転手側からの賠償金・慰謝料・・それだけ。家にあった父の遺品はもらえることになったけど、腕時計やカフスボタンなんかの貴重品は向こうに取られて、手元に残ったのは写真・ネクタイや靴、茶碗に箸・・・日常品ばかり。でも、それでも僕には十分だった」
ブランコを止めて足元に視線を落とし、鎖を掴んでいた手を握り合わせて苦しそうに息を吐いた。
「母方の祖父母のもとで成人するまで世話になって、二十歳から一人暮らしをするようになって5年目、突然彼は・・・病院で刺してきたあのときの少年は、僕のアパートを訪ねてきた。・・金を寄越せと言ってね」
部屋中をひっくり返し、父親の遺品を物色、更には金品を掻っ攫って出て行ったらしい。
「警察には?」
「一応。でも身内のことは、できるだけ内々で解決したほうがいいって言われたんだ。おかしいだろ?身内なんて言われてもそうは思えないし、向こうも思ってないはずだ。そもそも身内だなんて思ってたら殴る蹴るの暴力なんてするだろうか」
「殴られたんですか?」
ゾッとして訊くと、刈谷は頷いた。やめるようにと制したところ、逆上した男は台所に走るとサラダ油を手に取り、部屋中に巻き始めたという。
「火をつけられた。写真は殆どが焼けてしまい、その他のものも多く失ってしまった。残ったものはほんの少しだ。それでもヤツは追いかけてくる。もうこれ以上何も奪われたくないし、何も失くしたくないのに。だから引越しを繰り返し、僅かに残ったものをあの男から隠した」
ここでやっと、刈谷が宅配を繰り返す理由がわかった。
塚原が読み上げた箱の中身を思い出し、彼がこれまで懸命に護ってきたものが思い出だと知った。全ては家族との思い出を・・幸せな頃があった証しを守るため、これ以上何も失くさないためだった。
他人事とはいえ怒りがこみ上げてくる。今の話をしたら、きっと大野たちも腹を立てるだろう。
結局は全てを失ってしまったけれどと消沈する刈谷は、背を丸めて項垂れているせいでとても小さく見える。悲しみに耐えているのか、小さく震える肩を見下ろしているうちに、オレの気持ちは固まった。
ブランコから立ち上がると、意を決して話を切り出す。
「刈谷さん。オレ、アナタに謝らなきゃならないコトがあるんです」
そして一つ提案も。
訝しげに見上げてくる刈谷に、塚原のマネをしてウィンクを送った。
自動ドアが開き、来客を報せるチャイムが鳴る。
「いらっしゃいませー」
スナック菓子の棚で商品の陳列整理をしながら声をかける。チラッと店の天井の四方に設置されているミラーで客を確認すると、黒いTシャツにジーンズ姿の若い男がカゴを手に取るところだった。
男性客が雑誌コーナーのある窓際の通路を進み、一番奥のペットボトルの冷蔵庫へと向かうのを見て、無意識に詰めていた息を吐き出した。
あの男が・・刈谷の腹違いの兄・須藤と言う男がまた来るといって去ったあの日以来、来客のたびに体が勝手に身構えるようになってしまった。相手を確認すればすぐに強張りは解けるのだが、一瞬ドキッとなるのは精神的に結構クル。
あれからもう一週間。先週は水曜の夜に来たことから、そろそろ現れてもおかしくないだろうと警戒している。
刈谷の話では須藤はかなり短気で執念深く、タチが悪いらしい。時間やタイミングを計り、逃げたくても逃げられないよう、周到に状況を選んで近付いて来るそうだ。
いつ来てもうろたえないように覚悟はしているのだが、そんな時ほど現れない。と。
腕時計を覗けばもうすぐ午前1時。あと30分ほどで須藤に襲われた時間だ。正直なところ、あの顔はもう見たくはない。だが刈谷の生い立ちを知り、今までたった一人で思い出の品々を護ってきたのだと思うと、手を貸してやりたい気持ちになるのも嘘ではないのだ。
考え事をしつつも、賞味期限の近いものを棚から下ろしながら、次々とスナックのアルミパックを並べていく。手馴れたものだ。大学入学とほぼ同時に始めたここのアルバイトも、気がつけば早2年が過ぎて、今では古株第3位になってしまった。
大概の仕事は覚えたし、自分じゃ吸わないタバコの銘柄もバッチリ頭に入っている。
「すみません。会計お願いします」
「はーい。ただいまー」
さっきの客がレジ前で呼んでいる。急いでカウンターの中に戻り、カゴの中の商品に手を伸ばした。
「845円です。ストローと箸をお付けしますか?」
「あ、ストローだけで」
商品をレジ袋に入れて渡し、会計を済ませる。袋をぶら下げた男性客が店を出てゆくのを見送ると、再びスナック菓子のコーナーの戻ろうとカウンターを出た・・・ところで再びチャイムが鳴った。
「いらっしゃ・・っ!」
開いた自動ドアの向こうに、ニヤニヤと嫌な笑みを貼り付けたあの男が立っている。ギシリと強張ったオレの様子を楽しそうに眺め、次には無言のままアゴをしゃくって店から出てくるように示してきた。
握った掌にじっとりと汗が滲む。緊張のせいでノドがはり付き、ゴクリとつばを飲み込むと乾いた粘膜がヒリヒリした。
「どうしたんだ?小笠原クン」
突っ立ったまま閉じたドアを凝視し続けているオレの背中に、不思議そうな店長の声がかかった。それによりハッと我に返ったオレは、トイレに行くと告げてカウンター奥の控え室に急ぎ、慌てて携帯で大野に連絡した。
『来たのか?小笠原』
「ああ。今、外にいるんだ。出て来いってカンジだから行ってくる」
『・・気をつけろよ。絶対に無理はするなッ』
わかったと答えると通話状態にしたままポケットへ。従業員通用口から外に出ると、空調の効いた店内とは違いムワッと蒸し暑い湿気った空気が気持ち悪い。
纏わりつくイヤな感じが須藤みたいだと思った。
「遅いじゃねえか」
「当たり前だ。オレは仕事中なんだぞ。そんな簡単に出られるわけないだろう」
須藤は街灯や店の照明が届きにくい駐車場の奥、コンビニの敷地をグルリと囲むフェンスの隅に寄りかかり、腕組みをして尊大な態度で待っていた。
胸倉を掴まれて凄まれた時の恐怖は残っているが、今は怯んでいる場合じゃない。笑いそうになる膝に力を入れて、真正面から対峙した。
「お前、アイツの部屋の隣なのな。アイツ・・刈谷がドコ行ったか知らねぇ?全然アパートに帰ってこねーんだけど」
「知らない。刈谷・・さんとは隣同士っていう以外の付き合いはないんだ。他を探してくれ」
「ああ?ンな訳ないだろうが。お前らが隣同士、お前のバイト先からわざわざ荷物を宅配依頼、おまけにダミーの段ボール箱にはお前と同じ大学で同じ学部のヤツの名前が書いてある。な?これだけ揃ってるのに"関係ない"で押し通そうなんて土台無理ってなモンだろう?」
「? 箱に書かれていた名前って・・」
「確か大野だったか。いつもお前と一緒なんだって?デブのほうな」
「!」
すぐさま、あの偽者のダンボールのフタに刻まれていた、伝票で隠したはずの大野の名前を思い出した。脳裏に浮かんだと同時に、激しい後悔が押し寄せてくる。
アパートの部屋が隣なのはともかく、宅配依頼にこのコンビニを使ったコトと、箱をすり替えたコト、そして大野の名前が結果としてオレたちが繋がってるんじゃないかと勘違いさせてしまったようだ。
「"情報システム学部 3年 大野 健人"。いや~探したぜ。この近辺の大学に手当たりしだい電話して、情報システム学部のある学校を探し出したんだ」
頑張ったんだから褒めろよ。とふてぶてしくも満足そうな笑みを浮かべる。間違った努力だと言ってやりたいが、今ここで逆上させるわけにいかず、黙って睨みつけるにとどめた。
「『学生証を落としていかれたのですが、3年生の大野 健人さんをお願いできますか?ええ、財布を拾って届けて頂いたので是非一言お礼も言いたいんですが・・・』クククッ・・学生課の職員ってーのはもっと警戒しなきゃいけないよなぁ。あっさり口を滑らせるなんてもってのほかだ。なぁ、お前もそう思わないか?小笠原 孝次クン」
フェンスから背中を離しズズイっと顔を寄せてくる。前髪を鷲掴みにされ、無理やり須藤と目を合わされた。
暗がりの中に見える真っ黒な双眸は、まるで深い穴が開いているように一筋の光さえなく、ゾッとオレの背筋を凍らせた。
「っ!どっ・・どうしてそんなに刈谷さんを追い回すんだよ!」
「ヤツじゃない。ヤツの荷物だ」
「荷物って・・彼の荷物の中に金目のものはなかったよ!みんな巻き上げたんだろう?!それに残りの遺品はアンタがアパートに火をつけて燃やしたんじゃないか!」
ムカついて怒鳴り返すと、須藤は一瞬ポカンとしたが、直後ハハハッと声を出して笑いだした。
「ずいぶんよく話を聞いてるじゃないか。そうか、金目のものはないねぇ?・・それならそれでいいんだよ。残りの荷物もヤツの目の前で燃やして、全部を失くしてやれたら俺は満足なんだ」
金銭目当てではなく、刈谷から全てを失わせるコトが目的?
須藤の言葉の意味を理解できずに凝視していると、笑いを引っ込めた男は嘆息をこぼし、らしくない疲れた表情で口を開いた。
「聞いたんなら知ってるんだろう?俺の親父がアイツの母親とデキてたってこと。事故でそれがわかった時、俺のオフクロの中で何かが壊れた。そりゃそうだ。ずっといい親父、いい夫を演じていながら、その裏では長年家族を裏切り続けていたんだから」
オレの前髪から手を離すと、再びフェンスに寄りかかり、シャツの胸ポケットからタバコを取り出す。蛍のような赤い灯が闇に浮かぶと、紫煙とともにタバコの匂いが漂ってきた。
「近所のババァどもの中傷、親戚連中からの好奇の目、陰口と嘲りの中でオフクロの心はボロボロになった。親父によく似た俺を見なくなり、話をしなくなった。同じ家の中にいても常に互いが一人だったから、オフクロがいなくなった時も『ああ、そうか』と思っただけだった」
しかし実際問題、当時まだ高校生だった須藤は一人で生きてはゆけない。そのうえ、母親は手元にある金銭を全て持ち去ってしまったらしく、そのせいなのか、親戚一同彼を引き取ることを拒んだと言う。
名高い私立進学校に在籍していたが、保護者を失うことで学費が払えなくなり、当然のごとく退学せざるを得なくなった。
「東大合格者が多いことで有名な私立の進学校で、俺の成績は上位だったんだ。教師たちからも将来を有望されていたし、俺自身も法学部に進み、更には弁護士という夢に手が届く位置にいる自覚があった。順風満帆って言葉は正に俺のためにあるといっても過言じゃないくらいだったんだ。なのに・・・」
銜えていたタバコのフィルター部分をギリッと噛み締める。須藤は話の続きを語ろうとはしなかったが、言いたいことは察してしまった。
彼は全てを失った。父親の死とともに、母親も、周囲の人々への信用も、明るいはずの将来の予想図も。
「・・俺が全部失くしたんだ。だからヤツも全てを失くすべきだと思わないか?」
須藤の告白に、彼が味わったであろう無念を思い呆然としていたが、あとに呟かれた暗い問いにハッと我に返った。
「だっ、だけど刈谷だってもう十分に色々失くしてるじゃないか!」
「駄目だ。まだアレがある。まだ必死で俺から隠したいものがある限り、全部失くしたとは言えねーんだよ。・・さあ、俺がこンだけ教えてやったんだ。次はお前の番だぜ。ヤツの荷物、どこに隠した?」
フェンスから背を起こしてヒョイっと顔を覗き込まれる。咄嗟のことで身を引くタイミングを失い、アッサリと胸倉を掴まれてしまった。
須藤は唇から短くなったタバコを手に取ると、赤く燃える先をオレの右目のすぐ近くまで寄せてきた。
「っ!や、やめろ・・っ」
「やめろ!須藤!!」
オレの声と別の男の声が重なった。弾かれたように首をめぐらせた須藤が、誰の声なのかを知ると、暗い瞳のままに口元はとても嬉しそうに笑みを形作った。
「ぃよ~お、弟よ。久しいよなぁ・・・元気そうじゃないか」
オレをつかむ手は離さず、顔だけは『弟』と呼んだ刈谷のほうを向いている。
ずいぶんと痩せたんじゃないか?と気遣うセリフに、刈谷の表情はぐっと強張った。
「もうやめてくれ。須藤。お前が欲しいものは渡してやるから」
そう言ってチラッと振り向いた駐車場の端には見覚えのある車が停めてあり、開いたトランクの脇に塚原が立っていた。
それどころか、街灯の灯りに照らされた車内には大野も乗っているようで、ハッキリ見えないながらも、やや太目のシルエットが確認できる。
「全部持ってきた。だから小笠原クンを放してやってくれ」
「へ~・・・・・・ま、いいぜ。箱が本物でさえあったら、コイツに用はねぇしな。ここまで持って来いよ」
一度偽物を掴まされているせいで疑り深くなっているようだ。持っていられないほどに短くなったタバコだけは地面に投げ捨てたが、まだオレを解放する気はないらしい。
話が聞こえたらしく、塚原はトランク内のダンボール箱を持ち上げると、オレたち3人に近付いてくる。刈谷の隣に下ろしたそれを、今度は刈谷本人がフタを開き始めた。
「もっと早くこうしていればよかったんだよな。僕の未練とお前の執着のせいで関係ない彼らを巻き込んでしまう前に・・・」
実際には、オレたちは巻き込まれたのではなく首を突っ込んだのだが、今は黙っていたほうが懸命のようだ。
「ほら、見ろよ。これが全てだ。お前から護ってきた家族との思い出。これらを失ったら、もう僕には両親や妹の顔を思い出すために眺める写真一枚残ってない」
「・・・それを本当に俺に渡すというんだな?」
「ああ、そうだ。それに・・・本当はお前に渡さなければならない物もあるんだ」
刈谷は一瞬言い難そうに口ごもったが、思い切ったようにゴソゴソと箱の中から取り出した女物の手帳を、須藤に差し出した。
「なんだよ?」
「お前のお母さんの手帳だ」
「!」
思いも寄らないものを差し出された須藤は驚愕に目を見開いた。
白い小花をあしらった薄いピンクの、布張りの手帳。その角にもほんの少しとはいえ焼け焦げがあるから、火事の際刈谷が必死で持ち出したものの一つなのだろう。
「な、なんでお前が・・」
「10年くらい前になるか・・・。当時僕が世話になっていた祖父母の家に郵送されてきたんだ。手紙つきで」
「手紙?」
「ああ。手紙は・・残念ながら火事で燃えてしまったけれど。でも書かれていた内容は、大体覚えているよ」
そして彼は思い出しながら、書かれていた内容を須藤に聞かせた。
一番最初は刈谷への謝罪。まだ子どもであったうえに重傷を負って横たわる彼を、感情のままに叩きつけながら口汚く罵ってしまったこと。
その次は告白。あの当時、事故が起きなくても須藤夫妻は近々離婚していたのだという。理由は、夫人には恋人がいたとのことだった。そして離婚に踏み切るだけの理由もあった。
そして最後はお願い。手紙と一緒に送った手帳を須藤に渡して欲しいと。子どもを置き去りに逃げ出してしまった自分は顔を合わせる資格が無いから、身勝手すぎる頼みだが、できたなら須藤に・・息子に渡して欲しいといったものだったらしい。
「本当は何度も何度も捨ててしまおうと思ったんだ。お前が僕の思い出を焼いたように、僕もお前の思い出を失くしてしまったら、どんなに心が晴れるだろうと思った。でも、これを処分した後のことを想像すると、全然スッキリしないんだ。それどころか後悔の念ばかりが胸を埋め尽くす。・・・当然だよな。大切な思い出を失う辛さは、僕自身が一番知っているんだから」
自分が味わった痛みを、憎い須藤とはいえ、他人にも強いることはどうしてもできなかった。
「とにかく渡すよ。これはきっと形見になるはずだから」
「形見・・?」
ショックを受けて呆然としていた須藤は、弾かれたように刈谷を見た。見据えた瞳に嘘が無いことを悟ると、そろそろと手帳に手を伸ばし・・・受け取った。
「癌だったようだ。まだ若かったのに。お前の前から姿を消しても恋人の元へ走ったわけじゃなく、最後はサナトリウムで余生を過ごしたらしい」と聞かされ、須藤はオレから手を離すと、手帳をパラパラとめくり始めた。
「オフクロ・・・銀行の貸金庫に全財産預けてあるからって。・・・全部持って出て行ったのに、全然使わなかったのかよ・・・・・・」
バカだな、と乾いた笑いをこぼした須藤は閉じた手帳に額を押し付け、静かに肩を震わせた。
「須藤 晴彦さん」
シンと静まり返ったその場に、低い男の声が響く。一同が声の主へと振り向くと、いつぞやの刑事二人がゆっくりとした足取りでこちらに向かってくるところだった。
なんで警察が?と周囲を見回すと、店の照明に照らされた表側近くの駐車スペースに、心配顔の店長が立ってこちらを見ていた。
通報したのはきっと彼だろう。
「2件の傷害の容疑がかかっているのですが、署にご同行願えますかな?」
年配のほうの刑事が須藤の同行を求めると、もう一人の30半ばぐらいの刑事が彼に近寄る。まだ顔を伏せたままだった須藤の肩に触れると、彼はゆっくりと隣に立った男を見て、そして今度は少し離れた場所に停車している自動車を・・塚原の車を見遣った。
「容疑じゃねーよ。俺がやった。あそこの車に乗ってるデブを刺したのも、コイツの首を絞めたのも。・・あと、5年位前か?刈谷の部屋に火をつけたのも俺だ」
突然の自白に刑事たちは一瞬目を見開いたが、年嵩の方が柔らかい声で「そうか」と答えた。
「じゃあ、詳しくは署で聞こうか」
「ああ。・・・・・・か・・嘉晴!」
促されるように背中を押されて歩き始めた須藤は、急にオレが初めて聞く名前を叫んだ。
「どうやら俺にもまだ色々と残っていたみたいだぜ。全部失くしたわけじゃなかった。・・・だからその箱、もういらねーわ。お前に返すよ」
「須藤・・」
「それと、コレ。俺が帰るまで預かっててくれねーか?どうしても失くしたくないからさ・・」
渡したばかりの手帳を突き出され、刈谷は一度それを受け取ろうと手を伸ばしたが、思い直したらしく引っ込めた。
「嘉晴?」
「・・今じゃなくてもいいだろう?まだ全部に目を通してないんだから。あとで警察署の方に引き取りに行くよ。着替えなんかも必要だろうし・・・」
思いも寄らない刈谷のセリフ。須藤はかなり驚いたようだが、次にはコレまでずっと険悪に見えていた表情を崩し、優しい顔で頼むと言い残した。
3人が車に乗り込み走り去るのを見送ると、やっとオレはホゥッと息をこぼす。携帯が通話になったままなのを思い出して、ポケットから取り出し、電源を切った。
「お疲れ様」
いつの間にかオレの隣まで来ていた塚原が、労うように肩を叩いてくる。それに対しておぅ!と答えると、もう一度お疲れ様と繰り返した。
「大野まで連れてきたんだな。大丈夫なのか?勝手に病院を抜け出してきたんだろう?」
「いやぁ、マジ大変だったぜ。絶対に行くッつって聞かないんだけど、とにかく病院には内緒だろ?松葉杖一本借りるわけにもいかず、刈谷氏に手伝ってもらって、あの体重を何とか車に押し込んだんだ」
怪我の状態を詳しく知らなかった。病室で元気そうにしてたから気付けなかったが、切られた右腕のほかに、右太股も刺されていたらしい。腕の怪我にしては入院が長いなぁとは思っていたけれど、今初めて知った事実に、大野に申し訳ない気持ちになった。
「平気平気。アイツは気にしてねーよ。ま、とにかくやっと終わったんだ。もう眠いし、とっとと帰って寝るぜ」
ふわぁ~・・と大きなあくびをかました塚原は、伸びをしながら車へ歩いてゆくと、今度はまだ傍にいた刈谷がオレに向かって頭を下げた。
「小笠原クン、ありがとう」
「ええっ?!いやオレ何にもしてないから!須藤の誤解を解いたのも、結局オレを助けてくれたのも刈谷さんなわけだし!だからお礼ならオレのほうからだよな。・・改めて、刈谷さん。アリガトウゴザイマス!」
ほぼ垂直に腰を折ったオレをクスリと笑った。
「何もしてなくないよ。キミたちがいたからこんな結果が得られたんだ。お陰で僕はもうアイツから逃げ続ける生活は終わるから引越し貧乏とはおさらばだし、宅急便に金をかける必要もなくなるから、少しは生活に余裕ができそうだよ」
生真面目な外見の刈谷の口から冗談めいたセリフが出たことにビックリしたが、車中から呼ぶ塚原の声に手を上げて応え、清々しい笑顔を残して遠ざかってゆく背中を見ていると、ああ、コレでよかったんだなぁと心から思えてきた。
うん、終わったんだ。もう一度深く息を吐き出すと、オレはずっと心配げに見守ってくれていた店長の傍へ小走りで戻った。
この後ゲンコツで迎えられることも知らずに。
「ンで?ぜーんぶ終わったわけね?あたしをのけ者にして、何にも言ってくれないまま」
木曜日、寝不足のままにフラつきつつも登校し、学校で事のあらましを話すと、一人蚊帳の外になっていた茂田さんが機嫌を損ねてしまった。ぷぅっと頬を膨らませた彼女に、男3人は必死で弁解する。
「だから、ホント危ないヤツだったんだよ。須藤って。大野は刺されたし、小笠原なんて前は殴られて、今回も危なく目を焼かれるところだったんだ。・・そのあと改心?したみたいだからもう大丈夫だろうケド」
「そうそうそう!茂田さんまで巻き込みたくなくての判断なんだよ」
「・・・それでも、みんなが大変だった時に一人何にも知らないのはイヤだわ」
このあと、涙ぐんでしまった彼女を3人でなだめた押し、最終的には今度ランチをご馳走するということで何とか収束した。
どんな高いランチをねだられるのかと、今から3人恐怖に震えるハメになってしまった。
午後の授業が終わり、帰りがけに塚原と(大野は病院へ帰った)警察署へ寄って事情聴取に応じたあと、二人ファミレスでで軽く夕飯を取り、別れた。
アパートへ帰ってきたのは8時近く。隣の部屋の小窓を見れば、明かりが点いていて刈谷がいるコトがわかる。
鍵を開けて部屋に入り電気をつける。ヨロヨロとベッドに辿り着くと、誘われるままにダイブ。疲れきった体はすぐさま睡魔に負けそうになったが、そこへ邪魔が入った。
コンコンコン!
けたたましいノックに起こされ、不機嫌全開でドアに向かう。シバシバする目を擦りながら玄関を開けると、
「小笠原さん?宅急便です」
宅配業者の制服を着た男が、ダンボール箱を抱えて立っていた。
「宅急便?」
「はい、206号室の小笠原さん宛で間違いないですよ。ではここにサインか印鑑をお願いします。・・・はい、確かに」
受け取り票にサインすると、業者は会釈を残して帰った行った。
箱を室内に運び入れ、伝票を覗き込む。・・・実家からだ。開封すると中にはレトルト食品がギッシリ。
一緒に入っていた紙片を手に取り目を通すと、たった一言。
『退院しました。こないだは顔が見られて嬉しかったわ』
見舞金を置いてきたわけでも無いのに、快気祝いとして送ってくれたらしい。
温かくなった気持ちで携帯を取り出すと、【実家】にかける。数コールの後に『はい』と出た聞き覚えのアリ過ぎる女性の声に、前置きなしで「ありがとう」と話し出した。